北田富美子氏という方で、1949年(昭和24年)福岡県北九州市戸畑区生まれで、結婚して門司区の今津に移り、結婚後、筑前琵琶を始める。現在は、旭流師範、北田旭朋(きょくほう)となられるや、早鞆旭会を結成し学校、公民館、お寺などに気軽に出向き、琵琶を演奏され古典の格式にとらわれず、達人独自の語りで、平家物語や黒田節など身近な演目を披露することもあるという先生である。先生に拠れば、「私たちの住んでいる北九州市門司門司港は、関門海峡を背景に源氏、平家の壇の浦合戦で有名です。琵琶の音色は淋しさや力強いバチさばきで戦いの場面を作り上げています。ここ5年間では、若者との出会いがあり、地域中心の演奏活動を始めています。古典の格式を大事にしながら、聴いて、見て、感動、感激を共感していただける舞台を夢見て元気な声と笑顔で歴史を語り続けています。皆様の暖かい応援をよろしくお願いします。」ということであった。
テレビなど琵琶の演奏を聞いたことはあるが、いやはや生の演奏がこんなに迫力あるものとは恐れ入った。平家物語の壇ノ浦の段の演奏では、20数名の酔っ払いどもも声を沈め首をうなだれてじっと演奏を聞き入っていた。
いやいや、堅いものばかりではなく「博多どんたく」「黒田節」「炭坑節」なども演奏してくださり、誰が準備したのか踊り衣装を着て踊る人もいた。
とても楽しく、有意義な日であった。
本年は葛飾北斎生誕250周年に当たり、各地で様々なイベントが行われているが、生誕地墨田区は現在スカイツリー建設で沸き立ち、北斎等忘れ去られているようである。
北斎は、江戸後期の著名な浮世絵師で葛飾流の始祖。本姓は中島、名ははじめ時太郎のち鉄蔵といった。号は春朗、宗理、可侯、画狂人、卍翁など三十余ある。
宝暦10(1760)年9月江戸本所割下水で生まれ、父は徳川家用達の鏡師中島伊勢といった。14、5才の時彫刻師に学び、ひそかに狩野派の画法を学び師の知るところとなり破門。以来土佐派、琳派、洋風画、中国画などを学び独自の画境を開いた。肉筆画、版画、絵本、さし絵などに手腕をふるい、特に風景画は広重とともに称賛され、「富嶽三十六景」をはじめ傑作が多い。彼の作品はヨーロッパに多く流れ、フランスの印象派の人々に大きな影響を与えた。
葛飾北斎は、奇行に富んだ人であり、住居を93回も移した。嘉永2(1849)年4月18日、江戸浅草聖天町(現浅草7丁目)の長屋で三女の阿栄(葛飾應為)に看取られて亡くなった。北斎の墓は、幕末まで北斎の父と合葬されていたが、現在の墓は、後に他家の養子となっていた次男の崎十郎が建てたとも、その娘の白井多知が建てたとも言われている。墓石正面に「画狂老人卍墓」と大書し、右側面に辞世の句「ひと魂でゆく気散じゃ夏の原」が刻まれている。左衛門橋通りの誓教寺(元浅草4丁目)にある。
明日からは、水門会総会――みんな飲んでワイワイやるだけ。それだけのことで、航空機をつかって北九州にまで飛ぶ。別に誰に会わなきゃならんというわけでもないのに、誘われるままに何となく参加することになった。という訳で、明日からブログは暫くおやすみ。
ワンさん夫人、その弟さんのケンツ氏、そしてナベちゃん。MIさんが誘ってくれて、ほぼ40年ぶりのAKさんも参加してくれた。IA・ケンツ氏と小学校同期のMK氏が、経営する居酒屋で2次会。11時まで飲んだ。
今朝は、少し2日酔い気味で、出掛けるのはやめた。早朝、布団の中で数学史関係の本をパラパラ。
ラプラスの理論に拠ると、確率は明確に定義されていて、このような確率はあらゆる事象に対してただ一つ存在するものであって、それを探求するのが確率論の任務であるというのがラプラスのであった。ところが、その基礎のところに思わぬ矛盾が生じたのである。1つの事象に時には幾つもの確率が存在するような例が発見されたのである。その例として1888年フランスの数学者Joseph Louis François Bertrandが発表した「ベルトランのパラドックス」というのがある。
さらに、任意に弦を引くという場合、その解釈によって色々なことが考えられる。下に示すように確率が0の時だって、1の時だって考えられるという奇奇怪怪の事が起こりうることになる。
これは、「弦を引く」という行為の方法をちゃんと示さなかったことに拠るパラドックスなのである。確率に「無限」が絡むとややこしいことになるのだ。
以上の例は「何をもって同等とするか」を前提としない限り、確率は論じられないということの教訓を示している。サイコロを投げたときの、6の目が出る確率が1/6というのは、絶対的真理としてきまっているわけではなくて、確率を考えるものにとっての仮定であり、「約束ごと」なのである。ラプラスの確率論の欠陥はあらゆる事象に対して、確率はそれぞれただ一つ決まっていて、それを求めるものだとした点にある。つまり確率というものが、前もって先験的にきまっているものだと考えた点にある。
その一つのやり方としては 一二三四五六七八九十 の中央の位置から対称の位置にある数どうしを掛け合わせたものを合計し、これから中央の五と六を引く、
(1×10)+(2×9)+(3×8)+(4×7)+(5×6)-5-6
=10+18+24+28+30-5-6=110-5-6=99 とするものである。なお、この小町算と呼ばれるものは、この本より50年ほど前の元禄11(1698)年に書かれたと考えられる田中由真(たなかよしざね、1651~1719年)の「雑集求笑算法」の中にも見られ、かなり古くからあることが判る。
小町算の名称は小野小町に由来するが、その由来としては、(1)小野小町のように美しい数式という意味 (2)小野小町の下に九十九夜通いつづけた深草少将を偲んで (3)夢中になると時間のたつのも忘れてしまうので、没頭すると知らないうちに爺婆になってしまうぞという意味。百人一首にもある小野小町の歌「花の色はうつりにけりないたづらに、我が身世にふるながめせしまに」から。などの説がある。
現代では1~9までの数を1つずつ使って特定の数を表わしたり、関係式を作ったりすることを「小町算」と呼んでいる。現代の小町算の中で特に有名なものは100作りと仮分数の問題だろう。
前者はその名の通り、123456789の間に、適当な算用記号を入れて100を表わすもので、+、-だけを用いた解が12通りあるという。また、987654321のように逆順の場合もおこなわれていて、18通りあるという。その幾つかを挙げると、
1+2+3-4+5+6+78+9=100
1+23-4+56+7+8+9=100
123-45-67+89=100
98-76+54+3+21=100
98-7+6-5+4+3+2-1=100
9+8+76+5-4+3+2+1=100 などがある。
+、-、×、÷の4個の記号を使った場合については、
1+2+3×4-5-6+7+89=100
1+2+3×4×5÷6+78+9=100
1+2+3×4×56÷7-8+9=100 などがあるが、アメリカのR.L.Patton.Jr.という人がコンピューターを使って全解を求め、正順150通り、逆順198通りの解を得ているという。
もう一つの仮分数の問題は、1~9までの数で仮分数を作り、2から順に整数をあらわしていくもので、
2=13458/6924=13584/6792=1438/7269=18594/9267
3=17469/5823=17496/5832 などがある。
例として、nの初期値を 6 にすると、6→ 3→ 10→ 5→ 16→ 8→ 4→ 2→ 1
n の初期値を 11 とすると、11→ 34→ 17→ 52→ 26→ 13→ 40→ 20→ 10→ 5→ 16→ 8→ 4→ 2→ 1 となり、この数列は 1 に到達するまでに14ステップともっと長くなる事がわかる。
n の初期値として 27 を選ぶなら、数列は111ステップにまで及び、その値は最終的に 1 に到達する前に 9232 にまで増大する。
この予想は未解決だが、この問題を調査した多くの数学者によって直感的に正しいと考えられている。その理由は、この予想は 3 ×(2の53乗) = 27,021,597,764,222,976 までチェックされている。この記録は、コンピュータのスピードアップとテスト技術の向上に伴って伸ばされ続けているからである。
もう1つの理由としてステップを経るごとに数の大きさがどのようになるかを考察してみる方法がある。
偶数 2m なら2でわって、mにする。(偶数なら0.5倍する)
奇数 2m+1 なら 3倍して1を足す すなわち 3(2m+1)+1=6m+4、さらに2で割って3m+2にすることになる。(奇数なら、およそ1.5倍する)
ある自然数Nから初めて、この計算(偶数なら0.5倍し、奇数なら1.5ばいする)を繰り返した結果、偶数になったのがa回、奇数になったのがb回あったとすると、Nはおよそ N×(0.5のa乗)×(1.5のb乗)となる。
ところで回数を多くすれば偶数と奇数はほぼ同じ回数出てくると考えられるので、a=bとすると N×(0.5のa乗)×(1.5のa乗)=N×(0.5×1.5のa乗)=N×(0.75のa乗)と考えられる。ここで、a→∞ とすれば、(0.75のa乗)→0 で、0.75は 1 より小さな値であるから、ステップを経るごとにNは「確率的に」小さくなると考えられる。この意味で、いつかは 1 に到達するとの予想は確からしいといえる。
しかし、確率論の言葉を用いるとこれは無限のステップ数を取る極限で1に平均収束するということであり、厳密には予想の確からしさとは無関係なのである。
必ず正しい答えが導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることが出来る方法で、答えの精度は保障されないが、回答に至るまでの時間が少なくて済み、主に計算機科学と心理学の世界で使われる語にheuristic(ヒューリスティック)というのかある。どちらの分野での用法も根本的な意味は一緒だが、指示対象が違う。計算機科学ではプログラミングの方法を、心理学では人間の思考方法を指して使われる。論理学では仮説形成法と呼ばれているそうだ。
心理学におけるheuristicは、人が複雑な問題解決等のために何らかの意思決定を行う際、暗黙のうちに用いている簡便な解法や法則のことを指す。判断に至る時間は早いが、必ずしもそれが正しいわけではなく、判断結果に一定の偏り(bias、バイアス)を含んでいることが多い。ヒューリスティックの使用によって生まれている認識上の偏りを、認知バイアス(Cognitive bias)というのだそうだ。
まあ、爺が民主党の代表選での予測を見損なったのも、小沢氏に対する認知バイアスが強すぎたのかもしれない。
今週末は水門会出席のため、九州旅行となる。少し、身体を休めることもあって、此処1週間は朝の徘徊は控えて、近くの散策ぐらいにしておこう。まあ、ブログのほうも行き当たりばったり思いつくことを記すに留めよう。
爺が毎朝8000~10000歩の徘徊に出掛けていることを話すと、彼は北海道で昨年・今年と続けて100㎞ウォーク大会に参加して完歩したと、その完歩証を自慢げに見せてくれた。
来年は東京に帰ってこれるだろうということである。また、元気で再会しようということで別れた。
10月15日(金)の爺のブログ「俺は河原の枯れすすき」にコメントが入った。曰く、「平成枯れすすき:中山晋平は若き頃、台東区立千束小学校の訓導(音楽)をしていました。その縁で中山は戦後、千束小の校歌を作曲しました。僕は越境して富士小に行きましたが、弟は抽選に外れて千束小へ行きました。そのため母は学校行事をかけ持ちしていました。弟は千束小の隣にあった産院で産まれました。いつしか産院は無くなり現在は高齢者の入居施設になっています。千束小の在校生も少ないようですが子供たちはどこへ行ってしまったのでしょうね。 ――ノガミの柏屋卍郎 2010/10/16(土)」
爺ははじめて聞く話なので、インターネットで少し調べてみた。
そして、千束小学校の校歌も中山の作曲したもので、その楽譜も展示されています。1952年に作曲した校歌は中山最後の作品となりました。千束小学校の木村和夫校長は「(子どもたちは)こういう偉い先生がうちの学校にいたんだということで誇りに思っております。(校歌が)好きで、よく大きな声で歌っています」と話します。/地元の町会などでは偉大な作曲家の足跡をもっと地域活性化に生かせないかとイベントなどの企画も模索しているといいます。記念室は見学可能ですが、事前に学校への予約が必要だということです。
http://www.mxtv.co.jp/mxnews/youtube_movie.php?video_id=EGDBX-4Nt7A
午前5時30分、夜中に降っていた雨も止んだようなので家を出掛けて、僅かに白み始めた隅田公園を南下、吾妻橋辺りまで来るとどうやらまた降り出してきたらしい。昨日のようにずぶ濡れになるのは厭なので、今来た道を引き返す。遊歩道は土のみちでぬかるみが多いので、土手のコンクリートの道を急いだ。小雨の中、言問橋と対岸に見えるスカイツリーをカメラに収めた。スカイツリーは完成の暁には634m、現在周辺の人人はその威容に驚き、やれ観光だ、グルメだと騒いでいるが、それも完成後2・3年のことだろう。いやはや、世界ではもはやスカイツリーなんて目じゃありませんたい。そんなことを考えながら、帰宅した。
世界で最も高いとされる、高さ819mのビル「Burj Dubai(ブルジュ・ドバイ)」が完成したドバイで、今度は1000mを超えるビルが建造されるという。
まるで旧約聖書の「創世記」に登場する、天に届くことを目的として建造された巨大な塔で、まるで「バベルの塔」を思い起こさせるような話であるが、いったいどのようなビルとなるのだろうか?
伝える所によると、この世界一高いビルとなる「Nakheel Harbour (ナキールハーバー)& Tower(タワー)」は現状で最も高速となる、毎秒16.85mで昇降できるエレベーターを用いても最上階まで上がるのに少なくとも1分はかかるとしており、その建造にあたっては、資材や作業員を運搬するために150基のエレベーターが用いられるとのこと。実際の高さは1140mになるのではないかとされており、200階以上のフロアがあることになるという。
サウジアラビア最大の民間投資会社、キングダム・ホールディング・カンパニーはこのほど同国第2の都市ジッダに高さ1000m超の超高層ビルを建設すると発表した。計画段階としては世界でトップを争う高さになる。ジッダにオフィスや住居、商業施設などで構成される総面積約2300haの複合都市を建設するプロジェクトの一環である。総投資額は約270億ドル(約2兆7000億円)を見込んでいる。完成時期などは明らかにしていない。
クウェートでも1000mを超すビルを建てる計画があり、超高層ビルの世界一を目指す争いが激化しそうである。世界の超高層ビルは、高さ・1000m超の競争へ突入したらしい。
旧約聖書に曰く「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。/東の方から移動してきた人々は、シンアル(シュメール)の地に平野を見つけ、そこに住み着いた。/彼らは、「煉瓦を作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。/彼らは、『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った。/主は降り給いて、人の子等が建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。『彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。』/主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。/こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。/主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。」(創世記、11章、1~9節)
ノーベル平和賞に劉暁波氏 服役中、中国当局の反発必至 ―― 【ロンドン共同】ノルウェーのノーベル賞委員会は8日、2010年のノーベル平和賞を、中国の著名な民主活動家、劉暁波氏(54)=(国家政権転覆扇動罪)で服役中=に授与すると発表した。「長年、中国で基本的人権(の確立)のため非暴力的な手段で闘ってきた」ことが授賞理由。国内に住む中国人がノーベル平和賞を受賞するのは初。受刑者への授与も異例だ。/同委員会は劉氏が1989年の天安門事件に参加し、共産党一党独裁体制の廃止などを訴えた2008年の「〇八憲章」の起草を主導したことに言及。中国に「世界第2の経済大国として、一層の責任を持たなければならない」と人権状況の改善を強く迫った。/昨年の受賞者であるオバマ米大統領は同日、劉氏の受賞決定を歓迎し、劉氏の即時釈放を求める声明を発表した。/劉氏の妻、劉霞さん(49)は共同通信に、「中国で民主化運動に携わる友人らへの励みになる」と喜びを語った。/一方、中国政府は同日、駐中国ノルウェー大使を呼び、正式に抗議。中国外務省報道局長は談話で、劉氏を「犯罪者」と批判したうえで、平和賞授与は「賞の趣旨に完全に背いており、平和賞に対する冒とくだ」と強く反発した。 (共同通信、2010/10/09 00:37)
果たして、この受賞が、劉氏夫妻にとって、幸せなるものか、それとも禍いなるものかは誰にも決めることは出来ないだろう。老子先生は仰っている。
李白の詩に後宮の女性を詠った「妾薄命」という五言絶句があったっけ。
隅田公園の梅園にある花壇には見知らぬ名前の草花が植えてある。カメラに納め、帰宅後色々と調べてみた。
ダークベルグデージー:小雨の鮮やかな黄色の花と、やさしげな葉が魅力で人気があるという。初夏から晩秋までたくさん花を咲かせるが、雨が多いと開花が鈍りぎみになるという。葉は細い切れ込みの入った線状の葉を密に茂らせる。原産地は北アメリカのテキサス州~メキシコ。花言葉は「豊かさ」
ジニア・リネアリス(Zinnia linearis):葉が細いのでホソバヒャクニチソウ(細葉百日草)とも呼ばれるキク科の一年草。花色には、白や黄色、橙色がある。枝分かれが良くて、背丈は低く、花は一重咲き。リネアリス(linearis)とは、ラテン語で「細い線のような」という意味で、葉が細いことによる。花言葉は「別れた友への思い」
何となく寝坊。目が覚めたのは6時過ぎ。朝食後、桜橋~水神大橋間をひと回りする。桜橋から、今戸・橋場のテラスを北上。荒川区の隅田川遊歩道を北上。川辺のススキが今頃になって花穂を出し始めている。全般的に花穂のまだ出ていないが、これも猛暑だった所為なのかな? 昨日写した萩の花を通して、逆に水神大橋を写してみる。
水神大橋を渡り、東白鬚公園に入る。南進して、南ゲート付近になると、今までは未だ夜が空け切らぬうちにこの場所を通ったのでか気付かなかったが、金木犀と銀木犀の並木が併行して植えてある。白い花を咲かせる銀木犀は、金木犀に比べて花が少なく、香りも弱くて地味なので、あまり人気が無いが、本来は銀木犀のほうが原種であるという。
公園を抜けると、墨堤通りを南下して桜橋を渡り、山谷堀の水門広場に来ると今戸にあるH幼稚園の園児が鼓笛の練習をしていた。近くある運動会もしくは秋のイベントで披露されるものなのだろう。
菅首相「安全運転」、谷垣氏は解散封印=思惑絡み、鈍る対決姿勢-代表質問 ―― 6日にスタートした各党代表質問。菅直人首相は、自民党の谷垣禎一総裁の質問に答弁書を淡々と読み上げるなど、参院で与党が少数の「ねじれ国会」下での法案審議を意識して、「安全運転」を心掛けた。一方、谷垣氏も公明党への配慮もあり、衆院解散・総選挙の要求を封印、迫力に欠ける滑り出しとなった。/「真摯(しんし)にお答えしたい」。首相は谷垣氏への答弁の冒頭、こう言って懐から眼鏡を取り出すと、答弁書に目を落とした。尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件に関して「中国に間違った教訓を与えたとの指摘は全く当たらない」と反論する場面もあったが、それ以外は抑えた口調で答弁書を読み続けた。
円高・デフレによる景気の「二番底」が懸念される中、首相にとって、2010年度補正予算案を成立させることが「今国会の最大の課題」。このため、民主党は4日、自民党など野党5党に補正の概要を事前に説明して協力を求めるなど、「懐柔」に余念がない。/6日の代表質問でも、自民党が通常国会に提出して廃案となった財政健全化責任法案について、谷垣氏から成立への協力を求められると、首相は「基本的考え方については問題意識をわが党とも共有している」と呼応。さらに「貴党がこの法案を国会に提出された際には、しっかりと受け止めて議論をしていきたい」と応じ、真剣に検討する姿勢を示した。/ただ、続いて質問に立った自民党の稲田朋美衆院議員から、拉致実行犯として国際手配されている北朝鮮の辛光洙容疑者の釈放嘆願書に首相がかつて署名したことを「間抜け」と非難されると、「イラ菅」の地金ものぞいた。「私も野党時代、かなり厳しい言葉を使っていた。しかし、これほど汚い言葉は使わなかった」と、答弁書から目を離してたしなめた。/一方の谷垣氏。「(首相が)為政者の座に居座り続けることほど国民にとって不幸なことはない」と断じ、小沢一郎民主党元代表の「政治とカネ」の問題や中国漁船衝突事件への対応などを取り上げ、首相を責め立てた。
ただ、いつもは菅内閣を早期の衆院解散に追い込む考えを強調しているのに、この日は直接的な解散要求は見送った。「首相がなすべきことは内閣総辞職か、一刻も早く衆院を解散して国民に信を問うことだ」と要求したのは稲田氏だった。/自民党にとって、今国会で主導権を握るためには、公明党など他の野党との共闘態勢を築く必要がある。民主党候補との事実上の一騎打ちとなる24日の衆院北海道5区補選では、公明党の支援も得たい。その公明党は早期解散を回避しようとしており、谷垣氏は「友党への配慮」(自民党幹部)を優先したようだ。 (jijicom、2010/10/06―19:55)
いずれにしてもこうした首相答弁からでは、政治主導で事態を打開しようという首相の強い決意が読み取れない。/ねじれ国会は、首相自身が所信表明で指摘したように、与野党が「熟議」を経て、よりよい結論を導き出す好機でもあるが、それを進めるには指導者たる首相自身が先頭に立つ決意がまず重要だ。人任せや様子見では事態は決して好転するはずもない。
sechin@nethome.ne.jp です。
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