瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
今日のウェブニュースより
野田首相:一体改革関連法案 参院での修正に柔軟姿勢示す ―― 消費増税を柱とする税と社会保障の一体改革関連8法案は18日午前、参院一体改革特別委員会で野田佳彦首相と関係閣僚が出席して質疑を行い、実質審議入りした。首相は参院で法案を修正する可能性について問われ、「今の制度改正に加え、より改善されるならば議論はあってしかるべきだ。予断を持っているわけではない」と述べた。衆院段階の民主、自民、公明3党合意を踏まえつつ柔軟に対応する姿勢を示した。/首相は、将来のエネルギー政策に関する意見聴取会で電力会社の社員が発言したことについて「国民に誤解を生む動きがあった。手直ししながら丁寧に国民的な議論を進めたい」と語った。桜井充氏(民主)の質問に答えた。/桜井氏が今後の原発政策について国民投票の実施を求めたのに対し、首相は「できるだけ多くの国民の意思を確認する工夫は最大限取り入れたい」と述べるにとどめた。/午後は宮沢洋一氏ら自民党の5氏が質問し、首相に対して、最低保障年金創設など民主党のマニフェストは3党合意で実現が不可能になったなどと追及する。首相出席の質疑は19日も行う。 〔毎日新聞 2012年07月18日 11時17分(最終更新 07月18日 11時57分)〕
東京夢華録 巻十 十二月
十二月、街市盡賣撒佛花、韭黃、生菜、蘭芽、勃荷、胡桃、澤州餳。初八日、街巷中有僧尼三五人、作隊念佛、以銀銅沙羅或好盆器、坐一金銅或木佛像、浸以香水、楊枝洒浴、排門教化。諸大寺作浴佛會、并送七寶五味粥與門徒、謂之「臘八粥」。都人是日各家亦以果子雜料煑粥而食也。臘日、寺院送面油與門徒、卻入疏教化上元燈油錢。閭巷家家互相遺送。是月景龍門預賞元夕於寶籙宮、一方燈火繁盛。二十四日交年、都人至夜請僧道看經、備酒果送神、燒合家替代錢紙、帖竈馬於竈上。以酒糟塗抹竈門、謂之「醉司命」。夜於床底點燈、謂之「照虛耗」。此月雖無節序、而豪貴之家、遇雪即開筵、塑雪獅、裝雪燈雪□、以會親舊。近歲節、市井皆印賣門神、鍾馗、桃板、桃符、及財門鈍驢、回頭鹿馬、天行帖子。賣乾茄瓠、馬牙菜、膠牙餳之類、以備除夜之用。自入此月、即有貧者三數人為一火、裝婦人神鬼、敲鑼擊皷、巡門乞錢、俗呼為「打夜胡」、亦驅祟之道也。
〔訳〕十二月になると、町ではいっせいに撒仏花・ニラ・チシャ・蘭芽(らんが)・ハッカ・クルミ・沢州〔たくしゅう、山西省晋城県〕のあめを売った。八日には、町を僧尼四、五人が並んでお経を唱え、銀や銅でつくった沙羅(さら)あるいは立派な鉢に、一体の金銅か木でつくった仏像を置き、香水にひたして、楊の枝で香水をかけながら門ごとに教化をする。諸大寺では浴仏会(よくぶつえ)を開いて七宝五味の粥(かゆ)を門徒に与え、これを「臘八粥(ようかがゆ)」という。市民もこの日にはそれぞれ家でいろいろな穀物などを入れて粥をたいて食べた。臘日(ろうじつ)には寺院から門徒に小麦粉と油を贈り、上元節の燈油代の布施を募る。町の家々でも互いに贈答しあった。この月に景竜門〔内城の北門〕では元宵の燈篭祭りを宝籙宮〔ほうろくきゅう、景竜門の近くにある大道教寺院〕で一月はやめて行い、この一帯だけは燈篭が賑やかにともされていた。二十四日には「交年」といって、市民は夜になると僧侶や道士を呼んで看経(かんきん)をしてもらい、酒果を供えて、竈の神を送り、一家そろって紙銭紙馬を焼いた。竈の神の神像を描いた絵馬を竈の上に貼り、酒糟を竈の焚口に塗りつけて、これを「酔司命(すいしめい)」といった。夜中には寝台の下に燈火を置いてこれを「照虚粍(むだてらし)」といった。この月には節句はないが、豪家貴家では、雪が降ると宴席を設け、雪で獅子や燈篭をつくって、親戚旧友と打ち集い楽しむのであった。年越しが近づくと、町ではみな門神・鍾馗(しゅうき)・桃板(とうばん)・桃符(とうふ)および財門鈍驢(ざいもんどんろ)・回頭鹿馬(かいとうろくば)・天行帖子(てんこうちょうし)を刷って売ったり、乾茄瓠(かんぴょう)・馬牙菜(ばがさい)・膠牙餳(ねばりあめ)の類を売って除夜の用にそなえた。この月に入ってから、貧乏人が三人あまりで一組となって、婦人やら神鬼などに扮装(ふんそう)して、ドラ・太鼓をたたいて門づけをして歩く。俗にこれを「打夜胡(おにやらい)」といい、やはり邪気をはらう行事であった。
※蘭芽:中国では野菊に似た馬蘭〔紺菊〕という草の新芽を摘んで食用に供する。
※八日:一般に中国・日本では釈迦の誕生は四月八日、成道日(じょうどうび)すなわち悟りを開いた日は十二月八日、入滅の日は二月十五日としている。宋代には釈迦成道日の十二月八日にも浴仏会を行なった。
※沙羅:サラノキすなわち釈迦入滅の時に寝台の四辺に生えていたという木で、その葉の長さは20cmほどもある楕円形のおおきなものである。
※楊の枝:後趙創建者の石勒〔せきろく、274~333年〕の子が瀕死の重病に罹ったとき、西域の僧仏図澄〔ぶつとちょう、232~348年〕がヤナギの枝を取って水に濡らしてこれを注ぎかけたところ蘇生したという故事があるし、インドでは賓客を迎える時は先ずヤナギの枝と香水を贈って健康を祝う風習があるという。
※臘八粥:十二月を臘月といい、同月八日を臘八と呼び、この日は釈迦の成道を祝う。臘八粥はこの日に食べる粥で、モチアワ・白米・モチゴメ・ナツメ・ヒシノミ・クリ・アズキなどに砂糖を入れた甘い粥である。さまざまなものを入れた粥なので七宝五味の粥などともいう。
※臘日:冬至後第三の戌の日か? この日は中国では古代から諸神や先祖とか百物を合わせる祭りをする年末の祭礼「臘祭」の日である。しかし、俗には十二月八日も臘日と呼んでいたようだ。
※交年:俗にいう灶(かまど)祭りである。俗信によると、この日に灶の神が天に上り、玉王大帝の所へ行って各戸の一年間の善悪を報告し、除夕〔じょせき、大晦日のよる〕にまた帰ってくるという。
※酔司命:これは、わが家の運命をつかさどるかまどの神を酔わせてしまおうという意味。酔わせて我が家の悪口を天帝に言わせぬというわけだ。清代になると酒糟ではなくあめを塗って、かまどの神の口を粘らせてしまおうとしたという。
※門神・鍾馗…桃符:これらはいずれも鬼を払う力のあるものばかり。門神は二人の武神の像を描いて門に貼るもの。鬼を捕まえて食べると信じられていた鍾馗の像が年末に用いられるのは、俗に唐の玄宗が除夜の晩に鍾馗を夢に見て画工に描かせたのに始るというが、『周礼』の考工記に出ている終葵〔しゅうき、椎《つち》〕で鬼を打つ椎を神格化したもので南北朝人の人名によく用いられた鍾葵(しょうき)も魔よけの意味でつけられたというから、その起源はかなり古いものであるいえる。桃板・桃符は門にかける魔よけの板や紙のこと。桃板は新年に邪を避ける力があると信じられていた桃の板に神像を書き、その下に右に鬱塁(うつりつ)、左に神荼(しんじょ)〔いずれも鬼を取り締まる神の名〕と書いて、元日に門にかけた。清代には、竜虎・朝官・桃柳などの絵を描いた一対の細長い板を門の左右にかけて桃符と呼んだ。
※財門鈍驢…天行帖子:これらも除夕に戸口などに貼る絵馬や護摩ふうの物であったようだ。例えば天行帖子は、宋では俗に流行病を天行病と呼び多くは天然痘をさしていたから、後世小児が着物のはしに「天花巳花〔疱瘡はもう済み〕」と書いた布切れをつけた類いの護符であろう。日本で鍾馗とか鎮西八郎や桃太郎などを赤刷りにした疱瘡絵を用いたのと同じ意味をもったものと思われる。
※打夜胡:歳末に郷人が相率いて追儺(ついな)をするのを「打野胡」とある。つまり「打夜胡」は鬼やらいの行事。三、五人が一隊となり、神鬼・判官・鍾馗・小妹〔鍾馗の妹〕などに扮して、ドラ・太鼓を打って門ごとに銭を乞うた。
野田首相:一体改革関連法案 参院での修正に柔軟姿勢示す ―― 消費増税を柱とする税と社会保障の一体改革関連8法案は18日午前、参院一体改革特別委員会で野田佳彦首相と関係閣僚が出席して質疑を行い、実質審議入りした。首相は参院で法案を修正する可能性について問われ、「今の制度改正に加え、より改善されるならば議論はあってしかるべきだ。予断を持っているわけではない」と述べた。衆院段階の民主、自民、公明3党合意を踏まえつつ柔軟に対応する姿勢を示した。/首相は、将来のエネルギー政策に関する意見聴取会で電力会社の社員が発言したことについて「国民に誤解を生む動きがあった。手直ししながら丁寧に国民的な議論を進めたい」と語った。桜井充氏(民主)の質問に答えた。/桜井氏が今後の原発政策について国民投票の実施を求めたのに対し、首相は「できるだけ多くの国民の意思を確認する工夫は最大限取り入れたい」と述べるにとどめた。/午後は宮沢洋一氏ら自民党の5氏が質問し、首相に対して、最低保障年金創設など民主党のマニフェストは3党合意で実現が不可能になったなどと追及する。首相出席の質疑は19日も行う。 〔毎日新聞 2012年07月18日 11時17分(最終更新 07月18日 11時57分)〕
東京夢華録 巻十 十二月
十二月、街市盡賣撒佛花、韭黃、生菜、蘭芽、勃荷、胡桃、澤州餳。初八日、街巷中有僧尼三五人、作隊念佛、以銀銅沙羅或好盆器、坐一金銅或木佛像、浸以香水、楊枝洒浴、排門教化。諸大寺作浴佛會、并送七寶五味粥與門徒、謂之「臘八粥」。都人是日各家亦以果子雜料煑粥而食也。臘日、寺院送面油與門徒、卻入疏教化上元燈油錢。閭巷家家互相遺送。是月景龍門預賞元夕於寶籙宮、一方燈火繁盛。二十四日交年、都人至夜請僧道看經、備酒果送神、燒合家替代錢紙、帖竈馬於竈上。以酒糟塗抹竈門、謂之「醉司命」。夜於床底點燈、謂之「照虛耗」。此月雖無節序、而豪貴之家、遇雪即開筵、塑雪獅、裝雪燈雪□、以會親舊。近歲節、市井皆印賣門神、鍾馗、桃板、桃符、及財門鈍驢、回頭鹿馬、天行帖子。賣乾茄瓠、馬牙菜、膠牙餳之類、以備除夜之用。自入此月、即有貧者三數人為一火、裝婦人神鬼、敲鑼擊皷、巡門乞錢、俗呼為「打夜胡」、亦驅祟之道也。
〔訳〕十二月になると、町ではいっせいに撒仏花・ニラ・チシャ・蘭芽(らんが)・ハッカ・クルミ・沢州〔たくしゅう、山西省晋城県〕のあめを売った。八日には、町を僧尼四、五人が並んでお経を唱え、銀や銅でつくった沙羅(さら)あるいは立派な鉢に、一体の金銅か木でつくった仏像を置き、香水にひたして、楊の枝で香水をかけながら門ごとに教化をする。諸大寺では浴仏会(よくぶつえ)を開いて七宝五味の粥(かゆ)を門徒に与え、これを「臘八粥(ようかがゆ)」という。市民もこの日にはそれぞれ家でいろいろな穀物などを入れて粥をたいて食べた。臘日(ろうじつ)には寺院から門徒に小麦粉と油を贈り、上元節の燈油代の布施を募る。町の家々でも互いに贈答しあった。この月に景竜門〔内城の北門〕では元宵の燈篭祭りを宝籙宮〔ほうろくきゅう、景竜門の近くにある大道教寺院〕で一月はやめて行い、この一帯だけは燈篭が賑やかにともされていた。二十四日には「交年」といって、市民は夜になると僧侶や道士を呼んで看経(かんきん)をしてもらい、酒果を供えて、竈の神を送り、一家そろって紙銭紙馬を焼いた。竈の神の神像を描いた絵馬を竈の上に貼り、酒糟を竈の焚口に塗りつけて、これを「酔司命(すいしめい)」といった。夜中には寝台の下に燈火を置いてこれを「照虚粍(むだてらし)」といった。この月には節句はないが、豪家貴家では、雪が降ると宴席を設け、雪で獅子や燈篭をつくって、親戚旧友と打ち集い楽しむのであった。年越しが近づくと、町ではみな門神・鍾馗(しゅうき)・桃板(とうばん)・桃符(とうふ)および財門鈍驢(ざいもんどんろ)・回頭鹿馬(かいとうろくば)・天行帖子(てんこうちょうし)を刷って売ったり、乾茄瓠(かんぴょう)・馬牙菜(ばがさい)・膠牙餳(ねばりあめ)の類を売って除夜の用にそなえた。この月に入ってから、貧乏人が三人あまりで一組となって、婦人やら神鬼などに扮装(ふんそう)して、ドラ・太鼓をたたいて門づけをして歩く。俗にこれを「打夜胡(おにやらい)」といい、やはり邪気をはらう行事であった。
※蘭芽:中国では野菊に似た馬蘭〔紺菊〕という草の新芽を摘んで食用に供する。
※八日:一般に中国・日本では釈迦の誕生は四月八日、成道日(じょうどうび)すなわち悟りを開いた日は十二月八日、入滅の日は二月十五日としている。宋代には釈迦成道日の十二月八日にも浴仏会を行なった。
※沙羅:サラノキすなわち釈迦入滅の時に寝台の四辺に生えていたという木で、その葉の長さは20cmほどもある楕円形のおおきなものである。
※楊の枝:後趙創建者の石勒〔せきろく、274~333年〕の子が瀕死の重病に罹ったとき、西域の僧仏図澄〔ぶつとちょう、232~348年〕がヤナギの枝を取って水に濡らしてこれを注ぎかけたところ蘇生したという故事があるし、インドでは賓客を迎える時は先ずヤナギの枝と香水を贈って健康を祝う風習があるという。
※臘八粥:十二月を臘月といい、同月八日を臘八と呼び、この日は釈迦の成道を祝う。臘八粥はこの日に食べる粥で、モチアワ・白米・モチゴメ・ナツメ・ヒシノミ・クリ・アズキなどに砂糖を入れた甘い粥である。さまざまなものを入れた粥なので七宝五味の粥などともいう。
※臘日:冬至後第三の戌の日か? この日は中国では古代から諸神や先祖とか百物を合わせる祭りをする年末の祭礼「臘祭」の日である。しかし、俗には十二月八日も臘日と呼んでいたようだ。
※交年:俗にいう灶(かまど)祭りである。俗信によると、この日に灶の神が天に上り、玉王大帝の所へ行って各戸の一年間の善悪を報告し、除夕〔じょせき、大晦日のよる〕にまた帰ってくるという。
※酔司命:これは、わが家の運命をつかさどるかまどの神を酔わせてしまおうという意味。酔わせて我が家の悪口を天帝に言わせぬというわけだ。清代になると酒糟ではなくあめを塗って、かまどの神の口を粘らせてしまおうとしたという。
※門神・鍾馗…桃符:これらはいずれも鬼を払う力のあるものばかり。門神は二人の武神の像を描いて門に貼るもの。鬼を捕まえて食べると信じられていた鍾馗の像が年末に用いられるのは、俗に唐の玄宗が除夜の晩に鍾馗を夢に見て画工に描かせたのに始るというが、『周礼』の考工記に出ている終葵〔しゅうき、椎《つち》〕で鬼を打つ椎を神格化したもので南北朝人の人名によく用いられた鍾葵(しょうき)も魔よけの意味でつけられたというから、その起源はかなり古いものであるいえる。桃板・桃符は門にかける魔よけの板や紙のこと。桃板は新年に邪を避ける力があると信じられていた桃の板に神像を書き、その下に右に鬱塁(うつりつ)、左に神荼(しんじょ)〔いずれも鬼を取り締まる神の名〕と書いて、元日に門にかけた。清代には、竜虎・朝官・桃柳などの絵を描いた一対の細長い板を門の左右にかけて桃符と呼んだ。
※財門鈍驢…天行帖子:これらも除夕に戸口などに貼る絵馬や護摩ふうの物であったようだ。例えば天行帖子は、宋では俗に流行病を天行病と呼び多くは天然痘をさしていたから、後世小児が着物のはしに「天花巳花〔疱瘡はもう済み〕」と書いた布切れをつけた類いの護符であろう。日本で鍾馗とか鎮西八郎や桃太郎などを赤刷りにした疱瘡絵を用いたのと同じ意味をもったものと思われる。
※打夜胡:歳末に郷人が相率いて追儺(ついな)をするのを「打野胡」とある。つまり「打夜胡」は鬼やらいの行事。三、五人が一隊となり、神鬼・判官・鍾馗・小妹〔鍾馗の妹〕などに扮して、ドラ・太鼓を打って門ごとに銭を乞うた。
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
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