瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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aa011115.JPG Shinさんから先月末にコメントをいただき、――屈原の『離騒』にある「路曼曼其修遠兮,吾将上下而求索」という一句はよく人口に膾炙しています(少なくとも中国の人々にとって)。その日本語バージョンをぜひ――ということである。
 『離騒』は現実の楚国の政治に対する屈原の憂国の情を表した2490字に及ぶ詩で、とても、ブログで扱える代物ではない。何時の日にか1冊の冊子にでも纏めたいと思うが、とりあえず「路曼曼其修遠兮,吾将上下而求索」の句を含む第十段に挑戦してみた。

1ebb2cbc.JPG  楚辞 離騒 第十段 埃風上征
 跪敷衽以陳辭兮、耿吾既得此中正;駟玉虯以乘鷖兮、溘埃風余上徵。
 朝發軔於蒼梧兮、夕余至乎縣圃;欲少留此靈瑣兮、日忽忽其將暮。
 吾令義和弭節兮、望崦嵫而勿迫。路曼曼其脩遠兮、吾將上下而求索。
 飲余馬於咸池兮、總余轡乎扶桑。折若木以拂日兮、聊逍遙以相羊。
 前望舒使先驅兮、後飛廉使奔屬。鸞皇為余先戒兮、雷師告余以未具。
 吾令鳳鳥飛騰兮、繼之以日夜。飄風屯其相離兮、帥雲霓而來御。
 紛緫緫其離合兮、斑陸離其上下。吾令帝閽開關兮、倚閶闔而望予。
 時曖曖其將罷兮、結幽蘭而延佇。世溷濁而不分兮、好蔽美而嫉妒。

跪(ひざまづ)き衽(じん)を敷きて以て辞(じ)を陳(の)べ、
耿(あきら)かに吾(われ)既に此の中正(ちゅうせい)を得たり
玉虯(ぎょくきゅう)を駟(し)として以て鷖(えい)に乗り、
溘(たちま)ち風に埃(ほこり)あげて余(よ)上り征(ゆ)く

朝(あした)に軔(じん)を蒼梧(そうご)に発し、
夕に余(よ)縣圃(けんぽ)に至る
少(しばら)く此(こ)の霊瑣(れいさ)に留(とどま)らんと欲すれば、
日は忽忽(こつこつ)として其(そ)れ将(まさ)に暮(く)れんとす

吾(われ)義和(ぎくわ)をして節(せつ)を弭(ゆる)めて、
崦嵫(えんじ)を望んで迫(せま)る勿(な)からしむ
路(みち)は曼曼(まんまん)として其(そ)れ修遠(しゅうえん)なり。
吾(われ)将(まさ)に上下(じょうげ)して求索(きゅうさく)せんとす

余(よ)が馬(うま)を咸池(かんち)に飲(うるお)ひ、
余が轡(くつわ)を扶桑(ふそう)に結(むす)び
若木(じゃくぼく)を折(お)りて以(もっ)て日をはらひ、
聊(しばら)く逍遥(しょうよう)して以(もっ)て相羊(しょうよう)す

望舒(ぼうじょ)を前(まえ)にして先駆(せんく)せしめ、
飛廉(ひれん)を後(あと)にして奔属(ほんぞく)せしむ
鸞皇(らんおう)余(よ)が為(ため)に先戒(せんかい)し、
雷師(らいし)余(よ)に告(つ)ぐるに未(いま)だ具(そな)はらざるを以(もっ)てす

吾(われ)鳳鳥(ほうちょう)をして飛騰(ひとう)せしめ、
之(これ)を継(つ)ぐに日夜(にちや)を以(もっ)てす
飄風(ひょうふう)屯(あつ)まって其(そ)れ相離(あいはな)れ、
雲霓(うんげい)を師(ひき)ゐて来(きた)り御(むか)ふ

紛(ふん)として總總(そうそう)として其(そ)れ離合(りごう)し、
斑(はん)として陸離(りくり)として其(そ)れ上下(じょうげ)す
吾(われ)帝閽(ていこん)をして関(かん)を開かしめんとすれば、
閭闔(しょうこう)に倚(よ)りて予(よ)を望(のぞ)む

時(とき)曖曖(あいあい)として其(そ)れ将(まさ)に罷(きわ)まらんとす。
幽蘭(ゆうらん)を結(むす)んで延佇(えんちょ)す
世(よ)溷(こん)して分(わか)れず、
好(こ)んで美(び)を蔽(おお)ひて嫉妬(しっと)す

(訳)
けれども衣の衽(おくみ)を敷いて跪きわが辞(ことば)を述べ終わると
私は明らかに正しい道に適っていることを感じた。
そこで四つの虬(みずち)に曳かせて鷖(えい)の車に乗り
たちまち風を迎えて空に昇った。

朝 蒼悟(舜を葬った所)から出で立って
夕べには崑崙の県圃(けんぽ、山上の神の住居)に着いた
しばらくこの天門に休もうとすれば
日は見る見るうちに暮れかかる

日の御者(ぎょしゃ)義和(ぎくわ)に歩みをゆるませ
崦嵫(日の沈む山)の山に近づかせず
はるばる遠く長い路(みち)を
上り下ってわがよきひとを捜(さが)し求めよう

わが馬に咸池(太陽が昇るとき水浴びする所)で水飲ませ
手綱を扶桑(日の昇ってくる所にある木)の木に結び
若木を折って日を払い
しばらく辺りを逍遥しよう

望舒(月の御者)を先駆(せんく)に立て
飛廉(風の神)を後(あと)に従(したが)え
鸞凰(らんおう)は私のため道を払うが
雷神(らいじん)はまだまだ供ぞろえが足らぬという

そこで鳳凰をたかく飛ばせ
夜を日についでいそがせれば
諷風(つむじかぜ)はどっと集まりまたちって
雲や霓(にじ)をつれて出迎える

わが行列はむらがりまた散って
乱れきらめき上下する
さて天門を開けさせようとすれば
門番は門に寄りかかって黙って私を見ているだけ

日は薄暗く暮れかかるに
幽蘭を結んで私の心を伝えようと空しく佇むばかり
世は乱れ濁って善し悪しも分かたず
ここでも好んで人の美徳を蔽い嫉むのか

fbdeb959.JPG 四匹の竜に曳かせ鳳を車として、風に乗って空に舞い上がり、屈原の幻想的「天井遍歴」の始る件(くだり)である。香草や、霊鳥や、自然の神々がつぎつぎにあらわれ、まことに絢爛。とともに、何処を尋ねても、自分を求めるもののない、諦めきれぬ深い憂鬱が執拗に全編を蔽うのである。
 

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無尽蔵な瘋癲爺
 わざわざ屈原の『離騒』の一部を取り上げてくださり、まことにありがとうございます。「はるばる遠く長い路を上り下ってわがよきひとを捜し求めよう」というのは、ほんとうに名文ですね。
 ところで、屈原はここで「扶桑」という言葉を使っていますね。実は、昔から中国の知識人たちは日本という国を「扶桑」と呼ぶことがあります。しかも「扶桑」の訳が「日の昇ってくる所」というのはもっと興味深いです。当初、聖徳太子が隋に出した国書には、もともと隋の朝貢国の地位にある日本のアイデンティティを強調したく、意図的に「日の出る処…」と書き、煬帝を激怒させたのですね。この「日の出る処」は、屈原からすれば「扶桑」のことです。目から鱗が落ちました!
シン 2011/08/03(Wed) 編集
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