瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
東京夢華録 巻八 中秋
中秋節前、諸店皆賣新酒、重新結絡門面綵樓花頭、畫竿醉仙錦旆。市人爭飲、至午未間家家無酒、拽下望子。是時螯蟹新出、石榴、榅勃、梨、棗、栗、孛萄、弄色棖橘皆新上市。中秋夜、貴家結飾臺榭、民間爭占酒樓翫月。絲篁鼎沸、近內庭居民、夜深遙聞笙竽之聲、宛若雲外。閭里兒童、連宵嬉戲。夜市駢闐、至於通曉。
〔訳〕中秋節の前には、各酒店では、みな新酒を売り出し、門の前に新しく色絹で飾った楼を建てなおし、彩色した旗竿に酔仙の錦旗をかかげた。市民が争って飲むので、正午(ひる)過ぎ頃には、軒並みに酒が切れてしまい、望子(かんばん)をしまいこむのだった。この頃には、カニが新しく出、ザクロ・マルメロ・ナシ・ナツメ・クリ・ブドウ・タチバナもみな市場に顔を出した。中秋の夜は、貴人の家では楼台を美しく飾り立て、庶民は争って酒楼に座を占めて、月見をし、管弦の音が賑わしかった。宮城に近い住民たちは、夜ふけてさながら雲外からの調べのように遠くかすかに宮中の笙の音をみみにするのだった。町々では子供たちも夜通し遊びたわむれ、夜店は暁まで賑わった。
※中秋節:陰暦では、七・八・九の三ヶ月が秋で、八月十五日がちょうど秋の真ん中の満月なので、これを中秋節という。
※酔仙:宋元代の酒店では「酔八仙」を壁や旗に画いて看板としていた。酔八仙の八仙とは、杜甫の「飲中八仙歌」で有名な李白・賀知章・李適之・汝陽王璡・崔宗之・蘇晋・張旭・焦遂の八人か? 日本の七福神のように中国民間に親しまれている八仙といえば、漢鍾離・張果老・韓湘子・李鉄拐・曹国舅・呂洞賓・藍采和・何仙姑の八人の仙人を指すが、この八人を描いた八仙図は元以前には見当たらないので元代に起源するものであろう。唐代から八仙図・八仙伝なるものはあったが、描かれる人物は元以後のものとは異なっていた。例えば五代の頃描かれた八仙は李己・容成・董仲舒・張道陵・厳君平・李八百・范長寿・葛永〔かい、王偏+貴〕の八仙任であった。
※望子:酒店の看板。青帘(あおはた)が酒店の望子であったという。
※笙:原文は「笙竽(しょうう)」。竽も笙の一種で、笙が十三管なのにたいして、竽は三十六管のおおきなもの。笙竽で笙類の総称となる。
※子供たちも…遊びたわむれ:この日、子供はみな大人の服を着て楼に登り、あるいは中庭で香を焚き、月を拝む。男子は早く月の宮居に歩み桂に登ること、すなわち高等文官試験に合格して出世することを、女子は月の精である嫦娥(じょうが)のように美しくなることを祈る。
飲中八仙歌 杜甫
知章騎馬似乗船 知章が馬に騎(の)るは船に乗るに似たり
眼花落井水底眠 眼(まなこ)花(くら)み井に落ちて水底に眠る
汝陽三斗始朝天 汝陽は三斗にして始めて天に朝す
道逢麹車口流涎 道に麹車に逢えば口に涎を流し
恨不移封向酒泉 恨むらくは封を移して酒泉に向かわざりしを
左相日興費萬錢 左相の日興 万銭を費す
飲如長鯨吸百川 飲むこと長鯨の百川を吸うが如く
銜杯楽聖稱避賢 杯を銜(ふく)み聖を楽しみ賢を避くと称す
宗之瀟洒美少年 宗之は瀟洒たる美少年
挙觴白眼望青天 觴(さかずき)を挙げ白眼にして青天を望めば
皎如玉樹臨風前 皎(きょう)として玉樹の風前に臨むが如し
蘇晋長斎繍佛前 蘇晋は長斎す 繍仏の前
酔中往往愛逃禅 酔中往往逃禅を愛す
李白一斗詩百篇 李白は一斗 詩百篇
長安市上酒家眠 長安市上 酒家に眠る
天子呼来不上船 天子呼び来たれども船に上らず
自稱臣是酒中仙 自ら称す 臣は是れ酒中の仙と
張旭三杯草聖傅 張旭は三杯 草聖伝わる
脱帽露頂王公前 帽を脱ぎ頂を露(あらわ)す 王公の前
揮毫落紙如雲煙 毫を揮い紙に落とせば雲煙の如し
焦遂五斗方卓然 焦遂は五斗 方(はじ)めて卓然
高談雄弁驚四筵 高談雄弁 四筵を驚かす
〔訳〕 八人の酒仙の歌
知章が馬に乗る様子はゆらゆらしてて、
船に乗っているみたいだ。
眼がちらついて井戸に落ちても、
彼なら水中で眠ってるだろう。
汝陽王は三斗の酒を飲んでから
朝廷に出向いていく。
道でこうじを乗せた酒の匂いのする車に出会えば、
涎をたらして
酒の泉が湧いたという酒泉に領地変えしてくれないことに
不平をもらす始末。
左相である李適之は毎日の楽しみに一万ものお金を使う。
酒を飲む様は巨大な鯨が百の川の水を吸い込んでいくようだ。
酒を飲んでは聖人の境地を楽しみ、
賢人にはなりたくないねなどと言う。
宗之はさっぱりとした美少年だ。
杯を挙げ、世俗を見下しながら青い空を見上げる様子は
まるで宝玉の樹が風に吹かれているように白く輝いている。
蘇晋は刺繍の仏像の前で断食し、仏を礼拝しているが
酔っ払うとたまに坐禅から逃げようとする。
李白は一斗飲めば百篇の詩を作る。
長安の酒屋で酔いつぶれ、
天子である玄宗が彼を呼び出したけれど、
天子の乗っている船に乗ろうとしなかったとか。
さらに自分で「私は酒の世界の仙人なのだよ」などと言う。
張旭は三杯飲むと、草聖と讃えられる名筆を後世に残す。
彼は変っていて、王公の前でも帽子を脱いで
頭のてっぺんをむきだしにして字を書く。
だが筆を紙に下ろすと雲や霞が湧き上がるかのように
素晴らしい字が浮かんでくるのだ。
焦遂は五斗を飲んでやっとしゃんとする。
そして高尚な議論と雄弁さで周りの人々を驚かせるのだ。
中秋節前、諸店皆賣新酒、重新結絡門面綵樓花頭、畫竿醉仙錦旆。市人爭飲、至午未間家家無酒、拽下望子。是時螯蟹新出、石榴、榅勃、梨、棗、栗、孛萄、弄色棖橘皆新上市。中秋夜、貴家結飾臺榭、民間爭占酒樓翫月。絲篁鼎沸、近內庭居民、夜深遙聞笙竽之聲、宛若雲外。閭里兒童、連宵嬉戲。夜市駢闐、至於通曉。
〔訳〕中秋節の前には、各酒店では、みな新酒を売り出し、門の前に新しく色絹で飾った楼を建てなおし、彩色した旗竿に酔仙の錦旗をかかげた。市民が争って飲むので、正午(ひる)過ぎ頃には、軒並みに酒が切れてしまい、望子(かんばん)をしまいこむのだった。この頃には、カニが新しく出、ザクロ・マルメロ・ナシ・ナツメ・クリ・ブドウ・タチバナもみな市場に顔を出した。中秋の夜は、貴人の家では楼台を美しく飾り立て、庶民は争って酒楼に座を占めて、月見をし、管弦の音が賑わしかった。宮城に近い住民たちは、夜ふけてさながら雲外からの調べのように遠くかすかに宮中の笙の音をみみにするのだった。町々では子供たちも夜通し遊びたわむれ、夜店は暁まで賑わった。
※中秋節:陰暦では、七・八・九の三ヶ月が秋で、八月十五日がちょうど秋の真ん中の満月なので、これを中秋節という。
※酔仙:宋元代の酒店では「酔八仙」を壁や旗に画いて看板としていた。酔八仙の八仙とは、杜甫の「飲中八仙歌」で有名な李白・賀知章・李適之・汝陽王璡・崔宗之・蘇晋・張旭・焦遂の八人か? 日本の七福神のように中国民間に親しまれている八仙といえば、漢鍾離・張果老・韓湘子・李鉄拐・曹国舅・呂洞賓・藍采和・何仙姑の八人の仙人を指すが、この八人を描いた八仙図は元以前には見当たらないので元代に起源するものであろう。唐代から八仙図・八仙伝なるものはあったが、描かれる人物は元以後のものとは異なっていた。例えば五代の頃描かれた八仙は李己・容成・董仲舒・張道陵・厳君平・李八百・范長寿・葛永〔かい、王偏+貴〕の八仙任であった。
※望子:酒店の看板。青帘(あおはた)が酒店の望子であったという。
※笙:原文は「笙竽(しょうう)」。竽も笙の一種で、笙が十三管なのにたいして、竽は三十六管のおおきなもの。笙竽で笙類の総称となる。
※子供たちも…遊びたわむれ:この日、子供はみな大人の服を着て楼に登り、あるいは中庭で香を焚き、月を拝む。男子は早く月の宮居に歩み桂に登ること、すなわち高等文官試験に合格して出世することを、女子は月の精である嫦娥(じょうが)のように美しくなることを祈る。
飲中八仙歌 杜甫
知章騎馬似乗船 知章が馬に騎(の)るは船に乗るに似たり
眼花落井水底眠 眼(まなこ)花(くら)み井に落ちて水底に眠る
汝陽三斗始朝天 汝陽は三斗にして始めて天に朝す
道逢麹車口流涎 道に麹車に逢えば口に涎を流し
恨不移封向酒泉 恨むらくは封を移して酒泉に向かわざりしを
左相日興費萬錢 左相の日興 万銭を費す
飲如長鯨吸百川 飲むこと長鯨の百川を吸うが如く
銜杯楽聖稱避賢 杯を銜(ふく)み聖を楽しみ賢を避くと称す
宗之瀟洒美少年 宗之は瀟洒たる美少年
挙觴白眼望青天 觴(さかずき)を挙げ白眼にして青天を望めば
皎如玉樹臨風前 皎(きょう)として玉樹の風前に臨むが如し
蘇晋長斎繍佛前 蘇晋は長斎す 繍仏の前
酔中往往愛逃禅 酔中往往逃禅を愛す
李白一斗詩百篇 李白は一斗 詩百篇
長安市上酒家眠 長安市上 酒家に眠る
天子呼来不上船 天子呼び来たれども船に上らず
自稱臣是酒中仙 自ら称す 臣は是れ酒中の仙と
張旭三杯草聖傅 張旭は三杯 草聖伝わる
脱帽露頂王公前 帽を脱ぎ頂を露(あらわ)す 王公の前
揮毫落紙如雲煙 毫を揮い紙に落とせば雲煙の如し
焦遂五斗方卓然 焦遂は五斗 方(はじ)めて卓然
高談雄弁驚四筵 高談雄弁 四筵を驚かす
〔訳〕 八人の酒仙の歌
知章が馬に乗る様子はゆらゆらしてて、
船に乗っているみたいだ。
眼がちらついて井戸に落ちても、
彼なら水中で眠ってるだろう。
汝陽王は三斗の酒を飲んでから
朝廷に出向いていく。
道でこうじを乗せた酒の匂いのする車に出会えば、
涎をたらして
酒の泉が湧いたという酒泉に領地変えしてくれないことに
不平をもらす始末。
左相である李適之は毎日の楽しみに一万ものお金を使う。
酒を飲む様は巨大な鯨が百の川の水を吸い込んでいくようだ。
酒を飲んでは聖人の境地を楽しみ、
賢人にはなりたくないねなどと言う。
宗之はさっぱりとした美少年だ。
杯を挙げ、世俗を見下しながら青い空を見上げる様子は
まるで宝玉の樹が風に吹かれているように白く輝いている。
蘇晋は刺繍の仏像の前で断食し、仏を礼拝しているが
酔っ払うとたまに坐禅から逃げようとする。
李白は一斗飲めば百篇の詩を作る。
長安の酒屋で酔いつぶれ、
天子である玄宗が彼を呼び出したけれど、
天子の乗っている船に乗ろうとしなかったとか。
さらに自分で「私は酒の世界の仙人なのだよ」などと言う。
張旭は三杯飲むと、草聖と讃えられる名筆を後世に残す。
彼は変っていて、王公の前でも帽子を脱いで
頭のてっぺんをむきだしにして字を書く。
だが筆を紙に下ろすと雲や霞が湧き上がるかのように
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