瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93]

藤を詠んだ歌3
19-4187: 思ふどちますらをのこの木の暗の.......(長歌)
標題:六日、遊覧布勢水海作謌一首并短謌
標訓:六日に、布勢の水海(みづうみ)を遊覧して作れる謌一首并せて短謌
原文:念度知 大夫能 許能久礼 繁思乎 見明良米 情也良牟等 布勢乃海尓 小船都良奈米 真可伊可氣 伊許藝米具礼婆 乎布能浦尓 霞多奈妣伎 垂姫尓 藤浪咲而 濱浄久 白波左和伎 及々尓 戀波末佐礼杼 今日耳 飽足米夜母 如是己曽 祢年能波尓 春花之 繁盛尓 秋葉能 黄色時尓 安里我欲比 見都追思努波米 此布勢能海乎
     万葉集 巻19-4187
   作者:大伴家持
 
よみ:念(おも)ふどち 大夫(ますらを)の 木()の暗(くれ) 繁き思ひを 見()(あき)らめ 情(こころ)遣らむと 布勢の海に 小船つら並()め 真櫂(まかい)掛け い漕ぎ廻れば 乎布(をふ)の浦に 霞たなびき 垂姫に 藤波咲て 浜清く 白波騒き しくしくに 恋はまされど 今日のみに 飽き足らめやも かくしこそ いや年のはに 春花し 茂き盛りに 秋し葉の 黄色(もみち)し時に あり通ひ 見つつ偲はめ この布勢の海を
意味:親しいもの同士で、立派な大夫たちが、木の枝下暗く繁るように、しきりに募る物思いを、景色を眺めて気をすっきりさせ、憂さを晴らそうと、布施の海に小舟を連ねて、立派な櫂を取り掛け、漕ぎ廻ると、乎布の入江に霞がたなびき、垂姫には藤波が咲いて、浜は清らしく、白波が打ち寄せ潮騒がし、波が次々と打ち寄せるように、つぎつぎと景色を慕う気持ちは勝るが、今日だけで飽きたるでしょうか、このように、一層に年毎に、春の花の咲き茂る盛りに、秋の葉が黄葉する時に、絶えることなく次々と通い、眺めながら景色を堪能しよう。この布施の海を。

19-4188: 藤波の花の盛りにかくしこそ浦漕ぎ廻つつ年に偲はめ


 

藤(ふじ)を詠んだ歌2
巻12-2971: 大君の塩焼く海人の藤衣なれはすれどもいやめづらしも
 
巻12-3075: かくしてぞ人は死ぬといふ藤波のただ一目のみ見し人ゆゑに
 
巻13-3248: 敷島の大和の国に人さはに満ちてあれども.......(長歌)
 
巻14-3504: 春へ咲く藤の末葉のうら安にさ寝る夜ぞなき子ろをし思へば
 
巻17-3952: 妹が家に伊久里の杜の藤の花今来む春も常かくし見む
 
※大原高安(おおはらの-たかやす、?~743年)
 奈良時代の官吏です。天武天皇の曾孫(そうそん)。川内王の子。はじめ高安王と称しました。和銅6年従五位下にすすみ、養老3年伊予守(いよのかみ)のとき按察使(あぜち)を兼任します。のち衛門督(かみ)。天平11年弟の桜井王らとともに大原真人(まひと)の氏姓をあたえられました。「万葉集」に歌3首がおさめられています。天平14年12月19日死去。
巻17-3993: 藤波は咲きて散りにき卯の花は今ぞ盛りと.......(長歌)
標題:敬和遊覧布勢水海賦一首并一絶
標訓:布勢(ふせ)の水海(みづうみ)に遊覧せる賦(ふ)に敬(つつし)み和(こた)へたる一首并せて一絶
 
原文:布治奈美波 佐岐弖知理尓伎 宇能波奈波 伊麻曽佐可理等 安之比奇能 夜麻尓毛野尓毛 保登等藝須 奈伎之等与米婆 宇知奈妣久 許己呂毛之努尓 曽己乎之母 宇良胡非之美等 於毛布度知 宇麻宇知牟礼弖 多豆佐波理 伊泥多知美礼婆 伊美豆河泊 美奈刀能須登利 安佐奈藝尓 可多尓安佐里之 思保美弖婆 都麻欲比可波須 等母之伎尓 美都追須疑由伎 之夫多尓能 安利蘇乃佐伎尓 於枳追奈美 余勢久流多麻母 可多与理尓 可都良尓都久理 伊毛我多米 氏尓麻吉母知弖 宇良具波之 布施能美豆宇弥尓 阿麻夫祢尓 麻可治加伊奴吉 之路多倍能 蘇泥布里可邊之 阿登毛比弖 和賀己藝由氣婆 乎布能佐伎 婆奈知利麻我比 奈伎佐尓波 阿之賀毛佐和伎 佐射礼奈美 多知弖毛為弖母 己藝米具利 美礼登母安可受 安伎佐良婆 毛美知能等伎尓 波流佐良婆 波奈能佐可利尓 可毛加久母 伎美我麻尓麻等 可久之許曽 美母安吉良米々 多由流比安良米也
      万葉集 巻17-3993
   作者:大伴池主
よみ:藤波は 咲きて散りにき 卯の花は 今ぞ盛りと あしひきの 山にも野にも ほととぎす 鳴きし響(とよ)めば うち靡く 心もしのに そこをしも うら恋しみと 思ふどち 馬打ち群れて 携(たづさ)はり 出で立ち見れば 射水川(いづみかは) 湊の渚鳥(すとり) 朝なぎに 潟にあさりし 潮満てば 妻呼び交す 羨(とも)しきに 見つつ過ぎ行き 渋谿(しふたに)の 荒礒(ありそ)の崎に 沖つ波 寄せ来る玉藻 片縒(かたよ)りに かづらに作り 妹がため 手に巻き持ちて うらぐはし 布勢の水海(みづうみ)に 海人(あま)舟に ま楫(かぢ)掻(か)い貫(ぬ)き 白栲の 袖振り返し 率(あども)ひて 我が漕ぎ行けば 乎布(をふ)の崎 花散りまがひ 渚(なぎさ)には 葦鴨(あしかも)騒き さざれ波 立ちても居ても 漕ぎ廻(めぐ)り 見れども飽かず 秋さらば 黄葉の時に 春さらば 花の盛りに かもかくも 君がまにまと かくしこそ 見も明らめめ 絶ゆる日あらめや 
意味:藤の花房は咲いてもう散ってしまった、卯の花は今がまっ盛りだとばかりに、あなたの山にも野にも時鳥がしきりに鳴き立てているので、思い靡く心もしおれればかりに時鳥の声が恋しくなって、心打ち解けた者同士馬に鞭打ち相連れ立って出かけて来て目にやると、射水川の河口の洲鳥、洲に遊ぶその鳥は、朝凪に干潟で餌をあさり、夕潮が満ちて来ると妻を求めて呼び交わしている。心引かれはするものの横目に見て通り過ぎ、渋谷の荒磯の崎に沖の波が寄せてくる玉藻を、一筋縒りに縒って縵に仕立て、いとしい人に見せるつとにもと手に巻きつけて、霊験あらたかなる布勢の水海で、海人の小舟に楫を揃えて貫き出し、白栲の袖を翻しながら声かけ合って一同漕ぎ進んで行くと、乎布の崎には花が散り乱れ、波打際には葦鴨が群れ騒ぎ、さざ波立つというではないが、立って見ても坐って見ても、あちこち漕ぎ廻って見ても、見飽きることがない。ああ、秋になったら黄葉の映える時に、また春がめぐってきたら花の盛りの時に、どんな時にでもあなたのお伴をして、今見るように思う存分眺めて楽しみたいものです。われらがこの地を顧みることが絶える日など、どうしてありましょう。
左注:右掾大伴宿禰池主作 [四月廿六日追和]
注訓:右は掾(じょう)大伴宿禰池主作れり [四月二十六日追和]
18-4042: 藤波の咲き行く見れば霍公鳥鳴くべき時に近づきにけり
 
※田邊福麻呂(たなべの-さきまろ、生没年不詳)
 奈良時代の万葉歌人。下級官吏として世を終えたようです。『万葉集』によると、天平20(748)年造酒司(みきのつかさ)令史で、左大臣橘諸兄(もろえ)の使いとして越中国におもむき、国守大伴家持らと遊宴し作歌しています。そのほか同12年頃から同16年頃にかけて、恭仁京、難波京に往来して作歌し、また東国での作もあります。『万葉集』に「田辺福麻呂之歌集所出歌」を含めて長歌 10首、短歌 34首を残します。長歌の多いこと、主題、素材、表現に先行歌人の影響の著しいことが特色で、柿本人麻呂、山部赤人の流れをくむ宮廷歌人とみる説もあります。
18-4043: 明日の日の布勢の浦廻の藤波にけだし来鳴かず散らしてむかも
  


ウェブニュース
 藤井聡太七段が師匠に連勝…初の竜王戦4組連続優勝 ―― 将棋の最年少タイトル挑戦者、藤井聡太七段(17)が20日、大阪市の関西将棋会館で指された第33期竜王戦3組ランキング戦決勝で師匠の杉本昌隆八段(51)を破り、史上初の「4期連続優勝」の新記録を達成した。
 
 弟子入りから7年、前回に続き2度目の師弟対決を制し、成長ぶりを示す「恩返し」を果たした。
 終局後、藤井は師弟戦に「こういう決勝の大舞台で対局できるのを非常に楽しみにしていた。一手一手をしっかり指すことができた」と振り返った。
 関西将棋会館で最もグレードの高い「御上段(おんじょうだん)の間」。午前10時、師弟戦がスタート。先手の藤井がいつものようにお茶を一口飲み、初手を指した。一方の杉本は棋士が重要な対局の時に身を包む和装姿で臨んだ。杉本は時折、口をへの字に曲げ、気合の入った表情を見せた。
 2人とも決勝進出した時点で2組への昇級を決めているが、決勝トーナメントに進出できるのは勝者のみ。1枚の切符をめぐる、まさに大一番。杉本が選んだ戦型は得意の四間(しけん)飛車。全力で負かしに来た師匠を相手に藤井は、時間を使い、丹念に手を読んだ。「盤上では対等であり、ライバル」。勝負師としての教えを忠実に守った。中盤まで一進一退の攻防が続く。終盤に入ると、際どい攻め合いになり、藤井が厳しい手を連発し、投了に追い込んだ。
https://www.youtube.com/watch?v=iwn6nXJ_j0E
 和装の勝負服で臨んだ杉本は「最高の舞台で藤井七段といい将棋を指したかった。私にとっては実質、タイトル戦に近い対局だった」と話した。
 藤井はこれで竜王戦ランキング戦は負けなしの20連勝。デビュー1年目の17年に最下級の6組を制すると、18年に5組、19年に4組で優勝して昇級。師匠を破り、史上初の「4組連続優勝」の新記録を達成し、挑戦者を決める決勝トーナメントに進んだ。
 藤井は棋聖戦で最年少タイトル挑戦者となり、第1局で勝利。棋聖戦とのダブルタイトル挑戦をかけて23日には、永瀬拓矢2冠(27)と王位戦挑戦者決定戦を戦う。
◆竜王戦 将棋の8大タイトル戦の1つ(ほかは名人・叡王・王位・王座・棋王・王将・棋聖)。今期は全ての現役棋士のほか、女流棋士4人、奨励会三段1人、アマチュア6人が出場。予選はランクに応じて16組まで分けられる。豊島竜王への挑戦権をかけた決勝トーナメントに出場できるのは15人、22人、3456組は各組優勝者の計11人。トーナメントの組み合わせもランク上位棋士ほど優遇される。優勝賞金は将棋界最高の4400万円。   [日刊スポーツ 20206202220]


 

ウェブニュースより
 都知事選立候補予定者が論戦 五輪開催か中止か再延期か ―― 東京都知事選の告示を翌日に控えた17日、立候補を表明した5人が、日本記者クラブによる共同記者会見に出席した。来夏への延期が決まった東京五輪・パラリンピック開催の是非や、新型コロナウイルスへの対応について、論戦を繰り広げた。五輪とコロナへの対応が大きな争点になりそうだ。
 
 会見場は設けず、5人がオンライン会議システムに同時参加して、今回の都知事選では初めて顔をそろえた。5人は50音順に、元日弁連会長の宇都宮健児氏(73)、元熊本県副知事の小野泰輔氏(46)、現職の小池百合子氏(67)、NHKから国民を守る党党首の立花孝志氏(52)、れいわ新選組代表の山本太郎氏(45)。
 主張が分かれたのが、東京五輪の開催の是非だ。
 五輪・パラは来夏に延期され、国際オリンピック委員会(IOC)と大会組織委員会は費用縮減や簡素化の方針を示しているが、数千億円とされる追加費用の大半は開催都市の東京都が負担することになる。大会開催の要件となる海外での感染拡大収束のめどは立っていない。
 来年の五輪・パラの「中止」を明言したのは山本氏。「特効薬もワクチンもない。開催地として安全にできないということをIOC側に伝えるべきだ」と訴えた。宇都宮氏も「感染症の専門家が開催困難と判断した場合は、IOCに中止を働きかける。中止で浮いた予算はコロナ災害の被害に遭った都民の支援に回したい」と述べた。
 再延期を提案したのが、小野氏と、立花氏だ。小野氏は「2024年開催を目指す」とし、「公衆衛生が優れない国では、まだ感染拡大は止まらない。1年後の感染状態は非常に悲観的だ」と語った。立花氏は「4年後、あるいは2年後の開催」とし、「この判断は東京でやるのではなくIOCにやらせる。費用もIOCが負担しなくてはならなくなる」と主張した。
 小池氏は「簡素化、費用縮減、都民・国民の理解が得られるように進める」とし、来夏の開催を目指す考えを改めて説明。「水際対策、選手村の安全安心の確保、観客をどうするか、課題はあるが、新しい五輪・パラリンピックの象徴を作っていく」と語った。
 新型コロナ対策でも、候補者の特色が出た。小池氏は「CDC(米疾病対策センター)の東京版の創設」を挙げ、「医療機関との連携強化、感染者情報の正確な把握」を訴えた。
 これに対し、宇都宮氏は「コロナ災害から都民一人ひとりの命と暮らしを守り抜く」とし、「自粛・休業要請に対する補償の徹底」を強調。「全都民に10万円の給付金」を掲げる山本氏も自粛要請への補償に触れ、「東京は超優良財政団体。圧倒的に資金を調達する能力がある」として、都債発行で財源を確保する考えを示した。
 小野氏は、感染者が相次いでいる新宿・歌舞伎町を例に挙げ、「リスクがある所だけしっかりと対策する」とし、地域を限定したより強力な自粛要請を提案した。立花氏は、都のこれまでの対応を「行きすぎた自粛」と批判。一律の外出自粛ではなく、重篤化のリスクがある人に自粛要請を絞っていく考えを示した。
     ◇
 18日に告示される都知事選には5人のほか、17日までに石井均氏、市川浩司氏、岩橋健一氏、押越清悦氏、込山洋氏、斉藤健一郎氏、桜井誠氏、竹本秀之氏、内藤久遠氏、長澤育弘氏、七海ひろこ氏、西本誠氏、久田真理子氏、平塚正幸氏、山口節生氏の15人が記者会見や朝日新聞の取材で立候補の意向を明らかにしている。   (朝日新聞DIGITAL 2020617 1915分)


 

(ふじ)を詠んだ歌1
 豆科フジ属のツル性の落葉樹で日本に古くからあります。4月~5月に小さな花が沢山垂れ下がります。
 
 万葉集では藤は、藤波と表現されることが多いです。また、海女(あま)の藤衣(ふじころも)と表現されているものは、つるの繊維で織った粗末な衣のことのようです。
 
巻3-0330: 藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君
 
※大伴四綱(おおともの-よつな、生没年不詳)
 奈良時代の官吏。天平(729749)初年のころに大宰府防人司佑(さきもりのつかさのじょう)をつとめました。17年雅楽助(ががくのすけ)となり、正六位上をさずかります。「万葉集」に歌5首がおさめられています。名は四縄ともかきます。
巻3-0413: 須磨の海女の塩焼き衣の藤衣間遠にしあればいまだ着なれず
 
※大網公人主(おほよさみのきみひとぬし、生没年不詳)
 伝未詳です。公は君に同じく姓の一種です。主として地方の皇別氏族に用います。
巻8-1471: 恋しけば形見にせむと我がやどに植ゑし藤波今咲きにけり
 
巻8-1627: 我が宿の時じき藤のめづらしく今も見てしか妹が笑まひを

 


10-1901: 藤波の咲く春の野に延ふ葛の下よし恋ひば久しくもあらむ
 
10-1944: 藤波の散らまく惜しみ霍公鳥今城の岡を鳴きて越ゆなり
 
10-1974: 春日野の藤は散りにて何をかもみ狩の人の折りてかざさむ
 
 巻10-1991: 霍公鳥来鳴き響もす岡辺なる藤波見には君は来じとや
 
ウェブニュースより
 河井前法相夫妻に出頭要請 買収容疑、逮捕へ―参院選で現金・検察当局 ―― 自民党を離党した河井案里参院議員(46)=広島選挙区=が初当選した昨夏参院選をめぐり、地元政界に現金が配られた疑惑で、検察当局は、案里議員と夫の衆院議員河井克行前法相(57)=広島3区、自民離党=に対し、18日に出頭するよう要請した。公選法違反(買収)容疑で取り調べ、容疑が固まり次第逮捕する見通し。ウグイス嬢と呼ばれる車上運動員に対する違法報酬に端を発した一連の疑惑の捜査は、新たな局面に入る。
 
 関係者によると、配られた現金は2000万円を超え、多くは前法相が配布。一部は案里議員自身が配っていた。
 検察当局は、前法相の関係先から、配布先をまとめた「買収リスト」を押収。リストの記載内容や、事情聴取に現金受領を認めた地元議員側の供述を精査した結果、2019年7月投開票の参院選で案里議員への票の取りまとめを依頼した買収での立件が可能と判断したもようだ。  (JIJI.COM 202006180823分)

 自民、苦渋の自主投票 小池氏とのねじれ抱えた自民都議会 ―― 現職の小池百合子氏が十二日、東京都庁で出馬表明をした六時間前。東京・永田町の自民党本部八階で、都知事選の候補者を決める最後の党都連の「選考委員会」があった。会議はわずか三十分で終了。部屋を出てきた鴨下一郎会長は淡々と語った。「独自候補の擁立には至らなかった。選考委員会の役割は終えた」
 一六年都知事選、一七年都議選で小池氏に「都連はブラックボックス」などと批判され、相次いで敗れた自民。都知事選は、ようやく回ってきた「起死回生のチャンス」のはずだった。
 一九年六月、都連は選考委員会を設立。都議らを中心に「小池氏は信用できない」と批判を繰り返し、独自候補の擁立を目指した。
 対する小池氏は、したたかだった。
 一六年、予算に都議会各会派の要望を反映させる「政党復活予算」の廃止を表明。自らは各業界団体へのヒアリングを続け、自民の影響力を奪った。
 さらに党本部への接近。旧新進党などで行動を共にした二階俊博幹事長をたびたび訪れ、蜜月ぶりをアピールした。「小池氏に勝てる候補がいるなら早く連れてくればいい」。昨年十月、この言葉が二階氏の発言として伝えられると、都議の一人は声を震わせた。「こんなふうに言われたら誰も出られないじゃないか」
 次第に小池氏支援が支配的になる。関係者によると、昨年末の時点ではほぼ独自候補擁立断念で固まっていたという。それでも築地市場の豊洲移転問題などで対立してきた一部の都議らは「筋が通らない」と抵抗。五月二十八日の選考委では「出てもいいという人間はいる」と、若手都議の擁立もにおわせたが、状況は変わらなかった。
 小池氏の出馬表明が取り沙汰された十日、都議会自民党は、真偽が疑問視されてきた小池氏の「カイロ大卒業」についてただす決議案を出そうとした。ところが本会議直前に撤回。関係者は「党本部から強く止められた」と証言した。
 小池氏が擦り寄ったのか、自民党が引き込もうとしたのか。結局、小池氏は党推薦を求めなかった。はしごを外された形の党の決定は中途半端な「自主投票」。十五日、鴨下会長は都内党支部長らを集めた会議で「誰を支援したらいいんだ」と問われ、「忖度(そんたく)してほしい」と回答。小池氏支援を鮮明にする二階幹事長を意識した発言だった。
 抱き込むこともできず、対立もしない。都議の一人が吐き捨てるように言った。「情けない。また小池知事にしてやられた」
 一方、小池都政で事実上の与党として存在感を高める公明党は実質的に小池氏を支援する方針。党関係者は冷ややかに語る。「小池氏は、二つに割れている自民が有権者に分かりにくいと考えて推薦申請をやめたのでは。小池氏とねじれているのは都議会の自民だけだ」


 
 東京都知事選の告示を三日後に控えた十五日、選挙戦の主な構図が固まった。だが主要政党はいずれも自前で候補を立てられず、首都決戦としては異例の党派色が薄い展開となった。思惑や背景を追った。   (東京新聞 2020616 0658分)


 

()を詠んだ歌3
10-1813: 巻向の桧原に立てる春霞おほにし思はばなづみ来めやも
 
10-2314: 巻向の桧原もいまだ雲居ねば小松が末ゆ沫雪流る
 
13-3232: 斧取りて丹生の桧山の木伐り来て.......(長歌)
 
◎古代、「瀧(たき)」という言葉は「激流」を意味していたそうです。その由来は、「水が激しく流れるさま」すなわち「たぎつ(激つ)」が「たぎ」に短縮され、さらに清音の「たき」になったものといわれております。
 723年、元正天皇が吉野に行幸されました。この歌は、轟音を響かせて逆巻く流れを眼の前にしてお供の人が声高らかに詠ったものだといいます。吉野川を海に見立てて、白波の躍動するさま、吉野の景観の見事さを褒め称えています。
 
16-3824: さし鍋に湯沸かせ子ども櫟津の桧橋より来む狐に浴むさむ
 
※長奥麻呂(ながのおきまろ、生没年未詳)
 伝未詳。姓は忌寸(いみき)。名は意吉麻呂(意寸麻呂とも書く)。人麻呂・高市黒人などと同じ頃、宮廷に仕えた下級官吏であったようです。行幸の際の応詔歌、羇旅歌、宴席で物名を詠み込んだ即興歌などを残しています。万葉集に14首を残します(すべて短歌)。
◎さし鍋に火鉢(ひばち)と火箸(ひはし)、さらに桧橋(ひばし)。櫟津(いちひつ)と櫃(ひつ)、「コム」と鳴く狐と来()む、浴()むと遭()ふ。の言葉遊びを楽しんでください。また、場合によっては、この宴会に「湯和可世子等」の用字から「世子」に相当する貴族の子弟で長男の人物がいたかもしれません。当然、同じ音ですが召使いの「勢子」と貴族の子弟である「世子」では雲泥の差があります。


 

()を詠んだ歌2
巻7-1092: 鳴る神の音のみ聞きし巻向の桧原の山を今日見つるかも

巻7-1095:
三諸つく三輪山見れば隠口の泊瀬の桧原思ほゆるかも   
巻7-1118:
いにしへにありけむ人も我がごとか三輪の桧原にかざし折りけむ
 
巻7-1119: 行く川の過ぎにし人の手折らねばうらぶれ立てり三輪の桧原は



 

()を詠んだ歌1
 檜()/()は、今のヒノキ科の常緑高木の檜(ひのき)のことです。雌雄同株で、春に花が咲き、秋に球形の果をつけます。昔から建築材料として使われてきました。
 
 檜(/ひのき)が多い場所を、檜原/桧原(ひはら)と呼んでいて(一部は地名化していたようです)、6首に詠みこまれています。
 
巻1-0050: やすみしし我が大君高照らす日の皇子.......(長歌)
標題藤原宮之役民作謌
標訓藤原宮の役民(えのみたから)の作れる歌
 
原文:八隅知之 吾大王 高照 日乃皇子 荒妙乃 藤原我宇倍尓 食國乎 賣之賜牟登 都宮者 高所知武等 神長柄 所念奈戸二 天地毛 縁而有許曽 磐走 淡海乃國之 衣手能 田上山之 真木佐苦 檜乃嬬手乎 物乃布能 八十氏河尓 玉藻成 浮倍流礼 其乎取登 散和久御民毛 家忘 身毛多奈不知 鴨自物 水尓浮居而 吾作 日之御門尓 不知國 依巨勢道従 我國者 常世尓成牟 圖負留 神龜毛 新代登 泉乃河尓 持越流 真木乃都麻手乎 百不足 五十日太尓作 泝須郎牟 伊蘇波久見者 神随尓有之
       万葉集 巻1-0050
     作者:不明(藤原宮の役民)
 
よみ:八隅(やすみ)()し 吾()が大王(おほきみ) 高照らす 日の皇子 荒栲(あらたへ)の 藤原が上に 食()す国を 見し給はむと 都宮(みあから)は 高知らさむと 神ながら 思ほすなへに 天地も 寄りてあれこそ 磐走(いははし)る 淡海(あふみ)の国の 衣手の 田上山の 真木さく 檜の嬬手(つまて)を 物(もの)の布()の 八十(やそ)宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ 其を取ると 騒く御民(みたから)も 家忘れ 身もたな知らず 鴨じもの 水に浮き居()て 吾()が作る 日の御門に 知らぬ国 寄し巨勢道より 我が国は 常世にならむ 図負(あやお)へる 神(くす)しき亀も 新代(あらたよ)と 泉の川に 持ち越せる 真木の嬬手を 百(もも)足らず 筏に作り 泝(のぼ)すらむ 勤(いそ)はく見れば 神ながら有()らし
意味:天下をあまねく統治される我が大王の天まで威光を照らす日の皇子が、新しい藤原の地で統治する国を治めようと王宮を御建てになろうと現御神としてお思いになられると、天神も地祇も賛同しているので、岩が河を流れるような淡海の国の衣手の田上山の立派な檜を切り出した太い根元の木材を川に布を晒すように川一面に沢山、宇治川に玉藻のように浮かべて流すと、それを取り上げようと立ち騒ぐ民の人々は家のことを忘れ、自分のことも顧みずに、水に浮かぶ鴨のように水に浮かんでいて自分たちが造る、その天皇の王宮に人も知らない遥か彼方の国から通ってくる、その巨勢の道から我が国は永遠に繁栄すると甲羅に示した神意の亀もやってくる。新しい時代と木津川に宇治川から持ち越してきた立派な木材を百(もも)には足りないが五十(いか)のその筏に組んで川を上らせる。民の人々が勤勉に働く姿を見ると、これも現御神であることらしい。
 
左注:右、日本紀曰、朱鳥七年癸巳秋八月、幸藤原宮地。八年甲午春正月、幸藤原宮。冬十二月庚戌朔乙卯、遷居藤原宮
注訓:右は、日本紀に曰はく「朱鳥七年癸巳の秋八月に、藤原宮の地に幸(いでま)す。八年甲午春正月に、藤原宮に幸(いでま)す。冬十二月庚戌の朔乙卯に、居を藤原宮に遷(うつ)せり」と云へり。

ウェブニュースより
 藤井聡太七段、阿部七段下しダブルタイトル挑戦へ王手!王位戦挑戦者決定戦へ進出 ―― 将棋の藤井聡太七段(17)は13日、東京都渋谷区の将棋会館で行われた第61期王位戦挑戦者決定リーグ白組最終局で阿部健治郎七段(31)を下し、5戦全勝の1位でリーグを終了した。23日の挑戦者決定戦では紅組を全勝で制した永瀬拓矢2冠(27)と対戦する。

https://www.youtube.com/watch?v=DnyNv7zjiDE
 藤井は「少し自信ないのかなと思っていた」と意外な心境を明かしたものの、64手での終局は快勝に近い。この日敗れた場合は15
日のプレーオフに回る日程が組まれていたが、勝利を手にしたことで次局まで中6日を確保し「ここで1週間空く。状態を整えたい」と目尻を下げた。
 挑決戦の相手・永瀬とは4日に行われた棋聖戦挑戦者決定トーナメント決勝で激戦を制したばかり。「永瀬2冠の強さを感じた。その経験を生かしてしっかり指したい」と意欲を口にした。対する永瀬は「やりがいを感じています。(対局に)感謝しかなく、結果が出ればさらにうれしい」と話した。
 藤井が勝てば例年7月開幕の7番勝負で木村一基王位(46)との対戦も実現。現在進行中の棋聖戦とのダブルタイトル戦が待っている。   [Sponichi Annex 2020613 19:09 ]


 

久木(ひさぎ)を詠んだ歌
 ひさぎは、トウダイグサ科アカメガシワ属の落葉高木の赤芽柏(あかめわしわ)と考えられています。初春の新芽が赤くて美しいのが特徴です。また、昔はこの葉をカシワと同じように食物をのせるのに用いたことから「赤芽柏」の名がついたとのことです。
 
 なお、ノウゼンカズラ科キササゲ属の木大角豆(きささげ)だという説もあります。
 
万葉集には四首に登場します。
巻6-0925: ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く
 
10-1863: 去年咲きし久木今咲くいたづらに地にか落ちむ見る人なしに
 
11-2753: 波の間ゆ見ゆる小島の浜久木久しくなりぬ君に逢はずして
 
12-3127: 度会の大川の辺の若久木我が久ならば妹恋ひむかも


 

春菜(はるな)・若菜(わかな)を詠んだ歌2
17-3969: 大君の任けのまにまにしなざかる越を治めに出でて来し.......(長歌)
題詞:更贈謌一首并短謌
題訓:更に贈れる謌一首并せて短謌
標題:含弘之徳、垂恩蓬軆、不貲之思、報慰陋心。戴荷未春、無堪所喩也。但以稚時不渉遊藝之庭、横翰之藻、自乏于彫蟲焉。幼年未逕山柿之門、裁謌之趣詞失于聚林矣。爰辱以藤續錦之言、更題将石間瓊之詠。因是俗愚懐癖、不能黙已。仍捧數行、式酬(酬は、酉+羽の当字)嗤咲。其詞曰
標訓:含弘(がんこう)の徳は、恩を蓬軆(ほうたい)に垂れ、不貲(ふし)の思は、陋心(ろうしん)に報(こた)へ慰(なぐさ)む。未春(みしゅん)を戴荷(たいか)し、喩(たと)ふるに堪()ふることなし。但、稚き時に遊藝(いうげい)の庭に渉(わた)らざりしを以ちて、横翰(わうかん)の藻は、おのづから彫蟲(てんちゆう)に乏し。幼き年にいまだ山柿の門に逕(いた)らずして、裁謌(さいか)の趣詞を聚林(じゅうりん)に失ふ。爰(ここ)に藤を以ちて錦に續ぐ言(ことば)を辱(かたじけな)くして、更に石を将ちて瓊(たま)に間(まじ)ふる詠(うた)を題(しる)す。因より是俗愚(ぞくぐ)をして懐癖(かいへき)にして、黙已(もだ)をるを能(あた)はず。よりて數行を捧げて、式()ちて嗤咲(しせう)に酬(こた、酬は、酉+羽の当字)ふ。その詞に曰はく、
標訳:貴方の心広い徳は、その恩を賤しい私の身にお与えになり、測り知れないお気持ちは狭い私の心にお応え慰められました。春の風流を楽しまなかったことの慰問の気持ちを頂き、喩えようがありません。ただ、私は稚き時に士の嗜みである六芸の教養に深く学ばなかったために、文を著す才能は自然と技巧が乏しい。幼き時に山柿の学風の門に通うことをしなかったことで、詩歌を創る意趣で、どのような詞を選ぶかを、多くの言葉の中から選択することが出来ません。今、貴方の「藤を以ちて錦に續ぐ」と云う言葉を頂戴して、更に石をもって宝石に雑じらすような歌を作歌します。元より、私は俗愚であるのに癖が有り、黙っていることが出来ません。そこで数行の歌を差し上げて、お笑いとして貴方のお便りに応えます。その詞に云うには、
 
原文:於保吉民能 麻氣乃麻尓々々 之奈射加流 故之乎袁佐米尓 伊泥氏許之 麻須良和礼須良 余能奈可乃 都祢之奈家礼婆 宇知奈妣伎 登許尓己伊布之 伊多家苦乃 日異麻世婆 可奈之家口 許己尓思出 伊良奈家久 曽許尓念出 奈氣久蘇良 夜須家奈久尓 於母布蘇良 久流之伎母能乎 安之比紀能 夜麻伎敝奈里氏 多麻保許乃 美知能等保家波 間使毛 遣縁毛奈美 於母保之吉 許等毛可欲波受 多麻伎波流 伊能知乎之家登 勢牟須辨能 多騰吉乎之良尓 隠居而 念奈氣加比 奈具佐牟流 許己呂波奈之尓 春花之 佐家流左加里尓 於毛敷度知 多乎里可射佐受 波流乃野能 之氣美豆妣久々 鴬 音太尓伎加受 乎登賣良我 春菜都麻須等 久礼奈為能 赤裳乃須蘇能 波流佐米尓 々保比々豆知弖 加欲敷良牟 時盛乎 伊多豆良尓 須具之夜里都礼 思努波勢流 君之心乎 宇流波之美 此夜須我浪尓 伊母祢受尓 今日毛之賣良尓 孤悲都追曽乎流
          万葉集集巻17-3969
     作者:大伴の宿禰家持
よみ:大王(おほきみ)の 任()けのまにまに 級(しな)(さか)る 越を治めに 出()でて来()し 大夫(ますら)(われ)すら 世間(よのなか)の 常しなければ うち靡き 床に臥()い伏し 痛けくの 日に異()に増せば 悲しけく 此処(ここ)に思ひ出 いらなけく 其処(そこ)に思ひ出 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山き隔(へな)りて 玉桙の 道の遠けば 間使(まつかひ)も 遣()る縁(よし)も無()み 思ほしき 言(こと)も通はず たまきはる 命惜しけど 為()むすべの たどきを知らに 隠(こも)り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに 春花の 咲ける盛りに 思ふどち 手折(たお)り插頭(かざ)さず 春の野の 茂み飛びくく 鴬の 声だに聞かず 娘女(をとめ)らが 春菜(はるな)()ますと(くれなゐ)の 赤裳の裾の 春雨に にほひひづちて 通ふらむ 時の盛りを 徒(いたづら)に 過ぐし遣()りつれ 偲(しの)はせる 君が心を 愛(うる)はしみ この夜すがらに 寝()も寝ずに 今日もしめらに 恋ひつつぞ居()
意味:大王の御任命によって、都の輝きから離れて、越の国を治めるために出立して来た、立派な大夫である私でも、世の中がいつもそうでないように、身を横たえ床に倒れ伏し、身体が痛むことが日に日にまさるので、悲しいことをここに思い浮かべ、辛いことをそこに思い浮かべ、嘆く身は心安らぐこともなく、もの思う身は苦しいのだが、足を引くような険しい山を隔たり、立派な鉾を立てる官道が遠いので使いを送り遣る事も出来ないので、思うことの伝言を伝えることも出来ず、寿命を刻む、その命は惜しいけど、どのようにして良いやら判らずに、部屋に隠って居て、物思いを嘆き、慰められる気持ちもないままに、春花が咲く盛りに、気の合う友と花枝を手折りかざすこともなく、春の野の茂みを飛びくぐぐる鶯の声すら聞かず、娘女たちが春菜を摘もうと紅の赤い裳の裾を春雨にあでやかに濡れ染めて、通っているでしょう、その時の盛りを、空しくやり過ごしてしまったので、私を気にかけてくれる貴方の気持ちを有り難く思い、この夜一晩中、寝ることもせずに、今日一日も、貴方を慕っています。
 
左注:三月三日大伴宿祢家持
注訓:三月三日大伴宿禰家持


 

春菜(はるな)・若菜(わかな)を詠んだ歌1
 春菜(はるな)もしくは若菜(わかな)は、春になって目を出す菜の類を言います。昔の人は春に「若菜摘み」をし、不老不死を願って食べたようです。
 
万葉集には、7首に登場します。
巻1-0001: 篭もよみ篭持ち堀串もよみ堀串持ちこの岡に菜摘ます子.......(長歌)
 
巻8-1421: 春山の咲きのををりに春菜摘む妹が白紐見らくしよしも
 
※尾張連(おわりのむらじ、生没年未詳)
 伝不詳。連(むらじ)は姓(かばね)で、名は不明です。万葉集巻八に二首記載されています。尾張氏は火明命を始祖とし、古来后妃・皇子妃を多く出したとの伝承を持つ氏族です。本宗は尾張国造ですが、諸国に広く分布し、『新撰姓氏録』には左右京・山城・大和・河内に住した尾張連を載せています。奈良朝の著名な尾張連出身者としては、孝謙天皇の勅により「陵王」を改修したという楽師、浜主(733-?)などがいます。
巻8-1427: 明日よりは春菜摘まむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ
 
巻8-1442: 難波辺に人の行ければ後れ居て春菜摘む子を見るが悲しさ
 
※丹比屋主(たじひのやぬし、生没年未詳)
 万葉集に二首の歌を残します。天平十二年(740)十月に京を出発した聖武天皇の関東行幸に従駕しますが、河口行宮より京に帰還しました(万葉集巻六の左注)。また万葉集巻八の題詞によれば、天平年間に大蔵少輔の地位にありました。
 続日本紀に見える丹比(多治比)屋主は神亀元年(724)二月に従五位下に叙せられ、備前守・左大舎人頭などを歴任しています。しかし万葉集の丹比屋主はこれとは別人物で、天平九年に従五位下に叙せられた丹比家主であろうとする説もあります。
10-1919: 国栖らが春菜摘むらむ司馬の野のしばしば君を思ふこのころ
 
11-2838: 川上に洗ふ若菜の流れ来て妹があたりの瀬にこそ寄らめ
 

ウェブニュースより
 小池氏の再選出馬、12日表明 東京五輪準備、都政継続訴え ―― 東京都の小池百合子知事(67)が任期満了に伴う今月18日告示、7月5日投開票の都知事選に再選を目指して12日午後に立候補を表明する方針を固めたことが11日、関係者への取材で分かった。新型コロナウイルス対策や来年夏に延期された東京五輪・パラリンピックの準備などの課題に対応した都政の継続を訴える方針。
 
 既に支援方針で準備している自民党本部のほか、都議会で近い会派の関係者にも12日午後の表明を伝えた。10日閉会の都議会定例会では出馬表明を見送ったが、総額5832億円の追加補正予算が成立し、感染状況も落ち着きを見せて11日に「東京アラート」が解除となった。   【東京新聞 2020611 2131分 (共同通信)】


 

プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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