瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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7f8e418c.JPG 12月18日(土)、先日の塾友忘年会の写真をまとめて冊子にしてみた。婆様が「これを出席者全員に作ってあげたら… 」というので、30部ほどプリント編集した。どうやらプリントの出来がよくない。いやはや、爺の技術がつたないことを棚に上げて、全てはプリンターの所為にすることしきり。
 夜は、早めに布団に潜り込むが、なかなか寝付かれない。何度も寝返りを打っても眠れない。灯りを付け枕元にある本を開くがすぐにうとうと。灯りを消して眠りに入るが、なかなか寝付けない。又灯りをつけて本を開く。すぐにうとうと、灯りを消して、…… そんなことを繰り返しているうちに朝が来て、何時もの徘徊に出かける。隅田川を一巡して帰宅。玄関の鍵穴に鍵がはまらず困惑しているうちに目が覚めた。はてさて、どこまでが現で、何処からが夢であったのか? 枕もとの目覚ましを見ると7時を過ぎている。日曜日でもあるし、徘徊は取り止め。

fe846180.JPG 荘子に曰く、「夢のなかで酒を飲んで楽しんでいた者が、朝になると不孝な現実に泣き悲しみ、夢のなかで泣き悲しんでいた者が、朝になると楽しく狩に出掛けるということがある。夢を見ているときはそれが夢であることは分からず、夢の中でまた夢占いをしたりして、目が覚めてから初めてそれが夢であったことが分かるのである。(人生もおなじことだ。)本当の目覚めがあってこそこの人生が大きな一場の夢であったことが分かるのだ。それなのに愚か者は自分で目が覚めていると自惚れて、あれこれと穿鑿しては物知り顔をして、君主だといっては貴び、牧人だといっては賤しんで差別をする。固陋(かたくな)なことだ。孔丘もお前もみな夢を見ているのだ。そして、わしがお前に夢の話をしているのもまた夢だ。こうした話こそ、それを名付けて弔詭(てきき、とても変わった話)という。この話の意味の分かる大聖人に〔巡り会うことはむずかしいことで、〕万代もの後に一度巡り会ったとしても、それは朝晩に会っているほど〔の幸運〕なのだ」(岩波文庫 荘子 第一冊 より)と。

 12月19日(日)、婆様は長野から従姉妹が上京するということで、午前から出掛け、テレビを見ながらお留守番。お昼は婆様が準備してくれたビーフカレーをチンして食った。

 今朝は目覚めると既に午前7時。
 昼食後、吾妻橋~白鬚橋間をぶらり徘徊。途中、旧水戸下屋敷の日本庭園に立ち寄る。
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b4218d70.jpg 今朝も起き抜けに隅田川を一巡。予報の通り気温は低いが、晴天のようで真上には星が瞬いている。スカイツリーの上には明けの明星が一際明るく輝いている。帰途、橋場・今戸のテラスに降りて、明け初めた墨堤の陽炎(かぎろひ)を眺めながら帰宅した。明るくなった東の空には未だ明けの明星が残りスカイツリーを見下ろしていた。

db2cefd8.JPG まあ、新聞を見てもテレビを見ても明るいニュースは少ない。政治はますます混迷を極めているようである。今朝のウェブニュースより。
国会招致 小沢氏きょう拒否回答 ―― 民主党の小沢一郎元代表は十六日、自らの国会招致問題をめぐる岡田克也幹事長からの会談要請について、十七日に文書で回答する意向を岡田氏側に伝えた。小沢氏は会談に応じず、岡田氏が求める衆院政治倫理審査会(政倫審)にも出席しない考えを伝えるのにとどめる。/小沢氏は十六日夜、都内で鳩山由紀夫前首相、輿石東参院議員会長と会談した。岡田氏との会談について「直接言ってくれば、いつでも会う」などと話していたという。/これに先立ち、岡田氏は同日午後、菅直人首相、輿石氏と首相官邸で会談。小沢氏が十五日の会合で、政倫審への出席を拒否する考えを示したことを踏まえ、対応を協議した。/この後、岡田氏は記者会見で「(小沢氏とは)なるべく早く会いたい。いつまでも時間がかかっていい話ではない」と述べ、小沢氏が早急に会談に応じるよう求めた。/小沢氏の国会招致については「議決にならない方がいい」と自発的な出席への期待感を示した。小沢氏が拒否した場合には「国会に関することの議決機関である役員会から一任を受けている」と述べ、自らの判断で政倫審での議決に踏み切る可能性を重ねて表明した。/首相は十六日夜、自ら小沢氏と会談する可能性について「岡田幹事長から話があれば検討する」と述べた。   (東京新聞、2010年12月17日 朝刊)

25fb8322.JPG 老子に曰く、「その政治が(おおまかで)ぼんやりしていれば、その人民は純朴であるが、その政治が(こまごまと)はっきりしてくると、その人民は不満を抱く。/災禍(わざわい)があれば、そこに幸福(さいわい)もよりそっており、幸福があれば、そこに災禍もかくれている。(禍福の循環は)誰にその法則が判ろうか。そもそも正しい基準はないのか? 正しいことが奇(よこしま)なことに変わり、善いことがまた妖(あや)しげなことに変わって、人々が迷うようになってから、まことに久しい時が経った。/それゆえに聖人は、方正であってもそれで(物を)切り裂いて分別することはなく、きっぱりと廉(かど)だっていてもそれで(物を)傷つけることはなく、真っ直ぐであってもそれで何処までも伸びてゆくことはなく、(知識の)光はあっても(人の目を射る)輝きは出さないのである。」(老子、第58)

 起き抜け5時に家を出る。東白鬚公園を抜けて水神大橋を渡り、隅田川一巡して帰宅する。今日の東京の日の出は6時43分。帰宅は7時であるから、徘徊の大部分は夜道である。瑞光橋を渡り、明治通りを横切る頃、隅田川の東岸が白み始める。今日は曇り空で朝焼けは見られない。今戸遊歩道にかかる頃やっと夜が明ける。
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b738d7d1.JPG 訳)隅田川の景色は、繁華で有名な揚州に似ている。/橋の畔(ほとり)には更に長い橋、高楼の向こうに更に高い楼。/岸の荻はさびしくまばらで、雲のかなたで雁が悲しげに叫ぶ。/しかし、ここではそんな秋の愁いを感じる人などはいないのだ。

fc5fa625.JPG 因みに、古賀侗庵(1788~1847年)は寛政の三博士の一人である古賀精里(1750~1817年)の三男であり、字は季曄、号を侗庵・古心堂などと称し、父精里に随い江戸で勉学して幕府儒者見習いとなって昌平黌に出仕し、佐賀藩江戸屋敷で藩士に教授した儒者である。古賀氏は本姓は劉、帰化人の後裔で、代々が肥前に住み佐賀藩士であった。/また侗庵は詩会「如蘭社」を主宰した。メンバーには江木鰐水、関藤藤陰、頼杏坪、頼山陽、宮原龍、津田終吉(津田賁)など約50名がいた。/著書の『海防臆測』(上・下 天保10年頃 (1839頃))は、ロシア問題に深い関心をもっていた侗庵が、わが国の海防とくにロシアに対する備えの必要とその方法を漢文で記したもの。また、『水虎考略』(天保7年(1836) 霊槐書写)は、水虎=河童の関する著述で、原本を侗庵が文政3年 (1820) にまとめた。天保10年(1839)に再び侗庵によって、より多くの文献から河童譚を集めた『後篇』2冊も編まれた。

 高校時代に親しく付き合っていた友人に古賀精里というのがいた。一緒に上京し、暫く同じ下宿に同居したことがある。風の噂に朝日新聞西部本社に勤務したということを聞いたが、生きているのやら、何処に住んでいるのやら全く消息が掴めぬ。まだ平成にならぬ1980年代に砂津の住いに訪ねたが留守で会えなかった。以後折あるごとに方々で訊ねているのではあるが、まったく行方がわからぬ。
 朝食後、隅田川を一巡する。
76ea7e42.jpg ゆりかもめは冬に暖地の沿岸に集団で渡ってきて、春には北に帰る。海だけでなく大きな川にもさかのぼって飛んでくる。今年も隅田川にやってきた。体長40センチ位、足と嘴が赤い。頭は夏には黒いが冬になると白くなり頬に黒い点が残る。羽は灰色で先と尾は黒い。

 舟競ふ 堀江の川の 水際に 来居つつ鳴くは 都鳥かも (大伴家持 万葉集 巻二十 4462)
 訳)たくさんの船が行き交う、堀江川の水際にやってきて鳴いているのは、みやこどりなのでしょうか。
 万葉集に出てくるこの「都鳥」も、ゆりかもめである可能性がある。

af43175f.jpg 昨日は横浜駅西口で神奈川県在住のYS、IN、MY諸氏と待ち合わせ、高島屋の地下街にある「銀座 ハゲ天」というマッコトわが拙痴无にふさわしき名前の店で会食。その後、拙痴无にはトンと不案内の地下街を巡って「一番館」というコーヒーショップでお駄弁り。最後はIN氏が京急の改札まで送ってくれた。帰り際に3人からのお土産といって、肉まん・餡まん・しゅうまいを頂いた。

10f63869.JPG 先生も陶淵明のように早く歸去來を賦しなさい、故郷の石ころの畑や茅葺の家が青苔に埋もれてしまわぬうちに、儒術など何の役にも立ちませぬ、孔丘だ盜跖だといってもどちらも塵芥と等しくはかないものです。こんなことを聞いたとて意気消沈などせずに、せっかく出会えたことを喜びあい、杯を飲み干しましょうよ。

31ca0e21.JPG ここにいう先生とは鄭虔(てい けん、生没年不詳)。唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があったという。ともに遊んだ廣文先生こと鄭虔は、杜甫が心を許した友であったらしい。当時の杜甫は、科挙に落ちて前途の望みを絶たれ、就職活動もうまくゆかず、鬱々たる毎日を過ごしていた、鄭虔はそんな杜甫にとって、自分の境遇に似たものを感じさせた。鄭虔は廣文館博士という官職についていたが、単に名誉職的なものだったようである。ほかの官吏が次々と出世し、豪勢な生活をしているというのに、先生はその日の食べ物にも事欠く有様。後世に名を垂れるほどの立派な学識を持っていながら、このように不遇なのは自分とよく似ているではないか。自分もまた貧乏にあえぎ、粗末ななりをして、人々の笑いものになっている。こんな世の中では、才能など何の役にも立たない。まして儒教など学んだとて、それが何の役に立つのだ。孔子でさえ、その無用なことは盗賊と異ならない。こんな激しい憤りを吐いているのである。

 今日は新聞休刊日。ウェブニュースに拠れば、
 12月13日(ブルームバーグ):任期満了に伴う茨城県議会議員選挙(定数65)は12日投開票が行われた。民主党は公認・推薦合わせて24人を擁立したが、当選者は現有議席と同じ6人にとどまった。来年4月の統一地方選挙を前に民主党への逆風を確認するかたちとなり、菅直人首相や岡田克也幹事長の今後の政権・党運営に影響を与えそうだ。/県議選は全36選挙区に106人が立候補。現有45議席の自民党は公認33人に加え、推薦6人が当選して過半数を維持した。公明党は4人、みんなの党は2人、共産党は1人をそれぞれ当選させた。全体の投票率は49.00%。党派別得票率も自民が38.98%に対し、民主は17.01%だった。 /民主党は13日午後に役員会を開催し、野党が求めている小沢一郎元代表の国会招致への対応をめぐり議論する。衆院政治倫理審査会での議決による招致実現を模索する岡田幹事長の方針に小沢氏に近い議員が反発を強めており、議論の行方は不透明だ。/こうした中、岡田氏は9日の記者会見で、小沢氏について「政倫審の場に自ら出てきて説明をしてもらうことが望ましいと一貫して言っている」と強調。11日には、小沢氏の国会招致に関し、本人が判断できないなら、党として意思を示す必要があると述べ、13日の党役員会で招致議決方針を決める考えを示したと共同通信が伝えている。/共同通信はまた、茨城県議選結果を菅内閣の中国漁船衝突事件に対する対応のまずさや、閣僚の相次ぐ問題発言などが響いたかたちだ、と分析。内閣支持率が低迷する中、11月の千葉県松戸市議選での大敗などに続く地方選の敗北で、菅首相の政権運営は厳しさを増しそうだ、と報じた。

 何ともそれぞれの言い分は有るのだろうが、こんなことで民利など望むべくもない。淮南子に曰く、―― 盗跖(古の大盗)の手下が跖に問うた「盗みにも道があるんですかい?」跖、「あるどころか、考えて獲物の当たりをつけるのが聖よ。先に押し入るのが勇よ。殿(しんがり)に逃げるのが義よ。公平に山分けするのが仁よ。潮時を見るのが智よ。この五つを備えずに大盗となれたためしはない」。
 ことほど左様に、盗賊の心も聖人の道をたよって流行るのである。さて、老子にはいう、「聖を絶ち智を棄てれば民利は百倍する」(老子一九章)――
796d4f34.JPG 英智を根絶やしにして分別を棄て去るなら、人民の利益は百倍にもなるであろう。仁愛を根絶やしにして正義を棄て去るなら、人民は孝行や慈愛に立ち戻るであろう。技巧を根絶やしにして功利を棄て去れば、盗人どもはいなくなるであろう。
 これら三つのことは、いつわりの飾りごとで不満足なものであるから、(それらに代わって人人が)付き従うことを示しておこう。飾り気のない素地(きじ)のままを外にあらわし、樸(あらき)のような素朴さを内に守れ。利己主義を去り、欲望を少なくせよ。学問を根絶やしにし、くよくよすることをやめよ。

 今日は横浜で神奈川県在住の3人の友人と忘年会。これから出掛ける。

8dd2c507.JPG 昨夜は、塾友会の忘年会。兼愛塾が潰れて20年近くの年月が経てば、塾友の年長者は60歳を超え、一番若い連中でもすでに40歳台。毎年この忘年会でしか顔を合わせない人、去年まで見えていた顔で何らかの事情で今年は出席できなかった人、人づてにこの忘年会を聞き始めて参加してくれた人…… 一年の締めくくりにこうしてみんなと出会い、思い出話に花を咲かせ、塾友たちのいろいろな消息を聞くと、何となく皆さんから元気の素を貰っているような気になる。
 今日は、昨日の酒が残っているが、心地よい二日酔い気分である。
 腰痛が治まったわけではない。何だか1日やることもなくボケーとしていると、息が詰まってくる。
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6aff8368.jpg 午前5時、桜橋を渡り、墨堤通りを東白鬚公園の北ゲートまで北上。防災団地の中ほどの入口にクリスマスツリーが飾られている。公園に入ると梅若橋の下を潜って水神大橋を渡る。隅田川沿いの遊歩道を南下。明治通りを横切ると橋場・今戸のテラスを南下して帰宅。徘徊の道筋はその殆んどが夜道。橋場・今戸のテラス付近で漸く夜明けとなる。

dcad403b.JPG この爺は一体全体一日をどのように過しているのだろう。是と非、夢と現実、生と死などの対立 ―― そのいずれが真の世界であるかを論ずるよりも、いずれをも肯定して受け容れ、それぞれの場で満足して生きればよいのであろう。醒めては夢の如く、生きては死せる如く、身終われば根元に戻るのである。

 水門の会報を発送して、2日3日経とうというのに、朝起きると腰が痛く、右肩から右腕にかけて痛みが走る。徘徊も億劫になり、暫く休んでしまった。
 テレビの前で寝そべって画面を見るともなしに見ている。ワイドショーは専ら海老蔵傷害事件ばかり、コマーシャルは健康食品と保険の宣伝ばかり、どれもこれも嘘っぱちに聞こえる。
9b462500.JPG 自分で自分を見せびらかそうとしないから、(かえってその存在が)明らかになり、自分で自分を正しいとしないから、(かえってその正しさが)はっきりとし、自分のしたことをはなにかけないから、功績も上がり、自分から尊大に構えないから、いつまでも持ちこたえられる。そもそも(自分を立てて人と)争う事をしない。だから、世界中に争うことの出来る者がいないのである。〔老子第22より〕

ウェブニュースから
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f3b765c4.JPG 海老蔵「奇行」新証言…早朝ニヤニヤ疾走!組織が手引きも ―― 人気歌舞伎俳優、市川海老蔵(32)が全治6週間の重傷を負った殴打事件で、傷害容疑で逮捕状が出たⅠ(26)は、3日にも警視庁に出頭するとの複数の証言が出ている。事件が新しい展開を迎えようとする中、事件当日の先月25日午前6時過ぎに、海老蔵が事件現場のバーが入る東京・西麻布のビル付近を含み笑いで走り回っていたことが目撃者の証言で分かった。その後、再びビルに戻り、Iから暴行を受けたとみられるが、一体なぜそんな奇行を―。/目撃者によると、25日午前6時過ぎ、事件現場のビルから約200メートル六本木寄りの六本木通りの車道を、グレーのスウェットのズボンを七分丈までめくり上げた男が裸足で駆けてきた。/「海老蔵でした。スウェットの下にジル・サンダーっぽいTシャツを着ていたのですぐに分かった。ランニングぐらいの早さで柵を乗り越えて歩道に上がり、(事件現場の)ビルに入って行った。もう周囲は明るくなってきていたので顔もよく見えた」/警視庁の調べや関係者の話によると、海老蔵は同日未明に同ビル内の飲食店に顔を出した。11階の会員制カラオケバーなどでIのグループと遭遇し、Iの先輩にあたるリーダー格の男性(29)に灰皿に注いだテキーラを飲ませたり、洋服に酒をかけたりした。/一悶着あった後、海老蔵は裸足でビルの外に飛び出したが、携帯電話などの忘れ物に気づいたのか、再びビルに戻るところを目撃されたようだ。/「顔にはうっすら血が付き、ぬぐったような感じだった。はっきりした傷が見当たらなかったので、大したけがではなかった。服には一切、血が付いていなかった。すれ違ったときには酒の臭いはしなかった」と目撃者は淡々と振り返る。/この時点で既に顔をケガしていたが、明らかに帰宅した時のような負傷ではない。つまり、再びビルに戻った直後にIを含めたグループと鉢合わせし、顔面などを殴打された可能性が高い。/そして、6時50分頃、現場から渋谷方向へ500メートル行った六本木通りでタクシーを拾い帰宅した。目黒区内の自宅に帰った際は顔も服も血だらけだった。/今回の新証言で、犯行時間帯は日の出「午前6時26分」前後で一時、ビルから離脱に成功、そのまま帰宅すればいいものの、海老蔵は自ら再び“敵”の懐に飛び込んだ格好になったとみられる。/また、海老蔵は警視庁の調べに「泥酔し、よく覚えていない」などと話しているが、「千鳥足でもなかった。しっかりとした足取りで走っていた」(目撃者)といい、この点も海老蔵の主張と食い違う。/海老蔵が走った車道は坂で距離は約200メートル。走れば息も切れるはずだが、「含み笑いを見せ、余裕のある表情で走り抜けた」(目撃者)というのだ。/一方、潜伏を続けるIが「3日にも目黒署に出頭する」との観測が広がっている。そこには、Iをかくまっているとされるグループの思惑が関係しているという。事情に精通する六本木の飲食店関係者はこう説明する。/「事件直後から、海老蔵は『一方的に暴行を受けた』と主張し、被害者ぶっていた。この流れのままIが逮捕されれば、後の公判で不利な立場になるのは必至。そこで逮捕前に、Iとグループ側の言い分を世間に認知させる必要があった」/先に海老蔵が手を出したことや、リーダーが全治2週間の診断書を用意し、被害届を出す意向があることなどが報じられるなど、ここに来て事件自体に対する風向きが変わってきた。/「これで海老蔵の主張が怪しいと世間に周知された。少しでもIに有利になるような“絵”が描けたので、後はIにうまい物でも食べさせた後、出頭させるだろう」とこの事情通は話している。  (2010.12.03 zakzak)

 ここのところ、水門会会報の編集にかかりきり。どういう工程がどのように進んだかもよく覚えていない。漸く、製本完了。裁断はしないままに配布の予定であったが、どうもこのままでは気がすまない。
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 今朝は5時に家を出て今戸・橋場の遊歩道を北上、白鬚橋を渡って青色御殿通りを南下、桜橋を渡ると川沿いに花川戸遊歩道を南下、吾妻橋を渡って、向島遊歩道を北上。桜橋を渡って帰宅。
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 帰宅後、気になっていた裁断を行うことにする。120部以上の会報の2面を裁断する。
 朝食後は、会報の封筒詰め、そして封筒張り。午後2時にクロネコヤマトに受け取りに来てもらいメール便で各人へ発送。やって一段落付いた。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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