瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
今日は新聞の休刊日。浅草寺の境内では「ほおずき市」が開かれる。今朝のウェブニュースより、
東京・浅草寺:「ほおずき市」始まる 10日まで ―― 東京都台東区の浅草寺で9日、約200年続く夏の風物詩「ほおずき市」が始まった。境内には約120店が並び、朱色に色づいたホオズキが、訪れた人の目を楽しませていた。10日まで。/今年は節電のため、露店の電球約600個をすべてLEDに変更した。/この日にお参りすると、4万6000日分の御利益があると言われ、江戸時代から多くの人が参拝。ホオズキの実が体に良いと言われたため、浅草寺でも市が開かれるようになったという。/午前7時~午後10時。2日間で約55万人の人出が見込まれる。 〔毎日新聞 2012年07月09日 11時05分(最終更新 07月09日 11時36分)〕
東京夢華録 巻七 駕回儀衛
駕回則御裹小帽、簪花乘馬、前後從駕臣寮。百司儀衛悉賜花。大觀初、乘驄馬至太和宮前、忽宣「小烏」、其馬至御前拒而不進、左右曰:「此願封官。」勑賜龍驤將軍、然後就轡;蓋「小烏」平日御愛之馬也。莫非錦繡盈都、花光滿日、御香拂路、廣樂喧空。寶騎交馳、綵棚夾路、綺羅珠翠、戶戶神仙;畫閣紅樓、家家洞府。遊人士庶、車馬萬數。妓女舊日多乘驢、宣、政間惟乘馬、披涼衫、將蓋頭背繫冠子上。少年狎客往往隨後、亦跨馬輕衫小帽。有三五文身惡少年控馬、謂之「花褪馬」。用短繮促馬頭刺地而行、謂之「鞅韁」。呵喝馳驟、競逞駿逸。遊人往往以竹竿挑掛終日關撲所得之物而歸。仍有貴家士女、小轎插花、不垂簾幙。自三月一日至四月八日閉池、雖風雨亦有遊人、路無虛日矣。是月季春、萬花爛熳、牡丹、芍藥、棣棠、木香、種種上市。賣花者以馬頭竹藍鋪排、歌叫之聲、清奇可聽。晴簾靜院、曉幙高樓、宿酒未醒、好夢初覺、聞之莫不新愁易感、幽恨懸生、最一時之佳況。諸軍出郊、合教陣隊。
〔訳〕《還幸》還幸には主上は小帽をかぶり花を髪挿(かざ)され、馬にお乗りになる。前後の供廻りの臣下や儀仗兵にもことごとく花を賜わった。大観〔徽宗の1107~1110年〕初年に、主上は驄馬(あしげ)に乗って太和宮の前までこられると、ふいに「小烏(しょうう)」を連れてまいれ、とおおせられた。ところが「小烏」はご前に来ると、足をふんばって動こうとしない。お側付きの者が「これは官位がほしいのでございましょう」と申し上げたので、主上はこの馬に竜驤将軍の位を授けられた。すると馬はいうことを聞いて、轡をつけさせたという。この「小烏」は日頃主上が可愛がられていた馬であった。都の中には、錦織りなす花が春の光に咲きほこって花やかな色彩が満ち溢れ、かぐわしい香りは道に流れ、盛大な楽の音が鳴り響き、着飾った騎馬の人々が行き交う。色絹で飾った屋台は道も狭しと結い立てられ、薄絹の美服をまとい真珠やヒスイを身につけた仙女のような女たちが門ごとに立ち並んでいるし、楼閣(たかどの)は華やかに彩られていて、家々も神仙のすみかのようであった。人々はみな喪のみ遊山にくりだし、その車馬は万をもって数えた。彼女たちは、むかしはたいていロバに乗ったが、政和・宣和年間〔宋、徽宗の年号、1111~1125年〕になるともっぱら馬に乗るようになり、涼衫(コート)をはおり、蓋頭(かずき)を冠子(かむり)の後につけていた。往々年若い馴染みの客が妓女の後に従い、これまた軽やかな衫(うわぎ)に小帽といういでたちであった。また三人五人と連れ立った入れ墨姿の若いやくざたちが手綱をしぼって馬をとめ立ちふさがるのを「花褪馬(はなくたし)」といった。また短い手綱を用いて馬の頭を後ろに引きしめ、足を地面に突き刺すように上下させて進むのは「鞅韁(しめたづな)」といった。めいめい叱咤して馬を駆り、自分の馬の素晴しさを競い合うのだった。また見物人の中には竹竿をかついで、一日中「漢撲(かけ)」をして歩き、勝って手に入れた品物を竿にかけて帰るのであった。また貴家の令嬢たちも、小さな轎(こし)に花を挿して飾りたて、簾や幕などは取り払って町を行くのだった。三月一日から始って四月八日に金明地の庭園がとざされるまで、風雨の日にも見物人があって、ほとんど人の来ぬ日はなかった。この月は春の季(すえ)に当たり、よろずの花が咲きほこり、ボタン・シャクヤク・ヤマブキ・木香(もっこう)などが市場に出る。花売りが竹籠に花を並べ、歌うようにして呼び売りをするのは、なかなかさわやかでよかった。もの静かな屋敷や暁の高殿で目醒(ざ)た時、この売り声を聞くと、かならず胸には清らかな情感があふれて、さまざまな物思いにふける、なんともすばらしいひとときであった。なお、諸軍が郊外に出て、合同の隊形展開訓練をした。
※還幸:三月、清明節の頃に行なわれる金明池での諸行事が終わり、皇帝が宮城に戻る前後の開封のありさまである。
※小烏:「小」は可愛いものにつける接頭語。「烏」は馬の毛並みが黒かったことをあらわす。
※涼衫:都の士人は公服を着て乗馬する際には黲衣(薄い青黒色のコート)を着、これを涼衫(りょうさん)といった。今のダスターコートのようなもの。
※蓋頭:婦女が道を歩く時に頭からすっぽり被る四角い薄絹。婚礼には紅い薄絹を被った。ここでは馬に乗るので、飛ばぬように後頭部の冠にとめて後ろになびかせる粋なスタイルにしたのであろう。
※鞅韁(おうきょ):短い手綱をつけて馬の頭を後ろに引き締めると馬の首は高く上り、手綱が鞅〔馬の胸から鞍にかけ渡す革緒〕のような位置にくるのでなづけられた。
※春の季:陰暦では、一・二・三月が春だから、三月は春の末。
東京・浅草寺:「ほおずき市」始まる 10日まで ―― 東京都台東区の浅草寺で9日、約200年続く夏の風物詩「ほおずき市」が始まった。境内には約120店が並び、朱色に色づいたホオズキが、訪れた人の目を楽しませていた。10日まで。/今年は節電のため、露店の電球約600個をすべてLEDに変更した。/この日にお参りすると、4万6000日分の御利益があると言われ、江戸時代から多くの人が参拝。ホオズキの実が体に良いと言われたため、浅草寺でも市が開かれるようになったという。/午前7時~午後10時。2日間で約55万人の人出が見込まれる。 〔毎日新聞 2012年07月09日 11時05分(最終更新 07月09日 11時36分)〕
東京夢華録 巻七 駕回儀衛
駕回則御裹小帽、簪花乘馬、前後從駕臣寮。百司儀衛悉賜花。大觀初、乘驄馬至太和宮前、忽宣「小烏」、其馬至御前拒而不進、左右曰:「此願封官。」勑賜龍驤將軍、然後就轡;蓋「小烏」平日御愛之馬也。莫非錦繡盈都、花光滿日、御香拂路、廣樂喧空。寶騎交馳、綵棚夾路、綺羅珠翠、戶戶神仙;畫閣紅樓、家家洞府。遊人士庶、車馬萬數。妓女舊日多乘驢、宣、政間惟乘馬、披涼衫、將蓋頭背繫冠子上。少年狎客往往隨後、亦跨馬輕衫小帽。有三五文身惡少年控馬、謂之「花褪馬」。用短繮促馬頭刺地而行、謂之「鞅韁」。呵喝馳驟、競逞駿逸。遊人往往以竹竿挑掛終日關撲所得之物而歸。仍有貴家士女、小轎插花、不垂簾幙。自三月一日至四月八日閉池、雖風雨亦有遊人、路無虛日矣。是月季春、萬花爛熳、牡丹、芍藥、棣棠、木香、種種上市。賣花者以馬頭竹藍鋪排、歌叫之聲、清奇可聽。晴簾靜院、曉幙高樓、宿酒未醒、好夢初覺、聞之莫不新愁易感、幽恨懸生、最一時之佳況。諸軍出郊、合教陣隊。
〔訳〕《還幸》還幸には主上は小帽をかぶり花を髪挿(かざ)され、馬にお乗りになる。前後の供廻りの臣下や儀仗兵にもことごとく花を賜わった。大観〔徽宗の1107~1110年〕初年に、主上は驄馬(あしげ)に乗って太和宮の前までこられると、ふいに「小烏(しょうう)」を連れてまいれ、とおおせられた。ところが「小烏」はご前に来ると、足をふんばって動こうとしない。お側付きの者が「これは官位がほしいのでございましょう」と申し上げたので、主上はこの馬に竜驤将軍の位を授けられた。すると馬はいうことを聞いて、轡をつけさせたという。この「小烏」は日頃主上が可愛がられていた馬であった。都の中には、錦織りなす花が春の光に咲きほこって花やかな色彩が満ち溢れ、かぐわしい香りは道に流れ、盛大な楽の音が鳴り響き、着飾った騎馬の人々が行き交う。色絹で飾った屋台は道も狭しと結い立てられ、薄絹の美服をまとい真珠やヒスイを身につけた仙女のような女たちが門ごとに立ち並んでいるし、楼閣(たかどの)は華やかに彩られていて、家々も神仙のすみかのようであった。人々はみな喪のみ遊山にくりだし、その車馬は万をもって数えた。彼女たちは、むかしはたいていロバに乗ったが、政和・宣和年間〔宋、徽宗の年号、1111~1125年〕になるともっぱら馬に乗るようになり、涼衫(コート)をはおり、蓋頭(かずき)を冠子(かむり)の後につけていた。往々年若い馴染みの客が妓女の後に従い、これまた軽やかな衫(うわぎ)に小帽といういでたちであった。また三人五人と連れ立った入れ墨姿の若いやくざたちが手綱をしぼって馬をとめ立ちふさがるのを「花褪馬(はなくたし)」といった。また短い手綱を用いて馬の頭を後ろに引きしめ、足を地面に突き刺すように上下させて進むのは「鞅韁(しめたづな)」といった。めいめい叱咤して馬を駆り、自分の馬の素晴しさを競い合うのだった。また見物人の中には竹竿をかついで、一日中「漢撲(かけ)」をして歩き、勝って手に入れた品物を竿にかけて帰るのであった。また貴家の令嬢たちも、小さな轎(こし)に花を挿して飾りたて、簾や幕などは取り払って町を行くのだった。三月一日から始って四月八日に金明地の庭園がとざされるまで、風雨の日にも見物人があって、ほとんど人の来ぬ日はなかった。この月は春の季(すえ)に当たり、よろずの花が咲きほこり、ボタン・シャクヤク・ヤマブキ・木香(もっこう)などが市場に出る。花売りが竹籠に花を並べ、歌うようにして呼び売りをするのは、なかなかさわやかでよかった。もの静かな屋敷や暁の高殿で目醒(ざ)た時、この売り声を聞くと、かならず胸には清らかな情感があふれて、さまざまな物思いにふける、なんともすばらしいひとときであった。なお、諸軍が郊外に出て、合同の隊形展開訓練をした。
※還幸:三月、清明節の頃に行なわれる金明池での諸行事が終わり、皇帝が宮城に戻る前後の開封のありさまである。
※小烏:「小」は可愛いものにつける接頭語。「烏」は馬の毛並みが黒かったことをあらわす。
※涼衫:都の士人は公服を着て乗馬する際には黲衣(薄い青黒色のコート)を着、これを涼衫(りょうさん)といった。今のダスターコートのようなもの。
※蓋頭:婦女が道を歩く時に頭からすっぽり被る四角い薄絹。婚礼には紅い薄絹を被った。ここでは馬に乗るので、飛ばぬように後頭部の冠にとめて後ろになびかせる粋なスタイルにしたのであろう。
※鞅韁(おうきょ):短い手綱をつけて馬の頭を後ろに引き締めると馬の首は高く上り、手綱が鞅〔馬の胸から鞍にかけ渡す革緒〕のような位置にくるのでなづけられた。
※春の季:陰暦では、一・二・三月が春だから、三月は春の末。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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