瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日は、昼食後テレビのBSで大相撲を観戦していると、姪のCUからメールが入りました。曰く、

16/01/24 13:50 受信 FW:全国都道府県駅伝
 昨年まで何気なく見てましたが、70年前叔父さんたちが通ったコースと重なるんですね。平和ならでこその駅伝ですが、見てらっしゃるでしょうか? 今日は父の誕生日94才。兄からさっき病院に行ってきたとメールがありました。 では、また。


 早速テレビを駅伝実況に切り替え、3時過ぎまで都道府県対抗男子駅伝を観戦しました。コースの1区、7区の一部を除いてその殆どが70年前の原爆後8月7日に歩いたコースト重なっています。優勝は愛知で、地元広島は2位でした。

 ウェブニュースより


辺野古移設工事を本格化へ 宜野湾市長選、首相「大きな勝利」 ――  米軍普天間基地を抱える沖縄県宜野湾市の市長選で、与党の支援を受けた現職の佐喜真淳氏が再選したのを受け、政府は同基地の名護市辺野古への移設工事を本格的に進める。国と県の対立は続くが、安倍政権は移設反対派の勝利が続いた流れに歯止めがかかったとみている。
 佐喜真氏は記者団に「普天間の固定化を許さないと訴えたことが市民に響いたのではないか」と表明。敗れた志村恵一郎氏は「辺野古移設に反対を示す選挙だとの訴えが届かなかった」と語った。翁長雄志知事は辺野古移設に関して「これからも許されないという姿勢を堅持する」と述べた。
 安倍晋三首相は24日、自民党幹部と電話し「この勝利は大きい」と伝えた。中谷元・防衛相は取材に答え「(普天間基地の)代替施設建設事業を進め、沖縄の負担軽減に取り組む」と表明した。
 政府は辺野古では現場への資材搬入などにとどめていたが、今後は本格的な海上作業に取りかかる。2020年10月までの工事完了を目指す。今回、敗れれば反対運動が勢いづき「辺野古で物理的に移設阻止を図る動きも活発になる」(政府関係者)と懸念していたが「移設推進にも一定の民意があることが示された」と安堵が広がった。
 沖縄では14年1月の名護市長選、同11月の知事選、同12月の衆院選の全小選挙区で移設反対派が勝っていたため、政府・与党は宜野湾市長選を国政選挙並みの態勢で支援した。自民党の茂木敏充選挙対策委員長は「この勢いを4月の衆院北海道5区補欠選挙や参院選につなげたい」と述べた。
 一方、維新の党の松野頼久代表は「今回の勝利を口実に移設計画の推進を正当化することがあってはならない」とコメントした。
 国と県は辺野古の埋め立てを巡る法廷闘争に入っている。政府は工事を進めながら、沖縄県民に粘り強く移設方針への理解を求める考えだ。  (日本経済新聞 2016/1/25 0:38)

 琴奨菊、初優勝 日本勢力士10年ぶり ――  大相撲の初場所千秋楽が24日、東京・両国国技館で行われ、大関の琴奨菊(31)=本名菊次一弘、福岡県柳川市出身、佐渡ケ嶽部屋=が豪栄道を下し、幕内初優勝を飾った。日本出身力士が制したのは、2006年初場所の大関栃東(現玉ノ井親方)以来10年ぶり。九州出身力士の優勝は04年秋場所の大関魁皇(現浅香山親方)=福岡県直方市出身=以来となった。

 今場所の琴奨菊は得意のがぶり寄りが光り、初日から12連勝。11日目の横綱白鵬との全勝対決で勝つなど、鶴竜、日馬富士の3横綱を連破した。13日目に初黒星を喫したが、単独トップで迎えた千秋楽で豪栄道を突き落とし、14勝1敗とした。
 琴奨菊は相撲留学した高知・明徳義塾中高を経て2001年に佐渡ケ嶽部屋に入門。02年初場所で初土俵を踏み、05年初場所で新入幕を果たした。07年春場所新関脇。11年の九州場所を新大関として迎えた。
 初の賜杯を手にした琴奨菊は「言葉に表せないくらいにうれしい」と喜びに浸った。この日、国技館で観戦した父の一典さん(60)と母の美恵子さん(61)は感涙した。一典さんは、琴奨菊に相撲の手ほどきをした祖父の故一男さんの写真を掲げていたために優勝の瞬間を見られなかったが「自分よりも勝った瞬間をおやじに見せてやりたかった」と感極まった。
 琴奨菊は横綱昇進を懸け、春場所(3月13日初日・大阪)に臨む。 =2016/01/25付 西日本新聞朝刊=20160125 0011

 広島2位、大声援後押し 都道府県対抗男子駅伝 -―  第21回全国都道府県対抗男子駅伝(7区間48.0キロ)が24日、広島市の平和記念公園前を発着点にあり、広島は2時間2043秒で、第5回大会以来の2位だった。約25万人の観客(主催者発表)は雪が舞う中、大きな声援を選手らに送った。
 「流れを作りたい」と話していた1区の中島大就(たいじゅ)選手(世羅高)は、トップと12秒差の11位。「中継地点の直前で先頭集団から離されてしまった。それでも、大きく崩れなかったのは良かった」
 2区の前垣内皓大(まえがいちこうた)選手(三原五中)は、区間3位の好記録で3位に浮上した。3区の北魁道(かいどう)選手(中国電力)も粘りながら3位を維持。北選手は「先頭を追うということを考えて走った。地元の友人が応援に来てくれて、気持ちよく走れた」
 4、5区は世羅高の選手が続いた。4区の植村拓未選手は「走る直前まで、仲間がずっと『緊張せずに楽しんでこい』と言ってくれた。声援を背に楽しんで走れた」と笑顔を見せた。「区間賞を狙って最初からガンガン行った」という5区の吉田圭太選手は、区間3位の記録で順位を2位に上げた。
 「後続を離すことだけを意識した」という6区の梶山林太郎選手(坂中)は順位を守り、アンカーの工藤有生(なおき)選手(駒沢大)にたすきを渡した。工藤選手は前半、1位の愛知との差を縮め、沿道の観客から大きな歓声が上がったが、後半に引き離されて第1回大会以来の優勝とはならなかった。「後半に失速してしまった。来年も出場できたら次は、絶対に監督を胴上げしたい」と悔しがった。
 昨年12月の全国高校駅伝競走大会で優勝した世羅高の選手たちを擁し、優勝候補の一角とされた広島。だが前回大会でアンカーだった主将の鎧坂(よろいざか)哲哉選手(旭化成)や、4区に出場予定だった新迫志希選手(世羅高)がけがや調整不足のため出場できなかった。
 岩本真弥監督は「チームの柱が抜けて、硬い走りだったが、みんなよく走ってくれた。2位という結果は残念だが、力を出し切れたと思う」と話した。  (朝日新聞DIGITAL 20161250300分)


 

 昨日、宝塚市のKS氏よりメールが入りました。曰く、
 16/01/21 10:26受信 FW:ご機嫌伺い
 この所の体調は如何ですか?      極寒と降雪の中での散歩は控えて下さいよ。        当方も秒刻みで、年齢を重ねているのを実感しています。  話は変わりますが、初場所での琴奨菊の活躍に驚いています。今まで、背中・肩等に大きな膏薬を貼りながらの痛々しい姿を目にしていましたが、今般の勇姿には驚かされています。相撲を取った後の紅色に輝く肌と、誇らしげな歩みに感動すら覚えます。    当方も生きていてよかったの感で、今日、明日の取組が、期待と不安で終始しています。家内はここ一週間ほど、SMAPのニュースに振り回されているようです。旁々、体調に留意して下さい。 KS


 


 ウェブニュースより、
 琴奨菊が全勝守り「ヨシッ」霧島以来の横綱3連破 ―― <大相撲初場所>◇12日目◇21日◇東京・両国国技館
 大関琴奨菊(31=佐渡ケ嶽)が、横綱日馬富士(31=伊勢ケ浜)も倒した。
 左をこじ入れて、胸を合わせて前に出る。土俵際までがぶって、最後は右から突き落とし。大関以下では91年初場所の大関霧島以来となる横綱3連破に、結びの一番前にもかかわらず、座布団が舞った。

 支度部屋に戻ると、床山と恒例のグータッチの儀式。そして「ヨシッ」と一言、言葉を発した。「やるべきことをしっかりやって、出し切りました。自分を信じて行けた」。ただ1人の全勝を、この日も守った。
 横綱3連戦を乗り越えて、残るは3日。06年初場所の栃東以来、10年ぶりとなる日本出身力士の優勝がいよいよ見えてきた。だが「(勝利の女神が)振り向くか、振り向かないかは分からない。一生懸命やって、悔いが残らないようにやるだけです」。心はいたって冷静だった。  [日刊スポーツ 20161212015]


 

 昨日は、甥のKK君(次兄の息子)が訪ねてくれました。この爺とは36歳違いの同じ申年です。久々の対面でしたが、すっかり貫禄をつけて自分が随分歳を取ったことを感じました。


 ウェブニュースより
 パキスタンの大学、銃乱射で20人死亡 タリバーン一派 ――  パキスタン北西部のチャルサダにある公立バチャ・カーン大学に20日午前(日本時間同日午後)、武装集団が押し入り、銃を乱射した。軍の発表などによると、学生ら少なくとも20人が死亡、30人以上が負傷した。犯人は4人組で、軍部隊などに全員射殺された。イスラム過激派の反政府勢力パキスタン・タリバーン運動(TTP=Tehrik-i-Taliban Pakistan)の一派が犯行声明を出した。
 チャルサダから約30キロ南西のペシャワルでは2014年12月、TTPが軍系列の学校に侵入して銃を乱射し、生徒ら約150人を殺害する事件が起きている。

 犯行声明を出したのは、この事件で実行犯への指示役だった男で「ペシャワルでの作戦後、収監された多数の仲間が処刑されていることへの報復」と述べた。シャリフ首相は「罪のない学生を殺す者に信仰はない。必ずテロを根絶する」との声明を出した。
 大学は12年開学。男女共学で、学生約3千人と教員ら約500人が在籍する。襲撃当時は定期試験などが行われており、大半が構内にいたとみられている。
 大学の警備責任者によると、大学には50人以上の警備員が配置されていたが、武装集団は霧に紛れて大学の裏手の塀を越えて侵入した。複数の校舎に立てこもり、学生や教官に向けて無差別に銃を乱射。手投げ弾とみられる激しい爆発音も断続的に起きた。
 3年生の男子は地元テレビに「午前9時ごろ、激しい銃撃音が聞こえた。コンピューター学部や文学部の構内で犯人が銃撃するのが見えた。逃げる途中で学生ら6人の遺体を見た」と話した。軍はヘリコプターで特殊部隊を投入。約3時間かけて建物を一つずつ制圧した。
 バチャ・カーンは、英植民地時代の独立運動指導者の名前。パキスタン北西部の世俗政党「アワミ民族党(ANPAwami National Party)」の前身組織の創始者でもある。20日は同氏の没後28周年にあたり、詩の朗読会が予定されていた。ANPは13年まで地元州政府を率い、軍と協力してTTP鎮圧を進めた。このため、しばしばTTPの攻撃を受けている。 (朝日新聞DIGITAL イスラマバード 20161210035


 


甘利氏 “未記載”調査し訂正の方針 野党は追及へ ―― 甘利経済再生担当大臣は、みずからの資金管理団体などが千葉県の建設会社の関係者から受け取った政治献金の一部を政治資金収支報告書に記載していなかった疑いがあることから、事実関係を調査したうえで報告書を訂正する方針です。これに対して民主党など野党側は、21日の参議院の決算委員会などで事実関係を明確にするよう求め、追及を強めることにしています。

 21日発売の「週刊文春」は、千葉県白井市の建設会社が、周辺で行われた道路工事で損害が出たとしてUR(Urban Renaissance Agency)=都市再生機構に補償を求めた交渉を巡り、甘利経済再生担当大臣の事務所に現金を提供したなどとする記事を掲載しています。
 甘利大臣の関係者によりますと、週刊誌の取材をきっかけに調べたところ、この会社の関係者から2013年と2014年に受け取った合わせて100万円の政治献金について、資金管理団体などの収支報告書に記載していなかった疑いがあるということです。これについて、甘利大臣は20日夜の記者会見で「正確にどういうことが指摘されているのか事実確認が必要だ。しっかり調査したうえで、国民に疑惑を持たれないように説明責任を果たしていきたい」と述べました。甘利大臣は、記載漏れが確認されれば報告書を訂正する方針です。
 政府・与党内からは「説明を尽くして国民の理解を得る努力をするしかない」などという意見のほか、「進退に発展するような問題ではない」などという見方がでています。
 一方で、甘利大臣が安倍内閣の経済政策の取りまとめに当たり、TPP=環太平洋パートナーシップ協定の交渉でも中心的な役割を担ってきたことなどから、政権運営や国会審議への影響を懸念する指摘も出ています。
 これに対して野党側は、民主党の枝野幹事長が「相当、深刻な問題を抱えていると認識している。参議院の決算委員会や、新年度予算案の審議で、相当厳しく問いたださなければならないことが、たくさんあると思う」と述べました。野党側は、国会審議を通じて甘利大臣に事実関係を明確にするよう求めるとともに、安倍総理大臣の任命責任も厳しく追及し攻勢を強めていく構えです。    (NHK NEWS WEB 1月21日 5時05分)

 中村梅之助さん死去 初代「金さん」、大河「花神」―― 劇団前進座代表で、テレビドラマ「遠山の金さん捕物帳」の初代金さん役で知られる歌舞伎俳優の中村梅之助(なかむらうめのすけ)(本名・三井鉄男(みついてつお))さんが十八日、肺炎のため死去したことが分かった。八十五歳。東京都出身。親族と劇団員で密葬を行った。劇団葬を三月三日午前十一時から東京都港区南青山二の三三の二〇、青山葬儀所で行う。喪主は長男で俳優の梅雀(ばいじゃく)(本名・進一(しんいち))氏。
 三代目中村翫右衛門(かんえもん)の長男に生まれ、八歳のとき「蜂の巣長屋」で初舞台を踏み、翌年の「勧進帳」で四代目中村梅之助を襲名した。「俊寛」などの時代物から「魚屋宗五郎」などの世話物まで、気迫にあふれた演技に定評があった。「一本刀土俵入」の駒形茂兵衛は父から「俺よりいい」と褒められたといい、前進座が文化庁芸術祭賞(一九九三年)を受賞した。近年は新歌舞伎「元禄忠臣蔵」や「法然と親鸞」など幅広い役を自在にこなした。

 前進座には四五年に入団。劇団の歴史とともに歩み、父ら第一世代亡き後は十歳下の嵐圭史さんとともに第二世代として劇団を支えた。
 テレビでも活躍。テレビ朝日系「遠山の金さん捕物帳」(七〇~七三年)の遠山金四郎やNHK大河ドラマ「花神」(七七年)主人公の大村益次郎の役で、茶の間の人気を集めた。
 二〇一二年五月の国立大劇場の歌舞伎公演では「口上」を述べる予定だったが、体調不良を理由に辞退していた。右足の動脈硬化症や不整脈、結腸切除、片方の腎臓摘出など満身創痍(そうい)だった。
 それでも一三年一月には、三十一年の歴史に幕を閉じた拠点の前進座劇場(東京都武蔵野市)のファイナル公演千秋楽で口上に登場。本紙の取材に「劇団の百周年を目指す」と語っていた。同年五月の国立大劇場公演で一年ぶりの舞台復帰を目指していた。
◆負けじ魂 伝統芸継承
 十八日に八十五歳で亡くなった中村梅之助(うめのすけ)さんは、丸い顔でいつも笑顔だった。「祖父(二代目中村翫右衛門=かんえもん)は面長な役者顔だったのに、父、私とだんだん丸くなった。母親の影響かな」と話していたことを思い出す。
 怒った顔を想像できなかったが「演劇界の革命」を旗印に門閥が幅を利かせる歌舞伎界を飛び出し、劇団前進座を結成した父(三代目翫右衛門)の話になると語調が急に改まった。
 「ことごとに『緞帳(どんちょう)役者(下級の俳優)』とさげすまれた父たちはその悔しさをバネに頑張った」。巡業を重ねる芝居には、いわゆる「大歌舞伎」のような引き幕が許されなかった。父たちの苦労に思いをはせていた。「劇団創設当時の初心を忘れずに、全国のお客さんに正しく伝統芸を伝えたいと、私たちも負けるものかの根性で努める」と力強く語っていた。
 伝統を意識する一方で、大歌舞伎とは違った独特の演出で、前進座らしい工夫も凝らした。父の代から続く劇団の財産演目「俊寛」などにそれが表れる。
 晩年はさまざまな病魔と闘い、舞台も滞りがちだったが、「だいたいの役はやり尽くしたかな」と苦笑していた。二〇一三年一月、前進座劇場閉館のファイナル公演の千秋楽に口上で登場し、名作「元禄忠臣蔵」(真山青果作)の一場面で、大石内蔵助のせりふ「しずかに名残を惜しまるるがよい…」を引用して語ったのが印象的だった。
 「この年になってようやく分かった芝居の機微がある。それを先輩としてではなく、芝居仲間として後輩たちに伝えていきたい」と決意を語っていた梅之助さん。「いざとなったら広場のテントでも芝居はできる」と熱弁を振るった。最後まで芝居への情熱は衰えなかったが、この時もニコニコと春風のごとくだった。 (東京新聞 2016120日 夕刊)

  1月3日のブログ「誕生日」にコメントがつきました。曰く
無題 :私が3歳のころ(昭和28年、西暦1953年)、しらばあちゃんは89歳だったのですね。はじめてひらがなの手ほどきを受けたのを今でもはっきり覚えています。足腰は弱かったようですが、頭脳は明晰で、しっかりと読み書きを教えてくれました。教えられる方に問題があって、額の中の達筆の文字には永久に及びそうにないのが残念です。当時節夫叔父は早稲田大学の学生。”都の西北”と教えてもらって大声で唄っていました。  中公望 2016/01/20(水)


 

 ウェブニュースより
 ブルキナファソの高級ホテル襲撃、20人以上が死亡 ―― 西アフリカ・ブルキナファソの首都ワガドゥグで15日夜(日本時間16日早朝)、外国人らが宿泊する高級ホテルがイスラム過激派の武装勢力に襲撃された。武装勢力は宿泊客を人質にとってホテルに立てこもり、駆けつけた治安部隊と銃撃戦になった。治安部隊は16日早朝、ホテル内に突入し、宿泊客らを解放した。作戦によって過激派4人が死亡した。

 AFP通信などによると、宿泊客ら20人以上が死亡。30人以上が負傷した。犠牲者の国籍は十数カ国にわたるとみられる。日本の外務省によると、邦人が巻き込まれたとの情報はない。国際テロ組織アルカイダ系の武装勢力「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」が犯行声明を出した。
 現場は高級ホテル「スプレンディッド」(147室)。15日午後7時半ごろ、ホテル周辺で2台の車が爆発し、覆面をした数人の男がホテルや近隣のカフェを襲った。現地からの映像では、ホテル周辺で車が激しく燃えている様子が映し出されている。

 また、ロイター通信は16日、ブルキナファソ北部でオーストリア国籍の男性医師と妻が誘拐されたと伝えた。ホテル襲撃との関連は不明だという。
 ブルキナファソでは2014年10月、27年間実権を握ったコンパオレ前大統領が市民の反政府デモを受けて退陣。昨年11月の大統領選挙で元首相が当選したばかり。
 西アフリカでは昨年11月にも、ブルキナファソの隣国マリの首都バマコで高級ホテル「ラディソンブル」が武装集団に襲撃され、宿泊客ら約20人が死亡。アルカイダ系の武装勢力が犯行声明を出した。(モンロビアにて)  (朝日新聞DIGITAL 20161162050


 


 台湾、立法院選でも民進党が初の単独過半数 ―― 【台北】台湾の立法院(国会、定数113)選挙が16日投開票され、最大野党・民進党が躍進した。議席数を改選前の40から大きく伸ばし68議席を獲得、初めて過半数(57議席)を上回った。同日の総統選で大勝した蔡英文氏の指揮のもとで議会運営でも優位に立つ。一方、「時代力量(時代の力)」などの新政党も若者の支持を背景に存在感を高めた。
 中央選挙委員会や各党の発表によると民進党は小選挙区(計73議席)で49議席、比例区(計34)や別枠の先住民区(計6)で19議席を得た。支持基盤の南部に加え、国民党の地盤の台北市など北部でも得票を伸ばした。
 民進党は与党だった2000~08年の陳水扁政権時代に立法院の過半の議席を得られず、少数与党として議会運営で苦労した経緯がある。過半獲得は1986年の結党以来の悲願だった。与党・国民党は経済政策への不満などを背景に議席数を改選前の64から35まで減らし、総統選と同じく大敗を喫した。
 一方、中台間のサービス貿易協定発効への反対派が14年3月に起こした「ヒマワリ学生運動」のリーダーの一人、黄国昌主席(42)率いる時代力量は18人の候補者を擁立し、5議席を獲得した。
 民進党が小政党とも連携し、国民党への不満票を取り込む戦略をとってきたことも追い風となった。若者の支持を集める時代力量などは今後、立法院の第三極として存在感を高めそうだ。


 選挙結果を受けた立法院は2月1日に開会する。

 ▼立法院選挙 国会議員に相当する立法委員を選出する。一院制で任期は4年。小選挙区比例代表制で、定数113議席のうち小選挙区が73、比例区が34、「先住民区」が6議席ある。比例区は得票率が5%に達しないと議席が得られない。全議席の3分の2で総統の罷免や弾劾、4分の3で憲法改正の発議が可能になる。 (日本経済新聞 2016116 2105 (2016116 2344更新)


 

 長野県軽井沢町の山中で、スキー客を乗せたツアーバスがガードレールを突き破って崖下に転落する事故が起きたそうです。多くの乗客と運転手が死亡し、近年の同種事故としては最悪の惨事となったし報じられています。大型バスの事故はこれまでも相次いでいるようです。2012年には群馬県藤岡市の関越自動車道で乗客7人が死亡する事故が起き、安全対策が強化されたはずでした。
 ウェブニュースより
 バス事故、問われる管理体制…健康診断怠る、無断変更 ―― 本来のルートを外れて走っていたスキーバスで、14人の命が奪われた。旅行会社は運行の実態を知らず、バス会社は事故を起こした運転手への健康診断を怠っていた。繰り返される重大事故を受け、安全対策が強化されてきたはずだったが、死角はなかったのか。
 「運転手が自分の判断でルートを変更した。バス会社に対する管理不足」。ツアーを企画した旅行会社「キースツアー」(東京都渋谷区)の福田万吉社長(38)は15日、自社前で報道陣に陳謝した。

 同社がバス会社「イーエスピー」(東京都羽村市)に出した手配書では、群馬県から長野県に抜ける区間は高速道路を通る予定だった。事故が起きた現場の一般道について福田社長は「道路幅も狭く、非常に危険」と説明。これまでのツアーでもこの一般道を通る手配はしなかった。運転手が渋滞回避などで別ルートを選ぶ場合は携帯電話で了解を得る運用になっていたという。
 国土交通省によると、貸し切りバスのツアーでは、ツアーを主催する会社が行程表を作り、バス会社は行程を記した運行指示書を運転手に渡す。運転手の判断でルートを変える場合、バス会社の運行管理者の許可が必要で、許可がなければバス会社が道路運送法違反に問われる。
 イーエスピーの山本崇人営業部長は「ルート変更の情報は運転手から会社に伝わっていなかった」と話した。
 スキーツアー経験のある首都圏の50代のバス運転手は「長野へのスキーツアーではルート変更はよくある」と明かす。長野県内で雪道となる一般道を避けて高速道路を使うため、長野に入る前の高速料金を浮かすのが目的だという。
 イーエスピーは昨年2月の国交省の監査で、運転手13人中10人に健康診断を受けさせていなかったことが発覚し、バス1台の20日間使用停止の処分を今月13日に受けたばかりだった。
 労働安全衛生法に基づく規則では、事業者は従業員に雇用時と年1回の健康診断を行わなければならない。イーエスピーによると、今回運転していた運転手は契約社員で、昨年12月の採用時に健康診断をしていなかった。山本営業部長は「フル稼働でなく、繁忙期に助けてもらう運転手だったため」と釈明した。  (朝日新聞DIGITAL 20161160516分)


 

 ウェブニュースより
 テロで市民2人死亡=東南アジア初、IS犯行声明-爆発相次ぎ銃撃戦・ジャカルタ ―― 【ジャカルタ時事】インドネシアの首都ジャカルタ中心部で14日、自爆テロとみられる複数の爆発と銃撃戦が発生し、容疑者の男5人を含む7人が死亡、24人が負傷した。AFP通信などによると、過激派組織「イスラム国」(IS)が「インドネシアにおけるカリフ国の兵団が十字軍の仲間を攻撃した。武器と自爆ベルトで戦い、仕掛けた爆弾を爆発させた」と犯行声明を出した。東南アジアでISを名乗る集団がテロを実行したのは初めてとみられる。
 ルフット政治・治安担当調整相は死亡した5人の容疑者のうち3人は警察に射殺され、2人は自爆死したと述べた。また、死亡した市民2人はインドネシア人とカナダ人。国家警察によると負傷者の中には外国人4人が含まれている。

 調整相によると、爆発は計5回発生。1回は米コーヒー・チェーン大手「スターバックス」の店舗内、1回は店舗の外、残りの3回は店舗近くにある警察官詰め所周辺で起きた。


 警察当局者によると、容疑者の一部は銃で武装し、爆発後に警察官と銃撃戦になった。ジョコ大統領は報道陣に対し、「国民は恐れないでほしい。われわれはテロに負けない」と語った。


 現場となったコーヒー店は、日系企業も入居する「スカイラインビル」1階で営業。ジャカルタの目抜き通りに面し、日本大使館からも近く、老舗百貨店サリナデパートの隣にある。ジャカルタの日本大使館によると、死者に日本人は含まれておらず、負傷者も確認されていない。
 スカイラインビル内に勤める団体職員の日本人男性によると、爆発音は断続的に聞こえ、すぐにビルから退去するよう当局に促された。警察は狙撃班を含む多数の警察官をビル周囲に配置し、付近の道路を封鎖した。
 インドネシアでは、若者を中心にISの支持者が増加しており、昨年12月にはIS支持者ら計11人が自爆テロを計画したとして逮捕された。警察は年末年始にテロが起きる可能性もあるとして、警戒を強めていた。 (jijicom 20160115-0038


 

かつてTegea(テゲアー、アルカディア南東部に位置した古代ギリシアの都市)の王Aleos(アレオス)はDelphoi(デルポイ)で神託を授かったとき、自分の息子たちが娘Augē(アウゲー)の生んだ子供に殺されると告げられました。このためアレオスはアウゲーをAthēnā(アテーナー)・Alea(アレアー)神殿の女神官とし、アウゲーにもし男と通じたら殺すと言いきかせます。
 ところが英雄Hēraklēs(ヘーラクレース)がテゲアーにやってきたとき、アレオスはアテーナーの神殿でヘーラクレースをもてなしにすが、酒に酔ったヘーラクレースはアウゲーに欲情して犯してしまい、アウゲーは子を身ごもってしまいます。後にアウゲーは密かに子を出産し、神殿内に隠しました。しかしこの行為がアテーナーの怒りに触れ、テゲアーには疫病が流行します。あるいは飢饉に見舞われたともいわれます。

 アレオスが神託に原因を尋ねると、神殿内に原因があると告げられます。そこでアテーナーの神殿を調べるとアウゲーの生んだ赤子が見つかります。アレオスは赤子をarthenion(パルテニオン)山に捨て、アウゲーを罰するためにNauplios(ナウプリオス)に引き渡しました。しかし彼はKatreus(カトレウス、クレータ島の王)の娘たちも奴隷として売りさばくように言われており、まるで奴隷仲介人の仕事でもしているようです。とにもかくにもナウプリオスはアウゲーをMysia(ミュシア、アナトリア半島北西部、ギリシア神話ではTeuthrania(テウトラニア)とも呼ばれます)の王Teuthras(テウトラス)に与え、テウトラースは彼女を妻としてしまいます。一方、赤子は神の意思によって牝鹿に養われ、牧人に発見されて育てられた。そのさい、赤子は牝鹿elaphos(エラポス)にちなんでテーレポスと名づけられたといいます。
 その他にもテーレポスの誕生には多くの別伝があります。Hyginus(ヒュギーヌス、BD64~AD17年、ラテン語の著作家)によると、アウゲーは密かにパルテニオン山で子を生んで捨てます。アウゲーはさらに父を恐れてミューシアのテウトラース王のもとに逃げ、テウトラースは彼女を自分の娘とします。同じころ、アルカディアの女戦士Atalantē,(アタランテー)も自分の子をパルテニオン山に捨てたのです。そこで牧人たちは子供たちを見つけ、アウゲーの子を牝鹿にちなんでテーレポスと名づけ、アタランテーの子は彼女が実際は処女ではなかったことにちなんでParthenopaios(パルテノパイオス)と名づけて育てました。
 Alkidamas(アルキダマース、前4世紀のギリシアの修辞家,ソフィスト)によると、アレオスはアウゲーが妊娠しているのを見つけ、海で溺死させるべくナウプリオスに引き渡します。しかしパルテニオン山を通ったとき、アウゲーが赤子を出産し、それを見たナウプリオスは2人をミューシアのテウトラース王のところに連れて行ったといいます。
 さらにSikelia(シケリア、現在のSicilia〈シチリア〉)のDiodorus(ディオドロス、紀元前1世紀にシケリア(シチリア)島で生まれた古代ギリシアの歴史家)によれば、アウゲーはナウプリオスともにパルテニオン山を通ったときに密かに子を生んで捨てたといい、アウゲーはテウトラース王のところに連れて行かれたといいます。一方の赤子は牝鹿に養われているのを牧人に発見され、牧人はコリュトス王に赤子を渡し、王によってテーレポスと名づけられて育てられたといいます。


成人した彼は母親を求めてMysia(ミュシア、古代の小アジア〈トルコのアナトリア半島〉北西部の地方)へ赴き、どういう経緯か母親であるアウゲと結婚しようとする仲にまでなったのです。しかし彼の身の上話や身につけていた装飾品などで、親子だと判明します。2人は改めて再会を喜びあいます。母親ほども年の離れた女性と結婚するのは、この時代では普通の出来事だったのでしょうか。
 とにかくテーレポスはテウトラース王の後を継いで、Teuthrania(テウトラニア)を治めることになるのです。
 ヒュギーヌスによればテーレポスがミューシアにやってきたとき、テウトラースはĪdās〈イーダース〉の軍に攻撃されていました。そこでテウトラースはテーレポスに、もしイーダースを追い払ってくれたら、王国と、養女としていたアウゲーをテーレポスの母とは知らずに妻として与えると約束したのです。そこでテーレポスはパルテノパイオスとともにイーダースと戦って勝利し、ミューシアの王となり、テーレポスとアウゲーはお互いが母子と知らずに結婚した。しかしアウゲーはこの結婚を受け入れておらず、アウゲーは新婚の部屋に入ったとき、剣を隠し持ってテーレポスを殺そうとした。ところが部屋の中に神の遣わした大蛇が現れたため、アウゲーは驚いて剣を大蛇に向かって投げた。アウゲーの企てを知ったテーレポスは彼女を殺そうとしますが、アウゲーがヘーラクレースに祈ったため、テーレポスは彼女が自分の母であることを悟ったのです。
 テーレポスはまた祖父アレオスの授かった神託どおりに自分の伯父たちを殺したとも言われます。


 

 ヘラクレスの三度目の妻ははDeianeira(デイアネイラ)と言います。彼女は、河神Achelōos(アケロオス)に求婚されておりました。ヘラクレスはアケロオスに勝負を挑み、アケロオスを倒してデイアネイラを妻にしました。

※ Bartholomeus Spranger(バルトロメウス・スプランヘル、1546~1611年):ブラバント公国(現在のベルギー)の画家。北方マニエリスムの代表的な美術家。

 さて、ヘーラクレースとその妻デーイアネイラは、彼らの子供であるHyllos(ヒュロス)を連れて旅をしていました。ある日のことです。Evenus(エウエノス)川のほとりでヘーにクレースとデイアネイラは途方にくれていました。対岸に行きたいのですが、川の水かさが増し、このままでは渡ることができません。その時、半人半馬のケンタウロス族のNessos(ネッソス)がやってきて言いました。
「大変そうだな。奥さんの方は俺の背に乗せて川を渡ってやるよ」
 ヘラクレスはデイアネイラをネッソスに託し、自分は一人で川を渡りました(他にヘラクレスは息子を抱えて川に入ったという話もあります)。無事川を渡り終えたヘラクレスですが、ふと周囲を見渡すとデイアネイラとネッソスの姿が見当たりません。不審を覚えたとき、突如妻の悲鳴が響き渡りました。驚いて悲鳴のした方を見ると、草むらの奥でネッソスが妻に襲いかかろうとしているではありませんか!

※ Guido Reni(グイド・レーニ):バロック期に活動したイタリアの画家。アンニーバレ・カラッチらによって創始されたボローニャ派に属する画家で、ラファエロ風の古典主義的な画風を特色とします。

 ヘラクレスはヒュドラの毒を浸した矢をつがえて、すぐさまネッソスを射貫きました。

※ Louis Lagrené(ルイ・ラグネル):フランス画家。1744年からローマ王立学校でカール・ファン・ローに学び、1755年、Rアカデミーメンバーとなります。1762年からボザール教授。1781年からローマのフランスアカデミーディレクター。

 ネッソスは息絶える前に、デイアネイラに言いました。


「俺の血を浸した布を持っておくがいい。後にヘーラクレースが心変わりをしてあんたから離れようとしたときに、この布で服をつくりヘーラクレースに着せるんだ。ヘーラクレースはあんたの元に帰ってくるよ」
 デイアネイラは困惑しながらもネッソスの血を浸した布を握りしめました。…… 後に、これがヘーラクレースの命を奪うことになるとは露とも知らずに。
 後に、ヘラクレスは妻デイアネイラをTrachis(トラキス)という国に預け、自分は人を募ってOichalia(オイカリア)に攻め入ります。かつて、弓術試合でEurytos(エリュトス)一家がヘーラクレースとの約束を守らなかったので、その復讐のためです。へーりクレースは王エリュトスと王子たちを殺し、王女Iolē(イオレー)を捕虜として手に入れました。
 オイカリアとの戦を終えたヘーラクレースは、ゼウスに感謝を捧げる儀式を行うことにし、トラキスにいる妻デイアネイラに新しい服を送るように使者を送ります。使者から話しを聞いたデイアネイラ。夫のヘーラクレースが若い王女イオレーに熱を入れているのを知ります。自分はもう若くなく、到底イオレーに叶わないことも判っています。
 そこでデイアネイラはその昔、ケンタウロス族ネッソスの死に際の言葉を思い出します。…… ネッソスの血に浸った布で服をつくり、ヘーラクレースに与えれば彼の心が取り戻せると思ったからです。デイアネイラはネッソスの血が浸った布で礼服を作ります。そして完成した礼服をへーラクレースに送りました。
 ヘーラクレースは妻から送られた礼服を身にまといました。ですが、なんということでしょう‼ 皮膚がただれ、全身を激しい痛みが襲いかかりました。
 …… そうです。ネッソスの血が浸った布で作った礼服が原因だったのです。ネッソスの血そのものが毒であったわけではなく、ヘーラクレースがネッソスを射た時、その鏃にはHydrā(ヒュドラー)の毒が塗られていました。ネッソスはヒュドラーの毒が全身に回って死んだのです。いわば、ネッソスの血はヒュドラーの毒によって犯されており、その血を浸した布は毒布と化していたのです! 当然、ネッソスはそれを承知の上でデイアネイラに勧めた、というわけです。…… 恐るべし。死せるネッソスが英雄ヘラクレスをまさに追い詰めた瞬間でありました。

 ヘラクレスは急遽妻のいるトラキスに搬送されます。事態を知ったデイアネイラは、自分がネッソスに騙されたことを悟りました。
「私はなんて愚かだったのでしょう!」
 デイアネイラは嘆き悲しみ、そしてなんと自害してしまいます‼
 一方ヘラクレスも重体です。己の死期を悟ったヘラクレスはOitē(オイテ)山(バルカン半島部南部にある山地)の山頂に薪を組上げました。そしてその上に横たわると、息子ヒュロスに火をつけるように言いますが、ヒュロスはそれを拒みます。父を生きながら火葬にするなんて、その火付け役などできるはずもありません。
 そこへ羊の群を探して通りかかったPoiās(ポイアース)がヘ-ラクレ-ス親子から話を聞いて哀れと思い、火付け役を買って出てくれました。ヘーラクレースは火付け役を買って出たお礼にポイアースに弓を与えました。Hyginus(ヒュギーヌス、BC64年頃~AD17年頃、ラテン語の著述家)では、Philoktētēs(ピロクテーテース、ポイアースの息子)がヘーラクレースの火葬壇を築き、ヘーラクレースの弓を譲られたとします。この弓は、後に予言者Kalchās(カルカース、、Troia〈トロイア〉戦争のさいにAgamemnōn〈アガメムノーン〉に乞われてギリシア軍に従軍し、予言の術でギリシア軍を助けました)によって、トロイア戦争でギリシア勢が勝利する条件とされました。

※ Guido Reni(グレイド・レニー):7世紀前半、バロック期に活動したイタリアの画家。アンニーバレ・カラッチらによって創始されたボローニャ派に属する画家で、ラファエロ風の古典主義的な画風を特色とする。
Francisco de Zurbarán(フランシスコ・デ・スルバラン):バロック期のスペインの画家。スペイン絵画の黄金時代と言われる17世紀前半に活動した画家であり、宗教画、静物画に優れていました。


 


 ヘーラクレースはヒュロスにイオレーを妻とすることを遺言し、火葬されてオリュンポスに昇り、神となったのです。ヘーラクレースの肉体は灰燼に帰し、魂は天へと登ります。天上ではゼウスが彼を暖かく迎い入れました。そして、女神Hērā(ヘ-ラ-)ともここでようやく和解します。へーラーの娘である青春の女神Hēbē(ヘーべー)を妻に娶り、ヘーラクレースは神の一員として天上で暮らしたのでありました。

 そしてヘーベーとの間にAlexiares(アレクシアレース)とAniketos(アニーケートス)という二柱の息子を儲けたのであります。


 

この巨人はKronos〈クロノス、大地および農耕の神で、Zeus〈ゼウス〉の父親〉によりOuranos〈ウーラノス、全宇宙を最初に統べた原初の神々の王とされます〉の性器が切り取られた際に滴り落ちた血をGaia(ガイアが受胎)し、産み落とされたものとされています。巨人はGigās(ギガース、複数形はGigantes〈ギガンテス〉)と呼ばれ、巨大で濃い毛を生やし、腰から下は竜の形をしています。

 ※Giorgio Vasari(ジョルジョ・ヴァザーリ):イタリアのMannerism(マニエリスム、ルネサンス後期の美術で、イタリアを中心にして見られる傾向を指す)期の画家、建築家。ラファエロらの作品に学んだといわれます。

 予言により、この巨人には人間の力を借りなければ勝利は得られないと告げられており、オリュンポスの神々は負けはしないものの、巨人に打ち勝つ事ができなかったのです。このため、ゼウスは人間の女Alkmēn(アルクメーネー)と交わり、ヘーラクレースをもうけ、味方としたいわれています。ガイアはギガースの弱点を克服させるために、人間に対しても不死身になる薬草を大地に生やしましたが、これを察知したゼウスによっていち早く刈り取られ、遂にギガースがそれを得ることはありませんでした。
 ギガースたちは、山脈や島々など、ありとあらゆる地形を引き裂きながら進軍し、巨岩や山そのものを激しく投げ飛ばして神々を攻撃しました。これに対し、オリュンポスの神々も迎撃を開始し、Tītānomakhiā(ティタノマキア、ゼウス率いる Ólimpos〈オリュンポス〉の神々と、クロノス率いる巨神族Tītān〈ティーターン〉との戦い)以来の宇宙の存亡を賭けた戦争が再び始まったのです。

 ゼウスは巨人たちを雷霆で次々と撃ち倒し、戦闘不能になった巨人たちは尽くヘーラクレースの強弓の餌食となりました。他の神々も奮闘し、Dionȳsos(ディオニューソス)はthyrsos(テュルソス)の杖(きづたやぶどうを巻きつけ,先端に松かさを取付けた聖杖で、神自身の持物でもあり、信女らもたずさえたといいます。霊妙な威力を発揮し,無敵の武器ともなり,乳や蜜,清水などを自在に湧出させると信じられていました)でエウリュトスを打ち倒し、ヘーラクレースが毒矢でとどめを刺しました。Hekátē(ヘカテー、三相一体の姿をした女神で、松明を持って地獄の猛犬を連れているいわれる)は灼熱の炬火をKlytios(クリュティオス)に投げつけ殴り殺しました。またアテーナーとポセイドーンは火山や島そのものを巨人に叩きつけて押し潰し、最後にヘーラクレースが強大な毒矢や怪力を以て巨人に止めを刺しました。ポセイドーンはコス島の岩山をもぎ取り、ギガースの一人であるPolybōtēs(ポリュボーテース)に打ち付け、その岩山は後にNisyros(ニーシューロス)という火山島になったといいます。岩山に封印されたポリュボーテースが重みに耐えかねて火炎を吹くのだといわれています。

 ヘーラクレースは矢でAlkyoneus(アルキュオネウス)を射てみたものの、巨人が大地へ倒れるとまた息を吹き返しますので、女神Athēnā(アテーナー)の助言を容れて、巨人の生まれ故郷Pallene(パレーネー)から引きずり出すことにしました。パレーネーの地に触れている限り無敵の力を得る最強の巨人でしたが、ヘーラクレースの圧倒的な怪力によってその地から引き剥がされ、その後彼の剛腕によって殺されました。

 Porphyriōn(ポルピュリオーン)はオリュンポスの神々を苦しめたので、ゼウスは奸計を用います。すなわちポルピュリオーンがHērā(ヘーラー)、ヘーラクレースと戦ったときに、ゼウスはポルピュリオーンの心をヘーラーへの欲情で満たしたのです。このためポルピュリオーンはヘーラーに夢中になり、襲いかかってヘーラーの衣服を裂きました。ヘーラーは叫んで助けを呼びますが、このすきにゼウスはポルピュリオーンに雷を投げつけ、ヘーラクレースは矢を射て討ち果たしました。なお、ポルピュリオーンはアプロディーテーに討たれたとも、アポローンに討たれたともいわれています。

 アルキュオネウスとポルピュリオーンが討たれた後、Ephialtes(エピアルテース)は左目をアポローンに、右目をヘーラクレースに射抜かれて倒されました。
 ギガースたちは神々とヘーラクレースによって皆殺しにされ、この壮大な戦争はオリュンポスの圧勝に終わりました。
 この戦いの後、ガイアは最大最強の怪物Tȳphōn(テューポーン)を産み落とし、ゼウスに最後の戦いを挑んだのです。

 神統記によれば、ゼウスはテューポーンと全宇宙を揺るがす激闘の末に、雷霆の一撃によって世界を尽く溶解させて、そのままテューポーンをタルタロスへと放り込んだのだといいます。


 

ヘーラクレースの12の功業中にElis(エーリス、ペロポネソス半島にあり、北をアカイア、東をアルカディア、南をメッセニア、西をイオニア海とそれぞれ接しています)王Augeiās(アウゲイアース、「12の難行」の第5番目『アウゲイアースの家畜小屋掃除』参照-2015年11月7日のブログ)に報酬を踏み倒されたことの復讐として、後にヘーラクレースはエーリスに攻め入りました。エーリス軍にはMolione(モリオネ)という双子(一説には結合双生児〈1つの体に頭が2つある〉)の英雄がおり、彼らはPoseidōn(ポセイドーン)の息子でCalydon(カリュドーン)の猪狩りに参加するほど武勇に優れ、怪力も有していました。双子であるが故に二対一の戦いとなり、剛勇無双のヘーラクレースといえども苦戦を強いられました。攻防戦の最中にヘーラクレースは病にかかり、休戦協定を結んだのですが、モリオネはそれを破って攻撃を止めず、ヘーラクレースは撤退せざるを得なくなりました。その後、ヘーラクレースはモリオネがIsthmia(イストミア)大祭に参加するという報せを聞き、その道中に待ち伏せしてモリオネを毒矢で射殺したのです。ヘーラクレースは強力な英雄を失ったエーリスを攻略し、この勝利を記念してOlympia(オリュンピア、ペロポネソス半島西部に位置する古代ギリシアの都市。古代Olympic〈オリンピック〉が行われた場所)にゼウス神殿を建て、その地で競技会を行いました。以後、この競技会は4年に1度開催されるようになり、やがて古代オリンピックになったといいます。

 ギリシア神話に残るOlympia(オリュンピア)祭(古代ギリシャ文明の国際的運動会、4年に一度開催される。現在のオリンピック行事の原型となった祭りです)の起源には諸説あるようです。


Homerus(ホメーロス)によれば、Troia(トロイア)戦争で死んだPatroklo(パトロクロス、英雄Achilleus〈アキレウス〉に仕えた武将で、主人のアキレウスとは竹馬の友でもありました)の死を悼むため、アキレウスが競技会を行いました。これがオリュンピア祭の由来であるとします。
 さらに別の説によれば、エーリス王・Oinomaos(オイノマオス)との戦車競走で細工をして王の馬車を転倒させて王を殺し、その娘・Hippodameia(ヒッポダメイア)と結婚したPelops(ペロプス)が、企てに協力した御者のMyrtilos(ミュルティロス)が邪魔になったので殺し、その後、願いがかなったことを感謝するためにゼウス神殿を建てて競技会を開いたのだといいます。ペロプスの没後も競技会は続き、これが始まりだ、というものもあります。

 後世の古代オリンピックではヘーラクレースの末裔と信じられたTheogenes(テオゲネス)が華々しい結果を残しています。テオゲネスは記録に残っているだけでもボクシングなどの種目で1300戦全勝し、古代オリンピックだけではなくあらゆる競技会で優勝を繰り返し、生涯無敗でした。ちなみに、この人物は神話上の存在ではなく実在した人物です。


 

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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