瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昨夕は小雨の中、京王線の幡ヶ谷まで出かけた。爺の新婚1ヵ年ほど此処幡ヶ谷に住んでいたのだが、50余年も昔のことなれば、駅の様子も町の様子もすっかり変わってしまって、初めて訪ねるのと違いはない。途中乗換の新宿駅もすっかり変わってしまって、標示板をたよりに、やっと目的の代々幡斎場にたどり着いた。塾友のK女史も参列していたので、何とか焼香も済ませ、お清めの席にも交わり、ちゃぼ女史とも挨拶が交わせた。帰路は新宿までタクシー、新宿でK女史とわかれ、山手線で鶯谷に出て、再びタクシーにて家まで帰った。言問通りは入谷の朝顔市で通交止めになっており、一部金美館通りを走った。雨のためかライトアップされているはずのスカイツリーのライトは点いていなかった。
今朝も早朝から、雨。
東京夢華録 巻七 駕登寶津樓諸軍呈百戲 二
次有馬上抱紅繡之毬、擊以紅錦索、擲下於地上、數騎追逐射之、左曰「仰手射」、右曰「合手射」、謂之「拖繡毬」。又以柳枝插於地、數騎以剗子箭、或弓或弩射之、謂之「A柳枝」。又有以十餘小旗、遍裝輪上而背之出馬、謂之「旋風旗」。又有執旗挺立鞍上、謂之「立馬」。或以身下馬、以手攀鞍而復上、謂之「騗馬」。或用手握定鐙袴、以身從後鞦來往、謂之「跳馬」。忽以身離鞍、屈右腳掛馬鬃、左腳在鐙、左手把鬃、謂之「獻鞍」、又曰「棄鬃背坐」。或以兩手握鐙袴、以肩著鞍橋、雙腳直上、謂之「倒立」。忽擲腳著地、倒拖順馬而走、復跳上馬、謂之「拖馬」。或留左腳著鐙、右腳出鐙、離鞍橫身、在鞍一邊、右手捉鞍、左手把鬃存身、直一腳順馬而走、謂之「飛仙膊馬」。又存身拳曲在鞍一邊、謂之「鐙裡藏身」。或右臂挾鞍、足著地順馬而走、謂之「趕馬」。或出一鐙、墜身著鞦、以手向下綽地、謂之「綽塵」。或放令馬先走、以身追及、握馬尾而上、謂之「豹子馬」。或橫身鞍上、或輪弄利刃、或重物、大刀、雙刀百端訖、有黃衣老兵、謂之「黃院子」數輩、執小繡龍旗前導宮監馬騎百餘、謂之「妙法院女童」;皆妙齡翹楚、結束如男子、短頂頭巾、各著雜色錦繡撚金絲番段窄袍、紅綠吊敦束帶、莫非玉羈金勒、寶花韉、豔色耀日、香風襲人。馳驟至樓前、團轉數遭、輕簾皷聲、馬上亦有呈驍藝者。中貴人許畋押隊、招呼成列、皷聲一齊擲身下馬、一手執弓箭、攬韁子、就地如男子儀、拜舞山呼訖、復聽皷聲、騗馬而上。大抵禁庭如男子裝者、便隨男子禮起居。復馳驟團旋分合陣子訖、分兩陣、兩兩出陣、左右使馬直背射弓、使番鎗或草棒、交馬野戰。呈驍騎訖、引退、又作樂。先設綵結小毬門於殿前、有花裝男子百餘人、皆裹角子向後拳曲花幞頭、半著紅半著青錦襖子、義襴束帶、絲鞋。各跨雕鞍花䪌驢子、分為兩隊、各有朋頭一名、各執綵畫毬杖、謂之「小打」。一朋頭用杖擊弄毬子、如綴毬子、方墜地、兩朋爭占、供與朋頭。左朋擊毬子過門入盂為勝、右朋向前爭占、不令入盂、互相追逐、得籌謝恩而退。續有黃院子引出宮監百餘、亦如小打者、但加之珠翠裝飾、玉帶紅靴、各跨小馬、謂之「大打」。人人乘騎精熟、馳驟如神、雅態輕盈、妍姿綽約、人間但見其圖畫矣。呈訖。
〔訳〕《主上、宝津楼に登られ、諸軍、百戯を御覧に供す〔清明二〕2》つぎに馬に乗り、紅い錦の紐をつけた紅い刺繍をした毬(まり)を抱えた者があらわれる。毬を地面に投げると五、六騎の武者が追って弓で射る。左で射るのを「仰手射(ゆんでうち)」、右で射るのを「合手射(めてうち)」といい、この競技は「拖綉毬(まりひき)」といった。また柳の枝を地面に挿し、これを五、六騎の武者が弓あるいは弩(いしゆみ)に剗子箭(いたつき)をつがえているのを「A柳枝(やなぎだおし)」という。それから十本あまりの小旗を輪の上につけて背負いながら馬を走らすのを「旋風坡沲(はたわ)」といい、旗を持って鞍の上にたつのは「立馬(たちうま)」という。また走っている馬からおり、ふたたび鞍によじもどり、もとどおり馬上にまたがるのを「騗馬(とびのり)」、手で鐙袴(あぶみかわ)を、鞦(しりがい)から跳び乗るのを「跳馬(うまとび)」、突然鞍から離れて右足をまげて馬の鬃(たてがみ)にかけ左足は鐙にのせて左手で鬃をつかむのを「獻鞍(くらさげ)」とか「棄鬃背坐(たてがみのり)」、両手で鐙袴をにぎり肩を鞍につけて両足を真上に上げるのを「倒立(さかだち)」という。ふいに足を地面につけて制動をかけながら馬とともに走り、また馬に乗るのは「拖馬(ひきずり)」、左足を鐙にのせて右足は鐙からはずし、鞍から身を離して身を横たえたり、鞍の片側で右手で鞍をつかみ、左手に鬃をつかんで身をささえ、片足をのばして馬とともに走るのを「飛仙膊馬(せんにんのり)」という。また鞍の片側に身をまげかくすのは「鐙裏蔵身(あぶみがくれ)」、右ひじで鞍をはさみ、足で地を蹴って馬とともに走るのは「趕馬(うまおい)」、片方の鐙をはずし、からだを鞦(しりがい)のほうにまで倒して手で地面の土をつかみ取るのは「綽塵(ちりつかみ)」、馬を先に走らせ、自分は後から追いついて馬の尾をつかんで乗るのを「豹子馬(とびのり)」という。鞍の上に身を横たえ、鋭い刀を手玉のように輪を描いて投げたり、重い得物や大刀とか二本の刀を使ったりもする。このようなさまざまの馬術を演じ終わると、黄衣の老兵があらわれる。これを「黄院子(きいろやっこ)」という。ついで竜を刺繍した小さな旗を持った五、六人の前導について、馬に乗った宮女が百余騎あらわれる。これらは「妙法院の女童(めわらべ)」という。妙齢のしなやかなからだをした乙女たちが、みな男姿になり、頂の短い頭巾をかぶり、身にぴったりついた色とりどりの絹地に金色のぬいとりをした緞子(どんす)の袍(ほう)を着、紅か緑の束帯をつけているし、乗馬にはみんな金や宝玉を飾ったおもがいや飾りも美々しい鐙・韉(くらしき)をつけ、そのあでやかさは輝くばかり、かぐわしい香りが人を襲うのだった。宝津楼の前まで馬を走らせてくると、数回円を画いて走り、軽快な太鼓の音とともに、これまた馬術を手並みを見せるのだ。宦官(かんがん)の許畋(きょでん)が隊列を掌握し、号令をかけて整列させる。太鼓がいっせいにとどろくと、みなひらりと馬からおり、片手に弓矢を持ち、手綱を取りながら男子の作法で拝舞をし主上の万歳を唱えた。唱え終わるとまた太鼓がとどろき、みなは馬にとび乗る。このように宮廷で男装した婦人は、男子の礼にしたがって振る舞うのが常だった。ふたたび集合して円を画いて走ったり、散開と集合をくりかえしてさまざまの陣形を作ってみせた。それが終ると両陣にわかれ、双方から左右の使馬直(このえきへい)が出陣し、弓を後ろ向きに射たり、槍や棒を用い入り乱れて野戦を展開して馬術の手並みをご覧に供した。これが終ってみなが退場すると、また楽曲が演奏される。と、まず殿前に小さな毬門(きゅうもん)が色絹で結い立てられ、花やかな装いの男子百余人が入場する。めいめい角が後ろに彎曲した花幞(かざりかむり)をかぶり、その半分は紅、半分は青の襖子(あわせ)を着、義襴(ぎらん)束帯に絹の鞋(くつ)をはいて、美しい模様のついた鞍・鞍敷きをつけたロバにまたがっている。二組に分かれ、各組に朋頭(くみがしら)が一名、そしてめいめいはみな手に毬杖(きゅうじょう)を持つ。これを「小打」と呼んだ。一方の朋頭が杖でマリを蹴毬のように打ち上げて地面に落ちると、双方争ってマリを取り合い朋頭にマリを送る。片方の組がマリを打って先に毬門に入れると勝ちだが、一方の組も走り寄ってマリを奪い入らせぬようにして、互いに追いつ追われつ争い、勝負が決まると皇恩を謝して退場した。続いて黄衣の老兵が宮女百余人ほひきいてあらわれる。やはり「小打」と同じようないでたちだが、ただ宝石で身を飾り、玉帯に紅い長靴をはき、めいめい小馬に乗っている点が違い、これは「大打」と呼んだ。みな馬術の手並みもあざやかで、神業のように馳せるその身のこなしは、軽やかでもあり、あでやかでもあって、俗世間では絵でしか見られぬ美しさであった。これで百戯はすべて終了である。
※剗子箭(さんしせん):矢じりの先が尖っていない矢。日本でも木や鉄製で頭が尖っていない矢じりのついた矢を平題箭(いたつき)と呼んで、弓術練習に用いた。
※A柳枝:柳の枝を騎射する行事を説明して、これをB柳といい、Bは藉(しゃ)ではなく乍(さ)のように発音するといっている。祚はB(ふみにじる)で、祚柳は柳をふみにじる行事のいみになる。なお、この行事の起源は『漢書』匈奴伝に出てくるC林(たいりん)の行事〔匈奴が、秋に馬が肥えると集まって林の木を巡り祭りをしたという行事〕に求めているという。
※おもがい:原文「覊勒(きろく)」。覊はおもがい。馬の頭から轡にかけて飾りとする組紐。この覊に轡のついたものを勒という。すなわち覊勒とは轡・おもがいなど馬の頭につける馬具の総称となる。
※韉(せん):鞍の下に敷く皮。
※毬門:いわゆるポロ競技で用いられるゴールのゲート。毬杖はマレットに当たる。ポロは古くチベット・トルキスタン・ペルシャなどに行なわれていたものがインドから英国に渡ったもの。中国の打毬もチベットやトルキスタンから伝わったものといわれている。ポロという名称は、柳の根で作られたボールを意味するチベット語の「プル」に由来するという。この打毬は日本の宮中にも中国から伝来して毬杖(ぎっちょう)とよばれる。
※花幞:幞頭(ぼくとう)は、四角い布で頭を包み後頭部でしばった頭巾が起源の冠で、冠の後両側に4本または2本の角〔つの、脚(あし)とも言う〕が出ており、その角にはさまざまな形のものがあった。
※義襴(ぎらん)束帯:義襴は、袍の裾に付け加える飾りの布。日本でも袍の裾の左右につける横幅の布を襴(らん、または すそつき)といった。「束帯」は、冠と帯をつけた礼装をいう。
今朝も早朝から、雨。
東京夢華録 巻七 駕登寶津樓諸軍呈百戲 二
次有馬上抱紅繡之毬、擊以紅錦索、擲下於地上、數騎追逐射之、左曰「仰手射」、右曰「合手射」、謂之「拖繡毬」。又以柳枝插於地、數騎以剗子箭、或弓或弩射之、謂之「A柳枝」。又有以十餘小旗、遍裝輪上而背之出馬、謂之「旋風旗」。又有執旗挺立鞍上、謂之「立馬」。或以身下馬、以手攀鞍而復上、謂之「騗馬」。或用手握定鐙袴、以身從後鞦來往、謂之「跳馬」。忽以身離鞍、屈右腳掛馬鬃、左腳在鐙、左手把鬃、謂之「獻鞍」、又曰「棄鬃背坐」。或以兩手握鐙袴、以肩著鞍橋、雙腳直上、謂之「倒立」。忽擲腳著地、倒拖順馬而走、復跳上馬、謂之「拖馬」。或留左腳著鐙、右腳出鐙、離鞍橫身、在鞍一邊、右手捉鞍、左手把鬃存身、直一腳順馬而走、謂之「飛仙膊馬」。又存身拳曲在鞍一邊、謂之「鐙裡藏身」。或右臂挾鞍、足著地順馬而走、謂之「趕馬」。或出一鐙、墜身著鞦、以手向下綽地、謂之「綽塵」。或放令馬先走、以身追及、握馬尾而上、謂之「豹子馬」。或橫身鞍上、或輪弄利刃、或重物、大刀、雙刀百端訖、有黃衣老兵、謂之「黃院子」數輩、執小繡龍旗前導宮監馬騎百餘、謂之「妙法院女童」;皆妙齡翹楚、結束如男子、短頂頭巾、各著雜色錦繡撚金絲番段窄袍、紅綠吊敦束帶、莫非玉羈金勒、寶花韉、豔色耀日、香風襲人。馳驟至樓前、團轉數遭、輕簾皷聲、馬上亦有呈驍藝者。中貴人許畋押隊、招呼成列、皷聲一齊擲身下馬、一手執弓箭、攬韁子、就地如男子儀、拜舞山呼訖、復聽皷聲、騗馬而上。大抵禁庭如男子裝者、便隨男子禮起居。復馳驟團旋分合陣子訖、分兩陣、兩兩出陣、左右使馬直背射弓、使番鎗或草棒、交馬野戰。呈驍騎訖、引退、又作樂。先設綵結小毬門於殿前、有花裝男子百餘人、皆裹角子向後拳曲花幞頭、半著紅半著青錦襖子、義襴束帶、絲鞋。各跨雕鞍花䪌驢子、分為兩隊、各有朋頭一名、各執綵畫毬杖、謂之「小打」。一朋頭用杖擊弄毬子、如綴毬子、方墜地、兩朋爭占、供與朋頭。左朋擊毬子過門入盂為勝、右朋向前爭占、不令入盂、互相追逐、得籌謝恩而退。續有黃院子引出宮監百餘、亦如小打者、但加之珠翠裝飾、玉帶紅靴、各跨小馬、謂之「大打」。人人乘騎精熟、馳驟如神、雅態輕盈、妍姿綽約、人間但見其圖畫矣。呈訖。
〔訳〕《主上、宝津楼に登られ、諸軍、百戯を御覧に供す〔清明二〕2》つぎに馬に乗り、紅い錦の紐をつけた紅い刺繍をした毬(まり)を抱えた者があらわれる。毬を地面に投げると五、六騎の武者が追って弓で射る。左で射るのを「仰手射(ゆんでうち)」、右で射るのを「合手射(めてうち)」といい、この競技は「拖綉毬(まりひき)」といった。また柳の枝を地面に挿し、これを五、六騎の武者が弓あるいは弩(いしゆみ)に剗子箭(いたつき)をつがえているのを「A柳枝(やなぎだおし)」という。それから十本あまりの小旗を輪の上につけて背負いながら馬を走らすのを「旋風坡沲(はたわ)」といい、旗を持って鞍の上にたつのは「立馬(たちうま)」という。また走っている馬からおり、ふたたび鞍によじもどり、もとどおり馬上にまたがるのを「騗馬(とびのり)」、手で鐙袴(あぶみかわ)を、鞦(しりがい)から跳び乗るのを「跳馬(うまとび)」、突然鞍から離れて右足をまげて馬の鬃(たてがみ)にかけ左足は鐙にのせて左手で鬃をつかむのを「獻鞍(くらさげ)」とか「棄鬃背坐(たてがみのり)」、両手で鐙袴をにぎり肩を鞍につけて両足を真上に上げるのを「倒立(さかだち)」という。ふいに足を地面につけて制動をかけながら馬とともに走り、また馬に乗るのは「拖馬(ひきずり)」、左足を鐙にのせて右足は鐙からはずし、鞍から身を離して身を横たえたり、鞍の片側で右手で鞍をつかみ、左手に鬃をつかんで身をささえ、片足をのばして馬とともに走るのを「飛仙膊馬(せんにんのり)」という。また鞍の片側に身をまげかくすのは「鐙裏蔵身(あぶみがくれ)」、右ひじで鞍をはさみ、足で地を蹴って馬とともに走るのは「趕馬(うまおい)」、片方の鐙をはずし、からだを鞦(しりがい)のほうにまで倒して手で地面の土をつかみ取るのは「綽塵(ちりつかみ)」、馬を先に走らせ、自分は後から追いついて馬の尾をつかんで乗るのを「豹子馬(とびのり)」という。鞍の上に身を横たえ、鋭い刀を手玉のように輪を描いて投げたり、重い得物や大刀とか二本の刀を使ったりもする。このようなさまざまの馬術を演じ終わると、黄衣の老兵があらわれる。これを「黄院子(きいろやっこ)」という。ついで竜を刺繍した小さな旗を持った五、六人の前導について、馬に乗った宮女が百余騎あらわれる。これらは「妙法院の女童(めわらべ)」という。妙齢のしなやかなからだをした乙女たちが、みな男姿になり、頂の短い頭巾をかぶり、身にぴったりついた色とりどりの絹地に金色のぬいとりをした緞子(どんす)の袍(ほう)を着、紅か緑の束帯をつけているし、乗馬にはみんな金や宝玉を飾ったおもがいや飾りも美々しい鐙・韉(くらしき)をつけ、そのあでやかさは輝くばかり、かぐわしい香りが人を襲うのだった。宝津楼の前まで馬を走らせてくると、数回円を画いて走り、軽快な太鼓の音とともに、これまた馬術を手並みを見せるのだ。宦官(かんがん)の許畋(きょでん)が隊列を掌握し、号令をかけて整列させる。太鼓がいっせいにとどろくと、みなひらりと馬からおり、片手に弓矢を持ち、手綱を取りながら男子の作法で拝舞をし主上の万歳を唱えた。唱え終わるとまた太鼓がとどろき、みなは馬にとび乗る。このように宮廷で男装した婦人は、男子の礼にしたがって振る舞うのが常だった。ふたたび集合して円を画いて走ったり、散開と集合をくりかえしてさまざまの陣形を作ってみせた。それが終ると両陣にわかれ、双方から左右の使馬直(このえきへい)が出陣し、弓を後ろ向きに射たり、槍や棒を用い入り乱れて野戦を展開して馬術の手並みをご覧に供した。これが終ってみなが退場すると、また楽曲が演奏される。と、まず殿前に小さな毬門(きゅうもん)が色絹で結い立てられ、花やかな装いの男子百余人が入場する。めいめい角が後ろに彎曲した花幞(かざりかむり)をかぶり、その半分は紅、半分は青の襖子(あわせ)を着、義襴(ぎらん)束帯に絹の鞋(くつ)をはいて、美しい模様のついた鞍・鞍敷きをつけたロバにまたがっている。二組に分かれ、各組に朋頭(くみがしら)が一名、そしてめいめいはみな手に毬杖(きゅうじょう)を持つ。これを「小打」と呼んだ。一方の朋頭が杖でマリを蹴毬のように打ち上げて地面に落ちると、双方争ってマリを取り合い朋頭にマリを送る。片方の組がマリを打って先に毬門に入れると勝ちだが、一方の組も走り寄ってマリを奪い入らせぬようにして、互いに追いつ追われつ争い、勝負が決まると皇恩を謝して退場した。続いて黄衣の老兵が宮女百余人ほひきいてあらわれる。やはり「小打」と同じようないでたちだが、ただ宝石で身を飾り、玉帯に紅い長靴をはき、めいめい小馬に乗っている点が違い、これは「大打」と呼んだ。みな馬術の手並みもあざやかで、神業のように馳せるその身のこなしは、軽やかでもあり、あでやかでもあって、俗世間では絵でしか見られぬ美しさであった。これで百戯はすべて終了である。
※剗子箭(さんしせん):矢じりの先が尖っていない矢。日本でも木や鉄製で頭が尖っていない矢じりのついた矢を平題箭(いたつき)と呼んで、弓術練習に用いた。
※A柳枝:柳の枝を騎射する行事を説明して、これをB柳といい、Bは藉(しゃ)ではなく乍(さ)のように発音するといっている。祚はB(ふみにじる)で、祚柳は柳をふみにじる行事のいみになる。なお、この行事の起源は『漢書』匈奴伝に出てくるC林(たいりん)の行事〔匈奴が、秋に馬が肥えると集まって林の木を巡り祭りをしたという行事〕に求めているという。
※おもがい:原文「覊勒(きろく)」。覊はおもがい。馬の頭から轡にかけて飾りとする組紐。この覊に轡のついたものを勒という。すなわち覊勒とは轡・おもがいなど馬の頭につける馬具の総称となる。
※韉(せん):鞍の下に敷く皮。
※毬門:いわゆるポロ競技で用いられるゴールのゲート。毬杖はマレットに当たる。ポロは古くチベット・トルキスタン・ペルシャなどに行なわれていたものがインドから英国に渡ったもの。中国の打毬もチベットやトルキスタンから伝わったものといわれている。ポロという名称は、柳の根で作られたボールを意味するチベット語の「プル」に由来するという。この打毬は日本の宮中にも中国から伝来して毬杖(ぎっちょう)とよばれる。
※花幞:幞頭(ぼくとう)は、四角い布で頭を包み後頭部でしばった頭巾が起源の冠で、冠の後両側に4本または2本の角〔つの、脚(あし)とも言う〕が出ており、その角にはさまざまな形のものがあった。
※義襴(ぎらん)束帯:義襴は、袍の裾に付け加える飾りの布。日本でも袍の裾の左右につける横幅の布を襴(らん、または すそつき)といった。「束帯」は、冠と帯をつけた礼装をいう。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
sechin@nethome.ne.jp です。
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