瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
予報では昼間の気温は上がるというが、まだ明けやらぬ朝の気温は低い。



「まつち山今朝こえ来れば霧こめて隅田川原は見れどわかぬかも」
これは田安宗武(1715~1771年)の作といわれる。宗武は八代将軍徳川吉宗の次男として、正徳五年江戸赤坂に生まれた。徳川御三卿田安家の祖で、松平定信(1759~1829年)の父となる人である。
今は聖天宮のある待乳山は元来が小高い丘であった。いまでも霧の立つ朝にこの社に上るとこのような風景を見ることもある。この歌は「弁基の歌」と題して万葉集3巻にある
「真土山夕越え行きて廬前(いほさき)の角太川原(すみだがはら)に独りかも寝む(万3-298)」
からの派生歌と思われるが、万葉集の真土山は奈良と和歌山を分ける山であり、角太川は紀ノ川のことであるというから目の前に見る隅田川とは違うのであるが、現在の隅田川原(今はテラスになっている)には沢山の「独りかも寝む」人が沢山いらっしゃるので、万葉集の歌の方が身に詰まされる。こんなたわいもないことを考えながら、昨日と同じコースを一周して帰宅した。
今年に入って、万歩計のバッテリーが切れて、使い物にならなくなった。別に万歩計など有っても無くてもよい存在のなので、そのまま机の上に放って置いたのだが、何を考えたのか婆様が新しい万歩計を買ってきた。面倒くさくてまだセットしていない。まあ、当分は使用することもないだろう。婆様の話では「電池取替え口のビスが錆びて電池の交換が利かなかった」とのこと。万歩計を頸からぶら下げ、直接素肌に触れさせたまま使用したので、汗で錆びついたのかもしれない。
これは田安宗武(1715~1771年)の作といわれる。宗武は八代将軍徳川吉宗の次男として、正徳五年江戸赤坂に生まれた。徳川御三卿田安家の祖で、松平定信(1759~1829年)の父となる人である。
今は聖天宮のある待乳山は元来が小高い丘であった。いまでも霧の立つ朝にこの社に上るとこのような風景を見ることもある。この歌は「弁基の歌」と題して万葉集3巻にある
「真土山夕越え行きて廬前(いほさき)の角太川原(すみだがはら)に独りかも寝む(万3-298)」
からの派生歌と思われるが、万葉集の真土山は奈良と和歌山を分ける山であり、角太川は紀ノ川のことであるというから目の前に見る隅田川とは違うのであるが、現在の隅田川原(今はテラスになっている)には沢山の「独りかも寝む」人が沢山いらっしゃるので、万葉集の歌の方が身に詰まされる。こんなたわいもないことを考えながら、昨日と同じコースを一周して帰宅した。
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プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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