瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[1178] [1177] [1176] [1175] [1174] [1173] [1172] [1171] [1170] [1169] [1168]
  昨夜来の雨は、夜明け共に上がりそうだが、公園内や隅田川沿いのテラスのベンチは雨のため、座れそうもない。途中休憩無しにはとても徘徊できない情けなき現状なれば、朝の徘徊は諦める。
 
東京夢華録 巻六 元宵 二
 綵山左右、以綵結文殊、普賢、跨獅子白象、各於手指出水五道、其手搖動。用轆轤絞水上燈山尖高處、用木櫃貯之、逐時放下、如瀑布狀。又於左右門上、各以草把縛成戲龍之狀、用青幕遮籠、草上密置燈燭數萬盞、望之蜿蜒如雙龍飛走。自燈山至宣德門樓橫大街、約百餘丈、用棘刺圍遶、謂之「棘盆」、內設兩長竿、高數十丈、以繒綵結束、紙糊百戲人物、懸於竿上、風動宛若飛仙。內設樂棚、差衙前樂人作樂雜戲、并左右軍百戲、在其中駕坐一時呈拽。宣德樓上、皆垂黃緣、簾中一位、乃御座。用黃羅設一綵棚、御龍直執黃蓋、掌扇、列於簾外。兩朵樓各掛燈毬一枚、約方圓丈餘、內燃椽燭、簾內亦作樂。宮嬪嬉笑之聲、下聞於外。樓下用枋木壘成露臺一所、綵結欄檻、兩邊皆禁衛排立、錦袍、幞頭簪賜花、執骨朵子、面此樂棚。教坊、鈞容直、露臺弟子、更互雜劇。近門亦有內等子班直排立。萬姓皆在露臺下觀看、樂人時引萬姓山呼。
852a2edb.jpeg〔訳〕《元宵二》色絹で飾られた屋台の左右には、色絹で文殊菩薩・普賢菩薩が獅子と白象にまたがっている像が作られ、それぞれの手指から五筋の水が噴き出し、その手も揺れ動くのだ。高い燈山のてっぺんにも巻揚機で水をくみ上げ、木の桶にためてどんどん滝のように水を落とした。また、左右の門のうえには草(わら)で龍が戯れる姿を作り、青い布幕でこれを覆い、その上に数万皿の燈火をすき間なくおき並べた。これを遠くから望み見るとまるで双龍が身をくねらせて飛行しているように見えた。燈山から宣徳門の横の大通りまで、約百余丈は、棘刺(いばら)で囲み、これを「棘盆(いばらやま)」と呼んだ。囲みの内側には、高さ数十丈、色絹を巻きつけた二本の長い竿が立っている。紙糊(はりこ)で作られた百戯に登場する人物の像が、その竿にかけられ風に揺られてさながら飛仙のようだった。また、囲みの内側には奏楽の屋台が設けられ、開封府の衙前楽人(おやといがくし)が出向いて演奏し、主上が座につかれると、雑劇(しばい)および左右軍の百戯がいっせいに演じられた。宣徳楼上には黄の縁飾りのついた御簾(みす)が垂らされ、その中に主上の御座があり、黄の薄絹を張った日除け棚が設けられている。御簾の外には御龍直〔ぎょりゅうちょく、親衛儀仗兵〕が黄の薄絹の傘と掌扇〔しょうせん、長い柄に大きな扇のついた儀仗の具〕を持ってんでいる。宣徳門の左右にある楼には、それぞれ一丈あまりもある毬形の大提灯が一つずつかけられて、なかに大蝋燭(ろうそく)がともされる。御簾の中でも楽が奏せられ、宮女たちの笑いざわめく声が下にまで聞こえた。楼の下には蘇枋(すおう)の木で露台を作り、欄杆に色絹を巻きつけた。その両側にはこの台に面して近衛兵が立ち並び、錦の袍(ひたたれ)、下賜された花を挿した幞頭(かむり)に、手には骨朶子(こんぼう)を持っている。台では教坊の鈞容直(ぐんがくたい)、露台の弟子(ていし)たちが代わる代わる雑劇を演じた。また門の近くには内等子(りきし)、班直(とのいびと)が立ち並んでおり、万民はみな露台の下で見物し、時々楽師たちは万民が皇帝万歳をとなえる音頭をとるのだった。
 
※棘盆:燈山には鳳燈・水燈などさまざまなものがあったが、そのなかでも棘盆燈はもっともりっぱなものであったという。
※衙前楽人:衙前は宋代の役(えき)のひとつであるが、兵役とも力役ともちがう。一般に職役とよばれるもので、衙前に召されたものは、官物を主管し供給する職務を受け持った。非常に辛いものであったので王安石の変法後は、賃金を払う雇役となり、以後衙前は官府の雇役人をさす言葉となった。ここの衙前楽人というのも、開封府のお雇い楽師であったようである。
01c1cb93.jpeg※左右軍の百戯:北宋時代、東京で百戯を演じた芸人集団には左軍と右軍があり、ともに開封府の雇役楽人であった。この左右軍とは陸軍の軍ではなく、宋代に京城内の内外を左右南北の各区に分けたうちの、その左ⅸと右ⅸのことで、開封府がこの左右区から衙前として官府に召し出した百戯芸人の演芸を左右軍の百戯と呼んだ。男も女もおり、みな紅い頭巾に色絹の服を着ていたという。
※骨朶子:武器の一種。鉄あるいは堅木で作った棍棒ふうのもので、その端には球形の大きな玉がついている。
※鈞容直:教坊(皇室経営の歌舞教習所)に属する儀仗軍楽隊。軍中から音楽をよくする者を選び、皇帝の行列に従い馬に乗って楽を奏し前導したもの。はじめ引竜直と呼ばれたが、宋の太宗の淳化年間〔990~994年〕に鈞容直とかいしょうした。
※露台の弟子:上元観燈に当たっては宣徳楼前に露台を設け、台上で教坊の楽を奏し、小児隊が楽舞した。教坊に属する小児の楽団員のこと。
※内等子:諸軍から腕力の特にすぐれた力士を選んで編成した近衛兵。
※班直:北宋で禁衛を担当する官薯であった殿前司に属し、宮中に宿直する左右班および内殿直などの禁衛武士の総称。
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[爺 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/