瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
日本は中国経由で、仏教、仏典とともにサンスクリットにまつわる知識や単語などを取り入れてきた。その時期は非常に古く、すくなくとも真言宗の開祖空海まではさかのぼれる。
実際に、仏教用語の多くはサンスクリット由来であり、例えばsaṃgha〔サンガ、僧(伽)〕、ullambana〔ウランバナ、盂蘭盆〕、stûpa〔ストゥパー、卒塔婆〕、namo amitaabha〔ナモ アミタブッハ、南無阿弥陀仏〕など無数にある。“檀那(旦那)――後出”などのように日常語化しているものもある。
また、経典のうちdhaaraNii〔ダーラニー、陀羅尼〕、mantra〔マントラ、真言〕などはは漢訳されず、サンスクリットを音写した漢字で表記され、サンスクリット音のまま直接読誦される。陀羅尼などは現代日本のいくつかの文学作品にも登場する(泉鏡花「高野聖」など)。
1Arbuda〔アルブタ、痘痕〕:「arbuda(アルブタ)」の音写「頞部陀〔あぶだ〕」が訛った語。「頞部陀地獄」とも言い、寒さによって苦しめる『八寒地獄』の地獄名のひとつで、ここに落ちた者は厳寒のため、体に水疱(すいほう)ができるとされた。そこから、天然痘が治った後、顔に残る傷のようなものを僧侶の間で「あばた」呼ぶようになり、一般にも広まった。1980年、WHOが天然痘の全滅宣言を出しているため「あばた」も存在しないが、意味の派生によって、単なる吹き出物の傷跡なども「あばた」と呼ぶようになった。
2A-un〔アウン、阿吽(あうん)〕:梵語の「ア」と「フーン」を合わせたもので、「ア」は口を開く音を指し、「フーン」は口を閉じる音を指した。翻って、「吐く息」と「出る息」となって、「阿吽の呼吸」に至った。梵語 → 仏教語 → 相撲用語 → 一般語という珍しい流れ。
3 akshara〔アクシャラ、悪(あく)〕:「悪」は世の理や仏道に反することで、将来の苦を引き起こすことを指す。和語における「悪」は、「にくらしいほど並はずれた」という意味であり、古代中国における「悪」は、「規則や命令に従わないこと」を指した。また、欧米における「悪」は、「絶対神を否定するもの」を指した。このことからも、「悪」の定義は今日なおも大きく揺らいでいることが分かる。
4 kapala〔カッパーラ、瓦(かわら)」:儀式で使われる杯や器を指した。後に、人間の頭蓋骨で作られた髑髏杯のこととなり、儀式で血などを入れるのに使ったとされる。神秘主義におけるカバラ思想の「カバラ」は別語源らしい。
5 Kumbhira〔クンビーラ、金毘羅(こんぴら)〕:ガンジス川に棲むワニのこと。古代より水に棲む神として崇められていたという。「琴平」は金毘羅の当て字。
6 Samādhi〔サマーディ、三昧(ざんまい)〕:今でこそ「贅沢三昧」などと悪い意味でしか使われないが、本来は一つの対象に集中し、心を動かさないことを意味し、悟りの境地だった。今日の「一心不乱」とか「一意専心」に近く、今日でもヨガの階級では最高位となっている。
7 Samādhi〔サハー、娑婆(しゃば)」:今でこそ受刑囚が「塀の向こう側」を指す言葉となってしまっているが、本来は「現世」を意味し、転じて修行僧が「下界(山の下)」を指すものとして使うようになった。
8 Cima〔シーマ、島(しま)〕:今でこそヤクザの縄張りを指すが、本来は修行僧たちが修行する空間(領域)を意味した。
9 ksana〔クシャナ、刹那(せつな)〕:一瞬の意。正確には約75分の1秒とも言われる。数字としては、10の-18乗の数を指す。現代日本語の「刹那的」は「後先考えない」ことを意味するが、仏教の原義的には「一瞬一瞬を大切にする」「瞬間を充実させる喜び」を意味する。
10 dāna〔ダーナ、檀那・旦那(ダンナ)〕:もともとは「贈り物」の意で、転じて「お布施」となり、さらに僧が「喜捨してくれる信者」を呼ぶようになった。妻が夫を呼ぶのも、商家の者が顧客を呼ぶのも、目下が目上の者を呼ぶのも同語源である。「檀家」「檀徒」は後からできたもの。梵語と漢語を合わせて檀施とも記す。また布施する人を意味する檀越dāna‐patiと混用され、寺院や僧尼に衣食住を施与する信者を、僧の方から檀那、檀越(だんおつ)という。中国には檀家制度がなく、寺院が特定の檀越に支えられることは少なかったが、貴族豪民には一家の菩提寺を建てて、寺院に与えられた特権を横取りしたり、寺院の質庫に財産を寄託して殖産をはかるものもあった。
※、一般にも「旦那」の語は広まり、「パトロン」のように生活の面倒を見る人の意味で用いられるようになった。さらに、「面倒を見る人」「お金を出してくれる人」といった意味から派生し、奉公人が主人を、商人が客を、妻が夫を呼ぶときの敬称として用いられるようになり、現代では主に妻が夫を呼ぶ敬称として用いられる。旦那の語源には、「ダーナ」が西洋に伝わり、「マドンナ」や「マダム」などに変化したという説から、「旦那は女だった」などとするものも過去に見られた。しかし、「ダーナ」が「マドンナ」や「マダム」の語源とする説はあまり有力とされておらず、「ダーナ」が語源であったとしても、「旦那」の語源が「マドンナ」や「マダム」という訳ではないため、女性をさす言葉であったとするのは間違いである。
11 dhaaraNii〔ダーラニー、陀羅尼(だらに)〕:仏教において用いられる呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は訳さず(不翻)サンスクリット語原文を漢字に音写したものを唱える。意訳して総持、能持、能遮等ともいう。ダーラニーとは「記憶して忘れない」という意味で、本来は仏教修行者が覚えるべき教えや作法などを指した。やがてこれが転じて「暗記されるべき呪文」と解釈される様になり、一定の形式を満たす呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になった
12 naraka〔ナラカ、奈落(ならく)〕:地獄のこと。転じて、日本の劇場における舞台の下や歌舞伎の花道の床下の空間の通称。廻り舞台や迫り出しの装置があるほか、通路にもなっている。名称の由来は、深く暗い所にあるからというのが一般的。また一説に、華やかな舞台の裏には常に嫉妬があり、それが怨念となった魔物が薄暗い舞台下に潜んでおり、時折これが悪さをするから舞台事故が起こるとかつては信じられていたことによるものとも
13 Nirvāṇa〔ニルヴァーナ、涅槃(ねはん)〕:もともとは蝋燭などの炎が吹き消された状態を意味し、転じて「生命の炎が消える死」となり、さらに仏教語として「煩悩(の炎)が消えた後の静寂」を指すようになったという。
14 moha〔モーハ,莫迦・馬鹿(莫迦)〕:梵語の「モーハ」で、古くは「莫迦」と記した。元の意味は「無知」「暗愚」に近い。仏教的には、無知は人々を現世で迷わせ苦しめる元凶ということになっている。同じサンスクリット語のmahailaka(摩訶羅:無知)あるいはmaha(摩訶:おおきい、偉大な)を語源とする説もある。馬鹿は、サンスクリット語で「無知」や「迷妄」を意味するの音写「莫迦(ばくか)」「募何(ぼか)」が転じたとされる。日本では、鎌倉時代末期頃から「ばか」の用例があり、室町中期の「文明本説用集」には、馬鹿の異表記として「母娘」「馬娘」「破家」をあげ、「とんでもない」の意味で「狼藉之義也」と説明している。以上のことから、「ばか」を「馬鹿」と書くのは、当て字と考えられる。/馬鹿の語源の俗説には、『史記(秦始皇本紀)』の故事「鹿をさして馬となす」からというものがある。これは、秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。群臣は趙高の権勢を恐れて「馬です」と答えたが、「鹿」と答えた者は暗殺された。このことより、自分の権勢をよいことに矛盾したことを押し通す意味として「馬鹿」と言うようになったというものである。しかし、「鹿」を「か」と読むのは大和言葉で、漢文では「ばろく」と読むため、この故事が「ばか」の語源とは考え難く、「ばか」に「馬鹿」の字が当てられた由来として考慮するにとどまる。その他、「おこがましい」の語源となる「をこ」を語源とする説もあるが、「をこ」から「ばか」という音変化は考え難い。
15 buddha〔ブッダ、仏陀(ぶっだ)〕:「釈迦」の別名のように使われているが、本来は「悟りを開いた人」全般を指す。原義は「目覚めた人」。多くの仏教の宗派では、「ブッダ(仏陀)」は釈迦だけを指す場合が多く、悟りを得た人物を意味する場合は阿羅漢など別の呼び名が使われる。
16 bodhi〔ボーディ、菩提(ぼだい)〕:菩提とは内容的には、悟りの果としての智慧のことである。この智慧は無上の悟りなので、大乗仏教では特に阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)という。また、悟りを開いた仏の境地を表すことから、涅槃と同義と考えられた。しかし時代が下り、密教の経典である『大毘盧遮那成仏神変加持経』では「菩提とは実の如く自心を知ること」と説き、その意味が大きく変わっている。原義は「悟り」で、釈迦が悟りを開いた時に座っていた木を菩提樹と呼ぶようになったが、中国には生えていなかったこともあり、似たような木を「菩提樹」と呼ぶようになり、それが日本にも輸入された。平安時代には、「極楽浄土」の意で使われていたが、転じて「冥福」となり、今日に至っている。
17 māra〔マーラ、魔羅・摩羅魔(まら)〕:インドの悪神の一つ。人の善事を妨げる悪神。魔王。欲界第六天の王。転じて、悟りの妨げとなる煩悩(ぼんのう)をいう。魔。転じて、仏僧の修行を妨害する存在を指すようになった。後に、修行の邪魔となる愛欲=男性器を指す寺院の隠語(マラ)となり、今日に至っている。
18 mallikā〔マッリカー、茉莉花(まつりか)〕:インド原産のモクセイ科の低木。香や茶の原料として紀元前から今日に至る。省略形の茉莉は、現在ではジャスミン類の総称とすることが多い。
19 maṇḍala〔マンダーラ、曼荼羅(まんだら)〕:仏教(特に密教)において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表したもの。「曼陀羅」と表記することもある。古代インドに起源をもち、中央アジア、中国、朝鮮半島、日本へと伝わった。21世紀に至っても、チベット、日本などでは盛んに制作されている。なお、日本語では、重要文化財等の指定名称は「曼荼羅」に統一されており、ここでも「曼荼羅」と表記する。
20 yakkha〔ヤクシャ、女性形はYaksni《ヤクシー》、夜叉(やしゃ)〕:古代インド神話に登場する鬼神。のちに仏教に取り入れられ護法善神の一尊となった。一般にインド神話における鬼神の総称であるとも言われるが、鬼神の総称としては他にアスラという言葉も使用されている(仏教においては、asura(アスラ)=阿修羅は総称ではなく固有の鬼神として登場)。
実際に、仏教用語の多くはサンスクリット由来であり、例えばsaṃgha〔サンガ、僧(伽)〕、ullambana〔ウランバナ、盂蘭盆〕、stûpa〔ストゥパー、卒塔婆〕、namo amitaabha〔ナモ アミタブッハ、南無阿弥陀仏〕など無数にある。“檀那(旦那)――後出”などのように日常語化しているものもある。
また、経典のうちdhaaraNii〔ダーラニー、陀羅尼〕、mantra〔マントラ、真言〕などはは漢訳されず、サンスクリットを音写した漢字で表記され、サンスクリット音のまま直接読誦される。陀羅尼などは現代日本のいくつかの文学作品にも登場する(泉鏡花「高野聖」など)。
1Arbuda〔アルブタ、痘痕〕:「arbuda(アルブタ)」の音写「頞部陀〔あぶだ〕」が訛った語。「頞部陀地獄」とも言い、寒さによって苦しめる『八寒地獄』の地獄名のひとつで、ここに落ちた者は厳寒のため、体に水疱(すいほう)ができるとされた。そこから、天然痘が治った後、顔に残る傷のようなものを僧侶の間で「あばた」呼ぶようになり、一般にも広まった。1980年、WHOが天然痘の全滅宣言を出しているため「あばた」も存在しないが、意味の派生によって、単なる吹き出物の傷跡なども「あばた」と呼ぶようになった。
2A-un〔アウン、阿吽(あうん)〕:梵語の「ア」と「フーン」を合わせたもので、「ア」は口を開く音を指し、「フーン」は口を閉じる音を指した。翻って、「吐く息」と「出る息」となって、「阿吽の呼吸」に至った。梵語 → 仏教語 → 相撲用語 → 一般語という珍しい流れ。
3 akshara〔アクシャラ、悪(あく)〕:「悪」は世の理や仏道に反することで、将来の苦を引き起こすことを指す。和語における「悪」は、「にくらしいほど並はずれた」という意味であり、古代中国における「悪」は、「規則や命令に従わないこと」を指した。また、欧米における「悪」は、「絶対神を否定するもの」を指した。このことからも、「悪」の定義は今日なおも大きく揺らいでいることが分かる。
4 kapala〔カッパーラ、瓦(かわら)」:儀式で使われる杯や器を指した。後に、人間の頭蓋骨で作られた髑髏杯のこととなり、儀式で血などを入れるのに使ったとされる。神秘主義におけるカバラ思想の「カバラ」は別語源らしい。
5 Kumbhira〔クンビーラ、金毘羅(こんぴら)〕:ガンジス川に棲むワニのこと。古代より水に棲む神として崇められていたという。「琴平」は金毘羅の当て字。
6 Samādhi〔サマーディ、三昧(ざんまい)〕:今でこそ「贅沢三昧」などと悪い意味でしか使われないが、本来は一つの対象に集中し、心を動かさないことを意味し、悟りの境地だった。今日の「一心不乱」とか「一意専心」に近く、今日でもヨガの階級では最高位となっている。
7 Samādhi〔サハー、娑婆(しゃば)」:今でこそ受刑囚が「塀の向こう側」を指す言葉となってしまっているが、本来は「現世」を意味し、転じて修行僧が「下界(山の下)」を指すものとして使うようになった。
8 Cima〔シーマ、島(しま)〕:今でこそヤクザの縄張りを指すが、本来は修行僧たちが修行する空間(領域)を意味した。
9 ksana〔クシャナ、刹那(せつな)〕:一瞬の意。正確には約75分の1秒とも言われる。数字としては、10の-18乗の数を指す。現代日本語の「刹那的」は「後先考えない」ことを意味するが、仏教の原義的には「一瞬一瞬を大切にする」「瞬間を充実させる喜び」を意味する。
10 dāna〔ダーナ、檀那・旦那(ダンナ)〕:もともとは「贈り物」の意で、転じて「お布施」となり、さらに僧が「喜捨してくれる信者」を呼ぶようになった。妻が夫を呼ぶのも、商家の者が顧客を呼ぶのも、目下が目上の者を呼ぶのも同語源である。「檀家」「檀徒」は後からできたもの。梵語と漢語を合わせて檀施とも記す。また布施する人を意味する檀越dāna‐patiと混用され、寺院や僧尼に衣食住を施与する信者を、僧の方から檀那、檀越(だんおつ)という。中国には檀家制度がなく、寺院が特定の檀越に支えられることは少なかったが、貴族豪民には一家の菩提寺を建てて、寺院に与えられた特権を横取りしたり、寺院の質庫に財産を寄託して殖産をはかるものもあった。
※、一般にも「旦那」の語は広まり、「パトロン」のように生活の面倒を見る人の意味で用いられるようになった。さらに、「面倒を見る人」「お金を出してくれる人」といった意味から派生し、奉公人が主人を、商人が客を、妻が夫を呼ぶときの敬称として用いられるようになり、現代では主に妻が夫を呼ぶ敬称として用いられる。旦那の語源には、「ダーナ」が西洋に伝わり、「マドンナ」や「マダム」などに変化したという説から、「旦那は女だった」などとするものも過去に見られた。しかし、「ダーナ」が「マドンナ」や「マダム」の語源とする説はあまり有力とされておらず、「ダーナ」が語源であったとしても、「旦那」の語源が「マドンナ」や「マダム」という訳ではないため、女性をさす言葉であったとするのは間違いである。
11 dhaaraNii〔ダーラニー、陀羅尼(だらに)〕:仏教において用いられる呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は訳さず(不翻)サンスクリット語原文を漢字に音写したものを唱える。意訳して総持、能持、能遮等ともいう。ダーラニーとは「記憶して忘れない」という意味で、本来は仏教修行者が覚えるべき教えや作法などを指した。やがてこれが転じて「暗記されるべき呪文」と解釈される様になり、一定の形式を満たす呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になった
12 naraka〔ナラカ、奈落(ならく)〕:地獄のこと。転じて、日本の劇場における舞台の下や歌舞伎の花道の床下の空間の通称。廻り舞台や迫り出しの装置があるほか、通路にもなっている。名称の由来は、深く暗い所にあるからというのが一般的。また一説に、華やかな舞台の裏には常に嫉妬があり、それが怨念となった魔物が薄暗い舞台下に潜んでおり、時折これが悪さをするから舞台事故が起こるとかつては信じられていたことによるものとも
13 Nirvāṇa〔ニルヴァーナ、涅槃(ねはん)〕:もともとは蝋燭などの炎が吹き消された状態を意味し、転じて「生命の炎が消える死」となり、さらに仏教語として「煩悩(の炎)が消えた後の静寂」を指すようになったという。
14 moha〔モーハ,莫迦・馬鹿(莫迦)〕:梵語の「モーハ」で、古くは「莫迦」と記した。元の意味は「無知」「暗愚」に近い。仏教的には、無知は人々を現世で迷わせ苦しめる元凶ということになっている。同じサンスクリット語のmahailaka(摩訶羅:無知)あるいはmaha(摩訶:おおきい、偉大な)を語源とする説もある。馬鹿は、サンスクリット語で「無知」や「迷妄」を意味するの音写「莫迦(ばくか)」「募何(ぼか)」が転じたとされる。日本では、鎌倉時代末期頃から「ばか」の用例があり、室町中期の「文明本説用集」には、馬鹿の異表記として「母娘」「馬娘」「破家」をあげ、「とんでもない」の意味で「狼藉之義也」と説明している。以上のことから、「ばか」を「馬鹿」と書くのは、当て字と考えられる。/馬鹿の語源の俗説には、『史記(秦始皇本紀)』の故事「鹿をさして馬となす」からというものがある。これは、秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。群臣は趙高の権勢を恐れて「馬です」と答えたが、「鹿」と答えた者は暗殺された。このことより、自分の権勢をよいことに矛盾したことを押し通す意味として「馬鹿」と言うようになったというものである。しかし、「鹿」を「か」と読むのは大和言葉で、漢文では「ばろく」と読むため、この故事が「ばか」の語源とは考え難く、「ばか」に「馬鹿」の字が当てられた由来として考慮するにとどまる。その他、「おこがましい」の語源となる「をこ」を語源とする説もあるが、「をこ」から「ばか」という音変化は考え難い。
15 buddha〔ブッダ、仏陀(ぶっだ)〕:「釈迦」の別名のように使われているが、本来は「悟りを開いた人」全般を指す。原義は「目覚めた人」。多くの仏教の宗派では、「ブッダ(仏陀)」は釈迦だけを指す場合が多く、悟りを得た人物を意味する場合は阿羅漢など別の呼び名が使われる。
16 bodhi〔ボーディ、菩提(ぼだい)〕:菩提とは内容的には、悟りの果としての智慧のことである。この智慧は無上の悟りなので、大乗仏教では特に阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)という。また、悟りを開いた仏の境地を表すことから、涅槃と同義と考えられた。しかし時代が下り、密教の経典である『大毘盧遮那成仏神変加持経』では「菩提とは実の如く自心を知ること」と説き、その意味が大きく変わっている。原義は「悟り」で、釈迦が悟りを開いた時に座っていた木を菩提樹と呼ぶようになったが、中国には生えていなかったこともあり、似たような木を「菩提樹」と呼ぶようになり、それが日本にも輸入された。平安時代には、「極楽浄土」の意で使われていたが、転じて「冥福」となり、今日に至っている。
17 māra〔マーラ、魔羅・摩羅魔(まら)〕:インドの悪神の一つ。人の善事を妨げる悪神。魔王。欲界第六天の王。転じて、悟りの妨げとなる煩悩(ぼんのう)をいう。魔。転じて、仏僧の修行を妨害する存在を指すようになった。後に、修行の邪魔となる愛欲=男性器を指す寺院の隠語(マラ)となり、今日に至っている。
18 mallikā〔マッリカー、茉莉花(まつりか)〕:インド原産のモクセイ科の低木。香や茶の原料として紀元前から今日に至る。省略形の茉莉は、現在ではジャスミン類の総称とすることが多い。
19 maṇḍala〔マンダーラ、曼荼羅(まんだら)〕:仏教(特に密教)において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表したもの。「曼陀羅」と表記することもある。古代インドに起源をもち、中央アジア、中国、朝鮮半島、日本へと伝わった。21世紀に至っても、チベット、日本などでは盛んに制作されている。なお、日本語では、重要文化財等の指定名称は「曼荼羅」に統一されており、ここでも「曼荼羅」と表記する。
20 yakkha〔ヤクシャ、女性形はYaksni《ヤクシー》、夜叉(やしゃ)〕:古代インド神話に登場する鬼神。のちに仏教に取り入れられ護法善神の一尊となった。一般にインド神話における鬼神の総称であるとも言われるが、鬼神の総称としては他にアスラという言葉も使用されている(仏教においては、asura(アスラ)=阿修羅は総称ではなく固有の鬼神として登場)。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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