瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
今朝も早くから小雨模様。徘徊はやめて、パソコンに向かう。
ホトトギスの名は「ホトホト」と聞こえる鳴き声からで、「ス」はカラス・ウグイスなどの「ス」と同じく、小鳥の類を表す接尾語と考えられる。漢字で「時鳥」と表記されることから「時(とき)」と関連付ける説もあるが、ホトトギスの仲間の鳴き声を「ホトホト」と表現した文献も残っているため、鳴き声からと考えるのが妥当であろう。江戸時代に入ると、ホトトギスの鳴き声は「ホンゾンカケタカ(本尊かけたか)」「ウブユカケタカ(産湯かけたか)」、江戸時代後期には「テッペンカケタカ(天辺かけたか)」などと表現されるようになり、名前が鳴き声に由来することが解りづらくなった。ホトトギスの漢字表記は吃驚するほど多く、全部はとても憶え切れない。ホトトギスについて調べてみた。
ホトトギス〔杜鵑、学名 Cuculus poliocephalus〕は、カッコウ目・カッコウ科に分類される鳥類の一種。特徴的な鳴き声とウグイスなどに托卵する習性で知られていて、日本では古来から様々な文書に登場し、いろいろな漢字表記や異名が多い。
漢字表記は杜鵑・時鳥・子規・不如帰・杜宇・蜀魂・田鵑・霍公鳥・霍公・郭公・杜魂・布谷・無常鳥・黄昏鳥・夕影鳥・菖蒲鳥・時鳥〉・山時鳥・沓手鳥・山郭公など20種以上あり、 また、異名には、文目鳥(あやめどり)・妹背鳥(いもせどり)・卯月鳥(うづきどり)・勧農鳥(かんのうちょう)・早苗鳥(さなえどり)・子規(しき)・死出田長(しでのたおさ)・蜀魂(しょっこん)・黄昏鳥(たそがれどり)・橘鳥(たちばなどり)・偶鳥(たまさかどり)・夜直鳥(よただどり)・魂迎鳥(たまむかえどり)・杜宇(とう)・時鳥(ときつどり)など15種ぐらいはある。
常璩〔じょうきょ、生卒年不祥、西晋~五胡十六国時代の蜀国の役人〕が著した「華陽国志」巻3「蜀志」冒頭に描かれた古代蜀の項に次のような話が書かれている。
蜀の国が衰退して荒れ果てていたのを見かねた杜宇(とう)が農耕を指導して蜀を再興し、彼は帝王の座に着き望帝と称した。望帝杜宇は長江の氾濫に悩まされたが、それを治める男を取り立て宰相にした。やがて、彼は帝位を譲られ叢帝となり、望帝は山中に隠居した。望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスとなり、生前、得意とした農耕を始める季節(春~初夏)が来ると、それを民に告げるため、杜宇の魂化身ホトトギスは鋭く鳴くようになったと云う。時が流れて、蜀は秦に攻め滅ぼされた。それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ“不如帰去(帰り去くに如かず:帰ることが出来ない)”と鳴きながら血を吐いたので、口が赤く染まった。
ホトトギスを不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄などと表記されるようになったのは以上のような故事によるものといわれている。
ホトトギスは全長は28cmほどで、ヒヨドリよりわずかに大きく、ハトより小さい。頭部と背中は灰色で、翼と尾羽は黒褐色をしている。胸と腹は白色で、黒い横しまが入るが、この横しまはカッコウやツツドリよりも細くて薄い。目のまわりには黄色のアイリングがある。
アフリカ東部、マダガスカル、インドから中国南部までに分布する。インドから中国南部に越冬する個体群が5月頃になると中国北部、朝鮮半島、日本まで渡ってくる。日本では5月中旬ごろにくる。他の渡り鳥よりも渡来時期が遅いのは、托卵の習性のために対象とする鳥の繁殖が始まるのにあわせることと、食性が毛虫類を捕食するため、早春に渡来すると餌にありつけないためである。カッコウなどと同様に食性は肉食性で、特にケムシを好んで食べる。また、自分で子育てをせず、ウグイス等に托卵する習性がある。オスの鳴き声はけたたましいような声で、「キョッキョッキョキョキョキョ!」と聞こえ、「ホ・ト・…・ト・ギ・ス」とも聞こえる。早朝からよく鳴き、夜に鳴くこともある。この鳴き声の聞きなしとして「特許許可局」や「テッペンカケタカ」が知られる。
日本では、激情的ともいえるさえずりに仮託して、古来ホトトギスの和歌が数多く詠まれ、すでに万葉集にも見ることができる。鳴き声が聞こえ始めるのとほぼ同時期に花を咲かせる橘や卯の花と取り合わせて詠まれることが多い。
宇能花毛 未開者 霍公鳥 佐保乃山邊 来鳴令響 大伴家持 〔万葉集 八巻 1477〕
卯(う)の花も、いまだ咲かねば、霍公鳥(ほととぎす)、
佐保(さほ)の山辺(やまへ)に、来鳴(きな)き響(とよ)もす
〔訳〕卯(う)の花もまだ咲いてもいないのに、霍公鳥(ほととぎす)は佐保(さほ)の山辺(やまべ)にやってきて鳴いている。
他にも夜に鳴く鳥として珍重され、その年に初めて聞くホトトギスの鳴き声を忍音(しのびね)といい、これも珍重した。枕草子ではホトトギスの初音を人より早く聞こうと夜を徹して待つ様が描かれている。
小学唱歌『夏は来ぬ』の冒頭部も「卯(う)の花の、匂う垣根に時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ」ではじまる。
平安時代以降には「郭公」の字が当てられることも多い。これはホトトギスとカッコウがよく似ていることからくる誤りによるものと考えられている。芭蕉もこの字を用いている。其角の句に「あの声で蜥蜴(とかげ)食らうか時鳥」がある。ホトトギスは美しい声で鳴くが醜いトカゲなどの爬虫類や虫などを食べる、すなわち「人や物事は見かけによらない」ということを指すのだという
鳴かないホトトギスを三人の天下人がどうするのかで性格を後世の人が川柳で言い表している〔これらの川柳は本人の自作ではなく、江戸時代後期の平戸藩主・松浦清の随筆『甲子夜話』に見える〕。
「なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府」→織田信長の短気さと気難しさを表現している。
「鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊太閤」→豊臣秀吉の好奇心旺盛なひとたらしぶりを表現している。
「なかぬなら鳴まで待よ郭公 大權現様」→徳川家康の忍耐強さを表している。
一説によると、ここでのホトトギスは「前田利家」を著しているとも言う。
ホトトギスというユリ科の植物がある。花びらにある紫色の斑紋がホトトギス(小鳥)の胸の斑紋と似ていることから付けられたとされている.ホトトギス(小鳥)のは横縞模様であるが、野草の斑紋には横縞模様から大小の斑点まで様々なものがある。
ホトトギス属〔杜鵑草属、学名 Tricyrtis〕は、ユリ科植物の属のひとつ。概ね次のような特徴を持つ多年生草本植物である。山野の林下や林縁、崖や傾斜地などの、日当たりの弱いところに自生する。葉は互生し、楕円形で長く、葉脈は縦方向で、表面には毛が生える。花期は初夏から秋にかけてで、雌雄同花で上向きに咲き、花弁が 6枚で直径数cm程度のもので 2〜4日程度咲くことが多い。ジョウロウホトトギス類は黄色く下方向に向く釣鐘型の花を 4〜5日ほどつけるものが多い。
東アジア(日本、台湾、朝鮮半島)に分布し、19種が確認されている。そのうち日本では 13種(変種を除く)が確認されており、うち 10種は日本固有種である。 日本列島を中心に分布していることから、日本が原産であると推定されている。
本日は日曜日、午前10時雨が止んだので、言問橋~桜橋周辺をひと回りしてみる。
言問橋西詰の遊歩道の行き止まりの所〔スカイネットの直ぐ傍〕で青いシートをかぶせその下で宴会を開いている若者の一団が居たので、何をしているのかと、訊ねたところ、今度の日曜日に開催される隅田川花火大会の場所取りだという。どうやら、どこかの大学の部活のグループらしい。勿論、交代ではあろうが、1週間ここに釘付けになるのらしい。
桜橋から山谷掘り水門広場を抜け、聖天様の前の信号を渡ったところで塾友のtoruちゃんがワンちゃんと散歩するのとであった。しばし、立ち話。
ホトトギスの名は「ホトホト」と聞こえる鳴き声からで、「ス」はカラス・ウグイスなどの「ス」と同じく、小鳥の類を表す接尾語と考えられる。漢字で「時鳥」と表記されることから「時(とき)」と関連付ける説もあるが、ホトトギスの仲間の鳴き声を「ホトホト」と表現した文献も残っているため、鳴き声からと考えるのが妥当であろう。江戸時代に入ると、ホトトギスの鳴き声は「ホンゾンカケタカ(本尊かけたか)」「ウブユカケタカ(産湯かけたか)」、江戸時代後期には「テッペンカケタカ(天辺かけたか)」などと表現されるようになり、名前が鳴き声に由来することが解りづらくなった。ホトトギスの漢字表記は吃驚するほど多く、全部はとても憶え切れない。ホトトギスについて調べてみた。
ホトトギス〔杜鵑、学名 Cuculus poliocephalus〕は、カッコウ目・カッコウ科に分類される鳥類の一種。特徴的な鳴き声とウグイスなどに托卵する習性で知られていて、日本では古来から様々な文書に登場し、いろいろな漢字表記や異名が多い。
漢字表記は杜鵑・時鳥・子規・不如帰・杜宇・蜀魂・田鵑・霍公鳥・霍公・郭公・杜魂・布谷・無常鳥・黄昏鳥・夕影鳥・菖蒲鳥・時鳥〉・山時鳥・沓手鳥・山郭公など20種以上あり、 また、異名には、文目鳥(あやめどり)・妹背鳥(いもせどり)・卯月鳥(うづきどり)・勧農鳥(かんのうちょう)・早苗鳥(さなえどり)・子規(しき)・死出田長(しでのたおさ)・蜀魂(しょっこん)・黄昏鳥(たそがれどり)・橘鳥(たちばなどり)・偶鳥(たまさかどり)・夜直鳥(よただどり)・魂迎鳥(たまむかえどり)・杜宇(とう)・時鳥(ときつどり)など15種ぐらいはある。
常璩〔じょうきょ、生卒年不祥、西晋~五胡十六国時代の蜀国の役人〕が著した「華陽国志」巻3「蜀志」冒頭に描かれた古代蜀の項に次のような話が書かれている。
蜀の国が衰退して荒れ果てていたのを見かねた杜宇(とう)が農耕を指導して蜀を再興し、彼は帝王の座に着き望帝と称した。望帝杜宇は長江の氾濫に悩まされたが、それを治める男を取り立て宰相にした。やがて、彼は帝位を譲られ叢帝となり、望帝は山中に隠居した。望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスとなり、生前、得意とした農耕を始める季節(春~初夏)が来ると、それを民に告げるため、杜宇の魂化身ホトトギスは鋭く鳴くようになったと云う。時が流れて、蜀は秦に攻め滅ぼされた。それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ“不如帰去(帰り去くに如かず:帰ることが出来ない)”と鳴きながら血を吐いたので、口が赤く染まった。
ホトトギスを不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄などと表記されるようになったのは以上のような故事によるものといわれている。
ホトトギスは全長は28cmほどで、ヒヨドリよりわずかに大きく、ハトより小さい。頭部と背中は灰色で、翼と尾羽は黒褐色をしている。胸と腹は白色で、黒い横しまが入るが、この横しまはカッコウやツツドリよりも細くて薄い。目のまわりには黄色のアイリングがある。
アフリカ東部、マダガスカル、インドから中国南部までに分布する。インドから中国南部に越冬する個体群が5月頃になると中国北部、朝鮮半島、日本まで渡ってくる。日本では5月中旬ごろにくる。他の渡り鳥よりも渡来時期が遅いのは、托卵の習性のために対象とする鳥の繁殖が始まるのにあわせることと、食性が毛虫類を捕食するため、早春に渡来すると餌にありつけないためである。カッコウなどと同様に食性は肉食性で、特にケムシを好んで食べる。また、自分で子育てをせず、ウグイス等に托卵する習性がある。オスの鳴き声はけたたましいような声で、「キョッキョッキョキョキョキョ!」と聞こえ、「ホ・ト・…・ト・ギ・ス」とも聞こえる。早朝からよく鳴き、夜に鳴くこともある。この鳴き声の聞きなしとして「特許許可局」や「テッペンカケタカ」が知られる。
日本では、激情的ともいえるさえずりに仮託して、古来ホトトギスの和歌が数多く詠まれ、すでに万葉集にも見ることができる。鳴き声が聞こえ始めるのとほぼ同時期に花を咲かせる橘や卯の花と取り合わせて詠まれることが多い。
宇能花毛 未開者 霍公鳥 佐保乃山邊 来鳴令響 大伴家持 〔万葉集 八巻 1477〕
卯(う)の花も、いまだ咲かねば、霍公鳥(ほととぎす)、
佐保(さほ)の山辺(やまへ)に、来鳴(きな)き響(とよ)もす
〔訳〕卯(う)の花もまだ咲いてもいないのに、霍公鳥(ほととぎす)は佐保(さほ)の山辺(やまべ)にやってきて鳴いている。
他にも夜に鳴く鳥として珍重され、その年に初めて聞くホトトギスの鳴き声を忍音(しのびね)といい、これも珍重した。枕草子ではホトトギスの初音を人より早く聞こうと夜を徹して待つ様が描かれている。
小学唱歌『夏は来ぬ』の冒頭部も「卯(う)の花の、匂う垣根に時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ」ではじまる。
平安時代以降には「郭公」の字が当てられることも多い。これはホトトギスとカッコウがよく似ていることからくる誤りによるものと考えられている。芭蕉もこの字を用いている。其角の句に「あの声で蜥蜴(とかげ)食らうか時鳥」がある。ホトトギスは美しい声で鳴くが醜いトカゲなどの爬虫類や虫などを食べる、すなわち「人や物事は見かけによらない」ということを指すのだという
鳴かないホトトギスを三人の天下人がどうするのかで性格を後世の人が川柳で言い表している〔これらの川柳は本人の自作ではなく、江戸時代後期の平戸藩主・松浦清の随筆『甲子夜話』に見える〕。
「なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府」→織田信長の短気さと気難しさを表現している。
「鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊太閤」→豊臣秀吉の好奇心旺盛なひとたらしぶりを表現している。
「なかぬなら鳴まで待よ郭公 大權現様」→徳川家康の忍耐強さを表している。
一説によると、ここでのホトトギスは「前田利家」を著しているとも言う。
ホトトギスというユリ科の植物がある。花びらにある紫色の斑紋がホトトギス(小鳥)の胸の斑紋と似ていることから付けられたとされている.ホトトギス(小鳥)のは横縞模様であるが、野草の斑紋には横縞模様から大小の斑点まで様々なものがある。
ホトトギス属〔杜鵑草属、学名 Tricyrtis〕は、ユリ科植物の属のひとつ。概ね次のような特徴を持つ多年生草本植物である。山野の林下や林縁、崖や傾斜地などの、日当たりの弱いところに自生する。葉は互生し、楕円形で長く、葉脈は縦方向で、表面には毛が生える。花期は初夏から秋にかけてで、雌雄同花で上向きに咲き、花弁が 6枚で直径数cm程度のもので 2〜4日程度咲くことが多い。ジョウロウホトトギス類は黄色く下方向に向く釣鐘型の花を 4〜5日ほどつけるものが多い。
東アジア(日本、台湾、朝鮮半島)に分布し、19種が確認されている。そのうち日本では 13種(変種を除く)が確認されており、うち 10種は日本固有種である。 日本列島を中心に分布していることから、日本が原産であると推定されている。
本日は日曜日、午前10時雨が止んだので、言問橋~桜橋周辺をひと回りしてみる。
言問橋西詰の遊歩道の行き止まりの所〔スカイネットの直ぐ傍〕で青いシートをかぶせその下で宴会を開いている若者の一団が居たので、何をしているのかと、訊ねたところ、今度の日曜日に開催される隅田川花火大会の場所取りだという。どうやら、どこかの大学の部活のグループらしい。勿論、交代ではあろうが、1週間ここに釘付けになるのらしい。
桜橋から山谷掘り水門広場を抜け、聖天様の前の信号を渡ったところで塾友のtoruちゃんがワンちゃんと散歩するのとであった。しばし、立ち話。
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ハンドルネーム:
目高 拙痴无
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92
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1932/02/04
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