瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨年は水門会の有志6名で花見の宴をはった。今年もという声につられて企画、昨日参加者応募の葉書を出したので、今朝ほどその下見を兼ねて、企画したコースを回ってみた。
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8681ce6e.jpg 桜橋を渡り、長命寺・弘福寺をめぐり、墨堤通りに戻り、三囲社の表参道に降りて、再び墨堤通りへ出る。言問橋を潜り、牛嶋神社から水戸邸の日本庭園をまわり、枕橋茶やから北十間川沿いに川の北側を東進。源森橋を渡り、今度は川の南側を東進、小梅橋を渡り再び川の北側を東進して東武橋に出る。橋の上で東京スカイツリーの建設現場をカメラに収める。工事は急ピッチで進んでいるようで、はや20mぐらいの高さかな?
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e16f4f14.JPG 浅草通りにでると、業平橋を渡り、ここを西進、吾妻橋を渡る。昨日炊き出しが行われていた築山の上でlocation が行われていた。まだ、撮影は行われていなかったので、カメラマンに「なんの撮影ですか?」と訊ねると「テレビのドラマ撮影ですよ」という答えであった。
 帰宅後omron万歩計の結果は8231歩、5.3km(1歩65cmに設定)と記録されていた。

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6f03ba81.jpg 今日は日曜日。朝飯前の徘徊に出そびれてしまった。午後2時になって、婆様と連れ立って、買い物を兼ねてひと回りした。出掛ける前に我が家から道路越しの梅園の人手の様子を見にいった。空から冷たいものが落ちてきたので、傘持参で出掛けた。待乳山聖天の前を通り、交差点渡ろうとすると向こうからT氏が愛犬ココアを連れて来るのに出会った。
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3e03e79f.jpg 千束通りに出て、ここからひさご通りを抜けて、六区に出る。この次の東京テレビのアド街ック天国で、ここ六区を取り上げるということらしい。新仲見世通りを抜けて、婆様に付き合って松屋の地下食品売場をうろつく。千束通りの酒屋、ロックスの食品売場、そして今また松屋の酒類売場で、先日2月14日(土)のブログでに取り上げた「隅田川諸白」を探してみたが、どこにも見当たらなかった。今は愛知県半田市の中埜酒蔵が醸造元になっているが、おそらく誰も知らず、あまり売れないので販売停止になったのかもしれない。通販で求めようとも思ったのだが未だに検索できないでいる。
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 松屋から隅田公園に入り、桜のうちでも早咲きの大寒桜の下で、写真を撮り帰宅した。
 かつての蟻の町は今はまったく整備され、築山になっているが、この築山に大勢の人が屯(たむろ)しているので、のぼってみると、そこで炊き出しが行われていた。いやいや、麻生総理ですら散歩の途中でホームレスに間違えられたというのだから、この爺だって施しに預かりにこの群れに集まったと思われてもいたし方あるまい。早々に、築山を駆け下りて、帰宅した。小雨が降り出した所為か梅まつりに仮設されたテントは急ぎ片付けられている最中であった。
 昨日は、1日中降ったり止んだりの天気。それに真冬並みの寒さで、霙になったり、ときには雪の舞うこともあり、家に閉じ篭っていた。
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fc7e50a7.JPG 今朝は、6時に家を出ると、全長750mという山谷堀公園を突き抜けて、地方橋へと出る。ここから土手通りを北上、三ノ輪に抜けた。昔はこの土手通りは吉原土手といわれ。これに並行して山谷掘りがあり、堀を船で通うで通う遊客も多かったという。堀と通りの間が土手になっていたそうだが、現在では取り崩されている。
 吉原歓楽街への正面玄関が大門であった。治安目的は勿論、遊女たちの逃亡を防ぐため、出入はこの大門一箇所のみとされ、江戸時代には黒塗り木造のアーチ型楼門が建設され、明治期には2代目となる鉄門が築かれたが、明治44(1911)年の大火で焼失。関東大震災を機会に撤去されたということである。
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2dad6862.jpg 永井荷風は『里の今昔』の中でこの辺りの風情を「見返り柳の立っていてた大門外の堤に佇立んで、東の方を見渡すと、地方今戸町の低い人家の屋根を越して、田圃のかなたに小塚ケ原の女郎屋の裏手が見え、堤の直ぐ下には屠牛場や元結いの製造場などがあって、山谷堀へつづく一条の溝渠が横たわっていた。毒だみの花や、赤のままの花のさいていた岸には、猫柳のような灌木が繁っていて、髪洗橋などという腐った木の橋が幾筋もかかっていた。見返り柳を後にして堤の上を半町ばかり行くと、左手へ降りる細い道があった。これが竜泉寺町の通りで、「たけくらべ」第一回の書始めに見る叙景の文は即ちこの処であった。道の片側は鉄漿溝(おはぐろどぶ)に沿うて、郭者の住んでる汚い長屋の立ちつづいた間から、江戸町1丁目と揚屋町との非常門を望み、また女郎屋の裏木戸ごとに引き上げられた幾筋の刎橋(はねばし)が見えた。」のように記している。
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 土手通りの終わる所が三ノ輪である。ここから、明治通りに沿って東進、白鬚橋西詰めから隅田川沿いの遊歩道をくだって、山谷堀の水門前広場に出る。
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 この遊歩道に沿う橋場のマンションの裏手にはさまざまな庭木や草花が植えてあり、四季それぞれによって目を楽しませてくれる。バスの駐車場に植えられている柳は良く見ると青い芽を吹いていた。桜の花芽はまだ固いが、スポーツセンター脇の白木蓮は花芽の皮を破って白い花びらをみせはじめている。山谷橋の広場に来ると八重椿が綺麗な花を咲かせていた。気温は低く、風も寒いが、もうそこら中に、春が来たような気分させてくれる。
隅田公園の梅園では、今日・明日「梅まつり」が行われることになっており、梅園の入口にはテントが立ち並んでいた。
 今日は気温も低く、午後からは小雨が降り出した。午後3時すぎ、隅田川をひと回りするつもりで、台東区側の遊歩道をゆく。
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6caf0e69.jpg スポーツセンター横の白木蓮の芽は白い花びらを見せ始めている。途中で橋場に住む、婆様の今は亡き弟の連れ合いMさんに出会う。白鬚橋を渡り、リバーサイド隅田の前の柊が花を付けていた。
 桜橋を渡って帰宅しようとも思ったが、気が変わって吾妻橋を渡って帰ることにした。やっぱり爺々はウォーキングより、徘徊の方が似合っているらしい。
途中枕橋茶やでコーヒーを飲みイチゴ大福をご馳走になった。今日はomron万歩計を持参したが、8162歩・4.4kmを表示していた。
 今日は朝から雨、順延の場合は電話するとのことであったが、9時になっても連絡がないので、こちらから電話で問い合わせると、予報によれば27日は今日よりも天候が悪いらしいので、本日強行するとの事。
 タクシーで駆けつけ、15分前に到着。午前中は、いろいろとウォーキングの講義があり、昼食を食べて、室内で準備体操。どうやら、雨も小降りになり、普通の服装で出掛けることができた。
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fba874ff.jpg 昨日は野のものとも山のものとも判断がつきか、少々戸惑うこともあったが、今日はリラックスして参加できた。雨も止み、雨後の空気は澄んでいてうまかった。途中、速さを変えての歩行練習、階段の昇り降りの歩き方などの実地講義があり、その度に心拍数の測定記入を行った。
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8d0314d4.JPG 上野公園は何回も来た所ではあるが、精養軒脇の時の鐘のそばの小高い大仏丘に関東大震災前まで大仏があったことを初めて知った。上野公園も念入りに見て回るとまだまだ知らない所があるようだ。
 午後3時公園を跡に、朝の集合地に戻り、ストレッチ体操をした後、解散となった。
 2日間のウォーキング教室の様子は、3月27日から「台東下町チャンネル」で放映されるという。30分に編集され、以後20数回放映されるとのことである。
 昨日は、ウォーキング教室に参加した。浅草文化観光センター3階に集合。初めに、参加者各人のインタビューがあり、西田富美子先生の講義が始る。
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 いやはや、ウォーキングとやらも立派なスポーツでウォーキング理論が成り立つらしい。ストレッチ体操とやらで、準備体操・中間体操・整理体操とても、この爺には荷が重過ぎる。まあ、準備体操も整理体操もまして中間のストレッチ体操なんてやったことのない爺には全て初めて、とてもじゃないが覚え切れない。歩き方についてもいろいろ聞かされたが、今までの身についた悪癖はそうそう直るものでもあるまい。まあ、出来ないことは自分流でやるしかない。
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 昼飯後雨の中を、隅田公園・浅草寺境内をぐるりと回った。台東テレビで、ビニールのレインコートを準備してくださったが、爺は体が蒸れそうなので、そのままの服装で傘をさしての参加とした。水上バスステーションを過ぎたところで親水テラス遊歩道に降り、冷たい横殴りの小雨を受けながら桜橋まで歩いた。桜橋の上まで来て、少し小雨になったところで、ストレッチング。隅田公園の梅園を通り、我が家前の車横丁を横目で見ながら、花川戸の東参道から花川戸公園前を通り、浅草寺の境内に、三社様前で10分の休憩。影向堂(ようごどう)にお参りして、花やしき通りの揚げパン屋でパンの買い食い。爺は婆様の買ったパンを一口だけ御相伴。後は再び伝法院通りから仲見世通りを通り、文化観光センターに戻り、ここでクールダウンストレッチングを習い、解散と相成った。
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 解散時のインタビューでは「楽しかった」とは答えたものの、まあ、瘋癲の拙痴无には今までのうろつき徘徊が一番似合っているのかもしれない。
 今日はウォーキング教室の第一日目。10時30分に浅草文化観光センター3階に集合となっている。外は生憎の雨のようだが、第一日目は決行されるらしい。
dee0afa2.JPG 第二日目は、北上野の偕楽ビル9階に集合となる。第二日目に備えて北めぐりん利用で偕楽ビルまでに行く経過時間を調べるべく、一昨日の土曜日に婆様と一緒に出掛けた。
 9時47分発、北めぐりん③隅田公園停留所から乗車、入谷駅口で下車。10時7分の予定が、渋滞で15分ほど遅れている。ここから徒歩で昭和通を南下、偕楽ビル前に着いたのが丁度10時30分。当日は隅田公園を9時32分発に乗車しなければなるまい。
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53eb614c.jpg  かっぱ橋本通りに出ると、上野学園前停留所から今度は東西めぐりんで雷門通りに出る。ウォーキング教室のパンフに「靴:運動靴で、ひも付きお願いします」とあるが、爺は紐付きなんていう面倒なものは持っていない。伝法院通りの靴屋で、紐付きのスポーツシューズを求めると、足慣らしにそれを履き、ファスナー式の履きなれた古い靴をビーニル袋にいれて, 隅田公園を歩いて梅園を回って帰宅した。
 昨日の日曜日は、我が家の前は道路工事1日中家に閉じ篭り。本日はこれからウォーキング教室に出掛ける。雨は小降りになったが未だ降り続いている。
 今日は朝から雨であったが、昼過ぎになってどうやら止んだので、出掛けることにした。
 昨日、台東ケーブルテレビの「楽しいウォキーング教室」のカリキュラムが届いたが、2日目の集合場所J:COM台東旧社屋のある偕楽ビル(北上野2-7-5)が何処にあるか判らないので、確かめておくことにした。
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c807ae17.jpg 14時に家を出て、馬道通りから伝法院通りに入ると最近新設された白浪五人男の板絵が目に入った。ここを国際通りに向けて西進、国際通りを横切るとかっぱ橋本通りに入った。この商店街を昭和通に向けて西進する。途中店先にある東河童の像を見ながら、一名かっぱ寺で知られる曹源寺を過ぎると松が谷2・3丁目。
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 この辺りが台東区の中心、まあいうなればお臍に当たるらしい。臍を出した河童の像とその標識が置かれている。この辺りは区画整理が行われるまでは松葉町と呼んだらしい。
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0f16f80d.jpg 昭和通で右折して北上する。昭和通りは関東大震災の復興事業として計画、建設された道路である。当時東京市長だった後藤新平(1857~1929年)の原案では道幅を108メートルとするものであったが、広い道路の重要性が当時は受け入れられず、結果現在の道幅に狭められ昭和3(1928)年に完成した。昭和通は江戸橋~入谷間は州都高速道路1号上野泉の高架下を走るが、この付近では慢性的な渋滞が起こりやすく、そのために首都高で迂回する車も見られる。また、江戸通りとの交差点から国道4号に属す。直進し明治通りとの交差である東京都台東区の大関横丁交差点から先は日光街道と接続している。偕楽ビルはすぐに見つかった。ここからは、上野駅なら7分、入谷駅でも7分、稲荷町駅からなら8分の所だという。まあ、我が家から来るには北めぐりんの入谷駅で降りれば、30分ぐらいで到着できそうだ。
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1edb4f0d.jpg 言問通りに出るとここを東進して我が家に向う。言問通りは文京区本郷・弥生の本郷弥生交差点から、隅田川にかかる台東区言問橋に至る道路の通称である。西側は文京区小石川まで続き、東側は水戸街道(国道6号)・三つ目通りと接続する。この言問通りを江戸通り、言問橋西詰めまで出て、帰宅した。
45e0828f.jpg 先日の日曜日にヨドバシカメラのポイントカードに溜まったポイントで求めた万歩計omronの表示によると7615歩、4.1km(1歩=55cmに設定してある)となっていた。

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93213828.jpg 今朝は少々寒く、それに風もあったが、午前6時家を出て今戸神社前を通る。まだ完全には明けきらぬ境内に桜らしきものが満開に近く咲き誇っていた。境内に入ってみると「河津桜」であることが判った。いつも通る道の1つ大川寄りの道を北に向かって歩くと妙亀塚にでた。ここを北上し明治通りに出る。
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92704827.jpg 白鬚橋を渡り、墨堤通りを横切り明治通りをそのまま進むと、右手に寺らしき建物が目に入ったので、それを目指して路地をあっちうろうろ、こっちうろうろ法泉寺に辿り着く。門は閉まっていて境内には入れなかったが、ここは葛飾北斎も「寺島法泉寺詣」という摺物を描いている。百花園では梅まつりが催されているが、開門前ではあるが、中に入らなくても囲いの隙間からでも少しは梅見が出来るだろうと、園を1周してみたが、写真に撮るような構図を見つけることは出来なかった。
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3a2357f5.jpg 明治通りを水戸街道で右折するとすぐに都立隅田川高校のグラウンドがある。高校の正門は地蔵坂通りにあるらしい。初めて、地蔵坂通りを歩いてみることにした。


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6d9a1863.jpg 墨堤通りに出るとここを南下、桜橋を抜けてリバーサイドスポーツセンターの横を通る。白木蓮の花が花芽を破って白い花びらを見せようとしている。もう2・3日もすれば咲き始めるかもしれない。朝早く撮った河津桜がまだ薄暗い時刻だったので旨く撮れているかどうか気になったので、再度今戸神社前まで立ち戻り河津桜を撮ると引き返して帰宅した。
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0df17f07.jpg 朝食後、隅田公園を通ると言問橋と東武線の鉄橋の間にある大寒桜が3分咲きに花を付けていた。先日日曜日には上野公園の大寒桜はかなり開花していたが、ここは大川の川風を受けていくらか気温が低いと見える。
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 雷門通りを横切り昨日と同じように、大江戸線蔵前駅から森下駅へ、さらに東京メトロ新宿線で聞く川駅に出た。ここから、三つ目通りを北上、三之橋から竪川(たてかわ)沿いに両国橋へ向けて進む。竪川は、東京都の墨田区と江東区の境をを流れる人工河川で、江戸城に向かって縦(東西)に流れることからこの名称がついたということじゃ。旧中川と隅田川を東西に結ぶ運河で、全区間で上空を首都高速道路7号小松川線に覆われる状態になっている。水面よりかなり高い位置に高架があるので、陽射しが全く無いというわけではない。西側の隅田川との合流域には首都高速7号線と6号線が合流する両国ジャンクションがある。
三之橋の南側は徳右衛門町といい、神田柳原和泉橋際にあった町が、明暦の大火にともない火除地として公収されたため寛文元年(1661年)に本所に越してきたものだという。お稲荷さんも元(もと)徳右衛門町の稲荷ということで元徳稲荷と称したということじゃ。
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28572e1c.jpg 竪川の北沿いの道のもう一つ北の道を馬車通りといい、ここには烏亭焉馬(うてい えんば、1743~1822年)が住んでいたところだというので、それらしき跡を探してみたが見つけることは出来なかった。烏亭 焉馬は江戸時代後期の戯作者・浄瑠璃作家。江戸の大工の棟梁の子として生れ、本名を中村英祝という。 和泉屋和助、立川焉馬、立川談州楼とも。俳諧や狂歌を楽しむ一方、芝居も好きで自ら浄瑠璃を作るほどであった。五世市川団十郎を後援する三升連(みますれん)を結成し、また「咄の会」も主催していた。式亭三馬や柳亭種彦などを庇護し、落語中興の祖とも言われる。牛嶋神社には「いそかすは」の狂歌碑がある。小林一茶もここに住んだことがあるらしく、説明柱が立っていた。
 講談や芝居・浪花節等で知られる塩原太助もこの近くで薪炭商をしていたらしく、塩原橋の由来になったという。塩原橋を渡り川の南側の道を進むと一之橋へ出るところに江島杉山神社があった。
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e866511a.jpg 一之橋を渡り隅田川に近い道を歩くと「ぶらり両国街かど展実行委員会」というのが立てた説明板が並んでいる。江戸の町・赤穂浪士・両国物語等について説明されている。
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 両国橋東から親水テラスに降りて久し振りに吾妻橋まで歩いた。隅田川に架かる橋は既に老朽化した橋が多い。両国橋もその1つであるが、現在橋桁の補強工事が行われている。
水上バスの浅草ステーションの改装のための、仮設船着場は殆んど完了している。そのうちいよいよ改装工事が始るのじゃろう。我が家のすぐ近くの隅田公園梅園は月末の梅まつりを控え、準備が進んでいるようである。梅園の俳句の木札が立てられていた。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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