瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 欧陽脩の『帰伝録』に「余平生所作文章。多在三上。乃馬上枕上厠上也。蓋惟此尤可以屬思爾。〔余(よ)、平生(へいぜい)作(つく)る所(ところ)の文章(ぶんしょう)、多(おお)くは三上(さんじょう)に在(あ)り。乃(すなわ)ち馬上(ばじょう)・枕上(ちんじょう)・厠上(しじょう)なり。蓋(けだ)し惟(た)だ此(こ)れ尤(もっと)も以(もっ)て思(おも)いを属(つら)ぬ可(べ)きのみ。〕」とあります。

※ 馬上馬に乗っているとき。 枕上横になっているとき。 厠上便所に入っているとき。

※ 厠とは便所の事です。因みに「便所」という言葉は仏教から派生したもので、便利な所、わざわざ屋外に行かなくとも屋内で便利に用が足せる、ということで便所と呼ぶようになったそうです。また、一説に鬢所〔びんじょ、鬢(びん)を整える場所〕から訛って「べんじょ」になったということです。

 現代風にいうならば、便所の別名は、トイレ、化粧室、お手洗い、洗面所。昔なら、厠(かわや)、はばかり、ご不浄、また、禅寺風にいうなら、雪隠(せっちん)、東司(とうす)、などと呼ばれます。

 また、爺は若い頃、哲学風に「思考と空想の部屋」とか、「孤独の部屋」いうように呼んだこともあります。

 ところで、浄土宗祖、法然上人は「ただ一向に念仏すべし」との教えを広め、ご自身も日に六万遍も七万遍もなむあみだぶつ、お念仏をとなえ続けられたということです。あるとき上人が便所でお念仏しているのに気づいた弟子の一人が「こんなきたないところで、ありがたいお念仏をおとなえしていいのですか?」と聞いたそうです。法然上人は、「不浄にて申す念仏の咎(とが)あらば めしこめよかし弥陀の浄土へ(便所で念仏するのが罪ならば、阿弥陀仏の極楽浄土へ召しとってとじこめてください)。」と、お答えになったといいます。

 

また、欧陽脩は文章上達の要素として、「三多」ということを勧めています。この「三多」という言葉は北宋の陳師道(ちん しどう、10531101年)の『後山詩話』にも、ある言葉で、文章上達の秘訣は「看多」、「做多」、「商量多」であるといっています。

看多:手当たり次第に読むのではなく、自分が目標とする文章を選び出し、徹底的に、繰り返し読むことです。

做多:これはたくさん書くことを意味しますが、著者は毎日書くことを勧めています。

商量多:第三者の目で厳しく推敲することです。
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