藻(も)を詠める歌14
巻12-3076:住吉の敷津の浦のなのりその名は告りてしを逢はなくも怪し
巻12-3077:みさご居る荒礒に生ふるなのりそのよし名は告らじ親は知るとも
巻12-3078:波の共靡く玉藻の片思に我が思ふ人の言の繁けく
巻12-3079:わたつみの沖つ玉藻の靡き寝む早来ませ君待たば苦しも
巻12-3177:志賀の海人の礒に刈り干すなのりその名は告りてしを何か逢ひかたき
巻12-3205:後れ居て恋ひつつあらずは田子の浦の海人ならましを玉藻刈る刈る
巻12-3206:筑紫道の荒礒の玉藻刈るとかも君が久しく待てど来まさぬ
ウェブニュースより
藤井聡太王位・棋聖、“鬼の棲家”順位戦B級1組で2勝目 屋敷伸之九段下す ―― 将棋の藤井聡太王位・棋聖(18)が6月13日、順位戦B級1組3回戦で屋敷伸之九段(49)に130手で勝利し、同組で今期2勝目(1敗)を挙げた。2回戦で稲葉陽八段(32)に敗れ、順位戦での連勝記録が「22」で止まっていたが、タイトル3期の実績を持つ屋敷九段に、じっくりとした進行から中盤以降少しずつリードを奪い、拡大していく落ち着いた指し回し。“鬼の棲家”と称される激戦区で、A級昇級に向けて再スタートを切った。
屋敷九段が得意とする相掛かりからのスタートになった一局は、角・歩の交換こそあったものの、本格的な戦いが始まったのは、夜戦に入ってから。自然な指し手に終始したように見えるものの、形勢としては確実に差を広げていき、終盤に入ったところでははっきり優勢に。「AI超え」のような目立つ一手ではなく、全体の構成で勝利する骨太の強さで、最後は長手数の詰み筋を読み切った。
https://www.youtube.com/watch?v=mRO2rpFAElQ
対局後、藤井王位・棋聖は、2回戦で敗れていたことについて「B級1組は特に長いので、星取りは考えずに臨もうと思っていました」と対局前の心境を振り返ると、「序盤から選択肢が多くて、本譜よりいい展開を選べたところもあったと思います」と一局を通した感想をコメント。次局に向けては「まだ9局残っているので、あまり先のことを考えずに目の前の一局一局に集中したいです」と抱負を述べた。
藤井王位・棋聖には、谷川浩司九段(59)が持つ21歳2カ月の最年少名人記録更新の可能性を残しており、今期A級への昇級を果たし、来期のA級で挑戦権獲得、さらに奪取する必要がある。逆に今期、昇級できなければ飛び級のシステムがないだけに、記録更新は不可能になる。
順位戦のほか、今月には渡辺明名人(棋王、王将、37)との棋聖戦五番勝負、豊島将之竜王(叡王、31)との王位戦七番勝負と重要な対局が続くだけに、天才棋士の夏は今年も多忙で激しいものになる。(ABEMA/将棋チャンネルより) 【ABEMA TIMES 2021.06.14 00:41】
藻(も)を詠める歌13
巻11-2778:水底に生ふる玉藻の生ひ出でずよしこのころはかくて通はむ
巻11-2780:紫の名高の浦の靡き藻の心は妹に寄りにしものを
巻11-2781:海の底奥を深めて生ふる藻のもとも今こそ恋はすべなき
巻11-2782:さ寝がには誰れとも寝めど沖つ藻の靡きし君が言待つ我れを
ウェブニュースより
香港民主派の周庭氏出所 多くの活動家なお収監 ―― 無許可集会を扇動した罪で服役していた香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)氏が12日、刑期を終えて出所した。ただ、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏ら多くの活動家は収監されたままで、香港の民主派を取り巻く環境は厳しい。
周氏は出所後、インスタグラムに「つらかった半年と20日がようやく終わった。いまは体を休ませて健康に気を配ります。痩せて体が弱くなってしまったから」と投稿した。
周氏は刑務所を出た後、多くの報道陣に囲まれたが、問いかけには応じず迎えの車に乗り込んだ。笑みはなかった。今回、半年あまりの服役を終えたのは2019年6月の警察本部を包囲したデモに関するもの。これとは別に香港国家安全維持法の違反容疑の捜査は継続中とみられ、再び起訴される可能性もある。
周氏と行動をともにしていた黄氏は抗議活動に関する複数の実刑判決を受けて、合計の刑期が2年以上になった。周氏の服役中に香港紙創業者の黎智英(ジミー・ライ)氏や、天安門事件の追悼集会を長年続けてきた李卓人氏らも刑務所に入った。
羅冠聡(ネイサン・ロー)氏ら海外に渡った活動家は当局から指名手配され、事実上、香港に戻れない。民主派の活動余地はますます狭まっている。
中国は攻勢を強めている。中国政府の香港出先機関トップの駱恵寧氏は12日、中国共産党創立100年を記念する講演で「共産党の一党支配終結を訴える者は香港の安定と繁栄の真の敵だ」と明言した。「一党支配終結」は香港の民主派団体が掲げるスローガンの一つで、これまで当局に問題視されたことはほとんどなかった。
香港警察は11日、無許可デモを扇動した容疑で学生団体幹部を逮捕した。12日は19年の大規模デモで若者らと警察が激しく衝突した日から2年にあたり、抗議活動が呼び掛けられていた。直前の逮捕でデモ参加者を萎縮させる効果を狙った可能性がある。 【日本經濟新聞 2021年6月12日 18:05 (2021年6月12日 18:44更新)】
藻(も)を詠める歌12
巻11-2437:沖つ裳を隠さふ波の五百重波千重しくしくに恋ひわたるかも
巻11-2482:水底に生ふる玉藻のうち靡き心は寄りて恋ふるこのころ
巻11-2483:敷栲の衣手離れて玉藻なす靡きか寝らむ我を待ちかてに
巻11-2721:玉藻刈るゐでのしがらみ薄みかも恋の淀める我が心かも
巻11-2743:なかなかに君に恋ひずは比良の浦の海人ならましを玉藻刈りつつ
ウェブニュースより
朝乃山、6場所出場停止 前師匠の錦島親方は退職―大相撲 ―― 日本相撲協会は11日、東京都内で臨時理事会を開き、協会が定めた新型コロナウイルス感染防止対策のガイドラインに違反し不要不急の外出を繰り返したとして、大関朝乃山(27)=本名石橋広暉、富山県出身、高砂部屋=に対し、来年夏場所まで6場所の出場停止と報酬減額(6カ月、50%)の懲戒処分を決めた。これで幕下以下への転落が確実になった。
朝乃山は5月21日付で引退届を提出。しかし相撲協会では今後、問題行動があった場合はこれを受理するとして、八角理事長(元横綱北勝海)預かりにした。師匠の高砂親方(元関脇朝赤龍)も監督責任を問われ、報酬減額(3カ月、20%)処分を受けた。
朝乃山の入門時の師匠で、元大関朝潮の先代高砂親方(65)=長岡末弘、高知=についても、本場所中に飲食を伴う会食をするなどの違反行為があったが、提出された退職願を6月10日付で受理し、処分は見送った。同親方は昨年12月に65歳の定年を迎えたことに伴い、現師匠に高砂部屋を継承。再雇用制度を利用し、錦島親方として協会に残っていた。
相撲協会によると、朝乃山は本場所中を含む外出禁止期間にキャバクラに通うなどの違反を重ねた。これが週刊誌の取材対象となったことを知ると、整体治療が目的だったなどと、いったんは否定。5月の夏場所中に一部を認め、翌日から途中休場した。こうした経緯について相撲協会は「大関に求められる品格や、責任の重大さに対する自覚がみじんも感じられない」と厳しく指摘した。
◇新型コロナ関連での相撲協会の処分
2020年8月 阿 炎 出場停止3場所
報酬減額(5カ月、50%)
極芯道 出場停止2場所
田子ノ浦親方 けん責
10月 時津風親方※ 2階級降格
松ケ根親方 けん責
21年2月 時津風親方※ 退職勧告、退職金減額(30%)
5月 竜 電 出場停止3場所
6月 朝乃山 出場停止6場所
報酬減額(6カ月、50%)
(※時津風親方は先代)
(JIJI.COM 2021年06月11日21時46分)
平井デジタル相「不適切表現」認める 五輪アプリ指示で ―― 平井卓也デジタル改革相は11日の記者会見で、東京五輪・パラリンピックの入国管理アプリの開発経費を巡り、交渉担当者に不適切な表現で指示をしたと明らかにした。費用削減を目指す過程で受注先の企業に「脅しておいた方がよい」と話した。
政府はアプリの開発業務を外部に委託しており、1月に共同事業者との間で開発経費73億円の契約を締結した。その後、海外からの一般観客の受け入れ見送りに伴ってNECが手掛ける顔認証機能を省き、経費を38億円に圧縮し契約変更した。
一部報道で公開された音声データによると、平井氏は内閣官房IT(情報技術)総合戦略室の会議で「この五輪でぐちぐち言ったら完全に干す」「脅しておいた方がよい」などと語った。
平井氏は11日の記者会見で「担当責任者には打ち合わせで色々指示を出した。報道されている音声データはその中の一部ではないか」と述べた。
発言の真意について「国民の血税を預かる立場として、国民目線で調達の無駄をなくす強い意志を持っている」と言及した。契約金額を圧縮するため「強い覚悟で国民の立場で交渉することを強い口調で申し上げた」と説明した。
自身は受注先と直接やりとりせず、内部での指示だったことも強調した。「業者に対して言っているわけではない」と主張した。契約変更は両者の合意があったとも説いた。 【日本經濟新聞 2021年6月11日 12:00】
藻(も)を詠める歌11
巻9-1685:川の瀬のたぎつを見れば玉藻かも散り乱れたる川の常かも
※間人宿祢(はしひとのすくね、生没年未詳)
伝未詳。文武朝頃の人でしょうか。間人宿禰は、天皇と臣下、または異国人との間をとりつぐ職掌をもったかとされる伴造氏族です。天武十三年、連より宿禰に改姓されました。
巻9-1726:難波潟潮干に出でて玉藻刈る海人娘子ども汝が名告らさね
※丹比真人(たぢひのまひと)について
飛鳥時代から奈良時代に活躍した一族で「宣化天皇(第28代)」の末裔といわれています。丹比連が神の末裔に対し、丹比真人は天皇の末裔になります。
丹比真人の「真人(まひと)」は天武天皇が定めた八色の姓(やくさのかばね)の一つ。その中でも「真人」は最高位の姓であり、主に皇族に授けられました。
丹比真人の中でも、丹比真人嶋(たじひしま)は、優れた人物として知られています。丹比真人嶋は、文武天皇の治世において、臣下の最高位である左大臣まで登りつめました。
以後も丹比真人は、高位に就く人物を輩出しますが、政変に敗れて衰退。平安時代以降は姿を見せなくなります。
巻10‐1930:梓弓引津の辺なるなのりその花咲くまでに逢はぬ君かも
巻10‐1931: 川の上のいつ藻の花のいつもいつも来ませ我が背子時じけめやも
ウェブニュースより
五輪開催「コロナ乗り越えたと発信したい」 菅首相、初の党首討論 具体性欠く「安全・安心」 ―― 菅義偉首相と野党4党首による党首討論が9日、開かれた。首相は、新型コロナウイルスの感染リスクが高まるのに東京五輪・パラリンピックを開催する理由を問われたが直接答えなかった。「安全、安心な大会」の定義も明確に示さず、感染拡大を防ぐ備えについても具体的に説明しなかった。
党首討論は2019年6月以来2年ぶりで、菅政権では初めて。
共産党の志位和夫委員長は、政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長が五輪開催に伴う感染拡大リスクを「ゼロにできない」と指摘したことに触れ、それでも開催しなければならない理由を2回にわたって追及。首相は「尾身氏の意見も参考に感染対策の詰めを行う」「国民の命と安全を守れなければ(大会を)やらないのは当然」との従来の見解を示すにとどめた。
五輪開催の意義に関し、立憲民主党の枝野幸男代表への答弁では「子どもや若者に希望や勇気を伝えたい」「東日本大震災から復興した姿を見てほしい」「世界が団結して新型コロナを乗り越えたことも発信したい」と説明した。
枝野氏は、国民の生命と健康を守ることが五輪開催の前提条件とした首相の発言について「大会参加者による直接的な感染拡大だけでなく、開催を契機に国内で感染が広がる事態も含む意味か」とただした。
首相はこれについても直接の答弁を避けた。入国する関係者の絞り込み、行動管理の徹底などの対策を説明し、国際オリンピック委員会(IOC)などとの協議を通じて「国内基準に合った方向性を6月中に決める中で、十分配慮される」とだけ語った。
国民民主党の玉木雄一郎代表は、追加経済対策の策定を求めたが、首相は否定した。玉木氏はコロナの水際対策として、ワクチンパスポートの導入も提案したが、首相は検討中と述べた。
日本維新の会の片山虎之助共同代表は21年度補正予算編成の必要性を指摘したが、首相は「状況を見て判断する」と語った。 (東京新聞 2021年6月9日 21時47分)
ワクチン大規模接種センター予約枠“ガラガラ” 8割埋まらず ―― あれほど殺到していたのに、どうして激減してしまったのか。
65歳以上の高齢者のために自衛隊が設置したワクチン大規模接種センターへの“予約枠”が、ガラ空き状態となっている。8日、岸防衛相が、予約枠全体の8割が埋まっていないと明らかにした。
「東京センターにおいては、合計14万人の予約枠に対して現在12万5000人、大阪については、7万人の予約枠に対して5万7000人の予約枠が残っています」
今回、自衛隊が受け付けたのは、6月14~27日の2週間分。28日からは、2回目の接種がスタートする。
■高齢者のニーズ完全に見誤った
しかし、われ先にとワクチン接種に走っていたはずなのに、8割も空きがあるとは驚きだ。いったい、どういうことなのか。どうやら、高齢者のニーズとズレがあったようだ。ネット上にも“当然だ”の声が飛んでいる。
<そりゃ、そうだよ。だって高齢者のニーズと合ってないもん。なんでわざわざ難しい予約して、電車に乗って行かなきゃいけないの? 暑い日や雨の日なんて出掛けたくないでしょう?><高齢者がLINE使って予約すると思う??議員が自分でやってみなよ。できるのか? 都内までわざわざ出かける元気な高齢者は近くで接種できるようになるまで待つでしょう>
「かかりつけ医の方が安心」という高齢者も多く、予約がスタートした当初、何時間、電話をかけてもつながらず、疲れ切ってしまい、急いで接種するのを諦めてしまったという高齢者もいるようだ。
菅首相の思いつきで設置された大規模接種センターだが、このまま予約が埋まらなかったら、とんでもない無駄になってしまう。「若者も打てるようにすればいい」との声もあるが、もともと3カ月限定のうえ、28日からは2回目の接種がスタートするため、転用もそう簡単ではないという。
「この数カ月、コロナに感染しないように、多くの高齢者は電車に乗ることも避けているはずです。なのに、感染リスクの高い都心のど真ん中までわざわざ電車に乗って行こうとは思わないはずです。それに、菅首相は、ワクチンを打て、打てと、せっついているように見えますが、高齢者だって副反応を恐れています。誰よりも一刻も早く打ちたいと思っているのは、3割程度なのではないか。逆に副反応を恐れている人も1割、2割いておかしくない。菅首相は、高齢者の思いを見誤っていますよ」
この調子では、ワクチン接種1日1万回は、まだまだ先だ。 (日刊ゲンダイ 公開日:2021/06/09 14:00 更新日:2021/06/09 15:06)
藻(も)を詠める歌10
巻7-1227:礒に立ち沖辺を見れば藻刈り舟海人漕ぎ出らし鴨翔る見ゆ
巻7-1248:我妹子と見つつ偲はむ沖つ藻の花咲きたらば我れに告げこそ
巻7-1290:海の底沖つ玉藻のなのりその花妹と我れとここにしありとなのりその花
巻7-1380:明日香川瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに
巻7-1394:潮満てば入りぬる礒の草なれや見らく少く恋ふらくの多き
巻7-1395:沖つ波寄する荒礒のなのりそは心のうちに障みとなれり
巻7-1396:紫の名高の浦のなのりその礒に靡かむ時待つ我れを
巻7-1397:荒礒越す波は畏ししかすがに海の玉藻の憎くはあらずて
ウェブニュースより
棒読み菅首相、五輪判断の基準示せず正念場 閣僚援護も火に油で大荒れ模様 ―― 菅義偉首相は7日の参院決算委員会で、東京オリンピック(五輪)・パラリンピック開催をめぐり、これまで同様に具体的な判断基準を明示しなかった。関係閣僚の援護射撃も反発する野党に火に油を注ぐ展開となり、野党から求められた五輪開催の可否を新型コロナ対策分科会(尾身茂会長)への諮問も却下した。1対1で臨む、あす9日の党首討論では、さらに激しくなる野党の追及をかわせるかが焦点となる。
◇ ◇ ◇
国会会期末(16日)を控えた締めくくり総括審議で、菅首相が野党から集中砲火を浴びた。立憲民主党の福山哲郎幹事長から五輪開催の判断基準をただされたが、「選手や大会観戦者の感染対策をしっかり講じて~」など、質問内容とズレた答弁を棒読みした。
首相は追及の嵐に「命と健康を守っていく。これが開催の前提条件。前提が崩れれば、こうしたこと(五輪)は行わない」などとした。だが、福山氏から「前提が崩れるか、どうかは何で判断するのか」と問われ、またも「選手や大会観戦者の感染対策を~」と棒読み。
炎上を予見した閣僚がフォローしたが、チーム菅の援護射撃は、火に油となった。菅首相が福山氏から判断基準について「イエスか、ノーかで」と迫られると、丸川珠代五輪担当相がPCR検査など関係のない説明を始め、野党の反発で質疑は約3分間ストップするなど、大荒れ模様となった。
首相は「尾身(茂)会長の分科会に、正式に五輪に対しての条件を諮るべき」と迫られると、西村康稔経済再生相が「分科会はオリンピックの開催の可否など審議する場所ではありません。権限はありません」と却下。野党から反発が広がった。一方で20日の緊急事態宣言の解除期限について、首相は「専門家のみなさんの意見を伺う中で判断する」と発言。委員会後の会見で福山氏は「ダブルスタンダード(二重基準)だ」と猛批判した。
あす9日、約2年ぶりの党首討論は1対1で援護なし。五輪開催の可否をめぐって、さらに激しい論戦は必至。11日から英国で開催される先進7カ国首脳会議(G7サミット)へ旅立つ直前、正念場を迎える。 [日刊スポーツ 2021年6月7日20時4分]
藻(も)を詠める歌9
巻7-1136:宇治川に生ふる菅藻を川早み採らず来にけりつとにせましを
巻7-1152:楫の音ぞほのかにすなる海人娘子沖つ藻刈りに舟出すらしも
巻7-1157:時つ風吹かまく知らず吾児の海の朝明の潮に玉藻刈りてな
巻7-1167:あさりすと礒に我が見しなのりそをいづれの島の海人か刈りけむ
巻7-1168:今日もかも沖つ玉藻は白波の八重をるが上に乱れてあるらむ
巻7-1199:藻刈り舟沖漕ぎ来らし妹が島形見の浦に鶴翔る見ゆ
◎妹が島・形見の浦
和歌山市加太の港の目の前にゆったりと二並ぶ友ケ島(実際には四つの島から成っています)を「妹が島」と歌ったのでしょう。「形見の浦」は「妹が島」内のいずれかの浦を指します。一説に現在の加太(万葉時代の賀太)の浦を指すと考えられてもいますが、歌の語構成からみて「妹が島と形見の浦」と解することは無理で、「妹が島の形見の浦」と解せられます。
巻7-1206:沖つ波辺つ藻巻き持ち寄せ来とも君にまされる玉寄せめやも
ウェブニュースより
藤井聡太棋聖が渡辺明名人との“どつき合い”制す、初防衛へ90手で先勝 ―― 藤井聡太棋聖(王位=18)が初防衛に向けて好スタートを切った。6日、千葉県木更津市「竜宮城スパホテル三日月」で行われた第92期ヒューリック杯棋聖戦5番勝負第1局で、挑戦者の渡辺明名人(棋王・王将=37)を下した。午前9時から始まった対局は、いきなり激しく駒がぶつかり合った。攻めをつないだ後手の藤井が午後6時24分、90手で快勝した。第2局は18日、兵庫県洲本市「ホテルニューアワジ」で行われる。
◇ ◇ ◇
昨年とは立場を入れ替えての開幕戦。先手渡辺が誘導した相掛かりに乗った。応じる形で序盤から激しく駒がぶつかり、取っては打ちつける。相撲で言えば「突っ張り合い」、陸上なら100メートル走の選手同士が全力疾走で42.195キロのマラソンを走るような展開だ。午後4時すぎ、優位を築くと一気に押し切った。「難しい展開でした」と、ホッとした表情を見せた。
https://www.youtube.com/watch?v=rfJF7hygbuk
対局前日、直近の将棋について問われた。3日の順位戦B級1組では稲葉陽八段(32)に敗れ、順位戦の連勝を「22」で止められた。ほかにも苦戦を強いられる対局が目立つからだ。「結果的に状態がいい訳ではないが、棋聖戦に向けて自分なりにしっかり準備してきた」と、会見で話した。
盤に向かえばしっかり局面を読み、最後は3枚の桂を4五、6五、6四の地点に打ち据えて渡辺玉を攻略した。
昨年はコロナ禍による強行日程で、挑戦者決定から中3日で5番勝負に臨んだ。バタバタと始まった開幕戦は和装を諦め、スーツで盤に向かっている。特にタイトル戦という意識はなかった。今年は違う。
3カ月前、竜王戦2組準決勝で松尾歩八段(41)を下し、5年連続昇級を決めた時のこと。「先を見越して戦っていきたい」と、コメントしている。ちょうど順位戦B1昇級を決めた直後で、明らかにその先のタイトル争いや防衛戦を意識していた。
盤外では新たな選択をした。2月、高校(愛知・名古屋大教育学部付属)を1月末に自主退学していたことも明らかにした。3月には不二家、サントリー食品インターナショナルと広告契約も交わした。将棋に専念し、生活できる環境は整った。「次局もしっかり準備して戦いたいです」と、気を引き締めていた。
◆棋聖戦 将棋の8大タイトル戦の1つ。1962年(昭37)創設。初代棋聖は、故大山康晴十五世名人。94年度までは半年に1回開催されていた。95年度から年1回に。96年度は当時7冠すべてを保持していた羽生善治現九段が三浦弘行現九段に敗れ、6冠に後退した。「棋聖」は将棋、囲碁で抜群の才能を示す者への敬称。将棋では江戸時代末期の不世出の天才棋士、天野宗歩(あまの・そうふ)がこう呼ばれた。
【第92期ヒューリック杯棋聖戦5番勝負日程】
◇第2局 6月18日、兵庫県洲本市「ホテルニューアワジ」
◇第3局 7月3日、静岡県沼津市「沼津御用邸東附属邸第1学問所」
◇第4局 7月18日、名古屋市「亀岳林 万松寺」
◇第5局 7月29日、新潟市「高志の宿 高島屋」 [日刊スポーツ 2021年6月6日18時35分]
藻(も)を詠める歌7
巻6-0917:やすみしし我ご大君の常宮と仕へ奉れる.......(長歌)
標題:神龜元年甲子冬十月五日幸于紀伊國時山部宿祢赤人作歌一首并短歌
標訓:神亀元年甲子(かふし)の冬十月五日、紀伊国に幸(いでま)しし時に、山部宿禰赤人の作れる歌一首并て短歌
原文:安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流 左日鹿野由 背<匕>尓所見 奥嶋 清波瀲尓 風吹者 白浪左和伎 潮干者 玉藻苅管 神代従 然曽尊吉 玉津嶋夜麻
万葉集 巻6-0917
作者:山部赤人
よみ:やすみしし わご大君(おほきみ)の 常宮(とこみや)と 仕へまつれる 雑賀野(さひがの)ゆ 背向(そがひ)に見ゆる 沖つ島 清き渚(なぎさ)に 風吹けば 白波騒(さわ)き 潮干(ふ)れば 玉藻(たまも)刈りつつ 神代より 然(しか)そ尊(たふと)き 玉津島山(たまつしまやま)
意訳:われらが大君の常宮(離宮)としてお仕え申し上げる雑賀野の、その背後に見える沖の島。清らかな渚に風が吹くと、白波が立ち騒ぐ。潮が引けば藻を刈り取ってきた。神代の昔より貴い、その沖の島、玉津島。
左注:右年月不記 但称従駕玉津嶋也 因今檢注行幸年月以載之焉
注訓:右は年月を記さず。玉津島に従駕(おほみとも)すといへり。因(かれ)、今行幸の年月を検へ注して以ちて載巣す。
歌の内容は典型的な儀礼歌で、まず天皇を讃え、その永遠の宮である雑賀野から背後に見える沖の島…と、行幸先の宮から見える玉津島の島々のことを詠っています。「雑賀野(さひがの)」は和歌山市西、雑賀崎の野で、このあたりに玉津島の宮があったのでしょう。
巻6-0918:沖つ島荒礒の玉藻潮干満ちい隠りゆかば思ほえむかも
巻6-0931:鯨魚取り浜辺を清みうち靡き生ふる玉藻に.......(長歌)
標題:車持朝臣千年作歌一首[并短歌]
標訓:車持朝臣千年(くるまもちのあそみちとせ)の作れる歌一首并せて短歌
原文:鯨魚取 濱邊乎清三 打靡 生玉藻尓 朝名寸二 千重浪縁 夕菜寸二 五百重<波>因 邊津浪之 益敷布尓 月二異二 日日雖見 今耳二 秋足目八方 四良名美乃 五十開廻有 住吉能濱
万葉集 巻6-0931
作者:車持朝臣千年
よみ:鯨魚取り 浜辺を清み うち靡き 生ふる玉藻に 朝なぎに 千重波寄せ 夕なぎに 五百重波寄す 辺つ波の いやしくしくに 月に異に 日に日に見とも 今のみに 飽き足らめやも 白波の い咲き廻れる 住吉の浜
意訳:鯨魚も取れるという浜辺が清らかなので、うち靡いて生えている美しい藻には、朝の凪に千重の波が寄せて来る。夕べの凪には五百重の波が寄せて来る。その浜辺の波にように、よりいっそうに、月々に、日に日に見るとしても満足できないのに、今だけ見て飽き足りるだろうか。白波が開花してめぐる住吉の浜よ
※車持朝臣千年(くるまもちのあそみちとせ、生没年不明)
奈良時代の歌人です。笠金村(かさの-かなむら)や山部赤人(やまべの-あかひと)らと同時代の宮廷歌人のひとりといわれます。養老7年(723)元正(げんしょう)天皇の吉野行幸にしたがったときの長歌および反歌,神亀(じんき)2年聖武(しょうむ)天皇の難波(なにわ)行幸にしたがったときの長歌および反歌などが「万葉集」におさめられている。女性とする説もあります。
巻6-0935:名寸隅の舟瀬ゆ見ゆる淡路島松帆の浦に.......(長歌)
標題:三年丙寅秋九月十五日、幸於播磨國印南野時、笠朝臣金村作謌一首并短謌
標訓:(神亀)三年丙寅秋九月十五日に、播磨國の印南野に幸(いでま)しし時に、笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短謌
原文:名寸隅乃 船瀬従所見 淡路嶋 松帆乃浦尓 朝名藝尓 玉藻苅管 暮菜寸二 藻塩焼乍 海末通女 有跡者雖聞 見尓将去 餘四能無者 大夫之 情者梨荷 手弱女乃 念多和美手 俳徊 吾者衣戀流 船梶雄名三
万葉集 巻6-0935
作者:笠朝臣金村
よみ:名寸隅(なきすみ)の 船瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島(あはぢしま) 松帆(まつほ)の浦に 朝凪に 玉藻刈りつつ 夕凪に 藻塩焼きつつ 海(あま)未通女(をとめ) ありとは聞けど 見に行かむ 縁(よし)の無ければ 大夫(ますらを)の 情(こころ)は無しに 手弱女(たわやめ)の 思ひたわみて 徘徊(たもとほ)り 吾はぞ恋ふる 船梶(ふなかぢ)を無み
意訳:名寸隅の船を引き上げる浜から見える淡路島、その松帆の浦では朝の凪には玉藻を刈り、夕方の凪には藻塩を焼く、そんな漁師のうら若い娘女がいると聞くのだが、彼女に会いに行く機会がないので、朝廷の立派な男の乙女に恋する気持ちは失せ、か弱い女のように気持ちも萎え、恋心はさまよい、私は噂の乙女に恋をする。船もそれを操る梶もないので。
巻6-0936: 玉藻刈る海人娘子ども見に行かむ舟楫もがも波高くとも
※笠金村(かさのかなむら、生没年不明)
奈良時代の歌人です。元正(げんしょう)、聖武(しょうむ)両朝の下級官人で、行幸につき従って賛歌を詠み、志貴皇子挽歌(しきのみこばんか)をつくるなどした、いわゆる宮廷歌人的な人です。『万葉集』に残る作品は715年(霊亀1)から733年(天平5)までの長歌9首、短歌26首の計35首。ほかに「笠朝臣金村之歌中出(かさのあそみかなむらのうたのなかにいづ)」と記す長歌2首、短歌8首もありますが、作者不明歌を含みます。歌風は柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の影響を強く受けていますが、迫力に乏しく、私的な相聞風の発想をよくするなどの点に時代の反映をみることができます。
ウェブニュースより
尾身会長が五輪開催巡る緊急提言 政府決定前に「我々の考え伝えたい」 ――政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長(71)は4日、衆院厚生労働委員会で五輪開催の可否をめぐり野党から集中質疑を受けた。立憲民主党の山井和則氏からは「一番、国民が不安に思っているのは、やるか、やらないか」と重ねて食い下がられたが、この段階での明確な答弁は避けた。その上で今後、現状のコロナ禍における五輪開催へ向けた緊急提言を行うことを明らかにした。尾身会長は「政府は(緊急事態宣言解除の)20日以降に(五輪開催の可否を)決められる、と聞いている。(提言は)その後だと意味がない。なるべく、それよりも前に我々の考えを伝えたい」と断言した。
現況での五輪開催について、尾身会長は2日に「今の状況で、やるのは普通じゃないわけだから、やるのであれば、開催規模をできるだけ小さくして管理体制をできるだけ強化するのは主催者の義務だ」と政府、組織委員会に突きつけ、波紋を呼んだ。そして、この日は「本当にやるんであれば、緊急事態宣言の中での、オリンピックなんていうことを絶対に避けるということ」と自説を語り、「一生懸命、自粛している所にお祭りという雰囲気が出た瞬間をテレビで見て人々がどう思うか」と、さらに踏み込んだ見解を示した。
これまで尾身会長は、コロナ対策や緊急事態宣言の発令、延長に際しての判断を仰がれ、記者会見では菅首相と並んで登壇し、専門的な説明はすべて委ねられるなど、重用されてきた。しかし、緊急提言を決断した尾身会長に対しては政府内から早くも反発の声が上がり、田村憲久厚労相は「自主的な研究の成果の発表ということだと思う。そういう形で受け止めさせていただく」と、公式提言として認めない構えでけん制した。
尾身会長は緊急提言の内容について明らかにしていない。開催以外の選択肢を提示しない政府にとっては提言によって五輪開催の是非や可否につながる世論拡大は避けたいところだ。尾身会長の提言に、注目が集まっている。 [日刊スポーツ 2021年6月4日21時40分]
藻(も)を詠める歌6
巻4-0491:川上のいつ藻の花のいつもいつも来ませ我が背子時じけめやも
※吹芡刀自(ふふきのとじ、生没年不明)
飛鳥(あすか)時代の歌人です。天武天皇4年(675)十市(とおちの)皇女にしたがって伊勢神宮にもうでたときによんだ歌が「万葉集」巻1に1首、巻4には相聞歌が2首みえる。吹黄(ふきの)刀自ともあらわします。
◎「いつ藻」は「斎藻」で美しい藻のことです。そんな「いつ藻」という言葉の響きから「いつもいつも」を引き出して詠んだ「調べ(リズム)」の美しい一首です。
万葉集の時代の歌には祈りの呪文としての意味合いも強かったので、この歌のような口ずさんだ時の「調べ(リズム)」のよさは非常に重視されていたのだろうと想像できます。
妻が夫に対して「いつもいつも来てください」と詠い掛けるのは現代人の感覚では少し違和感を感じるかも知れませんが、この時代の婚姻は結婚後も妻は自分の生家に住んでいて夫が毎晩妻の家に通う「通い婚」が普通でした。ですので、現代に比べれば婚姻関係が薄弱で、ある日突然夫が来なくなって婚姻関係が終わるということもよくあったようです。
(逆に妻のほうが夫を拒むという感じで婚姻関係が終わることもあったようですが…)
それゆえに婚姻関係にある夫婦の間でも、この歌のように妻が夫の来訪を待ちわびる切ない恋愛感情が失われずに成立したのでしょう
巻4-0511:我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ
◎持統天皇が伊勢に御幸された際に従駕した夫(当麻麻呂)を待つ妻が都で詠んだ詩となります。作者は当麻麻呂妻(たいまのまろのつま)です。
夫である当麻麻呂についても、持統天皇が伊勢に御幸された際に従駕したこと以外よくわかっていません。
巻4-0619:おしてる難波の菅のねもころに君が聞こして.......(長歌)
標題:大伴坂上郎女怨恨歌一首[并短歌]
標訓:大伴坂上郎女の怨恨(うらみ)の歌一首〔并て短歌〕
原文:押照 難波乃菅之 根毛許呂尓 君之聞四乎 年深 長四云者 真十鏡 磨師情乎 縦手師 其日之極 浪之共 靡珠藻乃 云々 意者不持 大船乃 憑有時丹 千磐破 神哉将離 空蝉乃 人歟禁良武 通為 君毛不来座 玉梓之 使母不所見 成奴礼婆 痛毛為便無三 夜干玉乃 夜者須我良尓 赤羅引 日母至闇 雖嘆 知師乎無三 雖念 田付乎白二 幼婦常 言雲知久 手小童之 哭耳泣管 俳徊 君之使乎 待八兼手六
万葉集 巻4-0619
作者:大伴坂上郎女
よみ:押し照る 難波の菅の ねもころに 君が聞(きこ)しを 年深く 長くし云(い)へば 真澄鏡(ますかがみ) 磨(と)ぎし情(こころ)を 許してし その日の極(きは)み 波の共(むた) 靡く玉藻の かにかくに 心は持たず 大船の 憑(たの)める時に ちはやぶる 神か離(さ)くらむ 現世(うつせみ)の 人か禁(さ)ふらむ 通(かよ)はしし 君も来まさず 玉梓の 使(うかひ)も見えず なりぬれば 痛(いた)もすべ無み ぬばたまの 夜はすがらに 赤らひく 日も暮るるまで 嘆けども 験(しるし)を無み 思へども たづきを知らに 手弱女(たわやめ)と 言はくも著(しる)く 手童(たわらは)の 哭(ね)のみ泣きつつ た廻(もとは)り 君が使(つかひ)を 待ちやかねてむ
意訳:天と地との両方から照らされる難波に生える菅の根のように、密に心を込めて貴方がおっしゃて「年永く末長い仲であれば」と云うと、願うと見たいものを見せると云う真澄鏡を磨ぐような澄み切った私の思いを貴方に許して、その日を境として波と共に靡く玉藻のように、あれこれと揺れ動く気持ちは持たず、大船のように貴方を信頼している時に、神の岩戸を押分けて現れた神が二人の仲を割くのでしょうか、この世の人が止めるのでしょうか、私の許を通っていた貴方もやって来ず、美しい梓の杖を持つ立派な使いも来て姿を見せないようになったので、心を痛めてもどうしようもなく、漆黒の夜は夜通し、明るい昼間は日が暮れるまで、身の不幸を嘆くのですが、その甲斐もなく、貴方を恋い慕っても便りを行う手段も知らないので、手弱女と言われる通りに幼子のように、さめざめと泣いて床に身をよじる。そんな私に貴方からの使いを待つことが出来るでしょうか。
◎この歌は大伴坂上郎女が詠んだ恋の怨恨(うらみ)の長歌です。年久しく末永く共に暮らそうと声をかけてくれた男を頼りにしていたのに、次第に男が疎遠になって、嘆き悲しみ男の使の来るのを待つしかない女心の切なさが素敵に詠われています。
歌の前半で男が声をかけてくれた時の喜びを詠って大船に乗っているかのように頼りにしきっていた様子を表現することで、後半の不安で切ない気持ちがよりいっそう強調されていますね。
まあ、ほんとうのところはこの歌は「怨恨(うらみ)の歌」という主題で詠まれた題詠歌であるらしく、実際に坂上郎女がこのような恋をしていたわけではないようですが、それにしても男の存在をこころの拠り所にして待つしかない女性の心情がよく表現されていますよね。あるいは恋愛経験の豊富な坂上郎女だからこそ詠めた題詠といったところでしょうか。
坂上郎女は大伴家の刀自(とじ)として女性の立場から大伴家を支えた才女のイメージがありますが、その強さの根本にはこの歌に詠まれたような切ない恋を何度も繰り返してきた経験の積み重ねがあったのかも知れませんね。
巻4-0625:沖辺行き辺を行き今や妹がため我が漁れる藻臥束鮒
※大原高安(おおはらの-たかやす、?-743年)
奈良時代の官吏。天武天皇の曾孫(そうそん)。川内王の子。
はじめ高安王と称しました。和銅6年従五位下にすすみ,養老3年伊予守(いよのかみ)のとき按察使(あぜち)を兼任します。のち衛門督(かみ)。天平(てんぴょう)11年弟の桜井王らとともに大原真人(まひと)の氏姓をあたえられました。「万葉集」に歌3首がおさめられています。天平14年12月19日死去。
巻4-0659:あらかじめ人言繁しかくしあらばしゑや我が背子奥もいかにあらめ ........(藻そのものを詠んだ歌ではありません)
◎大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)が詠んだ六首の歌のうちの一首です。「まだ恋が始まったばかりなのにもうこんなに人の噂になるとは。これではあなた、この先どうなることでしょう…」との、他人に噂される恥ずかしさを詠っています。
この時代の人々にとって、現代人が思う以上に自分の名は汚してはならない大切なものでした。また、恋はまさしく「秘め事」であり、恋の浮名が立つことを非常に嫌っていたようです。
そんな大切な自分の名が恋の始まりからもう人の噂に立っているようではこれから先どうなるのか…、と噂好きの人々にうんざりしているのでしょう。
女性にとっては自分の恋の噂が立つことは嫌っても、他人の恋の噂話が楽しくて仕方がないのはいまも昔も変わらないのかも知れませんね。
巻4-0782:風高く辺には吹けども妹がため袖さへ濡れて刈れる玉藻ぞ
※紀女郎(きのいらつめ、生没年未詳)
紀朝臣鹿人の娘。名は小鹿(おしか)。安貴王の妻。万葉集巻八には「紀少鹿女郎」ともあります。小鹿(少鹿)は諱(いみな=本名)か字(あざな=通称)か不明です。
養老年間(717~724)以前に安貴王に娶られます。安貴王は養老末年頃因幡の八上采女を娶った罪で本郷に退却せしめられ、紀女郎の「怨恨歌」(万葉集巻四)はこの事件ののち夫と離別する際の歌かと言われます。天平十二年(740)の恭仁京遷都前後、家持と歌を贈答しています。遷都後早い時期に新京に仮住居を建てていることが知られ、女官だったかと推測されます。家持との関係は程なく解消されたようです。万葉集巻四・八に計十二首の歌を載せています(すべて短歌)。技巧的で妖艶、万葉後期の典型的な作風を示す歌人の一人です。
藻(も)を詠める歌5
巻3-0250:玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に船近づきぬ
◎「野島(のしま)」は淡路島の北端。場面が播磨(兵庫)へ移っているわけです。「一本(あるほん)に云はく」の異説は、人麿自身がこの歌を記録として記すときに別案で詠んだものでしょうか。
歌の内容としては、「美しい藻を刈る敏馬を離れて夏草の茂る野島の崎に舟は近づきました。」との、自身の旅の様子をそのまま表現しただけのものにも読めますが、前半の柔和な景色から後半の夏草の茂る野島へ近づいてゆく心の動揺がそこには感じられるように思います。おそらくは夏草が茂って荒れ果てた野島の地に上陸しようとする不安なこころの動揺を、歌を詠むことによって鎮めようとしたものなのでしょう。自身の姿を歌として詠うことで、人麿は自分という魂の形を現世に繋ぎとめようとしているのです。
巻3-0278:志賀の海女は藻刈り塩焼き暇なみ櫛笥の小櫛取りも見なくに
◎この歌は、石川少朗(いしかはのをといらつこ)が詠んだ一首。
「石川少朗」は左注によると「石川朝臣君子(いしかはのあそみきみこ)」のことで男性のようですね。詳細は不明です。
そんな石川君子が詠んだ一首ですが「志賀の海人のおとめは海藻を取ったり塩を焼いたりと暇がないので髪を梳く小櫛を手に取ってみることもないのだろう…」と、志賀の海人のことを詠った内容となっています。
読みようによっては田舎の海人をからかった歌とも取れて解釈が分かれている一首ですが、これはやはり髪の手入れをする暇もないほどに生業に勤しむ海人を讃えている歌と解釈したほうがよいのではないでしょうか。
同時に、旅路で見た海人のおとめに心を寄せて詠うことで、旅の不安に動揺する自身の心を鎮めようとした歌のようにも感じられます。
巻3-0293:潮干の御津の海女のくぐつ持ち玉藻刈るらむいざ行きて見む
◎角麿(つののまろ)が詠んだ四首の歌のうちのひとつです。角麿については伝不詳です。「三津(みつ)」は「御津(みつ)」で難波の港。「くぐつ」は海藻を入れる籠のこと。
そんな「潮の引いた海岸で三津の海女がくぐつを持って藻を刈っているようだ。さあ行って見よう。」との、御津の海女を詠った一首です。
ただ、この歌も単なる観光の歌ではなく、おそらくは海女が玉藻を刈る御津をたたえることでその土地の神の加護を得ようとした土地讃めの歌なのでしょう。この時代、「見る」とは誉める行為であり、「いざ行きて見む」とはそれだけ価値のあるものだとの賞讃の言葉なわけですね。
巻3-0360:潮干なば玉藻刈りつめ家の妹が浜づと乞はば何を示さむ
◎山部宿禰赤人(やまのべのすくねあかひと)が詠んだ旅の歌六首のうちのひとつです。「つと」は土産のことで、「浜(はま)づと」は海の土産です。
つまりは「潮が引いたならあの美しい玉藻を刈りなさい。家で待つ妻が海辺の土産を乞うたなら何もあげるものがないではないか。」と、奈良の都で待つ妻の土産にするために海岸の玉藻を刈ろうと詠っています。
これまでの歌では大和を詠うことでそこに残してきた妻への思いを詠っていましたが、こちらの歌でははっきりと妻への思いが詠われています。
まあ、「玉藻を土産にする」と言っていますが実際に玉藻を刈って持って帰るわけではなくて、家に残してきた妻のことを思って詠うことで妻と自身の心との結びつきを深めようとした歌の言霊の一首なわけです。
このようにして妻との結びつきを確認することで、旅先で孤独に引き込まれそうになる自身の心を現世に結び付けておこうとしたわけです。
巻3-0362:みさご居る磯廻に生ふるなのりその名は告らしてよ親は知るとも
◎山部宿禰赤人(やまのべのすくねあかひと)が詠んだ旅の歌六首のうちのひとつ。「みさご」は雎鳩(みさご)で、浜辺に棲む猛禽類。
そんな「みさごのいる磯に生える名乗藻のように、名前を教えてよ。親に知られたとしても。」との、女性に対する恋歌ですね。
この時代、女性が異性に名前を教えることは求婚に応じる意味がありました。
「親」はこの場合は娘の親で、娘を見守り監督する立場にありましたが、この歌の結句はそんな「親に知られてもかまわない」との本気の求婚であることを示しています。
巻3-0363:みさご居る荒磯に生ふるなのりそのよし名は告らせ親は知るとも
巻3-0390:軽の池の浦廻行き廻る鴨すらに玉藻の上にひとり寝なくに
※紀皇女(きのおうじょ、生没年不明)
飛鳥(あすか)時代、天武天皇の皇女です。母は石川大蕤娘(おおぬのいらつめ)。恋の歌2首が「万葉集」にのります。その1首には、高安(たかやすの)王にひそかに通じて世間から非難されたときにつくったという伝承がありますが、年代があわず多紀(たきの)皇女の誤写とする説もあります。異母兄弓削(ゆげの)皇子の「紀皇女を思(しの)ぶ」相聞歌などがのこされています。
巻3-0433:葛飾の真間の入江にうち靡く玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ
◎真間の手児奈
伝説によると、手児奈は現在の市川市真間の地に暮らしていました。その容姿がとても美しかったため、多くの男性が手児奈に恋心を抱き、それが原因で男性たちの争いがたえなかったほどでした。男性たちが醜い争いを続けるなか、手児奈は次のような感慨を抱きます。「自分の心は幾つにでも分けることができる。しかし、身体は一つしかない。もしも、自分が誰かのもとに嫁げば、ほかの人を不幸にしてしまう」。夕陽が海の下へと沈んでいくのを目にした手児奈は我が身に絶望し、海に身を投げてしまったのでした。手児奈の悲劇は遠く都にまで届き、都人はその話に涙したといいます。『万葉集』に手児奈の恋物語を題材にした歌が複数収録されていることは、その証であるといえるでしょう。
真間山弘法寺(ままさんぐぼうじ)の創建は奈良時代。寺伝によると、奈良時代の高僧・行基が手児奈の霊を弔うために創建したのがはじまりであるといわれています。鎌倉時代以降、地元の豪族・千葉氏の庇護を受けて発展。真間宿と呼ばれる門前町が形成されるほどの賑わいを見せました。
藻(も)を詠める歌4
巻2-0207: 天飛ぶや軽の道は我妹子が里にしあれば.......(長歌)
標題:柿本朝臣人麿妻死之後泣血哀慟作歌二首并短哥
標訓:柿本朝臣人麿の妻死りし後に泣(い)血(さ)ち哀慟(かなし)みて作れる歌二首并せて短歌
原文:天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不己行者 人目乎多見 真根久往者 人應知見 狭根葛 後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻 磐垣渕之 隠耳 戀管在尓 度日乃 晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之 名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之 使乃言者 梓弓 聲尓聞而(一云、聲耳聞而) 将言為便 世武為便不知尓 聲耳乎 聞而有不得者 吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴(或本、有謂之名耳聞而有不得者句)
万葉集 巻2-0207
作者:柿本人麻呂
よみ:天飛ぶや 軽の道は 吾妹児の 里にしあれば ねもころに 見まく欲(ほ)しけど 止(や)まず行かば 人目を多(おほ)み 数多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね葛(かづら) 後も逢はむと 大船の 思ひ憑(たの)みて 玉かぎる 磐(いは)垣(かき)淵(ふち)の 隠(こ)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠(くもかく)るごと 沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉(もみちは)の 過ぎて去(い)にきと 玉梓(たまずさ)の 使(つかひ)の言へば 梓(あずさ)弓(ゆみ) 音に聞きて (一は云はく、 音のみ聞きて) 言はむ術(すべ) 為(せ)むすべ知らに 音のみを 聞きてあり得(え)ねば 吾が恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 情(こころ)もありやと 吾妹子が 止(や)まず出で見し 軽の市に 吾が立ち聞けば 玉(たま)襷(たすき) 畝傍の山に 喧(な)く鳥の 声も聞こえず 玉桙の 道行く人も ひとりだに 似てし去(ゆ)かねば 術(すべ)を無み 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる (或る本に、「名のみを聞きてありえねば」といへる句あり)
意訳:空を飛ぶのか、雁の軽の路は私の愛しい貴女の住んでいた豊浦寺へ続くものと思うと、ねんごろに逢いに行きたいのですが、ひっきりなしに行くと人の目を引くし、たびたび行くと人が気づいてしまうだろう。さね葛の根が絡みあっているように後にも逢えると、大船のように思い後に逢うことを信頼していて、美しい玉となって輝く玉石の磐垣の淵に隠れるように貴女に恋しているのに、空を渡る日が暮れていくように、夜照る月が雲に隠れるように、沖の藻が浪に靡き寄せるように私に靡いた貴女は、黄葉のように過ぎて去って行った玉梓の使いが言うので、巫女が神寄せする梓弓の音のように聞いて、答えるべき言葉も為すべきことも思いもつかず、使いが言う言葉の音だけ聞いて、その内容が理解できずにいると、「貴方の恋するあの人へ千回の想いをを一回にするような悼む気持ちはありますか」と。私の愛しい貴女が儀式がある毎にたびたび出かけていって見ていた軽の市の辻に私が立ち、辻占として人の言葉を聞くと、美しい玉の襷をかけるような畝傍の山に普段は鳴き騒ぐ鳥の声も聞こえず、美しい玉の鉾を立てる道を行く人も、誰一人、鳥の行いに似て立ち去らない。貴女の行方を占う辻占も出来ずにどうしようもなく、貴女の名前を口に出して呼んで、魂を呼び戻す袖を振りました。
◎この歌は、柿本朝臣人麿の軽(かる)の地にいた妻が亡くなった際に、人麿(人麻呂)が哀しんで詠んだ挽歌です。
この長歌と、長歌に付けられた反歌が二首の非常に長い歌となっていますが、それだけに人麿がどれほどこの軽の妻の死を哀しんだことがうかがえます。
題詞には「泣血(いさ)ち」と、血の涙を流して哀しんだともありますが、けっして大げさな表現ではなかったように感じられます。
「軽(かる)」というのは現在の奈良県にある橿原神宮駅の東、剣池の南西に「法輪寺(軽寺跡)」や「応神天皇軽島豊明宮跡」などがあるので、その周辺に人々の集まる市がたっていたものと思われ、人麿の隠妻もこのあたりに住んでいたのでしょう。
歌の内容からも分かるようにこの妻はなんらかの理由で人に知られないように持つ「隠妻(こもりづま)」だったらしく、人に知られないようにと妻の家に頻繁に通わずにいた内に亡くなったしまったようですね。
そんな「亡くなった妻にもう一度逢いたいと軽の市に立ってはみたけれど、畝傍の山に鳴く鳥の声も聞こえず妻によく似た人すら通らないので、妻の名を呼んで袖を振ったことです。」と、なんとも切ない思いが切実な言葉となって詠われています。
「袖を振る」とはこの時代の術式のようなもので、「おいでおいで」と袖を振って恋しい人の魂(生者死者にかかわらず)を自分のほうに引き寄せる行為のことです。なんだか、隠妻の名を呼びながら涙を流して袖を振る人麿の姿が、目に浮かんでくるような哀しい一首です。
巻2-0220: 玉藻よし讃岐の国は国からか見れども飽かぬ.......(長歌)
標題:讃岐狭峯嶋、視石中死人、柿本朝臣人麿作歌一首并短哥
標訓:讃岐の狭岑(さみねの)島(しま)に、石(いは)の中に死(みまか)れる人を視て、柿本朝臣人麿の作れる歌一首并せて短歌
原文:玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加 幾許貴寸 天地 日月與共 満将行 神乃御面跡 次来 中乃水門従 船浮而 吾榜来者 時風 雲居尓吹尓 奥見者 跡位浪立 邊見者 白浪散動 鯨魚取 海乎恐 行船乃 梶引折而 彼此之 嶋者雖多 名細之 狭峯之嶋乃 荒磯面尓 廬作而見者 浪音乃 茂濱邊乎 敷妙乃 枕尓為而 荒床 自伏君之 家知者 往而毛将告 妻知者 来毛問益乎 玉桙之 道太尓不知 鬱把久 待加戀良武 愛伎妻等者
万葉集 巻2-0220
作者:柿本人麻呂
よみ:玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども飽かぬ 神柄か ここだ貴き 天地 日月とともに 満(た)りゆかむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来る 中の水門(みなと)ゆ 船浮けて わが漕来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波さわく 鯨魚(いさな)取り 海を恐(かしこ)み 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名くはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯(ありそ)面(も)に いほりてみれば 波の音の 繁き辺べを 敷栲の 枕になして 荒床に 自(ころ)伏(ふ)す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉桙の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは
意訳:玉のような藻も美しい讃岐の国は、お国柄か何度見ても飽きることがなく、神代の飯依比古の時代からの神柄かなんと貴いことよ。天と地と日と月と共に満ち足りていく伊予の二名の飯依比古の神の御面と云い伝えて来た。その伝え来る中の那珂の湊から船を浮かべて我々が漕ぎ来ると、時ならぬ風が雲の中から吹き付けるので、沖を見るとうねり浪が立ち、岸辺を見ると白波が騒いでいる。大きな魚を取るような広い海を恐み、航行する船の梶を引き上げて仕舞い、あちらこちらに島はたくさんあるのだけれど、名の麗しい狭岑の島の荒磯に停泊してみると、波の音の騒がしい浜辺を夜寝る寝床として荒々しい床に伏している貴方の家を知っているのなら行って告げましょう。妻がここでの貴方の様子を知っていたらここに来て荒磯に伏す理由を聞くでしょう。玉の鉾を立てる立派な道筋すら知らず、おぼろげに貴方を待って恋しく思っているでしょう。貴方の愛しい妻たちは。
◎この歌は柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)が讃岐の国の狭岑島(現在の香川県坂出市)を訪れたときに、岸の岩場に倒れていた行路死者を見て悼んで詠んだ挽歌です。
歌の前半は讃岐の国を誉める土地讃めの内容となっており、そんな讃岐の国の海を渡る途中に狭岑島に立ち寄った様子が詠われています。
その狭岑島の海岸で行き倒れの旅人の遺体を見つけたわけですが、この時代の旅は現在と違いつねに命の危険が付きまとうものでしたのでこのような旅の途中で亡くなった行路死者が多く居たようです。
まあ、必ずしも旅人とは限らず、生活に困窮した挙句に行き場をなくして倒れた者もいたのかと思いますが。
そんな無念の思いを抱いて亡くなった者たちの魂はその場にさ迷って、道ゆく者たちに災いをもたらすと恐れられていたようです。
それゆえに行路死者に出会ったものは、かならずこの歌の人麿のようにその魂を慰める挽歌を詠んで霊に語り掛け、その無念の魂を慰めて鎮めてから通りました。
この一首も、「君の家を知っていたなら行って家族に知らせてあげるのだが…」、「君の妻が知ったならきっと駆けつけて来て言葉も掛けてくれるのだろうが…」と、まさに死者の魂との会話のような歌となっています。
そこには自分自身もいつおなじように道の途上で行き倒れるかも知れないとの、おなじ旅人である心境が表れていたのかも知れません。
ウェブニュースより
藤井聡太2冠はライバル永瀬拓矢王座下す 豊島将之叡王への挑戦権に1歩 ―― 藤井聡太2冠(王位・棋聖=18)が豊島将之叡王(竜王=31)への挑戦権獲得にまた1歩近づいた。
5月31日、都内で行われた将棋の第6期叡王戦本戦トーナメント準々決勝で永瀬拓矢王座(28)を下した。午前10時から始まった対局は、先手の永瀬が攻勢を仕掛けて優位を築いたかにみえたが、チャンスを逃した後はうまく対応した藤井が午後5時23分、138手で逆転勝ちした。1回戦で行方尚史九段(47)を下した勢いに乗り、前期叡王で本戦シードの永瀬も撃破。初のベスト4入りを果たした。準決勝では、昨年の竜王戦決勝トーナメント初戦で敗れた丸山忠久九段(50)と対戦する。
https://www.youtube.com/watch?v=zD0FIYR0jgo
藤井から見た、永瀬との対戦成績は3勝1敗。特に初顔合わせとなった昨年6月4日の棋聖戦挑戦者決定戦で藤井が勝つと、同月23日の王位戦挑戦者決定戦でも勝利し、そのまま2冠獲得へと駆け上がった。今回もライバルを下した。
今年は6月6日から始まる棋聖戦5番勝負では渡辺明名人(棋王・王将=37)、同29日から始まる王位戦7番勝負では豊島の挑戦をそれぞれ受ける。防衛戦を掛け持ちしながら、当分は竜王戦決勝トーナメントと、このタイトル戦の挑戦者を決めるトーナメントにも参戦する。「熱い」季節が始まる。 [日刊スポーツ 2021年5月31日17時46分]
sechin@nethome.ne.jp です。
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