瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今朝のウェブニュースより


爆発音:靖国神社で トイレにリード線など ―― 23日午前10時ごろ、靖国神社(東京都千代田区九段北)の職員から「爆発音があり、煙が出ている」と110番があった。警視庁麹町署員が駆けつけると、神社の南門付近にある男性用公衆トイレの個室内に何かが燃えたような痕跡があり、乾電池や金属パイプ、リード線などが見つかった。けが人はなかった。同庁公安部は時限式発火装置を使った可能性があるとみて捜査本部を設置した。


 靖国神社では23日午前10時から、稲の収穫を祝う新嘗祭(にいなめさい)が開かれ、祝日ということもあって普段より人出が多かった。新嘗祭は予定通りに本殿で行われたが、七五三や本殿での参拝は安全を優先して新規の受け付けを中止した。


 捜査関係者によると、爆発音は1回で、トイレの一番奥にある個室で発生したとみられる。個室の床に乾電池数個があり、電池ケースに焦げたような跡があった。


 また、タイマーのような機械の部品も見つかった。天井の裏側に、長さ約20センチの金属パイプ4本が束ねた状態で置かれ、リード線が付いていた。


 警視庁は現場に爆発物処理班を出動させ、これらの不審物を回収した。金属パイプの中は何かが詰められている可能性があり、公安部で危険物かどうかを鑑定する。


 事件直前、紙袋を持った男がトイレの近くにいるのが防犯カメラに映っていた。また、トイレの天井には穴が開いており、事件との関連を調べている。


 靖国神社によると、1日に数回、境内の見回りをしているが、異常は見つからなかったという。


 神社の関係者は「警察官に見回りをお願いするなど、いつもより警戒を強化していく」と話した。


 


◇新嘗祭当日、広がる不安


 靖国神社は警察官や消防隊員らが次々と駆けつけ、物々しい雰囲気に包まれた。


 爆発音のあった南門近くの公衆トイレ周辺では、重装備の機動隊員らが行き来し、歩行者の誘導などにあたる警察官が「爆発物の処理をするので下がってください」と注意を呼びかけた。その後、警察官が現場で見つかったものを運び出す姿も見られた。


 この日、靖国神社で行われた新嘗祭に参加した50代の男性は、「パン」と乾いた音を聞いたという。その後、消防車のサイレンが鳴り響き、宮司から「こんな日に残念だが、爆発騒動があった」との説明があったという。男性は「宗教にかかわりなく、こんなことをするなんて非常識で許せない」と話した。


 旅行で日本へ来ていたというパリ在住のフランス人男性(68)は多くの警察官が集まっているのを見て騒ぎを知り、「(フランスのテロのような事件が)日本でもしあったのなら、怖い」と不安げな様子だった。


 境内の一角では、イチョウのライトアップと日本酒の飲み比べのイベントが24日から予定されており、仮設テントの設営が進んでいる。イベントは予定通り開催する見通しだという。


 主催団体の男性は「会場に不審物がないか、24日の朝礼で呼びかける。お客さんの安全は絶対に守らなければいけない」と気を引き締めていた。  (毎日新聞 20151124日 東京朝刊)


 

 昨日の夕刊で、北の湖理事長が福岡で病院に搬送されたという記事を読みましたが、今朝の新聞の一面で理事長の死亡を知りました。ウェブニュースより


 


北の湖・日本相撲協会理事長死去:「憎らしいほど強い」 輪島らと名勝負 ――  大相撲の幕内優勝24回、日本相撲協会の理事長職を10年あまり務めた北の湖理事長が20日、亡くなった。現役時代には、笑顔を見せない土俵態度で「憎らしいほど強い」と言われた。不祥事で一度は理事長を退きながらも返り咲き、さまざまな方面に気を配って、協会の公益法人化認定にこぎ着けた。現職理事長のまま、現場でたおれた、その姿は、相撲に対する責任感と熱意そのままだった。


 20日午前、体調不良を訴えて救急搬送された北の湖理事長。そのまま帰らぬ人となった。以前は、時間が空くと両国国技館の周囲を歩き、付けた歩数計を見せては「まだ足りないよ」と健康に気を使う一面を見せていたが、近年は各場所恒例の協会ごあいさつで呼び出しの手を借りないと土俵を下りることができず、八角理事を代行に立てていた。がん手術から数年。体力低下が目に見えていた。


 だが今場所も「毅然(きぜん)とした理事長」を務めていた。白鵬が立ち合いで相手の顔の前で両手をたたいた「猫だまし」を、「横綱のするべき立ち合いではない」と批判。現役時代、土俵外に放り出した相手に見向きもせず、くるっと背を向けて勝ち名乗りを受ける自らの姿を、自ら「手を差し伸べるのは失礼でしょ。勝った相手から。悔しいものだ」と振り返った「強い横綱」そのものだった。


 東京都内の中学に通いながら、スピード出世記録を塗り替え、「怪童」と呼ばれた。1974年名古屋場所後に21歳2カ月での横綱昇進は今も史上最年少記録。強くて人気のあるものの代名詞に、高度成長期には「巨人、大鵬、卵焼き」があったが、嫌われ者の代表格として「江川(卓・元巨人投手)、ピーマン、北の湖」と言われた。


 


 日大出身で同時期のライバル横綱・輪島と「輪湖(りんこ)時代」を築いたが、輪島の優勝回数14を大きく上回った。75年春場所千秋楽の貴乃花親方の父、大関・貴ノ花(故人)戦、81年初場所優勝決定戦の千代の富士(九重親方)戦。ともに敗れて、相手に初優勝を許した一番は視聴率が50%を超え、大相撲の高視聴率記録だ。


 2002年に理事長に就任。インターネット時代に敏感に反応。早くからホームページを作って勝負結果の速報や、序ノ口からの全取組の中継を推進するなど、時代の潮流に敏感に反応した。


 一方、不祥事の大波にも翻弄(ほんろう)された。08年の大麻騒動でいったんは辞任したが、11年の八百長問題が収束した12年に理事長職に再登板した。第1期では、世間の批判に対して「そういう見方をするのか。もう分かった」とあからさまに立腹の表情を見せて、口を閉ざす一面もあったが、公益法人認定に向けて内閣府や文部科学省との丁々発止の交渉に直面した第2期は、がんの手術後に協会をまとめて年寄名跡を協会管理化し、14年に公益法人認定を取り付けた。当時の文科省幹部は「悪役を一手に引き受けていた」と話していた。


 「おいしさのコツはみりんとお酒」と、ちゃんこのだしを自ら作ったり、「飲みたい人が自分でするのが一番」とお酒を気軽に作って出したりする、飾らない人だった。激動の協会の屋台骨を支えた白鵬の幕内優勝回数について「40回くらい行くでしょ」。大記録を見ることなく逝った。


 ◇「涙止まらない」元朝青龍


 元横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏が20日、ツイッターに追悼コメントを寄せた。同氏は「悲し涙が止まらない!昼に連絡して電話出なかた! 部屋付き親方と話した! 命まで大丈夫と安心したけど! 悲し涙」(原文のまま)と述べた。北の湖理事長が理事長に就いていた2007年、ダグワドルジ氏はけがで巡業を休場していた間にモンゴルでサッカーに興じる騒動を起こしていた。    (毎日新聞 20151121日 東京朝刊)


 

 横浜のIN氏から、メールが届きました。曰く、


ごぶさた、その後いかが


日高節夫様


昨日の雨に較べて、今日はいいお天気です。その後、体調はいかがですか。


私も、なんとか、週一回の水泳と、運動後の指圧・マッサージで左右の脛の激痛を抑えてもらっています。


年末が近くなると、ぼつぼつ欠礼のはがきが届き始め、そういえばYK君も今年亡くなったんだなあと幽明境を異にした友人のことを思い出します。あれっきりになっていて、少し気になっていますが…。


  5月29日だから今月でちょうど半年になる。満足に蓮の臺(うてな)の暮らしにも慣れて、今年も正倉院展などに、人間界と違って。空中からの見物をしているのだろうと思っています。


 わがことを振り返ってみますと、頭も体も上等ではなくて、かろうじて兵隊予備軍の門司中学300人時代に入学出来て、それが今日の同窓会、同期会につながったのですから、このご縁は大事にしなければなりません。


 どうぞ私が死ぬまでよろしくお付き合いをお願いします。


 10年来、はまっている、ニューヨーク・メトポリタン歌劇場のライブビューイングが今年も始まりました。


 息子がニューヨークにいる頃1992 年に、一度だけ、メトロポリタン歌劇場に連れて行ってもらったことがありますが、それからオペラにはまってしまいました。


 10年前から、MET(メト、ニューヨーク・メトポリタン歌劇場のこと)が、世界中にオペラの舞台を生で同時放送するようになりました。同時と言っても日本の場合は、日本語に翻訳して、画面にスーパーを入れなくてはならないので、其の作業のため、NYでの公演のひと月おくれになるのですが、日本の主だった都市の映画館で上映されるようになりました。


 オペラのシーズンは、毎年秋9月から翌年の5月まで、主に秋から冬にかけてですから、冬、雪の降るときにかかることがあります。


 年間10本程度の作品が日本でかかりますが、歌舞伎と同じ時代の作品が多いものですから、なかなか見終わって、「納得」という作品にお目にかかることは少ないのです。


「そんなバカな話があるかい」というような、顛末に憮然として席を立ち「アメリカ人はこんなストーリーでも満足して、スタンディング・オベイションをするのかい」と理解に苦しむことがあります。


 


 歌舞伎の「寺子屋」でも、「盛綱陣屋」でも、父親のために、息子の命を絶つというようなストーリーがまかり通っているのですから、日本人はオペラを非難することもできませんが、今月観た「トラバトーレ」でも、幼い自分の息子と敵の息子と間違って、自分の息子を火に投じて殺してしまうなどという、そんな荒唐無稽なストーリー展開にはついていけなくなることがあります。


 シェークスピア原作の「Othello(オテロ)」でも、あんまり、簡単に、妻・デスデモーナの不倫の告げ口を疑いもせず、絞め殺すというストーリーなど、あり得るケースと言えばあり得るのでしょうが、どうも今日の日本の観客にはすとんと胸に落ちません。江戸時代の初期に対応するシェークスピアの時代には、こんなことは日常茶飯事だったのでしょうか。


 今シーズン始まって以来、初めの2作品が、なんとなく、「そんなことがあるかい!」というような筋立てなんで、見終わって家内を前にして、映画館の近くのビアホールで、「あんなことってあるかい?」などと、オダを上げております。


 次は12月第1週のワーグナー「タンホイザー」です。


どうぞ、お体を大事に愛おしんでください。


 ちょっとばかり、近況を伺ってみました。


 時々電話をくださるTKさんは、今日から2拍3日の予定で、三菱化成のOB会に出席のため、黒崎に行かれました。


 ちょいと、君の健康状態を伺ってみました。     IN


 

 昨日は三井記念病院で泌尿器科のエコー検査を受けました。胃癌切除手術のための検査で腎臓から膀胱への管に異常の疑いがあり、そのための2回目のエコー検査だったのですが、異常なしで、「何かあったら、連絡してもらうことにして、泌尿器科への通院も今日で終了にしましょう」ということでした。


 


 本日のウェブニュースより


 パリ同時攻撃で23人逮捕、首謀者としてシリア在住のベルギー人特定 ―― [パリ 16日 ロイター] - パリで13日に発生した同時多発攻撃を受け、仏警察は15日夜から16日にかけ168カ所の家宅捜査を行い、これまでに23人を逮捕したほか、一連の攻撃の首謀者としてベルギー国籍を持つシリア在住の人物を特定した。


 捜査関係者によると、パリの同時攻撃の首謀者として「アブデルハミド・アバウド」との名前のベルギー国籍を持つ人物が浮上。この人物は現在シリア国内におり、欧州で複数の無差別攻撃を計画したとの疑いが持たれている。


 RTLラジオによると、この人物はモーレンベーク出身の27歳。報道によると、ベルギー国内で警察が未然に防いだ一連の攻撃の計画にも関与していた。


 ベルギー警察はまた、仏警察が前日、容疑者の1人として指名手配したベルギー生まれのフランス人、アブデスラム・サラ容疑者の行方を引き続き追っている。


 このほか、仏検察は死亡した実行犯7人のうち5人の身元を特定。5人のうち4人は仏国籍で、1人は10月にギリシャで登録のために指紋押捺を行った外国籍の人物としている。 警察によると実行犯のうち1人は依然逃走中。この人物の行方を追うとともに、少なくとも4人の共謀者がいたとして捜査を進めている。


 フランスのカズヌーブ内相によると、23人の逮捕者のほかに104人が自宅軟禁状態に置かれている。また、一連の家宅捜査を通してロケットランチャー(発射器)や自動小銃などを押収。記者団に対し「これは始まりにすぎない。こうした活動は今後も続く」と語った。


 バルス首相はRTLラジオに対し、「フランスだけでなく他の欧州の国に対するさらなる攻撃が計画されていたとの情報を得ている」とし、「われわれはテロによる脅威に長期間にわたりさらされることになる」と述べた。


 同時多発攻撃の捜査が拡大するなか、フランス軍は15日、今回の事件で犯行声明を出した過激派組織「イスラム国」のシリア領内の拠点を空爆。今回の空爆はこれまでで最大の規模という。


 パリでは同時攻撃を受け閉鎖されていた学校や美術館などが16日は再開。ただエッフェル塔など観光客が多く訪れる場所は閉鎖されたままになっている。


 16日の欧州株式市場では事件を受けフランスの旅行関連銘柄および高級ブランド銘柄が急落。ただパリ証券取引所のCAC40種平均指数.FCHIは比較的安定して推移しており、同攻撃による長期的な経済上の影響は見られていない。  (Reuters 2015 11 17 04:33 JST


 


スカイツリーと東京タワー ―― 15日夜、三色にライトアップされた東京スカイツリー(写真下右)と東京タワー。フランスのパリで発生した同時テロの犠牲者を追悼するため、同国旗と同じトリコロール(青、白、赤)にライトアップされた。


 


時事通信1115日(日)2026

 昨日のテレビや夕刊の記事によるとフランスのパリで13日夜(日本時間14日早朝)、中心部のコンサートホールや北部のサッカー場などを標的とした同時多発テロが起きたといいます。今朝のウェブニュースより


 


「イスラム国」が犯行声明、127人死亡のパリ同時多発攻撃 ―― [カイロ/パリ 14日 ロイター] - 過激派組織「イスラム国」は14日、フランスの首都パリで発生した同時多発攻撃について犯行声明を出した。パリ中心部の各地に爆弾ベルトを身に着けたり、マシンガンを携帯したりした戦闘員を送り込んだとしている。


イスラム国は声明で、今回の攻撃について、フランスが現在の政策を続ける限り、最大の標的であり続けることを示すためだと表明した。


フランスは米国とともに、シリアやイラクで過激派組織「イスラム国」への空爆に参加している。


少なくとも127人が死亡した同事件について、オランド仏大統領は同日、イスラム国がフランス国内の支援を得て組織した「戦争行為」だと非難、「戦争に直面し、フランスは適切な行動を取らなければならない」と語った。


同大統領はまた、犠牲者を追悼するため国を挙げて3日間、喪に服すと述べた。


パリで13日夜、銃撃や爆弾などによるレストラン、コンサートホール、スタジアムなどへの複数の襲撃が市内各地でほぼ同時に発生。


当局によると、パリ中心部のバタクラン劇場では、ロックコンサートの最中に4人が観客に向かって銃を乱射、少なくとも87人が死亡した。その後治安部隊に制圧されたという。


このほか5カ所が攻撃され40人程度が死亡したという。このうちオランド大統領や独外相が観戦して独仏親善試合が行われていたサッカースタジアムの外では2人での自爆攻撃とみられる爆発があった。


 パリ検事当局によると、容疑者8人が死亡、うち7人は自爆、1人は警察に射殺されたという。逃亡中の犯人がいるかどうかは明らかにしていない。警察は「テロリストは、(コンサートホールに)押し入る前に複数のレストランのテラス席に向かって銃撃した」としている。


 オランド大統領はフランス全土に非常事態を宣言、国境を封鎖した。


 乱射が起きたホールでは米カリフォルニアのロックグループ、イーグルス・オブ・デス・メタルのコンサートが開かれていたが、目撃者によると犯人はイスラム教の唱えとフランスのシリア空爆への参加を非難するスローガンを叫んでいたという。


 オランド大統領はトルコでの20カ国・地域首脳会議(G20)への参加を取りやめた。


 パリでは今月下旬から国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)の開催を控え、テロに対する警戒を強めており、今回の攻撃による衝撃は大きい。


 オバマ米大統領は「罪のない市民を怯えさせる卑劣な行為がまた発生した」として攻撃を非難。フランスに対し必要なあらゆる支援を提供していく考えを表明した。 (Reuters 2015 11 14 23:26 JST


 

Hēraklēs(ヘーラクレース)の第12の難行は黄泉の国から番犬Kerberos(ケルベロス)を捕らえてくることでした。 ケルベロスもEchidna(エキドナ)とTȳphōn(テュポン)の子で、3つの犬の頭に竜の尾を持ち、 背中にはたくさんの蛇が生えている奇妙な怪物です。またHādēs(ハーデース)の愛犬でもありました。 王Eurystheus(エウリュステウス)はヘラクレスを殺すつもりで、最後にこんな難題を出したのです。


 


さすがにたじろぐヘーラクレースでしたが、Athēnā(アテーナー)とHermēs(ヘルメース)に励まされ黄泉に行く準備をするのでした。 しかし黄泉の国へ入る方法が解りません。唯一入り口を知っている宗教があり、そこに入会しなくてはいけなかったのです。 前述したように、第8の難事でAdmētos(アドメートス)の妻Alkēstis(アルケスティス)を黄泉の国から連れ戻しているはずなのですが、 神話においては矛盾は仕方のないことなのでしょう。ヘーラクレースが道順を忘れてしまったと思うことにしましょう。


その秘教に入会するため、Eleusis(エレウシース)の地へやってきました。そこでEumolpos(エウモルポス、ギリシャ神話に登場するエレウシース秘教の創建者。母Chionē〈キオネ〉に海に捨てられるが、Poseidōn〈ポセイドーン〉が拾い海の女神Benthesikyme〈ベンテシキュメ、〉に育てられます。Thracia〈トラーキア〉王Tegyrios〈テギュリオス〉のもとに逃れ、のちに王国を継ぎます)を訪ねますが、 この宗教は異邦人の入会を認めていませんので、とりあえずPylios(ピューリオス)という男の養子となって入会することにしました。


だが、ここでまた問題が発生します。ヘーラクレースは先のKentauros(ケンタウロス)殺人事件の罪を清めてもらっていませんでしたので、会合に参加することができませんでした。急いでエウモルポスに罪を清めてもらい、なんとか黄泉の国への入り口があるというLakonía(ラコニア、ペロポネソス半島南部に位置します)のTainaron(タイナロン)に到着します。


黄泉に足を踏み入れたヘーラクレースの姿を見た霊は驚いて逃げだしますが、Medoūsa(メドゥーサ)だけは逃げませんでした。 ヘーラクレースは彼女の姿を見て剣を抜きますが、案内人ヘルメースが無駄なことだから放っておけと彼を先へ促すのでした。 少し行くと、英雄Meleagros(メレアグロス)の霊と遭遇します。


「やあ、君は英雄ヘーラクレース。こんなところで会えるとは感激だな。」


「そういうあなたはCalydon(カリュドン)の大猪退治の大英雄メレアグロス。奇遇だな。」


「相手が君なら申し分ない。頼みがあるんだが、妹Deianeira(デイアネイラ)を嫁にもらってやってくれないか?」


「生きてるのか?」


「生きてるよ。じゃあ頼んだよ。」


「…… 勝手だなあ。ま、いっか。」

※ Jan Gossaert(ヤン・ホッサールト):ルネサンス期のフランドル人画家。フランドルに「イタリア風の」絵画を紹介し、歴史的寓意に満ちた裸婦像をフランドルへともたらしたた最初期の画家の一人です。

 黄泉の国の門の近くでヘーラクレースはまたも英雄と遭遇します。
「あいつら…… 生きているのか?」
「ああ、Persephonē(ペルセポネ)さま誘拐事件で失敗して捕らわれているThēseus(テーセウス)とPeirithoos(ペイリトオス)だよ。」
「ヘルメースよ、あいつらを助けることは出来るのか?」
「生きている者があいつらの体を触れば、蘇生することができるだろう。」
 ヘーラクレースはテーセウスの手を取って彼を生還させましたが、 ペイリトオスの手を取ろうとした時いきなり大地が揺れて彼は奈落へと落ちていってしまったのです。

 そこへやってきたのはKeuthōnymos(ケウトニュモス)の子でHādēs(ハ-デ-ス)の牛飼いMenoitēs(メノイテース)でした。 彼は無謀にもヘーラクレースにレスリングの挑戦をしましたが、あっけなく粉砕されてしまいます。 そして見かねたPersephonē(ペルセポネ、ハーデースの妻で、冥界の女王)に救ってもらったのでした。
 さて、玉座に着いたヘラクレスはハーデースにケルベロスの件を要求します。
「あ? ケルベロスを連れて行く? いいよ。素手で捕まえたらね。」
「素手で、ですか。」
 そこで例のライオンの毛皮をまとって、Acheron(アケロン、地下世界(冥府)への分岐点と信じられていました)の門にいるケルベロスめがけて大乱闘が始まりました。首を押さえつけ、ようやくおとなしくなったケルベロスでした。

※ Francisco de Zurbarán(フランシスコ・デ・スルバラン):バロック期のスペインの画家。スペイン絵画の黄金時代と言われる17世紀前半に活動した画家であり、宗教画、静物画に優れていました。

 観念したケルベロスを連れてTroizḗn(トロイゼン)を通ってArgos(アルゴス)へ戻ったヘーラクレースは、 約束通りエウリュステウスに見せて存分に怖がらせたのです。

 そしてすぐにケルベロスを黄泉の国へ返してやったのです。こうしてヘーラクレースの12の難事はすべて終了しました。


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 Hēraklēs(ヘーラクレース)の第11の難行はHesperides(ヘスペリデス)の守る黄金の林檎を取ってくることでした。ヘリペリデスは美しいニンフたちで「黄昏の娘たち」という意味です。ヘスペリデスは西のかなたに住む乙女たちで、Gaia(ガイア)がZeus(ゼウス)とHērā(ヘーラー)の結婚祝いに贈った黄金の林檎の木を守っています。 彼女たちはAegle(アイグレ、閃光)、Erytheia(エリュテイア、紅娘)、Hesperia(ヘスペリア、黄昏娘)と呼ばれており、またTȳphōn(テューポーン、ギリシア神話に登場する怪物の中では最大最強の存在といわれます)とEchidna(エキドナ、上半身は美女で下半身は蛇で背中に翼が生えた姿をしています)から生まれた巨竜も番をしています。


 


Frederic Leighton(フレデリック・レイトン):イギリスの画家・彫刻家。作品は歴史、聖書、古典的題材がほとんどです。


 


 ヘーラクレースがヘスペリデスの守る黄金の林檎を取りに行く途中、Thessalía(テッサリア)の地でKerkpes(ケルコプス)という2人組と出会います。彼らは猿のように小さく、物を盗んだり悪戯がすきな困った小僧たちでした。ヘーラクレースが旅の疲れで寝ている間にケルコプスがやってきて、彼の武器を盗もうとしたのです。 しかし気配に感づいたヘーラクレースは、とっさに起きて2人を捕まえてしまいます。 そしてちょっと懲らしめるために棒の両端に2人を逆さ吊りにして担いだのです。その時2人小僧の目に入ってきたのは、ヘーラクレースのお尻(けつ)。当時はお尻丸出しで歩いているのが普通でした。特にヘーラクレースはライオンの皮をまとっているだけのほぼ全裸状態であったのでしょう。とにかく彼のお尻を見たケルコプスは、たちまち笑い出しました。


「なにがおかしい?」


「昔、お母さんにお尻の黒い人に会ったら気をつけなさい、ひどい目にあうからネって言われたことがあるんだ。」


「あなたのお尻、毛がボーボーで真っ黒だー!」


それを聞いたヘラクレスは大爆笑して、2人を放してやったのでした。その後ケルコプスはZeus(ゼウス)にも悪戯をしようとして、本物の猿に変えられてしまったとか石にされたとかいう説もあります。 とにかくヘーラクレースとケルコプスの話は、 その土地の小人話と多毛症男の話あたりがミックスされてヘーラクレース伝説に組み込まれたのでしょう。


 


Apollodoros(アポロドーロス、古代ローマ時代のギリシャの著作家、1世紀から2世紀にかけての人物)説では、12の難行を終えてLydia(リュディア、BC7世紀~BC547年にアナトリア半島〈現在のトルコ〉のリュディア地方を中心に栄えた国家です)に奴隷として働きに行っている間にEphesos(エペソス、トルコ、Artemis〈アルテミス〉崇拝で知られたギリシア人都市でした)近傍でケルコプスと出会うことになっています。


テッサリアで2人の悪戯小僧「猿」ケルコプスと遊んだあと、Echedoros(エケドロス河)にやってきたヘーラクレースに、 Arēs(アレ-ス)とPyrenaei〈ピュレネ〉またはPelopeia(ペロペイア)の子Cycnus〈キュクノス〉は一騎打ちを挑んできました。 だが、この戦いはゼウスの落雷により引き分けとなって集結しました。


他説ではアレス自身と戦ったともいいます。 キュクノスが父アレースのためにPagasai(パガサイ)の野に社を建てようとDelphoi(デルポイ)に赴く崇拝者の首をはね捧げ物にしたため、 Apollōnアポローン)がヘーラクレースに命令してキュクノスは抹殺されてしまつたのです。 それに憤ったアレースがヘーラクレースと決闘しようとしたが、 ゼウスの落雷によって未然に防がれました。まさしく宗教戦争にヘーラクレースが巻き込まれた感じでしょう。

※ Villa Giulia(ヴィラ・ジュリア)国立博物館はローマにある、Etruria(エトルリア)美術(前8世紀頃中央イタリアの北部に現れたエトルリア人によって展開され,前2~1世紀ローマに吸収されるまで続いた美術)を収蔵展示する博物館です。

 Illyria(イリュリア、古代ギリシア・ローマ時代に現バルカン半島の西部に存在した王国)を通過しĒridanos(エリダノス)河へ到着したヘーラクレースは、 ゼウスとThemis(テミス)の間に生まれたニンフ(誰の事かはっきりしない)に出会い、 Nereus(ネレウス、「海の老人」とあだ名されるギリシア神話の海神)の事を教えてもらいます。

「じいさん、あんたは何でも知っているんだってな。ヘスペリデスの守る黄金のりんごはどこにあるんだ?」
「わしゃあ、知らんよ。」
「うそつけー。教えてくれるまで放さんぞ。」
「ああ、暑苦しい。ええい、放さんかい。」
 ネレウスは海の老神であり、変身が大得意。いろいろな生き物に化けてヘーラクレースから逃れようとしますが、 馬鹿力を発揮する彼の手から逃れそうにもありませんでした。
「お若いの、なぜそんなものを必要とする。あれはゼウス神のもの。勝手に持ち出すと天罰が下るぞ。」
「好きで取ってくるんじゃねえんだ。上司……というか、女神Hērā(ヘーラー)の命令でなあ。ちょっと借りるだけなんだよ。」
「ヘ-ラ-か、仕方ない。教えるから放しておくれ。」
 ネレウスから道を教えてもらったヘーラクレースはLibya(リビア)に到着。そこでリビア王Antaios(アンタイオス)と出会います。彼はポセイドンの子といわれており、 旅人を見つけると無理やりレスリングをさせて殺してしまう極悪人でした。そしてヘーラクレスーもその標的となったのですが、 アンタイオスは彼の力量にかなわず、あっという間に扼殺されてしまいました。

 そしてEgypt(エジプト)に着いたヘーラクレースは王Būsīris(ブーシーリス)と出会います。 彼はEpaphos(エパポス)の娘Lyusianassa(リューシアナッサ)とPoseidōn(ポセイドーン)の息子で、 Īō(イーオー)の末裔です。この地は9年間も続いた凶作に悩んでおり、 ちょうどKypros(キュプロス)から来た予言者Phrasios(プラシオス)がこの地の信託を受けてやりました。
「うーむ、毎年ゼウスに異邦人を殺して生贄を捧げたら不作はまぬがれるだろう。」
「何、異邦人か。よし、まずはお前からだ。」
 予言者プラシオス自身が「異邦人」という条件に該当していたので、エジプト王ブーシーリスはまず最初に彼を殺してしまいます。
 そんな時にヘーラクレースがやってきたのです。しかもなぜか捕らわれて、祭壇にまで運ばれてしまいます。 しかし処刑寸前のところでヘーラクレースは手錠をちぎって大暴れ、とうとう王ブーシーリスとその息子Anphidamas(アンピダマース)を殺して脱走しました。

 ようやくついた場所はLindos(リンドス)人の住むAsia(アシア、現在のトルコ西部)のThermydrai(テルミュドライ)港でした。あまりの空腹に耐えかねたヘーラクレースは、 目の前に止まっていた牛車の牛を無断で殺して、自分の胃袋に納めてしまったのです。 所有者の牛飼いは非常に腹が立てたのですが、ヘーラクレースが相手ではどうすることも出来ず呪うことしかできませんでした。 それ以来、この地ではヘーラクレースに生贄を捧げるときは呪いも一緒に行うようになりました。
 その後Arabia(アラビア)に沿って進み、何があったかよくわかりませんが、Tīthōnos(ティートーノス)の子Ēmathiōn(エーマティオーン)を殺してしまいます。 Libya(リビア)を通ってようやく外海に進み、再びヘリオスから黄金の盃を借りて向かい側の大陸に到着した。 そしてちょうどPromētheus(プロメ-テウス)が磔(はりつけ)にされているCaucasus(カウカサス)山にやってきます。これはどうやらゼウスの命令でここに来たようです。 ヘーラクレースはプロメーテウスの肝臓を啄んでいるハゲタカを矢で射殺しました。 毎度のことながら、このハゲタカもテュポンとエキドナの子であるといいます。


※ Jacob Jordaens(ヤーコブ・ヨルダーンス):オランダはフランドルのバロック期の画家です。同時代の他の画家たちとは違ってイタリア絵画を学ぶため外国へ行くことはなく、画家としてのキャリアを通じてイタリア人画家たちの人間性や優雅さへの追求には無関心でした。ヨルダーンスは低地諸国への短期旅行をした以外は、人生の大半をアントウェルペンで過ごしました。
※ Christian Griepenkerl(クリスチャン・グリーケァル):ウィーン美術学校の教授で、歴史画家。画家エゴン・シーレの師としても有名ですが、同教授は68歳の時、ヒトラーの入学試験に初めて立ち会ったといいます。グリーベンケァル教授はシーレを合格させ、ヒトラーを不合格にした美術教授として歴史に名を残しました。

 ヘーラクレースにより解放されたプロメーテウスは、彼に予言と助言を与えました。
「ヘスペリデスの林檎を取るのは、, Atlās(アトラース)に頼むがいい。彼は先のオリュンポスの戦いで蒼穹を肩に担うという罰を受けている。 取ってきてもらう間、その罰をちょっと代わってやってくれ。彼は律儀に戻ってくるが、2度とこの罰を受けるのはゴメンだと代わるのを嫌がるであろう。 その時に、円座を頭の上に乗せるからその間だけ代わってくれと頼むがいい。そしてそのままりんごを持ち逃げしろ。」
 ようやくヘスペリデスの国へやってきたヘーラクレースはプロメーテウスの助言どおり、 蒼穹を引き受けてアトラスに林檎を3つ取ってこさせました。
「私がEurystheus(エウリュステウス)の元へ届けてやろう。」
「(やっぱり蒼穹を担ぐのはいやなんだなあ。重いもんな、これ。)じゃあちょっと頭の上に円座を乗せるから、その間だけ代わってくれ。」

 そしてまんまと林檎を奪取してその場から去っていったのです。別説では、ヘーラクレース自身が竜と戦い林檎を取ってきたというものもあります。とにかくヘーラクレースはそれを持ち帰り、エウリュステウスに無事渡したのです。 だがその林檎はどこにも置いてはいけないと自然の法律で決まっていたため、 処分に困ったエウリュステウスはヘーラクレースに返してしまいます。 彼はその林檎をAthēnā(アテ-ナ-)に献上して、元の場所に戻してもらったのでした。 

 Hēraklēs(ヘーラクレース)の10番目の難事にいたって、ヘーラクレースの旅はこの世の果てまで達します。 そして、この旅の途中、ヘーラクレースは目的外の仕事もすることになります。


3つの頭をもつ怪物とも、三人の男が腹の部分で繋がっている三頭三体の怪物とも言われるGēryōn(ゲーリューオン)は、 たくさんの怪物を産んだEchidna(エキドナ、上半身は美女で下半身は蛇で背中に翼が生えた姿をしています。「蝮の女」がその名の意味)と兄弟にあたります。 ゲーリューオンはSpain(スペイン、正式名称はEspaña〈イスパーニャ〉)の西の沖合いにあると考えられた太陽の沈む夕焼けの島” Erytheia(エリュテイア)島で、 牛を放牧していました。 この赤い牛たちを生け捕りにして、Argos(アルゴス、Pelopónnisos〈ペロポネソス地方東北部にあり、古代ギリシアの都市国家〉まで連れ帰るのが今回の仕事です。


 ヘーラクレースは西へ西へと進むうちに、太陽があまりにも近く暑いので、 何と、太陽神Hēlios〈ヘ-リオス〉に向かって弓を向けました。 ヘーリオスは怒るどころか、自分に弓を向けるとは良い度胸だとヘーラクレースを気に入り、 太陽が沈んだ後に東へ帰るために使う黄金の大杯(船として使う)を貸してやろうと言うのです。 おかげで、ヘーラクレースはエリュテイア島に到着できるのですが、 その途中、Gibraltar(ジブラルタル)海峡に「ヘーラクレースの柱」と呼ばれる、 ヨーロッパとアフリカの山に向かい合って立つ二本の柱を建てたそうです。 この「ヘーラクレースの柱」は、長く世界の果てと考えられていました。 柱には“Nec Plus Ultra(ネク・プルス・ウルトラ=「この先には何もない」と書かれていたとも言われます。


 


 Erythiea(エリュテイア)島に着いたヘーラクレースは、牛を守っている番犬Orthros(オルトロス、エキドナの長男で、 のちに2番目の夫になる)と牛飼いのEurytion(エウリュティオン)を棍棒で打ち殺し、 牛たちを黄金の大杯に乗せて、海へ出ます。 騒ぎを見ていた別の家畜番がゲーリューオンに知らせますが、ヘーラクレースは 追ってきたゲーリューオンを毒矢で射り、ゲーリュオーンも死んでしまいました。


 


 いつもなら、ここですんなり帰れるのですが、 この時はあまりにも長い旅だったためか、まだまだ冒険が続きます。 まず、Tartessus(タルテッソス、現在のスペイン南部Andalucía〈アンダルシア〉地方のGuadalquivir〈グアダルキビール〉川河口近くに存在したとされる古代王国)という地に着いたヘ-ラクレースは、そこでヘーリオス神に 黄金の大杯を返し、そこから歩いてSpain(スペイン)を通って、南フランスへ入りました。 そこで土民の大群に襲われますが、天から石の雨が降って、 大群をやっつけました。もちろんこれは、ゼウスの助けです。 ヘーラクレースも石を投げ返して仕返しをし、現在でもその巨石がProvence(プロヴァンス)地方(フランスの南東部を占める地方で、東側はイタリア国境、西は標高の低いローヌ川左岸まで)に転がっているそうです。


 古代ギリシアの歴史家Hēródotos(ヘロドトス、BC480年頃~420年頃)は著書『歴史』において、黒海地方在住のギリシア人による伝説について述べています。


 ヘーラクレースはゲリューオーンの牛を追いながら、当時は無人であったSkythai(スキュティア、BC8世紀~BC3世紀にかけて、ウクライナを中心に活動していたイラン系遊牧騎馬民族および遊牧国家)の地にやって来ます。ところが、折からの冬季で酷寒に見舞わされ、ヘーラクレースはライオンの皮を引被って眠ってしまいのした。するとその間に草を食べていた馬がいなくなってしまったため、ヘーラクレースは目を覚ますなり馬を探しまわった末、Furia(ヒュライア、ウクライナDniepr〈ドニエプル〉川左岸地方)という土地にやってきました。ヘーラクレースはこの地の洞窟で上半身は娘の姿で、下半身が蛇の姿である怪物と遭遇し、初めは驚いたものの、その蛇女に「迷った馬を見なかったか」とたずねてみました。すると蛇女は「馬は私の許にあるが、そなたが私と交わってくれぬかぎり馬を返さん」と言うので、ヘーラクレースは渋々了承し、しばらく同棲したあと馬を返してもらいます。しかし蛇女の腹には3人の子供が身ごもられており、蛇女はヘーラクレースにこの子供をどうするか訊ねるのでした。するとヘーラクレースは弓の一張りを引いて見せ、また帯の締め方を示した後弓と結び目の端に金の盃のついた帯とを与えて、「弓と帯を使って自分の示した仕草をした者をこの地に住まわせ、できなかった者を追放せよ」と言って去っていきます。一方、妻である蛇女(エキドナ?)は自分の産んだ子供たちが成人した時、蛇女はヘーラクレースに言われた通り、例の儀式を行いました。長男のAgathyrsos〈アガテュルソス〉、次男のGelonus〈ゲロノス〉はヘーラクレースが示した仕草をできずに国を放逐されましたが、三男のSkythes〈スキュテス〉は見事ヘーラクレースが示した仕草ができたので、国に留まり、王になることができまとた。以後、スキュテスの子孫が代々王となり、Scythia(スキティア)人は帯に盃をつけるようになったといいます。


 この不思議な女は、実はEchidna(エキドナ、上半身は美女で下半身は蛇で背中に翼が生えた姿をしているといいます。「蝮の女」がその名の意味。だったという説もあり、 ヘーラクレースがたくさんのエキドナの子供(怪物)たちを退治していることを考えると、 何とも不思議な話です。


 


 ようやくエキドナ(?)から解放されたヘーラクレースは、イタリアを南下します。 が、途中でEuandros(エウアンドロス)王(ローマ神話に登場するアルカディア出身の神格化された文化英雄)の牛を盗んだ怪物Cacus〈カークス〉を退治して喜ばれたり、 海岸線に長い道路を建設したり、逃げた一頭の牛を追ってSicilia〈シシリア〉島へ渡ったりと、なかなか旅は進みません。 ようやく牛を連れ帰れば、今度はヘーラーが虻を使って牛たちをバラバラに追い払い、 牛たちを集めるのにまた一苦労です。しかし、何とか牛たちを連れてくることに成功しました。


 


Sebald Beham〈ゼーバルト ベーハム):ドイツの版画家。最高の多作版画家として知られています。木版画の本のイラストなど約252の彫刻、18エッチングと1500木版画を、作り出しました。


 


 Mykēnai〈ミュケナイ〉の王様Eurystheus(エウリュステウス)は、ヘーラクレースがあまりにも長い間帰ってこないので、 ヘーラクレースはもう死んでいるのだろうと思っていたのですが、 牛たちを連れて戻ってきたヘーラクレースを見て驚きました。 牛はその後ヘーラーに捧げられたそうです。


 

 Hēraklēs(ヘーラクレース)の第9の難事はAmazōn(アマゾーン)女王Hippolyte(ヒッポリュテ)の帯を持ってくることでした。 アマゾーンとはThermodon(テルモードーン)川流域に居住する民族で、Arēs(アレース)の子孫として女性のみの集落である。 彼女たちは武に長けており、戦争と狩猟に使用する弓の邪魔にならぬよう右の乳房を切り取り、左胸は子供を育てるために残している。 種族保存のために近隣種族の男性をさらって子供を作る。生まれた子供が男児の場合は、殺すか去勢して能力を失わせました。 実際はそのような種族はおらず、フィクションであろうといわれています。アマゾーンは黒海沿岸の他、Anatolia(アナトリア、アジア大陸最西部で西アジアの一部をなす地域で、現在はトルコ共和国のアジア部分をなします)や北アフリカに住んでいた、実在した母系部族をギリシア人が誇張した姿と考えられています。


 


ヒッポリュテはアマゾンの支配者のしるしとしてアレースの帯を持っていました。 Eurystheus(エウリュステウス)の娘Adomētē(アドメーテー)がこれを欲しがったといいます。この帯の性能はよくわかりませんが、持っていると何かいいことでもあったのでしょうか。宝石をちりばめたアマゾン女王の徴(しるし)であったようです。


ヘーラクレースはまた同行者を連れて船で東航しましたた。途中でParos(パロス)島(エーゲ海の中央に浮かぶギリシャの島。キクラデス諸島の1つです)に到着します。 そこにはMīnōs(ミーノース)の息子Eurymedon(エウリュメドーン)、Chrȳsēs(クリューセース)、Nephalion(ネパリオン)、 Philolaos(ピロラオス)――いずれもミーノースとNymphē(ニュムペー)のPareia(パレイア)との子――が住んでいました。しかし下船したときに、仲間の2人がこの息子達に殺されるという事件が起こります。 ヘーラクレースは憤り、息子たちの家来を殺してしまうのです。恐怖におののいた息子たちは、殺された2人の代わりに自分たちから2人を人質に差し出すという提案を出しました。 ヘーラクレースは彼らを選ばず、Androgeōs(アンドロゲオス)の息子(ミーノースの孫)Alcaeus(アルカイオス)とSthenelos(ステネロス)を選びます。彼らの名前は2人ともPerseus(ペルセウス)とAndromedā(アンドロメダ-)の息子たちの名前と同名なのですが、単なる偶然でしょうか。


Mysia(ミュシア、トルコのアナトリア半島北西部の地方)に到着した一行は、Daskylos(ダスキュロス)の子Lykos(リュコス)王の世話になりました。 リュコスはBebrykes(ベブリューケス)族と戦っていた最中で、ヘーラクレースたちも戦争に参加しました。 多くの戦死者が出ましたが、その中にAmykos(アミュコス)の兄弟Mygdon(ミュグドン)王もいたようです。 制覇したリュコスは、ヘーラクレースに感謝の意を込めてその地をHērakleia(ヘラクレイア)と呼ぶことにしました。


次に入港した場所はThemiskyra(テミスキュラ、黒海沿岸の Pontos〈ポントス〉 地方のアマゾーン族の国の地)でした。するとアマゾン女王ヒッポリュテがわざわざ訪ねて来たのです。 そして帯が欲しい旨を伝えるヘーラクレースに、簡単に承諾してくれのです。それほど価値のあるものだとは思えません。しかしあまりにも上手く事が運ぶことを妬んだHērā(ヘーラー)は、自らアマゾーンの1人に変身します。


「あのヘーラクレースって男、実は女王ヒッポリュテ様を攫うつもりなのヨ!」


その言葉を信じたアマゾーンたちは、血相かえて武装し彼らに襲撃したのです。 その状況を見てヘーラクレースもまた詐欺にかかったと思い、ヒッポリュテを殺して帯を奪って逃走しました。 他説ではヒッポリュテの妹Melanippē(メラニッペ)が捕まり、ヒッポリュテが帯と交換したといいます。

※ Nikolaus Knüpfer(ニコラウス クニュプファー):オランダの黄金時代の画家。聖書の文学、神話をテーマに小規模な絵を描きました。
※ Euphronios(エウプロニオス、紀元前535年頃~紀元前470年以降): 古代ギリシアの陶工兼絵付師で、紀元前6世紀末から紀元前5世紀初めのアテナイで活動しました。

 どちらにせよ彼女が殺されてしまうと、後にThēseus(テーセウス)との子供も生まれず、 またAthēnai(アテーナイ)へのアマゾーン襲撃の事件もなくなってしまうので少々話が矛盾してしまいます。
 その後ヘーラクレースは黒海を渡りHellēspontos(ヘレスポントス)海峡(Dardanelles〈ダーダネルス〉海峡のこと)を通過、Troia(トローイア)に寄港しました。この頃トローイアではApollōn(アポローン)とPoseidōn(ポセイドン)の怒りに触れて困りはてていました。 実は首都Īlios(イリオス)にあるPergamon(ベルガモン)の城壁を築くとき、この両神が人間の姿に化けて手助けをしてやったのです。 しかし完成したにも拘わらず、立派に功績を残した2人に対して王Lāomedōn(ラオメードーン)はすこしもの報酬も与えなかったのです。 その態度に憤った神たちは、この町に疫病と洪水を引き起こしたのであります。

※ Girolamo Troppa(ジローラモ トロッパ):イタリアの画家。教会壁画などを描きました。
 そこで急いで信託を受けることになりました。神託は「王女Hēsionē(ヘーシオネー)をポセイド-ンが送った怪物Ketos(ケートス、ギリシア神話などに登場する、海の怪物。ポセイドンの眷属。その姿は一定していないが、下半身はヒレのある長い蛇のような姿をしている。上半身は下半身と違って一定しておらず、ワニ、イルカ、蛇〈歯や耳があり、目が正面近くについているといいます〉のような水生動物)に生贄として差し出せば、神々の怒りはおさまるであろう。」とありました。
 そしてヘーシオネは海辺の岩に縛り付けられ、生贄までの時間を待つだけでしたた。そんな時にヘーラクレースが上陸したのです。 状況はまさにAndromedā(アンドロメダー)とPerseus(ペルセウス)と同じです。 だがヘ-ラクレ-スにとってヘ-シオネ-はそんなに魅力的な女性ではなかったのでしょうか。 彼の要求したものは王女ではなかったのです。
「王女を助けてやるから、なんかくれ。」
「本当に助けてくれるんなら、馬をやろう。」
「馬ぁ?」
「ただの馬ではない。私の祖父Trōs(トロース)が、 私の叔父Ganymēdēs(ガニュメーデース)の代償としてゼウス様より戴いた牝馬の血をひいた子供だぞ。」
「代償? どういうことだ?」
「ゼウス様は、少年の頃Idê(イ-デ-山)で羊と戯れていた叔父ガニュメーデースをいたく気に入られて天に連れ去ったのだ。 その代わりに、それは素晴らしい馬をプレゼントしてくれたのだよ。」
「その子供の馬だというのだな。よし、その条件を飲もう。」
 ガニュメーデースはトロースの子ではなく、ラオメードーン自身の子供だという説もあります。そしてヘーラクレースに与えると約束した馬は、子供ではなくゼウスからもらった馬そのものであったというものです。

 とにかくヘーラクレースは海の大岩にくくられている王女ヘーシオネーを助け、海獣ケートスを倒しました。

 しかし王ラオメードーンは、またも約束を破ります。
「おおヘーシオネー、無事だったか。こっちへ来い。馬? そんな約束をした覚えはないぞ。」「なにぃ? こっちも急ぐ身だ。今お前の相手をしている暇はない。いいか、そのうち絶対にトローイアを攻めてやるからな。首を洗って待っておれ。」
 後にヘーラクレースは軍を率いてトローイアに攻めこみます。ラーオメドーンは船を攻撃し、留守を守っていたOiklēs(オイクレース)を殺しますが、ヘーラクレースの軍がトロイア軍を追い払い、トローイアを包囲します。そしてTelamōn(テラモーン)に城壁を破られ、攻め落とされました。ラーオメドーンはヘーシオネーとPodarkēs(ポダルケース、姉ヘーシオネーによって、ヘーラクレースから購われます。このことに因んで、Priamos〈プリアモス〉と呼ばれるようになったといいます)を除く子供たちとともに射殺されました。

 テラモーンはヘーラクレースに従ってトローイア攻略に参加しました。テラモーンはこの戦争で城壁を越えて一番乗りを果たす活躍をしますが、Apollodoros(アポロドーロス、1世紀~2世紀、『Biblioteke〈ビブリオテーケー〉』(『ギリシア神話』)の編纂者として知られます)によるとヘーラクレースは一番乗りを奪われたことに腹を立て、テラモーンを殺そうと考えたといいます。殺意を感じたテラモーンがとっさにその場に転がっていた石を集めだしたので、ヘーラクレースがテラモーンに何をしているのかと尋ねると、偉大なるヘーラクレースのための祭壇を作っているのだと答えました。ヘーラクレースはこの返答に満足して殺すのをやめたといいます。戦争がヘーラクレースの勝利で終結すると、テラモーンは報酬として王女ヘーシオネーを与えられ、この女性との間にTeukros(テウクロス、トローイア戦争のさいにはサラミース島の武将の1人として大Aiās〈アイアース、テウクロスとは異母気を異母兄弟〉に従って参加し、一説にはSalamis〈サラミース〉島の軍勢12隻を率いたといわれます。木馬作戦にも参加しました)を儲けました。
 トローイアを出航したあとも、真っ直ぐにミュケナイには帰らずAinos(アイノス)に寄港します。その地でPhorkys(ポルテュース)という男に客人として迎えられました。 この男はポセイドーンの息子でSarpēdōn(サルペードーン)という兄弟がいたようです。 原因は解りませんが、サルペードーンはアイニア海岸でヘーラクレースによって射殺されてしまうのです。
 次にThasos(タソス)島(エーゲ海最北部にある島)に来て、そこに住んでいたThracia(トラキア)人を征服し、その地をアンドロゲオスの息子たちに与えました。
 今度はTorone(トローネー、Khalkidhik〈カルキジキ〉半島にあった古代都市)に進みます。 そこでPrōteus(プローテウス)の子Polygonos(ポリュゴノス)とTelegonos(テレゴノス)という兄弟が、 ヘーラクレースにレスリングを挑み殺されてしまいます。こうしてやっとミュケナイに戻ったヘーラクレースは帯をエウリュステウスに渡したのです。 

 Hēraklēs(ヘーラクレース)の第8の難事はTrakya(トラキア、バルカン半島南東部の歴史的地域名)王Diomēdēs(ディオメーデース)の牝馬をMykēnai(ミュケナイ)に持ち帰ることでした。 ディオメーデースはArēs(アレース)とKȳrēnē(キューレーネー、女狩人であり、Apollōn〈アポローン〉の恋人)の子で、好戦的なトラキアのBiston(ビストーン)族の王です。 また飼っている4頭の牝の人食い馬は、それぞれPodargos(ポタルゴス)、Lampon(ラムボーン)、Xanthos(クサントス)、Deinos(デイノス)と言う名前で、狂暴な上に、主食はその名の通り人肉でした。


ヘーラクレースはAbderos(アブデーロス)を同行しました。 彼はHermēs(ヘルメース)の子でOpous(オプース、古代ギリシア・ロクリス地方の主要都市。現在の中央ギリシャ)のLocris(ロクリス)人であり、またヘーラクレースの愛人の少年でした。 ヘーラクレースはbisexual(バイセクシャル、両性愛者)だったのです。


途中でThessalía(テッサリア)国Pherai(ペライ)領主Admētos(アドメートス)のところへ寄ったヘ-ラクレ-スは、 ちょうど彼の妻Alkēstis(アルケスティス)の喪中であることを知ります。 そしてヘーラクレースは彼のために、黄泉の国まで行ってアルケスティスを連れ戻してきてしまったのです(1025日のブログ『アルケスティス』を参照)。


 


Eugène Delacroix(ウジェーヌ・ドラクロワ):フランスの19世紀ロマン主義を代表する画家で、しばしば劇的な画面構成と華麗な色彩表現は、ルノワールやゴッホなど多くの画家たちに影響を与えたといいます。


 


とんだ道草ですが、この話には少々つじつまの合わない点があります。 まずヘーラクレースとアドメートスはArgo(アルゴー)遠征で知り合った仲といわれています。 しかしこのときはまだアルゴー遠征に行っていないはずです。また後にヘーラクレースは黄泉の国へ向かうのですが、 入り口がわからなくて苦労するくだりがあります。 どうして簡単にアルケスティスを連れ戻しに行けたのでしょうか。 まあしかしヘーラクレースの話は、各地方の集合体であるといいますから多少の時間軸のずれや矛盾は仕方ないのでしょう。


とにかくトラキアへ着いたヘーラクレースは、狂暴な牝馬の奪取に成功します。しかし王の家来に気づかれてしまいます。 ヘラクレスは牝馬をアブデーロスに預けて、戦闘に向かいます。
  


彼らを片付けてアブデロースの元に戻ってきたヘーラクレスーは、衝撃な場面に遭遇します。 アブデロースはその牝馬に引きずられて死んでいたのです。 ヘーラクレースは少年の墓をたて、その近くにÁbdēra(アブデーラ、Thracia〈トラキア〉地方にある古代ギリシアの都市)市を創建しました。 そして王ディオメースは殺されて、牝馬の食糧と変わり果てたのでした。
  


Gustave Moreau(ギュスターヴ・モロー):フランスの象徴主義の画家です。パリに生まれパリで亡くなりました。聖書や神話に題材をとった幻想的な作風で知られます。 印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは、聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、もっぱら想像と幻想の世界を描いたといいます。


 


牝馬はEurystheus(エウリュステウス)の元へ連れてこられますが、この無責任な王は処置のしようがなく野に放ってしまいます。 牝馬はそのままÓlimpos(オリュンポス)山に逃げ、野獣に食い殺されてしまったようです。


 

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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