瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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0a81b54c.jpg 本日も曇り空。少々風があり、肌寒い感じ。桜橋を渡り墨田区の少年野球場の前から墨堤通りを北上。東白鬚公園に入る。所々にある花壇には色とりどりの花が植えられ、きちんと手入れされている。地元民の人たちで世話されているのだろう。
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96628f27.jpg 梅若橋の下道を通り抜けて水神大橋に上がる。水神大橋を渡ると、何時もの遊歩道を過ぎて信号を渡り汐入公園の西側の辺りを歩いてみた。
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9b32a37d.jpg バーベキュー広場のところから青色に彩られた長い遊歩橋が架かっている。そばに近寄ってみると、「さくらばし」と名付けられているらしい。千住汐入大橋に向かって長く伸びている。
57566246.jpg 瑞光トンネルの上の展望広場から、いつもの遊歩道に戻り、瑞光橋を渡ると薄緑色の塗料が剥がされ褐色の地肌を見せたガスタンクが間近に見える。塗装工事で化粧直しが行われているらしい。タンクにそって仮設の螺旋階段らしきものが見える。
7487cf76.jpg 白鬚橋の東渡り口に来ると、前方のアサヒビール配送場の広告塔の向こうに東京スカイツリーの工事現場のクレーンが見える。ここから見えるであろう、青色の東京スカイツリーの光景を想像しつつ、橋場の遊歩道に入る。

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1afb5d7d.jpg 橋場の川沿いに並ぶ1つのマンションの裏庭にピンクの薔薇が艶やかに咲いていた。我が家に着いて玄関の鍵を開けながら、三社の祭り提灯が下がっているのに気がついた。昨日のうちに婆様が下げてくれたらしい。
本日の徘徊状況10259歩、6.6㎞となっていた。
 午後8時表が騒々しいので玄関を出てみると、町内神輿が通るところであった。山車と町内神輿をカメラに収めていると、「先生!」と声を掛けるものがいる。夜目でちょっとだれがわからなかったが、「かおりです」という声でKN嬢だとわかった。彼女は地中海クラブに勤務していて、毎年三社祭りには帰国している。今年はニューカレドニアから帰国したという。
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8bb2c673.jpg 4時50分家を出る。今日から三社様のお祭。祭の朝の千束通り辺りから、浅草寺境内そして三社大権現の辺りを見ようと、山谷堀公園を今戸橋から地方橋(じかたばし)まで貫(ぬ)ける。桜並木を通りながら道上に黒いグミのようなものが落ちているので、見上げると桜の木がイッチョマイに桜桃(さくらんぼ)を付けている。
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95d6cce1.jpg 正岡子規の句碑は台東区では珍しくはないが、ここ山谷掘り公園にも句碑がある。句碑の裏に回ると没後100年にこの碑を作ったと記してある。地方橋まで来ると、ここから千束通りに入る。
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 千束通りは今日の午後は大行列(びんざささら等)が練り歩くとのことだが、きっと賑やかなことだろう。通りに沿って祭り提灯がずらりと整列している。言問通りを横切るとひさご通り。信号のところから朝日を浴びたビューホテルが見える。江戸下町伝統工芸館も新しく広くして改装するらしい。
16f07d81.jpg ひさご通りを貫けるとそこは六区。昔の映画館通りは今は映画館も消えて、「六区ブロードウェイ」というのだそうだ。誰がつけたか知らないが、こんな横文字の名前をつけて、どこかの国の植民地になったようだ。もっと浅草らしい名前はないものか? もっとも今の若い人々にはこのような名前でも付けないと、浅草に来てもらえなくなってしまうのだろうか。
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8688abf2.jpg このブロードウェイなる通りにいつの間にか「六芸神」と名づけられた、小さな祭壇が出来上がっていた。まあ普通このような場合は「七」の数を使って、「七芸神」とするのだろうが、六区に肖(あやか)って「六芸神」となったのだと解釈しておこう。
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3e729a92.jpg 木馬館の通りを通って浅草寺の境内に入る。本堂は只今改装中。話によると1年半から2年くらいかかるという。すっぽりと白い囲いで覆われ、大屋根の傾斜にそって櫓が組まれている。それでなくても混雑するのに、今年の三社祭は身動きできないほど混むのだろう。
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44dabc5d.jpg 今日から祭りだというので、三社大権現の幟(のぼり)の立った浅草神社を撮った。後ろを振り返ると五重塔が朝日に映え輝いているので、これもカメラに収めた。

e9809009.jpg 江戸通りを北上してそのまま帰宅しようとも思ったが、時刻も未だ早かったので、吾妻橋を渡り、いつもの遊歩道をとおり、桜橋を渡って帰宅した。水門前広場は例によってワンちゃん広場と化していた。今日の記録は8342歩、5.4㎞であった。
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27294876.jpg 昨13日(水)は午前4時半未だ明け切っていないうちから、家を出た。おやおや道がびっしゃんこに濡れている。道に出てみるとどうやら雨は止みそうに感じたので、山谷堀の水門前から桜橋を過ぎた頃、顔に冷たいものがかかってくる。どうやら雨は未だ止んでいないらしい。桜橋を通り過ごして野球場横に来ると、もう明るくなってもよさそうなものなのに、何だかうすぐらい。テラスの昇降口に上って川の上流のほうを見ると、小雨は降り続いていて目の前のリバーサイド隅田のビルが霞んで見える。この分では午前中は雨に違いないと、野球場に沿った坂道を降りてスポーツセンターの表側に出て、山谷堀公園にくると、雨は少し強くなったようだ。急ぎ足で我が家に帰宅。徘徊はお休みとする。どうやら朝食ごろには薄日も射し始め、またもやお天気に騙され申した。
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 本日は4時30分に目が覚め、家を出たのは4時45分。隅田公園を南下しながら、今日は足を伸ばすのはやめにして、吾妻橋西詰めで見慣れた光景をカメラに収め、江戸通りを南下、駒形橋にかかると炎のオブジェが違った角度で見えたので、これもカメラに収めた。駒形橋の上から下を見下ろすと、今日は波1つない隅田川に初夏の空が映し出されている。いつも通るテラスも含めて写真に収めた。
5645eccd.jpg 駒形橋の東の高速向島線の下に女性の塑像がある。誰の作品か知らなかったし、これも朝倉文夫あたりの作品と思って掃いたが、確かでないのでカメラに入れたことはなかった。塑像の裏側、下の方をよくよく見ると「休日の午後」という樋口保喜という人の作品であることが判った。樋口保喜氏は1959年、三重県生まれの武蔵野美術大学での彫刻家であることが判った。
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a8b3c571.jpg 吾妻橋を左手に見て勝海舟の銅像の下辺りを歩いていると、今しも荷役船が川上に向って東武線橋梁にかかろうとするところであった。急いでカメラに電源を入れ、構図も何もあったものではない。船の像だけを目当てにシャッターを切った。ここから、坂道を降りて枕橋にかかるところに「墨田区壁面緑化見本コーナー」というのがあって、今までも気付いてはいたが、カメラに収めることはなかった。今日はどうしたわけか、こんなものまでカメラに入れることにしてしまった。
9541b92b.jpg 言問橋に差し掛かる手前にテラスへの昇降口がある。そこに浮き桟橋に設営された「橋脚耐震補強工事の現場」がある。かなり前から工事を始めているが、昭和2年に架けられた橋であるから、もう80年以上も経ち、60年という、建設当時にいわれた橋の耐用年数をとうに過ぎているわけである。
078051ed.jpg 言問橋から桜橋に掛けての遊歩道に一際派手な赤やピンク花を咲かせている所があった。近寄ってみると雛罌粟がかたまって花を咲かせていた。英語ではPoppyといい、「罌粟」を意味するが、日本に咲くPoppyからは阿片の成分であるmorphineはとれないので、栽培できる。項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)の最期の戦の時、項羽は愛する虞妃(ぐき)とともに劉邦の大軍に包囲され、項羽は別れの宴を開き最後の出陣をする。虞妃も自刃して殉じたが、彼女の墓に雛罌粟の美しい花が咲いた。そのため人々はこの花を「虞美人草(ぐびじんそう)」と呼んだのだそうだ。
 白鬚橋の上で、ワンさんと会い、3・4分をした。家に着いたのは6時20分。それでも、9290歩、6.0㎞の徘徊を記録していた。
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601e9bb8.jpg 今日も薄曇り。4月の末から、新しい徘徊コースを探索すべく、南は清洲橋方面まで、北東は荒川河川敷と今まで余り通らなかったコースばかりを徘徊していたので、何だか元のコースが懐かしくなり、今日は隅田川周辺だけを回ることにした。桜橋を渡り、墨田区の少年野球場の前に出ると墨堤通りを最近新装なったイニシア千住曙町まで北上。イニシアの北端の路地を抜けて、隅田川に出た。目の前に黄色の千住汐入大橋が見える。ここからの風景は隅田川が鐘ヶ淵で大きく迂回しているのがよく判る。
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fcbdd6d0.jpg 千住汐入大橋を渡ると、今までは川ッぷちを歩いていたのだが、少し街中に寄った遊歩道を歩いてみた。この遊歩道のすぐ傍の車道には2つのトンネルがある。胡録トンネルはこの少し北にある胡録神社から名づけられたのであろう。そして瑞光トンネルは瑞光橋と同じく、荒川の氏神様である素盞雄(すさのお)神社にある瑞光石に因んで名づけられたものであろう。
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b8825f8f.jpg 瑞光トンネルの上は展望広場になっていて、隅田川や南千住の街の展望が開ける。すぐ下にはバーベキュー広場やテニスコート等も作られている。展望広場を降りて川ッぷちの遊歩道に戻り、瑞光橋を渡り、何時ものように遊歩道を南下して、帰宅した。今日は控えめに歩いた積もりであったが、それでも12444歩、8.0㎞を記録していた。
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e678189d.jpg 本日は曇り空。4時30分に家を出る。昨日のコースの逆を回るつもりで、桜橋から落書き遊歩道を北上。いつもなら東の空が真っ赤に燃えているのだが、今日はそれもなく景色全体が靄に包まれている。瑞光橋で隅田川の対岸ををみると青色の御殿が並んでいる。今日は陽射しも強くなく、逆光でも写真が撮れそうだ。
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 水神大橋から下流を眺めると先ほど通ってきた道が霞んで見える。水神大橋を渡って、鐘ヶ淵陸橋の交差点から、鐘ヶ淵通りを東に向けて歩くと、程なく東武線の鐘ヶ淵駅である。この駅は踏み切り越しに西口と東口の2手に分かれている。
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d44ff851.jpg 踏み切りを渡って、鐘ヶ淵通りを離れて、左手の脇道に入る。この通りは隅田五丁目と四丁目を通り、荒川土手に通じる。突き当たりは土手に上る階段になっていて、その階段の途中にはお地蔵様か道祖神かは解らないが、なにやら地神様が祀ってあり花まで手向けてある。
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e369087d.jpg 土手を降りて河川敷を川岸までシロツメクサの原っぱの上を歩いてみる。あれあれスニーカーの周りは布で出来ているらしく、靴下が濡れてきたのが感じられたので、急いで野球場の周りに作られている小さな道の上を歩くことにした。荒川を上る荷役船や大きな積荷をした達磨船を引張る曳舟などもみることができた。
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494524b8.jpg どうやら東の空が明るくなり、薄い雲をとおして薄日も照りだしたようだ。対岸は高速中央環状線の下を綾瀬川が荒川と並行して流れている。黄色の橋桁を持つ橋が見えるが、おそらく綾瀬川にかかる堀切避難橋だろう。
 小便をしたくなったが、見渡す限りグラウンドと草むらばかり、どこかで立ちションでもしようかと思うが、それこそ木陰らきものもなく土手の下を並行する遊歩道に戻ると傍に水飲み場があり、どこかのおっちゃん(ホームレスかもしれない)が石鹸をつけて頭や顔を洗っている。そのそばに小さな小屋があり、よく見ると簡易トイレであった。やれやれ。
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6849aac5.jpg 小便を済ますと、遊歩道を通って四ッ木橋南から、水戸街道を南下する。東武線の東向島駅のところにあるガード下には、その昔東武線を走っていたという蒸気機関車が飾ってある。
 桜橋通りから桜橋を渡って帰宅。本日は12518歩、8.1kmの記録であった。
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f8164d89.jpg 本日は昨日より30分遅れの5時近くに家を出発。山谷堀の水門まで来ると桜橋の向こうからご来光というところ。桜橋を渡って桜橋通りから水戸街道を北上。四ッ木橋に出る。ここから、荒川の河川敷におりて、四つ木橋下周辺をあちこち歩いてみた。荒川にそって緑地帯を北上。
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e1858e9f.jpg 昨日は少々歩きすぎた感があるので、河口9kmの標識のある辺りから遊歩道を横切って街中に入ると「ほがらか保育園」というのがあり、そこから西に向って路地を歩くと、東武伊勢崎線の鐘ヶ淵駅に出た。踏切をわたって、鐘ヶ淵通りを北上すると、墨堤通の鐘ヶ淵陸橋にでた。どうやらこの道は隅田川の水神大橋に通じるらしい。
bd6308ca.jpg 水神大橋を渡って、何時ものように汐入公園の遊歩道を南下して、白鬚橋を左に見ながら落書き横丁を南下して、帰宅した。隅田公園を出て待乳山聖天の信号を渡るとき、タチアオイ? が見事な花を付けているのに気付いた。昨日より、控えめに歩いたが、それでも12678歩、8.2kmを記録していた。
 本日は母の日なんだそうだ。それに明日はわが爺婆の50回目の結婚記念日。昼飯は何処かに食いに出かけようということになって、11時ごろ出掛けた。結局松屋の7階の食堂外で「つなはち」に入って天麩羅を食うことになった。帰りに1階の満願堂で芋羊羹を買って帰宅した。
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5c4bd66b.jpg 最近の東京の日の出は4時45分頃。4時半といえば、もう明るい。
 4時30分に家を出て、件(くだん)の落書き横丁を北上、白鬚橋を右手に汐入公園の遊歩道を水神大橋まで北上。5時10分ごろ水神大橋の向こう防災住宅の上にご来光。水神大橋の上流側の歩道を通り、東京リハビリテーション病院の前から東白鬚公園に入る。公園の北ゲートを出て綾瀬橋から、旧綾瀬川に沿って荒川土手に出る。
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e21a46c2.jpg 東武伊勢崎線を渡るための横断歩道橋のうえにあがると、高速6号向島線の下に旧綾瀬川が望める。綾瀬橋と並行して大きな専用橋が走っているので、綾瀬橋からは旧綾瀬橋は撮影できない。この川は荒川と隅田川を結ぶ短い川であるが、荒川放水路が出来る前までは、荒川対岸を荒川と並行して流れる綾瀬川と通じていたのであろう。荒川の出口に高い隅田水門がある。
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abb4354f.jpg 荒川に出ると、ここはまだ整備されてないとみえて、潅木や葦が生い茂っていて、川面を見ることが出来ず、青色シートの被さる仮小屋も見られる。高速6号向島線の下に堀切橋が見える。この地点の対岸辺りが丁度堀切菖蒲園になるらしい。此処から荒川に沿った遊歩道をくだる。荒川四ッ木緑地に来ると、確かに隅田川よりは広々としていて、気持ちよい川風が吹いてくるが、立ち木はなく夏場は休み場もないだろう。
 四ッ木橋から水戸街道に出て、昨日と同じようにここを南進、桜橋通りから桜橋を渡って帰宅した。本日の記録は14031歩、9.1kmであった。少々歩きすぎかな?
 5月3日(日)に、婆様が「明日のみどりの日には鎌倉に行きたい」というので、インターネットで観光バスについていろいろ調べて、午後1時から2時間半の鎌倉市内定期観光バス「かまくら号」というのを予約した。5月4日(月)、東京発11時37分発の横須賀線に乗車すべく家を出た。鎌倉は混雑が予想されるので、何処ででも食えるよう松屋で握り飯を購入して地下鉄で神田に出る。東京では予定の電車より前の電車で鎌倉へ。電車は連休の人出で混雑していたが、何とか横浜で坐れた。鎌倉は、凄い人出で駅の構内から人人人… 先が思いやられる。定期観光バスの出発まで、駅前の大巧寺をひと回りして、若宮通りにあったベンチに掛けて握り飯を食った。
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68b13e73.jpg バスは定刻通りに出発したが、渋滞、渋滞、また渋滞で、予定の時間を2時間オーバーして鎌倉駅に帰ってきた。まあ、観光というより、人を見に来たようなもので、大変お疲れ申した。翌日は何処にも行く気がせず、徘徊も休んでしまった、
96515f4b.jpg 6日(水)、7日(木)と雨、今朝も朝から雨で「今日も駄目か」と諦めかけたところ、朝飯が終って、9時ごろになって明るくなってきたので、出かけることにした。言問橋の西詰に幹が苔むしたクスノキがある。天気の好い日は逆光で旨く取れない。今日は曇り空なので、写真に収めてみた。言問橋を渡ると業平橋駅手前の曳舟川通りを北上してみた。
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55ac476e.jpg 桜橋通り、明治通りを横切って暫く進むと、長浦神社というのがあった。長浦神社は今からおよそ三百余年以前に、当時は武蔵野国葛飾郡寺島村大字長浦と言われていた現在地に、長浦氏が創立されたと伝えられている。さらに北上すると荒川に出て、新四つ木大橋を通って水戸街道と合流する。
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dbae029e.jpg 新四つ木橋と並行してすぐ北側の四つ木橋は水戸街道を通す。ほんの僅かであるが、新四つ木橋から四つ木橋までの荒川土手を通り、水戸街道を下ることにした。四つ木橋南の鐘ヶ淵通りを右に行けば水神大橋に通じるらしい。さらに南下して、明治通りを過ぎ桜橋通りを右折して、桜橋を渡って帰宅した。
9778178a.jpg リバーサイドスポーツセンターのプール脇にある紫陽花は早や花を付け咲き始めている。もう、初夏なんだ。今日の万歩計は11669歩、7.5㎞を示していた。昼過ぎ2時頃になってまた空模様がおかしくなり、雨が降り出した。

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 いつの間にか5月に入り、本日は日曜日で憲法記念日、外は薄曇りであったが、気温は低くない。江戸通りを南下、蔵前から柳橋を通って靖国通りに出る。両国橋の西詰めからテラスに降りて、新大橋に向かって、南下する。高速6号向島線と高速7号小松川線の上下線が複雑に交錯する両国ジャンクションの真下を通り、新大橋下に付いたころ東の空に新大橋越しにご来光。薄曇りのため、太陽の形はぼやけていたが、直射の逆光ではないので、何とかカメラに収めることが出来たようである。
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d40377a7.jpg 新大橋と清洲橋の間で川は大きく蛇行して南東から南西に向けて流れるようになる。日本橋中洲の停泊所に日本橋消防署の巡視線が停泊して付近から清洲橋が見えてくる。清洲橋は萬年橋辺りから見るのが一番綺麗といわれているが、このテラスからの清洲橋もなかなか綺麗で捨てたものではない。
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 清洲橋の下流側にあるテラスへの昇降口から清洲橋の上がると、すぐ目の前に選奨土木遺産の碑がある。清洲橋の上からは川の蛇行のため新大橋は殆んど見られない。東詰めから辛うじて小さく新大橋が目に入る。
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bc2ad6b5.jpg 清洲橋を渡って、清洲橋通りを東に進むと清澄通りに出る。この場所には霊巌寺があり、松平定信の墓があるというので門前まで行ってみたが、朝が早くまだ門が閉まっていた。
6350c741.jpg ふと、見るとどこかで見たような人が2・3歳位の女の子を連れて歩いている。よくよく見るとMN氏ではないか。「NのM君じゃないの?」と声を掛けると初めは怪訝な顔をしていたが、「ああ、日高先生」と判ってくれた。連れている女の子はお孫さんであり、M君も65歳になるのだという。
 清澄白川駅から地下鉄で押上まで乗車し、昨日と同じコースで帰宅した。今日の記録は12795歩、8.3km。
 

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25e49fa9.jpg 昨日と同じように、隅田公園から吾妻橋を渡り、テラスを南下する。隅田川左岸は、ビルの陰になって午前中は陽の当たらない場所であり、さらに東武伊勢崎線の鉄橋から竪川にかけてのテラスは高速6号向島線に覆われている。両国橋を過ぎたところで、竪川が流れ出し、テラスは中断される。テラスを昇って一之橋の上から竪川の東のほう見ると、すぐ傍を太いパイプが走り、川の真上を高速7号小松川線が走っている。一之橋を渡って再びテラスに降りて南下。
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b853fb11.jpg 新大橋を過ぎてテラスの上を見ると江東区芭蕉記念館の文字が目に入る。この辺りのテラスの所々に「大川端芭蕉句選」として、芭蕉の句が記されている。昨日も清洲橋の写真を撮ったが、今日は昨日よりももう少し近間(ちかま)で撮ってみた。
85c179df.jpg 小名木川が隅田川と合流する辺りで、上方を見上げると、おやおや芭蕉様が坐(お)わしますではないか。水上バスから見る芭蕉像はもっとデカイと思っていたが、意外と小さい。夜はライトアップされると見えて、2基のランプが芭蕉様に向かって設けられている。その真下のテラスには「柴の戸に ちゃをこの葉かく あらし哉」の句が選ばれていた。嵐が茶の古葉を掻き立て、掃きたてて柴の戸に吹き寄せている光景を詠ったものだろう。芭蕉37歳の作だという。
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 萬年橋に出ると、今日は小名木川の北岸の遊歩道を通ってみた。高橋を潜(くぐ)った所に高橋船着場というのがあった。東側に新深川橋があったが、写真に入れるには、太陽が眩しすぎてとても写真になりそうにない。隅田川に向けて高橋をカメラに収めた。遊歩道を出て、清澄通りを通す高橋を渡るとそこは清洲橋通り、左折すると直ぐに東京メトロ半蔵門線の清澄白河駅がある。一昨日、昨日と少々歩きすぎのように思ったので、此処から押上まで乗車し、昨日と同じ道を通って帰宅した。それでも万歩計では12374歩、8.0kmを歩いたことになっていた。

 

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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