瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
東京夢華録 巻八 七夕
七月七夕、潘樓街東宋門外瓦子、州西梁門外瓦子、北門外、南朱雀門外街及馬行街內、皆賣磨喝樂:乃小塑土偶耳。悉以雕木彩裝欄座、或用紅紗碧籠、或飾以金珠牙翠、有一對直數千者。禁中及貴家與士庶為時物追陪。又以黃䗶鑄為鳧鴈、鴛鴦、鸂鶆、龜魚之類、彩畫金縷、謂之「水上浮」。又以小板上傅土、旋種粟令生苗、置小茅屋花木、作田舍家小人物、皆村落之態、謂之「穀板」。又以瓜雕刻成花樣、謂之「花瓜」。又以油麪糖蜜造為笑靨兒、謂之「果實」。花樣奇巧百端、如捺香方勝之類。若買一斤數內有一對被介胄者、如門神之像、蓋自來風流、不知其從、謂之「果食將軍」。又以菉豆、小豆、小麥於磁器內以水浸之、生芽數寸、以紅籃綵縷束之、謂之「種生」。皆於街心綵幙帳設出絡貨賣。七夕前三五日、車馬盈市、羅綺滿街。旋折未開荷花、都人善假做雙頭蓮、取玩一時、提攜而歸、路人往往嗟愛。又小兒須買新荷葉執之、蓋効顰磨喝樂。兒童輩特地新妝、競誇鮮麗。至初六日、七日晚、貴家多結綵樓於庭、謂之「乞巧樓」。鋪陳磨喝樂、花瓜、酒炙、筆硯、針線、或兒童裁詩、女郎呈巧、焚香列拜、謂之「乞巧」。婦女望月穿針。或以小蜘蛛安合子內、次日看之、若網圓正、謂之「得巧」。里巷與妓館、往往列之門首、爭以侈靡相向。「磨喝樂」本佛經「摩睺羅」、今通俗而書之。
〔訳〕七月七日の夕、潘楼街、東朱門外の瓦子(がし)、州西梁門外の瓦子、北門外との南朱雀門外の通り、および馬行街では、みな「磨喝楽(モホロ)」すなわち小さな泥人形を売った。どれも、彫刻して色絹で飾った木の台座にませたり、紅や緑の薄絹を張った籠をかぶせたり、金・珠玉・象牙・ヒスイで飾ったりしてあり、一体で数千貫文という値がするものもあったが、宮中でも、そして貴族も一般人も節句の縁起物として、値段をはずんで買うのであった。また、蝋でカモ・カリ・オシドリ・鸂鶆(おおおしどり)・カメ・魚の類を作り、彩色して金糸で飾ったものを「水上浮(うかべもの)」といった。また、小さな板の上に土を盛り、それにアワをまき苗をはえさせ、小さい茅葺の家や、花木を置き、農家や小さな人物像を配して農村風景を拵えたものを「穀板」といった。また、ウリに花模様の彫刻をして、これを「花瓜(かざりうり)」という。また、油・粉・糖蜜で笑靨花(しじみばな)をつくり、これを「果食花様(はながし)」といい、腕をふるっていろいろな形のもの、たとえば捺香〔不明〕や違え菱などの形に作る。もし、これを一斤も買えば、そのなかには甲冑をつけた一対の門神ふうの形をしたものもはいっている。長い間の風流な習慣で、由来はわからないがこれを「果食(かし)将軍」といった。また、青大豆・小豆・小麦を磁器にいれ水にひたして、芽が五・六寸も生えると,紅と藍の色糸で束ね、これを「種生(しゅせい)」といった。これらはみな通りの真ん中に色絹の幕を張りめぐらし売るから、七夕の四、五日前になると、車馬は市にあふれ、美しく着飾った人々が通りに満ちた。都の者たちは、ついでにハスの花のつぼみを手折って、巧みに双頭のハスのようにしてしばし楽しんでから手に持って帰ったが、道行く人々の中にはこれを見て花をいとしむものが少なくなかった。また子供が必ず新しいハスの葉を買って手に持つのも、おそらく磨喝楽(マホロ)のようすをまねたものであろう。子供たちは特に新しい着物を着て、美しさを競い合いもした。六日、七日の晩になると、貴人の家では、たいてい庭に色絹を結った楼を建てて、これを「乞巧楼(きっこうろう)」とよんだ。磨喝楽(マホロ)・花瓜(かざりうり)・酒の肴・筆と硯・針と糸を並べ、また男の子は詩をつくり、女の子は針仕事の手並みを示したり、香を焚(た)いて並んで拝礼して祈ったりして、これらを「乞巧」といった。婦人は月に向かって針に糸を通す。あるいは小さなクモを手箱に入れておき、翌日これをみて、もしクモの巣が丸くきちんとできていれば、これを「得巧(とくこう)」といった。町中の妓館では、多くこれを門口に並べて贅(ぜい)を競い合った。
※瓦子:来たれば瓦合し、去れば瓦解する、つまり人々の集散する盛り場の意味でこのながつけられたという。
※磨喝楽:魔合羅とも書く。宋元代の習俗では、土や木で子供姿の人形をつくり、綺麗な着物を着せたものを磨喝楽といって、七夕に供えて子供の玩具とした。その形は肥ったからだに、まんまるの大きな顔、大口を開けてにっこり笑っているという福々しく愛らしいもので、現代無錫で産する「大阿福」という人形がこれに似ているという。手にハスの葉の傘をもっているのが常であったようである。
※水上浮:これ蝋製の鳥魚は水に浮かべた。
※ウリ:七月にウリや小麦を供えるのはこの時季に収穫できる作物の代表的なものであり、七月は乞巧行事のほかに、その年の前半の収穫感謝祭としての意味をもっていたことを示す。
※果食花様:日本における糝粉(しんこ)細工のようなもの。
※門神:中国では新年に各戸の門の両扉に一対の武者姿の神像を張り、これを門神という。
※種生:「五種生」ともいって、七夕の晩に牽牛星に供えるものであった。都では七日の十日まえに青大豆かエンドウ豆を水につけ、日に一・二回水を換えて、芽が五寸ほどの長さになって苗が立つようになると、小さなお盆の中に入れておき、七夕には一尺ばかりの長さにまで育てるのを生花盆児といい、これを漬物にもするという。
※双頭のハス:二輪のハスの花が、一つの根から生じているものを並頭蓮とか並蒂蓮(へいたいれん)などといって、中国では夫婦和合のシンボルとしている。
※得巧:クモの糸の密なるものを巧多しとしている。クモの網が「円正」なら得巧である。
七月七夕、潘樓街東宋門外瓦子、州西梁門外瓦子、北門外、南朱雀門外街及馬行街內、皆賣磨喝樂:乃小塑土偶耳。悉以雕木彩裝欄座、或用紅紗碧籠、或飾以金珠牙翠、有一對直數千者。禁中及貴家與士庶為時物追陪。又以黃䗶鑄為鳧鴈、鴛鴦、鸂鶆、龜魚之類、彩畫金縷、謂之「水上浮」。又以小板上傅土、旋種粟令生苗、置小茅屋花木、作田舍家小人物、皆村落之態、謂之「穀板」。又以瓜雕刻成花樣、謂之「花瓜」。又以油麪糖蜜造為笑靨兒、謂之「果實」。花樣奇巧百端、如捺香方勝之類。若買一斤數內有一對被介胄者、如門神之像、蓋自來風流、不知其從、謂之「果食將軍」。又以菉豆、小豆、小麥於磁器內以水浸之、生芽數寸、以紅籃綵縷束之、謂之「種生」。皆於街心綵幙帳設出絡貨賣。七夕前三五日、車馬盈市、羅綺滿街。旋折未開荷花、都人善假做雙頭蓮、取玩一時、提攜而歸、路人往往嗟愛。又小兒須買新荷葉執之、蓋効顰磨喝樂。兒童輩特地新妝、競誇鮮麗。至初六日、七日晚、貴家多結綵樓於庭、謂之「乞巧樓」。鋪陳磨喝樂、花瓜、酒炙、筆硯、針線、或兒童裁詩、女郎呈巧、焚香列拜、謂之「乞巧」。婦女望月穿針。或以小蜘蛛安合子內、次日看之、若網圓正、謂之「得巧」。里巷與妓館、往往列之門首、爭以侈靡相向。「磨喝樂」本佛經「摩睺羅」、今通俗而書之。
〔訳〕七月七日の夕、潘楼街、東朱門外の瓦子(がし)、州西梁門外の瓦子、北門外との南朱雀門外の通り、および馬行街では、みな「磨喝楽(モホロ)」すなわち小さな泥人形を売った。どれも、彫刻して色絹で飾った木の台座にませたり、紅や緑の薄絹を張った籠をかぶせたり、金・珠玉・象牙・ヒスイで飾ったりしてあり、一体で数千貫文という値がするものもあったが、宮中でも、そして貴族も一般人も節句の縁起物として、値段をはずんで買うのであった。また、蝋でカモ・カリ・オシドリ・鸂鶆(おおおしどり)・カメ・魚の類を作り、彩色して金糸で飾ったものを「水上浮(うかべもの)」といった。また、小さな板の上に土を盛り、それにアワをまき苗をはえさせ、小さい茅葺の家や、花木を置き、農家や小さな人物像を配して農村風景を拵えたものを「穀板」といった。また、ウリに花模様の彫刻をして、これを「花瓜(かざりうり)」という。また、油・粉・糖蜜で笑靨花(しじみばな)をつくり、これを「果食花様(はながし)」といい、腕をふるっていろいろな形のもの、たとえば捺香〔不明〕や違え菱などの形に作る。もし、これを一斤も買えば、そのなかには甲冑をつけた一対の門神ふうの形をしたものもはいっている。長い間の風流な習慣で、由来はわからないがこれを「果食(かし)将軍」といった。また、青大豆・小豆・小麦を磁器にいれ水にひたして、芽が五・六寸も生えると,紅と藍の色糸で束ね、これを「種生(しゅせい)」といった。これらはみな通りの真ん中に色絹の幕を張りめぐらし売るから、七夕の四、五日前になると、車馬は市にあふれ、美しく着飾った人々が通りに満ちた。都の者たちは、ついでにハスの花のつぼみを手折って、巧みに双頭のハスのようにしてしばし楽しんでから手に持って帰ったが、道行く人々の中にはこれを見て花をいとしむものが少なくなかった。また子供が必ず新しいハスの葉を買って手に持つのも、おそらく磨喝楽(マホロ)のようすをまねたものであろう。子供たちは特に新しい着物を着て、美しさを競い合いもした。六日、七日の晩になると、貴人の家では、たいてい庭に色絹を結った楼を建てて、これを「乞巧楼(きっこうろう)」とよんだ。磨喝楽(マホロ)・花瓜(かざりうり)・酒の肴・筆と硯・針と糸を並べ、また男の子は詩をつくり、女の子は針仕事の手並みを示したり、香を焚(た)いて並んで拝礼して祈ったりして、これらを「乞巧」といった。婦人は月に向かって針に糸を通す。あるいは小さなクモを手箱に入れておき、翌日これをみて、もしクモの巣が丸くきちんとできていれば、これを「得巧(とくこう)」といった。町中の妓館では、多くこれを門口に並べて贅(ぜい)を競い合った。
※瓦子:来たれば瓦合し、去れば瓦解する、つまり人々の集散する盛り場の意味でこのながつけられたという。
※磨喝楽:魔合羅とも書く。宋元代の習俗では、土や木で子供姿の人形をつくり、綺麗な着物を着せたものを磨喝楽といって、七夕に供えて子供の玩具とした。その形は肥ったからだに、まんまるの大きな顔、大口を開けてにっこり笑っているという福々しく愛らしいもので、現代無錫で産する「大阿福」という人形がこれに似ているという。手にハスの葉の傘をもっているのが常であったようである。
※水上浮:これ蝋製の鳥魚は水に浮かべた。
※ウリ:七月にウリや小麦を供えるのはこの時季に収穫できる作物の代表的なものであり、七月は乞巧行事のほかに、その年の前半の収穫感謝祭としての意味をもっていたことを示す。
※果食花様:日本における糝粉(しんこ)細工のようなもの。
※門神:中国では新年に各戸の門の両扉に一対の武者姿の神像を張り、これを門神という。
※種生:「五種生」ともいって、七夕の晩に牽牛星に供えるものであった。都では七日の十日まえに青大豆かエンドウ豆を水につけ、日に一・二回水を換えて、芽が五寸ほどの長さになって苗が立つようになると、小さなお盆の中に入れておき、七夕には一尺ばかりの長さにまで育てるのを生花盆児といい、これを漬物にもするという。
※双頭のハス:二輪のハスの花が、一つの根から生じているものを並頭蓮とか並蒂蓮(へいたいれん)などといって、中国では夫婦和合のシンボルとしている。
※得巧:クモの糸の密なるものを巧多しとしている。クモの網が「円正」なら得巧である。
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