瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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ecd2f74f.jpg 朝食後、東武伊勢崎線の浅草駅北口の前にあるガードしたの散髪に行った。10時に終ったので、ここから駒形橋を渡り、三つ目通りを北上、源森橋を渡って、水戸街道を明治通りまで北上、白鬚橋を渡って帰宅した。
 本日は気温は高かったが、強風で前屈みになって帽子を押さえながら歩いた。いやはや、春を通り越して一度に初夏がやってきたようだ。昼間の徘徊はとにかく車が多く騒音にも悩まされるが、歩道を歩いていても前からも後ろからも自転車が通り抜ける。とくに後ろから通り抜ける自転車は危なくて仕方ない。まあ、徘徊は早朝に限るかな。でなければ、川沿いや公園内の遊歩道を選ぶべきだ。
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8187171a.jpg やがて、躑躅や皐月が満開になろうが、遊歩道の道端に生える雑草も、人に踏みしだかれながらも花を付けている。コンクリートの割れ目から噴き出した蒲公英・罌粟属・カタバミなど道行く人に踏んづけられても踏んづけられてもこうして小さいながら花を咲かせる。大したものだ。
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2d448c93.jpg 朝未だきの隅田公園を南へ。今年の流鏑馬は4月18日(土)に行われるらしい。言問橋と東武伊勢崎線鉄橋の間で、流鏑馬施工施設設置作業が始まったらしい。吾妻橋西詰めで、雷門通りを横断、江戸通りを蔵前橋通りまで南下、蔵前警察署の横を通って、榊神社に出る。ジグザグに道を取り、柳橋に出る。
 昨日は旧暦18日の月が鮮やかに南天にかかっていたが、本日はどうやら曇りらしい。天気が良ければ、ここ柳橋の上からご来光が見られるのだが、本日はそれも見られない。
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 靖国通りを横切って、両国橋の西袂にある親水テラスの昇降口に立つ。浜町河岸の遊歩道に道をとり、隅田川にそって下る。新大橋を渡るのは今年になって初めてである。
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22efb7bd.jpg 江東区側の親水テラスに降りて、このテラスを竪川の水門まで北上。テラスに植えられた庭木も新芽を吹き、躑躅や皐月の潅木も見られる。青色御殿も見当たらないので、ご婦人方のグループやご夫婦、または犬を連れての散歩姿が沢山見られる。このテラスは竪川で一旦切れる。竪川に架かる一之橋を渡って、さらに親水テラスに降りることができるが、先だって、両国橋の下が水浸しになっていたことを思い出し、一之橋からそのまま北上し、京葉道路に出る。京葉道路(両国橋をすぎると、靖国通りとなる)は朝早くからまあなんと車の多いことか。京葉道路を横切ると、総武線の鉄橋まで、一番川寄りの道を歩いてみたが、なんの変哲もないので、親水テラスに降りて、吾妻橋までテラスを歩くことにした。
 吾妻橋を渡り、隅田公園の台東区側を北上、帰宅した。omron万歩計は13861歩、9.0kmを示していた。

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e4d97dfc.jpg 昨日の日曜日で花見も終わりのようだ。所々に遅咲きの八重桜や寒山などが見られるもののソメイヨシノは最早葉桜となってしまった。その葉桜の間から旧暦18日の月が輝いている。隅田公園を抜けると、江戸通りと並行する裏道を通り、駒形橋に出る。
c365d789.jpg 駒形橋を渡るとそのまま東進し、浅草通りを三つ目通りまでくると左折して源森橋の上に立つ。東武伊勢崎線の高架の向こうから真っ赤に燃えるような朝日が覗いている。幾日か後には此処からも東京スカイツリーの高くなっていく様子が見られることだろう。
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495be3d7.jpg 言問通りに出ると、ここから見番通りに入る。ここは向島の花街として栄えたところで、今でも幾つかの料亭が残っている。隅田川七福神のコースでもあり、三囲神社・弘福寺・長命寺などが並び、長命寺を過ぎると墨堤通りへと続く。地蔵坂通りの入口の子育て地蔵尊の堂の付近から白鬚神社までのところに旧墨堤之道が残っている。この旧墨堤之道を通って白鬚神社に出た。
579856ac.jpg 墨堤通りが明治通りと交差するところから北に東京都の防災住宅が、水神大橋の先まで続く。防災住宅を境としての裏側は東白鬚公園となっていて、ここも爺の徘徊のコースとなっているが、今日はこの白鬚橋東詰の交差点で左折して、白鬚橋を渡り、台東区側の遊歩道に入った。
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40315a0b.jpg 野球場の所までくると、ソメイヨシノに替わって、皐月が鮮やかな緋色の花を咲かせていた。良く見ると皐月の潅木の陰に蒲公英が黄色の花を付けていた。
 昨日・今日と春を通り過して初夏の気候、朝から上半身は長袖1枚だけの徘徊であった。
 

 随分日が長くなった。東京の今日の日の出は5時14分、5時というともうすっかり明るくなっている。
76716202.jpg 隅田公園のソメイヨシノはその殆んどが花を散らしてしまっている。今日・明日の土曜・日曜で、花見の客も殆んどいなくなってしまうだろう。そのソメイヨシノの間に混じって、一際鮮やかなピンク色を映している紅豊(べにゆたか)という品種の桜が朝日に輝いている。
eaa2f514.jpg 吾妻橋を渡り、左に折れて、親水テラスに降りる。おやおやこんな川の上流に桜の花びらに混じって、かなり多くのクラゲが漂っている。これも温暖化の所為なのであろうか? 厩橋のところでT氏がゴルフのクラブを振っておられる。昨日お会いしたのは7時前後であったから、毎日ここで1時間半以上川風に当たっておられるのだろう。

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2ed5df3e.jpg 蔵前橋の上流で朝の陽射し受けて、ユリカモメが遊んでいる。もうすっかり頭が黒くなっているのが遠目かせでも認められる。両国橋の上流では、神田川の河口で柳橋をバックに群をなして游んでいる。この親水テラスは竪川の水門で切れる。
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96ac2dd0.jpg 一旦テラスを上がり、一之橋を渡ると新大橋の先小名木川まで親水テラスは続くのであるが、この爺さん気紛れで竪川の南側を東進していた。竪川の真上には両国ジャンクションから分岐した高速7号線小松川線が走っている。
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044bc77b.jpg 塩原橋・千歳橋・二之橋を過ぎ、さらに西竪川橋・竪川橋・新竪川橋から三之橋南で左折し、この橋を渡り、三つ目通りを北進する。馬車通り・総武線のガード・京葉道路・蔵前橋通り・春日通り・浅草通りを横切ると源森橋を渡る。
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 言問通りと交差する所から、三つ目通りは水戸街道となる。ここで左折して言問橋を渡り、西詰めの聖天町交番の前を通って帰るのだが、何時もは交番の前に立っているお巡りさんに「おはよう」の挨拶をして帰宅するのだが、今朝は交番のドアは閉められていた。ガラス戸の内部から「パトロール中です」の貼り札がしてあった。
 Omron万歩計は12717歩、8.2㎞を示していた。
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2763e30c.jpg 朝未(ま)だきの言問橋を渡る。2月末からこちら梅・桜・桃とバラ科系の花の開花期である。橋の袂には赤と白のハナモモが咲き競っているようだ。橋の上からの朝焼けの光景もカメラに収めてみる。
a256005a.jpg 言問通りをそのまま東に進むと左手に常泉寺、右手に本行寺とどちらも日蓮正宗の寺がある。いやはや、今時はお寺様もマンション紛(まが)いの建物となり、これがお寺かと思わせる。常泉寺はともかく、本行寺などは門も無ければ、寺名をあらわす額すらない。東京では近年このような寺が多くなった。まあ、今は神社にしてもビルの中に引っ込んだものもあるのだから、致し方あるまい。
4d7953ba.jpg 言問通りをそのまま進み、左手に東京スカイツリーの工事現場を見ながら東武橋を渡る。浅草通りを横切りそのまま春日通まで進む。春日通りを西進し、三つ目通りから通りに沿って南方向に進み、北斎通りに出る。

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  f91af635.jpg  この北斎通りは両国から錦糸町まで続くが、かつて江戸時代には南割り下水と呼ばれ、葛飾北斎が生れた地とされている。通りの両側には街灯が立ち並び、その下には街歩き「北斎ギャラリー」が展開される。街路灯やトイレには、北斎の作品の複製をラミネート加工して、シールにしたものが貼り付けてある。全部で103作品あるという。街路灯のシールは縦型と横型があり、縦型は縦約43cm・横約27cm、横型は縦約33㎝、横約38㎝。途中に野見宿禰神社があるが、今は改装中らしく、本殿は青シートで覆われていた。
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c4d6c6fa.jpg 江戸東京博物館に出ると、脇にある遊歩道を通って、親水テラスに出た。おやおや、吾妻橋以南には両岸とも桜は見られないが、川面は散り始めた桜の花びらで覆われている。上流の隅田公園の桜の花びらが流れに沿って流れてきたのであろう。久し振りに親水テラスを吾妻橋までぶらりぶらり。吾妻橋を渡り、隅田公園を通って、帰宅した。
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3c7fb77c.jpg 明け初めたばかりの墨田公園を吾妻橋に向って南下する。アヤメかショウブかはたまたカキツバタか散り始めたソメイヨシノの木の下ではや純白の清楚な花を付けていた。隅田公園にはオオカンザクラやソメイヨシノのほかに、珍しい桜が植わっている。「御衣黄」という里桜があるが、一見葉桜に見えるが、良く見るとおやおや緑色の花を付けている。クスの木は新緑の鮮やかな新芽を伸ばし始めた。やはり里桜の仲間で「寒山」というのはソメイヨシノよりは遅咲きで、色も緋色をしており、花と同時に赤茶色の葉も吹き出している。
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75034b63.jpg 吾妻橋を渡ると、「隅田公園入口」という古い石標が建っているが、これは関東大震災後に隅田公園が開かれた当時のものであるということである。枕橋を渡り、遊歩道の脇に作られた花壇に「ムラサキハナナ」が咲いている。紫花菜は、春にアブラナ科特有の十字形をした紫色の小さな4弁花を咲かせるアブラナ科オオアラセイトウ属の耐寒性一・ニ年草で、ハナナ(花菜)とは、ふつうの黄色い花の咲くナノハナ(菜の花)のことで、紫色の菜の花という意味である。花の中央に6本の雄しべと1本の雌しべがあり、雄しべの葯(ヤク、先端部)と雌しべの柱頭はいずれも黄色。こぼれ種から芽が出て半野生化したものが土手などさくという。ムラサキハナナ(紫花菜)は、別名、「平和の花」や、「ピースフラワー」と呼ばれるがが、これは南京(中国)ゆかりの花であり日中戦争時の悲惨な経験を繰り返してはならないと言う願いを込めて呼ばれるようになったということらしい。
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ef34f67f.jpg そのまま北上、青色御殿通りを抜けて、白鬚橋を渡り台東区側の遊歩道を南下したが、野球場の手前で、街中に下りることにした。今戸公園ではちょうどラジオ体操が終わる所であったが、時計を見ると6時40分を指していた。そのまま、吉野通りまで西進することにした。吉野通りの手前、今戸2-13-6に、熱田神社がある。猫の額ほどの狭い境内であるが、由緒書きなど一切表示されていない。なんでも、元亀2辛未(1571)年に創建されたという。鳥越三所明神に数えられていた鳥越神社の末社であるといわれている。
a622a0fa.jpg 山谷堀公園の吉野橋を過ぎた所に小松橋通りという千束に通じる通りがあるが、この通りの両側は一葉桜の並木になっているが、いまが盛りという所か。最近はクロネコのメール便を使うことが多いので、あまり使わなくなったが、聖天郵便局はこの通りを入ってすぐにある。
 今朝は昨日のコースを逆回り、すなわち台東区側の遊歩道、汐入公園を通って、千住汐入大橋渡り、足立区に入った。ビルの中道を抜けて、新装のイニシア千住曙町のマンションの前に出る。綾瀬橋を渡り、北入口より東白鬚公園に入り、明治通りに抜けて、墨堤通りを通り、言問団子の前を通り、桜橋を渡って帰宅した。
 まだ、完全に明け切れていない遊歩道を通っているとチラリホラリと桜の花びらが舞いかかる。春靄に霞んだ隅田川では頭が黒くなりかけたユリカモメが遊んでいる。
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e965850e.jpg 橋場に入るとマンションが並んでいるが、この遊歩道はその裏庭に当たり、いろいろな庭木や草花が植えてある。なかに多分ハナモモだと思われるのだが、根本は1本の幹であるが、真紅の花を咲かせている枝とピンク色の花を咲かせている枝がある。中には、1つの花房の中に真紅とピンクが並んで咲いているものもある。
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8bea1043.jpg 白鬚橋に出ると、明治通りを渡り、昨日記したマテバシイの傍をぬけて、汐入公園に入る。川面を見ると今しもご来光、その光りを浴びて黒鵜が2羽杭の上で休んでいる。まあ、逆光なのであまり旨くは映像に映し出すことは出来ない。
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7ec3e27e.jpg 瑞光橋を過ぎて、シティヌーブ北千住の高いビルが見える付近で、親水テラスに降りる。水神大橋の下近くに河口10kmの標識があるが、その傍では早くも小粒な花ではあるが、皐月系の花が今を盛りと咲いている。
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 千住汐入大橋近くになると最近新装なったイニシア千住曙町のマンションが、従来のシティヌーブと並んでその威容を誇っているようである。千住汐入大橋を渡り、ビルの中道をとおって、イニシア千住曙町の前に出てみた。ビルの間道や正面には東南アジア系の珍しい木が並木に用いられ整然と植えられている。
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c6dc95a0.jpg 綾瀬橋を渡り、北入口から東白鬚公園に入る。梅若橋に上り、一番高い位置から公園の南方向を見下ろすと、緑の中に薄ピンクの桜が咲き、リバーサイドの高いビルや台東区の町並みが望まれる。橋を降りるとそこは木母寺で、前の花壇にはチューリップをはじめいろいろな草花が植えられている。木母寺の門前には青々とした紅葉が若葉を付け、境内の枝垂れ柳と鮮やかな薄紅色とその雅を競っているようである。隅田川神社前には防災公園らしく、纏の像があり、遊歩道に沿って所々には色とりどりに草花が植わっている。
b39ef437.jpg 公園の出口付近に、コブシの花を見つけたが、はや盛りを過ぎて、辺り一面春の到来を告げているようである。


 夜が明けるのが随分早くなった。日の出は5時10分頃というから、5時前には東の空が白み始める。
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 山谷堀水門前の桜まつり設備はすっかり取り払われていた。今朝は花曇り、朝靄を付いて桜橋の上から、隅田川の下流・上流の花景色を撮ってみた。花はもう散り始めている。良く見ると所々に赤茶っぽい葉芽が覗いている。もう1週間もすれば、葉桜になってしまうのだろう。
4643e9cd.jpg 桜橋を渡ると、墨堤通りを北上。明治通りも横切って、防災住宅と並行する墨堤を進むと、朝日を浴びて桜をバックに榎本武揚先生の銅像が建っている。昨日勝海舟先生の銅像を撮ったので、幕臣にして同じように藩閥政府に貢献した榎本先生もと、カメラのシャッターを押していた。

d937080d.jpg 文化7(1810年)3月28日、小林一茶は流山に向かう途中で木母寺から鐘ヶ淵を通りがかった。その時の様子を『句日記』に記している。「川の東にすこし曲たる所を鐘が淵といふ。昔普門院の釣鐘舟より落てぬしとなりけるより、かくいひ伝へるとなんかたる。あはれならくの底に生をうけし竜女さへ、御法《り》に逢ふ(う)て法土におもぶくとあるに、仏縁に引るゝ梵鐘の、なじかは蛇身となりて今の世迄浮まざらん。鐘成仏の御経は如来もとき給はぬにや」
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4e9c8dfa.jpg 現在はここは鐘ヶ淵陸橋というらしく、この下は隧道なっていて、車輌の往来に利用されている。さらに進むと、東白鬚公園の北出入口がある。公園のすぐ北側は墨田区立鐘ヶ淵中学校で、池波正太郎は『剣客商売』の秋山小兵衛の隠居所をこの辺りに想定したという。
 旧綾瀬川が隅田川と荒川を繋ぎ、ここに綾瀬橋が架かる。その上をぎりぎりに高速6号線が通る。旧綾瀬川の河口には荷役船の造船所がある。最近、此処と千住汐入大橋の間に『千住曙町イニシア』と名付けられたマンション群が建てられ、このほど完成したらしい。盛んに入居者を応募しているようだが、一体全体、不景気不景気といわれながら聞くのと見るのとでは大違いの感である。
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 千住汐入大橋を渡り、汐入公園を南下する。ヨウコウザクラの並木はもう殆んど花が散って、葉桜になりかけているが、水神大橋を過ぎて瑞光橋までの間はソメイヨシノが若木ながら満開、これと並行して柳が植えられているが、桜も柳も成長して大木になれば「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(素性法師 844?~910?年)という光景が見られるかもしれない。
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694e861c.jpg マテバシイは防火に効果的ということで、かの防災住宅の周りや東白鬚公園に沢山植えられている。今まで気付かなかったが、白鬚橋の西詰に説明書付きで植えられていた。
 明治通りを横切ると件の落書き遊歩道を通って、桜橋から山谷堀水門前広場を通って、帰宅した。広場の入口には空缶の買い取り収集車が来ていて、現金で買い取られて収集されていた。
 

 一昨日・昨日と花見客で賑わった、隅田公園を南下し吾妻橋を渡り、墨堤遊歩道を北上、白鬚橋をわたって、帰宅した。
689fbb21.jpg 公園内にはゴミ捨て場が何箇所も設置してあるが、どこもいっぱいでこれだけで花見の人出が想像できる。場所によっては昨夜の花見の宴で飲んだと思われる酒の匂いが漂っている。

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4715d917.jpg 今日も一日好い天気になるだろう。早寝早起き三文の得というけれど、人の少ない静かな早朝の花見もまた乙なものである。ソメイヨシノは今が満開であるが、所々にすでに盛りを終えて葉桜になる品種も見られ、何よりもゆっくりと鑑賞できるのが良い。
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 吾妻橋を渡って墨田区役所の裏手にいます海舟先生も朝日の光りの中で花見を満喫なさっていらっしゃる。浮世絵等にみられる江戸時代の墨堤とはすっかり変わってしまったのだろうが、現代の墨堤も当時以上に風情のあるものかもしれない。
d33c9e34.jpg 「春や春 春爛漫の花の色」隅田公園の野球場脇の満開の桜並木を通って、山谷堀水門広場に来ると、すでに桜まつりのために建てられたテント村の解体が始っていた。
 昨日は少し歩きすぎた所為か、今朝は明るくなるまで眠ってしまった。
99edd6c4.jpg 仕事場の窓をあけると今しもご来光というところであった。今日は日曜日、それに何となく疲れていたこともあって朝の徘徊はやめにした。
 朝の報道番組は何だか北朝鮮のミサイル発射に振り回されている感じ。

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 午後3時を過ぎて、山谷堀の水門前に行って見た。まあ、何処から集まってきたのか凄い人出である。広場に設えられた舞台では次か次へとこれから世に出ようかというあまり名の知られていない歌手か、すでに花を咲かせ年老いた歌手が入れ替わり立ち替わり声を張り上げていた。
4b5ad780.jpg 公園をひと回りして、桜橋から山谷堀公園に出るとそこは満開の桜の下は一大宴会場と化していた。
 まあ、明日からは少しは静かになるだろうが、昨日今日とスピーカーの音に煩わされた日ではあった。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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