瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
本日のウェブニュースより
安倍新総裁:意地の再挑戦結実…「政権投げ出し」印象今も ―― 自民党総裁に初の返り咲きを果たした安倍晋三元首相(58)を支えたのは、「無念を晴らしたい」(側近)との一念だった。突然の首相辞任から5年−−安倍氏自身、首相在任中の07年参院選の大敗、その後の「政権投げ出し」が、09年の野党転落につながったことを自覚しており、迷いながらの意地の再挑戦だった。次期衆院選で政権を奪還し、自民党結党以来初めてとなる首相再登板を目指す。
「突然首相を辞任し、皆様方に迷惑をかけた。総裁選の勝利で5年前の私の責任が消えるわけではない。この責任をしっかりと胸に刻んで政権奪還に全力を尽くす」
26日午後、自民党本部8階ホール。総裁選を制した安倍氏は口を真一文字に結んだまま壇上に上がり、拳を振りながら意気込みを語った。安倍内閣が総辞職したのは07年9月25日。首相退陣からちょうど5年がたち、再び自民党総裁に就いた。
安倍氏は06年9月、52歳で首相に就任。「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げ、憲法改正などを目指した。在任中、憲法改正手続きを定めた国民投票法や改正教育基本法などが成立。しかし参院選の大敗を経て、持病の潰瘍性大腸炎が悪化し辞任を余儀なくされた。
安倍氏は失意の中で、月刊誌「文芸春秋」(08年2月)に「何より憂えるのは、首相の座を辞したことで保守の理念が色あせることだ」との手記を載せ、無念さをにじませた。その後、新薬によって体調は回復し、10年2月には、保守勢力の結集を目指す超党派議連の「創生『日本』」をつくり、復活の機会をうかがった。
しかし、今回の再挑戦には周囲も慎重だった。所属する町村派からは町村信孝元官房長官(67)が総裁選に立候補し、同派に影響力を持つ森喜朗元首相からは自重を求められた。当初は出馬しても劣勢とみられ、決選投票に残る上位2位以内に入る可能性は低かった。
追い風となったのは尖閣諸島や竹島を巡る中国、韓国とのあつれきだ。中国の反日デモや中国船の領海侵入などを受けて、安倍氏の「日本の領土、領海を断固として守る」との主張が浸透。麻生派や高村派の支持も得て、決選投票で石破茂前政調会長(55)を逆転した。
安倍氏には首相在任中、自らに近い議員を閣僚などで優遇したことから、「お友達内閣」と皮肉られた経験がある。町村氏は26日、記者団に対し「前回、挫折した経験を踏まえて、幅広く党の人材を活用してもらいたい」と注文をつけた。 〔毎日新聞 2012年09月27日 01時30分(最終更新 09月27日 08時54分)〕
今朝ほど携帯にメールが入った。曰く、
IKです。先日、松崎へ行きました。長松寺や大浜にも行きました。帰宅し西伊豆町のホームページ見たら30日に仁科地区見学会開催とのこと。長松寺も見学とあり。いやはや残念です。取り急ぎご報告まで
早速、返信しておいた。曰く、「メールありがとう。早速西伊豆町のホームページを開いてみましょう。」
西伊豆町のHPを開いてみたら、次のような記事があった。
ふるさと再発見!「仁科地区まちあるき会」を開催します! ―― 仁科地区まちづくり協議会では、「ふるさとの宝マップ」を利用して「まちあるき会」を実施しています。今回は、「築地エリア」を中心とした「まちあるき会」を開催します。/西伊豆町に住んでいて知らなかった事や、わからなかった事など、ふるさとを再発見してみませんか?/多くのみなさまのご参加をお待ちしております!
日時 平成24年9月30日(日曜日)午前9時30分から午前11時30分頃まで(※小雨決行)
場所 築地エリア 持ち物 帽子、タオル、飲み物など
内容 築地橋付近に集合し、下記コースを歩きます。
(築地橋→長松寺→神明社→戦線興業→耕地整理記念碑→外部馬頭観音→築地橋)
その他 (1)申込みや参加費用は必要ありませんので、当日現地集合でお願いします。
(2)保険は各自で加入してください。
昨日、町会の回覧で訃報が入った。葬儀一切はごく内々に身内のものだけで行なわれたらしい。同じ町内でもあり、とても気さくなごふじんで、道でお会いするとその都度、声を掛けてくださり、立ち話をしてくださる間柄である。お子さんのH子さん・Mさん・H君は塾友だし、早速近くに住む長女のH子さんに電話して、事情を聞き、遺霊にお参りさせていただくことにする。
今朝ほどT家へお悔やみに参上した。享年82歳、元気なお姿しか拝見していなかったが、H子さんの話によると、突然の死で今も信じられないという。何はともあれ、ご冥福を申し上げる。
薤露歌 (楽府詩集)
薤上露 薤上(かいじょう)の露
何易晞 何ぞ晞(かわ)き易(やす)き
露晞明朝更復落 露は晞(かわ)けども 明朝更に復(ま)た落つ
人死一去何時帰 人は死して一(ひと)たび去れば何(いず)れの時にか帰ら
(訳) 薤(おおにら)の上に降りた露の
何と忽ちに乾くことか
露はたとえ乾いても 明日の朝にはまた戻る
人は一たび死んでしまえば 元に戻るときは無い
安倍新総裁:意地の再挑戦結実…「政権投げ出し」印象今も ―― 自民党総裁に初の返り咲きを果たした安倍晋三元首相(58)を支えたのは、「無念を晴らしたい」(側近)との一念だった。突然の首相辞任から5年−−安倍氏自身、首相在任中の07年参院選の大敗、その後の「政権投げ出し」が、09年の野党転落につながったことを自覚しており、迷いながらの意地の再挑戦だった。次期衆院選で政権を奪還し、自民党結党以来初めてとなる首相再登板を目指す。
「突然首相を辞任し、皆様方に迷惑をかけた。総裁選の勝利で5年前の私の責任が消えるわけではない。この責任をしっかりと胸に刻んで政権奪還に全力を尽くす」
26日午後、自民党本部8階ホール。総裁選を制した安倍氏は口を真一文字に結んだまま壇上に上がり、拳を振りながら意気込みを語った。安倍内閣が総辞職したのは07年9月25日。首相退陣からちょうど5年がたち、再び自民党総裁に就いた。
安倍氏は06年9月、52歳で首相に就任。「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げ、憲法改正などを目指した。在任中、憲法改正手続きを定めた国民投票法や改正教育基本法などが成立。しかし参院選の大敗を経て、持病の潰瘍性大腸炎が悪化し辞任を余儀なくされた。
安倍氏は失意の中で、月刊誌「文芸春秋」(08年2月)に「何より憂えるのは、首相の座を辞したことで保守の理念が色あせることだ」との手記を載せ、無念さをにじませた。その後、新薬によって体調は回復し、10年2月には、保守勢力の結集を目指す超党派議連の「創生『日本』」をつくり、復活の機会をうかがった。
しかし、今回の再挑戦には周囲も慎重だった。所属する町村派からは町村信孝元官房長官(67)が総裁選に立候補し、同派に影響力を持つ森喜朗元首相からは自重を求められた。当初は出馬しても劣勢とみられ、決選投票に残る上位2位以内に入る可能性は低かった。
追い風となったのは尖閣諸島や竹島を巡る中国、韓国とのあつれきだ。中国の反日デモや中国船の領海侵入などを受けて、安倍氏の「日本の領土、領海を断固として守る」との主張が浸透。麻生派や高村派の支持も得て、決選投票で石破茂前政調会長(55)を逆転した。
安倍氏には首相在任中、自らに近い議員を閣僚などで優遇したことから、「お友達内閣」と皮肉られた経験がある。町村氏は26日、記者団に対し「前回、挫折した経験を踏まえて、幅広く党の人材を活用してもらいたい」と注文をつけた。 〔毎日新聞 2012年09月27日 01時30分(最終更新 09月27日 08時54分)〕
今朝ほど携帯にメールが入った。曰く、
IKです。先日、松崎へ行きました。長松寺や大浜にも行きました。帰宅し西伊豆町のホームページ見たら30日に仁科地区見学会開催とのこと。長松寺も見学とあり。いやはや残念です。取り急ぎご報告まで
早速、返信しておいた。曰く、「メールありがとう。早速西伊豆町のホームページを開いてみましょう。」
西伊豆町のHPを開いてみたら、次のような記事があった。
ふるさと再発見!「仁科地区まちあるき会」を開催します! ―― 仁科地区まちづくり協議会では、「ふるさとの宝マップ」を利用して「まちあるき会」を実施しています。今回は、「築地エリア」を中心とした「まちあるき会」を開催します。/西伊豆町に住んでいて知らなかった事や、わからなかった事など、ふるさとを再発見してみませんか?/多くのみなさまのご参加をお待ちしております!
日時 平成24年9月30日(日曜日)午前9時30分から午前11時30分頃まで(※小雨決行)
場所 築地エリア 持ち物 帽子、タオル、飲み物など
内容 築地橋付近に集合し、下記コースを歩きます。
(築地橋→長松寺→神明社→戦線興業→耕地整理記念碑→外部馬頭観音→築地橋)
その他 (1)申込みや参加費用は必要ありませんので、当日現地集合でお願いします。
(2)保険は各自で加入してください。
昨日、町会の回覧で訃報が入った。葬儀一切はごく内々に身内のものだけで行なわれたらしい。同じ町内でもあり、とても気さくなごふじんで、道でお会いするとその都度、声を掛けてくださり、立ち話をしてくださる間柄である。お子さんのH子さん・Mさん・H君は塾友だし、早速近くに住む長女のH子さんに電話して、事情を聞き、遺霊にお参りさせていただくことにする。
今朝ほどT家へお悔やみに参上した。享年82歳、元気なお姿しか拝見していなかったが、H子さんの話によると、突然の死で今も信じられないという。何はともあれ、ご冥福を申し上げる。
薤露歌 (楽府詩集)
薤上露 薤上(かいじょう)の露
何易晞 何ぞ晞(かわ)き易(やす)き
露晞明朝更復落 露は晞(かわ)けども 明朝更に復(ま)た落つ
人死一去何時帰 人は死して一(ひと)たび去れば何(いず)れの時にか帰ら
(訳) 薤(おおにら)の上に降りた露の
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人は一たび死んでしまえば 元に戻るときは無い
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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