瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
今日は彼岸の入り。彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられている(西方浄土ともいう)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりであるという。

昨日の朝と同じコースを歩いたが、橋場から親水テラス降りてみた。昨日写真に撮った柳の木の下辺りに給油船が停泊しており、給油作業中であった。陸のタンクから船の給油槽への給油か、それとも船から陸のタンクへの給油かは不明。

今日は、薄曇の天気であったが、下から見上げる柳もまた一興。戯れに数を数えてみると10本はある。浸水テラスの手摺欄干にユリカモメが止まっているので、カメラを向けると餌が貰えるものと勘違いしたらしく、カメラを近づけても逃げようとはしない。

夕飯前に、言問橋を渡り、水戸邸庭園を回って枕橋茶やまで行ってみたが、本日は臨時休業となっていた。
今日は旧暦の2月20日。隅田公園の桜並木の間に下弦の月がかかっている。吾妻橋の上に立つと、上流から釣り船が東京湾を目指して下ってくる。そういえば昨日の日曜日は千葉県の富津海岸では潮干狩りの人出で賑わったとか。墨田区役所裏の広場に来ると遊歩道には、気の早い「墨堤さくらまつり」の幟がずらりと立ち並んでいる。遊歩道の所々には売店兼や休み処となる葭簀張りの仮小屋が建てられている。肌に当たる川風はまだ冷たいが、周りの雰囲気はもうすっかり春である。
白鬚橋を渡り、件の落書き遊歩道を川に沿って下るところに、2・3本の大きな柳の木があるが、朝日を浴びて緑がいっそう映えて、春を呼び込んでいるようだ。野球場の前のソメイヨシノは大きく膨らんで、間もなく色づきつき末には花を開くだろう。スポーツセンターのプール脇の今を盛りと咲き誇っている白木蓮を眺めながら帰途に着いた。
一昨日の夕食に食ったしめ鯖が当たったのか、7時過ぎ頃から、急に首筋が痒くなり、そのうちに肘の関節の内側や、腹の下の方に蕁麻疹が出てきた。こんなときは寝るに限ると、そそくさと布団に入ったが、鳩尾(みぞおち)の辺りが重苦しくて眠れない。翌朝には蕁麻疹は引いたものの、少し吐き気がして気持ち悪かったので徘徊は休んで、一日がかりで水門会の花見会のコース概説を作成してみた。
今朝は昨日のうちにプリントしておいた、花見コースとその概説を封筒につめ、参加者に送ることにした。朝食後9時近くになって、文書メールで発送すべく、クロネコに立ち寄った。そのまま、江戸通りを南下蔵前通りから、榊神社に立ち寄った。




社伝によればここは景行天皇の御代、日本武尊が皇祖二柱の神を祀ったことにはじまるという。もとは浅草鳥越の岡にあり、鳥越神社・熱田神社とともに鳥越三所明神と呼ばれていた。しかし、徳川家康の江戸入府以来、鳥越の岡は造成のために順次取り崩され、正保2年(1645)鳥越三所明神に移転が命じられた。この時、鳥越明神だけが旧地に残り、熱田神社は山谷に、第六天社は堀田原に遷座した。明治6年(1873)社号を榊神社と改めたという。境内に浅草文庫碑と蔵前興業学園の碑がある。浅草文庫は明治7年、御蔵8番米倉に湯島聖堂から図書を移し閲覧・書庫を設けた。明治10年に上野図書館に移管されるまで開業。蔵前工業学園は東京工業大学の前身。関東大震災の後、この地から目黒区大岡山に移転した。



柳橋を渡って、両国橋に出る。東詰めから親水テラスに降りて、吾妻橋まで歩く。両国橋は耐震補強工事が行われ、橋桁の傍に浮き桟橋がもうけられ、工事の真っ最中。今日は隅田川を上り下りする船がひっきりなしに往来している。水上バス(観光船)だけでも5・6艘が上り下りしていた。

吾妻橋を渡って帰宅しようかとも思ったが気が変わり、枕橋を渡って桜橋まで遊歩道を北上した。桜の花芽はかなり膨らんで、中にはピンク色を見せているものも診られた。桜橋を渡って、山谷堀水門の広場に来ると、柳の緑がいっそう色を増したのが目に入った。辺り一面、もうすっかり春が来た。
今朝は昨日のうちにプリントしておいた、花見コースとその概説を封筒につめ、参加者に送ることにした。朝食後9時近くになって、文書メールで発送すべく、クロネコに立ち寄った。そのまま、江戸通りを南下蔵前通りから、榊神社に立ち寄った。
柳橋を渡って、両国橋に出る。東詰めから親水テラスに降りて、吾妻橋まで歩く。両国橋は耐震補強工事が行われ、橋桁の傍に浮き桟橋がもうけられ、工事の真っ最中。今日は隅田川を上り下りする船がひっきりなしに往来している。水上バス(観光船)だけでも5・6艘が上り下りしていた。
今日は、3月10日。64年前の未明、東京は一瞬にして焼野原と化してしまった。



朝早くは雨模様だったので、昼飯の腹ごなしに白鬚橋の方を一周するべく徘徊に出掛けた。言問橋西詰の公園入口にある東京大空襲慰霊碑の前に来てみると、東京大空襲犠牲者追悼集会が開かれていた。慰霊碑の前は通れないので、脇道から隅田公園に入りスポーツセンターに向けて進んだ。



スポーツセンター脇の白木蓮は清楚な白い花を咲かせていた。日が照り始めて、風も生暖かく感じる。何時もの遊歩道を通り、白鬚橋を渡り、青色御殿の前を通って、常夜灯までくると、26日に企画している花見の回答FAXに「長命寺のさくら餅が食いたい」というのがあったのを思い出した。花見当日は店の前には長蛇の列が出来るので、とても購入することは出来ない。26日午後1時~2時に来店するからと15個入りの折を予約しておいた。



言問橋を東詰から渡り、再び西詰の隅田公園入口に来ると東京大空襲犠牲者追悼集会は終わっていて、慰霊碑の前には沢山の花や飲み物が供えられていた。公園内を通って帰宅した。
スポーツセンター脇の白木蓮は清楚な白い花を咲かせていた。日が照り始めて、風も生暖かく感じる。何時もの遊歩道を通り、白鬚橋を渡り、青色御殿の前を通って、常夜灯までくると、26日に企画している花見の回答FAXに「長命寺のさくら餅が食いたい」というのがあったのを思い出した。花見当日は店の前には長蛇の列が出来るので、とても購入することは出来ない。26日午後1時~2時に来店するからと15個入りの折を予約しておいた。
言問橋を東詰から渡り、再び西詰の隅田公園入口に来ると東京大空襲犠牲者追悼集会は終わっていて、慰霊碑の前には沢山の花や飲み物が供えられていた。公園内を通って帰宅した。
今日は日曜日。婆様が百花園に行こうと言い出した。午後から雨模様というので昼飯前に出掛けた。スポーツセンター脇の白木蓮は白い花びらを露にし始めた。隅田川西岸の遊歩道を通って白鬚橋を渡る。
そのまま明治通りを真っ直ぐに百花園まで歩くことにする。途中、曹洞宗の法泉寺に立ち寄る。法泉寺は近世以前開創という区内でも古い寺院であると聞く。山門を入りすぐ左手に安置されている総高357センチメートルの地蔵菩薩立像は、享保2年(1717年)の造立で、三段の石造基壇の上に、左手に宝珠、右手に錫杖を持ち円光背を持つ。地蔵菩薩と並んで立ち、婆様にデジカメのシャッターを押してもらうが、押しが甘く映像が取り込めていなかった。残念!



明治通りから百花園に道を取り、園内をひと回り。茶亭さはらで甘酒を飲む。甘酒を差し出してくれた主人に訊ねてみる。「お宅は佐原さんですか? 鞠塢(きくう)さんの子孫なんですね?」「そういうことです。」「妙なことをお尋ねするようですが、枕橋茶やでお聞きしたのですが、『隅田川諸白』というお酒はどこでもとめることができるのですか?」「松屋で売っていませんか?」「方々で訊ねたのですが、松屋も浅草の酒屋でも売っていないんですよ」「ええとですね…」といいながら、地図を持ち出してあれこれ調べてくれていたが、「ちょっとお待ち下さい」というと、親切にも受付事務所まで言ってコピーを撮ってくると、ボールペンで印を付けながら丁寧に教えてくださった。
明日にでも、幻の酒『隅田川諸白』にお目にかかれるかもしれない。
明治通りから百花園に道を取り、園内をひと回り。茶亭さはらで甘酒を飲む。甘酒を差し出してくれた主人に訊ねてみる。「お宅は佐原さんですか? 鞠塢(きくう)さんの子孫なんですね?」「そういうことです。」「妙なことをお尋ねするようですが、枕橋茶やでお聞きしたのですが、『隅田川諸白』というお酒はどこでもとめることができるのですか?」「松屋で売っていませんか?」「方々で訊ねたのですが、松屋も浅草の酒屋でも売っていないんですよ」「ええとですね…」といいながら、地図を持ち出してあれこれ調べてくれていたが、「ちょっとお待ち下さい」というと、親切にも受付事務所まで言ってコピーを撮ってくると、ボールペンで印を付けながら丁寧に教えてくださった。
明日にでも、幻の酒『隅田川諸白』にお目にかかれるかもしれない。
明けたばかりの言問橋の上をかなり強い川風が吹いていたが、そんなに冷たくはない。春の兆しを感じながら、水戸街道に続く三つ目通りを南下する。浅草通り、春日通り、蔵前橋通りを横切り、北斎通りに出る。
さらに、総武線のガードをくぐり、京葉道路にでると、右折して両国橋に向けて西進、回向院前を通って、両国橋をわたる。何時もなら、柳橋を渡るとそのままはす違いに道を取り、江戸通りを北上して帰路に着くのだが、何となく神田川沿いに歩いてみたくなり、南岸を浅草橋まで出る。浅草橋を渡ると、さらに神田川を上ってみたく、北岸沿いに左衛門橋まで来てしまった。
浅草通りから駒形堂に出たときは7時55分。急ぎ足で家に辿り着いたのが、8時15分。
Omron万歩計は14039歩、9.1kmを示していた。所要時間は約2時間20分。
先日、ブログでも取り上げた隅田川諸白は、半田市の中埜醸造株式会社で作っているのだが、インターネットで探しても見当たらずどうやら通販で求めることは出来ないらしい。台東区、墨田区の酒屋にぶち当たると訊ね回っているのだが何処にも売っていない。
今日は久し振りの晴天だというので、まだ明け切っていない5時半に家を出て、桜橋を渡ると、墨堤通り沿いに明治通りまで北上。東白鬚公園をさらに北上、梅若橋まで来ると、何となくもっと先まで進みたくなり、梅若橋を越えて、再び墨堤通りに出ると、東の空から朝日が昇るところであった。おやおや、鐘淵紡績発祥の地に建つカネボウ物流の広告塔が、変わっている。どうやら、ここはカネボウ化粧品になつたらしい。綾瀬橋を渡り、千住曙町に出る。ここは、昨年はずっとイニシア千住曙町の建設現場であったが、ほぼ完成されたらしい。千住汐入大橋の北詰からみると、ここで隅田川が大きく彎曲しているのが良く判る。橋の上から見ると南詰の南千住のマンション群が目に入る。よくもこれだけのマンションを建設したものだと感心するばかり。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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