入谷の朝顔市に続いて、7月9日・10日は浅草寺の四万六千日で、境内にはほおずき市が建ち、凡そ200軒の露店で賑わう。
朝食後、梅雨の中休みか? 全点晴れ渡り真夏を思わせる青空の下、改装中の浅草寺に参詣して、ほうずき市の盛況を見てきた。
観音様の縁日は「毎月18日」ということだが、室町の頃より「功徳日」と呼ばれる縁日が加えられ、七月十日が観世音菩薩の千日参りの日とされて、この日に参詣すると千日分の参詣に価するといわれるようになったという。浅草寺では享保年間頃からこの日を俗に四万六千日といって、この日に観音様へ参詣すると、四万六千日詣でるのと同じ功徳(くどく)があるといわれるようになったという。信心で、毎日詣でて、100年続けても36500日と四万日にも満たないのだから、とてつもなく大変なご利益ということになる。まあ、こぞって観音様へと詰め掛けることになったというわけ。観音様の一番詣でを争い前日から出掛ける人も増え、今では九日・十日が四万六千日とされるようになった。そも、四万六千という数字の由来は何から出たのだろう。
誰が数えたか知らないが米一升分は米46000粒で、この日に観音様へ詣でると「一升(一生)喰いぱずれがなく、息災に過せる」とか、千日参りだから四六時(1日)の千日分で四万六千だとかいろいろな説があるようだが、孰(いず)れ誇張の類(たぐい)に相違ない。特に後者にいたっては1日が四六(=24)時になったのは西洋から時計が入ってきてからのこと、江戸時代は1日十二刻で二六時であるはず、辻褄(つじつま)が合わない。
日本ではお盆には萼(がく)に包まれたホオズキの果実を、枝付きのまま精霊棚(盆棚)に飾り、死者の霊を導く提灯に見立てるという仏教習俗があった。四万六千日の日、浅草寺の境内にはほおずき市が立つ。ほおずき市は、元来港区の愛宕神社の観音様の縁日に始まったものといわれる。ある人がほおずきが薬であると愛宕神社の神託で知り、家族にほおずきを呑ませると、大人は癪(しゃく)を切り、子どもは虫の気を去る効果があり、それが評判となって江戸時代には薬として珍重されたとか。愛宕神社の縁日(6月24日)は千日詣りと言われていたことから、千日詣りにほおずき市が開かれるようになったのだという。そのうち、浅草寺の千日詣りの日(7月10日)にほおずき市が立つようになり、愛宕神社をしのぐ賑わいになり今に至っているのだという。愛宕神社のサイトには、ほおずき市の元祖は浅草寺ではなく愛宕神社であると記載してある。
ホホズキは果実を鳴らして遊ぶ子どもたちの頬の様子から「頬突き」と呼ばれるようになったという。 また、「カメムシ(古名:ホウ、ホオ)がこの植物によく集まって吸汁することから《ホオ好き》と呼ばれるようになった」といった説もあるが、これは一種の民間語源と推察される。漢字では「酸漿」のほか「鬼灯」とも書く。これは中国語で小さな赤い提灯を意味する。中国語では酸漿(さんしょう)の名のほかに「金灯」「錦灯籠」などとも言い、英語では Chinese lantern plant と呼ばれている。
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