瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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桑を詠める歌
 桑はクワ科の落葉高木です。雌雄異株か雌雄同株です。4月頃から花をつけ、5月頃から赤い実をつけます。実は、夏になると黒く熟して食べられるようになります。
 蚕のえさになることで知られていますね。養蚕(ようさん)は古代から盛んでしたが、えさには、葉が大きなヤマグワの葉が使われました。桑は霊力のある木と考えられていたようです。
 
巻7-1357: たらちねの母がそのなる桑すらに願へば衣に着るといふものを
 
12-3086: なかなかに人とあらずは桑子にもならましものを玉の緒ばかり
         () 桑そのものを詠んだ歌ではありません。
 
14-3350: 筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣しあやに着欲しも
 
ウェブニュースより
 任命除外、首相「私が判断」 枝野氏「支離滅裂」と批判 ―― 菅義偉首相が就任して初の国会で、28日午後の衆院代表質問では自民党と立憲民主党の3人が質問に立った。このうち立憲の枝野幸男代表は質問後、菅首相の答弁について、記者団に「ほとんど正面からのお答えはなかった」と批判した。
 
 枝野氏は、日本学術会議の会員候補6人の任命除外をめぐる首相の答弁に対し、「全員の名前の載った名簿は見ていないにもかかわらず、出身校とかのバランスをとって自分が判断したと。全体の105名の名簿を見ていないのに、バランスをとって『自分が判断した』という支離滅裂の答弁を堂々となさった。これだけでも辞職ものだ」と語った。  (朝日新聞DIGITAL 20201028 1752)


 

紅花を詠める歌8
19-4160: 天地の遠き初めよ世間は常なきものと.......(長歌)
標題:悲世間無常謌一首并短謌
標訓:世間(よのなか)の常(つね)無きを悲しびたる謌一首并せて短謌
 
原文:天地之 遠始欲 俗中波 常無毛能等 語續 奈我良倍伎多礼 天原 振左氣見婆 照月毛 盈興之家里 安之比奇能 山之木末毛 春去婆 花開尓保比 秋都氣婆 露霜負而 風交 毛美知落家利 宇都勢美母 如是能未奈良之 紅能 伊呂母宇都呂比 奴婆多麻能 黒髪變 朝之咲 暮加波良比 吹風能 見要奴我其登久 逝水能 登麻良奴其等久 常毛奈久 宇都呂布見者 尓波多豆美 流啼 等騰米可祢都母
           万葉集 巻19-4160
        作者:大伴家持
よみ:天地し 遠き初めよ 世の中は 常なきものと 語り継ぎ 流らへ来たれ 天つ原 振り放け見れば 照る月も 満ち起きしけり あしひきの 山し木末(こづゑ)も 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜負()ひて 風交り もみち散りけり うつせみも かくのみならし 紅(くれなゐ)の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪変り 朝し咲()み 夕変らひ 吹く風の 見えぬがごとく 行く水の 止まらぬごとく 常もなく うつろふ見れば にはたづみ 流るる涙 留めかねつも
意訳:天地創造の遠い昔の初めから、世の中は定まるものがないものだと、語り継がれて、時を流れて来ました。天の原を振り仰いで眺めると、照る月も満ち昇ってきます。葦や檜の生える山の梢も、春になって来ると花が咲きほこり、秋になると、霜露を負って吹く風に交じって黄葉が散ります。この世も、このような姿です。紅の顔色もやがて移ろい衰え、漆黒の黒髪も変わり、朝に幸福の頬笑みも、夕べには変わってしまい、吹く風の姿が見えないように、流れ逝く水が留まらないように、定まることなく、流れ逝くと、庭に溢れるように、流れる涙は、留めることができません。
19-4192: 桃の花紅色ににほひたる面輪のうちに.......(長歌)
  


ウェブニュースより
 河井案里被告が保釈 逮捕から4カ月ぶり―マスク取り一礼・参院選大型買収 ―― 昨夏参院選をめぐる大型買収事件で、公選法違反(買収、事前運動)罪に問われた参院議員、河井案里被告(47)について、東京地裁は27日、保釈を認める決定をした。保釈保証金1200万円は即日納付され、被告は同日夜、東京拘置所から保釈された。
 
 案里被告の身柄拘束が解かれたのは、夫で衆院議員の元法相克行被告(57)と共に6月18日に逮捕されて以来、約4カ月ぶり。検察側は決定を不服として抗告したが、東京高裁は棄却した。
 案里被告は午後9時前、拘置所の建物を出た。薄紫色のセーターに灰色のズボン姿で、集まった約100人の報道陣に向かってマスクを取り一礼。淡々とした表情で再びマスクを着けると、迎えの黒いワンボックスカーに乗り込み、拘置所を後にした。
 案里被告は公判で無罪を主張している。弁護人が16日に5回目の保釈請求をし、同被告も現在の心情などを記した上申書を地裁に提出していた。
 夫妻の公判は当初、同じ法廷で進められたが、9月16日以降分離された。案里被告の公判は克行被告や事務所スタッフ、現金を受け取った地元議員らの証人尋問が終わり、1113日から被告人質問が行われる予定。地裁は審理が進んだことから、証拠隠滅の恐れがなくなったと判断し、保釈を許可したとみられる。    (JIJI.COM 202010272129)


 

ウェブニュースより
 ドラフト会議 4球団1位競合 佐藤輝明は阪神 早川隆久は楽天 ―― プロ野球のドラフト会議が行われ、大学屈指の強打者、近畿大の佐藤輝明選手と最速155キロの早稲田大の早川隆久投手は、ともに4球団が1位で指名し、抽せんの結果、佐藤選手は阪神、早川投手は楽天がそれぞれ交渉権を獲得しました。
 ドラフト会議は午後5時すぎから東京都内のホテルで始まり、12球団の代表者が選手の指名を行いました。
 このうち関西学生野球の通算ホームラン記録を更新した近畿大の佐藤選手はオリックス、阪神、ソフトバンク、巨人の合わせて4球団が1位で指名し、抽せんの結果、阪神が交渉権を獲得しました。
 そしてことし秋のリーグ戦で圧倒的なピッチングを見せている最速155キロの早稲田大の早川投手は、ヤクルト、楽天、西武、ロッテの合わせて4球団が1位で指名し、抽せんの結果、楽天が交渉権を獲得しました。
 このほか最速156キロの苫小牧駒沢大の伊藤大海投手は、地元の日本ハムが単独で1位指名し交渉権を獲得しました。
 また中日も高校生ナンバーワンとも評価される地元の愛知・中京大中京高校の高橋宏斗投手を単独で1位指名し交渉権を獲得しました。
 このほか、広島がトヨタ自動車の栗林良吏投手、DeNAが明治大の入江大生投手を単独で1位指名し交渉権を獲得しました。
 このあと2回目の1位指名では、法政大の鈴木昭汰投手をロッテとヤクルトが指名し、抽せんの結果、ロッテが交渉権を獲得しました。
 さらにオリックスが福岡大大濠高校の山下舜平大投手、西武が桐蔭横浜大の渡部健人選手、ソフトバンクが埼玉の花咲徳栄高校の井上朋也選手、巨人が亜細亜大の平内龍太投手の交渉権をそれぞれ獲得しました。
 3回目の1位指名で、ヤクルトが慶応大の木澤尚文投手の交渉権を獲得しました。
 
 また、巨人は東海大の山崎伊織投手を2位指名しました。
 山崎投手は3年生の時には春と秋のリーグ戦で最高殊勲選手に選ばれましたが、ことし春に「トミー・ジョン手術」と呼ばれる右ひじのじん帯の修復手術を受け、今シーズン実戦登板が1回もありません。
 さらに巨人は育成ドラフト6位でチームでキャプテンを務める坂本勇人選手と同姓同名の佐賀・唐津商業の坂本勇人選手を指名しました。
 
 日本ハムは中央大の五十幡亮汰選手を2位指名しました。五十幡選手は中学3年生の時に全国中学校体育大会の陸上男子100メートルと200メートルで、100メートルの日本記録保持者サニブラウン アブデル・ハキーム選手に勝って優勝し、「サニブラウンに勝った男」として知られています。
田澤は指名なし
 一方、大リーグでプレーした独立リーグ、BCリーグ埼玉の田澤純一投手はドラフト会議で指名がありませんでした。
 34歳の田澤投手は社会人野球からプロ野球を経ずに直接、大リーグに挑戦し、レッドソックスでは2013年に中継ぎとしてワールドシリーズ制覇に貢献しました。
 
 ことし3月、レッズを自由契約となり、7月にBCリーグ埼玉に入団しました。
 田澤投手をめぐっては、プロ野球のドラフト会議で指名を拒否して海外の球団と契約した選手が日本に戻っても契約が切れてから▽高校からの場合は3年間、大学と社会人野球からの場合は2年間、プロ野球の球団と契約できないいわゆる「田澤ルール」が撤廃されました。
 このため、ことしのドラフト会議から田澤投手を指名できるようになりましたが、指名をする球団はありませんでした。   (NHK NEWS WEB 20201026 2222)

 秋場所優勝の正代が新大関 11月場所新番付 ―― 日本相撲協会は26日、福岡から東京へ会場を移して開催される大相撲11月場所(8日初日、両国国技館)の新番付を発表し、秋場所で初優勝した新大関の正代は東の2番目に就いた。先場所、西前頭筆頭で10勝を挙げた隆の勝は新関脇。千賀ノ浦部屋からは初めての新三役となった。
 
 大関貴景勝が東の正位、大関朝乃山は西に座った。御嶽海は3場所連続の関脇。照ノ富士が2017年九州場所以来、17場所ぶりの三役復帰で、初めて小結に就いた。大関経験者が平幕に陥落した後に初の小結は史上初。元三役が序二段降下後に三役復帰も史上初となった。高安は再小結。今年初場所以来、4場所ぶりの三役となった。先場所、新入幕で11勝した翔猿は西前頭4枚目。
 
 新入幕は天空海。千代の国は9場所ぶりに幕内に復帰した。幕内から幕下以下陥落後に再入幕を果たす経験を2回したのは、11年秋場所の玉飛鳥以来、史上3人目。幕下から十両1場所での入幕は13年秋場所の遠藤以来となった。他に琴ノ若、琴勇輝、千代翔馬も幕内に復帰した。
   
    (日本經濟新聞 2020/10/26 6:00)


 

紅花を詠める歌7
19-4156: あらたまの年行きかはり春されば.......(長歌)
標題:潜鵜謌一首并短謌
標訓:鵜を潜けたる謌一首并せて短謌
原文:荒玉能 年徃更 春去者 花耳尓保布 安之比奇能 山下響 墜多藝知 流辟田乃 河瀬尓 年魚兒狭走 嶋津鳥 鵜養等母奈倍 可我理左之 奈頭佐比由氣波 吾妹子我 可多見我氏良等 紅之 八塩尓染而 於己勢多流 服之襴毛 等寳利氏濃礼奴
            万葉集 巻19-4156
          作者:大伴家持
よみ:あらたまの 年行きかはり 春されば 花のみにほふ あしひきの 山下響み 落ち激ち 流る辟田の 川の瀬に 鮎子さ走る 島つ鳥 鵜養伴なへ 篝さし なづさひ行けば 我妹子が 形見がてらと 紅の 八しほに染めて おこせたる 衣の裾も 通りて濡れぬ
 
意訳:年が代わって春になると花々が咲きにおう。山のふもとを轟かして、激しく落下して流れくだる辟田(さきた)川。その川の瀬では鮎がすいすいと走る。鵜飼いの人々を伴って、篝火をかざして難渋しながら川を行くと、我が妻が形見と思って下さいと、紅色に幾度も染めて送ってくれた着物、その着物が水に濡れる


19-4157: 紅の衣にほはし辟田川絶ゆることなく我れかへり見む
原文:紅<> 衣尓保波之 辟田河 絶己等奈久 吾等眷牟
よみ:紅の衣にほはし辟田川絶ゆることなく我れかへり見む
意訳:紅の着物を美しく染める辟田(さきた)川、幾度もまたやってこよう。

ウェブニュースより
 核禁止条約21年発効も… 保有国含まれず実効性疑問視 ――核兵器の保有や使用を全面的に禁じる核兵器禁止条約(TPNW)の発効が決まった。歓迎する声がある一方で、核保有国は核戦力を安全保障の中核に据えており、核兵器廃絶への道のりは遠いのが実情だ。日本は唯一の戦争被爆国だが、安保環境は厳しさを増しており、批准には慎重だ。
 
 同条約を推進してきたオーストリアのクルツ首相は25日、大量破壊兵器によるリスクと永続的な脅威は容認できないとし、「私たちは核兵器のない世界という目標に近づく重要な一歩を踏み出した」とのコメントを発表した。
 17年に同条約採択への功績でノーベル平和賞を受賞した非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のベアトリス・フィン事務局長も「条約の発効で核保有国に核軍縮と将来の枠組み参加への圧力をかけられる」と期待を示す。
 しかし、条約を批准した50カ国・地域には核保有国は1つも含まれず、実効性を疑問視する意見もある。
 世界の核兵器の大半を保有する米国とロシアのほか、中国と英国、フランスの5カ国は現状の核拡散防止条約(NPT)の枠組みの中で核軍縮を進めるべきだとの立場だ。
 AP通信によると、米国は批准国に送った書簡で、改めて同条約に反対する立場を表明し、核保有5カ国と北大西洋条約機構(NATO)の同盟国が「(条約の)潜在的な影響への反対で一致している」と懸念を示した。
 スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の推定によると、201月時点の核兵器保有数は約13千発と前年比で3%減ったものの、中国は前年より30発多い320発となった。インドも1020発多い150発となり、北朝鮮も保有数を増やしたとみられる。
 
 日本政府は核兵器の廃絶という目標には共感を示すものの、同条約への参加には慎重姿勢を崩していない。北朝鮮の核開発や中国の軍備増強など、安保環境が厳しさを増すなか、米国の「核の傘」による抑止力を維持・強化していくことが現実的だとの立場だ。
 日本政府は、同条約には「安全保障の観点が踏まえられていない」と説明する。加藤勝信官房長官は「核兵器保有国のみならず、非核兵器国からも必ずしも支持を得ている状況ではない」と指摘する。
 核兵器を保有しない国や地域では、既存の核保有国が核兵器を独占しているとの批判が根強い。中東ではイランの核開発疑惑を巡り、周辺諸国が核兵器の開発に乗り出す「核ドミノ」が起きるとの懸念も浮上している。
 2月には米国とロシアの軍縮枠組みである新戦略兵器削減条約(新START)の期限が切れる。米大統領選の前に合意を目指すトランプ大統領と、軍拡競争につながる条約失効を避けたいロシアのプーチン政権との交渉が大詰めだ。条約を1年延長し、その間の核弾頭保有数の凍結で合意する見通しだ。中国の軍縮参加や制限対象拡大などの問題は棚上げされる可能性が大きい。    (日本經濟新聞 2020/10/25 22:00)


 

紅花を詠める歌6の続き
 家持は続けて詠います。
(くれない)は うつろふものぞ 橡(つるはみ)の なれにし衣(きぬ)に なほ及()かめやも (18-4109)
 【大意】紅(くれない)は見た目はいくら美しくとも、すぐ色あせるものだ。くぬぎで染めた着古しの衣(ころも)に、優るところなどありはしないのに。
 これを聞いた少咋(おくい)は、心動かされずにはいられなかったのでしょう。家持の説得を受け入れて、都から妻を呼び寄せるため、使いを出すことにしたようです。
 ところが、家持の説得の二日後に、急転直下、事態は予想もしない方向に進みます。
 題詞によれば、「先の妻、夫の君の喚()す使(つかい)を待たず、自ら来たる時よめる歌一首」とあり、越中にいる少咋(おくい)が、都の妻を呼び迎えるための使いを出したのに、その使いも待たずに、何と妻自(みずか)ら、都から早馬に乗って、左夫流子(さぶるこ)が本妻気取りで振るまっている館(やかた)へ、里中鳴り響くばかりに乗りこんできたのです。
 左夫流児(さぶるこ)が 齊(いつ)しき殿(との)に 鈴(すず)()けぬ 駅馬(はゆま)下れり 里(さと)もとどろに (18-4110)
 【大意】いやはや、左夫流子(さぶるこ)が本妻気取りでお仕えしていた館(やかた)に、駅鈴(えきれい)もつけない私用の早馬で本妻が乗りこんできたぞ。里はもう野次馬たちで大騒ぎだ。
 
 これまた、修羅場必至の大変な状況になってしまいましたが、驚くのは、当時、奈良の都から北陸の越中(富山)までの片道10日もかかる道のりを、道路事情もよくない中、自(みずか)ら私用の早馬を仕立ててやってくる少咋(おくい)の妻の行動力というか、逞(たくま)しさです。
 どうやら彼女は、家持が上記の長歌で描き、かつ想像していたような、都で夫の帰りをいじらしく健気に待っているだけの、か弱い女性ではなかったようです。
 大仰に誇張を交えながら、ユーモラスに詠われた上記の歌から、苦笑する家持の姿が見えるようです。
 結局、家持の心配も、少咋(おくい)の妻の並外れた行動力でどうやら杞憂(きゆう)に終わったようで、一件落着といった感じですね。
 いずれにしても、今から1300年前に起こった不倫劇の顛末が、こんなにも目の前に見えるような臨場感をもってリアルかつコミカルに感じられるのは、家持の歌のお陰です。


 

紅花(くれない)を詠んだ歌6
18-4109: 紅はうつろふものぞ橡のなれにし来ぬになほしかめやも
 
大伴家持の歌-部下の不倫男を教え諭す
 時は天平勝宝元年(西暦749年)五月十五日、家持32歳のときの歌です。
 当時、家持は越中国(富山県から能登半島を含む北国一帯の地域)に国司(くにのつかさ)として赴任していましたが、都から連れてきた史生(ししょう=書記官)の一人に、尾張少咋(おわりのおくい)という男がいました。
 この男、単身赴任の淋しさに耐えかねたのか、現地の遊女 左夫流子(さぶるこ)という女性にすっかり夢中になり、入れ揚げた挙句、都に残してきた妻をさしおいて、彼女を現地妻のように扱っていたようです。
 それのみか、少咋(おくい)は、毎朝、左夫流子(さぶるこ)の家から役所に出勤していたようで、その姿を里人たちに見られ、物笑いの種となっていました。
 その様子が、家持の歌に次のように詠われています。
 里人の 見る目恥()づかし 左夫流児に 惑(さど)はす君が 宮出(みやで)後風(しりぶり) (18-4108)
【大意】まったく、この私まで恥ずかしいよ。左夫流児に血迷って、君がいそいそと出勤していく後姿を里人たちが笑っているのを見ると。
 心配した家持は、部下の尾張少咋に、まず当時の法律である「七出(しちしゅつ)」と「三不去(さんふきょ)」を引き合いに出し、正当な理由がなければ妻を離縁できないことを教え諭します。
 「七出」とは、妻を離婚できる条件を定めたもので、(1)五十歳になっても男子が生まれない、(2)姦淫、(3)舅姑(しゆうとしゆうとめ)につかえない、(4)悪言して他人に害をあたえる、(5)盗窃、(6)嫉妬、(7)悪い病気 の七つのうち、妻が一つでも犯せば離婚できました。反対に、これらに該当しない場合は離婚できません。該当しないのに離婚すれば、夫は一年半の徒刑(とけい=懲役)に処せられました。
 次に「三不去(さんふきょ)」ですが、次の三つのうち、妻が一つでも満たせば、「七出(しちしゅつ)の事由があっても離婚できません。
 (1)妻が舅姑(しゆうとしゆうとめ)の喪(3年間)に服した場合 (2)貧賤(ひんせん)のときに妻を娶(めと)り現在富貴(ふうき)となっている場合 (3)妻の実家がすでにない場合
 さらに重婚は、現地妻でも禁止で、男の重婚は徒刑(とけい=懲役)1年、女の重婚は杖刑(木製の杖をもって背中または臀部を打つ)百回の刑でした。
 また歌の題詞には、次のような言葉が残されており、この問題に関する家持の考え方がうかがわれます。わかりやすく現代語訳で示します。
 「謹んで考えるに、以上の数か条は、世に法を敷く基盤であり、人を徳へ導く源である。したがって義夫の道とは、人情としては夫婦は平等とする点にあり、ひとつの家で財産を共有するのが当然である。どうして古い妻を忘れ新しい女を愛する気持ちなどあってよかろうか。そこで、数行の歌を作り、古い妻を捨てる迷いを後悔させようとするものである。」
 家持はこのように語った後、今度は長歌を詠んで、少咋の心情に直接語りかけます。
 大汝(おほなむち)少彦名(すくなひこな)の神代より云ひ継ぎけらく 父母を 見れば尊く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しくめぐし 現世(うつせみ)の 世の理(ことわり)と かくさまに 云ひけるものを 世の人の 立つる言立(ことだ)て ちさの花 咲ける盛(さか)りに はしきよし その妻の子と 朝夕(あさよひ)に 笑()みみ笑()まずも うち嘆き 語りけまくは 永久(とこしえ)に かくしもあらめや 天地の 神言(かむこと)寄せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りそ 離れ居て 嘆かす妹(いも)が 何時しかも 使の来むと 待たすらむ 心寂(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ)(はふ)りて 射水川(いみづかは) 流る水沫(みなは)の 寄る辺()なみ 左夫流(さぶる)その児()に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居() 奈呉(なご)の海の 奥を深めて 惑(さど)はせる 君が心の 術(すべ)も術なさ (18-4106)
 
 【大意】大汝命 (おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の神代(かみよ)から言い伝えられたことに、「父母を見れば貴く、妻子を見ればせつなくいとしい。(うつせみの)世間の道理だ、これが」と、このように言ってきたのに、これが世の人の立てる誓いの言葉であるのに。ちさの花の咲いている盛(さか)りの時に、いとしいその妻である人と、朝夕に時には笑顔、時には真顔で、ため息まじりに語りあったことは、「いつまでもこうしてばかりいられようか。天地の神々がうまく取り持ってくださって、春花のような盛りの時も来るだろう」と、待()っておられた盛りの時なのだ、今は。離れていて嘆いておられるあの方が、いつになったら使いが来るのかとお待ちになっているその心は淋しいことだろうに、南風が吹いて雪解け水が溢れ、射水河(いみずがわ)の流れに浮かぶ水泡(みなわ)のように、拠()り所もなくて、左夫流(さぶる)という名の女に、(ひものをの)くっつき合って、(にほどりの)ふたり並んで、(なごのうみの)心の奥底までも迷っている君の心の、なんともどうしょうもないことよ。
 あおによし 奈良にある妹が 高々に 待つらむ心 然にはあらじか (18-4107)
 【大意】奈良にいる奥さんが、爪先だって、今か今かと待っているだろうに。妻の心というのは、そういうものではないのか。そのいじらしい心を哀れと思わないのか、君は。
 いかがでしょうか。家持は、都で待つ少咋の妻の心に寄り添い、あたかも彼女になり代わって、相手の心に切々と訴えます。
 それにしても、当時、家持は大国である越中国の国守の地位にありました。その国守みずからが、部下である一書記官の身の上話に、これだけ親身になって、長文の歌まで作って関わってくれるでしょうか。普通ではなかなか考えられることではないと思います。
 これは家持の生来の性格、すなわち感受性が高く、とても繊細で、常に相手の心に深く寄っていくという姿勢・生き方が関係しているように思います。
 たぶん家持には、都で待つ少咋(おくい)の妻の心が痛いほどわかり、情景が見えるほど、それが胸に迫ってきたのでしょう。国守という立場を超えて、本当に居ても立っても居られない気持ちで、この問題に深入りしたような気がします。
 上の長歌を読めば、少咋(おくい)は、貧しい暮らしから妻と助け合って、家持の下で、史生(ししょう=書記官)という地位にまで出世していたようです。
 ならば、やっと「春花の盛り」の時を迎えた今こそ、今まで支えてくれた妻とともに日々の生活を楽しむべきではないのか。それなのに、射水河(いみずがわ)の流れに浮かぶ水泡(みなわ)のように浮かれて、左夫流(さぶる)なんて娘に、紐(ひも)の緒()の縺(もつ)れるように、にほ鳥のように二人仲良くくっつきあって、奈呉(なご)の海の底までのめり込んで血迷っている君の心は、もうどうしようもないほど愚かだ。家持の嘆きはもっともです。        
(明日のブログに続く)


今朝の朝の散策で、リバーサイドスポーツセンターのプール前で、O師夫妻と出会いました。早速夫人が写真を撮ってくださいました。


 

紅花(くれない)を詠んだ歌5
17-3969: 大君の任けのまにまにしなざかる.......(長歌)
題詞:更贈歌一首[并短歌]
題訓:更に贈れる歌一首幷短歌

題詞:
含弘之徳垂恩蓬体不貲之思報慰陋心 載荷<来眷>無堪所喩也 但以稚時不渉遊藝之庭 横翰之藻自乏<>彫蟲焉 幼年未逕山柿之門 裁歌之趣 詞失<>聚林矣 爰辱以藤續錦之言更題将石間瓊之詠 <>是俗愚懐癖 不能黙已 仍捧數行式酬嗤咲其詞曰
題訓:含弘(がんこう)の徳は、恩を蓬軆(ほうたい)に垂れ、不貲(ふし)の思は、陋心(ろうしん)に報(こた)へ慰(なぐさ)む。未春(みしゅん)を戴荷(たいか)し、喩(たと)ふるに堪()ふることなし。但、稚き時に遊藝(いうげい)の庭に渉(わた)らざりしを以ちて、横翰(わうかん)の藻は、おのづから彫蟲(てんちゆう)に乏し。幼き年にいまだ山柿の門に逕(いた)らずして、裁謌(さいか)の趣は、詞を聚林(じゅうりん)に失ふ。爰(ここ)に藤を以ちて錦に續ぐ言(ことば)を辱(かたじけな)くして、更に石を将ちて瓊(たま)に間(まじ)ふる詠(うた)を題(しる)す。因より是俗愚(ぞくぐ)をして懐癖(かいへき)にして、黙已(もだ)をるを能(あた)はず。よりて數行を捧げて、式()ちて嗤咲(しせう)に酬(こた)ふ。その詞に曰はく、  (酬は、酉+羽の当字)
標訳:貴方の心広い徳は、その恩を賤しい私の身にお与えになり、測り知れないお気持ちは狭い私の心にお応え慰められました。春の風流を楽しまなかったことの慰問の気持ちを頂き、喩えようがありません。ただ、私は稚き時に士の嗜みである六芸の教養に深く学ばなかったために、文を著す才能は自然と技巧が乏しいままです。また、幼き時に山柿の学門の水準に到らなかったために、詩歌の良否を判定する感性においては、どのような詞を選ぶかを、多くの言葉の中から選択することが出来ません。今、貴方の「藤を以ちて錦に續ぐ」と云う言葉を頂戴して、更に石をもって宝石に雑じらすような歌を作歌します。元より、私は俗愚であるのに癖が有り、黙っていることが出来ません。そこで数行の歌を差し上げて、お笑いとして貴方のお便りに応えます。その詞に云うには、
             万葉集 巻17-3969
       作者:大伴家持
原文:於保吉民能 麻氣乃麻尓々々 之奈射加流 故之乎袁佐米尓 伊泥?許之 麻須良和礼須良 余能奈可乃 都祢之奈家礼婆 宇知奈妣伎 登許尓己伊布之 伊多家苦乃 日異麻世婆 可奈之家口 許己尓思出 伊良奈家久 曽許尓念出 奈氣久蘇良 夜須<>奈久尓 於母布蘇良 久流之伎母能乎 安之比紀能 夜麻伎敝奈里? 多麻保許乃 美知能等保家<> 間使毛 遣縁毛奈美 於母保之吉 許等毛可欲波受 多麻伎波流 伊能知乎之家登 勢牟須辨能 多騰吉乎之良尓 隠居而 念奈氣加比 奈具佐牟流 許己呂波奈之尓 春花<> 佐家流左加里尓 於毛敷度知 多乎里可射佐受 波流乃野能 之氣美<>妣久々 鴬 音太尓伎加受 乎登賣良我 春菜都麻須等 久礼奈為能 赤裳乃須蘇能 波流佐米尓 々保比々豆知弖 加欲敷良牟 時盛乎 伊多豆良尓 須具之夜里都礼 思努波勢流 君之心乎 宇流波之美 此夜須我浪尓 伊母祢受尓 今日毛之賣良尓 孤悲都追曽乎流
よみ:大君の 任けのまにまに しなざかる 越を治めに 出でて来し ますら我れすら 世間の 常しなければ うち靡き 床に臥い伏し 痛けくの 日に異に増せば 悲しけく ここに思ひ出 いらなけく そこに思ひ出 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山きへなりて 玉桙の 道の遠けば 間使も 遣るよしもなみ 思ほしき 言も通はず たまきはる 命惜しけど せむすべの たどきを知らに 隠り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに 春花の 咲ける盛りに 思ふどち 手折りかざさず 春の野の 茂み飛び潜く 鴬の 声だに聞かず 娘子らが 春菜摘ますと 紅の 赤裳の裾の 春雨に にほひひづちて 通ふらむ 時の盛りを いたづらに 過ぐし遣りつれ 偲はせる 君が心を うるはしみ この夜すがらに 寐も寝ずに 今日もしめらに 恋ひつつぞ居る
 
意訳:大君のご命令のままに遠い遠い越中の国を治めるために都から出てきた。男気であるべき私ですら、世の中は常ならずぐったりと床に伏してしまった。苦痛は日に日に増さり、悲しいことに思いがいき、つらいことも思ったりして、嘆いていると、心安らかではありません。思えば思うほど苦しい。都とは山々を隔たっており、玉桙の道は遠く、妻と私の間を行き来する使いをやる手だてもない。思っていることの言葉も交わせない。限りある命、どうしていいかその手だても知らず、独り家に居て思い嘆き、慰める心も見あたらない。春の花が咲く盛りなのに思う仲間と花を手折ってかざすこともできない。春の野には木の茂みをくぐり抜けて鳴くウグイスがいるだろうにその声も聞かずにいる。また娘子(おとめ)たちが春の菜をつもうと、くれないの赤裳の裾を春雨に美しく濡らして通うだろう。そんな春の盛りなのに、いたずらに時を過ごしています。ただ貴君のことが思い出され、うるわしくありがたく、夜もすがら眠ることが出来ず、今日もしんみりと貴君を恋い続けています。
左注:三月三日大伴宿禰家持
注訓:三月三日大伴宿禰家持

17-3973: 大君の命畏みあしひきの山野さはらず.......(長歌)
標題:七言、晩春三日遊覧一首并序
標訓:七言、晩春の三月三日に遊覧せる一首并せて序

標題
:上巳名辰、暮春麗景、桃花昭瞼以分紅、柳色含苔而競緑。于時也、携手曠望江河之畔、訪酒迥過野客之家。既而也、琴樽得性、蘭契和光。嗟乎、今日所恨徳星己少欠。若不扣寂含之章、何以逍遥野趣。忽課短筆、聊勒四韻云尓、
餘春媚日宜怜賞 上巳風光足覧遊
柳陌臨江縟袨服 桃源通海泛仙舟
雲罍酌桂三清湛 羽爵催人九曲流
縦酔陶心忘彼我 酩酊無處不淹留
三月四日、大伴宿禰池主
標訓:上巳の名辰(めいしん)は、暮春の麗景(れいけい)、桃花(とうくわ)瞼を昭()かし以ちて紅(くれなゐ)を分ち、柳は色を含みて苔(こけ)と緑を競う。その時に、手を携へて曠(はる)かに江河の畔を望み、酒を訪(とぶら)ひて迥(はる)かに野客の家を過ぐ。既にして、琴樽(きんそん)の性(さが)を得、蘭契(らんけい)光を和(やわら)ぐ。嗟乎(ああ)、今日、恨むるは徳星己(すで)に少きことか。若()し寂(じゃく)を扣(たた)き之の章を含(ふふ)まずは、何を以ちて野を逍遥する趣(こころ)を壚()べむ。忽(たちま)ちに短筆に課(おほ)せ、聊(いささ)かに四韻を勒(ろく)し云ふに、
餘春の媚日(びじつ)は怜賞(あは)れぶに宜(よろ)しく 上巳(じやうし)の風光は覧遊するに足る
柳陌(りうはく)は江に臨みて袨服(げんふく)を縟(まだらか)にし 桃源は海に通ひて仙舟を泛(うか)
雲罍(うんらい)に桂(けい)を酌()みて三清を湛(たた)へて 羽爵(うしゃく)は人を催(うなが)して九曲に流る
縦酔(しょうすい)に心を陶して彼我(ひが)を忘れて 酩酊し處として淹留(えんりう)せぬなし
三月四日に、大伴宿禰池主


 
標訳:三月三日の佳日には、暮春の風景は美しく、桃花は瞼を輝かしその紅色を見せ、柳は色を含んで苔とその緑を競う。その時に、友と手を携えて遥かに入り江や川のほとりを眺め、酒を供に遠くの野に住む人の家を行き過ぎる。そして、琴を奏で酒を楽しむことを得、君子の交わりは人の気を和らぐ。ああ、今日の日を怨むことは賢人を最初から欠くことでしょうか。もし、この風景に心を結びて文章としなければ、何をもって野をそぞろ歩く、その趣を顕そう。そこで拙い文才でもって、いささかな四韻の詩をしるし云うには、
暮春の媚日は称賛するにふさわしく、 三月三日の風光は遊覧するのに十分だ。
堤の柳は入り江に臨んで晴れの姿を美しくし、 桃源郷は海に通じて仙人の舟が浮かぶ。
雲雷の酒樽に桂の酒を酌んで盃に清酒を湛え、 羽爵の盃は人に酒を勧めて曲水を流れる。
酔うままに心は陶酔してすべてを忘れ、 酩酊して一つ所に留まることはない。
三月三日に、大伴宿禰池主。

標題:昨日述短懐、今朝汗耳目。更承賜書、且奉不次。死罪々々。
不遺下賎、頻恵徳音。英雲星氣。逸調過人。智水仁山、既韞琳瑯之光彩、潘江陸海、自坐詩書之廊廟。騁思非常、託情有理、七歩成章、數篇満紙。巧遣愁人之重患、能除戀者之積思。山柿謌泉、比此如蔑。彫龍筆海、粲然得看矣。方知僕之有幸也。敬和謌。其詞云
標訓:昨日短懐(たんくわい)を述べ、今朝耳目(じもく)を汗(けが)す。更に賜書(ししょ)を承(うけたまは)り、且、不次(ふじ)を奉る。死罪々々。
下賎を遺(わす)れず、頻(しきり)に徳音を恵む。英雲星氣あり。逸調(いつてう)人に過ぐ。智水仁山は、既に琳瑯(りんらう)の光彩を韞(つつ)み、潘江(はんかう)陸海は、自(おのづ)から詩書の廊廟(ろうべう)に坐す。思(おもひ)を非常に騁()せ、情(こころ)を有理に託()せ、七歩章(あや)を成し、數篇紙に満つ。巧みに愁人の重患を遣り、能く戀者(れんしゃ)の積思(せきし)を除く。山柿の謌泉は、此(これ)に比(くら)ぶれば蔑()きが如し。彫龍(てうりゅう)の筆海は、粲然(さんぜん)として看るを得たり。方(まさ)に僕が幸(さきはひ)あることを知りぬ。敬みて和(こた)へたる謌。その詞に云ふに、
 
意訳:昨日、拙い思いを述べ、今朝、貴方のお目を汚します。さらにお手紙を賜り、こうして、拙い便りを差し上げます。死罪々々(漢文慣用句)
下賤のこの身をお忘れなく頻りにお便りを頂きますが、英才があり優れた気韻があって、格調の高さは群を抜いています。貴方の智と仁とはもはや美玉の輝きを含んでおり、潘岳や陸機の如き貴方の詩文は、おのずから文学の殿堂に入るべきものです。詩想は高く駆けめぐり、心は道理に委ね、たちどころに文章を作り、多くの詩文が紙に満ちることです。愁いをもつ人の心の重い患いを巧みに晴らすことができ、恋する者の積る思いを除くことができます。山柿の歌はこれに比べれば、物の数ではありません。龍を彫るごとき筆は輝かしく目を見るばかりです。まさしく私の幸福を思い知りました。謹んで答える歌。その詞は、
原文:憶保枳美能 弥許等可之古美 安之比奇能 夜麻野佐婆良受 安麻射可流 比奈毛乎佐牟流 麻須良袁夜 奈邇可母能毛布 安乎尓余之 奈良治伎可欲布 多麻豆佐能 都可比多要米也 己母理古非 伊枳豆伎和多利 之多毛比尓 奈氣可布和賀勢 伊尓之敝由 伊比都藝久良之 餘乃奈加波 可受奈枳毛能曽 奈具佐牟流 己等母安良牟等 佐刀眦等能 安礼邇都具良久 夜麻備尓波 佐久良婆奈知利 可保等利能 麻奈久之婆奈久 春野尓 須美礼乎都牟等 之路多倍乃 蘇泥乎利可敝之 久礼奈為能 安可毛須蘇妣伎 乎登賣良婆 於毛比美太礼弖 伎美麻都等 宇良呉悲須奈理 己許呂具志 伊謝美尓由加奈 許等波多奈由比
          万葉集 巻17-3973
       作者:大伴池主
よみ:大王(おほきみ)の 御言(みこと)(かしこ)み あしひきの 山野(やまの)(さは)らず 天離る 鄙も治むる 大夫(ますらを)や なにか物思ふ 青丹(あをに)よし 奈良道来()(かよ)ふ 玉梓の 使絶えめや 隠(こも)り恋ひ 息づきわたり 下(した)(もひ)に 嘆かふ吾()が背 古(いにしへ)ゆ 言ひ継ぎくらし 世間(よのなか)は 数なきものぞ 慰むる こともあらむと 里人の 吾(あれ)に告ぐらく 山傍(やまび)には 桜花散り 貌鳥(かほとり)の 間()なくしば鳴く 春の野に 菫(すみれ)を摘むと 白栲の 袖折り返し 紅の 赤裳裾引き 娘女(をとめ)らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋(こひ)すなり 心ぐし いざ見に行かな 事はたなゆひ
意訳:大王の御命令を尊んで、足を引くような険しい山や野も障害とせず、都から離れた鄙も治める立派な大夫が、どうして物思いをしましょうか。青葉が美しい奈良への道を行き来する立派な梓の杖を持つ官の使いがどうして途絶えるでしょう。部屋に隠って人恋しく、ため息をついて心の底から嘆いている私の大切な貴方、昔から語り継いできたように、世の中は取るに足らないもののようです。貴方の気持ちを慰めることができないかと、里の人が云うには「山には桜花が散り、郭公が間も空けず続けて鳴く、春の野に菫を摘もうと紅の赤い裳の裾を引き、娘女たちは心を乱して恋人を待っていると、心の内で恋している」と。鬱陶しいことです。さあ、会いに行きましょう。行くことは決まっているのです。
左注:三月五日、大伴宿祢池主
注訓:三月五日に、大伴宿祢池主


 

昨日の「天声人語」に、花押について書かれていましたので、花押について調べてみました。
 
 花押の押すという字には署名するという意味があり、花のように美しく署名したものをいいます。日本では奈良時代から使用され始めました。
 奈良時代から戦国時代後期までは花押を判といっていたが織田信長ら戦国武将が私印を自由に使用するようになったため、区別するため花押を(書き判)といい印章を(印判)というようになったのです。
 
 花押は判を加えるといい、印鑑は判を押すといいます。
 花押は本来署名する意味があるので普通に名を書いたうえに花押を加えることはありませんでしたが、その後意味や起源をしらない人が増えてたり、名前と関係ない文字の花押が作られようになり署名してさらに花押を加えることが一般的になってきて徐々にこれが正式な使い方となったのです。
 政府閣議における閣僚の署名は、明治以降現在も、花押で行うことが慣習となっています。
 企業での稟議、官公庁での決裁などに花押が用いられることがあります。
 
 花押に署名としての効力はあり、押印を要する文書についても花押を押印の一種として認めるべき旨の見解(自筆証書遺言に要求される押印など)が現れるようになりました。
 
印鑑も花押その文章が真実であることを証明するために押すのです。なので昔は、花押を持つのは元服した時とされていました。小学校の卒業式に学校から印鑑をもらうのは、そんな風習からきているわけです。
 現在では、パスポートやクレジットカード署名に花押が使えますし、サイン(花押)の名前は、必ずしも本名と同一である必要はありません(通称名などでも可)。
 あと、サインとは“その人である”ことを認証するものなので、同じように書くことが最も重要で、サインした文字が読める、読めないかは問題ではありません。

ウェブニュースより
 藤井聡太二冠が無傷の5連勝、1期抜けへ単独首位/将棋・順位戦B2組 ―― 将棋の藤井聡太二冠(18)が1021日、順位戦B26回戦で村山慈明七段(36)に勝利、同級での今期成績を負けなしの5連勝とし単独トップに立った。
 
 大活躍の夏から一転、秋に入って黒星が先行していた藤井二冠は、過去01敗だった村山七段に、戦法としても苦戦が続いていた「横歩取り」の出だしから、時間をじっくりかけて大きな1勝。最年少名人記録に必須の1期抜けに向けて、全10局の半分を無傷で折り返した。
https://www.youtube.com/watch?v=cVwVwOwgdgg
 最年少でタイトルを2つ獲得、八段に昇段も果たすなど「藤井フィーバー」再来と言われる大活躍を見せていた藤井二冠だが、9月に入って豊島将之竜王(叡王、30)、羽生善治九段(50)の2人に計3敗。過去3年連続で8割を超えていた年度勝率も、久々に7割台に落ちていた。
 横歩取りの出だしから、両者とも時間を使って進めた一局は、対局開始から12時間経過した午後10時を過ぎても、まだ中盤の探り合いといった持久戦に。両者の持ち時間が10分を切ったところから、戦いが激化。少しずつリードを積み重ねていた藤井二冠が、最終盤は一気に突き放した。
 対局後、藤井二冠は「横歩取りから力戦模様になったんですが、駒があまり前に出にくい将棋なので、どうバランスを取ればいいかわからなかったです」と振り返ると、5連勝で単独首位に立ったことについて「いい形で前半を終えることができたので、一局一局全力を尽くしていきたいです」と、今後の抱負を語った。
 藤井二冠には、最年少での名人獲得の可能性が残されている。現記録保持者は谷川浩司九段(58)が持つ212カ月で、これを更新するにはB2組、B1組を1期抜けし、初のA級で挑戦権を獲得、さらに名人戦で奪取する必要がある。    (ABEMATIMES 10/21() 23:27配信)


 

紅花(くれない)を詠んだ歌4
12-2966: 紅の薄染め衣浅らかに相見し人に恋ふるころかも
 
15-3703: 竹敷の宇敝可多山は紅の八しほの色になりにけるかも
 
※大蔵麻呂(おおくらの-まろ、生没年不詳)
 奈良時代の官吏です。天平8年(736)遣新羅使(けんしらぎし)少判官となり、途中対馬(つしま)で詠んだ歌1首が「万葉集」巻15におさめられています。天平勝宝3年造東大寺司判官、のち次官になります。その後、聖武太上天皇大葬の造方相司、丹波守(かみ),玄蕃頭(げんばのかみ)などを歴任します。名は万里,万呂とも書きます。
◎「宇敝可多山」について、「竹敷にある宇敝可多山」とする固有名詞説と、「竹敷の上の方にある山」とする普通名詞説とがあり、従来説が定まっていません。どちらの説にもそれぞれ従いがたい点があることを指摘されます。現地を実際に見て、「宇敝可多山」は実質的には城嶽のことであるが、ここでは普通名詞ととるべきであると説きます。この歌は竹敷の海上から竹敷の方を見て詠んだ歌で、「宇敝可多山」は「竹敷の裏の裏山の上に見える山」と解すべきだと考えたのです。

16-3877: 紅に染めてし衣雨降りてにほひはすともうつろはめやも
 


ウェブニュースより
 アメリカ大統領選、激戦州フロリダで期日前投票開始 支持率ほぼ拮抗 ―― 米大統領選で激戦が予想されるフロリダ州で19日、期日前投票が始まった。州内各地に設置された投票所前には数百人の有権者が列を作った。
 
 ロイター/イプソスがフロリダ州で7─14日に実施した調査によると、バイデン氏の支持率は49%、トランプ氏が47%と、ほぼ互角の戦いとなっている。
 再選を目指すトランプ大統領はこの日、別の激戦州アリゾナ州を訪問。訪問前に行った選対との電話会議で「われわれは勝利する」と言明し、職員らを鼓舞した。
 民主党のバイデン大統領候補はこの日、地元デラウェア州ウィルミントンでCBS60ミニッツ」のインタビューを収録。25日に放映される。ハリス副大統領候補はフロリダ州オーランドとジャクソンビルに向かい、期日前投票を呼び掛ける。
 前日には、トランプ大統領とバイデン氏がそれぞれ激戦州のネバダ州とノースカロライナ州で集会を開催した。
 フロリダ大学の試算によると、これまでに44州と首都ワシントンDC2960万人超が郵便投票もしくは期日前投票を済ませた。
 また、ロイター/イプソスが19日発表した激戦州での支持率調査によると、ペンシルべニア州ではバイデン氏の支持率が49%、トランプ大統領が45%となり、トランプ氏が前回調査の51%対44%から差を縮めた。
 ウィスコンシン州ではバイデン氏が51%、トランプ大統領が43%。前回調査は51%対44%だった。
 アリゾナ、ミシガン、ノースカロライナ各州でも、バイデン氏がリードを維持している。    [Newsweek 20201020日(火)1050]


 

紅花(くれない)を詠んだ歌3
11-2550: 立ちて思ひ居てもぞ思ふ紅の赤裳裾引き去にし姿を
 
11-2623: 紅の八しほの衣朝な朝な馴れはすれどもいやめづらしも
 
11-2624: 紅の深染めの衣色深く染みにしかばか忘れかねつる
 
11-2655: 紅の裾引く道を中に置きて我れは通はむ君か来まさむ
 
11-2763: 紅の浅葉の野らに刈る草の束の間も我を忘らすな
 
11-2827: 紅の花にしあらば衣手に染め付け持ちて行くべく思ほゆ
 
11-2828: 紅の深染めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出でむかも
 
ウェブニュースより
 元関脇・嘉風、出身の佐伯市を提訴「PRのけがで引退」 ―― 昨年9月に引退した大相撲元関脇・嘉風(よしかぜ)の中村親方(38)が、出身地の大分県佐伯市をPRするために渓流下りをして大けがをし、引退を余儀なくされたとして、市などを相手取り、計約48千万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。市への取材でわかった。市側は「市のPRとして依頼はしていない」と争う姿勢を示している。
 
 市によると、渓流下りは「キャニオニング」と呼ばれ、乗り物には乗らずに岩肌を滑り降りるアウトドアスポーツ。佐伯市が観光施策として業者に委託し、藤河内(ふじがわち)渓谷で実施。7年間で4千人以上が利用したが、ほかに大きなけがをした人はいなかったという。
 中村親方は現役力士だった昨年6月20日、市の委託業者のインストラクターとともに渓流下りを体験。その最中に右ひざに大けがをした。ドクターヘリで病院に搬送されたが、足首などにまひが残り、装具をつけなければ歩行も難しい状態となり、引退を余儀なくされたという。渓流下りには市職員も同行していた。
 中村親方側は、市が誘致した部屋の一部力士の合宿の中で市のPRのために渓流下りをし、事故につながったと主張。一方、市側は「合宿は市が誘致したが、キャニオニングは市のPRのためではない」とし、双方の弁護士を通じて話し合っていた。
 佐伯市の田中利明市長は中村親方が小学生のころから市相撲連盟の副会長や会長を歴任。田中市長は昨年10月の定例会見で「道義的責任を感じている。合宿そのものは市が誘致した。キャニオニングに行く前にも連絡があり、プロのアスリートだから気をつけていけよと(職員には)伝えた」と明かしていた。
 田中市長は19日、朝日新聞の取材に「訴状の内容を精査し、対応していきたい」とコメントした。   (朝日新聞DIGITAL 20201019 2216)


 

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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