瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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35b219bb.jpeg  東京では本日は「盂蘭盆会」。
 7月または8月の13日~16日までの4日間を「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言い、先祖の精霊を迎え追善の供養をする期間とする風習がある。亡くなってはじめて迎えるお盆を新盆(初盆)といい、特に手厚く供養することになっている。親族や知人が一堂に会し、先祖や故人を偲び、今日ある自分をかえりみるという、お盆の根幹をなす理念は、千古の昔から変わらないものだといっていいだろう。
 去年の12月には姉のTを、そして今年2月には敬愛する塾友M(マイチ)を送った。今日は新盆に当たる。
 浅草寺では毎年、8月15日の終戦記念日の午後6時30分より、『万燈籠供養会』といって本堂内の外陣(げじん)に霊名と施主の名前を記した「燈籠」を並べ、読経法要を営み、亡き人々の冥福を祈っているいう。
 というわけで、本日瘋癲爺が本名 日高節夫 の名で万燈籠供養会に「德譽祐心居士〔マイチの戒名〕」、「釋勝蓮〔姉の法名〕」で二霊の供養を申し込んで置いた。どうか、塾友の皆さん方で都合のつく方々は来月15日のこの供養会に参加してマイチの冥福を祈ってやって欲しい。このあと、マイチにかこつけてどこかで飲み会をやるもいいなあという声が聞こえてくるようだ。誰かが企画してくれれば、またこのブログでお知らせもしよう。
 
 東京夢華録 巻八 重陽
 九月重陽、都下賞菊、有數種:其黃白色蘂若蓮房、曰「萬齡菊」:粉紅色曰「桃花菊」:白而檀心曰「木香菊」:黃色而圓者曰「金鈴菊」:純白而大者曰「喜容菊」:無處無之。酒家皆以菊花縛成洞戶。都人多出郊外登高、如倉王廟、四里橋、愁臺、梁王城、硯臺、毛駝岡、獨樂岡等處宴聚。前一二日、各以粉麵蒸餻遺送、上插剪綵小旗、摻飣果實、如石榴子、栗子黃、銀杏、松子肉之類。又以粉作獅子蠻王之狀、置於糕上、謂之「獅蠻」。諸禪寺各有齋會、惟開寶寺、仁王寺有獅子會。諸僧皆坐獅子上、作法事講說、遊人最盛。下旬即賣冥衣靴鞋席帽衣段、以十月朔日燒獻故也。
〔訳〕九月重陽に、都で鑑賞する菊には色々な種類があった。黄白色で蘂(しべ)がハスの花房の形をしているものを「万齢菊」、粉紅(ももいろ)のものを「桃花菊」、白で檀香〔だんこう、香木の総称)のような花心のものを「木香菊」、黄色で丸いものを「金鈴菊」、純白で大輪のものを「喜容菊」と呼ぶ。都じゅうこれらの菊の無いところはなく、酒家もみな菊花を飾り付けた洞戸(アーチ)をつくった。都人は多く郊外に出て高い所に登った。例えば倉王(そうおう)廟、四里橋(しりきょう)・愁台(しゅうだい)・梁王城(りょうおうじょう)・硯(けん)台・毛駝岡(もうだこう)・独楽(どくらく)岡などに集まり、宴会を開くのだった。八日か七日に、めいめい粉で(かし)を蒸して贈りあうが、その上には色絹を切って作った小旗を立て、ザクロの実・クリの実・ギンナン・マツの実などの果実を散らし載せた。また、粉で獅子と南蛮の王の形を作り、糕の上に置いてこれを「獅蛮(しばん)」といった。諸禅寺では、それぞれお斎(とき)の会を開く。開王寺・仁王寺では獅子会が開かれた。諸僧がみな獅子の上に坐って法要説経を行なうもので、もっとも見物人が多かった。九月下旬には冥衣(めいい)・靴鞋(はきもの)・席帽(かぶりもの)・衣段(たんもの)などを売るが、これは十月一日に仏に焼いて献ずるためであった。
 
※九月重陽:九は陽数で、九月九日はその陽数の九が重なるので「重陽」という。
※高い所に上った:重陽の日に高所に登る風習はすでに魏晋南北朝時代に見え、地方によって登高の名所が決まっていたようだ。登高の起源については、「桓景という人が費長房に教えられ九月九日茱茰〔しゅゆ、からはじかみ〕を携え、山に登って菊花の酒を飲み邪を避けた」のが始まりとされるが、この行事の本来の意味は古代中国人が山や川で歌垣のような季節的な祭礼を行なった所からその祭礼が行われる山・川が神聖化されたものだろうといわれる。
※独楽岡:城東十五里にあり、宋代に楽隠居の身の一富翁が、古馴染みを集めては、都人が九日に登高するこの岡で、酒を飲んで楽しんでいた。徽宗が微行の折、これを見てうらやましがり、あの男こそ独り楽しんでいるぞといったので、独楽岡と呼ばれるようになったという。
※餻(こう):重陽糕(ちょうようこう)といい、砂糖と粉とをこねて蒸したもの。清の『燕京歳時記』にも、重陽の日に花糕といって、蒸し餅の上に星のようにナツメやクリを並べて置いたものを食べたとある。なお、餻は糕に同じ。
※獅蛮:文殊菩薩が獅子に乗り蛮人がこれを引いている泥の像を作って、餻の上に置くという。この餻は重陽の日、夜が明けようとする時、その一片を頭に載せて、乳母が「百事みな高く」と祈るのだという。「登高」の高(こう)と餻(こう)が同音なのにかけて出世をいのるわけである。
※冥衣:亡くなった人の冥福を祈ってこれを焼き供養する紙製の衣服。
※席帽:唐宋時代に用いられた籐織りの帽子。
※十月一日:十月一日から3日間は、寒食節と同じように、都人はみな郊外に出て墓参りをした。この際、墓に供えて焼く冥衣は、五色の紙で作って寒衣と呼んだ。そこで十月一日のこの行事を明清時代には「送寒衣」といったという。
 
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