昨日は旧暦18日の月が鮮やかに南天にかかっていたが、本日はどうやら曇りらしい。天気が良ければ、ここ柳橋の上からご来光が見られるのだが、本日はそれも見られない。
靖国通りを横切って、両国橋の西袂にある親水テラスの昇降口に立つ。浜町河岸の遊歩道に道をとり、隅田川にそって下る。新大橋を渡るのは今年になって初めてである。
吾妻橋を渡り、隅田公園の台東区側を北上、帰宅した。omron万歩計は13861歩、9.0kmを示していた。
昨日の日曜日で花見も終わりのようだ。所々に遅咲きの八重桜や寒山などが見られるもののソメイヨシノは最早葉桜となってしまった。その葉桜の間から旧暦18日の月が輝いている。隅田公園を抜けると、江戸通りと並行する裏道を通り、駒形橋に出る。
駒形橋を渡るとそのまま東進し、浅草通りを三つ目通りまでくると左折して源森橋の上に立つ。東武伊勢崎線の高架の向こうから真っ赤に燃えるような朝日が覗いている。幾日か後には此処からも東京スカイツリーの高くなっていく様子が見られることだろう。
言問通りに出ると、ここから見番通りに入る。ここは向島の花街として栄えたところで、今でも幾つかの料亭が残っている。隅田川七福神のコースでもあり、三囲神社・弘福寺・長命寺などが並び、長命寺を過ぎると墨堤通りへと続く。地蔵坂通りの入口の子育て地蔵尊の堂の付近から白鬚神社までのところに旧墨堤之道が残っている。この旧墨堤之道を通って白鬚神社に出た。
墨堤通りが明治通りと交差するところから北に東京都の防災住宅が、水神大橋の先まで続く。防災住宅を境としての裏側は東白鬚公園となっていて、ここも爺の徘徊のコースとなっているが、今日はこの白鬚橋東詰の交差点で左折して、白鬚橋を渡り、台東区側の遊歩道に入った。
野球場の所までくると、ソメイヨシノに替わって、皐月が鮮やかな緋色の花を咲かせていた。良く見ると皐月の潅木の陰に蒲公英が黄色の花を付けていた。
昨日・今日と春を通り過して初夏の気候、朝から上半身は長袖1枚だけの徘徊であった。
言問通りと交差する所から、三つ目通りは水戸街道となる。ここで左折して言問橋を渡り、西詰めの聖天町交番の前を通って帰るのだが、何時もは交番の前に立っているお巡りさんに「おはよう」の挨拶をして帰宅するのだが、今朝は交番のドアは閉められていた。ガラス戸の内部から「パトロール中です」の貼り札がしてあった。
Omron万歩計は12717歩、8.2㎞を示していた。
まだ、完全に明け切れていない遊歩道を通っているとチラリホラリと桜の花びらが舞いかかる。春靄に霞んだ隅田川では頭が黒くなりかけたユリカモメが遊んでいる。
千住汐入大橋近くになると最近新装なったイニシア千住曙町のマンションが、従来のシティヌーブと並んでその威容を誇っているようである。千住汐入大橋を渡り、ビルの中道をとおって、イニシア千住曙町の前に出てみた。ビルの間道や正面には東南アジア系の珍しい木が並木に用いられ整然と植えられている。
夜が明けるのが随分早くなった。日の出は5時10分頃というから、5時前には東の空が白み始める。
山谷堀水門前の桜まつり設備はすっかり取り払われていた。今朝は花曇り、朝靄を付いて桜橋の上から、隅田川の下流・上流の花景色を撮ってみた。花はもう散り始めている。良く見ると所々に赤茶っぽい葉芽が覗いている。もう1週間もすれば、葉桜になってしまうのだろう。
桜橋を渡ると、墨堤通りを北上。明治通りも横切って、防災住宅と並行する墨堤を進むと、朝日を浴びて桜をバックに榎本武揚先生の銅像が建っている。昨日勝海舟先生の銅像を撮ったので、幕臣にして同じように藩閥政府に貢献した榎本先生もと、カメラのシャッターを押していた。
文化7(1810年)3月28日、小林一茶は流山に向かう途中で木母寺から鐘ヶ淵を通りがかった。その時の様子を『句日記』に記している。「川の東にすこし曲たる所を鐘が淵といふ。昔普門院の釣鐘舟より落てぬしとなりけるより、かくいひ伝へるとなんかたる。あはれならくの底に生をうけし竜女さへ、御法《り》に逢ふ(う)て法土におもぶくとあるに、仏縁に引るゝ梵鐘の、なじかは蛇身となりて今の世迄浮まざらん。鐘成仏の御経は如来もとき給はぬにや」
現在はここは鐘ヶ淵陸橋というらしく、この下は隧道なっていて、車輌の往来に利用されている。さらに進むと、東白鬚公園の北出入口がある。公園のすぐ北側は墨田区立鐘ヶ淵中学校で、池波正太郎は『剣客商売』の秋山小兵衛の隠居所をこの辺りに想定したという。
旧綾瀬川が隅田川と荒川を繋ぎ、ここに綾瀬橋が架かる。その上をぎりぎりに高速6号線が通る。旧綾瀬川の河口には荷役船の造船所がある。最近、此処と千住汐入大橋の間に『千住曙町イニシア』と名付けられたマンション群が建てられ、このほど完成したらしい。盛んに入居者を応募しているようだが、一体全体、不景気不景気といわれながら聞くのと見るのとでは大違いの感である。
千住汐入大橋を渡り、汐入公園を南下する。ヨウコウザクラの並木はもう殆んど花が散って、葉桜になりかけているが、水神大橋を過ぎて瑞光橋までの間はソメイヨシノが若木ながら満開、これと並行して柳が植えられているが、桜も柳も成長して大木になれば「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(素性法師 844?~910?年)という光景が見られるかもしれない。
マテバシイは防火に効果的ということで、かの防災住宅の周りや東白鬚公園に沢山植えられている。今まで気付かなかったが、白鬚橋の西詰に説明書付きで植えられていた。
明治通りを横切ると件の落書き遊歩道を通って、桜橋から山谷堀水門前広場を通って、帰宅した。広場の入口には空缶の買い取り収集車が来ていて、現金で買い取られて収集されていた。
吾妻橋を渡って墨田区役所の裏手にいます海舟先生も朝日の光りの中で花見を満喫なさっていらっしゃる。浮世絵等にみられる江戸時代の墨堤とはすっかり変わってしまったのだろうが、現代の墨堤も当時以上に風情のあるものかもしれない。
朝の報道番組は何だか北朝鮮のミサイル発射に振り回されている感じ。
午後3時を過ぎて、山谷堀の水門前に行って見た。まあ、何処から集まってきたのか凄い人出である。広場に設えられた舞台では次か次へとこれから世に出ようかというあまり名の知られていない歌手か、すでに花を咲かせ年老いた歌手が入れ替わり立ち替わり声を張り上げていた。
まあ、明日からは少しは静かになるだろうが、昨日今日とスピーカーの音に煩わされた日ではあった。
sechin@nethome.ne.jp です。
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