瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[177] [178] [179] [180] [181] [182] [183] [184] [185] [186] [187]

白川静氏は漢字の多くを呪術や宗教儀礼と結びつけて解釈していますが、これも好き勝手な空想で言っているのではなく、古代文学や甲骨・金文の研究から得られた知見に裏打ちされたものです(それでも「何でも神がかりに結びつけてしまう」という批判があります)。文字の由来を研究しようと思えば、中国語学や甲骨学・金文学をはじめ、古代文学や古代宗教など該博な知識が必要になってきます。

『男』: 田(たんぼの形)と力(農具の「すき」の形)を合わせた字で、農耕地の管理者を表し、もともとは身分や職能を示すものでした。
『女』: ひざまづいて両手を前に合わせた女性のしなやかな形。
『馬』: 馬の二本の足、たてがみ、尾などを表現した形。
『正』: 口(まちを表す)と止(足跡のかたち)、足跡の形からなる字は歩行、進行を表す字が多く、正の場合、まち・むらに進軍して征服することと解釈されています。つまり卜占による神のお告げを得て行う支配行動は正義とされたのでしょう。
『武』: 戈(武器であるほこ)と止(足跡のかたち)を合わせた形で、元来武とは戈(ほこ)をもって戦いをとどめる行為と解釈されてきましたが、実は、ほこをかついで前進し武威を誇ることを表しています。
『祝』: 兄(祝詞や誓約書を入れる器を戴いた人の形で、祈りを司る兄弟の年長者を表した)と示(小さな神卓の形)で、もともとは先祖の霊を祭り、祈ることを表しています。
『祭』: 古い形では月(肉;祭祀において捧げる肉)と又(それを持つ手の形)からなり、後に示(捧げ物を乗せる神卓の形)が加えられました。
『福』: 示(神卓)に酒樽の形を合わせた字で、酒を神前に供え、酒盛りをして福を招くことを表しました。

 独自の「字源」を唱える自称「研究家」もいます。彼らの多くは漢字を適当に分解し、それぞれの要素の意味を漢和辞典で調べ、それらを組み合わせて「字源」だと称します。しかし漢字の中には甲骨文から楷書に至るまでに字体が大きく変わっているものも少なくなく、古代文字の字形を考慮せずに楷書だけに頼っていたのでは説得力がありません(ひどい人になると戦後になって制定された新字体を分解して「字源」を解こうとしていますが、何をか言わんやです)。また漢字の多くは意味を表す部分と発音を表す部分を合わせた「形声文字」であり、このことを無視するのであれば、無視するだけの合理的な根拠を説明する必要があります。
 ウソも方便ということもありますから、漢字を覚える方便として、漢字を分解して根拠のない由来をこじつけた「覚え歌」を使うというのであれば、別に目くじらを立てることでもないでしょう。たとえば
 「戀という字を分析すれば、いと(糸)し、いと(糸)しと言う心」
 「櫻という字を分析すれば、二階(二貝)の女が気(木)にかかる」
といった昔から有名な都々逸は、傑作と呼ぶにふさわしいものです。しかしこういったものは、お遊びとして楽しむならともかく、教育に使うにはやはりふさわしくありません。なぜならその場限りで応用が全くきかないからです。
 「戀」は「恋」の旧字(以前に使われていた字)です。昔の絵文字を見てみると、男女が心の糸をお互い引っ張り合っている様が現在の「恋」という漢字の起源である事がわかります。よく愛し合っている恋人同士を「赤い糸で結ばれている」という言葉がありますが、「糸」を引き合うという表現は紀元前から使用されていた事がわかります。

 「櫻」「鸚」の音「アウ」は「嬰」の音「エイ」が変化したもので、同時に「嬰」は「貝飾りを首にまとった女」がもともとの意味であることから、「櫻」は「貝飾りのような実をつける ゆすらうめ(「さくら」の意味で使うのは実は日本だけ)」の意味にもなる、というように系統立てて覚えた方が、他の字にも類推して応用できるのです。「纓」も音は「エイ」で、意味は貝飾りのように首にめぐらす「冠のひも」という風に。

 900年ほど前の中国にも、こうした「分解法」を唱えた人がいました。北宋の文人で、「新法」と呼ばれる政治改革を推進した政治家でもあった王安石です。彼は『字説』という本を著し、すべての文字は象形字か会意字であると主張して、いろいろな文字の由来を「分解法」で解説しました。王安石もきっちり学問を修めた人ですし、彼の説も一部には見るべきものがあったので、発表された当時は新法派を中心に支持を集めました。しかし極端に走りすぎたこじつけもまた多かったため、新法が停止されるとともに顧みられなくなり、今では『字説』も散佚して断片しか見ることができません。経書の注釈や字書に引用されて残ったものは、『字説』の中でも比較的まともな部分と考えられますが、明の趙南星の著した『笑賛』などの笑話集に引かれているのは、恐らく『字説』の最も牽強附会な部分で、さんざんコケにされています。


 


 ウェブニュースより
 衆院2補選、自民制す=東京10区若狭氏、福岡6区鳩山氏-早期解散の見方拡大も ―― 参院選後最初の国政選挙となった衆院東京10区と福岡6区の両補欠選挙は23日投票、即日開票された。事実上の与野党一騎打ちとなった東京10区は自民党前職の若狭勝氏(59)=公明党推薦=、自民党系無所属2人と野党統一候補らが争った福岡6区は、自民党系無所属で新人の鳩山二郎氏(37)が当選を確実にした。自民党は鳩山氏を追加公認し、同党が選挙前に持っていた2議席を維持した。

 選挙戦では、与党側がアベノミクスの加速を訴える一方、野党側は環太平洋連携協定(TPP)承認案をめぐる与党の国会運営や、年金給付額を抑える年金制度改革法案を批判した。自民党が両補選で勝利したことにより、安倍晋三首相が早期の衆院解散に踏み切るとの見方が与野党でさらに広がる可能性がある。首相は世論の動向や経済状況などを見極め、解散時期を慎重に探るとみられる。
 民進党の蓮舫代表にとって、9月の代表就任後初の国政選挙だったが初陣を飾れず、今後の求心力に課題を残した。野党は、両選挙区で共産党がいったん公認した候補を取り下げ、民進党候補に一本化。同党が推薦を断ったことに対し、共産党などには不満が残っており、次期衆院選に向けた共闘の在り方について模索が続く。
 小池百合子東京都知事の転出に伴う東京10区補選で、都知事は若狭氏を全面支援。知事選をめぐり自民党内にはしこりが残るが、首相は都知事と一緒に街頭演説するなどして結束を演出した。共産、自由、社民の野党3党の支援を受けた民進党新人の鈴木庸介氏(40)らは及ばなかった。
 福岡6区補選は鳩山邦夫元法相の死去に伴う。自民党は候補者調整が付かず、邦夫氏の次男の鳩山氏と新人の蔵内謙氏(35)がともに無所属で立候補。「弔い合戦」を旗印に支持を訴えた鳩山氏が、民進党新人の新井富美子氏(49)らを下した。  (jiji.com 2016/10/23-23:43)

  今回の補選は最初から結論が分かっているような選挙だした。東京10区の場合は小池百合子の後釜選挙で、都知事選で小池の参謀役だった若狭が出馬すれば、小池人気に便乗して当選するのは目に見えていました。
 福岡6区の場合は、露骨な世襲選挙だ。鳩山邦夫の死去に伴い、せがれが名乗りを上げました。この時点で事実上、当選が決まりでした。「弔い合戦」と言う言葉に弱い日本人は、政策や、候補者の資質、能力などお構いなしに出馬する親族に同情してしまいます。その同情票で楽々当選、これがパターン化しているようです。

 論語泰伯篇に「子曰。民可使由之。不可使知之。」とあります。「子(し)曰(いわ)く、民(たみ)は之(これ)に由(よ)らしむ可(べ)し。之を知らしむ可からず。」と読みます。訳すと、
 孔子先生がおっしゃいました。「人民を政道に従わせることはできるが、一人一人にその内容を理解させることは難しい」と。
 この章を「人民は黙って政治につき従わせておくべきで、いちいち内容を説明すべきものではない」と曲解している人がいますが、可(べし)・不可(べからず)を命令形(~せよ!~するな!)と勘違いしているのでしょう。残念ながら日本の政治家や官僚には勘違いしている人が多いようですが、ここで使われている可(べし)・不可(べからず)は可能形で、できる・できないの意味なのです。


 


『小野篁歌字尽』は「往来物(おうらいもの)」と呼ばれる、主に寺子屋で使用された昔の初歩教科書の一つでした。
 https://library.u-gakugei.ac.jp/digitalarchive/pdf/honji-orai1.pdf

 同じ原理でできた漢字や字形の似通った漢字、また同字を含む熟語や世話字・宛字の類を行毎に二~五字(語)ずつ掲げ、さらに暗誦用の和歌を添えたのが『小野篁歌字尽』で、語彙科往来では最も流布したものの一つでした。
 寛文二(1662)年一月刊本(京都・近江屋次良右衛門板)がその最古本で、本文冒頭の「椿 榎 楸 柊 桐」 春つばき夏はゑのきに秋ひさぎ 冬はひらぎ同はきり
のように、行毎に部首が共通する漢字を列挙するのが一般的です(これを仮に「椿」本と読んでおきましょう)。


 


 しかし、『小野篁歌字尽』はその後かなりの板種が見られ、寛文~延宝期に京都で数種が刊行されました。他の出版物同様、その後の出版地は江戸中心となり、江戸中期以降は江戸板が圧倒的となりました。

 森は木が3つ集まった漢字です。このように同じ漢字を3つ集めて作った漢字がいくつもありますね。(添付図参照)

 それぞれの漢字の読み方を和歌にして覚えたようです。
  男みつかけは(ば)たは(ば)かる女をは(ば) かしましとよむ 車とゝ(ゞ)ろく
  三つかける鳥はあつまる 鹿おろか 魚はめゝさ(ざ)こ 羊なまく(ぐ)さ
   ※ めめざこ=めめじゃこ(メダカなどの小魚類)
  三つかける火はひは(ば)な也 水ふかし 木もり 日ひかり 馬はおと(ど)ろく

 歌字尽はいくつも出版されましたが、『安政歌字尽』ように『小野篁歌字尽』と共通する字がほとんどないものが現われます。これは序文のように意図的に『小野篁歌字尽』中の漢字を避けた結果であるといいます。本書は意図的に『小野篁歌字尽』の漢字を排除したため、所収の漢字に俗字がとりわけ多いのが特徴です。例えば、末尾には、添付図のように「心」という漢字をいくつも並べた俗字を掲げています(それぞれ読みは「かなしむ」「まよう」「うたがう」「よろこぶ」)。ほとんど謎掛けのような甚だしい俗字ばかりです。


 ウェブニュースより
 ノーベル賞辞退、過去に6人=ボブ・ディラン氏、沈黙続く ――  13日に今年のノーベル文学賞授与が決まった米シンガー・ソングライター、ボブ・ディラン氏(75)の沈黙が続いている。ステージには立っており、決して雲隠れしているわけではないが、受賞するのかしないのか、はっきりしない。ただ、受賞を辞退しても、ノーベル賞の歴史では初めてではない。ノーベル賞の公式サイトによると、辞退者は過去に6人存在する。

 最も新しい例は1973年の平和賞で、当時のキッシンジャー米大統領補佐官と共同授賞が決まった北ベトナムの労働党政治局員レ・ドク・トが拒否している。68年からのパリ和平交渉の舞台裏で秘密協議を重ね、73年1月のパリ協定調印を実現した。協定に従い米軍の大半は3月、ベトナムから撤退。ノルウェーのノーベル賞委員会は「足かけ4年に及ぶ交渉の末、停戦に結び付けた」と両者を称賛していた。
 しかし、ベトナムの戦火は完全には消えていなかった。公式サイトによると、北ベトナムからは「米国が停戦違反を繰り返している」ことを理由に受賞拒否が伝えられた。委員会は「ベトナムの状況が許せば翌74年10月1日まで受賞は可能」と待ち続けた。ベトナムは75年、サイゴン陥落を迎え南北統一を果たす。もう一人は、64年の文学賞を拒否したフランスの哲学者サルトルで、授与決定後、仏紙フィガロに「選ばないでくれと手紙を送った。(選考機関の)スウェーデン・アカデミーを侮辱したのではない。賞は全て辞退している」と理由を説明していた。アカデミーは選考から50年を経過した後、関連する資料を公開しており、当時のサルトルの手紙も昨年公開されている。郵便事情が悪くて間に合わず、ストックホルムに届いたのは授与発表の後だったことが確認された。
 文学賞は58年、旧ソ連の作家パステルナークも辞退に追い込まれている。小説「ドクトル・ジバゴ」の内容が反ロシア革命的と見なされ、ソ連共産党から強い圧力を受けていた。
 同様に第2次大戦前に辞退したのはいずれもドイツまたはオーストリアの学者で、39年化学賞のブーテナント、同年医学生理学賞のドーマク、38年化学賞のクーンの3人。いずれもナチス政権の圧力で受賞できなかった。
 このため自分の意思で辞退したのは、6人のうちレ・ドク・トとサルトルの2人だけということになる。ただ、公式サイトによると、ロシアの文豪トルストイも1910年の死去まで繰り返し推薦を受け候補となったが「本人が望まず、授与が決まっても辞退すると述べた」と付記されている。 (jiji.com 2016/10/18-14:28


 戦後日本は、戦争の惨禍を踏まえ、戦争放棄を掲げた憲法のもと、平和国家としての歩みを重ねてきました。それから70年目の今、安倍政権は数の力をかりて、日本を戦争する国に変えようとしています。安倍首相は国内合意よりもアメリカに対する約束を優先し、国民の強い反対や懸念を無視・黙殺して暴走をつづけ、アメリカの戦争に日本が世界中で加担することを可能にする安全保障関連法案を強行的に“成立”させてしまいました。こんな無理押しいつまで続くのでしょうね。国民を馬鹿にするにもほどがあります。

 史記(秦始皇本紀)に次のような記述があります。

 八月己亥。趙高欲為亂。恐群臣不聽。乃先設驗。持鹿獻於二世曰。馬也。二世笑曰。丞相誤邪。謂鹿為馬。問左右。左右或默。或言馬。以阿順趙高。或言鹿者。高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高。
(書き下し文)
 八月己亥(きがい)、趙高、乱を為さんと欲し、群臣の聴かざるを恐る。
 乃ち先づ験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、馬なり、と。
 二世笑ひて曰く、丞相誤れるか。鹿を謂ひて馬と為す、と。 左右に問ふ。
 左右或ひは黙し、或ひは馬と言ひ、以て趙高に阿(おもね)り順(したが)ふ。 或ひは鹿と言ふ、高因りて諸(もろもろ)の鹿と言ひし者を法を以て陰(ひそ)かに中(あ)つ。後、群臣皆な高を畏る。
(訳)
 八月己亥(きがい)の日、趙高は悪化する形勢が皇帝に露見してしまうことを恐れ、謀反を起こそうと考えた。群臣が自分に従うか心配した趙高は、一計を案じ、鹿を引いて二世皇帝に献じて言った。 馬です、と。
 皇帝は笑って言った。丞相は何を言っているのだ。鹿を指して馬と為している、と。 そして左右に尋ねた。
 ある者は黙して答えず、ある者は同調して馬といい、趙高を恐れて曲従した。中には鹿と答えた者も居たが、趙高はこれを法に引っかけて罪に陥れた。これより後、群臣の誰もが趙高に恐怖した。

 この故事から「鹿を指して馬と為す」とは「人を威圧により無理強いさせること。また、間違いを押し通し、人を欺くこと。」をいうようになりました。
 なお、馬鹿は、サンスクリット語で「無知」や「迷妄」を意味する「baka」「moha」の音写「莫迦(ばくか)」「募何(ぼか)」が転じたとされています。日本では、鎌倉時代末期頃から「ばか」の用例があり、室町中期の「文明本説用集」には、馬鹿の異表記として「母娘」「馬娘」「破家」をあげ、「とんでもない」の意味で「狼藉之義也」と説明しているそうです。以上のことから、「ばか」を「馬鹿」と書くのは、当て字と考えられます。

 馬鹿の語源の俗説には、上記の『史記(秦始皇本紀)』の故事「鹿をさして馬となす」からというものがあります。この故事よりより、自分の権勢をよいことに矛盾したことを押し通す意味として「馬鹿」と言うようになったというものです。しかし、「鹿」を「か」と読むのは大和言葉で、漢文では「ばろく」と読むため、この故事が「ばか」の語源とは考え難く、「ばか」に「馬鹿」の字が当てられた由来として考慮するにとどまります。その他、「おこがましい」の語源となる「をこ」を語源とする説もありますが、「をこ」から「ばか」という音変化は考え難いようです。


 


 国字のツクリでよく使われるものに“花”があります。
 土+花で 埖(ごみ、塵)、石+花で 硴(かき、垣)があります。
 錵(にえ)は日本刀の刃のところに現れる銀砂を振り掛けたように輝いて見える雲形の模様です。糀(こうじ)は米や麦を蒸してコウジカビを繁殖させる時カビが米や麦の周りに花のように付くことからできた字です。椛(もみじ)は木の葉が花のように赤くなることからできた字で、紅葉を愛でる日本人の国民性が示したものといえるでしょう。女+花で 「だて、伊達」と読むのだそうですが、この字は爺のパソコンでは打ち出すことが出来ませんでした。

 私達の身の回りの木、鳥、魚の字にも国字が多いようです。
 木偏の国字
 栂(つが、とが)は、木目が細かく建材などに使われることが多く、建材の母体となる木です。
 椙(すぎ)は、木と栄える意味を持つ昌を合わせて、すくすく伸びる杉を表したものです。
 榊(さかき)は、神前に捧げる木の意で、樫(かし)は堅い木の意ですね。
 栃木県の栃(とち)も国字ですがどうしてこの字が出来たか字源はよく判っていません。

 このほか、木偏を使った国字には 枠(わく)、柾(まさき)、椛(もみじ)、杣(そま、古代・中世の日本で国家・権門が所有した山林)、枡(ます)、桝(ます)、椚(くぬぎ)、楾(はんぞう、湯水を注ぐための器で,その柄が半分器の中にさしこまれているもの)、榁(むろ)、槝(かし、船をつなぎとめるために用いる水底に立てる杭)、椥(なぎ)、杁(いり、水の流れる量を調節するために堤(つつみ)などに埋めた樋〈とい〉)、樮(ほくそ、燃えかすのこと)、椨(たぶ)、椣(しで)、椡(くぬぎ)、橲(ずさ、?)、欟(つき、)、橸(まさ、幽霊字、)
*JIS基本漢字に含まれる、典拠不明の文字の総称。幽霊漢字(ゆうれいかんじ)、幽霊字(ゆうれいじ)とも呼ぶ。橸は日本地名大辞典に用例あり。石橸(いしだる)/静岡県。

 鳥偏の国字
 鳰(にお)は「かいつぶり」という水鳥で、水に入る鳥という意です。
 鵆(ちどり)は行き交う鳥の意で、中国では鴴の字を用います。現在では千鳥と書くのが普通でしょう。
 鵇(とき)は年を告げる鳥の意で、朱鷺・鴇とも書きます。
 鵥(かけす)は人の言葉を判断する鳥の意で、ほかの鳥の鳴き声や物音を真似るのが得意と言います。懸巣とも書きます。
 鶍(いすか)はスズメ科の小鳥で、針葉樹の実を食べやすいように上下のくちばしがくい違っているため、行違うという意を持つ“易”の字と鳥を組み合わせたものです。

 このほかに鴫(しぎ)、鵤(いかる、いかるが)、鶫(つぐみ)、鵈(とび、みさご)などがあります。

 魚偏の国字
 鮲(こち)は、砂地に住んでいます。頭が大きい平べったい魚で、砂地に伏し隠れているという意です。
 鯐(すばしり)は“走り”の訓読みを当てたものです。東京などではボラの稚魚をこのように呼ぶそうです。
 鯱(しゃち)はイルカ類で魚ではありませんが、魚偏の国字になりました。虎のように激しい気性の魚という意です。
 一字ではありませんが、鮟鱇は「鱇」が国字で、「あんこう」と読みます。

 日本は海に囲まれ、色々な種類の魚が獲れます。従って魚のついた国字は沢山あります。
 鰯(いわし)、鱈(たら)、鮗(このしろ)、鮖(かじか)、鮴(ごり)、鯒(こち)、鯑(かずのこ)、鯏(あさり、うぐい)、鯲(どじょう)、鯰(なまず)、鰰(はたはた)、鱚(きす)、鰡(ぼら)などがあります。
 寿司屋の湯呑には魚の名がいっぱい書かれたものがありますが、みなさんはどれぐらい読めますか?


 


 ウェブニュースより
 自民候補支援、小池氏が応諾=二階氏の要請に-東京10区補選 ―― 自民党の二階俊博幹事長は6日、小池百合子東京都知事と都内で会談した。小池氏の衆院議員失職に伴う衆院東京10区補欠選挙(11日告示、23日投開票)に関し、二階氏は同党が公認する若狭勝衆院議員(比例東京)への支援を要請。小池氏は応じる考えを伝えた。また、16日には小池氏が安倍晋三首相や公明党の山口那津男代表とともに若狭氏の応援演説を行う方向となった。
 公明、若狭氏の推薦決定=東京10区補選
 二階氏が「ぜひ小池都知事も若狭氏の選挙について全面的にやってほしい」と求めたのに対し、小池氏も「自分が選対本部長になったつもりで先頭に立って仕切ってやる」と語った。同席した自民党の下村博文都連会長は、小池氏を支援した豊島、練馬両区の区議7人への離党勧告に関し、「補選を通じて考えたい」と述べ、処分緩和も検討する意向を伝達。都知事選で生じた党都連内の亀裂修復への協力も求めた。小池氏は「一気には解決しないだろうが、そういう方向に行ければいいと思う」と、前向きな姿勢を示した。 (jiji.com 2016/10/06-16:17)

 孫子九地篇の次の故事により「呉越同船」という四字熟語が出来ました。

 故善用兵者、譬如率然、率然者、常山之蛇也、撃其首則尾至、撃其尾、則首至、撃其中、則首尾倶至、敢問、兵可使如率然乎、曰、可、夫呉人與越人相惡也、當其同舟而濟遇風、其相救也、如左右手、是故方馬埋輪、未足恃也、齋勇若一、政之道也、剛柔皆得、地之理也、故善用兵者、攜手若使一人、不得已也、
(書き下し文)
 故(ゆえ)に善く兵を用うる者は、譬(たと)えば率然の如し。率然とは、常山の蛇なり。其の首を撃てば則(すなわ)ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。あえて問う、兵は率然のごとくならしむべきか。曰く、可なり。それ呉人と越人と相悪むも、その舟を同じくして済(わた)り風に遇(あ)うに当たりては、その相救うや左右の手のごとし。このゆえに馬を方(なら)べ輪を埋むるも、いまだ恃むに足らず。勇を斉(ひと)しくし一(いつ)のごとくするは政(せい)の道なり。剛柔みな得るは地の理なり。ゆえに善く兵を用もちうる者は、手を携さうること一人を使うがごとし。已(や)むを得ざらしむればなり。
(訳)
 そこで、巧みな用兵者は、たとえば卒然(そつぜん)のようなものである。この卒然とは常山(じょうざん、)の蛇の名であるが、この蛇は頭を撃つと尾が応じ、尾を撃てば頭が応じ、腹を撃てば頭と尾が応じてくるものである。
 さて、あえておたずねする。「兵は卒然のごとくなしうるか」
 お答えしよう。「まさにそうしうる」と。
 そもそも呉の人と越の人とは互いに憎み合ってはいるが同じ舟に乗っていて風波に遭遇すれば、互いに左右の手のように助け合うことになる。だから馬を並べてつなぎ車輪を土中に埋めて陣固めをしてみても、その備えも結局たいして頼りにはならない。
 兵卒たちをひとしく勇者にならせるのは、軍令の運用の是非によってである。強いものも弱いものも十分に力をだしきれるようにさせるのは、地の利を生かすかどうかによっている。そこで、巧みな用兵者は手をとって人をあやつるように自在に兵をあやつるが、そうなるのは、兵卒たちをそのようにして戦うほかない状況下におくからである。


 


 ウェブニュースより
  ボブ・ディラン氏にノーベル文学賞 シンガー・ソングライター 「詩的表現を創造」―― スウェーデン・アカデミーは13日、2016年のノーベル文学賞を米国のシンガー・ソングライター、ボブ・ディラン氏(75)に授与すると発表した。歌手の同賞受賞は初めて。スウェーデン・アカデミーは授賞理由を「偉大なアメリカの歌の伝統のなかで、新たな詩的表現を創造した」と説明した。音楽表現が文学賞の対象とされた点で画期的といえる。
 授賞式は12月10日にストックホルムで開く。賞金は800万クローナ(約9500万円)。作家の村上春樹氏は受賞しなかった。

 ディラン氏はミネソタ州生まれ。ミネソタ大学芸術学部を中退してニューヨークに出て、1962年にデビューした。「風に吹かれて」「戦争の親玉」といった曲で、ベトナム反戦や公民権運動で揺れていた米国社会に生きる若者の心情を代弁し、抗議の歌「プロテストフォーク」の旗手として一躍スターになった。
 自身は「反体制の貴公子」と見られることを嫌い、次第に象徴や隠喩などを使って、多様な解釈のできる複雑な詩を作るようになった。音楽面でもロックサウンドを取り入れた「フォークロック」で新境地を開き、「ライク・ア・ローリング・ストーン」(65年)は代表作になった。これまでの自作曲は約600曲、アルバムの総売り上げは世界で1億枚を超える。
 「タイム・アウト・オブ・マインド」(97年)でグラミー賞最優秀アルバム賞、08年にピュリツァー賞の特別賞を受賞。12年にはオバマ米大統領から文民最高位の「大統領自由勲章」を授与された。
 日本に紹介されたのは60年代半ばで、岡林信康氏ら、自らの言葉で歌うフォーク歌手に大きな影響を与えた。今春、通算8度目の来日公演を果たしている。 (日本經濟新聞 2016/10/13 20:23


 


Blowin' In The Wind : Bob Dylan
  How many roads must a man walk down
  Before you call him a man?
  Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
  Before she sleeps in the sand?
  Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
  Before they're forever banned?
  The answer, my friend, is blowin' in the wind,
  The answer is blowin' in the wind.

  How many years can a mountain exist
  Before it's washed to the sea?
  Yes, 'n' how many years can some people exist


  Before they're allowed to be free?
  Yes, 'n' how many times can a man turn his head,
  Pretending he just doesn't see?
  The answer, my friend, is blowin' in the wind,
  The answer is blowin' in the wind.

  How many times must a man look up
  Before he can see the sky?
  Yes, 'n' how many ears must one man have
  Before he can hear people cry?
  Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
  That too many people have died?
  The answer, my friend, is blowin' in the wind,
  The answer is blowin' in the wind.

ボブ・ディラン Bob Dylanの曲「風に吹かれて」Blowin' In The Windの訳
  どれほどの道を歩かねばならぬのか
  男と呼ばれるために
  どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか
  砂の上で安らげるために
  どれほどの弾がうたれねばならぬのか
  殺戮をやめさせるために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

  どれほど悠久の世紀が流れるのか
  山が海となるには
  どれほど人は生きねばならぬのか
  ほんとに自由になれるために
  どれほど首をかしげねばならぬのか
  何もみてないというために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

  どれほど人は見上げねばならぬのか
  ほんとの空をみるために
  どれほど多くの耳を持たねばならぬのか
  他人の叫びを聞けるために
  どれほど多くの人が死なねばならぬのか
  死が無益だと知るために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

 https://www.youtube.com/watch?v=aqd1yRDnik0


 


 漢字というのはもともと中国で作られた字という意味ですが、日本で作られた「国字」とのうのもあります。例えば「畑」は火と田を組み合わせて「乾いた耕地」をあらわしています。「畠」も国字で「土が白く乾いた田」という意です。
 漢字は表意文字で、偏と旁を組み合わせていくらでも面白い漢字を作ることが出来ます。
 永井荷風の作品に「濹東綺譚(ぼくとうきだん)」がありますが、この「濹」という字を漢和辞典で探しても見つかりません。
 この字は隅田川を表す字で、江戸時代に林述斎が作ったものだといいます。「濹東綺譚」の作後贅言(ぜいげん)に次の記載があります。

 向島寺島町に在る遊里の見聞記(けんもんき)をつくって、わたくしは之を濹東綺譚と命名した。
 濹の字は林述斎が墨田川を言現(いいあらわ)すために濫(みだり)に作ったもので、その詩集には濹上漁謡と題せられたものがある。文化年代のことである。
 幕府瓦解の際、成島柳北が下谷和泉橋通(いずみばしどおり)の賜邸(してい)を引払い、向島須崎村(すさきむら)の別荘を家となしてから其詩文には多く濹の字が用い出された。それから濹字が再び汎(あまね)く文人墨客(ぼっかく)の間に用いられるようになったが、柳北の死後に至って、いつともなく見馴れぬ字となった。
 物徂徠は墨田川を澄江となしていたように思っている。天明の頃には墨田堤を葛坡(かつは)となした詩人もあった。明治の初年詩文の流行を極めた頃、小野湖山は向島の文字を雅馴(がじゅん)ならずとなし、其音によって夢香洲(むこうしゅう)の三字を考出したが、これも久しからずして忘れられてしまった。現時向島の妓街に夢香荘とよぶ連込宿がある。小野湖山の風流を襲(つぐ)心であるのかどうか、未(いま)だ詳つまびらかにするを得ない。
 寺島町五丁目から六七丁目にわたった狭斜の地は、白髯橋(しらひげばし)の東方四五町のところに在る。即ち墨田堤の東北に在るので、濹上となすには少し遠すぎるような気がした。依(よ)ってわたくしはこれを濹東と呼ぶことにしたのである。濹東綺譚はその初め稿を脱した時、直(ただ)ちに地名を取って「玉の井雙紙(ぞうし)」と題したのであるが、後に聊(いささ)か思うところがあって、今の世には縁遠い濹字を用いて、殊更に風雅をよそおわせたのである。


 


 聢(しかと)は 確かに・間違いなく の意で、「しかと承りました」のように使います。
 惢は心が3つですが、読みは「こころごころ」です。それぞれの心、思い思いに の意です。「怺」は心を長くもつ意で、「こらえる」と読みます。
 国字には日本人の好みや反映していて、よく使われる旁(ツクリ)に峠(とうげ)鞐(こはぜ)のように上と下を組み合わせたものがあります。
 峠(とうげ)は登りの坂道を登りつめて下りになるところですね。鞐(こはぜ)は書物の帙(チツ、書物を保護するためのおおい)や足袋(たび)・脚絆(きゃはん)などの合わせ目をとめる爪(つめ)形の留め具のことです。桛(かせ)は紡いだ糸を巻き取るエの字型の道具のことです。挊(かせ)ぐは紡いだ糸を桛に巻き取ることです。手も道具も上下に忙しく動く根気のいる作業だったのでしょうね。裃(かみしも)は同じ色の肩衣と袴のことで、江戸時代の武士の礼装でした。

 裃の他にも着物に関する国字には 裄(ゆき、着物の背縫いから袖口までの長さのこと)・褄(つま、着物の衽の腰から下の縁の部分を指す)・襷(たすき)があります。褄は普段はあまり使われませんが、芸者のことを「左褄」というのは、歩く時は左手で着物の妻を取ることからきた言葉です。


 


 最近、ニュース番組を見ていても経済や政治や生活などの問題でとにかく不安を煽るような見せ方が強いような感じがしますが、皆さんは如何お考えですか。
 まあ、爺などは鈍感な方ですから、「またか。世の中なるようにしかならなんじゃないか。」と聞き流してしまいますが、将来のある若い人たちはついつい取り越し苦労してしまうのではないでしょうか。こんなことがこの世の中にストレスを蔓延させているのでしょうね。

 世説新語言語篇に次のような一文があります。
 滿奮畏風。在晉武帝坐,北窗作琉璃屏,實密似疏,奮有難色。帝笑之。奮答曰:「臣猶吳牛,見月而喘。」
(書き下し文)
 滿奮風を畏る。晉の武帝の坐に在り。北窻に琉璃屏(るりへい)を作る。實密にして疎なるに似たり。奮に難(はゞか)る色有り。帝之を笑ふ。奮荅へて曰く、臣猶ほ呉牛の月を見て喘ぐがごとしと。
(訳)
 満奮は風が嫌いであった。ある時晋の武帝の座所に侍していたが、北の窓に瑠璃の扉をはめて風が入るのを防いであり,気密になっているのに、風を通すように見えた。満奮はこれを見て恐れをなしているようであった。武帝がこれを笑うと、満奮は言った。
 「南方の暑さに懲りている呉の牛は月を見てさえも喘ぐ、と申しますが、私がそれです。」

 ここから、思い過ごしや取り越し苦労することを「呉牛喘月(ごぎゅうぜんげつ)」という四字熟語が出来たといいます。同じような意味で「杞憂」という熟語はご存知だと思います。これは列子の天瑞篇から出来た熟語です。

 杞國、有人憂天地崩墜、身亡所寄、廢寢食者。又有憂彼之所憂者。因徃曉之曰、天積氣耳、亡處亡氣。若屈伸呼吸、終日在天中行止。奈何憂崩墜乎。其人曰、天果積氣、日月星宿不當墜耶。曉之者曰、日月星宿亦積氣中之有光耀者。只使墜、亦不能有所中傷。其人曰、奈地壞何。曉者曰、地積塊耳。充塞四虚、亡處亡塊。若躇歩跐蹈、終日在地上行止。奈何憂其壞。其人舍然大喜、曉之者亦舍然大喜。
(書き下し文)
 杞(き)の国に、人の天地の崩墜(ほうつい)して、身寄する所亡きを憂え、寝食を廃(はい)する者あり。又彼の憂うる所を憂うる者有り。
 因って往きて之を暁(さと)して曰く、天は積気のみ、処として気亡きは亡し。屈伸呼吸の若(ごと)きは、終日天中に在りて行止(こうし)す。奈何(いかん)ぞ崩墜(ほうつい)を憂えんやと。
 其(そ)の人曰く、天果たして積気ならば、日月星宿は当(まさ)に墜(お)つべからざるかと。之これを暁す者曰く、日月星宿も亦積気中の光耀(こうよう)有る者なり。只(たと)い墜ちしむるも、亦中(あた)り傷(やぶ)る所有る能わじと。
 其の人曰く、地の壊(くず)るるを奈何(いかん)せんと。暁す者曰く、地は積塊(せっかい)のみ。四虚(しきょ)に充塞(じゅうそく)し、処として塊(かたまり)亡きは亡し。躇歩(ちょほ)跐蹈(しとう)するが若(ごとき)は、終日地上に在りて行止(こうし)す。奈何(いかん)ぞ其の壊(くず)るるを憂れえんと。
 其の人舎然(せきぜん)として大いに喜び、之を暁す者も亦舎然として大いに喜ぶ。
(訳)
 杞の国に、天地が崩れ落ち、身の置き所が亡くなるのを心配して、寝食を廃した男がいた。するとまた、その男の心配していることをさらに心配する男がいて、そのために出かけて行って彼に説得した。
――天は気の集まりでしかない。気は至る所に存在し、したがって人間が体を屈伸したり呼吸したりといった日常の動作も、一日中天の中で行っているのだ。それをどうして君は、天が崩れ落ちなどとしんぱいするか。
 するとその男はたずねた。
――天がもし気の集まりであるとすれば、太陽や月や星は、きっと落ちないと言えるのか。
 彼を説得する男が、「太陽や月や星も気の集まりの中で輝きを持つものにすぎない。たとい落ちてきたとしても人間に危害など加えっこないのだ」と応えると、その男はさらに「大地が壊れたらどうするのか」という。説得する男が、
――大地は土の塊でしかなく、世界の司法の果てまで充ちふさいでいて、いたるところが土の塊である。人間が立ち止まったり歩いたり、足で踏んづけるといった日常の動作も、一日中大地の上で行っているのだ。それをどうして君は、大地が壊れるなどと心配するのか。
 というと、その男はさばさばした気持ちになってすっかり喜び、彼を説得した男もさばさばした気持ちになってすっかり喜んだ。

 この話はなおも続き、最後に列子先生は笑いながら次のように結論付けるのです。
――天地が崩壊すると主張する者も間違っているし、天地が崩壊しないという者も間違っている。崩壊するかしないかは、己に分からないことだからだ。しかしながら、崩壊するというのも一つの見識であり、崩壊しないというのも一つの見識である。かくて、生きている者には死者のことは分からないし、死んだ者には生者のことは分からない。将来の人間には過去のことは分からず、過去の人間には将来のことは分からない。天地が崩壊しようと崩壊すまいと、そんなことに心を乱されない無心の境地こそ大切なのだ。


 


プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
最新コメント
[爺の姪 01/13]
[レンマ学(メタ数学) 01/02]
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/