瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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ウェブニュースより
 熱海で土石流 家のみ込む轟音、住民「経験ない」 ――黒い土石流が住宅や車をのみ込みながら、猛烈な速さで流れ落ちていった。静岡県熱海市伊豆山地区で3日発生した土石流。保養地として知られる海沿いの斜面はすさまじい轟音(ごうおん)とともに土砂に埋まり、住民は「こんな経験は初めて」と声を震わせた。
 現場から約50メートルの場所で暮らす伊勢井勝さん(70)は午前1045分ごろ、強い雨が降るような音を耳にして自宅2階の窓を開けた。物置小屋が流され、駐車場の車が土砂に沈んでいくのが目に入った。スマートフォンと財布だけを持って妻と高台の知人宅へ。「ここに住んで約60年になるが初めての経験」と語った。

「ゴオオー」。伊豆山で経営する店舗にいた大東健太さん(35)も同じ頃、水が勢いよく流れてくるような低い音を聞いた。店の外に出ると、家のがれきや岩石、木々を巻き込みながら流れる黒っぽい色をした塊が目に飛び込んできた。
 店は海側にあり土石流のスピードは落ちていたが、あと約20メートル流れてくればのみ込まれていた。「おかしいと思ったときには押し寄せてきていた。一瞬の出来事で、これ以上来ないでと祈るほかなかった」
 海の近くを走る国道で交通整理をしていた男性(70)が「ゴゴゴ」という音が聞こえ振り返ると、斜面の上の方から大量の土砂がバスを押し流しながら迫ってくるのが見えた。
 男性はとっさに国道を南へ逃げた。「土砂は北側に向かって流れ、逆に走っていたら巻き込まれていた。危機一髪だった」と話した。
 付近の住宅には取り残された人も。警察官が拡声器で「1人ですか? 危険なので外に出ないで」と呼び掛けると、2階の窓から男性が大きく手を振って応じた。
 ツイッターには3日、土石流が「ガー」「バキバキ」という音を上げながら一気に押し寄せる様子を撮影した動画が投稿された。土砂は住宅を押しつぶしながら傾斜地を下り、現場から急いで避難する消防士の姿もみられた。
 土石流が発生した現場はJR熱海駅から北約1.5㌔で、相模湾に面した急勾配の斜面に住宅や企業の保養所、店舗などが立ち並ぶ。海を一望できる景勝地は土石流で一変。広いエリアが土砂に埋まり、砕かれた壁や棚などの家具が散乱した。国道など幹線道路も土砂で通行止めとなった。
 伊豆山地区で飲食店を経営する男性(62)は昼ごろに店の様子を確認するため向かったが、店周辺は土砂やがれきなどが散乱して近づけず、引き返した。
 店を構えて数十年たつが「こんな経験は初めて。新型コロナウイルスの影響で経営が厳しい中、災害まで重なり不安が強まる」と話した。
 現場から約3㌔離れた場所でレストランを経営する男性(61)は通勤ルートが土石流の影響で通れず、大回りして店にたどり着いた。「雨量はそれほど多いとは思わなかった。傾斜地だが住宅も多く、まさか土砂災害が起きるとは」と驚いていた。   (日本經濟新聞 202173 19:38


 


藤井棋聖 史上初の10代九段&最年少防衛 快挙も通過点「強くなることで今までと違う景色が見られる」 ―― 第92期 棋聖戦5番勝負 第3局 ( 202173    静岡県沼津市・沼津御用邸東付属邸第1学問所 )
 ディフェンディングチャンピオンの藤井聡太棋聖(18)=王位との2冠=が最強の挑戦者・渡辺明王将(37)=名人・棋王含む3冠=を100手で振り切り、破竹のシリーズ3連勝で棋聖位を防衛した。同時にタイトル獲得通算3期に達し、規定により九段昇段も決定。1811カ月の藤井は、この両分野で史上最年少記録を樹立した。
 短距離走者がとるクラウチング姿勢のように上半身を前傾させ、放射する鋭い視線は将棋盤を溶かす勢いだ。中終盤の壮絶なねじり合いから一歩抜け出し、最後は絵に描いたような即詰みでの勝利。「ずっと苦しいのかなと思ってました」「防衛は意識していませんでした」「九段は最高位。光栄です」という局後の藤井は落ち着いていたが、その心臓は長距離走者のごとくバクバクと激動していただろう。

 棋界を代表する2者の激突は想像を絶する取っ組み合いになった。先手・渡辺の導入で今シリーズ初の矢倉戦。周到に用意した作戦をぶつける渡辺のペースで進行し、昼食休憩前には1時間超の長考を強いられる場面もあった。しかし返す刀で午後早々に渡辺を1時間以上の長考に追い込む。複雑怪奇な終盤には渡辺の飛車切りを緩手とみて逆襲へ。AIを超越する異次元のつばぜり合い。最後は自らの飛車をただ捨てする決定打をひねり出すフィニッシュだ。
https://www.youtube.com/watch?v=-NQsHVsJVMg
 19歳の誕生日まで17日を残し、偉大な先達を全て追い抜く最年少防衛。「タイトルは防衛して初めて一人前。その結果を出せたのは良かった」と安堵(あんど)の息を吐きながら「でも一人前になった意識はないんです(笑い)。防衛に満足することなくこれからもやっていきたい」と表情を引き締める。
 タイトル3期で棋界最上段位にも上り詰めた。九段という呼称のイメージを「実績のある方ばかりで、息長く活躍している」と明かす。そして「自分もそこに加われるのはうれしい」と率直な心境を吐露。一方でタイトル数や年少記録に拘泥しない姿勢については「自分が強くなることで今まで見たことのない局面に出合える。強くなることで今までと違う景色が見られると思うので」と説明した。さらなる高みを目指すスタンスに変わりはない。
 偉業達成にも息つく暇なく、今後は豊島将之竜王(31)相手の王位戦と叡王戦が続く。「あまり喜び過ぎてはいけません」。最年少記録をことごとく塗り替えてきた藤井は、これからも未開の地を切り開いていく覚悟でいる。
 《渡辺王将 初の屈辱「飛車切り暴発だった」》渡辺にとって、序盤は完全に事前準備通りの展開。だが「いろいろあって、しばらく分からなかった。良くなった場面はあったが、具体的な手がなかった」と悔やんだ。タイトル戦通算39度目の登場で、ストレート負けを喫したのは今回が初という屈辱。「それは別に…。フルセットだろうが(敗退の)スコアには意味がないので」と潔くシリーズの完敗を認めた。
 感想戦では終盤に飛車を切った勝負手を中心に検討。ハッとするような思い切った攻撃だったが「あの飛車切りが暴発だった」「見切り発車だったのかな」と反省の弁を繰り返すばかりだった。
 《プロ棋士の段位》下位の四段から五段、六段、七段、八段、最高位の九段まである。九段に昇段するには竜王2期、名人1期、そのほかのタイトル3期のいずれかを獲得するか、八段昇段後、公式戦250勝を挙げることが条件。プロ棋士にとって段位は肩書でもある。ただしタイトル保持者は段位よりも称号が優先される。    [スポニチアネックス 202174 05:30 ]


 


初の月間MVP大谷翔平「仕切り直してもう半分頑張りたい」/一問一答 ――<エンゼルス-オリオールズ>◇2日(日本時間3日)◇エンゼルスタジアム
 エンゼルス大谷翔平投手(26)が、メジャーで初の月間MVPを獲得した。6月の打撃成績は打率3割9厘、13本塁打、23打点、4盗塁で、長打率8割8分9厘、OPS(出塁率+長打率)1.312は1位。3戦連発を2度マークした。

 また、前日は球宴の2次投票の結果が発表され、ア・リーグDH部門の1位で初のオールスターとスタメン出場を決めた。「2番DH」で出場するオリオールズ戦前、大谷はオンラインで取材に応じた。
 ―初のオールスター選出。全米での知名度も上がったと感じるか
 声援をもらうことは多くなったかなと個人的に思いますし、気分よく打席に入れるかなと思うので、そういう声援はすごくうれしいかなと思います。
 ―オ-ルスターの先発出場が決まったが、オールスター出場というのはどれくらいの位置付けだった
 チームが勝つということが一番の目標なので、それに付随して自分がいい成績を残せれば、必ず通る道なのかなとは思うので、もちろん高い目標ではあると思いますし、野球選手にとっては目指すべき場所なのかなとは思うので、すごく光栄なことだと思います。
 ―オールスターの監督、レイズのキャッシュ監督と連絡を取り合うことは
 今のところはないですね。僕が直接取るということもないと思いますし、マドン監督が取ることはあるかも分からないですけど、それはうちのチームとして方針はあると思うので、そこはもう完全に任せてます。
 ―投打の出場について、キャッシュ監督とマドン両監督は選手の判断に任せる意向。球宴のマウンドに立つにあたり障害、できないな、ということはあるか
 できないな、と思うことはないですね。ただ選出はDHの選手なので、そこで投げることは適切なのかどうかは正直、分からないですし、そういう意味で、僕から他の監督に何か言うこともないですし、もちろん、投げて欲しいと言われれば、投げるとは思いますけど、僕から何かということはないかなと思います。
 ―自分がオールスターゲームに求めたいもの、そこで探したいものは
 プレーヤーとしても必ずプラスにもなると思いますね。それは試合もそうですし、いろんな選手とコミュニケーションとって、やっぱ、トップの選手たちが集まってくるので、どういうプレーヤーなのかなっていうのも、観察できると思いますし、実際にゲームの中で、トップ選手のプレーを見る機会がたくさんあると思うので、必ず、プラスになると思ってます。
 ―オールスターに投票したことはあるか
 投票したことはないですね。見たことはもちろんありますけど。
 ―思い出に残っているオールスターゲームは
 やっぱりイチローさんが出てる試合かなとは思いますね。そこをメインに皆やっぱり見てたと思いますし、数多く映る場面が多かったので。ちょうど野球をやってて、一番楽しい時期でもありますし見てたかなと思います。
 ―イチローさんはMVPを取った。出るからには何かを目指したい
 そうですね。結果もそうですし、まずは雰囲気自体をしっかり楽しんで、プレーしたいと思います。
 ―6月の月間MVP。打撃で何が良かったか
 6月の上旬もそこまでホームランは出てなかったですし、もちろん、いい状態ではないという感じだったんですけど、徐々に、徐々に上がっていったのが後半だった、たまたまそういう月のあたりだったかなという感じではあるかなと思うので、ここからもう1回、仕切り直してシーズンの半分をしっかり頑張りたいなと思ってます。
 ―本塁打王争い。誰もが憧れるタイトルだと思うが、そこはターゲットにはならない
 ターゲットになる、ならないはないですけど、もちろん積み重ねてそうなれば一番いいと思いますし、高い目標にはしているので、ただ、まだ(本数が)20後半なので、もちろん、ホームラン王争いになってくれば、40本、50本打たないといけないですし、まだ30本にも行ってない段階なので、11本積み重ねかなと思ってます。
 ―今シーズンを迎えるにあたり特に取り組んだことは
 技術的なところよりはやっぱり左脚の使い方というか、去年は手術明けであんまり力が入っていなかったので、そこをもう1回、しっかり重点的にやろうかなと思ってやってました。   [日刊スポーツ 20217396]


 

葦を詠める歌8
15-3625:夕されば葦辺に騒き明け来れば沖になづさふ.......(長歌)
標題:古挽歌一首[并短歌]
標訓:古き挽歌一首并せて短歌
原文:由布左礼婆 安之敝尓佐和伎 安氣久礼婆 於伎尓奈都佐布 可母須良母 都麻等多具比弖 和我尾尓波 之毛奈布里曽等 之路多倍乃 波祢左之可倍弖 宇知波良比 左宿等布毛能乎 由久美都能 可敝良奴其等久 布久可是能 美延奴我其登久 安刀毛奈吉 与能比登尓之弖 和可礼尓之 伊毛我伎世弖思 奈礼其呂母 蘇弖加多思吉弖 比登里可母祢牟
       万葉集 巻15-3625
     作者:遣新羅使の丹比大夫(たじひのまえつきみ)
よみ:夕されば、葦辺(あしへ)に騒き、明け来れば、沖になづさふ、鴨(かも)すらも、妻とたぐひて、我が尾には、霜(しも)な降りそと、白栲(しろたへ)の 羽さし交()へて、うち掃(はら)ひ、さ寝とふものを、行く水の 帰らぬごとく、吹く風の、見えぬがごとく、跡(あと)もなき 世の人にして、別れにし、妹(いも)が着せてし、なれ衣 袖片(そでかた)敷きて、ひとりかも寝む

意訳:夕暮れになると葦辺で騒ぎ、明け方になると沖に漂う鴨(かも)でさえも妻といっしょにそろって、尾には霜(しも)が降らないようにと、白い羽を交わして払って寝るというのに、流れ行く水が帰ってこないように、吹く風が見えないように、はかないこの世の人として別れてしまった妻が着せてくれた、着慣れた衣をひとつだけ敷いてひとりぼっちで寝るのです。
左注:右丹比大夫悽愴亡妻歌
注訓:右は、丹比大夫の亡(みまか)りし妻を悽愴(いた)むる歌
遣新羅使の丹比大夫(たじひのまえつきみ)について、色々と調べてみましたが、よくわかりません。
15-3626:鶴が鳴き葦辺をさして飛び渡るあなたづたづしひとりさ寝れば

16-3627:朝されば妹が手にまく鏡なす御津の浜びに.......(長歌)
標題:属物發思歌一首并短歌
標訓:物に属()きて思(おもひ)を發(おこ)せる歌一首并せて短歌
原文:安佐散礼婆 伊毛我手尓麻久 可我美奈須 美津能波麻備尓 於保夫祢尓 真可治之自奴伎 可良久尓々 和多理由加武等 多太牟可布 美奴面乎左指天 之保麻知弖 美乎妣伎由氣婆 於伎敝尓波 之良奈美多可美 宇良末欲理 許藝弖和多礼婆 和伎毛故尓 安波治乃之麻波 由布左礼婆 久毛為可久里奴 左欲布氣弖 由久敝乎之良尓 安我己許呂 安可志能宇良尓 布祢等米弖 宇伎祢乎詞都追 和多都美能 於枳乎見礼婆 伊射理須流 安麻能乎等女波 小船乗 都良々尓宇家里 安香等吉能 之保美知久礼婆 安之辨尓波 多豆奈伎和多流 安左奈藝尓 布奈弖乎世牟等 船人毛 鹿子毛許恵欲妣 柔保等里能 奈豆左比由氣婆 伊敝之麻婆 久毛為尓美延奴 安我毛敝流 許己呂奈具也等 波夜久伎弖 美牟等於毛比弖 於保夫祢乎 許藝和我由氣婆 於伎都奈美 多可久多知伎奴 与曽能末尓 見都追須疑由伎 多麻能宇良尓 布祢乎等杼米弖 波麻備欲里 宇良伊蘇乎見都追 奈久古奈須 祢能未之奈可由 和多都美能 多麻伎能多麻乎 伊敝都刀尓 伊毛尓也良牟等 比里比登里 素弖尓波伊礼弖 可敝之也流 都可比奈家礼婆 毛弖礼杼毛 之留思乎奈美等 麻多於伎都流可毛
            万葉集 巻15-3627
          作者:不明
よみ:朝されば 妹が手にまく 鏡なす 御津¹の浜びに 大船に 真楫(まかぢ)しじ貫き 韓国(からくに)に 渡り行かむと 直(ただ)(むか)敏馬(みぬめ)
²をさして 潮待ちて 水脈(みを)引き行けば 沖辺(おきへ)には 白波高み 浦みより 漕ぎて渡れば 我妹子に 淡路の島³は 夕されば 雲居隠りぬ さ夜更けて ゆくへを知らに 我が心 明石の浦⁴に 舶(ふね)()めて 浮寝をしつつ わたつみの 沖辺(おきへ)を見れば 漁(いさ)りする 海人(あま)の娘子(をとめ)は 小舟乗り つららに浮けり 暁の 潮満ち来れば 葦辺には 鶴(たづ)鳴き渡る 朝なぎに 船出をせむと 船人も 水手(かこ)も声呼び にほ鳥の なづさひ行けば 家島⁵は 雲居に見えぬ 我が思へる 心なぐやと 早く来て 見むと思ひて 大船を 漕ぎ我が行けば 沖つ波 高く立ち来ぬ 外(よそ)のみに 見つつ過ぎ行き 玉の浦⁶に 船を留めて 浜びより 浦(うら)(いそ)を見つつ 泣く子なす 音のみし泣かゆ わたつみの 手巻の玉を 家づとに 妹に遣らむと 拾(ひり)ひ取り 袖には入れて 返し遣る 使(つかひ)なければ 持てれども 験(しるし)をなみと また置きつるかも


意訳:朝ともなると、あの子がいつも手に取る鏡、その鏡を見るという御津の浜辺で、大船の舷に櫂をいっぱい取り付け、遠い韓国に渡って行こうと、真向かいの敏馬を目指して、潮時を見計らい水路を乗って漕いで行くが、沖の方には白波が高く立っているので、浦伝いに漕ぎ進んで行くと、いとしい子に逢うという淡路の島は、夕方になって雲の彼方に隠れてしまった。やがて夜も深くなって行く先の目当てもつかないままに、我が心は明るいという名の明石の浦に船を停めて波の上に浮寝をしんがら、海の神の統べ給う沖の方を見やると、こんな夜更けに漁をするのか、海人娘子たちは、小舟に乗って点々と浮かんでいる。そのうちに明け方の潮が満ちてくると、葦の生えているあたりには鶴が鳴き渡って行く。この朝凪のうちに船出をしようと、船長も水手たちも掛け声を合わせて、かいつぶりのように波にもまれて行くと、心待ちにしていた家にちなみの家島は雲の彼方に見えて来た。この家恋しい心もなごみもしようかと、早く辿り着いて家島を見たいと思いながら大船をわれらが漕いで行くと、あいにく沖の波が高く立ってきて遮る。やむなく遠くから見るばかりで通り過ぎ、玉の浦に船を停めて、その浜辺から家島の浦や磯の方を見はるかしていると、家恋しさにまるで泣く子のようにおいおいと泣けてくる。せめて海の神様が腕飾りにするという玉、この浦にちなみのその得がたい玉を家づとにしてあの子に送ってやろうと、拾い取ってまずは袖に入れてはみたものの、都に帰してやる使いの者もないので、持っていても役には立たないと、また元どおりに放ったらかしてしまった。


 

葦を詠める歌7
133272:うちはへて思ひし小野は遠からぬその里人の.......(長歌)
原文:打延而 思之小野者 不遠 其里人之 標結等 聞手師日従 立良久乃 田付毛不知 居久乃 於久鴨不知 親<> <>家尚乎 草枕 客宿之如久 思空 不安物乎 嗟空 過之不得物乎 天雲之 行莫々 蘆垣乃 思乱而 乱麻乃 麻笥乎無登 吾戀流 千重乃一重母 人不令知 本名也戀牟 氣之緒尓為而
          万葉集 巻133272
         作者:不明
よみ:うちはへて 思ひし小野は 遠からぬ その里人の 標結ふと 聞きてし日より 立てらくの たづきも知らず 居らくの 奥処も知らず にきびにし 我が家すらを 草枕 旅寝のごとく 思ふそら 苦しきものを 嘆くそら 過ぐしえぬものを 天雲の ゆくらゆくらに 葦垣の 思ひ乱れて 乱れ麻の をけをなみと 我が恋ふる 千重の一重も 人知れず もとなや恋ひむ 息の緒にして

意訳:ずっと前から思っていた小野は、遠からぬ里人が標(しめ)を結んだと聞いた。そう聞いた日より私はどうしてよいか手段も浮かばず、お先真っ暗になり、居ても立ってもいられなくなった。住み慣れた我が家すら、草を枕の旅寝のごとく思われ、胸の内は苦しく、やり過ごすことが出来ない。ゆらゆら揺れる天雲のように、また葦(よし)垣のように思い乱れる日々。桶のない麻のように思い乱れ、この恋いごころも千に一つも彼女に知られることもなく、人しれずしきりに恋い焦がれるばかり、息も絶え絶えに。
左注:右二首
注訓:右二首
133279:葦垣の末かき分けて君越ゆと人にな告げそ事はたな知れ

133345:葦辺行く雁の翼を見るごとに君が帯ばしし投矢し思ほゆ
14-3445:港の葦が中なる玉小菅刈り来我が背子床の隔しに

◎当時の東国の庶民の家は、竪穴式住居で、単室でした。そこに家族が皆でいるわけで、なにかプライベートなことがあると、間仕切りが必要になってきます。寝床に間仕切りをするとなると、だいたい何をするか推察がつくでしょう。
 港の遊行女婦が宴会などで歌った、との説もあります。皆の笑いを誘い、楽しい会になるのでしょう。あるいは、葦苅り作業中の女たちの歌、とも。当時の状況、生活様式ならではの歌です。
14-3446:妹なろが使ふ川津のささら荻葦と人言語りよらしも

14-3570:葦の葉に夕霧立ちて鴨が音の寒き夕し汝をば偲はむ


 

葦を詠める歌6
12-2998:港入りの葦別け小舟障り多み今来む我れを淀むと思ふな

12-3090:葦辺行く鴨の羽音の音のみに聞きつつもとな恋ひわたるかも

133227:葦原の瑞穂の国に手向けすと天降りましけむ.......(長歌)
原文:葦原笶 水穂之國丹 手向為跡 天降座兼 五百万 千万神之 神代従 云續来在 甘南備乃 三諸山者 春去者 春霞立 秋徃者 紅丹穂經 甘甞備乃 三諸乃神之 帶為 明日香之河之 水尾速 生多米難 石枕 蘿生左右二 新夜乃 好去通牟 事計 夢尓令見社 劔刀 齋祭 神二師座者
           万葉集 巻133227
         作者:不明
よみ:葦原(あしはら)の、瑞穂(みずほ)の国に、手向(たむ)けすと、天降(あも)りましけむ、五百万(いほよろづ)、千万神(ちよろづかみ)の、神代(かむよ)より、言ひ継()ぎ来(きた)る、神なびの、みもろの山は、春されば、春霞(はるかすみ)立つ、秋行けば、紅(くれなゐ)にほふ、神なびの、みもろの神の、帯()ばせる、明日香(あすか)の川の 水脈(みを)早み、生()しためかたき、石枕(いしまくら)、苔(こけ)()すまでに、新夜(あらたよ)の、幸(さき)く通(かよ)はむ 事計(ことはか)り、夢(いめ)に見せこそ、剣太刀(つるぎたち)、斎(いは)ひ祭(まつ)れる、神にしませば

意訳:瑞穂の国に捧げものをしようと、天から降りてらした多くの神々の神代から言い伝えられてきた、神なびのみもろの山は、春になると春霞が立ち、秋になると紅葉が美しくなります。
 みもろの山のそばを流れている明日香川の水の流れが速くてなかなか苔(こけ)が生えない、その川の石枕に苔(こけ)が生える時まで長くすこやかに通えるようにお計らいください。夢でお見せください。大切にお祭りしてきた神々ですから。
「葦原の」は「瑞穂の国」を導く枕詞(まくらことば)です。「瑞穂の国」は「瑞々(みずみず)しい稲穂の国」の意味で日本のことを表しています。
 「神なびのみもろの山」がどこかということについては、雷丘(いかづちのおか)だという説を含めて、いくつかの説があるそうです。
 「剣太刀(つるぎたち)」は「斎(いは)ひ」を導く枕詞(まくらことば)です。
133253:葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国.......(長歌)
標題:柿本朝臣人麻呂歌集歌曰
標訓:柿本の朝臣人麻呂の歌集の歌に曰く
原文:葦原 水穂國者 神在随 事擧不為國 雖然 辞擧叙吾為 言幸 真福座跡 恙無 福座者 荒礒浪 有毛見登 百重波 千重浪尓敷 言上為吾 <[言上為吾]>
          万葉集 巻133253
        作者:柿本人麻呂(柿本人麻呂歌集)
よみ:葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 しかれども 言挙げぞ我がする 言幸く ま幸くませと 障みなく 幸くいまさば 荒礒波 ありても見むと 百重波 千重波しきに 言挙げす我れは <[言挙げす我れは]>

意訳:葦原(あしはら)の瑞穂の国は神の国柄として言葉に出して言いつのらないのですが、私は申し上げます。言葉に出してご無事でと。ご無事でいらっしゃいませと。何事もなくご無事でいらっしゃって、変わらぬ今の姿のままお逢いしとうございます。荒磯に寄せる百重波千重波のように幾度もご無事であれと言葉に出して申し上げます。[申し上げます]
左注:右五首
注訓:右五首


ウェブニュースより
 藤井聡太王位、完敗でタイトル戦連勝6でストップ「第2局以降は熱戦に」 ―― 将棋の最年少タイトルホルダー、藤井聡太王位(棋聖=18)が豊島将之竜王(叡王=31)の挑戦を受ける、第62期王位戦7番勝負第1局が6月2930の両日、名古屋市の名古屋能楽堂で行われ、104手で後手の豊島が先勝した。黒星スタートの藤井は、先に開幕した棋聖戦とのダブル防衛を目指す。第2局は71314日に北海道旭川市で行われる。

 終盤、若き王位が何度もうなだれた。1日目が終了した時点ではほぼ互角。互いに1歩も引かず、端を攻め合う強気な応酬が繰り広げられたが、2日目に抜け出したのは豊島だった。緻密な読みで完全にペースを握り、正確な指し回しでリードを広げる。藤井は相手の緩みのない攻めにジリジリと追い詰められ、持ち前の終盤力を封じ込められた。
https://www.youtube.com/watch?v=DvAFe0XIOz0
 終局後、2日目の攻防について藤井は「正確に攻められて、かなり苦しくなってしまった。玉(の守り)が薄いので、粘り方が難しかった」と完敗を認めた。
 これで豊島との公式戦の対戦成績は1勝7敗。タイトル戦通算成績は9勝2敗となり、連勝は6で止まった。ともに愛知県出身で、ほぼ一回り年上の先輩が大きな壁として立ちはだかる。
 7月25日に始まる叡王戦5番勝負では、豊島に挑戦することが決まっている。2つのタイトル戦で最大12局を指す「真夏の12番勝負」は完敗スタートとなったが、「本局は早い時間の終局になってしまったので、第2局以降は熱戦にできるように頑張ります」。まだ先は長い。    [日刊スポーツ 20216301928]


 

葦を詠める歌5
11-2468:港葦に交じれる草のしり草の人皆知りぬ我が下思ひは

11-2565:花ぐはし葦垣越しにただ一目相見し子ゆゑ千たび嘆きつ

11-2576:人間守り葦垣越しに我妹子を相見しからに言ぞさだ多き

11-2651:難波人葦火焚く屋の煤してあれどおのが妻こそ常めづらしき

11-2745:港入りの葦別け小舟障り多み我が思ふ君に逢はぬころかも

11-2748:大船に葦荷刈り積みしみみにも妹は心に乗りにけるかも

11-2762:葦垣の中の和草にこやかに我れと笑まして人に知らゆな

11-2833:葦鴨のすだく池水溢るともまけ溝の辺に我れ越えめやも

 


ウェブニュースより
 橋本会長もコーツ氏もルール破り 範示さぬ「五輪大物」ら、ハグする幹部も ―― 東京五輪・パラリンピックの選手・関係者らの行動ルールを定めた「プレーブック」。新型コロナウイルス感染対策のため、ハグの禁止や社会的距離の確保などを列挙しているが、先週、橋本聖子会長ら大会組織委員会のメンバーや国際オリンピック委員会(IOC)の幹部らがルールをおろそかにする場面を東京都内で目撃した。「大物」だからといって、守らなくていいわけはない。選手や観客にルール順守を求めるなら、まず自分たちが範を示すべきだ。(原田遼)
 23日午後1時半、有明体操競技場(東京都江東区)の1階通用口にワゴン車2台が寄せられた。視察に訪れたIOCのコーツ調整委員長、ギラディ調整副委員長、デュビ五輪統括部長の3人が車内から出てくると、橋本会長ら数人の組織委幹部らが肘タッチで出迎えた。
 それだけにとどまらず、ギラディ氏は顔なじみの職員を見つけると、がっちりハグを交わした。とがめる人は誰もいなかった。
 3人は来日して約1週間。特例で用務先での活動のみ許されるが、2週間の隔離を求められている身だ。全員がマスクを着用しているとはいえ、こんなに接触しては何のための隔離期間なのか分からない。
 視察の模様は代表撮影方式だったため、ハグの瞬間の写真はない。しかし私は、報道陣の待機場所となっていた2階踊り場から真下を見下ろして目撃したので、間違いない。
 その後、一行はわれわれのいる踊り場まで来て、そこでも橋本氏とコーツ氏は肩を寄せ合って談笑していた。一行はカメラマンがいる会場内に入ると、距離を空けて座り、イヤホンとマイクを使って会話をした。

 プレーブックは「選手向け」「オリンピック・ファミリー(IOC委員ら)向け」「メディア向け」などに分かれ、国内外で公表されている。そこには共通して「マスク着用の義務」「公共交通機関の利用禁止」などとともに、「ハグや握手などの物理的な接触を避ける」「人との距離は少なくとも1メートルを確保する」などとイラスト入りで紹介している。

 私は25日の定例会見で「違反行為ではなかったか」と質問すると、橋本氏は「マイク、イヤホンの状況がよくなかったので、近くで聞いてしまった。離れなければいけなかった。(選手らに)お願いする以上、主催者がより徹底した行動管理をしないといけない」と釈明した。肘タッチや同僚がしていたハグは「したかどうか分からない」と言葉を濁した。
 「それくらい、いいのでは」という意見はあるかもしれないが、厳しいルールを作ったのは当人たちだ。組織委は「違反した場合は資格停止などの措置を取る」とするが、ルールをおろそかにする主催者がどうして処罰をできるだろうか。
 この日の会見でもいつも通り「安全、安心」という言葉を繰り返したが、その前にプレーブックの熟読と順守が必要だろう。    (東京新聞 2021629 0600分)

 双子パンダ、2頭とも健康で体重増加中 シンシンが赤ちゃん気遣う様子も ――東京・上野動物園は29日、23日に誕生したジャイアントパンダの双子について「2頭とも健康状態は良好で、体重が増加し始めた」と発表した。性別はまだ不明。母親のシンシン(雌、15歳)も、問題なく子どもの世話をしているという。29日に公開された最新の動画では、シンシンがえさを食べながらも、右腕でだっこした赤ちゃんをしきりに気遣う様子もみられる。

 同園はシンシンが1頭の世話をしている間、もう1頭は保育器で飼育管理。1日おきに入れ替えている。子どもたちは母親に抱かれているときは乳房から、保育器ではシンシンから搾乳した母乳を獣医師から与えられて飲んでいる。ともに健康状態は良好で、26日ごろから体重が増加し始めたという。同園は個体の間違いを防ぐため、出産後に取り上げて保育器に移した子ども1の背中に印をつけた。
 子ども125日時点で体重116グラムだったが、28日には体重134グラム、体長15.0センチに。出産後にシンシンがずっと抱いていた子ども225日の体重131グラムから、28日には体重166グラム、体長17.0センチと、ともにスクスク成長している。
 シンシンは食欲も少しずつ戻っている。25日朝に出産後初のえさとしてタケノコ3本食べて以降、タケノコの量を徐々に増やしている。25日午後には、初めて葉を食べた。現在は園内で採取された新鮮なヤダケやクマザサ、トウチクなどの葉が与えられている。産室内で過ごしており「出産による疲労が見受けられるが、健康状態に特に問題はありません」という。    [日刊スポーツ 20216291735]


 

葦を詠める歌4
巻9-1804:父母が成しのまにまに箸向ふ弟の命は.......(長歌)
標題:哀弟死去作歌一首并短歌
標訓:弟の死去(みまか)れるを哀(かな)しびて作れる謌一首并せて短謌
原文:父母賀 成乃任尓 箸向 弟乃命者 朝露乃 銷易杵壽 神之共 荒競不勝而 葦原乃 水穂之國尓 家無哉 又還不来 遠津國 黄泉乃界丹 蔓都多乃 各各向々 天雲乃 別石徃者 闇夜成 思迷匍匐 所射十六乃 意矣痛 葦垣之 思乱而 春鳥能 啼耳鳴乍 味澤相 宵晝不云 蜻蜒火之 心所燎管 悲悽別焉
             万葉集 巻9-1804
           作者:田辺福麻呂
よみ:父母が 成()しのまにまに 箸(はし)(むか)ふ 弟(おと)の命(みこと)は 朝露の 消()やすき命(いのち) 神の共(むた) 争ひかねて 葦原の 瑞穂の国に 家なみか また帰り来ぬ 遠つ国 黄泉(よみ)の境(さかひ)に 延()ふ蔦(つた)の おのが向き向き 天雲の 別れし行()けば 闇夜(やみよ)なす 思ひ惑(まと)はひ 射()ゆ鹿(しし)の 心(こころ)を痛み 葦垣の 思ひ乱れて 春鳥の 哭()のみ泣()きつつ あぢさはふ 夜昼(よるひる)知らず かぎろひの 心(こころ)()えつつ 悲しび別る

意訳:父さん母さんが生んで下さった順序のままに、箸のように揃って育ったたいせつな私の弟は、消えやすい朝露のようにはかない寿命で、神の思し召しに背くこともできなくて、この葦原の瑞穂の国に我が家がないとでも思うのか、息閉じたまま二度と帰って来ない。遠い遠い黄泉の地に、勝手に顔を向けて、天雲のように別れて行くというものだから、残される私は闇夜に紛れるように途方に暮れ、悲しみに心が痛むままに、あれこれ取り乱し、春鳥のように声張りあげて泣いたりもし、夜と昼のけじめもわからないほど狂おしい心をたぎらせてたりもし、途方もない悲しみに暮れながら野辺の送りに別れを告げるのだ。
左注:右七首田邊福麻呂之歌集出
注訓:右の七首は田邊福麻呂の歌集に出でたり。
10-2134:葦辺なる荻の葉さやぎ秋風の吹き来るなへに雁鳴き渡る

10-2135:おしてる難波堀江の葦辺には雁寝たるかも霜の降らくに

 


ウェブニュースより
 香港紙元主筆、渡英直前に逮捕 国家安全法違反容疑 ―― 香港警察は27日夜、24日付で廃刊した香港紙・蘋果日報(アップル・デイリー)の元主筆の一人、馮偉光氏を香港国家安全維持法違反容疑で逮捕した。馮氏は英国に渡るため、香港国際空港にいるところを逮捕された。主要な香港メディアが報じた。

 馮氏は「盧峯」のペンネームで社説執筆を担当していた。英文版アップル・デイリーの執行編集長も務めていた。外国勢力と結託して、国家安全に危害を加えた疑いが持たれている。社説の内容が問題視された可能性がある。
 同紙をめぐっては今月、発行会社の張剣虹・最高経営責任者(CEO)や羅偉光・編集長、関連法人3社が国家安全法違反罪で起訴された。当局から法人の資産を凍結されたため、運営が立ちゆかなくなり、24日付で廃刊に追い込まれた。すでに別の主筆も逮捕されており、逮捕者はこの2週間足らずで7人になった。   【日本經濟新聞 2021628 10:04

 藤井聡太王位、29日から防衛戦 「盤上に集中する」 ―― 藤井聡太王位(18)=棋聖と合わせ二冠=に豊島将之竜王(31)=叡王と合わせ二冠=が挑戦する将棋の第62期王位戦七番勝負(新聞三社連合主催)が29日、名古屋市で開幕する。藤井王位は進行中の第92期棋聖戦に続き、二つ目のタイトル防衛戦に臨む。

 藤井王位は昨年の棋聖戦五番勝負で、当時棋聖の渡辺明名人(37=棋王・王将と合わせ三冠=を3勝1敗で破り、史上最年少で初タイトルを獲得。続いて王位戦七番勝負で木村一基九段(48)から4連勝で王位を奪い、二冠に。タイトル通算2期獲得で八段に昇段した。今年、棋聖か王位のいずれかを防衛するか、新たなタイトルを獲得すれば、タイトル通算3期獲得となり、最年少で九段に昇段する。渡辺名人の挑戦を受けている棋聖戦五番勝負では、開幕から2連勝し、初防衛にあと1勝と迫っている。
 王位戦の挑戦者の豊島竜王は、藤井王位がこれまで公式戦で1勝6敗と最も負けている相手。7月に始まる叡王戦五番勝負では、藤井王位が豊島竜王に挑むことが決まっており、棋界トップ2人の勝負としても注目される。
 藤井王位と豊島竜王は28日、それぞれ記者会見に臨んだ。藤井王位は「過去の対戦成績で大きく負け越している、非常に手ごわい相手だが、そういうことを考えずに盤上に集中する気持ちで戦いたい」。豊島竜王は「藤井さんは特別な才能を持った方。若くてどんどん強くなられている。なんとかいい勝負ができるように頑張りたい」と話した。
 王位戦七番勝負は持ち時間が各8時間の2日制。第1局は名古屋市中区の名古屋能楽堂で29日午前9時に始まり、夕方に封じ手を行う。30日午前9時に再開し、同日夜に決着する見込み。    (朝日新聞DIGITAL 2021628 1849分)


 

葦を詠める歌3
巻6-0961:湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く

◎大伴旅人は神亀5年(728)から天平2年(730)の大宰府の長官としての在任中に妻大伴郎女を亡くしますが、その悲しみを次田の湯の原に鳴く鶴の姿に重ねて詠んだものです。

 次田は現在の二日市温泉で、柳並木の温泉街の真ん中あたりに歌碑があります。
巻6-1062:やすみしし我が大君のあり通ふ難波の宮は.......(長歌)
標題:難波宮作謌一首并短謌
標訓:難波宮にして作れる謌一首并せて短謌
原文:安見知之 吾大王乃 在通 名庭乃宮者 不知魚取 海片就而 玉拾 濱邊乎近見 朝羽振 浪之聲 夕薙丹 櫂合之聲所聆 暁之 寐覺尓聞者 海石之 塩干乃共 納渚尓波 千鳥妻呼 葭部尓波 鶴鳴動 視人乃 語丹為者 聞人之 視巻欲為 御食向 味原宮者 雖見不飽香聞 (参は足+参の当字)
           万葉集 巻6-1062
         作者:田辺福麻呂
よみ:やすみしし 我が大君(おほきみ)の あり通ふ 難波の宮は 鯨魚(いさな)取り 海(うみ)片付きて 玉(たま)(ひり)ふ 浜辺を近み 朝羽(あさは)振る 波の音(おと)騒ぎ 夕なぎに 楫の音(おん)聞こゆ 暁(あかとき)の 寝覚(ねざめ)に聞けば 海石(いくり)の 潮干(しほひ)の共(むた) 浦洲(うらす)には 千鳥妻呼び 葦辺(あしへ)には 鶴(たづ)が音()(とよ)む 見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲()りする 御食(みけ)(むか)ふ 味原(あぢふ)の宮は 見れど飽かぬかも

意訳:安らかに天下を支配されるわれらの大君の、いつもお通いになる難波の宮は、海に接していて玉を拾う浜辺が近いので、朝に揺れ立つ波がざわめき、夕なぎに舟を漕ぐ櫓の音が聞こえる。明け方の寝覚めに耳を澄ませると、暗礁のあたりまで引き潮になるにつれて、浜の洲では千鳥が妻を呼び求めて鳴き、葦辺には鶴が鳴き立てている。見る人が語りぐさにすると、聞く人もぜひ見たいと思うこの味経の宮は、見ても見ても見飽きることがない。
左注:右廿一首田邊福麻呂之歌集中出也
注訓:右の二十一首は、田邊福麻呂の歌集の中に出でたり
※田邊福麻呂(たなべ/たのべ の さきまろ、生没年不詳)
 奈良時代の下級官人です。万葉歌人。姓は史(ふひと)です。
 田辺氏(田辺史)は百済系渡来氏族で、西文氏のもとで文筆・記録の職掌についた史部の一族と想定されます。
 天平20年(748年)、造酒司の令史のとき、橘諸兄の使者として越中守・大伴家持のもとを訪れ、ここに新しき歌を作り、幷せて便ち古詠を誦(よ)み、各(おのもおのも)心緒(おもひ)を延ぶ」とあります。また、越中掾の久米広縄の館でも饗宴を受け、歌を詠んだともあります。福麻呂の和歌作品は『万葉集』に44首が収められています。巻18に短歌13首があり、巻6・巻9にある長歌10首とその反歌21首は「田辺福麻呂の歌集に出づ」とあります。それらの歌は用字・作風などから福麻呂の作と見られています。
巻6-1064:潮干れば葦辺に騒く白鶴の妻呼ぶ声は宮もとどろに

巻7-1288:港の葦の末葉を誰れか手折りし我が背子が振る手を見むと我れぞ手折りし

巻7-1324:葦の根のねもころ思ひて結びてし玉の緒といはば人解かめやも




 

葦を詠める歌2
巻3-0352:葦辺には鶴がね鳴きて港風寒く吹くらむ津乎の崎はも

若湯座王(わかゆえのおおきみ、生没年未詳)
 伝不詳。万葉集巻三に一首掲載。巻三の排列からすると、天平初年頃生存か。
◎「津乎の崎」は所在未詳。難波津付近、琵琶湖沿岸などの説があります。かつて旅した地を思い出しての詠でしょう。

巻4-0617:葦辺より満ち来る潮のいや増しに思へか君が忘れかねつる

※山口女王(やまぐちのおおきみ、生没年未詳)
 伝不詳。万葉集巻四に五首、巻八に一首、大伴家持に贈った歌があります。勅撰集では新古今集に二首、続後撰集に一首、玉葉集に一首入集しています。
巻6-0919:若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る

巻6-0928:おしてる難波の国は葦垣の古りにし里と人皆の.......(長歌)
標題:冬十月幸于難波宮時笠朝臣金村作歌一首[并短歌]
標訓:冬十月、難波(なには)の宮に幸しし時に、笠朝臣金村の作れる歌一首并せて短歌
原文:忍照 難波乃國者 葦垣乃 古郷跡 人皆之 念息而 都礼母無 有之間尓 續麻成 長柄之宮尓 真木柱 太高敷而 食國乎 治賜者 奥鳥 味經乃原尓 物部乃 八十伴雄者 廬為而 都成有 旅者安礼十方
            万葉集 巻6-0928
          作者:笠朝臣金村
よみ:押(お)し照(て)る 難波の国は 葦垣(あしかき)の 古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の 思(おも)ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に積麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥 味経(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の緒(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)なしたり 旅にはあれども

意訳:一面に日が輝く難波の国は、葦垣が枯れたような古い都と人々が皆忘れてしまって、見向きもしなかったが、積んだ麻糸のように長い長柄の宮に、立派な柱を太く高く天皇が君臨なさりご領地をお治めになると、沖を飛ぶ鳥の味経の原に、もののふのたくさんの廷臣たちは仮の宿りを作ってさながら京のように作り上げたことだ。旅ではあるのだけれど
※笠金村(かさのかなむら、生没年不詳)
 奈良時代の歌人です。微官であったらしく経歴も不明です。『万葉集』によってのみ知られ、霊亀1~天平5(715733)年までの作歌が明らかです。長歌11首、短歌34(「笠朝臣金村歌集に出づ」などとして掲げられる作を含む)が残り、元正・聖武天皇の行幸に供奉したときの歌が半数を占めます。同様に宮廷を中心として活躍した車持千年、山部赤人と並ぶ際には、その作が先に配されるところから、あるいは両者より重きをなしていたかともみられます。霊亀1(2年説も)の施基(志貴)親王のための挽歌は、対話による劇的な構成をとり、異色ある風をのぞかせていますが、行幸従駕歌は、おおむね平板で独創味に乏しい。ただし、その行幸従駕歌は、当時の宮廷人一般の享楽的な態度と嗜好を敏感に反映しており、総じて、『万葉集』において宮廷的な風雅をいちはやく体現した歌人として位置づけられましょう。

ウェブニュースより
 藤井聡太2冠が豊島叡王への挑戦権獲得、3冠かけ最大12番の頂上対決 ―― 藤井聡太2冠(棋聖・王位=18)が豊島将之叡王(竜王=31)への挑戦権を獲得した。26日午前10時から都内で始まった将棋の第6期叡王戦挑戦者決定戦で、斎藤慎太郎八段(28)を午後52分、114手で下した。

 藤井は叡王戦初登場。豊島の挑戦を受けて、掛け持ちとなる王位戦7番勝負とは立場が入れ替わる。注目の5番勝負第1局は725日、東京都千代田区「江戸総鎮守神田明神」で開幕する。
          ◇   ◇   ◇
 藤井が斎藤の先制攻撃をうまくいなして、かわしたかと思うとガッチリ受け止める。攻め手が緩んだ瞬間を見逃さず、反撃に転じる。あとはリードを広げる一方。5月まで名人戦7番勝負に挑戦していた斎藤を投了に追い込み、叡王戦初登場を決めた。「序盤に軽率なところがあった。うまく攻め込まれて苦しい時間が長い将棋だった」と冷静に振り返った。
https://www.youtube.com/watch?v=JKNEAOt5XNM
 叡王戦は相性が良くなかった。17年は本戦入りしたが、深浦康市九段に大逆転負けした。翌18年も斎藤に本戦初戦で敗れている。19年は七段予選の初戦で村山慈明に黒星を喫した。タイトル保持者として臨んだ今期、長沼洋、師匠の杉本昌隆、広瀬章人を下して八段予選を突破。16人による本戦でも行方尚史九段、永瀬拓矢王座、丸山忠久九段、斎藤とタイトル戦登場経験のある先輩棋士を撃破して、挑戦権を得た。
 現在、渡辺明名人の挑戦を受ける棋聖戦5番勝負は連勝し、防衛まであと1勝としている。来週29日からは豊島の挑戦を受ける王位戦7番勝負が始まる。それに掛け持ちで叡王戦5番勝負が加わった。
 豊島との対戦成績は、1勝6敗と分が悪い。デビュー1年目の17年8月、棋王戦挑戦者決定トーナメントで敗れて以来、昨年10月の王将戦挑戦者決定リーグ戦まで6連敗だった。今年1月の朝日杯準々決勝でようやく初勝利を挙げた。「かなり手ごわい相手。こちらも頑張って盛り上げられるようにしたい」と話す。
 1年前、史上最年少で初タイトルとなる棋聖を獲得した3日後に18歳となった。誕生日前日会見で、「強くなりたい」と抱負を語った。たくわえた力を試すにはまたとない相手。王位戦も合わせた最大12番にも及ぶ頂上対決で、今後の将棋界の勢力分布図が明らかになる。    [日刊スポーツ 20216262011]


 

(あし/よし)を詠める歌1
 池や沼などに生えるイネ科の多年草です。かなり大きくなり、3メートル近くまでにもなります。茎は硬く、中空で節があります。
 葦(あし)という呼び名は、「悪()し」を思い起こさせるので、後にヨシ(良し)に変えられました。植物分類学では「ヨシ」を標準和名としているそうです。
 万葉集には50首ほどに登場します。雁や、港などといっしょに詠まれた歌も多いようです。

1-0064:葦辺行く鴨の羽交ひに霜降りて寒き夕は大和し思ほゆ

◎この歌は文武天皇が難波宮に行幸された時に従駕した志貴皇子(しきのみこ)が詠んだ一首です。志貴皇子は天智天皇の皇子でしたが、壬申の乱のときにはまだ幼かったために命を奪われずにすみました。
 難波宮は現在の大阪市中央区にあり孝徳天皇のころに京のあった場所です。志貴皇子たちが訪れたこの時期にはすでに京は大和の明日香を経て藤原京に遷っており、難波宮の宮室も686年の火災で全焼したあとでしたがかつての宮としての機能そのものはまだ残っていたのでしょうね。そんな難波宮での寒き夕べに大和を思い出して詠まれた一首ですが、この歌も大和の土地そのものというよりはそこに残してきた妻を想っての歌のように思えます。遠き難波の地での夕刻に、心も身体も凍えて消えてしまいそうな不安を大和の妻を一心に想うことで鎮めようとしたのでしょう。
巻2-0128:我が聞きし耳によく似る葦の末の足ひく我が背つとめ給ぶべし

◎『万葉集』の歌人。集中、石川郎女(女郎)と表記される人物が多く、それぞれ同一かどうか古来論議の的となってきましたが、
(1)天智(てんじ)朝(661671)に久米禅師(くめのぜんじ)と贈答した人、
(2)持統(じとう)朝(686697)に大津(おおつ)皇子、草壁皇子と贈答した人、
(3)文武(もんむ)朝(697707)に大伴田主(おおとものたぬし)、大伴宿奈麻呂(すくなまろ)と贈答した人、
の3人に分ける説が穏当でしょう。(1)には恋の掛け合いの巧みさがみられ、(2)には政治的な抗争を背景とする両皇子への恋物語的な興味が寄せられ、(3)には歌のやりとり自体の社交的なおもしろみが込められています。(1)(2)(3)はそれぞれの時代の恋歌表現の典型を示しているとみられます。
※大伴田主(おおとものたぬし、生没年不詳)
 奈良時代の歌人。大伴安麻呂(やすまろ)・巨勢郎女(こせの-いらつめ)の子です。大伴旅人(たびと)の弟になります。「万葉集」巻2に「容姿佳艶(かえん)にして風流秀絶なり」とあり、石川郎女との贈答歌が1首のこされています。字(あざな)は仲()(ちゅうろう)とあります。
巻2-0167:天地の初めの時ひさかたの天の河原に.......(長歌)
標題:日並皇子尊殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首[并短歌]
標訓:日並皇子尊(ひなめしのみこのみこと)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麿の作れる歌一首并せて短歌
原文:天地之 <初時> 久堅之 天河原尓 八百萬 千萬神之 神集 々座而 神分 々之時尓 天照 日女之命 [一云 指上 日女之命] 天乎婆 所知食登 葦原乃 水穂之國乎 天地之 依相之極 所知行 神之命等 天雲之 八重掻別而 [一云 天雲之 八重雲別而] 神下 座奉之 高照 日之皇子波 飛鳥之 浄之宮尓 神随 太布座而 天皇之 敷座國等 天原 石門乎開 神上 々座奴 [一云 神登 座尓之可婆] 吾王 皇子之命乃 天下 所知食世者 春花之 貴在等 望月乃 満波之計武跡 天下 [一云 食國] 四方之人乃 大船之 思憑而 天水 仰而待尓 何方尓 御念食可 由縁母無 真弓乃岡尓 宮柱 太布座 御在香乎 高知座而 明言尓 御言不御問 日月之 數多成塗 其故 皇子之宮人 行方不知毛 [一云 刺竹之 皇子宮人 歸邊不知尓為]
          万葉集 巻2-0167
        作者:柿本人麻呂
よみ:天地の 初めの時 ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひいまして 神分り 分りし時に 天照らす 日女の命 [一云 さしのぼる 日女の命] 天をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の 寄り合ひの極み 知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき別きて [一云 天雲の八重雲別きて] 神下し いませまつりし 高照らす 日の御子は 飛ぶ鳥の 清御原の宮に 神ながら 太敷きまして すめろきの 敷きます国と 天の原 岩戸を開き 神上り 上りいましぬ [一云 神登り いましにしかば] 我が大君 皇子の命の 天の下 知らしめしせば 春花の 貴くあらむと 望月の 満しけむと 天の下 食す国 四方の人の 大船の 思ひ頼みて 天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか つれもなき 真弓の岡に 宮柱 太敷きいまし みあらかを 高知りまして 朝言に 御言問はさぬ 日月の 数多くなりぬれ そこ故に 皇子の宮人 ゆくへ知らずも [一云 さす竹の 皇子の宮人 ゆくへ知らにす]

意訳:天地創造のはじめのときに遥か彼方の天の河原に、八百万、一千万の神々がお集まりになって、神々をそれぞれの支配すべき国々に神としてお分かちになったとき、天照大神は天を支配されるというので、その下の葦原の中つ国を天地の接する果てまで統治なさる神の命として、天雲の八重に重なる雲をかき分けて神々しくお下りになった天高く輝く日の皇子は、明日香の浄御原の宮に神として御統治なさり、やがて天上を天皇のお治めになる永生の国として天の石門を開いて神としてお登りになった。その後わが大君たる皇子の尊が天下を御統治なさったなら、春の花のように貴いことだろうと、満月のようにみち足りることだろうと、天下のあちらこちらの人々がまるで大船のような大きな期待をもって、天からの慈雨を待ち仰ぐようであったのに、どうしたことか、ゆかりもない真弓の岡に宮殿の柱をりっぱにお建てになり宮殿を高々とお作りになって、毎朝の奉仕にもおことばを賜らぬ月日が多くなったことだ。そのために皇子の宮にお仕えした人々は、どうしたらよいか途方にくれているのです。
◎この歌は草壁皇子が亡くなったのを悼み柿本人麿が詠んだ長歌です。
 大津皇子謀殺の原因としてこの草壁皇子との皇位争いがあったこともあり、あまりよい印象をもたれている方は少ないかも知れません。
 しかし、これ以後紹介する草壁皇子に仕えた柿本人麿や舎人(宮殿などに出仕し仕える人々)が草壁皇子の死を悲しんで詠んだ挽歌を読んでいただければ、この皇子もまた多くの人々に慕われていたことを実感していただけるかと思います。もちろん、宮廷歌人や舎人たちが支配階級である草壁皇子の死を悼んで詠んだわけですから、多少大げさな表現になってしまうのは仕方のないことですし、歌の内容をそのまま彼らの心と解釈してしまうのも危険ですが、それでもそこから読み解ける真実の想いがあるように思います。
 生まれながらにして病弱だったために皇位争いでは不利な立場に居た草壁皇子。しかし、その人柄はやはり舎人たちの歌に詠われるように、人々に愛され慕われるものだったのではないでしょうか。


 

秋の香()を詠める歌
 万葉歌に詠まれている「秋の香()」は松茸(まつたけ)のことと考えられています。松茸(まつたけ)は、キシメジ科のキノコで、日本原産といわれています。日本では、古代から秋の香りをたのしめるキノコとして親しまれてきました。万葉集には1首だけに詠まれています。

10-2233:高松のこの峰も狭に笠立てて満ち盛りたる秋の香のよさ

◎この歌は『万葉集』で唯一「芳(か)を詠める」と題された歌です。「笠立てて」と表現されていることから、とくに山に生えたきのこの芳香を詠んだ歌とみられます。きのこ狩りを楽しんだことがある人には、実感としてご理解いただけるかもしれません。
 山に生えるきのこと言っても、その種類は豊富です。おなじみのシイタケやシメジやマイタケなどにも特有の香りがありますが、最も香り高いきのこといえばマツタケだ、という意見で一致するのではないでしょうか。
 マツタケは現代日本で特に珍重され、高値で取引されるのが秋の風物詩となっています。焼き物や土瓶蒸しとして食卓にのぼるだけでなく、食用の合成香料まであることから、その独特の香りがいかに日本人に好まれているかがわかります。
 「高松のこの峯」とは、奈良市の高円(たかまど)山を指すと考えられています。同じ用字は『万葉集』中に複数例みられるので、この歌だけが特別ではありません。しかし、「松」「笠」「香」と漢字が並べられているのを見ると、マツタケを示そうとしたのでは、と考えたくなります。

 高円山は、平城京の郊外にあたり、聖武天皇の離宮も営まれました。万葉歌では秋萩の名所というイメージがありますが、この歌ではあえて秋のきのこを詠んでいるところに面白味を感じます。

ウェブニュースより
 ワクチン接種1100万回超え 6月、政府目標達成 高齢者の半数、1回目終える ―― 政府は24日、新型コロナウイルスワクチンの接種実績に関し、6月9日や1517日に1日あたりの接種回数が政府目標の100万回を超えたと発表した。少なくとも1回目の接種を終えた65歳以上の高齢者の割合も51%と半数を超えた。

 首相官邸のホームページで24日に公表されたデータによると、6月9日と15日の接種回数は100万回、16日は103万回、17日は102万回だった。データでは14日も103万回だが、同日は月曜日で、集計の仕組み上、土日に接種した医療従事者分も含む。
 政府は接種実績の把握にワクチン接種記録システム(VRS)を使う。専用タブレットで接種券を読み取り、接種した人の氏名やワクチンの種類などを記録している。接種後1~2週間分をまとめて入力する自治体もあり、日数がたつにつれて接種回数のデータが積み増されていく傾向にある。
 河野太郎規制改革相は24日のフジテレビ番組で「これから職場接種が立ち上がると1150万回近くになる。ワクチンの供給を考えると限界に近い」と述べ、1日あたりの接種回数の上限を150万回程度とみていると明かした。
 菅義偉首相は5月28日の記者会見で1100万回体制が「6月中旬以降にはできてくる」との見通しを示していた。加藤勝信官房長官は24日の記者会見で「接種が順調に進んでいると考える」と述べた。
 ワクチン接種は4月12日に65歳以上の高齢者向けに開始し、6月21日には対象を64歳以下に広げた企業や大学での職場接種も本格的に始まった。政府は7月末までに高齢者3600万人が2回の接種を、1011月までには希望するすべての人への接種を、それぞれ終える目標を掲げる。
 職場接種は申請が殺到したため、企業からの新規の受け付けを25日午後5時で一時休止する。    【日本経済新聞 2021624 14:00 (2021624 19:15更新)


 

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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