瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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山吹を詠んだ歌5
194184: 山吹の花取り持ちてつれもなく離れにし妹を偲ひつるかも
 
※留女女郎(るめのいらつめ、生没年不詳)
 大伴旅人の娘です。母は丹比郎女で、大伴家持の同母妹です。「りゅうじょのいらつめ」、「とどまれるむすめのいらつめ」と読む説もあります。天平勝宝2年750)以前に、藤原南家の二郎(藤原継縄)に嫁いだといわれます。継縄の子藤原真葛の母と考えられています。万葉集に1首があります。
194185: うつせみは恋を繁みと春まけて思ひ繁けば............(長歌)
標題:詠山振花謌一首并短謌
標訓:山振(やまぶき)の花を詠()める謌一首并せて短謌
原文:集歌4185 宇都世美波 戀乎繁美登 春麻氣氏 念繁波 引攀而 折毛不折毛 毎見 情奈疑牟等 繁山之 谿敝尓生流 山振乎 屋戸尓引殖而 朝露尓 仁保敝流花乎 毎見 念者不止 戀志繁母
     万葉集 巻19-4185
   作者:大伴家持
よみ:うつせみは 恋を繁(しげ)みと 春まけて 思ひ繁けば 引き攀()ぢて 折りも折らずも 見るごとに 心(こころ)なぎむと 茂山(しげやま)の 谷辺(たにへ)に生ふる 山吹を やどに引き植ゑて 朝露に にほへる花を 見るごとに 思(おも)ひはやまず 恋し繁しも
 
意味:生きてこの世にある人はとかく人恋しさに悩みがちなもので、春ともなるととりわけ物思いがつのるものだから、手許に引き寄せて手折ろうと手折るまいと、見るたびに心がなごむだろうと、木々茂る山の谷辺に生えている山吹を、家の庭に移し植え、朝露に照り映えている花、その花を見るたびに、春の物思いは止むことなく、人恋しさが激しくなるばかりです。
194186: 山吹を宿に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ
 
194197: 妹に似る草と見しより我が標し野辺の山吹誰れか手折りし


 

山吹を詠んだ歌3
173974: 山吹は日に日に咲きぬうるはしと我が思ふ君はしくしく思ほゆ
題詞:昨日述短懐、今朝汗耳目。更承賜書、且奉不次。死罪々々。
 不遺下賎、頻恵徳音。英雲星氣。逸調過人。智水仁山、既韞琳瑯之光彩、潘江陸海、自坐詩書之廊廟。騁思非常、託情有理、七歩成章、數篇満紙。巧遣愁人之重患、能除戀者之積思。山柿謌泉、比此如蔑。彫龍筆海、粲然得看矣。方知僕之有幸也。敬和謌。其詞云
標訓:昨日短懐(たんくわい)を述べ、今朝耳目(じもく)を汗(けが)す。更に賜書(ししょ)を承(うけたまは)り、且、不次(ふじ)を奉る。死罪々々。
 下賎を遺(わす)れず、頻(しきり)に徳音を恵む。英雲星氣あり。逸調(いつてう)人に過ぐ。智水仁山は、既に琳瑯(りんらう)の光彩を韞(つつ)み、潘江(はんかう)陸海は、自(おのづ)から詩書の廊廟(ろうべう)に坐す。思(おもひ)を非常に騁()せ、情(こころ)を有理に託()せ、七歩章(あや)を成し、數篇紙に満つ。巧みに愁人の重患を遣り、能く戀者(れんしゃ)の積思(せきし)を除く。山柿の謌泉は、此(これ)に比(くら)ぶれば蔑()きが如し。彫龍(てうりゅう)の筆海は、粲然(さんぜん)として看るを得たり。方(まさ)に僕が幸(さきはひ)あることを知りぬ。敬みて和(こた)へたる謌。その詞に云ふに、
 
標訳:昨日、拙い思いを述べ、今朝、貴方のお目を汚します。さらにお手紙を賜り、こうして、拙い便りを差し上げます。死罪々々(漢文慣用句)
 下賤のこの身をお忘れなく頻りにお便りを頂きますが、英才があり優れた気韻があって、格調の高さは群を抜いています。貴方の智と仁とはもはや美玉の輝きを含んでおり、潘岳や陸機の如き貴方の詩文は、おのずから文学の殿堂に入るべきものです。詩想は高く駆けめぐり、心は道理に委ね、たちどころに文章を作り、多くの詩文が紙に満ちることです。愁いをもつ人の心の重い患いを巧みに晴らすことができ、恋する者の積る思いを除くことができます。山柿の歌はこれに比べれば、物の数ではありません。龍を彫るごとき筆は輝かしく目を見るばかりです。まさしく私の幸福を思い知りました。謹んで答える歌。その詞は、
 
左注:三月五日大伴宿禰池主
注訓:三月五日大伴宿禰(すくね)池主


 

山吹を詠んだ歌2
112786: 山吹のにほへる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ
 
173968: 鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも
標題:忽辱芳音、翰苑凌雲。兼垂倭詩、詞林舒錦。以吟以詠、能蠲戀緒。春可樂。暮春風景、最可怜。紅桃灼々、戯蝶廻花舞、 翠柳依々、嬌鴬隠葉謌。可樂哉。淡交促席、得意忘言。樂矣、美矣。幽襟足賞哉。豈慮乎、蘭恵隔藂、琴無用、空過令節、物色軽人乎。所怨有此、不能點已。俗俗語云、以藤續錦。聊擬談咲耳
標訓:忽(たちま)ちに芳音(ほういん)を辱(かたじけな)くし、翰苑(かんゑん)は雲を凌(しの)ぐ。兼ねて倭詩(やまとのうた)を垂れ、詞林(しりん)(にしき)を舒()ぶ。以ちて吟じ以ちて詠じ、能く戀緒を蠲(のぞ)く。春は樂しむべし。暮春の風景は、最も怜(あはれ)ぶべし。紅桃は灼々(しゃくしゃく)にして、戯蝶(ぎてん)は花を廻りて舞ひ、 翠柳(すいりう)は依々(いい)にして、嬌鴬(けうあう)葉に隠りて謌ふ。樂しむべきや。淡交に席(むしろ)を促(ちかづ)け、意(こころ)を得て言(ことば)を忘る。樂しきや、美しきや。幽襟賞()づるに足るや。豈、慮(はか)らめや、蘭恵(らんけい)(くさむら)を隔て、琴(きんそん)(もちゐ)る無く、空しく令節を過(すぐ)して、物色人を軽みせむとは。怨むる所此(ここ)に有り、點已(もだ)をるを能はず。俗俗(ぞく)の語(ことば)に云はく「藤を以ちて錦に續ぐ」といへり。聊(いささ)かに談咲に擬(なぞ)ふるのみ。
標訳:早速に御便りを頂戴し、その文筆の立派さは雲を越えています。併せて和歌を詠われ、その詠われる詞は錦を広げたようです。その歌を吟じ、また詠い、今までの貴方にお逢いしたい思いは除かれました。春は楽しむべきです。暮春の風景は、もっとも感動があります。紅の桃花は光輝くばかりで、戯れ飛う蝶は花を飛び回って舞い、緑の柳葉はやわらかく、声あでやかな鶯は葉に隠れて鳴き歌う。楽しいことです。君子の交わりに同席し、同じ風流の意識に語る言葉を忘れる。楽しいことですし、美しいことです。深き風流の心はこの暮春の風景を堪能するのに十分です。ところが、どうしたことでしょうか、芳しい花々を雑草が隠し、宴での琴や酒樽を使うことなく、空しくこの佳き季節をやり過ぎて、自然の風景が人を楽しませないとは。季節をやり過ごすことを怨む気持ちはここにあり、語らずにいることが出来ずに、下々の言葉に「藤蔓の布を以て錦布に添える」と云います。僅かばかりに、貴方のお笑いに供するだけです。
     万葉集 173967
  作者:大伴池主
原文:夜麻我比尓 佐家流佐久良乎 多太比等米 伎美尓弥西氏婆 奈尓乎可於母波牟
よみ:山峽(やまかひ)に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ
意味:山峡に咲いた桜を、ただ一目、病の床に伏す貴方に見せたら、貴方はどのように思われるでしょうか。
 
左注:沽洗二日、掾大伴宿祢池主
注訓:沽洗(やよひ)二日、掾大伴宿祢池主

173971: 山吹の茂み飛び潜く鴬の声を聞くらむ君は羨しも
題詞:更贈謌一首并短謌
題訓:更に贈れる謌一首并せて短謌


標題:含弘之徳、垂恩蓬軆、不貲之思、報慰陋心。戴荷未春、無堪所喩也。但以稚時不渉遊藝之庭、横翰之藻、自乏于彫蟲焉。幼年未逕山柿之門、裁謌之趣、詞失于聚林矣。爰辱以藤續錦之言、更題将石間瓊之詠。因是俗愚懐癖、不能黙已。仍捧數行、式酬嗤咲。其詞曰  (酬は、酉+羽の当字)
標訓:含弘(がんこう)の徳は、恩を蓬軆(ほうたい)に垂れ、不貲(ふし)の思は、陋心(ろうしん)に報(こた)へ慰(なぐさ)む。未春(みしゅん)を戴荷(たいか)し、喩(たと)ふるに堪()ふることなし。但、稚き時に遊藝(いうげい)の庭に渉(わた)らざりしを以ちて、横翰(わうかん)の藻は、おのづから彫蟲(てんちゆう)に乏し。幼き年にいまだ山柿の門に逕(いた)らずして、裁謌(さいか)の趣は、詞を聚林(じゅうりん)に失ふ。爰(ここ)に藤を以ちて錦に續ぐ言(ことば)を辱(かたじけな)くして、更に石を将ちて瓊(たま)に間(まじ)ふる詠(うた)を題(しる)す。因より是俗愚(ぞくぐ)をして懐癖(かいへき)にして、黙已(もだ)をるを能(あた)はず。よりて數行を捧げて、式()ちて嗤咲(しせう)に酬(こた)ふ。その詞に曰はく、  (酬は、酉+羽の当字)
標訳 貴方の心広い徳は、その恩を賤しい私の身にお与えになり、測り知れないお気持ちは狭い私の心にお応え慰められました。春の風流を楽しまなかったことの慰問の気持ちを頂き、喩えようがありません。ただ、私は稚き時に士の嗜みである六芸の教養に深く学ばなかったために、文を著す才能は自然と技巧が乏しい。幼き時に山柿の学風の門に通うことをしなかったことで、詩歌を創る意趣で、どのような詞を選ぶかを、多くの言葉の中から選択することが出来ません。今、貴方の「藤を以ちて錦に續ぐ」と云う言葉を頂戴して、更に石をもって宝石に雑じらすような歌を作歌します。元より、私は俗愚であるのに癖が有り、黙っていることが出来ません。そこで数行の歌を差し上げて、お笑いとして貴方のお便りに応えます。その詞に云うには、
 


左注:三月三日、大伴宿祢家持
注訓:三月三日に、大伴宿祢家持


 

山吹(やまぶき)を詠んだ歌1
 山吹はバラ科の落葉低木です。低い山地や水辺に生えます。一重山吹、八重山吹、などがあります。3月から5月にかけて、鮮やかな黄色の花がきれいですね。なお、八重山吹には実ができません。
 
巻2-0158: 山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
 
※十市皇女(とおちのおうじょ、?678
 飛鳥(あすか)時代、天武天皇の皇女です。母は額田王(ぬかたのおおきみ)。大友皇子(弘文(こうぶん)天皇)の妃となり、葛野王(かどののおう)を生みます。壬申(じんしん)の乱で夫が父の大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)に攻められ、自殺したのち父のもとにもどります。天武天皇7年4月7日宮中で急死。「万葉集」に高市(たけちの)皇子のよんだ挽歌(ばんか)3首があります。
※高市皇子(たけちのおうじ、654696
 天武天皇の第1皇子。母は胸形君徳善の娘、尼子娘 (あまこのいらつめ)です 。壬申の乱には、大海皇子 (天武天皇) のもとに走り、軍を統率して大いに活躍します。持統3(689)年皇太子草壁皇子が死ぬと、翌年太政大臣になります。持統天皇を助けて政治万般にあたり、藤原京の建設にも貢献しました。食封 (じきふ)5000戸に上り、香具山のふもとに広大な宮殿を営んだといいます。『万葉集』には十市皇女の死を哀傷した短歌3首が収められています。柿本人麻呂が,皇子の死をいたんだ挽歌は有名です。その墓所は明らかではありません。
巻8-1435: かはづ鳴く神奈備川に影見えて今か咲くらむ山吹の花
 
※厚見王(あつみのおおきみ、)生没年不詳)
 奈良時代の官吏。天平勝宝(てんぴょうしょうほう) (754) 年太皇太后藤原宮子の葬儀の御装束司(みそうぞくし)となります。7年伊勢(いせ)大神宮奉幣使(ほうへいし)となりました。「万葉集」に久米女郎(くめの-いらつめ)とのあいだの相聞歌(そうもんか)がみえます。
巻8-1444: 山吹の咲きたる野辺のつほすみれこの春の雨に盛りなりけり
 
※高田女王(たかだのおおきみ、生没年不詳)
 奈良時代の歌人。「万葉集」巻4に大原今城(いまき)におくった歌6首、巻81首がおさめられ、注に高安王(大原高安)の娘とあります。
101860: 花咲きて実はならねども長き日に思ほゆるかも山吹の花
 
101907: かくしあらば何か植ゑけむ山吹のやむ時もなく恋ふらく思へば
 
ウェブニュースより
 球磨川氾濫、家流され10人安否不明、土砂崩れも ――大雨特別警報が発表された熊本県と鹿児島県では4日、各地で土砂崩れが発生、球磨川は熊本県人吉市から八代市にかけ、少なくとも7カ所で氾濫した。熊本県は、芦北町で家が流されるなどして約10人の安否が不明だと説明した。津奈木町でも、土砂崩れによる行方不明者の情報がある。
 
 八代市や人吉市、水俣市、鹿児島県阿久根市など11市町村が約92200世帯、約203200人に避難指示を出した。熊本県は陸上自衛隊に災害派遣を要請した。
 熊本県の芦北町や津奈木町など4町は、避難指示より強い警戒を求める「災害発生情報」を約16100世帯、約38600人に出した。
 熊本県などによると、球磨村では、球磨川が氾濫して住宅が浸水したとの通報が多数あり、逃げ遅れた住民が救助を求めているという。また、球磨川に架かる八代市内の鉄骨橋「深水橋」が流失した。
 消防によると、芦北町女島で午前340分ごろ、80代女性が住宅で土砂に埋もれたと119番があり、間もなく救助された。意識はあるという。
 JR九州によると、九州新幹線は始発から熊本-鹿児島中央の上下線で運転を見合わせた。また、九州自動車道や、国道3号の一部区間などが通行止めになった。
 九州電力によると、熊本県内では一時約8840戸が停電した。(共同)   [日刊スポーツ 2020741212]


 

山たづを詠んだ歌2
巻6-0971: 白雲の龍田の山の露霜に色づく時に.......(長歌)
標題:四年壬申、藤原宇合卿遣西海道節度使之時、
  高橋連蟲麻呂作謌一首并短謌
標訓(天平)四年壬申、藤原宇合卿の西海道節度使に遣さえし時に、
  高橋連蟲麻呂の作れる謌一首并せて短謌
原文:白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行公者 五百隔山 伊去割見 賊守 筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬木成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 公之来益者
      万葉集 巻6-0971
    作者:高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)
よみ:白雲の、龍田の山の、露霜(つゆしも)に、色づく時に、うち越えて、旅行く君は、五百重山(いほへやま)、い行きさくみ、敵(あた)守る、筑紫に至り、山のそき、野のそき見よと、伴(とも)の部を、班(あか)ち遣(つか)はし、山彦の、答へむ極(きは)み、たにぐくの、さ渡る極み、国形(くにかた)を、見したまひて、冬こもり、春さりゆかば、飛ぶ鳥の、早く来まさね 、龍田道(たつたぢ)の、岡辺の道に、丹()つつじの、にほはむ時の、桜花、咲きなむ時に、山たづの、迎へ参ゐ出む、君が来まさば
 
意味:白雲の龍田の山が露(つゆ)や霜(しも)で色づく頃に、旅行くあなたは、いくつもの山々を越えて進み、敵から守るために筑紫に着き、山の果てや野の果てを見るように、兵隊たちを分けて派遣し、山彦が聞こえる限りまで、ひきがえるが行く限りまで、国の様子をご覧になり、春になったら飛ぶ鳥のように早くお帰りください。龍田の道の岡辺の道に真っ赤なつつじが咲き誇り、桜が咲くときに、お迎えに参ります。あなたがお帰りになったら。
 
左注:右檢補任文八月十七日任東山々陰西海節度使
注訓:右は、補任の文を検するに、八月十七日、東山山陰西海の節度使に任けらえき
◎天平4年(西暦732)8月17日、藤原宇合(ふじわらのうまかい)が西海道節度使(さいかいどうせつどし)として派遣されたときに高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)が詠んだ歌です。節度使(せつどし)は、地方の軍事などのチェックをするために派遣される人で、この制度はこの歌が詠まれた天平4年からスタートしたようです。
※高橋虫麻呂(たかはしの-むしまろ、生没年不詳)
 奈良時代の万葉歌人です。天平4(732)年に藤原宇合(うまかい)に歌を贈ったことを除いては、正確な経歴は不明です。地方官として東国に下り、常陸国に住んでいたと推定されます。宇合の下僚として『常陸国風土記』の編纂に関係していたとする説もあります。『万葉集』に長歌14首、短歌19首、旋頭歌1首を残しますが、その多くは「高橋連(むらじ)虫麻呂之歌集中出」「高橋連虫麻呂歌中出」の形で収められ、その範囲に異説があります。作品の大部分が旅行中につくられた点、伝説、説話を素材にした作品が多く、しかもその叙述が詳細な点、身辺のことを歌わず叙景歌もない点などが特色です。

ウェブニュースより
 藤井聡太七段が先勝 木村王位を押し切る 将棋・王位戦 ―― 将棋の高校生棋士、藤井聡太七段(17)が木村一基王位(47)に挑戦している第61期王位戦七番勝負(新聞三社連合主催)の第1局は2日、藤井七段が95手で勝って初タイトル獲得に向け好スタートを切った。第2局は1314日、札幌市で行われる。
 
 王位戦は持ち時間が各8時間で、藤井七段にとっては初めての2日制。愛知県豊橋市のホテルアークリッシュ豊橋で1日朝に始まった対局は、藤井七段の先手で角換わり腰掛け銀の戦型に進み、藤井七段の攻めを木村王位が堂々と受けて立ったことで1日目から激しい戦いになった。2日朝の再開早々から藤井七段の攻め、木村王位の受けという互いの持ち味を発揮する戦いとなり、午後537分、藤井七段が押し切った。
https://www.youtube.com/watch?v=ADux1YN9-FE
 終局後、藤井七段は「2日制の対局は初めてで、充実感もあったが、体力面ではちょっと課題が残った。次回はそのあたりに気をつけたい。いいスタートが切れたと思うので、第2局もしっかりと指したい」、木村王位は「どこかで対応を間違えたかもしれない。苦しいと思っていた。結構頑張ったつもりだったが、鋭い寄せだった。次は早く気を取り直して準備を進めて頑張りたい」と話した。
 藤井七段は9日、渡辺明棋聖(36)に挑戦している第91期棋聖戦五番勝負第3局に臨む。現在2連勝しており、あと1勝すれば史上最年少の1711カ月で初タイトルを獲得する。   (朝日新聞DIGITAL 202072 2032分)


 

山たづを詠んだ歌1
 山たづは、スイカズラ科ニワトコ属の落葉低木の接骨木(にわとこ)です。4~5月に枝の先に円錐状に淡い黄色の花をつけます。山で見かけることができますが、最近はなかなか見られないですね。
 
 万葉集では、「山たづ」は「迎へ」を導く枕詞として使われています。これは、葉が対生することからという説と、神を迎するための木として使われたからという説があります。
巻1-0090: 君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ
標題:古事記曰、軽太子、奸軽太郎女。故其太子流於伊豫湯也。此時衣通王、不堪戀暮而追徃時謌曰
標訓:古事記に曰はく「軽(かるの)太子(ひつぎのみこ)、軽(かるの)太郎女(おほいらつめ)に奸(たは)く。故(かれ)、その太子を伊豫の湯に流す」といへり。此の時に衣通(そとほしの)(おほきみ)、戀ひ暮らすことに堪()えずして追ひ徃く時の謌に曰はく、
標題の大意:古事記にはこう書かれている。
 「軽太子(かるのひつぎのみこ=木梨軽皇子、允恭〈いんぎょう〉天皇の皇太子)が妹の軽太郎女(かるのおおいらつめ)を犯した。そこでその太子を伊予の湯(愛媛県松山市の道後温泉)に追放した。このとき衣通王(そとおりのおおきみ=軽太郎女)は恋しさに堪え切れずあとを追った」
そのときに歌った歌


 
※木梨軽皇子(きなしのかるのみこ、生没年不詳)
 允恭天皇の第一皇子、皇太子でした。母は皇后の忍坂大中津比売命(おしさかのおおなかつのひめのみこと)。同母弟に穴穂皇子(あなほのみこ、後の安康天皇)、大泊瀬稚武皇子(おおはつせのわかたけるのみこ、後の雄略天皇)などがあります。
 『古事記』によれば、允恭23年立太子するも、同母妹の軽大娘皇女と情を通じ、それが原因となって允恭天皇の崩御後に廃太子され伊予国へ流されました。その後、あとを追ってきた軽大娘皇女と共に自害したといわれます(衣通姫伝説)。また『日本書紀』では、情を通じた後の允恭24年に軽大娘皇女が伊予国へ流刑となり、允恭天皇が崩御した允恭42年に穴穂皇子によって討たれたとあります。
 四国中央市にある東宮古墳が木梨軽皇子の墓といわれ、宮内庁陵墓参考地とされています。
※衣通姫(そとおりひめ、伝承上の人物)
 『日本書紀』では、允恭(いんぎょう)天皇の皇后の忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)の弟姫、『古事記』では同じ皇后の子の軽大郎女(かるのおおいらつめ)の名とします。もとは古代の美人伝承の主人公なのでしょうか。衣通姫の名の由縁(ゆえん)は、その美しさが衣を通って輝いていたゆえといいます。記では、太子の木梨之軽王(きなしのかるのきみ)が、禁じられた姫との同母兄妹婚のために支持を失って道後(どうご)温泉(愛媛県松山市)の地に移され、後を追ってきた姫とともに自害します。紀では、天皇のお召しを拒みえなかった姫が、寵愛(ちょうあい)を受けつつも姉の心情を思って和泉(いずみ)の茅渟(ちぬ)(大阪府)に退きます。物語はともに歌謡を含み、人物、展開を異にしつつも、逆らいえない愛を生きた運命の人として美しく姫を語っています。
左注:云山多豆者、是今造木者也。
 右一首謌、古事記与類聚歌所説不同。謌主亦異焉。因檢日本紀曰、難波高津宮御宇大鷦鷯天皇廿二年春正月、天皇、語皇后、納八田皇女将為妃。時皇后不聴。爰天皇謌以乞於皇后云々。卅年秋九月乙卯朔乙丑、皇后遊行紀伊國到熊野岬取其處之御綱葉而還。於是天皇、伺皇后不在而娶八田皇女納於宮中。時皇后、到難波濟、聞天皇合八田皇女、大恨之云々。亦曰、遠飛鳥宮御宇雄朝嬬稚子宿祢天皇廿三年春正月甲午朔庚子、木梨軽皇子為太子。容姿佳麗、見者自感。同母妹軽太娘皇女亦艶妙也。云々。遂竊通、乃悒懐少息。廿四年夏六月、御羮汁凝以作氷。天皇異之、卜其所由、卜者曰、有内乱。盖親々相奸乎云々。仍移太娘皇女於伊与者。今案二代二時不見此謌也。
注訓:ここに、やまたづと云ふは、今の造木(みやつこぎ)なり。
 右の一首の謌は、古事記と類聚歌と説く所同じからず。謌の主もまた異なれり。因りて日本紀を檢(かむが)みて曰はく「難波高津宮に御宇大鷦鷯天皇の廿二年春正月、天皇、皇后に語りて『八田皇女を納(めしい)れて将に妃と為()さむ』といへり。時に皇后、聴(ゆる)さず。ここに天皇、謌を以つて皇后に乞ひたまひしく。云々。卅年秋九月乙卯の朔の乙丑、皇后の紀伊國に遊行(いで)まして熊野の岬に到りて、その處の御綱葉(みつなかしは)を取りて還りたまひき。ここに天皇、皇后の在(おは)しまさざるを伺ひて八田皇女を娶(まき)きて宮の中(うち)に納()れたまひき。時に皇后、難波の濟(ほとり)に到りて、天皇の八田皇女を合()きしつと聞かして、大(いた)くこれを恨みたまひ。云々」といへり。また曰はく「遠飛鳥宮に御宇雄朝嬬稚子宿祢天皇の廿三年春正月甲午の朔の庚子、木梨軽皇子を太子(ひつぎのみこ)と為したまひき。容姿(かほ)佳麗(きらきら)しく、見る者自ら感()でき。同母妹(いろも)軽太娘皇女もまた艶妙(いみじ)。云々。遂に竊かに通(たは)け、すなはち悒(おほ)しき懐(こころ)少しく息()みぬ。廿四年夏六月、御羮(みあつもの)の汁凝()りて以ちて氷と作()す。天皇の之を異(あや)しびて、その所由(ゆゑ)を卜(うらな)へしむるに、卜者(うらへ)の曰(もう)さく『内に乱れ有り。盖し親々(しんしん)(あひ)(たは)けたるか。云々』といへり。よりて太娘(おほいらつめ)皇女(ひめみこ)を伊与(いよ)に移す」といへる。今案(かむが)ふるに二代二時(ふたとき)にこの謌を見ず。
左注の大意:この一首の歌は古事記(90)と類聚歌林(85)とで内容が異なっていて作者も違う。そこで日本書紀を見てみると、
 「仁徳天皇の二十二年正月、天皇は皇后に、八田皇女(やたのひめみこ=仁徳天皇の異母妹)を妃として迎え入れたいとお話しになった。しかし、皇后はお許しにならなかった。そこで天皇は皇后に許しを乞うために歌をお詠みになった。…三十年九月十一日、皇后は紀伊の国に旅行して熊野の岬までおいでになり、そこの御綱葉(みつながしわ)を取ってお帰りになった。ところが天皇は、皇后の留守の隙をねらって八田皇女を迎え入れ、妃にしてしまわれた。皇后は難波の港に着いたときに『天皇が八田皇女を召された』と聞いて、深くお恨みになった」と書かれている。また、
「允恭天皇の二十三年三月七日、木梨軽皇子が太子になった。容姿が整って美しく、見るとだれもが心惹かれた。同母妹の軽太娘皇女(かるのおおいらつめのひめみこ)もまたあでやかな美人だった。…ついに二人はひそかに通じ、日頃の思いを少し晴らした。二十四年六月、天皇の熱いスープが固まり氷になった。天皇は不思議に思ってそのわけをお占わせになった。占い師は、『家内が乱れています。おそらく肉親同士が私通しているのでしょう』と言った。そこで太娘皇女を伊予に追放した」
と書かれている。日本書紀では、仁徳、允恭の二つの時代にこの歌は見えない。


 

(もも)を詠んだ歌
 桃は、バラ科の落葉高木です。4月頃に葉よりも先にいわゆる桃色の花が咲きます。原産は中国ですが、かなり古い時代に日本に渡ってきたようです。昔は、桃は鬼や悪霊をやっつける木だと考えられていました。三月三日の節句には桃の花を神様に供えたそうです。
 
万葉集に「桃(もも)」を詠んだ歌は7首あります。「毛桃」と詠まれている場合、女性のことを意識しているようですね。
 
巻7-1356: 向つ峰に立てる桃の木ならめやと人ぞささやく汝が心ゆめ
 
巻7-1358: はしきやし我家の毛桃本茂く花のみ咲きてならずあらめやも
 
10-1889: 我が宿の毛桃の下に月夜さし下心よしうたてこのころ
 
11-2834: 大和の室生の毛桃本繁く言ひてしものをならずはやまじ
 
12-2970: 桃染めの浅らの衣浅らかに思ひて妹に逢はむものかも
 
19-4139: 春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子
 
19-4192: 桃の花紅色ににほひたる面輪のうちに青柳の.......(長歌)
標題:詠霍公鳥并藤花一首并短謌
標訓:霍公鳥に藤の花の并せて詠める一首并せて短謌
 
原文:桃花 紅色尓 々保比多流 面輪能宇知尓 青柳乃 細眉根乎 咲麻我理 朝影見都追嬬良我 手尓取持有 真鏡 盖上山尓 許能久礼乃 繁谿邊乎 呼等米尓 旦飛渡 暮月夜 可蘇氣伎野邊 遥々尓 喧霍公鳥 立久久等 羽觸尓知良須 藤浪乃 花奈都可之美 引攀而 袖尓古伎礼都 染婆染等母
      万葉集 巻19-4192
    作者:大伴家持
 
よみ:桃の花 紅(くれなゐ)(いろ)に にほひたる 面輪(おもわ)のうちに 青柳の 細き眉根(まよね)を 笑()み曲()がり 朝影見つつ 娘女(をとめ)らが 手に取り持てる まそ鏡 二上山に 木()の暗(くれ)の 茂き谷辺(たにへ)を 呼び響(とめ)に 朝飛び渡り 夕(ゆふ)月夜(つくよ) かそけき野辺に はろはろに 鳴くほととぎす 立ち潜()くと 羽触(はふ)れに散らす 藤波の 花なつかしみ 引き攀()ぢて 袖に扱入(こき)れつ 染()まば染()むとも
 
意味: 桃の花、その紅色に輝いている面の中で、ひときは目立つ青柳の葉のような細い眉、その眉がゆがむほどに笑みこぼれて、朝の姿を映して見ながら、娘子が手に掲げ持っている真澄みの鏡の蓋ではないが、その二上山に、木の下闇の茂る谷辺一帯を鳴きとよもして朝飛び渡り、夕月の光かすかな野辺に、はるばると鳴く時鳥、その時鳥が翔けくぐって、羽触れに散らす藤の花がいとおしくて、引き寄せて袖にしごき入れた。色が染みつくなら染みついてもかまわないと思って。
左注:同九日作之
注訓:同じき九日作れり

ウェブニュースより
 香港民主派に恐怖広がる 「逮捕情報」出回る―国家安全法、30日にも成立 ―― 【香港時事】中国全国人民代表大会(全人代、国会に相当)常務委員会で審議中の香港への統制を強化する「国家安全維持法案」が30日にも30日にも可決・成立するとみられる。同法の施行は、香港の英国から中国への返還記念日に当たる7月1日と目され、施行と同時に著名民主派が逮捕されるとの情報も出回る。香港民主派の間には確実に恐怖が広がっている。
 
 1989年の天安門事件当時の学生リーダーだった王丹氏は28日、自身のフェイスブックを通じ、外国メディア関係者からの情報として、民主活動家の黄之鋒氏と民主派の香港紙「リンゴ日報」創業者・黎智英氏が7月1日に逮捕される可能性があると発信した。「(当局は)昨年のデモを通じて『ブラックリスト』入りした全ての人を捕まえるだろう」と述べ、警戒を呼び掛けた。
 こうした情報の真偽は不明だが、インターネット上では、黄氏と黎氏に対して「海外逃亡」や「米総領事館への亡命申請」を促す声が多く上がっている。
 香港メディアは、国家安全維持法成立によって違反者は最高で終身刑になる可能性もあると報じている。取り締まりの対象となるのは国家分裂や政権転覆、外国勢力と結託して国家の安全を危うくする行為などだが、特に「香港独立」を掲げてきた勢力は大きな脅威を感じている。
 報道によると、政治団体「香港独立連盟」を率いてきた陳家駒氏は今月になって欧州に逃れた。陳氏は、抗議活動の中心だった若者に対して「米英が『脱出計画』を示した際には香港を離れる」よう呼び掛けた。また、2011年に香港の完全な自治を主張する「香港城邦論」を出版した陳雲氏は28日、フェイスブック上で「社会運動からの脱退」を宣言。「国家安全(維持)法は香港社会に安定をもたらす」と支持に回った。
 7月1日の大規模デモは毎年恒例で、今年は国家安全維持法に反対するデモが呼び掛けられたが、取り締まり強化もあり、大規模な抗議活動に発展する可能性は低い。昨年の「100万人デモ」に参加した30代女性は「今逮捕されれば暴動罪(最高刑は禁錮10年)が適用される。とてもそれだけの心の準備はない」と絶望感を表した。   (JIJI.COM 202006292026分)


 

藤を詠んだ歌5
19-4207: ここにしてそがひに見ゆる我が背子が.......(長歌)
標題:廿二日贈判官久米朝臣廣縄霍公鳥怨恨謌一首并短謌
標訓:廿二日に、判官久米朝臣廣縄に贈れる霍公鳥(ほととぎす)を怨恨(うらみ)たる謌一首并せて短謌
 
原文:此間尓之氏 曽我比尓所見 和我勢故我 垣都能谿尓 安氣左礼婆 榛之狭枝尓 暮左礼婆 藤之繁美尓 遥々尓 鳴霍公鳥 吾屋戸能 殖木橘 花尓知流 時乎麻多之美 伎奈加奈久 曽許波不怨 之可礼杼毛 谷可多頭伎氏 家居有 君之聞都々 追氣奈久毛宇之
      万葉集 巻19-4207
    作者:大伴家持
よみ:ここにして 背向(そがひ)に見ゆる 吾が背子が 垣内(かきつ)の谷に 明()けされば 榛(はり)しさ枝に 夕されば 藤し繁みに 遥遥(ほろほろ)に 鳴く霍公鳥(ほととぎす) 吾が屋戸(やと)の 植木橘 花に散る 時をまだしみ 来鳴かなく そこは恨みず しかれども 谷片付きて 家(いへ)()れる 君し聞きつつ 告げなくも憂()
意味:ここに居て背後に見える私が尊敬する貴方の屋敷の垣の内にある谷に、夜が明けてくると榛の枝先に、夕べになると藤の茂みに、遥かに鳴くホトトギス、私の屋敷の植木の橘の花散る時期が、まだ、早いと、飛び来て鳴かない。それは恨みはしないが、しかしながら、その谷間に近くに家を構えて住んでいる貴方がホトトギスの鳴き声を聞きながら、私にそれを告げないのが、気に掛ります。
19-4210: 藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山霍公鳥などか来鳴かぬ
 

ウェブニュースより
 渡辺棋聖は過去に大逆転防衛、連勝藤井七段V率は? ―― 将棋の藤井聡太七段(17)が28日、初タイトル獲得へ王手をかけた。東京・千駄ケ谷「将棋会館」で行われた第91期ヒューリック杯棋聖戦5番勝負第2局で、渡辺明棋聖(36)を下し、2連勝とした。
 
 開幕局を制した後の宣言通り、和服姿で登場。緊張することなく指し回して、タイトルホルダーをかど番へと押しやった。1711カ月21日での史上最年少初戴冠を目指す第3局は79日、東京都千代田区「都市センターホテル」で行われる。
https://www.youtube.com/watch?v=XgEcGBq2XII
   ◇   ◇   ◇
 過去90回の棋聖戦5番勝負で、序盤に連勝した側のタイトル奪取または防衛は41回。このうち、3連勝のストレート勝ちが29回もある。逆に、2連勝3連敗の例も8回ある。ささいなことで流れが変わるのが、短期決戦の怖いところだ。
 渡辺は08年の第21期竜王戦7番勝負で、挑戦者だった羽生善治九段に3連敗した後、4連勝の大逆転防衛をしたことがある。どこまで巻き返せるのか?   [日刊スポーツ 2020628198]


 

藤を詠んだ歌4
19-4192: 桃の花紅色ににほひたる面輪のうちに.......(長歌)
標題:詠霍公鳥并藤花一首并短謌
標訓:霍公鳥に藤の花の并せて詠める一首并せて短謌 
 
原文:桃花 紅色尓 々保比多流 面輪能宇知尓 青柳乃 細眉根乎 咲麻我理 朝影見都追嬬良我 手尓取持有 真鏡 盖上山尓 許能久礼乃 繁谿邊乎 呼等米尓 旦飛渡 暮月夜 可蘇氣伎野邊 遥々尓 喧霍公鳥 立久久等 羽觸尓知良須 藤浪乃 花奈都可之美 引攀而 袖尓古伎礼都 染婆染等母
     万葉集 巻19-4192
   作者:大伴家持
よみ:桃し花 紅(くれなゐ)(いろ)に 色付(にほひ)たる 面輪(おもわ)の裏(うち)に 青柳の 細き眉根(まよね)を 笑()み曲()がり 朝影見つつ 官女(をとめ)らが 手に取り持てる 真鏡(まそかがみ) 二上山に 木()の暗(くれ)の 茂き谷辺を 呼び響(とめ)に 朝飛び渡り 夕(ゆふ)月夜(つくよ) かそけき野辺に はろはろに 鳴く霍公鳥(ほととぎす) 立ち潜()くと 羽触(はふ)れに散らす 藤波の 花なつかしみ 引き攀()ぢて 袖に扱入(こき)れつ 染()まば染()むとも
 
意味:桃の花の、その紅色に色づいて、顔の中に青柳のような細い眉を笑い崩すような、その朝の稜線を眺めながら、娘女たちが手に取って持つ美しい鏡のように、(いつも眺める)二上山の、その木の枝下を暗く葉を茂らせる谷間を、友を呼び鳴き声を響かせて、朝に飛び渡り、夕月夜の光か細い野辺に、遥かに鳴く、ホトトギスが木々の枝間を潜り飛ぶと、翼に羽ばたきに散らす、藤波の花に心を惹かれて、その花を引き攀じって、袖にしごき入れて、花に袖が染まるのなら染まっても良い。
19-4193: 霍公鳥鳴く羽触れにも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花
 
19-4199: 藤波の影なす海の底清み沈く石をも玉とぞ我が見る
 
19-4200: 多胡の浦の底さへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため
 
※内蔵縄麻呂(くらの-なわまろ、生没年不詳)
 奈良時代の官吏、歌人です。天平17 (745) 年ごろ大蔵少丞(おおくらのしょうじょう)でした。19年越中介(えっちゅうのすけ)として赴任、守(かみ)大伴家持らと酒宴や遊覧につどい、歌をよみました。そのときの4首と、家持が縄麻呂の歌に和した4首が「万葉集」にのります。天平勝宝5 (753) 年には造東大寺司の判官(じょう)の任にありました。名は「ただまろ」ともよみます。
19-4201: いささかに思ひて来しを多胡の浦に咲ける藤見て一夜経ぬべし
 
※久米広縄(くめの-ひろなわ、生没年不詳)
 奈良時代の官吏です。天平20 (748) 年から3年あまり越中掾(じょう)でした。越中守大伴家持らと布勢水海(ふせのみずうみ)(富山県氷見(ひみ))をたずね、内蔵縄麻呂(くらの-なわまろ)宅の宴に参加するなどして歌をよみました。「万葉集」巻1819に、長歌1首、短歌8首があります。名は「ひろただ」「ひろつな」ともよみます。
19-4202: 藤波を仮廬に作り浦廻する人とは知らに海人とか見らむ
 
※久米継麻呂(くめの-つぎまろ、生没年不詳)
 奈良時代の官吏です。天平勝宝(てんぴょうしょうほう) (750) 年、越中守大伴家持(おおともの-やかもち)らと布勢水海(ふせのみずうみ)(富山県氷見(ひみ))を遊覧したときの歌1首が「万葉集」巻19にみえます。


ウェブニュースより
 外国人が消え、日本人も敬遠… 宣言解除から1カ月 浅草、高尾山に観光客戻らず<都知事選 現場から> ――
◆旅館や土産物店が閉店
 新型コロナウイルスの感染拡大前は、外国人観光客らであふれ返っていた東京・浅草(台東区)。緊急事態宣言が全面解除されてから25日で1カ月たったが、訪れる人の数は以前のようには戻っていない。インバウンド(訪日外国人)が途絶えたことで経営が悪化した旅館や飲食店、土産物店などの閉店が続く。
 「売り上げの二本柱である外国人と修学旅行の学生の両方が駄目になった」。浅草寺前の仲見世通りで140年以上続く老舗土産物店「稲葉商店」店主で、浅草商店連合会理事長の稲葉和保さん(62)は嘆く。昨年10月の消費税増税のあおりを受け、年初から売り上げが減少。さらにコロナ禍が重なり、休業していた4~5月の収入はゼロ。営業を再開し、希望を抱いた6月も苦しいままだ。
 使える融資制度はすべて利用した。インバウンドは当面期待できず、国内観光客を目当てに店を開けるが、「コロナ禍で人が行くのは日用品を買えるところ。(優先順位で)観光は最後なんだと気付いた」。
 都内では新たに確認される感染者数が高止まりしており、今後も東京観光は敬遠される可能性がある。稲葉さんは「新しい都知事には、コロナの封じ込めに全力を尽くしてほしい。それが観光業が上向くことにつながる」と訴える。
 
◆外国人スタッフを減員
 京王線高尾山口駅(八王子市)の構内にある観光案内所。3月に案内所を訪れた外国人はわずか23人。1昨年同月の717にん、昨年の644人から激減した。例年は書き入れ時の4、5月は、案内所そのものが閉鎖していた。
 登山口に程近いゲストハウス・カフェバー「高尾山ベースキャンプ」。昨年11月に開業し、客でにぎわっていたのもつかの間、経営する宮沢宏和さん(40)は「3月以降、外国人が消えた」と肩を落とす。
 東京五輪の期間に入っていた予約は、延期により18連泊をはじめキャンセルが続出。3人いた米国などの外国人スタッフも感染拡大後、1人に。宮沢さんは「施設をリモートワークの拠点にするなど、新たな業態も考えなければならないが、都や国の支援がないと破綻する」と切実だ。
 くしくも19日、高尾山を中心とした有形無形の文化財が、都内で初めて文化庁の「日本遺産」に選ばれた。予定通り五輪が開かれていれば外国人呼び込みの起爆剤になったはずだが、認定に奔走してきた八王子市職員の表情は険しい。
 市は国内からの誘客に力を入れ、長期的なPRにつながる戦略の模索を始めている。担当者は「まずは多くの日本人に魅力を知ってもらいたい」と話す。
 都は国の支援策以外に独自で、大打撃を受けた宿泊業者に対し、自動チェックイン機を設置するなど非接触サービスの導入や、タクシー、バス事業者が感染予防のためにアクリル板やビニールシートを車内に設置した場合に補助金を出す。ただ土産物店や飲食店に対象を限定した支援策は行っていない。
 中腹にある飲食店の男性店主は「日本人とか外国人とか以前の問題。激減した客をどう取り戻すのか。それを考えるので精いっぱい」と悲愴(ひそう)感悲壮感を漂わせた。
   
(東京新聞 2020626 0550分)


 

ウェブニュースより
 藤井七段 王位挑戦権を獲得!永瀬二冠との激闘制す…最年少Wタイトル挑戦へ「しっかり準備したい」 ―― 最年少ダブル挑戦なる―。将棋の藤井聡太七段(17)は23日、第61期王位戦挑戦者決定戦(中日新聞、東京新聞主催)で永瀬拓矢二冠(27)=叡王・王座=を127手で破り、木村一基王位(47)への挑戦権を獲得した。8日に開幕した棋聖戦五番勝負に続き、2つ目のタイトル挑戦となった。七番勝負は71日、愛知県豊橋市で開幕する。
 
 ついにその時はやって来た。午後752分、永瀬二冠が128手目を指さずに投了を告げると、藤井七段は深々と頭を下げた。それは日本中のファンが待望する「最年長VS最年少シリーズ」の実現が決まった瞬間でもあった。昨年、463カ月の最年長タイトル獲得で「中高年の星」と呼ばれた木村王位に最年少タイトル挑戦の藤井七段が挑む「71」は、将棋史に刻まれる日となる。
 対局後、王位戦挑戦者になれた感想を聞かれた藤井七段は「うれしく思っています」と喜びをかみしめた。2日制の七番勝負については「持ち時間8時間は指したことがないので、じっくり考えられるのは楽しみ。しっかり準備していい将棋を指したい」と意気込み、木村王位の印象は「力強い受けに特徴がある」とした。永瀬二冠は「力負けしてしまったという印象が強い。また勉強して頑張りたい」と敗戦の弁を述べた。
https://www.youtube.com/watch?v=YPE9fanANl8
 「VS」(11の練習将棋)仲間でもある永瀬二冠との激闘をまたも制した。「名局」と評された4日の棋聖戦挑戦者決定戦とは、先後も戦型も違った。先手の藤井七段が選択したのは角換わり早繰り銀。大一番で相手の得意形に飛び込むところに、天才少年の心意気が感じられた。じりじりとした難解な局面が続くなか、藤井七段が受けに回る展開に。それでも均衡を保ちながら終盤戦に突入すると、最後はぎりぎり余して一気に寄せきった。消費時間は藤井七段3時間57分、永瀬二冠3時間59分だった。
 令和を代表するゴールデンカードになるに違いない。コロナ禍の影響で超過密日程を強いられている2人。藤井七段は20日の竜王戦3組決勝での師弟対決・杉本昌隆八段(51)戦から中2日。永瀬二冠は豊島将之竜王・名人(30)に千日手指し直しの末に敗れた21日の叡王戦七番勝負第1局から中1日の強行軍だった。それでもこれほどの名勝負を演じたのは、心技体に突出した天才&軍曹ならではといえた。   (中スポ 2020623 2145分)


 

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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