瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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(はり)を詠んだ歌4
19-4207: ここにしてそがひに見ゆる我が背子が.......(長歌)
 
※久米広縄(くめの-ひろなわ、生没年不詳)
 奈良時代の官吏。天平20 (748) 年から3年あまり越中掾(じょう)。越中守大伴家持らと布勢水海(ふせのみずうみ、富山県氷見市)をたずね、内蔵縄麻呂(くらの-なわまろ)宅の宴に参加するなどして歌をよんでいます。「万葉集」巻1819に、長歌1首、短歌8首があります。名は「ひろただ」「ひろつな」ともよみます。
※内蔵縄麻呂(くらの-なわまろ、生没年不詳)
 奈良時代の官吏、歌人です。天平17 (745) 年ごろ大蔵少丞(おおくらのしょうじょう)でした。19年越中介(えっちゅうのすけ)として赴任、守(かみ)大伴家持らと酒宴や遊覧につどい、歌を詠みました。そのときの4首と、家持が縄麻呂の歌に和した4首が「万葉集」に載っています。天平勝宝5 (753) 年には造東大寺司の判官(じょう)の任にありました。名は「ただまろ」ともよみます。

ウェブニュースより
 藤井七段「途中で誤算あって」今期初黒星で予選敗退 ―― 将棋の最年少タイトル挑戦者、藤井聡太七段(17)が10日、大阪市の関西将棋会館で行われた王座戦2次予選決勝で大橋貴洸六段(27)に敗れ、挑戦者決定トーナメントの進出を逃した。棋聖戦に続く、2つ目のタイトル挑戦権獲得を逃した。
 
 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、約2カ月、延期されていた対局。藤井は序盤から惜しみなく時間を使い、リードを広げたが終盤に逆転負け。「けっこう激しい将棋で、途中で誤算があってダメにしてしまった」と悔しそうに振り返った。今期、初黒星で連勝は10で止まった。
https://www.youtube.com/watch?v=4r-cUaOqThI
 藤井と大橋は1610月に四段に昇段した同期。両者の過去の対戦成績は22敗。この日の勝利で対藤井戦、3連勝となった大橋は「藤井キラー? この先はどうなるか分かりません」と笑顔で話した。藤井が8日に第91期棋聖戦5番勝負第1局で戦った渡辺明棋聖(36
)は大橋と同門の兄弟子。大橋は「兄弟子のリベンジ?」に苦笑い。
 藤井は棋聖戦第1局から中1日での対局だった。コロナ禍によるブランク明けは、10日間で早くも4局目となり、今月は9局が確定。過密日程との戦いとなる。   [日刊スポーツ 20206102215]

 昭恵夫人 再開初日に居酒屋急行!軽率な外出控えての声届かず ―― 東京都内の和食居酒屋「UZU」の勝手口に入っていったのは安倍昭恵夫人(57
)だった――。

 大手紙の政治部記者はこう語る。「安倍首相が国民へ不要不急の外出の自粛を呼びかけていたにもかかわらず、昭恵夫人はタレントらとレストランで私的な『桜を見る会』を開催したり、3月中旬には大分県の神社を団体で参拝したりしていたことも発覚しました。
 そのたびに首相は苦しい弁明をせざるをえませんでした。官邸からは『安倍首相のために、緊急事態宣言が解除された後も、夫人には、軽率な外出は控えてほしい』という声が上がっていたのです」
 だが自ら経営する「UZU」が約2カ月ぶりに営業を再開することが決まると、昭恵夫人も自粛を継続することはできなかったのだ。
 本誌が店にミニバンでやってきた夫人を目撃したのは、再開初日である61日夜。運転手は、野菜が入っていると思われるいくつかの段ボールを運び入れていた。
 「酒豪として知られる昭恵夫人ですが、“自分らしくいられる場所”が2つあるそうです。1つは学生時代から通っているワインバー、そしてもう1つがUZUです。『首相夫人なのに』と批判されつつも、彼女が経営を続けていたことからも並々ならぬ愛着を感じます」(政治評論家・有馬晴海さん)
 居酒屋おかみとしては店再開に胸をときめかせてもいただろう。だが彼女の表情は鼻まで覆い隠す大きなマスクのため、見ることができない。不織布素材の品のようで、夫がつけ続けている“アベノマスク”ではなかった。
 「昨年10月、即位礼正殿の儀にひざ丈のドレスで参列して批判を受けたことも記憶に新しいですが、夫人はファッションに強いこだわりがあります。夫人の美意識にはアベノマスクはそぐわなかったということなのでしょう」(前出・政治部記者)
 昭恵夫人は、毎年参加していた山形県のスキーイベント出席を「今回ばかりはやめてほしい」と、首相に止められたという。またかつて実行委員会の名誉会長を務めていた『ミャンマー祭り』も5月末に開催予定だったが、秋へ延期となっている。
 「毎年楽しみにしている行事が次々と延期や中止を余儀なくされていることで、コロナ対策を指揮している首相へも不満を募らせているのかもしれません」(前出・政治部記者)
 かつて首相と夫人を引き合わせた元・山口新聞東京支局長の濱岡博司氏は、こう語る。
 「昭恵さんと姑・洋子さんの仲もうまくいっていないと聞きますし、確かに悪条件はあります。しかし私は『離婚はない』とみています。もともとは晋ちゃんが昭恵さんにベタ惚れで結婚していますし、国会でも晋ちゃんは、昭恵さんのことを突っ込まれてかなり本気で怒っていますからね。(昭恵さんを)見放すことはできないと、本人は考えていると思います」
 この日、夫人がUZUを後にしたのは閉店時間の22時少し前。店の前で数分、スタッフに指示を与えると、待たせていたミニバンに乗り込む。マスクを外していたその顔からは、おかみの務めを果たした満足感が伝わってきた。   「女性自身」202062330日号 掲載

 いやはや、少々ミーハー記事を取り上げてしまったようです。


 

(はり)を詠んだ歌3
16-3791: みどり子の若子髪にはたらちし母に抱かえ.......(長歌)


標題:竹取翁、偶逢九箇神女、贖近狎之罪作歌一首并短歌
標訓:竹取の翁の、偶(たまたま)九箇(ここのたり)の神女(めかみ)に逢ひしに、近く狎()れし罪を贖(あが)ひて作れる歌一首并せて短歌

:昔有老翁、号曰竹取翁也。此翁、季春之月登丘遠望、忽値煮羮之九箇女子也。百嬌無儔、花容無止。于時娘子等呼老翁嗤曰、叔父来乎。吹此燭火也。於是翁曰唯々、漸赴徐行著接座上。良久娘子等皆共含咲相推譲之曰、阿誰呼此翁哉。尓乃竹取翁謝之曰、非慮之外偶逢神仙、迷惑之心無敢所禁。近狎之罪、希贖以謌。即作謌一首并短謌
序訓:昔、老翁ありき、号(なづけ)て竹取翁と曰ふ。この翁、季春(きしゅん)の月に丘に登り遠く望むに、忽(たちま)ちに、羮(あつもの)を煮る九箇の女子に値()ひき。百嬌儔(たぐ)ひ無く、花容に匹するは無し。時に娘子等は老翁を呼び嗤(わら)ひて曰はく「叔父来れ。この燭の火を吹け」という。ここに翁は「唯々」と曰ひて、漸(やくやく)に赴き徐(おもふる)に行きて座(むしろ)の上に著接(まじは)る。良久(ややひさか)にして娘子等皆共に咲(えみ)を含み相推譲(おしゆづ)りて曰はく「阿誰(あた)がこの翁を呼べる」といふ。すなわち竹取の翁謝(ことは)りて曰はく「慮(おも)ざる外に、偶(たまさか)に神仙に逢へり、迷惑(まど)へる心敢(あへ)へて禁()ふる所なし。近く狎()れし罪は、希(ねが)はくは贖(あがな)ふに歌をもちてせむ」といへり。すなはち作れる歌一首并せて短歌
序訳:昔、八十歳を越える老人がいた。呼び名を竹取の翁といった。この老人が春三月頃に丘に登って遠くを眺めると、たまたま、羮を煮る九人の女性に出逢った。その妖艶さは比べるものが無く、花のように美しい顔立ちに匹敵する人がいない。その時、娘女達は老人を呼び笑いながらいった。「おやじ、ここに来い。この焚き火の火を吹け。」と。老人は「はいはい」といってゆっくりと娘女達の間に近づき、膝を交えて座った。ところが、しばらくして、娘女達は一様に笑いを含めながらお互いをつつきあい、「一体、誰が、このおやじを呼んだの」といった。そこで、竹取の翁が詫びていうには、「思ってもいなくて、たまたま神仙に回り逢い、戸惑う気持ちをどうしても抑えることが出来ませんでした。近づき馴れ馴れしくした罪は、どうか、この償いの歌で許して欲しい」といった。そこで作った歌一首。并せて短歌。 


原文:緑子之 若子蚊見庭 垂乳為母所懐 褨襁 平生蚊見庭 結經方衣 水津裏丹縫服 頚著之 童子蚊見庭 結幡之 袂著衣 服我矣 丹因 子等何四千庭 三名之綿 蚊黒為髪尾 信櫛持 於是蚊寸垂 取束 擧而裳纒見 解乱 童兒丹成見 羅丹津蚊經 色丹名著来 紫之 大綾之衣 墨江之 遠里小野之 真榛持 丹穂之為衣丹 狛錦 紐丹縫著 刺部重部 波累服 打十八為 麻續兒等 蟻衣之 寶之子等蚊 打栲者 經而織布 日曝之 朝手作尾 信巾裳成 者之寸丹取 為支屋所經 稲寸丁女蚊 妻問迹 我丹所来為 彼方之 二綾裏沓 飛鳥 飛鳥壮蚊 霖禁 縫為黒沓 刺佩而 庭立住 退莫立 禁尾迹女蚊 髣髴聞而 我丹所来為 水縹 絹帶尾 引帶成 韓帶丹取為 海神之 殿盖丹 飛翔 為軽如来 腰細丹 取餝氷 真十鏡 取雙懸而 己蚊杲 還氷見乍 春避而 野邊尾廻者 面白見 我矣思經蚊 狭野津鳥 来鳴翔經 秋僻而 山邊尾徃者 名津蚊為迹 我矣思經蚊 天雲裳 行田菜引 還立 路尾所来者 打氷刺 宮尾見名 刺竹之 舎人壮裳 忍經等氷 還等氷見乍 誰子其迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部 狭々寸為我哉 端寸八為 今日八方子等丹 五十狭邇迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部之 賢人藻 後之世之 堅監将為迹 老人矣 送為車 持還来 持還来
                                        万葉集 巻16-3791
                                    作者:竹取翁
よみ:緑子の 若子の時(かみ)には たらちしも懐(なつか)し 褨(すき)を襁()け 平生(ひらお)の時(かみ)には 木綿(ゆふ)の肩衣(かたきぬ) ひつらに縫ひ着 頚(うな)つきの 童(わらは)の時(かみ)には 結幡(けつはん)の 袖つけ衣(ころも) 着し我れを 丹()よれる 子らが同年輩(よち)には 蜷(みな)の腸(わた) か黒し髪を ま櫛持ち ここにかき垂れ 取り束(たか)ね 上げても巻きみ 解き乱り 童に為()しみ 薄絹(うすもの)似つかふ 色に相応(なつか)しき 紫の 大綾(おほあや)の衣(きぬ) 住吉の 遠里小野の ま榛(はり)持ち にほほし衣(きぬ)に 高麗錦 紐に縫ひつけ 刺()さへ重(かさ)なへ 浪累()き 賭博為し 麻続(をみ)の子ら あり衣の 宝(たから)の子らか 未必(うつたへ)は 延()へて織る布(ぬの) 日晒(ひさら)しの 麻手(あさて)作りを 食薦(しきむも)なす 脛裳(はばき)に取らし 醜屋(しきや)に経()る 否(いな)き娘子(をとめ)か 妻問ふに 我れに来なせと 彼方(をちかた)の 挿鞋(ふたあやうらくつ) 飛ぶ鳥の 明日香壮士(をとこ)か 眺め禁()み 烏皮履(くりかわのくつ) ()し佩()きし 庭たつすみ 甚(いた)な立ち 禁(いさ)め娘子(をとめ)か 髣髴(ほの)聞きて 我れに来なせと 水縹(みなはだ)の 絹の帯を 引き帯()なし 韓(から)を帶に取らし 海若(わたつみ)の 殿(あらか)の盖(うへ)に 飛び翔ける すがるのごとき 腰細(こしほそ)に 取り装ほひ 真十鏡(まそかがみ) 取り並()め懸けて 己(おの)か欲()し 返へらひ見つつ 春さりて 野辺を廻(めぐ)れば おもしろみ 我れを思へか 背の千鳥(つとり) 来鳴き翔らふ 秋さりて 山辺を行けば 懐かしと 我れを思へか 天雲も 行き棚引く 還へり立ち 道を来れば 打日刺す 宮女(みやをみな) さす竹の 舎人(とねり)壮士(をとこ)も 忍ぶらひ 返らひ見つつ 誰が子ぞとや 思はえてある かくのごと 為()し故(ゆへ)し 古(いにしへ)の 狭幸(ささき)し我れや 愛()しきやし 今日(けふ)やも子らに 不知(いさ)にとや 思はえてある かくのごと 為()し故(ゆへ)し 古(いにしへ)の 賢(さか)しき人も 後の世の 語らむせむと 老人(おひひと)を 送りし車 持ち帰りけり 持ち帰りけり
◎この歌は万葉集最大の難訓を持つ難解歌のため、現在においても適切な解釈が得られていません。
意味:(わしが)誕生したばかりの頃は“たらちし”母親に抱かれていた。“ひむつきの”幼児の頃は、木綿の肩衣に総裏を縫いつけて着ていた。“うなつきの”童子の頃は、絞り染めの袖着衣を、わしは着ていたのじゃ。赤いニキビの、思春期の頃は、“みなのわた”真っ黒な髪を、立派な櫛で梳いて、髪を垂らしたり、巻いたり、梳き乱しては、その年代に似合う髪形にしていた。“さ丹つらふ”(赤い)色をさした“紫の”綾織りの衣や、“住吉の”遠里小野の榛の木で、染め上げた衣を(着用し)、高麗錦を紐にして縫いつけ、重ね着をした。“打麻やし”麻績の娘や“あり衣の”財の娘らが、絹を打ち延ばして織り上げた生地。日晒しの、手織りのアサ布を、前垂れ風の短い袴にあしらっていたのじゃよ。
 (青年期になった)何日も自宅にこもった、稲置の乙女が、(わしに)求婚するといって、わしに贈ってきた、“おちかたの”二色交ぜ織りの足袋を履き、“飛ぶ鳥”明日香の男が、長雨の中、縫い上げた黒い沓(くつ)を履いて、(惚れた女の)庭にたたずむと、『そこを退きなさい』と(彼女の両親に追い払われた)。
 なかなか会えない娘(稲置の乙女)が、こっそり聞いて、わしに会いに来た。水色の絹帯を、付け紐風の韓帯みたく、“わたつみの”宮殿の瓦を飛び翔ける、ジガバチのように細い腰に装着する。“まそ鏡”(鏡を)二つ並べて、自分の顔を何度も見た。
 春が来た。野辺を駆ければ、わしに趣があるのか、“さ野つ鳥”(キジが)飛んできて鳴くよ。秋が来た。山辺を歩けば、わしに心ひかれたのか、“天雲も”たなびくものよ。帰途につこうと、道を戻れば、“うちひさす”宮殿に仕える官女や“さす竹の”舎人たちがこっそり見返っていた。『どこのイケメンかしら』と、関心を寄せられていたのじゃ。
 ―かくして、はるか昔は、もてはやされたわしであったが、“はしきやし”きょうび、(きみたち)若い娘らに、嫌な(じーさんと)思われている。かくのごとく、年をとると大事にされなくなる。昔の賢人たちも、後世(の若者ら)に見せるため、ジジババを(山中に)捨てに行った手押しの車を、持ち帰ったのじゃ。持ち帰ったのじゃよ
 
16-3801: 住吉の岸野の榛ににほふれどにほはぬ我れやにほひて居らむ


 

ウェブニュースより
 藤井七段に意表つかれた渡辺3冠「分からなかった」 ―― 将棋の藤井聡太七段が8日、1710カ月20日のタイトル戦史上最年少挑戦記録を白星で飾った。東京・千駄ケ谷で行われた、第91期ヒューリック杯棋聖戦5番勝負第1局で、渡辺明棋聖(棋王・王将=36)を下した。屋敷伸之九段(48)が1990年(平2)に達成した18歳6カ月という初タイトル獲得最年少記録の更新に向け、好スタートを決めた。第2局は今月28日、同所で行われる。

 渡辺が、意表を突かれた。先手藤井から、自身が得意とする矢倉に誘導された。終盤、混戦に持ち込んだが「いろいろとあって分からなかった」と首をひねった。
https://www.youtube.com/watch?v=mTSurTlazTA
 約1年4カ月ぶりの再戦でも黒星を喫した渡辺は、10日から2日制で行われる名人戦7盤勝負第1局(三重県鳥羽市「戸田家」)にも登場し、豊島将之名人に挑戦する。本来なら4月8、9日の予定から約2カ月延期されての初戦。初防衛を目指す棋聖戦と掛け持ちになるが「2局目からは手番(渡辺は先手)が決まっているので、より準備をして臨みたい」と、気持ちを切り替えていた。   [日刊スポーツ 2020682017]

 荒川のシカ、市原ぞうの国が引き取る さっそく名前も ―― 荒川河川敷で捕獲されたシカについて、東京都足立区は8
日、千葉県市原市の動物園「市原ぞうの国」に移送したと発表した。同園はシカを「エスケープ(逃げる)してきた」ことにちなんで「ケープくん」と名づけ、様子を見ながら展示を検討していくという。

 区危機管理部によると、捕獲したシカの引き取り先を区が探したところ、ぞうの国から、「受け入れが可能」と回答があった。区は当初、害獣駆除の目的で都から捕獲の許可を得ていたが、5日に「展示施設での環境教育などへの活用」に目的を変更した。
 ぞうの国はゾウを含めて約80種類400頭羽の動物、姉妹園ではシカも飼育している。展示の可否や方法は、検疫後にシカの様子を見て判断し、詳細が決まり次第、ホームページなどで発表する。   (朝日新聞DIGITAL 202068 1858
分)


沖縄県議選で30代が躍進 沖縄の課題解決へ新たな風 ――コロナ禍の沖縄県議選で、1985年以降に生まれた玉城デニー知事を支える与党系の30代新人が躍進した。初当選を果たし、若手目線での沖縄の課題解決に意欲をみなぎらせた。
 
 宜野湾市区の玉城健一郎さん(35)=無所属=は、日焼けした両手を高く掲げて万歳をした。「皆さんのおかげで闘え、結果を残せた。成長できた選挙だった」と当選をかみしめた。子育て中の知人も多く、これまで「若い世代の声を県政に届けたい」と訴えてきた。生まれ育った市野嵩の上空は、普天間飛行場の米軍機が轟音(ごうおん)を響かせながら飛行する。戦後75年も続く基地負担に「不条理をただすのが政治の役割だ」と訴え、県政で宜野湾の声を届ける。
 沖縄市区で7期を務めた前職・嘉陽宗儀さん(77)の後継、島袋恵祐さん(33)=共産=は、年齢差44歳のバトンタッチを果たし笑顔を見せた。双子の兄とともに18歳で自衛隊に入隊したが、兄は徒手格闘訓練中に20歳の若さで亡くなった。兄の死をきっかけに、人の命や人権について強く意識するようになり、政治家を志した。「三度目の正直」で勝ち取った議席は、命と人権を守る議席だ。島袋さんは「苦しんでいる県民の声を聞き、県政へ届けたい」と語った。
 那覇市・南部離島区の翁長雄治さん(32)=にぬふぁぶし=は午後1013分、当確が報じられると冷静に支持者へお辞儀をした。父・故翁長雄志前知事の写真が見守る中「父がやり残したこと、子どもたちに胸を張って残せる沖縄をつくる」と気を引き締めた。政治団体「にぬふぁぶし」にとって、県議会での初議席。保守・中道の受け皿を目指す。「沖縄の課題はイデオロギーで解決できない。基地問題も保革を超えて県民が一枚岩となれば解決できる」と力を込めた。   (琉球新報 202068 05:00


 

(はり)を詠んだ歌2
巻7-1156: 住吉の遠里小野の真榛もち摺れる衣の盛り過ぎゆく
 
巻7-1166: いにしへにありけむ人の求めつつ衣に摺りけむ真野の榛原
 
7-1260: 時ならぬ斑の衣着欲しきか島の榛原時にあらねども
 
巻7-1354: 白菅の真野の榛原心ゆも思はぬ我れし衣に摺りつ
 
10-1965: 思ふ子が衣摺らむににほひこそ島の榛原秋立たずとも
 
14-3410: 伊香保ろの沿ひの榛原ねもころに奥をなかねそまさかしよかば

14-3435: 伊香保ろの沿ひの榛原我が衣に着きよらしもよひたへと思へば


 

(はり)を詠んだ歌1
 榛(はり)は、萩(はぎ)だという説もありますが、カバノキ科ハンノキ属の落葉高木の榛の木だという説が有力視されています。3~4月頃に葉が出る前に花をつけます。松かさのような形をした果実は、古代から黒褐色の染料として利用されてきました。
 
 万葉集には14首に詠まれています。榛の群生地として「榛原(はりはら)」、または染料として使ったことを表して「衣に摺()りつ」などと詠まれている歌が多くあります。
 
巻1-0019: 綜麻形の林のさきのさ野榛の衣に付くなす目につく吾が背
 
※井戸王(いのへのおおきみ、生没年不詳)
 飛鳥(あすか)時代の歌人。天智天皇6年(667)の近江(おうみ)遷都のとき、額田王(ぬかたのおおきみ)に唱和した短歌1首が「万葉集」にあります。この歌から、額田王と接触し、宮廷につかえていた女性と推定されます。
◎綜麻とは、紡いだ麻糸を丸く巻いたものです。「綜麻形の林」とはどこなのでしょうか。詠まれた歌の背景が分からないと、理解が深まらない歌です、この歌は、
 「『古事記』の崇神天皇の条にある三輪山伝説に、三輪山の神が活玉依毘売(いくたまよりひめ)のところへ通っていたが、神は身元を明らかにしない。それを針に糸を通して神の衣服に刺し、その糸の先を辿っていくと三輪山の神であったことが判明した。」
 
 三輪山のハンノキで染めた色が衣によく染まるように、我が君(天智天皇)は立派にお見えになります、と詠った井戸王。王とありますが、天智天皇あるいは額田王に仕えていた女官かとも。
 額田王の、近江遷都の折に大和から山城へ向かう途中に三輪山を顧みて愛惜の情を陳べた長歌:
 味酒(うまさけ)三輪の山あをによし奈良の山の山の際にい隠るまで道の隈い積もるまでにつばらにも見つつ行かむをしばしばも見放けむ山を心なく雲の隠さふべしや
(味酒の三輪の山が、青丹も美しい奈良の山の山の際に隠れるまで、幾重にも道の曲がりを折り重ねるまで、しみじみと見つづけて行こう。幾度も見晴らしたい山を、情けなく雲が隠すべきでしょうか。)
 この歌に和したものなのでしょうか。
巻1-0057: 引間野ににほふ榛原入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに
 
※長忌寸奥麻呂(ながのいみきおきまろ、生没年不詳)
 柿本人麻呂・高市黒人(たけちのくろひと)とともに、『万葉集』の第二期を代表する宮廷歌人で、持統・文武両朝に宮廷歌を残しています。
 正史に記載がなく、生没年も系譜も官歴も不明ですが、長氏は、おもに渡来系の人に与えられた「忌寸(いみき)」という姓(かばね)であることから、渡来系氏族であろうと考えられています。
巻3-0280: いざ子ども大和へ早く白菅の真野の榛原手折りて行かむ
 
※高市黒人(たけちのくろひと、生没年不詳)
 持統、文武朝の万葉歌人です。下級官吏として生涯を終えたようです。『万葉集』に近江旧都を感傷した作があり、大宝1 (701) 年の持統太上天皇の吉野行幸、翌年の三河国行幸に従駕して作歌しています。ほかに羇旅 (きりょ) の歌や妻と贈答した歌があります。『万葉集』にある黒人の歌は、高市古人あるいは高市作と伝えるものを含めて短歌 18首、すべて旅の歌です。なお,機知的な,ユーモラスな作品もあり、この時期の歌人としては珍しい存在です。
巻3-0281: 白菅の真野の榛原行くさ来さ君こそ見らめ真野の榛原


 

ウェブニュースより
 早紀江さん「気持ちの整理つかず」 関係者悼む ―― 北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん(失踪当時13)の母、横田早紀江さん(84)は5日、「北朝鮮に拉致されためぐみを取り戻すために主人と2人で頑張ってきましたが、主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です」とのコメントを出した。
 横田滋さんと活動をともにしてきた関係者は娘との再会を果たせなかった無念を思い、言葉を失った。
 
 拉致被害者、田口八重子さん(失踪当時22)の兄で、横田さんから家族会代表を引き継いだ飯塚繁雄さん(81)は「仲間がまた一人居なくなった。一緒に頑張ってきた(妻の)早紀江さんを思うと気の毒でならない」と悼んだ。そのうえで「家族の高齢化は止められない。一刻も早く拉致問題の解決に向けて動いてほしい」と国に求めた。
 「横田夫妻が訴えかけた力が国民に響いたからこそ、(一部被害者の)帰国につながった」と話すのは、増元るみ子さん(失踪当時24)の弟で、家族会の元事務局長、増元照明さん(64)。長年、家族会の先頭に立って懸命に活動を続けた横田さんを思い、「言葉にならない。被害者を取り戻すまで活動を続けていきたい」と力を込めた。
 有本恵子さん(失踪当時23)の父、明弘さん(91)は「家族会を引っ張ってくれた。誠実な横田さんがいたからこそ、活動を続けられた。一番感謝している」と振り返った。自身も2月に妻の嘉代子さんを失ったばかり。「寂しいが(滋さんの)思いを尊重して頑張り続けたい」と話した。
 拉致被害者の支援組織「救う会」の会長、西岡力さんは「(横田さんは)めぐみさんの実名を公表し、拉致問題を広く世に知らしめた功績は計り知れない。(横田さんとともに運動を始めた)1997年から歩みをともにしてきた。めぐみさんとの再会を果たせず、痛恨の思い。本当に申し訳なく思う」と話した。
 救う会によると、葬儀終了後に遺族が記者会見を開く。
        【日本経済新聞 2020/6/5 19:28

 “意表を突く手”で形勢逆転…9時間44分の激戦制した藤井七段 師匠は“凄すぎる故”の心配も? ―― 見事な逆転劇でした。4日、最年少でのタイトル挑戦記録を31年ぶりに更新した藤井聡太七段。
 対局を見守った師匠の杉本昌隆八段は、藤井七段の「凄み」に驚いた一方で、若者だからこその心配事もあるようです。
 
 瀬戸市出身の高校生棋士・藤井聡太七段(17)は4日、将棋の8大タイトルの1つ、棋聖戦の挑戦者決定戦で勝利。
 1710か月20日でのタイトル挑戦を決め、最年少記録を31年ぶりに塗り替えました。
 藤井聡太七段:
 「今までなかなかタイトル戦という舞台まで行けなかったので、それを今回達成できて、1つ前に進めたのかなという風に思っています」
 新たな記録を打ち立てた勝利から一夜明け、地元・瀬戸市はお祝いムード。
 瀬戸市民の男性:
 「何年に一人、出てくるか出てこんかの逸材だもんでね」
 瀬戸市民の女子高生:
 「同級生なので、すごなと思いました」
 2016年、142か月の史上最年少でプロ入りした藤井七段。
 藤井聡太四段(当時14歳):
 「東海地区にタイトルを持って帰るというのが、板谷先生の頃からの悲願でありましたので、ぜひそれを一刻も早く実現できるように、日々精進していきたいと思っています」
 中学校の詰襟学生服で臨んだデビュー戦に勝利すると、連勝街道を突き進み、公式戦29連勝など数々の記録を塗り替え、「藤井フィーバー」を巻き起こしました。
 そして、新たな記録がかかった4日の対局。相手は叡王・王座のタイトルを保持する、永瀬拓矢二冠(27)です。
 
 攻勢にでる永瀬二冠に対し、藤井七段が我慢する展開に。対局を見守った師匠の杉本昌隆八段は…。
 杉本昌隆八段:
 「対戦相手の永瀬さんが、用意周到に対策を立ててこられてましたね。ピンチで一時は危なかったです」
 しかし、藤井七段は猛攻をしのぎ反撃に、終盤ついに形勢が逆転します。
https://www.youtube.com/watch?v=jEsXs95SaWg
 杉本昌隆八段:
 「藤井七段の指した手が、非常に意表をつく手だったんですね。その手を境に流れが変わって、藤井七段がペース握って逆転勝ちしたという内容でした」
 そして対局開始から9時間44分。
 永瀬拓矢二冠:「負けました」
 藤井聡太七段:「ありがとうございました」
 見事、100手で勝利。1710か月と20日の史上最年少で、タイトルに戦に挑みます。
 杉本昌隆八段:
 「勝手に経験を積んでいきますので、何の心配もいらない。しいて言うならば、対局が増えれば増えるほど忙しくなってきますし、学校も行かなければいけないでしょうから、学校の勉強は大丈夫かなというのが、ちょっとだけ心配ですね」
 棋聖戦五番勝負は8日に開幕。相手は渡辺明三冠(36)。
 2人は去年2月に初対局し、その時は藤井七段が勝ちましたが、渡辺三冠は、8大タイトルのうちの3つを保持するトップ棋士です。
 藤井聡太七段:
 「まだ挑戦するという実感があまり湧かないですけど。ただまあ、第1局がすぐにあるので、しっかり気持ちを入れ替えたいなと思います」
 悲願のタイトル獲得へ、瀬戸の高校生棋士・藤井聡太の挑戦は、この夏をさらに熱くします。   【東海テレビ 6/5() 19:43配信】


 

花勝見(はなかつみ)を詠んだ歌
 花勝見(はなかつみ)が何なのかははっきりとはしていませんが、花菖蒲(はなしょうぶ)の原種である野花菖蒲(のはなしょうぶ)ではないかと考えられています。野花菖蒲はアヤメ科アヤメ属の多年草で、5~6月頃に湿地に紫色の花を咲かせます。
 
 万葉集にはただ1首に詠まれています。
巻4-0675: をみなへし佐紀沢に生ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも
 
※中臣女郎(なかとみの いらつめ、生没年不詳)
 奈良時代の女性です。大伴家持(おおともの-やかもち)(718785)をめぐる女性たちのひとりです。「万葉集」巻4に家持におくった相聞歌5首があります。


ウェブニュースより
 東京五輪、中止回避へ簡素化案 行進取りやめも視野 ―― 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、2021年に延期された東京五輪・パラリンピックについて、東京都や大会組織委員会が大会の簡素化を検討している。入場行進を取りやめるほか、販売チケットを減らし観客席の間隔を空けるといった案があがる。感染対策の徹底で「大会中止」の事態を避けたい考えだ。
 
 東京都の小池百合子知事は4日、都庁内で「五輪開催には国民の共感が必要だ。合理化、簡素化すべきところは進めていく」と述べた。組織委の森喜朗会長とも会談し、合理化を進める方針で一致した。
 都と組織委は既に国際オリンピック委員会(IOC)と協議している。「アスリートファースト」を掲げるIOCは競技自体への影響を望んでおらず、簡素化は式典などが主な対象となる。
 選手が一堂に会する開閉会式での入場行進の取りやめのほか、各国の来賓など参加者数の絞り込み、セレモニーの縮小、聖火リレーの日程短縮などを検討する。開閉会式は各3時間の予定だが、時間を短縮し選手の感染リスクを抑える狙いがある。
 観客席の削減も検討しており、座席の間隔を空けるなど観客同士の距離を取ることで感染対策につなげる。会場ごとにサーモグラフィーを設置した観客の体温確認や、入場時の手指消毒を求める案も出ている。
 五輪のチケットは900万枚超が販売予定で、既に448万枚が事前抽選などで販売済みだ。海外分やスポンサー分を除いた残り数百万枚は、大会前に先着順などで販売される予定だったが「残りは売り出さない可能性がある」(大会幹部)。
 大会には200を超える国・地域から1万人超の選手の参加が見込まれている。組織委などは感染対策の柱として、PCR検査のため選手や関係者に前倒しして入国してもらうことを検討する。選手が競技以外の目的で選手村(東京・中央)から外出することを制限する案もある。
 五輪開催を巡っては、IOCのバッハ会長が英BBCのインタビューで、21年夏に開催できない場合は中止される、との見解を示している。日本側は選手が満席のスタジアムで競技を行う「完全な形」での開催を目指す一方で、次善の策として大会の簡素化も選択肢の一つとした。
 感染防止への備えを前面に打ち出すことで確実な開催にこぎ着けたい考えだ。組織委の高谷正哲スポークスパーソンは4日、運営面の具体的な感染対策の検討を秋以降に始める方針を明らかにした。万全のウイルス対策やPCR検査体制をいかに整えるかなど解決すべき課題は少なくない。
  【日本経済新聞 2020/6/4 21:08 (2020/6/5 5:15更新)


 

朱華(はねず)を詠んだ歌
 朱華(はねず)はバラ科サクラ属の落葉低木の庭梅(にわうめ)と考えられています。3月~4月にかけて枝にびっしりと梅に似たピンクの花が咲きます。林鐘梅(りんしょうばい)とも言います。林鐘(りんしょう)というのは、陰暦で6月のことです。
 
 万葉集には4首に詠まれています。朱華(はねず)色に染色された衣服は、灰で洗濯すると色落ちがします。そのことから、「はねず色」は移ろいやすい心を導く枕詞として使われるようになったと考えられます。
 
巻4-0657: 思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我が心かも
 
巻8-1485: 夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らば移ろひなむか
 
11-2786: 山吹のにほへる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ
 
12-3074: はねず色のうつろひやすき心あれば年をぞ来経る言は絶えずて
 
ウェブニュースより
 あいまいな「微陽性」会社で検査精度に差…注意必要 ―― 巨人は3日、都内の球団事務所で会見を行い、坂本勇人内野手(31)、大城卓三捕手(27)がPCR検査を受け、新型コロナウイルスの陽性判定が出たことを発表した。東京ドームで予定されていた西武との練習試合は中止となり、濃厚接触者ら計26人に同検査を実施した。ただ2選手とも自覚症状はなく、正常値からわずかにはずれた「微陽性」のため、再度のPCR検査で陰性が確認されれば早期復帰が可能。619日の開幕戦に間に合う可能性がある。
 
 循環器及び感染症専門の愛知医科大・後藤礼司医師 抗体検査とは新型コロナウイルスに感染して体に免疫ができているかどうかを調べるものです。コロナを発症して2週間前後経過すると、IgGという抗体が出てきます。これが出てくると、免疫を持っているということになります。
 「微陽性」という表現があいまいで分からないのですが、IgGの値がほんの少しだけ上がっていると推察されます。よって、坂本、大城両選手が症状もなかったと言っているので、無症候性感染者であったと考えられます。ただし、抗体検査はどの会社のものを使うかによって精度が違うので、注意が必要です。   [2020632251]

 浅草と東京スカイツリーを結ぶ歩道橋「すみだリバーウォーク」618日開通。「東京ミズマチ」ウエストゾーンも同日開業 ―― 東武鉄道は62日、新型コロナウイルスの影響でオープンを延期していた鉄道高架下複合商業施設「東京ミズマチ」ウエストゾーンと、隅田川に新設する歩道橋「すみだリバーウォーク」を、618日に開業/開通することを発表した。
 
 東武スカイツリーライン浅草駅~とうきょうスカイツリー駅間に整備している鉄道高架下商業施設「東京ミズマチ」は2月に全テナントを発表。ウエストゾーン7店舗を417日に開業する予定だったが、新たな開業日が618日となり、同日に5店舗がオープンを予定。残る2店舗も順次オープンしていく。なお、イーストゾーンの店舗は7月以降に順次オープンを予定している。
 浅草と東京ミズマチ・東京スカイツリータウンを結ぶ遊歩道として、隅田川橋梁脇に新設される歩道橋「すみだリバーウォーク」は6187時に開通する。
 
      (とらべるWatch 202062 17:00


 

ねっこ草を詠んだ歌
 ねっこ草が何の花なのかは良く分かっていないようですが、翁草(おきなぐさ)、捩(ねじ)花という説があります。
 
 万葉集に「ねっこ草」を詠んだ歌は、東歌に一首あるだけです。
14-3508: 芝付の御宇良崎なるねつこ草あひ見ずあらば吾恋ひめやも
 
◎「芝付(しばつき)」は枕詞か、もしくは、地名かと言われますが、不明です。また、「御宇良崎(みうらさき)」は相模国三浦(神奈川県の三浦半島)かとも言われるが、これも定かではありません。

ウェブニュースより
 藤井七段、佐藤九段を下し最年少タイトル挑戦に王手 ―― 将棋の藤井聡太七段(17)が史上最年少タイトル挑戦へあと1勝とした。
 2日、東京・千駄ケ谷「将棋会館」で行われた第91期ヒューリック杯棋聖戦決勝トーナメント準決勝で佐藤天彦九段(32)を下した。
 
 新型コロナウイルスの感染拡大防止のための緊急事態宣言に伴い、日本将棋連盟は長距離移動の対局を禁止した。このため、410日の王位戦挑戦者決定リーグ白組、菅井竜也八段戦以来、対局がなかった。間隔が1カ月以上開くのは、2016年(平281224日のデビュー戦で加藤一二三・九段に竜王戦6組で勝った後、翌年126日の棋王戦予選、豊川孝弘七段と対戦して以来になる。ブランクを感じさせず、しっかりした指し回しを見せた。
https://www.youtube.com/watch?v=VswxSi5oDrw
 佐藤とは一昨年1月の朝日杯準々決勝で対戦した。当時名人だった相手を下すと、勢いに乗って朝日杯を制し、史上最年少で公式戦初制覇を成し遂げた。再度ステップアップのチャンスをつかんだ。
 決勝は4日、同所で行われる。勝てば、史上最年少でのタイトル戦初登場者として、渡辺明棋聖(36)に挑戦する。タイトル戦挑戦に王手をかけるのは、昨年の王将戦以来。この時は、広瀬章人竜王(肩書は当時)に敗れた。今度はカベを突き破りたい。
 最年少記録は、屋敷伸之九段(48)が持つ1710カ月24日。719日に18歳となる藤井にとって記録を更新するには、611日までにタイトル戦に登場するのが条件となる。今回は、68日に渡辺との5番勝負第1局が予定されているため、クリアとなる。   [日刊スポーツ 2020621934]


 

川楊(かはやぎ)を詠んだ歌
 川楊(かはやぎ)は、川辺に見かけるヤナギ科ヤナギ属の落葉低木のネコヤナギです。早春に、葉が出る前に銀白色の花が咲きます。
 
 万葉集には3首に詠まれています。
1293: 霰降り遠つ淡海の吾跡川楊刈れどもまたも生ふといふ吾跡川楊
 
1723: かわづ鳴く六田の川の川柳のねもころ見れど飽かぬ川かも
 
1848: 山の際に雪は降りつつしかすがにこの川楊は萌えにけるかも
 
ウェブニュースより
 米デモ、40超の都市で夜間外出禁止 50年ぶり規模 ―― 白人警官の暴行による黒人死亡事件への抗議デモが5月31日、全米でさらに広がった。米メディアによると、抗議デモは少なくとも140都市におよび、首都ワシントンやサンフランシスコなど40超の都市で夜間外出禁止令が出された。外出禁止令の広がりは公民権運動を主導したキング牧師の暗殺が起きた1968年以来、約50年ぶりの規模だという。
 
 首都ワシントンではホワイトハウス周辺の教会や労組ビルが相次いで放火された。警察隊はデモ隊に催涙弾を発射し、ペットボトルを投げた人々が次々と拘束された。シークレットサービスは31日、ホワイトハウス周辺を警護していた警官60人以上が負傷したと明らかにした。
 
 各州は治安維持に向けて州兵(ナショナルガード)の動員に乗り出した。国防総省によると、31日午前時点で首都と15州で5000人が動員された。トランプ大統領は連邦政府の軍に属する憲兵隊の派遣も視野に入れる。国内の治安維持目的での連邦軍派遣は1807年に成立した暴動法で認められている。同法の適用に踏み切れば黒人に暴行した白人警官が無罪となり1992年に起きたロサンゼルス暴動に対処して以来となる。
 
【日本経済新聞 2020/6/1 19:56 (2020/6/1 21:13更新)

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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