瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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78fc0572.jpg 本日は、66回目の原爆の日。
 隅田川ではユリカモメの姿はまったく見られなくなったが、あちこちでカワウが見られる。水面に浮かぶカワウはカメラに収めるのが難しい。すぐに水に潜り、一旦潜ると、長時間水中にあり、何処に出てくるか見当もつかぬ。


  萬歳樓  唐 王昌齡
 江上巍巍萬歳樓、 江上(くゎうじゃう)巍巍(ぎぎ)たり  萬歳樓、
 不知經歴幾千秋。 知らず幾千秋を經歴(きょうりゃく)せしかを。
 年年喜見山長在、 年年 喜び見る 山の長(とこしな)へに 在(あ)るを、
 日日悲看水獨流。 日日 悲しみ看る 水の獨(ひと)り 流るるを。
 猿狖何曾離暮嶺、 猿狖(ゑんいう) 何ぞ 曾(かつ)て  暮嶺を 離れんや、
 鸕鶿空自泛寒洲。 鸕鶿(ろじ)空(むな)しく 自(おのづか)ら寒洲に泛(う)かぶ。

 長江のほとりら聳え立つ万歳楼は/行く専念を経てきたことか/年毎に何時も変わらぬ山の姿を見るのはうれしいが/日ごと ひとり流れる川水を眺めては悲しみに沈む/悲しげに鳴く猿さえ夕暮れの峰から離れたことはないものを/鵜の鳥がうら枯れた中州辺りに浮かぶにも似た私の境涯/雲霧の立ちこめる中を楼上から望む思いに誰が堪えられよう/夜も近づけば辺りはただ茫茫 旅愁のみがわきおこる

4c5d63fa.JPG 王昌齢は太原の人、一説には京兆(長安)の人または江寧(南京)の人。字は少伯。開元15(727)年の進士。校書郎・范水(河南省成皋の付近)の尉・江寧の丞などをつとめたが、素行を慎まないという理由で竜標(湖南省黔陽)の尉として流された。安録山の乱のとき、混乱にまぎれて郷里へ帰ったが、刺史の閭丘曉に殺された。

 朝食後、大宰府の姉から、電話有。しばし、66年前の広島での思い出を話す。とにかく、姉は86歳、この爺は79歳―― よくもこの年まで生き延びたものだ。

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世界の平和を祈りつつ
 平和は、必要悪の政治に頼ることではなく、草の根から、人間と人間のつながりから始まるだろうと思います。
シン 2011/08/06(Sat) 編集
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目高 拙痴无
年齢:
92
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
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