瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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7f90dfbf.jpg 山谷堀水門広場から北東の空は朝焼けが綺麗だ。桜橋を渡って墨堤通りを北上。東白鬚公園を抜けて水神大橋をわたる。東京ははや梅雨明けの空模様。久し振りに東京スカイツリーが雲に包まれることなく全身を見せる。明治通りを横切り、橋場でテラスに降りてみる。
3119b328.JPG この辺りは隅田川でも最も早くから開けたところらしく「橋場の渡し」のあったところである。「白鬚の渡し」とも称されるが、記録に残る隅田川の渡しとしては最も古い渡しのため、幾度も渡しの位置の変更があり名称も一定せず、それぞれ別の渡しとして存在していた可能性も高い。現在の白鬚橋付近にあったものが代表的なものである。 律令時代より制定があり、承和2年(835年)の太政官符に「武蔵、下総両国界住田河四艘。元二艘今加二艘右河等。崖岸廣遠。不得造橋。仍増件船(武蔵国と下総国の国境の住田河(隅田川)には現在4艘の渡し舟がある。岸は崖で広く、橋が造れないので2艘から増船した)」と書かれたものが残っており、この「住田の渡し」とはこの渡しと想定されるという。歌川広重が錦絵「墨田河橋場の渡かわら竈」に描いている。白鬚橋の完成に伴い、大正期に廃止されたといわれる。墨堤通りの大正通り入口の所には今でも奥州、総州への古道が残っており、伊勢物語で主人公が渡ったのもこの渡しとされている。また、源頼朝が挙兵してこの地に入る際に、歴史上隅田川に最初に架橋した「船橋」もこの場所とされ、「橋場」という名が残ったとも伝えられている。橋場はその歴史的な土地柄から江戸時代から風流な場所とされ、大名や豪商の別荘が隅田川河岸に並んでいたという。そのため有名な料亭なども多く華族や文人などが出入りしていた。池波正太郎も小説「剣客商売」で小兵衛が贔屓にしていた料亭「不二楼」をこの地に設定している。明治期に入ってからも屋敷が建ち並んでおり、とりわけ著名な三条実美の別荘である「對鴎荘」が橋場の渡しの西岸にあったという。白鬚橋西詰にはこの碑が建つ。
 今戸の渡しは寺島の渡しとも称され、現在の桜橋上流付近にあったという。橋場に対して、新しく作られたということで「今」戸と呼ばれた? というらしいがどうやら眉唾物。橋場の渡しと名称や渡河位置の錯綜が多く見られることから、ほぼ同じ渡しの流れとも考えられる。
37f75955.jpg 三四物産橋場給油所の下では給油船が停泊中であり、給油作業の最中である。




 

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5dc66097.jpg 何時も遊歩道で挨拶を交わすお方が桜橋方向から近付いて来られる。こんな所でお会いするのは珍しいので、東京スカイツリーをバックに写真撮影。何でも京葉道路辺の緑・石原町付近にお住いの方という。
 桜橋で遊歩道に戻り、帰宅した。
8abf276c.jpg 昨日ほどではないが風あり。墨堤通りを北上、東白鬚公園を抜けて水神大橋をわたる。荒川区の隅田川テラスを白鬚橋まで南下。橋場・今戸の遊歩道を南下して、帰宅した。徘徊記録は10157歩、6.6㎞。


f026c064.jpg 木母寺の前で向日葵が咲いていた。ギリシャ神話に拠れば、水の精Clytia (クリュティエ)は太陽の神Apollo (アポロ)に恋をし、大地に直立し9日9夜アポロを思い、彼を見つめつづけた。しかし、恋は実らず、太陽の光を浴び続けた彼女の体は足が地に根を下ろし、やがてヒマワリになってしまった。その思い絶えずして今もヒマワリは太陽、つまりアポロを見続けているというわけ。そのジッと立ちつくす姿から、ギリシャ神話の中では慈悲の花とされているという? もっとも、Ovidius(オウィディウス、BC43~AD17年)の『変身物語』ではこの花はヘリオトロープ(花言葉は「献身的な愛」)だとされている。向日葵の原産地は北アメリカで、日本へは17世紀に渡来した花であり、16世紀にスペイン人がヨーロッパへ持ち込んだというから、ギリシャ神話に向日葵が出てくること事態が可笑しな話ではある。
07b4e3d1.jpg 瑞光橋~白鬚橋のテラスでかもが泳いでいた。「いとこ同士は鴨の味」というけれど、菅総理は参議院選では大敗したが、今回の伸子かあちゃんの助言はどうだったのかな?







 昨日の参議院選挙は民主党の大敗で終った。
 朝から蒸すが、外に出るとかなり強い風が吹いていて、気持ちがいい。吾妻橋~白鬚橋の間をひと回り。川面はかなり波が立っていて、時折白波さえ見える。帽子が吹き飛ばされないように目深にかぶって進む。間もなく白鬚橋というところでワンさんと出会う。白鬚橋は今月末の花火大会の防禦柵が張り巡らされている。途中時折ひやりと落ちてきたが、たいしたことはない。
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daf66d3c.jpg 入谷の朝顔市に続いて、7月9日・10日は浅草寺の四万六千日で、境内にはほおずき市が建ち、凡そ200軒の露店で賑わう。
 朝食後、梅雨の中休みか? 全点晴れ渡り真夏を思わせる青空の下、改装中の浅草寺に参詣して、ほうずき市の盛況を見てきた。
 観音様の縁日は「毎月18日」ということだが、室町の頃より「功徳日」と呼ばれる縁日が加えられ、七月十日が観世音菩薩の千日参りの日とされて、この日に参詣すると千日分の参詣に価するといわれるようになったという。浅草寺では享保年間頃からこの日を俗に四万六千日といって、この日に観音様へ参詣すると、四万六千日詣でるのと同じ功徳(くどく)があるといわれるようになったという。信心で、毎日詣でて、100年続けても36500日と四万日にも満たないのだから、とてつもなく大変なご利益ということになる。まあ、こぞって観音様へと詰め掛けることになったというわけ。観音様の一番詣でを争い前日から出掛ける人も増え、今では九日・十日が四万六千日とされるようになった。そも、四万六千という数字の由来は何から出たのだろう。
 誰が数えたか知らないが米一升分は米46000粒で、この日に観音様へ詣でると「一升(一生)喰いぱずれがなく、息災に過せる」とか、千日参りだから四六時(1日)の千日分で四万六千だとかいろいろな説があるようだが、孰(いず)れ誇張の類(たぐい)に相違ない。特に後者にいたっては1日が四六(=24)時になったのは西洋から時計が入ってきてからのこと、江戸時代は1日十二刻で二六時であるはず、辻褄(つじつま)が合わない。
日本ではお盆には萼(がく)に包まれたホオズキの果実を、枝付きのまま精霊棚(盆棚)に飾り、死者の霊を導く提灯に見立てるという仏教習俗があった。四万六千日の日、浅草寺の境内にはほおずき市が立つ。ほおずき市は、元来港区の愛宕神社の観音様の縁日に始まったものといわれる。ある人がほおずきが薬であると愛宕神社の神託で知り、家族にほおずきを呑ませると、大人は癪(しゃく)を切り、子どもは虫の気を去る効果があり、それが評判となって江戸時代には薬として珍重されたとか。愛宕神社の縁日(6月24日)は千日詣りと言われていたことから、千日詣りにほおずき市が開かれるようになったのだという。そのうち、浅草寺の千日詣りの日(7月10日)にほおずき市が立つようになり、愛宕神社をしのぐ賑わいになり今に至っているのだという。愛宕神社のサイトには、ほおずき市の元祖は浅草寺ではなく愛宕神社であると記載してある。
9909724e.JPG ホホズキは果実を鳴らして遊ぶ子どもたちの頬の様子から「頬突き」と呼ばれるようになったという。 また、「カメムシ(古名:ホウ、ホオ)がこの植物によく集まって吸汁することから《ホオ好き》と呼ばれるようになった」といった説もあるが、これは一種の民間語源と推察される。漢字では「酸漿」のほか「鬼灯」とも書く。これは中国語で小さな赤い提灯を意味する。中国語では酸漿(さんしょう)の名のほかに「金灯」「錦灯籠」などとも言い、英語では Chinese lantern plant と呼ばれている。
 

 山谷堀に出ると、久し振りの朝焼け。隅田川を右岸沿いに北上。
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6dad1dcd.jpg 明治通りを横切って荒川区の遊歩道に入ると、いつのまにか黒雲で覆われてくる。対岸の防災団地の上の雲の切れ間から半分雲に隠れたご来光が見られた。
 水神大橋をわたり、墨堤通りの鐘ヶ淵陸橋に出ると、防災団地に沿って南下し、桜橋を渡って帰宅する。隅田公園の周辺は今月末の花火大会に備えて方々に柵が設けられ始めた。万歩計には9793歩、6.36㎞の徘徊と記録されていた。
 今朝のウェブニュースから。
与党、過半数は困難 朝日新聞終盤情勢調査 ――  11日投開票される参院選について朝日新聞社は6、7の両日、電話による終盤情勢調査を実施、取材による情報と合わせて分析した。それによると(1)民主党は序盤と比べて勢いを失いつつあり、選挙区、比例区合わせても40議席台にとどまる可能性がある(2)自民党は比例区で伸び悩むものの、選挙区では民主と互角で40台半ばの議席をうかがう(3)みんなの党は10議席を上回る獲得が有力になり、さらに上積みをはかろうとしている――などがわかった。 /選挙区で約4割、比例区で約3割が投票態度を明らかにしておらず、最終盤に情勢が変わることもある。 /民主の非改選議席は62。参院での単独過半数には60、国民新党とあわせた与党過半数には56議席が必要だ。単独過半数には遠く及ばず、与党でも過半数割れする公算が大きくなっている。/苦戦の大きな理由は、前回2007年には大勝した29の1人区の多くで、自民候補との厳しい戦いを強いられていることだ。安定した戦いぶりなのは岩手や滋賀など4選挙区にとどまる。山梨、三重、大分では優勢だった現職が追い上げを受けて逃げ切りに懸命なほか、栃木ではみんなの党も含めた3人の争いが激しさを増すなど、民主が優位だったり、ややリードしていたりした選挙区でもつれるところが目立っている。/12ある2人区では、民主と自民が1議席ずつをほぼ固めたところが序盤より増えた。民主は10選挙区で2人擁立しているが、議席独占の選挙区は生まれそうにない一方で、静岡で共倒れの可能性を残している。/五つある3人区と5人区の東京で各1議席は確保する可能性が高くなっているが、2議席目をめぐってはいずれも混戦になっている。/ 比例区では序盤より勢いを失い17議席前後にとどまりそうだ。/自民は選挙区で引き続き堅調だ。1人区では秋田で新顔が接戦から抜け出して優勢になるなど、民主を上回る7選挙区で優位をほぼ固めた。さらに愛媛、鹿児島で接戦から抜け出しつつあり、勢いは上向きだ。2人区でも各1議席の確保はできそうな状況だ。/3人区以上では、神奈川、愛知で優位を維持しているほか、埼玉でもやや優勢。ただ、そのほかの東京などでは当落線上で激しく競り合っている。比例区では11議席前後と苦戦が続くが、選挙区と合わせれば前回の37議席からは大きく回復しそうだ。/みんなの党は神奈川で1議席が有力になったほか、混戦模様の東京や、千葉、愛知で議席獲得の可能性があるなど、選挙区全体では4議席程度、比例区でも7議席程度と合わせて2ケタ台に乗せ、さらに上積みを目指す勢いだ。/公明は選挙区に3人を立ていずれも逃げ切りに懸命。比例区では前回をやや下回る6議席前後になりそうだ。/共産は東京の1議席をめぐって競り合っている。比例区では3議席前後。社民は比例区で2議席の可能性が出てきた。たちあがれ日本、新党改革、国民新は比例区で1議席を獲得できるかどうかの戦いとなっている。
0c66dbcc.JPG 〈調査と推計の方法〉 6、7の両日、コンピューターで無作為に作成した番号に調査員が電話をかける「朝日RDD」方式で、全国47選挙区と比例区の情勢を調査した。対象者の選び方は、無作為3段抽出法。有効回答の目標数は、改選数1の選挙区800~1000人、改選数2の選挙区1000~1200人、改選数3と5の選挙区は1500人。 /番号サンプルのうち、世帯用と判明した番号は全国で計7万6981件、有効回答は4万9653人。回答率は65%。 /選挙区では過去3回(01年、04年、07年)の調査結果と選挙結果から作成した予測式を用いて得票率を推計。各候補者の推計得票率の差から当選確率を算出した。各政党別の推計議席は、この当選確率を積み上げたもの。/比例区でも過去3回分のデータから予測式を作成。誤差幅を見込んでドント式のシミュレーションを行い、獲得議席を求めた。/選挙区、比例区とも調査データに本社取材による情報を加え、総合的に分析した。  (asahi.com.2010年7月9日5時0分)

 昨日は七夕。
織女(たなばた)の今夜(こよひ)逢ひなば常のごと 明日を隔てて年は長(なが)けむ (万葉集、巻十 2080)―― 織姫は、七夕の今夜、彦星に逢えたなら、またいつものように明日から二人は離れ離れとなって、一年間という長い時間を再び逢える日を信じて待って、過ごしていくことになるのだなぁ。
六朝・梁代の殷芸(いんうん、生没年不詳)の小説に「天の河の東に織女有り、天帝の子なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」という一節があり、これが現在知られている七夕のストーリーとほぼ同じ型となった最も古い時期を考証できる史料のひとつとなっているらしい。織女や牽牛という星の名称は 春秋戦国時代の『詩経、(小雅,谷風之什「大東」)』が初出とされているが、どの星を指すかは定かではない。
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cddc4861.jpg 浅草寺東参道から馬道を南下し、伝法院通を西進、国際通を横切ると、今日が「下町たなばた祭」の最終日であるかっぱ橋本通りを西進、昭和通を北上して真源寺(入谷鬼子母神)にでる。ここは本日朝顔市の最終日である。早朝なので混むこともなく歩道に並ぶ朝顔売りの葭簀張りの店を金杉通までみて歩く。此処から言問通を東進。国際通を渡ると千束通から土手通(馬道通)を横切り、山谷堀公園を抜けて帰宅した。
 今朝のウェブニュースから。まあ、サッカーと大相撲汚染問題で今回の参議院選挙少々影が薄れてしまっている。与党民主党にとっては、菅首相の消費税失言も薄れて救われたきらいがないでもない。
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88b43d3b.JPG 大相撲:「賭博の胴元は名古屋の組員」 仲介の元力士証言 ―― 大相撲の野球賭博事件で、賭博の仲介役だった阿武松(おうのまつ)部屋の元幕下力士(34)が警視庁組織犯罪対策3課の事情聴取に「賭博の胴元は名古屋の暴力団組員だった」と供述していることが7日、関係者への取材で分かった。同課が確認したところ、この組員は約1年前に死亡していた。元幕下力士は引退した06年ごろから、仲介役として組員との関係を本格化させたとみられる。同課は元幕下力士を中核に角界に拡散し、暴力団の資金源になっていた疑いが強いとみて調べている。/元幕下力士は98年に阿武松部屋に入門し、06年5月の夏場所を最後に引退した。/関係者によると、元幕下力士は入門から数年後、名古屋市内の飲食店で組員に声をかけられ名古屋場所の度に会って飲食する仲になった。当初は組員とは知らなかったという。元幕下力士は同課の調べに「組員を通じて野球賭博をするようになった。組員は1年ほど前に死んだ」と話しているという。組員は実在したが、約1年前に病死している。同課は供述の真偽について慎重に捜査している。/同課などによると、野球賭博の主な仕組みは、阿武松部屋の床山(29)が力士らから試合予想について注文を受け、元幕下力士がさらに胴元との間を仲介していた。元幕下力士が床山と現役幕下力士(34)を賭博に誘ったのをきっかけに、同部屋を中心に参加する力士らが増えたとみられる。日本相撲協会の特別調査委員会の調査では、同部屋では床山と幕下力士のほかに7人が賭博をしていた。/さらに、床山がまげを担当していた元大関・琴光喜関(34)を誘い、元琴光喜関を通じて前大嶽親方(42)=元関脇・貴闘力=も加わるなど、阿武松部屋以外にも賭博客は拡大。元琴光喜関はその後、直接元幕下力士に発注していたという。元力士、古市満朝容疑者(38)=恐喝容疑で逮捕=は仲介役の現役幕下力士の兄で、元幕下力士の客だった。/元琴光喜関や前大嶽親方は事情聴取に「3~4年前から野球賭博をしていた」と話しており、同課は元々は賭博の客だった元幕下力士が引退後、本格的に仲介役を担ったとみている。元幕下力士は毎日新聞の取材に「胴元が暴力団とは考えもしなかった。野球賭博で遊んでいるうちに、みんなが集まってきた」と話していた。/同課は7日、千葉県習志野市の阿武松部屋や大阪市の元幕下力士の自宅など三十数カ所を賭博開張図利容疑で家宅捜索した。   (毎日新聞 2010年7月8日 2時30分)
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 蒸し暑く寝苦しくてよく眠れない。暦の上では本日は七夕であるが、まだ夜の明けきらぬうちから小雨模様の吾妻橋~白鬚橋を傘もささずにひと回りする。9185歩、5.97㎞と記録されていた。

 今朝のウェブニュースから。
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6b3b4c00.JPG 大相撲生中継なし NHK「苦渋の選択」 ―― 相撲界に、そして相撲ファンに大激震が走った。多くのファンを魅了してきたNHKの大相撲中継が、消える…。/福地会長は6日午後4時半、東京・渋谷の同局で緊急会見を開き、「今回は中継しないことを決めました」と宣言した。この日午後1時、日本相撲協会・村山弘義理事長代行(73)=元東京高検検事長=がNHKに出向いて中継を要望したが一蹴した形だ。/ラジオでは1928年、テレビでは53年から中継がスタート。ラジオでは戦時中の混乱期に中止された例はあるが、テレビ中継が中止されるのは初。相撲界の不祥事による中止も83年目にして初めてだ。長い大相撲中継の歴史に、大きな汚点が残された。/中継中止の代わりとして、これまで深夜1時台に放送していたダイジェスト版を、取組終了直後の午後6時台にも幕内のみ放送することで決着。地上派のNHK総合だけでなくBS2も同様で、ラジオは取組結果を同時間帯に放送するとした。/「苦渋の選択をご理解いただきたい」と厳しい表情を浮かべる福地会長。「こういうことがあっても、相撲の灯は消したくないんです。国技ですから…。でも今度の場合はやむを得なかった」と、声を絞り出すように語った。/中止の決断をした大きな理由は2点だ。1つは相撲協会の改革が“不透明”である点。福地会長や同局幹部は会見で「改革の道筋が示されていない」と再三繰り返した。幹部の1人は、相撲協会が設置する外部の改革委員会「ガバナンスの整備に関する独立委員会」の人選など、具体性が見えていない点を強調した。/もう1点は、NHKに寄せられた視聴者の厳しい声だ。6月14日から今月5日までに寄せられた意見は約1万2600件。そのうち中継反対が68%の約8600件だったのに対し、賛成の声はわずか13%の約1600件。圧倒的に反対意見が多かった。「外部の不祥事で、これだけNHKに意見が寄せられるのは重大なこと。かつてなく厳しい」と福地会長。/名古屋場所以降については、「放送できる状況になれば放送する。これ以上何か(不祥事が)あれば、NHKの中継以前の問題になる」と、状況次第では今後も中継しない可能性を示唆した。一方、1場所5億円とも言われる放送権料の扱いについては、「今後相撲協会と話し合って協議する」と話すにとどめた。/相撲協会に対し、福地会長は「100年に1度の危機という緊張感で、待ったなしの改革に取り組むことを強く要望する」と厳しい“張り手”を放った。賭博問題の余震は、まだまだ続く。
★NHK福地会長 TVで経緯説明
 福地会長は6日午後8時43分から、2分間のミニ広報番組「NHKプレマップ」に単独で出演。生中継を行わず、ダイジェスト番組のみで対応する方針を視聴者に向けて説明した。会見と同様に視聴者から中継反対の意見が多いこと、相撲協会の改革の道筋が見えない状況を踏まえて判断したとし、最後に「視聴者の皆様にはご理解のほど、よろしくお願いします」と深々と頭を下げた。  (SANSPO.COM 2010.7.7 05:03)
 もう一つ、選挙関係のニュースから
7ee4c3d3.JPG 民主党:小沢氏、独自の選挙戦術貫く ―― 民主党の小沢一郎前幹事長が、党代表や幹事長時代から続ける独自の選挙戦術を「一兵卒」になった今回の選挙でも貫いている。党執行部の傘下に入らず、組織対策や農山漁村回りを徹底している。/小沢氏は幹事長時代、幹事長室に団体の陳情を一本化し、旧来、自民党を支持してきた団体の切り崩しを図った。5日は愛知県田原市の農協を訪問。同農協幹部が幹事長時代の小沢氏に陳情したことを踏まえた行動だ。/6日は熊本県天草市の離島、御所浦島を訪れ、チャーターした小型船で漁港を回った。小沢氏は約100人を前に「私が一貫して唱えてきたのは国民の生活第一」と、自らが指揮した07年参院選以来のキャッチフレーズを持ちだし、ぶれない姿勢を強調してみせた。/党執行部は鳩山由紀夫前首相も含め、幹部の応援日程を集中管理しているが、小沢氏だけは放任状態。選挙戦術でも、党執行部との違いが浮き彫りになっている。  (毎日新聞 2010年7月6日 21時03分)

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 霧の立ちこめる隅田川の桜橋~水神大橋間をひと回り。霧のためスカイツリーは雲隠れ。大変蒸し暑く、汗が滲んでくるが、川面はいたって静か。昨夜北区や板橋区で土砂降りの被害が出たなどとはとても想像つかない。9222歩、5.99kmの徘徊であった。

 本日のウェブニュースから。
4c73e1e7.JPG 辞めない! 貴乃花親方 退職願翻意…真相語る ――  辞めません!! 元横綱の貴乃花親方(37)が5日、退職騒動の真意を明かした。貴乃花親方は前日、愛知県名古屋市内のホテルで行われた日本相撲協会の臨時理事会で、野球賭博で解雇された貴乃花グループの元大嶽親方(42=元関脇・貴闘力)らが起こした問題の責任を取る形で退職願を提出。しかし受理されなかったため翻意し、今まで以上に弟子育成などの職務に力を注ぐ決意を述べた。/退職願を出していたことが明らかになった4日の臨時理事会から一夜明け、貴乃花親方はその真意を包み隠さず語った。/貴乃花親方 私は理事会のメンバーですから、会議の中身に関して私から話すことはできません。ただ、(理事会の話が漏れたことで)どういう気持ちだったかだけはお話しすべきだと思っています。/臨時理事会に出席した関係者によれば、貴乃花親方は元大関・琴光喜の解雇処分を軽減するよう求めていたがかなわず、会議の終了間際に退職願を提出したという。/貴 大嶽親方がこれだけのことをしでかしたので、グループの代表として責任を感じていました。ただ、琴光喜は現役の大関。せめて解雇だけは避けられないかと思っていました。警察の捜査では、琴光喜は野球賭博の仲介者から脅迫されていた被害者という話も聞いていました。/野球賭博で解雇された元大嶽親方は二子山部屋(現貴乃花部屋)時代の兄弟子で、「7人の侍」と自称していた貴乃花グループの中心メンバーだった。今年2月に貴乃花親方が理事選挙で初当選した際も、義父の元横綱・大鵬(納谷幸喜氏)の支持を取りつけるなど中心となって活動。また、元琴光喜は元大嶽親方と仲がよく、理事選で貴乃花親方に1票を投じた1人ともいわれていた。/貴 力士が犯した罪は土俵で償うべきという思いがありました。十両からでも幕下からでもやり直させる道はないかと考えていました。/協会関係者によれば、退職願を出した貴乃花親方に対し、武蔵川理事長は「こういう状況だからこそ君がしっかりしなければいけない。退職は無責任すぎる」と慰留。村山弘義理事長代行も「あなたは協会の宝だから」と受け取りを拒否し、翻意を求めたという。/貴 自分ではけじめをつけるべきだと思っていました。理事会でどのような話があったかは言えません。ただ、これから弟子の指導に今まで以上にまい進し、微力ながら(相撲教習所所長などの)職務に力を注ぐことも責任の取り方だと気持ちを切り替えました。/この日、三重県桑名市の貴乃花部屋の宿舎の稽古場には、普段と同じように弟子の指導に励む貴乃花親方の姿があった。   [Sponichi Annex、 2010年07月06日 ]
 

3523e809.jpg 朝少々寝坊をしてしまい、5時30分から山谷堀公園を抜け、千束通りを通って言問通にでる。ここを西進し、金杉通りで口から引き返し入谷鬼子母神として知られる真源寺(日蓮宗)から昭和通をなんかする。明6日から3日間この真源寺周辺は朝顔市で賑わう。
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1e2db026.jpg 明治初期、入谷の十数軒の植木屋が朝顔造りを始め、年々大輪や珍花を咲かせ評判になったが、都市化の波と共に大正2年、一旦途絶えてしまうが、昭和25年に地元有志により復活したという。現在は、下町の夏を代表するイベントとして、全国に知られているという。売られている朝顔の鉢は、行灯造りが主流で、薄あずき色の団十郎が人気だそうだ。
eca62154.jpg 昭和通から七夕まつりで彩られたかっぱ橋本通りにはいる。毎年、7月に入ると此処上野駅入谷口に近い昭和通から浅草の国際通りまでの1.2キロの通り沿いには、彩り鮮やかな七夕飾りが登場する。平成年になってからは、カーテンのように下がる大型の竹飾りはみられなくなったが、期間中の土日には、パレードが行われて大変賑わうということである。
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a42454fd.jpg 国際通りを雷門通まで南下し、雷門通を東進、吾妻橋西詰から隅田公園を抜けて帰宅した。スカイツリーの上の部分は雨雲に包まれている。今日の徘徊は9875歩、6.4kmと記録されていた。
 今朝の新聞の一面は「理事長代行に村山氏」とあり、小さく「協会、外部とように一時抵抗」とある。記事の一部に「最後は文部科学省から求められていた外部の人材に落ちついた」とある。文部科学省に相撲の内情なんて解るはずもなかろう。外部人材で大相撲の運営が出来ようはずもなかろうに。
73fc8caa.JPG あの力士どもを一列に並ばせてのお詫び会見はなんだ。まるで茶番じゃないか。これも外部理事のやらせたことなのか?
 政府閣議で、大相撲協会を公益法人から外して後は相撲協会にお任せしてみればいいじゃないのかな。あんな天下りにも等しい外部理事なんていうのも置く必要はなかろうに。公益法人にしておけばおんぶに抱っこの構造は直らないし、蜥蜴の尻尾切りのような理屈に合わない除名や解雇をしなくても済むのではないだろうか。今朝のウェブニュースから。
 大相撲:野球賭博 貴乃花理事が退職願 琴光喜関の解雇反対 理事長ら慰留 ―― 大関・琴光喜関への処分を巡り、解雇に反対した日本相撲協会の貴乃花理事(37)=元横綱=が4日の理事会で、村山弘義理事長代行に協会への退職を申し出ていたことが同日、明らかになった。結論は保留されたが、歴代5位の22回幕内優勝を果たして引退後も人気絶大な貴乃花親方。退職すれば、不祥事が続く協会が最後のとりでを失い、協会のイメージダウンは必至。人気回復の道は極めて険しくなる。/理事の任期途中での協会退職は68年に始まった現行の理事公選制以降なく、前代未聞の事態。複数の出席者への取材によると、貴乃花親方は理事会の途中で立ち上がり、退職届を村山代行に手渡した。/武蔵川理事長らが「みんなに支持してもらって理事になったのに、何で投げ出すのか」と慰留し、結論は先送りされたという。/3日に幹部が集まった理事会、評議員会の打ち合わせでも、貴乃花親方は「幕内最下位から取らせればいい」と提案。この日も「大関まで頑張ったんだから、協会に残してチャンスを与えるべきだ」と主張した。/だが外部理事から「大関だから責任が重い」と反論されて主張が通らず、解雇が決まった。   (毎日新聞 2010年7月5日 東京朝刊)
 

 今日は吾妻橋~白鬚橋の間の隅田川を右岸、左岸をひと回りした。はて、河川の左岸・右岸というのはどのように決められているのだろうか? どうやら、川下に向って右側が右岸、左側が左岸ということになるらしい。これに従えば、隅田川の右岸を吾妻橋まで歩き、吾妻橋を渡って左岸を白鬚橋まで北上、白鬚橋を渡って右岸を下り帰宅したことになる。
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 雨雲が垂れ込めて今でも降りそうな様子なのにスカイツリーは影がアサヒビールのジョッキビルにくっきりと映し出されている。水上バスの淺草ステーションの建設工事は朝早くから進められている。左岸の墨田区役所裏手の広場では勝安房先生が立っていらっしゃる。東京スカイツリーと一緒にカメラに収めさせてもらった。
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目高 拙痴无
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
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