万歩計の記録は12698歩、8.2㎞。
昨日、タンポポについて書いた所、福岡の甥からコメントがあった。曰く、「叔父さんのブログに書いてあった在来種のタンポポはとても少なくなりました。福岡では、舞鶴城の周辺にちらほらと見ることができます。携帯で撮影した関西タンポポの写真をメールで送ります。在来種の代表的なタンポポです。小ぶりで、色が薄黄色です。花額が拡がっていないのが西洋タンポポとの違いです。友人に詳しい学者がいて、在来種がみられなくなったのは、土壌をアルカリにしてしまったからだそうです。人の手の入ったところでは、まず在来種は存在しないといっていました。」
今日は、天気もよいし、新宿御苑に出かけた。以下は写真を搭載する。
本日のomron万歩計は11313歩、7.3kmを示していた。ちなみに新宿御苑の周囲は3.5kmということである。
汐入公園遊歩道の下にある歩道を通って、瑞光橋に出ると此処からテラスに降りて汐入水門の前を通って、水神大橋の下に出た。汐入水門の傍の斜面には白詰草が葉っぱについた朝露の中で一面に咲いいる。和名の「ツメクサ」の由来は、江戸時代にオランダから輸入されたガラス器の梱包に、この草の乾したものが詰め物として使われていたことから「詰草」と呼ばれるようになったという。
瑞光橋から水神大橋にかけての親水テラスには遊歩道に沿っていろいろな種類の躑躅(つつじ)が植えられている。今まで緑一色であった土手の野草もいろいろな色の花を付けている。ところで、ツツジには躑躅(てきちょく)なんて難しい字を当てるようになったのだろうか? 中国で毒性のあるツツジを羊が誤って食べたところ、足踏みしてもがき、うずくまってしまったと伝えられ、このようになることを躑躅(てきちょく)と言う漢字で表したのだそうだ。従って、中国ではツツジの名に躑躅を当て、日本へもその中国で使われていた名称の躑躅が入って、つつじと読むようになったいう。
木母寺前の花壇では真紅の雛罌粟が際立って咲いていた。罌粟はヨーロッパ中部原産。ケシ科の二年草。花は朱・紅・白などがあり、一重と八重がある。楚王項羽の寵姫(ちょうき)虞(ぐ)氏が死後この花になったとの伝説から、虞美人草の名があることはご存知のことじゃろ。これも躑躅と同じで、漢字の罌粟(けし)は漢名からで、実の形が罌(もたい。液体をいれる口のつぼんだ甕《瓶》)に似ていて、種子が粟(あわ)に似ているから付いた名だという。ここ木母寺の前の花壇は地元民の協力で世話されよく整理されチューリップ・シクラメン・スイセンなどが咲き誇り、今が見所というところか。
昨日より、気温は低いく、東の空はどんよりと曇っているが、南天には下弦の月が輝いているから、どうやら天気はよくなるらしい。山谷堀水門の前から桜橋を渡り、言問団子の前を通り墨田区の少年野球場の横に出ると躑躅が色とりどりに咲いている。墨堤通りの歩道にはヨーロッパ原産といわれる長実雛罌粟(ながみひなげし)がサーモン色の花を付けている。帰化植物だというが、荒地に持つ良く近年雑草化してどこにでも見られるようになったらしい。
墨堤通りを北上し、東白鬚公園に入る。遊歩道の所々に設けられた花壇には息の長いパンジー、そして最近咲き始めたシクラメン・チュウリッブ・ディジーなどが咲き誇り綺麗だ。梅若橋を越えて、北出入口にくると墨堤越しに多門寺が見える。鐘ヶ淵中学の校庭越しにはシティヌーブ北千住30と新装のイニシア曙町のビルがその高さを競うかのように並んで建っている。
今日は千住汐入大橋の上流側を通り、テラスを通って白鬚橋まで歩いた。護岸にはいろいろな種類の躑躅や草花が花盛り、山吹等も咲き始めたようである。
明治通りを横切って、件の遊歩道を通って帰宅した。Omron万歩計は13074歩、8.4kmを示していた。
昨日は旧暦18日の月が鮮やかに南天にかかっていたが、本日はどうやら曇りらしい。天気が良ければ、ここ柳橋の上からご来光が見られるのだが、本日はそれも見られない。
靖国通りを横切って、両国橋の西袂にある親水テラスの昇降口に立つ。浜町河岸の遊歩道に道をとり、隅田川にそって下る。新大橋を渡るのは今年になって初めてである。
吾妻橋を渡り、隅田公園の台東区側を北上、帰宅した。omron万歩計は13861歩、9.0kmを示していた。
昨日の日曜日で花見も終わりのようだ。所々に遅咲きの八重桜や寒山などが見られるもののソメイヨシノは最早葉桜となってしまった。その葉桜の間から旧暦18日の月が輝いている。隅田公園を抜けると、江戸通りと並行する裏道を通り、駒形橋に出る。
駒形橋を渡るとそのまま東進し、浅草通りを三つ目通りまでくると左折して源森橋の上に立つ。東武伊勢崎線の高架の向こうから真っ赤に燃えるような朝日が覗いている。幾日か後には此処からも東京スカイツリーの高くなっていく様子が見られることだろう。
言問通りに出ると、ここから見番通りに入る。ここは向島の花街として栄えたところで、今でも幾つかの料亭が残っている。隅田川七福神のコースでもあり、三囲神社・弘福寺・長命寺などが並び、長命寺を過ぎると墨堤通りへと続く。地蔵坂通りの入口の子育て地蔵尊の堂の付近から白鬚神社までのところに旧墨堤之道が残っている。この旧墨堤之道を通って白鬚神社に出た。
墨堤通りが明治通りと交差するところから北に東京都の防災住宅が、水神大橋の先まで続く。防災住宅を境としての裏側は東白鬚公園となっていて、ここも爺の徘徊のコースとなっているが、今日はこの白鬚橋東詰の交差点で左折して、白鬚橋を渡り、台東区側の遊歩道に入った。
野球場の所までくると、ソメイヨシノに替わって、皐月が鮮やかな緋色の花を咲かせていた。良く見ると皐月の潅木の陰に蒲公英が黄色の花を付けていた。
昨日・今日と春を通り過して初夏の気候、朝から上半身は長袖1枚だけの徘徊であった。
言問通りと交差する所から、三つ目通りは水戸街道となる。ここで左折して言問橋を渡り、西詰めの聖天町交番の前を通って帰るのだが、何時もは交番の前に立っているお巡りさんに「おはよう」の挨拶をして帰宅するのだが、今朝は交番のドアは閉められていた。ガラス戸の内部から「パトロール中です」の貼り札がしてあった。
Omron万歩計は12717歩、8.2㎞を示していた。
sechin@nethome.ne.jp です。
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