瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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朝顔(あさがほ)を詠める歌
 万葉集に登場する「朝顔(あさがほ)」は、私たちが良く知っているあのヒルガオ科のあさがおとは違います。当時は、朝に咲くきれいな花を「朝顔(あさがほ)」と呼んだようです。桔梗(ききょう)、木槿(むくげ)などとする説がありますが、現在では、桔梗(ききょう)であるとする説が有力とされています。写真は、桔梗(ききょう)と木槿(むくげ)です。
 私たちが知っている「朝顔」は、奈良時代末期~平安時代(はっきりとはしていません)に遣唐使が持ち込んだのが最初だとされています。
 万葉集には、5首に詠まれています。

巻8‐1538:萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花

10-2104:朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけり

10-2274:臥いまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝顔の花

10-2275:言に出でて云はばゆゆしみ朝顔の穂には咲き出ぬ恋もするかも

14-3502:我が目妻人は放くれど朝顔のとしさへこごと我は離るがへ

 


ウェブニュースより
 立花隆さん死去 ジャーナリスト、評論家 ベストセラー「田中角栄研究」政治、科学など幅広く 80歳 ―― 田中角栄元首相の金脈問題を雑誌で追及して退陣に追い込むなど、戦後ジャーナリズムに大きな足跡を残した評論家、ジャーナリストの立花隆(たちばな・たかし、本名橘隆志)さんが4月30日午後1138分、急性冠症候群のため死去していたことが23日分かった。80歳。長崎市出身。葬儀は家族で「樹木葬」として行った。

 宇宙や脳死からサル学、歴史まで多彩な著作を手掛け「知の巨人」として知られた。遺族によると、糖尿病や心臓病などの持病があり、入退院を繰り返していた。新型コロナウイルスには感染していなかったという。
 197410月、田中首相を巡る資金の流れと蓄財を綿密に調べ、月刊誌「文芸春秋」に「田中角栄研究」を発表。田中金脈問題に斬り込んだ。田中内閣は2カ月後に総辞職。76年に発覚したロッキード事件でも批判を展開し、裁判の傍聴記を発表し続けた。
 「日本共産党の研究」「宇宙からの帰還」「サル学の現在」「臨死体験」「天皇と東大」など多数の著作がある。1983年に菊池寛賞、98年には司馬遼太郎賞。「脳死」で毎日出版文化賞、「武満徹・音楽創造への旅」で吉田秀和賞も受けた。(共同)    (東京新聞 2021623 1116分)

 双子!シンシン出産、上野動物園でパンダの子どもが4年ぶりに誕生 ―― 上野動物園は23日、公式サイトで、ジャイアントパンダの雌シンシン(真真=15)が2頭の子供を出産したことを報告した。同所でのパンダ誕生は、17年6月12日以来でシンシンがシャンシャン(香香)を出産して以来、4年ぶりとなる。

 2頭はそれぞれ、同日の1時3分と2時32分に生まれたと報告された。性別はまだ2頭とも不明。体重は1頭が124グラム、もう1頭は不明としている。

 シンシンは2005年7月3日、中国・臥龍保護センターで生まれ、11年に雄のリーリー(力力=15)とともに上野動物園に来た。同所では6月4日から出産のためシンシンの展示が中止されていた。

 出産前日の22日には、シンシンについて「健康状態は以前と変わらず良好です」とした上で、「食欲が5月31日ごろに通常の4分の1程度まで減少し、その後も採食量の少ない状態が続いています」「休息時間は、6月2日ごろに通常の2倍程度に増加し、その後も休息時間の多い状態が続いています。また、前肢や後肢、床、陰部を舐める行動が現れています」などと公式サイトに掲載。6月10日に乳頭が大きくなったことや、尿中の妊娠を示すホルモン代謝物が妊娠時に特徴的な値を示していることも報告されていた。
 今回の出産を受け、上野動物園の公式サイトでは「現在、職員一丸となってジャイアントパンダ母子の観察と保護に万全を尽くしています。みなさまにおかれましては、このような園の状況をご考慮いただき、パンダの状況に関する電話などでのお問合せはご遠慮くださいますようお願いいたします」と告知している。    [日刊スポーツ 2021623922]


 

綿(わた)を詠める歌
 古代日本で「綿」というと今の木綿(もめん)とは違って、くず繭(まゆ)などを煮て引き伸ばして作った綿、いわゆる真綿(まわた)とされています。なお、真綿を紡いで絹糸(紬や生糸)が作られます。
 万葉集には綿の暖かさが詠まれています。主な歌に詠まれているのは真綿(まわた)だと考えられていますが、しらぬひ筑紫の綿……は、当時九州に渡ってきたばかりの綿(茶綿:ちゃめん)ではないかとも考えられます。(否定的な意見もあります。)

巻3‐0336:しらぬひ筑紫の綿は身に付けていまだは着ねど暖けく見ゆ

※沙弥満誓(さみのまんせい、生没年不詳)
 万葉歌人。俗名笠朝臣麻呂。和銅年間美濃守として政績を賞せられ、また木曾道を開き、養老年間按察使(あぜち)として尾張・三河・信濃3国を管し、右大弁を経て、元明上皇病臥に際して出家、723(養老7)造筑紫観世音寺別当として西下、大宰帥大伴旅人らと交わり、人間味豊かな短歌7首を《万葉集》にとどめました。寺婢に子を生ませていたことが死後露顕したとのことです。
巻5‐0892: 風交り雨降る夜の雨交り雪降る夜はすべもなく寒くしあれば.......(長歌)
標題:貧窮問答歌一首[并短歌]
標訓:貧窮問答の歌一首、また短歌
原文:原文: 風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比弖 之夫可比 鼻之尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻子等波 乞々泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流
 天地者 比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓 圍居而 憂吟 可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提 短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻■(人偏にテ) 来立呼比奴 可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道
           万葉集 巻5-0892
         作者:山上憶良
よみ:風雑(まじ)り雨降る夜の雨雑(まじ)り雪降る夜は、すべもなく、寒くしあれば堅塩(かたしほ)をとりつづしろひ、糟湯酒(かすゆざけ)うちすすろひて、しはぶかひ、鼻びしびしに、しかとあらぬ、ひげ掻()き撫でて、我れをおきて人はあらじと誇ろへど、寒くしあれば麻衾(あさぶすま)引き被り、布肩衣(ぬのかたぎぬ)ありのことごと着襲(きそ)へども、寒き夜すらを、我れよりも貧しき人の父母は、飢ゑ凍ゆらむ、妻子どもは乞ふ乞ふ泣くらむ、この時はいかにしつつか、汝が世は渡る
 天地は広しといへど、我がためは狭くやなりぬる、日月は明しといへど、我がためは照りやたまはぬ、人皆か我のみやしかる、わくらばに人とはあるを、人並に我れも作るを、綿もなき、布肩衣(ぬのかたぎぬ)の海松(みる)のごと、わわけさがれる、かかふのみ肩にうち掛け伏廬(ふせいほ)の曲廬(まげいほ)の内に、直土(ひたつち)に藁(わら)解き敷きて、父母は枕の方に、妻子どもは足の方に、囲み居て憂へさまよひかまどには火気吹き立てず、甑(こしき)には蜘蛛の巣かきて、飯炊くことも忘れてぬえ鳥の、のどよひ居るに、いとのきて、短き物を端切ると、いへるがごとく、しもと取る、里長(さとおさ)が声は寝屋処(ねやど)まで、来立ち呼ばひぬ、かくばかり、すべなきものか、世間の道

意訳:風交じりの雨が降る夜の、雨交じりの雪が降る夜は、どうしようもなく寒いので、塩をかじりながら糟湯酒(かすゆざけ)をすすって、咳をしながら、鼻をぐずぐずさせて、少しばかりのヒゲをなでて、私以上の能の有る人はいないだろうと、うぬぼれてはいても、寒くて仕方ないので、麻衾(あさぶすま)をひっかぶり、あるだけの衣を着重ねしても寒い夜を私よりも貧しい人の父母は、お腹を空かせて凍えているだろうに、妻や子供たちは泣いているだろうに。
 こういう時は、あなたはどんな風に暮らしているのですか。
 天地は広いというけれど、自分には狭いものだ、陽や月は明るいというけれど、自分を照らしてはくれないものだ、みんなそうなんだろうか、自分だけがこのようなのだろうか、人並みには私も汗水流しているのに、綿も入っていないし、海藻のようにぼろぼろになった衣を肩に引っかけて壊れかかって曲った家の中に、地べたにわらをひいて父と母は枕の方に、妻や子どもは足の方に、取り囲むようにして嘆き悲しむ。かまどには火が入ることはなく、蒸し器にはクモの巣が張って、もうご飯を炊くことも忘れてしまったぬえ鳥の様にうめき声をあげていると、これ以上短くはならない物のはしっこを切るとでも言うように、鞭を持った里長(さとおさ)が、寝床にまでやってきてわめき散らす、こんなにもどうしようもないものなのか、世の中というものは。。。。。。
巻5‐0900:富人の家の子どもの着る身なみ腐し捨つらむ絹綿らはも

14-3354:伎倍人のまだら衾に綿さはだ入りなましもの妹が小床に

浜松の浜北区(旧浜北市)に伎倍という地名があり、浜北区内で詠まれた万葉集の歌は四首あります。当時、東国と呼ばれていた地域では、四首も詠まれるのは珍しいらしい。伎倍という地名は伎倍小学校などに名前に残っており、この辺は現在は貴布祢(きふね)と呼ばれているけど、伎倍から貴布祢(布という字が入っている)に変わったっぽい。また、昔は麁玉(あらたま)群という地名があったようで、あらたまの伎倍という言葉が入った句が二首あり、あらたまというのは、坂上田村麻呂ゆかりの白山神社(岩水寺)や椎ケ脇神社(浜松市天竜区)、有玉神社(浜松市東区)の天竜川の赤大蛇伝説に由来すると思われます。

ウェブニュースより
 藤井聡太2冠が87手快勝、叡王戦で初の挑決進出 丸山九段に雪辱 ―― 豊島将之叡王(竜王=31)への挑戦権を争う、将棋の第6期叡王戦本戦トーナメント準決勝、藤井聡太棋聖・王位(18)対丸山忠久九段(50)戦が22日、都内で行われた。

 午前10時に始まり、午後4時7分、87手で先手藤井が快勝。26日に同所で行われる斎藤慎太郎八段(28)との挑戦者決定戦に進出した。叡王戦での藤井の挑決進出は初めて。
 対局は、丸山の得意戦法である一手損角換わりに対し、積極的に踏み込んだ。鮮やかな指し回しでリードを広げ、丸山を投了に追い込んだ。両者は昨年7月の竜王戦決勝トーナメントで初めて対戦し、丸山が勝っている。大事な一番で雪辱した。
https://www.youtube.com/watch?v=hWGQvoG8ueE
 叡王戦は17年の第3期、18年の第4期は本戦入りしているが、初戦で姿を消している。19年の第5期は七段予選初戦で村山慈明に敗れた。
 藤井は今期、八段予選で長沼洋、師匠の杉本昌隆、広瀬章人を撃破。2期ぶりに16人による本戦(内訳は四・五段予選は各1人、・六・七段は各2人、八・九段各3人の計12人と、シードで前期ベスト4の渡辺明名人、佐々木大地五段、青嶋未来六段に、前期叡王の永瀬拓矢王座)へと勝ち上がった。こちらはは行方尚史九段、永瀬王座を倒してベスト4に勝ち上がった。
 現在、棋聖戦5番勝負で挑戦者の渡辺明名人(棋王・王将)相手に2連勝。第3局(7月3日、静岡県沼津市「沼津御用邸」)に勝てばタイトル初防衛を果たすと同時に、最年少での九段昇段となる。来週29日には王位戦7番勝負第1局(30日までの2日制として名古屋市「名古屋能楽堂」で開催)で豊島の挑戦を受ける。このほか、竜王戦の決勝トーナメント入りし、初戦で山崎隆之八段とぶつかるなど、多忙な日々が続く。
 挑決で待ち受ける斎藤は、先月まで名人戦に挑戦していた。藤井は18年の叡王戦本戦1回戦で黒星を喫している。今度こそ倒して、豊島への挑戦権を獲得するとともに、3冠を目指したい。    [日刊スポーツ 20216221629]


 

忘れ草を詠める歌
 忘れ草は、ユリ科ワスレグサ属の多年草のカンゾウです。カンゾウにはキスゲ、ノカンゾウ、ヤブカンゾウなどの種類があります。夏に1メートル程度のすらっとした茎の先に、ユリのような花を咲かせます。この花を持っていると、辛いことを忘れることができると信じられていました。

巻3-0334:忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため

巻4-0727:忘れ草我が下紐に付けたれど醜の醜草言にしありけり

11-2475:我が宿の軒にしだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず

12-3060:忘れ草我が紐に付く時となく思ひわたれば生けりともなし

12-3062:忘れ草垣もしみみに植ゑたれど醜の醜草なほ恋ひにけり

 


ウェブニュースより
 五輪貴族とスポンサー“悪目立ち”隠し 開会式観客2万人の裏 ―― やはり「上限1万人」では済まなかった。あと32日後に迫った東京五輪の開会式に限り、大会組織委員会などが観客上限「2万人」への引き上げを検討中だ。一気に上限倍増の横紙破りが許されれば「安心安全」もクソもありゃしない。

 菅政権や組織委がとことん「有観客」にこだわるのは「客がいないとコロナに負けた気がする」(首相側近)との子供じみた理由だけではない。IOCのバッハ会長ら五輪貴族やスポンサー対策というオトナの事情もありそうだ。
 20日の日本テレビの報道によると、開会式の観客数は従来▼一般チケット販売分9300人▼スポンサーなど大会関係者への販売分1万500人▼IOCや国会議員など貴賓客7300人――計2万7100人と計画。スポンサー枠がやたらと多い。
 感染対策のため、一般販売以外を縮小しても2万4000人に抑えるのが、やっと。最終的にはスポンサー枠のうちパッケージツアーの客など5000人を「一般に近い関係者」とみなし、一般販売分と合わせて再抽選。合計で1万人以内に減らし、総数で2万人以内に絞り込むという。
一般客は貴族とスポンサーの隠れみの
 一般客をふるい落とすぐらいなら「無観客」の方がよっぽど公平性を保てるが、菅政権も組織委もIOCとスポンサー「様様」。機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。

 「会場となるメインスタジアムの国立競技場のVIPルームは約1400席。VIPよりも格上で国賓らを招く『VVIPルーム』は約270席と、合わせても1700席足らず。当然、招待客の多くがあふれ、メインスタンドの特等席に陣取ることになりますが、一般客を入れない『無観客』だと彼らが悪目立ちしてしまう。ゆったり優雅に開会式を眺める姿が批判の的となれば、IOCもスポンサーもおかんむりです」(組織委関係者)
 つまり有観客開催は「木を隠すなら森の中」で、一般客は貴族とスポンサーの隠れみの。ちなみに、豪勢なVVIPルームはあくまで「仮設施設」で大会終了後は解体する予定だ。つくづく国民感情逆なでのムダな “おもてなし” 五輪である。    【日刊ゲンダイ 公開日:2021/06/21 13:50 更新日:2021/06/21 13:50


 

(よもぎ)を詠める歌
 蓬(よもぎ)はキク科の多年草です。若葉を草餅に使いますね。また、乾燥させたものはモグサとしてお灸に使われます。
 万葉集には、大伴家持(おおとものやかもち)の長歌にだけ詠まれています。

18-4116:大君の任きのまにまに取り持ちて仕ふる国の.......(長歌)
標題:國掾久米朝臣廣縄、以天平廿年、附朝集使入京、其事畢而、天平感寶元年閏五月廿七日還到本任。仍長官之舘設詩酒宴樂飲。於時主人守大伴宿祢家持作謌一首并短謌
標訓:國の掾久米朝臣廣縄、天平廿年を以ちて、朝集使(てうしふし)に附()きて京(みやこ)に入り、其の事畢(をは)りて、天平感寶元年閏五月廿七日に本任(ほんにん)に還(かへ)り到る。仍()りて長官の舘に詩酒の宴(うたげ)を設けて樂飲す。その時に主人(あるじ)守大伴宿祢家持の作れる謌一首并せて短謌
原文:於保支見能 末支能末尓々々 等里毛知氏 都可布流久尓能 年内能 許登可多祢母知 多末保許能 美知尓伊天多知 伊波祢布美 也末古衣野由支 弥夜故敝尓 末為之和我世乎 安良多末乃 等之由吉我弊理 月可佐祢 美奴日佐末祢美 故敷流曽良 夜須久之安良祢波 保止々支須 支奈久五月能 安夜女具佐 余母疑可豆良伎 左加美都伎 安蘇比奈具礼止 射水河 雪消溢而 逝水能 伊夜末思尓乃未 多豆我奈久 奈呉江能須氣能 根毛己呂尓 於母比牟須保礼 奈介伎都々 安我末河君我 許登乎波里 可敝利末可利天 夏野能 佐由里能波奈能 花咲尓 々布夫尓恵美天 阿波之多流 今日乎波自米氏 鏡奈須 可久之都祢見牟 於毛我波利世須
            万葉集 巻18-4116
          作者:大伴家持
よみ:大王(おほきみ)の 任()きのまにまに 執り持ちて 仕(つか)ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙の 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 京辺(みやこへ)に 参()ゐし吾()が背を あらたまの 年往()き還(かえ)り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば 霍公鳥(ほととぎす) 来鳴く五月(さつき)の 菖蒲草(あやめくさ) (よもぎ)(かつら)き 酒宴(さかみづき) 遊び慰()ぐれど 射水川(いづみかは) 雪消(ゆきげ)(はふ)りて 逝()く水の いや増しにのみ 鶴(たづ)が鳴く 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 我が待つ君が 事終り 帰り罷(まか)りて 夏の野の さ百合の花の 花咲(はなゑみ)に にふぶに笑()みて 会はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面(おも)変りせず

意訳:大王の任命のままに職務を執り持って仕える国の、一年間の事務を総括して、立派な鉾を立てる官道に出で立ち、岩根を踏み、山を越え、野を行き、都に参上した私の大切な貴方を、年の気が改まる、一年が行き還り、月を重ね、貴方に会えない日が多くなり、恋しいと思う身は気が休まらないので、ホトトギスが飛び来て鳴く五月の、菖蒲草や蓬を蘰として、酒宴に遊び、気持ちを慰めるのだが、射水川の雪解の水が溢れて、流れ逝く水が、一層に増していくだけで、鶴が鳴く奈呉江の菅の、その言葉のように、ねもころに、思いを結んで、嘆きながら、私が待つ貴方は、都での事が終わって、こちらに帰るために都を罷り、夏の野の美しい百合の花が花咲くように、にこやかにほほ笑んで、姿を私に会わせます、その今日を始めとして、鏡を眺めるように、このようにいつも会いましょう。面変わりをすることなく。
◎この歌は、昨日のブログと重複しています。


ウェブニュースより
 米、イランのライシ新政権と対話意欲 核合意の再建促す ―― 米国務省の報道担当者は19日、イラン大統領選でライシ司法府代表が当選したことを受け、イラン新政権との対話に意欲を示した。4月に始まったイラン核合意の再建に向けたイランとの間接交渉について「最新の協議で果たした意義のある進展を足がかりにしたい」と強調した。

 国務省は「誰が権力を握っても我々の対イラン政策は米国の利益を追求するものになる」と指摘。米国は2018年に核合意を一方的に破棄し、米国に対抗してイランも核合意の義務履行を相次いで停止した。国務省は「双方の核合意の再履行について同盟国やパートナー国と協議を続ける」とした。ライシ師は対米強硬派で知られ、バイデン政権の対話姿勢にどのように応じるのかが今後の焦点になる。
 国務省は「イラン国民は自由かつ公平な選挙プロセスを通じてリーダーを選ぶ権利を否定された」とも指摘した。イランの最高指導者ハメネイ師の影響力が強い護憲評議会が事前審査で改革派や穏健派の有力対抗馬を失格としたことに懸念を示すものだ。
 ホワイトハウスは19日、イスラエルのリブリン大統領が28日にホワイトハウスを訪れると発表した。ホワイトハウスは声明で「地域の多くの課題と機会について議論する」と説明した。イスラエルはイランを敵視しており、イラン大統領選を踏まえて今後の対応についても意見を交わすとみられる。イスラエルメディアによると、リブリン氏は7月7日に任期切れを迎える。   【日本經濟新聞 2021620 7:46


 

百合を詠める歌2
18-4086:油火の光りに見ゆる吾がかづらさ百合の花の笑まはしきかも

※秦伊美吉石竹(はたのいみきいはたけ、生没年不詳)
 系譜などは未詳。秦氏は山背国葛野郡を本拠とし、絹・綿・糸などの生産に従事する秦部・秦人部を配下に、強大な経済力を築きました。なおイミキには「伊美吉」の字も当てられ、混用が見られますが、姓氏録には天平20年忌寸を悉く伊美吉に改めさせたとあります。また759(天平宝字3)10.8には伊美吉を忌寸と改めた旨続紀に見えます(恵美押勝の美を忌字としたため)
18-4087:灯火の光りに見ゆるさ百合花ゆりも逢はむと思ひそめてき

※介内蔵伊美吉縄麻呂(すけくらのいみきなはまろ〈つなまろ/ただまろ〉、生没年未詳)
 系譜未詳です。内蔵氏は東漢(やまとのあや)氏の同族で、坂上氏などと同族といいます。もとは皇室の財物を扱った内蔵の職に携わった氏族です。
18-4088:さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ

4086番~4088番の標題にある「同月」とは、天平感寶元年(西暦749年)五月です。
18-4113:大君の遠の朝廷と任きたまふ官のまに.......(長歌)
標題:庭中花作謌一首并短謌
標訓:庭の中(うち)の花に作れる謌一首并せて短謌
原文:於保支見能 等保能美可等々 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来 安良多末能 等之能五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末於保之 夏能〃之 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流部久母安礼也
          万葉集 巻18-4113
        作者:大伴家持
よみ:大王(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 任()き給(たま)ふ 官(つかさ)のまにま み雪降る 越に下り来 あらたまの 年の五年(いつとせ) 敷栲の 手枕(たまくら)まかず 紐解かず 丸寝(まろね)をすれば いぶせみと 情(こころ)(なぐ)に なでしこを 屋戸(やと)にまをほし 夏の野し さ百合引き植ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻(はなつま)に さ百合花(ゆりはな) (ゆり)も逢はむと 慰むる 心し無くは 天離る 鄙に一日(ひとひ)も あるべくもあれや

意訳:大王の遠い役所として任命なされて、役職の務めのままに、清らかな雪が降る、越に下り来て、年の気が改まる、そのような年を五年、栲を敷く床で貴女との手枕を巻かず、夜着の紐を解かずに衣を着たままで丸寝をすると、気持ちは落ち込み、心を慰めようと、なでしこを屋敷にお呼びし、夏の野の美しい百合を移植して、その咲く花を、庭に出で立ち眺める度に、なでしこの、その花妻に、美しい百合花に、また、あとで眺めましょうと、慰める気持ちを失くして、都から離れた鄙に一日も、暮らして居られるでしょうか。
左注:同閏五月廿六日、大伴宿祢家持作
注訓:同閏五月廿六日に、大伴宿祢家持の作る
18-4115:さ百合花ゆりも逢はむと下延ふる心しなくは今日も経めやも

18-4116:大君の任きのまにまに取り持ちて.......(長歌)
標題:國掾久米朝臣廣縄、以天平廿年、附朝集使入京、其事畢而、天平感寶元年閏五月廿七日還到本任。仍長官之舘設詩酒宴樂飲。於時主人守大伴宿祢家持作謌一首并短謌
標訓:國の掾(じょう)久米朝臣廣縄、天平廿年を以ちて、朝集使(てうしふし)に附()きて京(みやこ)に入り、其の事畢(をは)りて、天平感寶元年閏五月廿七日に本任(ほんにん)に還(かへ)り到る。仍()りて長官の舘に詩酒の宴(うたげ)を設けて樂飲す。その時に主人(あるじ)守大伴宿祢家持の作れる謌一首并せて短謌
原文:於保支見能 末支能末尓々々 等里毛知氏 都可布流久尓能 年内能 許登可多祢母知 多末保許能 美知尓伊天多知 伊波祢布美 也末古衣野由支 弥夜故敝尓 末為之和我世乎 安良多末乃 等之由吉我弊理 月可佐祢 美奴日佐末祢美 故敷流曽良 夜須久之安良祢波 保止々支須 支奈久五月能 安夜女具佐 余母疑可豆良伎 左加美都伎 安蘇比奈具礼止 射水河 雪消溢而 逝水能 伊夜末思尓乃未 多豆我奈久 奈呉江能須氣能 根毛己呂尓 於母比牟須保礼 奈介伎都々 安我末河君我 許登乎波里 可敝利末可利天 夏野能 佐由里能波奈能 花咲尓 々布夫尓恵美天 阿波之多流 今日乎波自米氏 鏡奈須 可久之都祢見牟 於毛我波利世須
           万葉集 巻18-4116
         作者:大伴家持
よみ:大王(おほきみ)の 任()きのまにまに 執り持ちて 仕(つか)ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙の 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 京辺(みやこへ)に 参()ゐし吾()が背を あらたまの 年往()き還(かえ)り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば 霍公鳥(ほととぎす) 来鳴く五月(さつき)の 菖蒲草(あやめくさ) (よもぎ)(かつら)き 酒宴(さかみづき) 遊び慰()ぐれど 射水川(いづみかは) 雪消(ゆきげ)(はふ)りて 逝()く水の いや増しにのみ 鶴(たづ)が鳴く 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 我が待つ君が 事終り 帰り罷(まか)りて 夏の野の さ百合の花の 花咲(はなゑみ)に にふぶに笑()みて 会はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面(おも)変りせず

意訳:大王の任命のままに職務を執り持って仕える国の、一年間の事務を総括して、立派な鉾を立てる官道に出で立ち、岩根を踏み、山を越え、野を行き、都に参上した私の大切な貴方を、年の気が改まる、一年が行き還り、月を重ね、貴方に会えない日が多くなり、恋しいと思う身は気が休まらないので、ホトトギスが飛び来て鳴く五月の、菖蒲草や蓬を蘰として、酒宴に遊び、気持ちを慰めるのだが、射水川の雪解の水が溢れて、流れ逝く水が、一層に増していくだけで、鶴が鳴く奈呉江の菅の、その言葉のように、ねもころに、思いを結んで、嘆きながら、私が待つ貴方は、都での事が終わって、こちらに帰るために都を罷り、夏の野の美しい百合の花が花咲くように、にこやかにほほ笑んで、姿を私に会わせます、その今日を始めとして、鏡を眺めるように、このようにいつも会いましょう。面変わりをすることなく。
※久米広縄(くめの-ひろなわ、生没年不詳)
 奈良時代の官吏です。天平(てんぴょう)20(748)から3年あまり越中掾(じょう)でした。越中守大伴家持(おおともの-やかもち)らと布勢水海(ふせのみずうみ)(富山県氷見(ひみ))をたずね、内蔵縄麻呂(くらの-なわまろ)宅の宴に参加するなどして歌を詠んでいます。「万葉集」巻1819に、長歌1首、短歌8首があります。名は「ひろただ」「ひろつな」ともよみます。
20-4369:筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹ぞ昼も愛しけ


 

百合を詠める歌1
 ユリ科ユリ属の多年草の百合(ゆり)です。大きい花が風に揺れ動くことからついた名だということです。山百合、鉄砲百合、透かし百合、鹿の子百合、鬼百合、姫百合など種類が多く、万葉集歌の中での特定は難しいと言われています。
 万葉集では大伴家持(おおとものやかもち)が百合の歌を四首詠んでいますが、すべて「さ百合」と詠んでいます。ここでの「さ」は接頭語で、特定の百合をしめす言葉ではないように思われます。

巻7-1257:道の辺の草深百合の花笑みに笑みしがからに妻と言ふべしや

巻8-1500:夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ

巻8-1503:我妹子が家の垣内のさ百合花ゆりと言へるはいなと言ふに似る

※紀朝臣豊河(きのあそんとよかわ、生没年不詳)
 奈良時代の官吏、歌人です。聖武(しょうむ)天皇につかえ、天平(てんぴょう)11(739)外従五位下でした。「万葉集」巻8に歌1首があります。名は豊川とも書きます。
11-2467:道の辺の草深百合の後もと言ふ妹が命を我れ知らめやも

 


ウェブニュースより
 渡辺明名人、痛恨105手目の対応「やっていくうちに損していった」 ―― 藤井聡太棋聖(王位=18)が挑戦者の渡辺明名人(棋王・王将=37)に先勝した、将棋の第92期ヒューリック杯棋聖戦5番勝負第2局が18日、兵庫県洲本市「ホテルニューアワジ」で行われた。午前9時から始まった対局は、午後8時3分、171手に及ぶ熱戦の末、藤井が連勝してタイトル初防衛まであと1勝とした。

 連敗してあっという間にかど番に追い込まれた渡辺は、おしぼりで額をふいて首をひねった後、投了を告げた。「途中は互角くらいと思ってやっていた。先手3三歩(105手目)の対応が難しくて分からず、やっていくうちに損していった」と振り返った。

https://www.youtube.com/watch?v=IdAoH_B4SAI
 前期は連敗後に1勝返した。第3局は73日、静岡県沼津市「沼津御用邸」で行われる。「次にまずは一つ返すことを目標にやっていきたい」と絞り出すように話していた。    [日刊スポーツ 20216182046]


 

藻(も)を詠める歌18
19-4211:古にありけるわざのくすばしき事と言ひ継ぐ.......(長歌)
標題:追同處女墓謌一首并短謌
標訓:追ひて處女(をとめ)の墓(つか)の謌に同(こた)へる一首并せて短謌
原文:古尓 有家流和射乃 久須婆之伎 事跡言継 知努乎登古 宇奈比牡子乃 宇都勢美能 名乎競争等 玉剋 壽毛須底弖 相争尓 嬬問為家留嬬等之 聞者悲左 春花乃 尓太要盛而 秋葉之 尓保比尓照有 惜 身之壮尚 大夫之 語勞美 父母尓 啓別而 離家 海邊尓出立 朝暮尓 満来潮之 八隔浪尓 靡珠藻乃 節間毛 惜命乎 露霜之 過麻之尓家礼 奥墓乎 此間定而 後代之 聞継人毛 伊也遠尓 思努比尓勢餘等 黄楊小櫛 之賀左志家良之 生而靡有
          万葉集 巻19-4211
        作者:大伴家持
よみ:古(いにしへ)に ありける業(わざ)の 竒(くす)ばしき 事と言ひ継ぐ 智渟壮士(ちぬをとこ) 菟原壮士(うなひをとこ)の 現世(うつせみ)の 名を争ふと たまきはる 命(いのち)も捨てて 争ひに 嬬問(つまと)ひしける 処女(をとめ)らし 聞けば悲しさ 春花の にほえ栄えて 秋し葉し にほひに照れる 惜しき 身し盛りすら 大夫(ますらを)し 語()いたはしみ 父母に 申し別れて 家(いえ)(さか)り 海辺に出で立ち 朝夕(あさよひ)に 満ち来る潮し 八重波に 靡く玉藻の 節の間も 惜しき命を 露霜し 過ぎましにけれ 奥墓(おくつき)を ここと定めて 後し代し 聞き継ぐ人も いや遠に 偲ひにせよと 黄楊(つげ)小櫛(をぐし) しか刺しけらし 生()ひて靡けり

意訳:昔にあった出来事で、不思議なことと語り継がれて来た、智渟壮士と菟原壮士との世間の評判を競うとして、寿命を刻む、その命をも捨てて争うのに、二人が妻問いした乙女の話を聞けば悲しい事です。春の花が咲き誇り、秋には葉が黄葉して輝く、そのように輝く、惜しい身の盛りすら、立派な大夫たちの言葉を悲しんで、父母にこの世の暇を乞い、家を離れて海辺に出で立ち、朝夕に満ち来る潮の、たくさんの打ち寄せる波に靡く美しい藻の、その短い節のようなわずかのこの世の間も、惜しい命を、はかない露霜のように、乙女はこの世を過ぎ去ってしまったけれど、墓をここと定めて、後年に物語を聞き継ぐ人も、一層遠く、偲ぶよすがにしなさいと、黄楊の小さい櫛をこのように墓に捧げて手向けたらしい。それが育ってこのように葉を風に靡かせている。
左注:右、五月六日、依興大伴宿祢家持作之
注訓:右は、五月六日に、興に依りて大伴宿祢家持の之を作れり。
19-4214:天地の初めの時ゆうつそみの八十伴の男は.......(長歌)
標題:挽謌一首并短謌
標訓:挽謌一首并せて短謌
原文:天地之 初時従 宇都曽美能 八十伴男者 大王尓 麻都呂布物跡 定有 官尓之在者 天皇之 命恐 夷放 國乎治等 足日木 山河阻 風雲尓 言者雖通 正不遇 日之累者 思戀 氣衝居尓 玉桙之 道来人之 傳言尓 吾尓語良久 波之伎餘之 君者比来 宇良佐備弖 嘆息伊麻須 世間之 厭家口都良家苦 開花毛 時尓宇都呂布 宇都勢美毛 無常阿里家利 足千根之 御母之命 何如可毛 時之波将有乎 真鏡 見礼杼母不飽 珠緒之 惜盛尓 立霧之 失去如久 置露之 消去之如 玉藻成 靡許伊臥 逝水之 留不得常 枉言哉 人之云都流 逆言乎 人之告都流 梓弧 爪夜音之 遠音尓毛 聞者悲弥 庭多豆水 流涕 留可祢都母
           万葉集 巻19-4214
         作者:大伴家持
よみ:天地の 初めの時ゆ うつそみの 八十伴の男は 大君に まつろふものと 定まれる 官にしあれば 大君の 命畏み 鄙離る 国を治むと あしひきの 山川へだて 風雲に 言は通へど 直に逢はず 日の重なれば 思ひ恋ひ 息づき居るに 玉桙の 道来る人の 伝て言に 我れに語らく はしきよし 君はこのころ うらさびて 嘆かひいます 世間の 憂けく辛けく 咲く花も 時にうつろふ うつせみも 常なくありけり たらちねの 母の命 何しかも 時しはあらむを まそ鏡 見れども飽かず 玉の緒の 惜しき盛りに 立つ霧の 失せぬるごとく 置く露の 消ぬるがごとく 玉藻なす 靡き臥い伏し 行く水の 留めかねつと たはことか 人の言ひつる およづれか 人の告げつる 梓弓 爪引く夜音の 遠音にも 聞けば悲しみ にはたづみ 流るる涙 留めかねつも

意訳:天地が初めてひらけた時から、この世の中の多くの官人たちは、大君に服従すると定まっている。そういう官人の身なので、大君の仰せにしたがって、都から遠く離れた国を治めるためにやってきた。山川を隔て、風や雲の便りに消息は流れてくるものの、直接逢うことはかなわない。かくて日が重なれば、恋しくなるばかり。ため息ばかり増します。そんな折りに都からやってきた人が私に告げて申します。「ああ、愛しいあの方はこのごろ心寂しく嘆いておいででしょうか。人の世にあって厭わしく辛いのは、咲く花も時と共にうつろうように、人の世も変わらずにいられないことです。母上様はどう思っておいででしょう。ほかに時はいくらもありましょうに、今、ここに来られる定めとは。鏡のように、お美しく、まだまだ惜しい年の盛りでいらっしゃるのに、立った霧が消え失せてしまうように、降りた露が消えてしまうように、玉藻のように床に靡き伏せっていらっしゃるとは。流れゆく水をお止めできませんでした」と・・・。戯言に申したのでしょうか。それとも、人惑わしの言葉を告げたのでしょうか。梓弓(あづさゆみ)を爪弾く夜の音のように、遠音にも聞けば悲しく、流れ出してくる涙は留めようがありません。
左注:右大伴宿祢家持弔右大臣家藤原二郎之喪慈母患也 五月廿七日
注訓:右は、大伴の宿禰家持、聟南の右大臣の家の藤原二郎(なかちこ)が慈母を喪(うしな)へる患を弔(とむら)へるなり。五月二十七日
◎左注に聟南右大臣家藤原二郎(なかちこ)とあるのは継縄を指します。これを久須麻呂とする説もありりますが、『尊卑分脉』『公卿補任』ともに久須麻呂の母は藤原房前の女(袁比良おひら)と伝え、「藤原二郎の慈母」とは没年が異なります。
藤原継縄(ふじわらのつぐただ、727796年)
 奈良時代の公卿(くぎょう)です。神亀(じんき)4年生まれ。南家藤原豊成の次男です。天平神護(てんぴょうじんご)2年(766)参議。
 延暦(えんりゃく)9年右大臣となり中衛(ちゅうえの)大将,東宮傅()を兼任します。13年正二位。桃園右大臣とよばれました。妻の百済明信(くだらのみょうしん)とともに桓武(かんむ)天皇の寵遇(ちょうぐう)をうけました。「続日本紀」の編修を主宰しました。延暦15716日死去、70歳。贈従一位。


 

藻(も)を詠める歌17
17-3890:我が背子を安我松原よ見わたせば海人娘子ども玉藻刈る見ゆ

※三野石守(みのの-いそもり、生没年不詳)
 奈良時代の官吏です。天平(てんぴょう)2年(730)大伴旅人(たびと)が大宰府から都にもどるとき、別に海路をとった従者らの旅立ちの歌10首のうち1首に名がみえます(「万葉集」巻17)。ほかに巻8にも歌1首があります。
17-3993:藤波は咲きて散りにき卯の花は今ぞ盛りと.......(長歌)
標題:敬和遊覧布勢水海賦一首并一絶
標訓:布勢(ふせ)の水海(みづうみ)に遊覧せる賦()に敬(つつし)み和(こた)へたる一首并せて一絶
            万葉集歌 巻17-3993
          作者:大友池主
原文:布治奈美波 佐岐弖知理尓伎 宇能波奈波 伊麻曽佐可理等 安之比奇能 夜麻尓毛野尓毛 保登等藝須 奈伎之等与米婆 宇知奈妣久 許己呂毛之努尓 曽己乎之母 宇良胡非之美等 於毛布度知 宇麻宇知牟礼弖 多豆佐波理 伊泥多知美礼婆 伊美豆河泊 美奈刀能須登利 安佐奈藝尓 可多尓安佐里之 思保美弖婆 都麻欲比可波須 等母之伎尓 美都追須疑由伎 之夫多尓能 安利蘇乃佐伎尓 於枳追奈美 余勢久流多麻母 可多与理尓 可都良尓都久理 伊毛我多米 氏尓麻吉母知弖 宇良具波之 布施能美豆宇弥尓 阿麻夫祢尓 麻可治加伊奴吉 之路多倍能 蘇泥布里可邊之 阿登毛比弖 和賀己藝由氣婆 乎布能佐伎 婆奈知利麻我比 奈伎佐尓波 阿之賀毛佐和伎 佐射礼奈美 多知弖毛為弖母 己藝米具利 美礼登母安可受 安伎佐良婆 毛美知能等伎尓 波流佐良婆 波奈能佐可利尓 可毛加久母 伎美我麻尓麻等 可久之許曽 美母安吉良米々 多由流比安良米也
よみ:藤波は 咲きて散りにき 卯の花は 今ぞ盛りと あしひきの 山にも野にも 霍公鳥(ほととぎす) 鳴きし響(とよ)めば うち靡く 心もしのに そこをしも うら恋しみと 思ふどち 馬打ち群れて 携(たづさ)はり 出で立ち見れば 射水川(いづみかは) 湊の洲鳥(すとり) 朝凪ぎに 潟にあさりし 潮満てば 妻呼び交す 羨(とも)しきに 見つつ過ぎ行き 渋谿(しふたに)の 荒礒(ありそ)の崎に 沖つ波 寄せ来る玉藻 片縒(かたよ)りに 蘰(かづら)に作り 妹がため 手に巻き持ちて うらぐはし 布勢の水海(みづうみ)に 海人(あま)船に 真楫(まかぢ)(かひ)()き 白栲の 袖振り返し あどもひて 我が漕ぎ行けば 乎布(をふ)の崎 花散りまがひ 渚には 葦鴨(あしかも)騒き さざれ波 立ちても居ても 漕ぎ廻(めぐ)り 見れども飽かず 秋さらば 黄葉の時に 春さらば 花の盛りに かもかくも 君がまにまと かくしこそ 見も明らめめ 絶ゆる日あらめや

意訳:藤の花はもう咲いて散ってしまった、卯の花は今こそ盛りと、葦や檜の生える山にも野にも咲き、ホトトギスが鳴いて響むと、いちずに心も萎れて、その景色を心恋しいと感じる者同士が馬を並べて共に出で立って眺めれば、射水川の湊の洲に居る鳥は、朝凪に潟で餌をあさり、潮が満ちると妻を呼び交す、羨ましく眺めて過ぎ行き、渋谿の荒磯の崎に沖からの波が打ち寄せ、また寄せ来る玉藻を片縒りにして蘰を作り、愛しい貴女のためと手に巻いて持って、麗しい布施の水海に、漁師船に立派な楫を差し貫いて、白栲の袖を折り返し、友を率いて私が漕ぎ行くと、乎布の崎には花が散り乱れ、渚には葦鴨が鳴き騒ぐ、さざれ波のように立って居ても、座って居ても、水海を漕ぎ廻ると、風景を眺めても見飽きることなく、秋になったなら黄葉の時に、春になったなら花の盛りに、どうにもこうにも、貴方の御気に召すままに、このようにと、風景を眺めて気を晴らしましょう。見飽きることがどうしてあるでしょう。
左注:右掾大伴宿祢池主作 [四月廿六日追和]
注訓:右は、掾大伴宿祢池主の作る  四月廿六日に追ひて和(こた)へる
17-3994:白波の寄せ来る玉藻世の間も継ぎて見に来む清き浜びを

 


ウェブニュースより
 米ロ首脳が初会談 核軍縮や気候変動で協力探る ―― バイデン米大統領とロシアのプーチン大統領は16日午後(日本時間同日夜)、ジュネーブで初めて会談した。核兵器を柱とする軍縮や気候変動などで協力を探る。米ロ関係は冷戦後最悪の水準にあり、会談の結果は国際情勢に多大な影響を及ぼす。

 対面での米ロ首脳会談はバイデン氏が呼びかけたもので、同政権では初めて。公式な会談は2018年7月以来、約3年ぶりとなる。会談の冒頭、バイデン氏は「じかに顔を合わせるのは良いことだ」と述べ、プーチン氏は「(2国間には)多くの問題がある」などと話した。
 バイデン氏はロシアによるウクライナへの威嚇やサイバー攻撃などの挑発行為への対応を促す。双方が一致点を見いだすのは簡単ではないが、プーチン大統領と直接会談することで緊張緩和の糸口を探るとともに、ロシアに接近する中国をけん制する意図もある。
 米国と冷戦で競ったソ連時代とは異なり、ロシアは中国の台頭で国際政治上の存在感が低下し、経済力でも米国に圧倒的に劣る。現体制の維持をめざすプーチン氏にとっては、バイデン氏との会談は国内外に影響力を誇示する機会となる。
 双方が接点を見いだせるとみるのは核軍縮や軍備管理だ。5年延長を決めた新戦略兵器削減条約(新START)の次の枠組みを視野に入れた対話の枠組み設置が検討課題になる。気候変動やイラン核合意の再建でも協調できる可能性がある。
 その他の課題は激しい応酬になるのは避けられない。米欧による制裁のきっかけとなったウクライナにはロシアが威嚇を続け、欧州諸国にとって安全保障上の脅威になっている。バイデン氏は米国のインフラに被害を与えた「ランサムウエア」(身代金要求ウイルス)によるサイバー攻撃で、ロシアがハッカー集団の存在を黙認している可能性があるとみて対応を促す。
 プーチン氏は主権がかかわるウクライナへの対応では譲歩せず、サイバー攻撃や米大統領選への関与も否定するとみられる。    【日本經濟新聞 2021616 20:48 (2021616 22:40更新)

 台東区コロナウィルスワクチン接種事務局よりメールが入りました。曰く、
 日高 節夫様
 ご確認お願いいたします。
 当日は「接種券」「予診票」「本人確認書類」のご持参をお願いいたします。
 書類がそろって本人確認ができないと受付できませんのでご注意ください。
 スムーズに接種を進めるため肩を出しやすい服装でお越しください。
 会場は待合場所がございませんので、時間通りの来場をお願いいたします。
 施設名:浅草寺病院
 郵便番号:
 住所:東京都台東区浅草2丁目3017
 電話番号:03-4332-7912
HPURL
 年月日:2021617
 受付開始時刻:1515
 受付終了時刻:1530
 宜しくお願いいたします。  以上


 

藻(も)を詠める歌16
15-3606:玉藻刈る処女を過ぎて夏草の野島が崎に廬りす我れは

15-3638:これやこの名に負ふ鳴門のうづ潮に玉藻刈るとふ海人娘子ども

※田邊秋庭(たなべのあきにわ、生没年不明)
 奈良時代の遣新羅使(しらぎし)。「万葉集」巻15に、天平(てんぴょう)8年(736)難波(なにわ)を出港した一行が大島の鳴門(なると)をすぎ、2夜をへた際によんだ歌が1首みえます。
15-3705:竹敷の玉藻靡かし漕ぎ出なむ君がみ船をいつとか待たむ

※玉槻(たまつき、生没年不明)
 奈良時代の女性です。対馬(つしま)(長崎県)玉調郷(たまつきのごう)出身の遊女といいます。天平(てんぴょう)8年(736)遣新羅(しらぎ)使の船が対馬の竹敷(たかしきの)浦に停泊したときによんだ歌2首が「万葉集」巻15におさめられています。対馬娘子(いらつめ)ともいいます。
16-3871:角島の瀬戸のわかめは人の共荒かりしかど我れとは和海藻

 


ウェブニュースより
 “IOCの尖兵”コーツ副会長来日 パパラッチが狙う夜の赤ら顔 ―― <何しに来たのか><IOCの尖兵か>――。ネット上では早くも非難する声が目立つ。15日朝、豪州シドニーから東京・羽田空港に到着したIOC(国際オリンピック委員会)のジョン・コーツ副会長(71)。

 コーツ氏はこの日、入国前の抗原検査をへて都内のホテルに到着。3日間の隔離生活を送った後、五輪特例措置で待機が緩和され、活動計画書の行程に沿って五輪開催に向けた準備状況の確認、現地視察などを行うとみられる。
 「五輪特例措置」による入国制限の緩和に対し、<どこがバブル方式だ。最初から穴だらけじゃないか>といった怒りの声もチラホラ聞こえてくるが、コーツ氏入国に大会関係者が何よりも神経をとがらせていることがあるという。
 「パパラッチというのか、週刊誌記者らにコーツ副会長の行動をコッソリ撮影されて大々的に報じられることです。少なくとも7月23日の開幕まで長期間滞在する予定ですからね。競技会場の視察や組織委との打ち合わせだけで、後はホテルに缶詰めというわけにはいかないでしょう。しかし、万が一、コーツ副会長が赤ら顔で飲み歩く様子を撮影されたりでもしたら、それこそ、国民は『俺たちは我慢しているのに何だ!』と大騒ぎになるでしょう。コーツ副会長が外出する際には、記者らに尾行されないよう厳戒態勢が取られるほか、すでに日本料理、中華、洋食などの“お忍びレストラン”がピックアップされてリスト化されていると聞いています」(スポーツ紙記者)
 「安全、安心の大会」には別の意味もあるようだ。    【日刊ゲンダイ 公開日:2021/06/16 06:00 更新日:2021/06/16 06:00


 

藻(も)を詠める歌15
133266:春されば花咲ををり秋づけば丹のほにもみつ.......(長歌)
原文:春去者 花咲乎呼里 秋付者 丹之穂尓黄色 味酒乎 神名火山之 帶丹為留 明日香之河乃 速瀬尓 生玉藻之 打靡 情者因而 朝露之 消者可消 戀久毛 知久毛相 隠都麻鴨
          万葉集 巻133266
        作者:不明
よみ:春されば 花咲ををり 秋づけば 丹のほにもみつ 味酒を 神奈備山の 帯にせる 明日香の川の 早き瀬に 生ふる玉藻の うち靡き 心は寄りて 朝露の 消なば消ぬべく 恋ひしくも しるくも逢へる 隠り妻かも

意訳:春がやってくると枝もたわわに花が咲き乱れ、秋になると鮮やかに黄葉する神奈備山。その神奈備山(かむなびやま)が帯にしている明日香川の早瀬に生える玉藻(水草)が揺れて靡くように、心が靡いて朝露のように消え入らんばかりになりながら恋した甲斐があって、やっと逢えたよ。私の隠し妻に。
◎神南備と神名火とは、意味するものが違います。神南備は神が宿る神聖な場所ですが、神名火は明日香の甘橿の丘を意味します。そうしたとき、明日香川が裾野を取り巻くように流れる雰囲気が出て来ます。すると、飛鳥浄御原宮に居る官女や官僚の子女に恋した歌と推定出来ますから、この歌は飛鳥浄御原宮から藤原宮時代の歌となります。
133267:明日香川瀬々の玉藻のうち靡き心は妹に寄りにけるかも

133336:鳥が音の聞こゆる海に高山を隔てになして.......(長歌)
原文:鳥音之 所聞海尓 高山麻 障所為而 奥藻麻 枕所為 <>葉之 衣<>不服尓 不知魚取 海之濱邊尓 浦裳無 所宿有人者 母父尓 真名子尓可有六 若を之 妻香有異六 思布 言傳八跡 家問者 家乎母不告 名問跡 名谷母不告 哭兒如 言谷不語 思鞆 悲物者 世間有 <世間有>
          万葉集 巻133336
        作者:不明
よみ:鳥が音の 聞こゆる海に 高山を 隔てになして 沖つ藻を 枕になし ひむし羽の 衣だに着ずに 鯨魚取り 海の浜辺に うらもなく 臥やせる人は 母父に 愛子にかあらむ 若草の 妻かありけむ 思ほしき 言伝てむやと 家問へば 家をも告らず 名を問へど 名だにも告らず 泣く子なす 言だにとはず 思へども 悲しきものは 世間にぞある 世間にぞある

:鳥の鳴き声が聞こえる海に、高山を隔て(背後にし)、沖に浮かぶ藻を枕にして、海の浜辺に無心に横たわっている人。その人は母や父にとっては愛しい子だろうに。また若草のような妻もあるだろうと思えるのに。何か言づけもあるだろうと思って、家を訊ねたが家の在処も名乗らない。名前を聞いてもそれさえ言わない。まるで泣きじゃくる子のように言葉を発しない。思えば悲しい世の中だねえ。世の中だねえ。
14-3397:常陸なる浪逆の海の玉藻こそ引けば絶えすれあどか絶えせむ

14-3562:荒礒やに生ふる玉藻のうち靡きひとりや寝らむ我を待ちかねて

 


ウェブニュースより
 小林亜星さん死去88歳「この木なんの木」作曲家 「寺内貫太郎一家」主演 ―― 「北の宿から」などで知られる作曲家で、ドラマ「寺内貫太郎一家」の主演でも親しまれた小林亜星さんが5月30日、心不全のため亡くなっていたことが14日、分かった。88歳だった。すでに葬儀などは済ませており、「お別れの会」なども予定していないという。

 所属事務所によると、5月30日の早朝、自宅で転倒した姿で見つかり、緊急搬送されたものの、心不全で帰らぬ人になったという。それまでは大病などもなく、自宅で妻と暮らしていた。
 最後の仕事は、14年の「六花亭製菓」のCMソング「花咲く六花亭」。同曲をはじめ、「この木なんの木」でおなじみの日立製作所「日立の樹」などでタッグを組んだ作詞家伊藤アキラさんが先月22日に亡くなったことが明らかになった際には、伊藤さんについて「プライベートではお酒も呑まず、大変真面目な方でしたので、私のような飲兵衛とはほとんど接点はなかったのですが、仕事ではいつも彼の歌詞が回ってくると、スムーズにメロディをつけれるという、気が合うのか合わないのか、そんな不思議な関係でした」などとコメントも寄せていた。
https://www.youtube.com/watch?v=WYNC8JzV5j8
 ◆小林亜星(こばやし・あせい)1932年(昭7811日、東京都生まれ。慶大卒。作曲家服部正氏に師事、音楽の道に。レナウン「ワンサカ娘’64」やブリヂストン「どこまでも行こう」などのCM曲や、「魔法使いサリーのうた」「ひみつのアッコちゃん」など人気アニメソングも多数。02NHK連続テレビ小説「さくら」にも出演。    [日刊スポーツ 20216141626]


 

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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