瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[319] [320] [321] [322] [323] [324] [325] [326] [327] [328] [329]
 昨日は、先日の後遺症か? 左足のふくらはぎが痛くて、桜橋~白鬚橋を一巡しただけで、跛足をひきひき帰宅した。
 今朝ほどはふくらはぎの調子はいくらかよいが、日曜日でもあるし大事をとって徘徊は取り止め。テレビで朝の報道特集、時代劇 鬼平犯科帳と剣客商売を見る。
 今日のウェブニュースより
fd507ab6.JPG 名古屋市議会解散請求:市長の支援団体 受任者説明を開始 ―― 名古屋市議会解散請求(リコール)の署名活動を27日に始める河村たかし市長の支援団体「ネットワーク河村市長」が21日、市内各地で受任者への説明会を始めた。21日は8カ所、22日は9カ所で開く。/受任者は、リコールの請求代表者から委任されて実際に署名集めをする人。同団体は、はがきで受任者を募集し、現在約45000人いるという。/午前10時に説明会が始まった名東生涯学習センター(名古屋市名東区)には、区内の住民約40人が集まった。/前静岡県磐田市長の鈴木望・同ネットワーク代表が「市長と議会の考えが対立したままでは、魅力のある施策が実現されないことになる。民意を聞いてみよう」とあいさつ。その後、請求代表者が「同じ区内の人から面談で集める必要がある」など署名の手順を細かく説明し「署名してもらうと同時に、受任者になるようお願いして活動を広げてほしい」と協力を呼びかけた。リコールには開始から1カ月内に市全体で約36万6000人の署名が必要。(毎日新聞 最終更新2010年8月21日 14時39分)

 今朝はベッドから降りようとすると、右足のふくらはぎがコブラ返り。今日の徘徊は止めにしようかなとも思ったが、今朝はいつもよりいくらか涼しく、歩けるところまでということで、玄関を出ると目の前にセキちゃんが現れたではないか。桜橋の方へ行くと言うので、山谷堀水門まで同行。
076316c6.jpg
96dc5477.jpg 水門の横で桜橋のご来光とスカイツリーをバックに写真撮影。それぞれのペースでと言うことで、セキちゃんと別れた。彼は橋を渡ると遊歩道を南にとり、吾妻橋方向へ行ったようだ。爺はまだコブラ返りの後遺症で、ゆっくりと白鬚橋を渡り、橋場・今戸のテラスを通って帰宅。
 朝のテレビ報道で軽井沢鳩山別荘での懇親会の様子を放映していた。浅草出身のN議員が鳩山氏と小沢氏に挟まれてアニマル浜口ばりのエールを送っていた。今朝のウェブニュースから。
 <スコープ>『小沢首相』世論の壁 政治とカネ 依然逆風 ―― 民主党の小沢一郎前幹事長は本当に出馬できるのか。党内の待望論の広がりと、国民世論の動向を見極めた上で最終判断すると小沢氏周辺は漏らすが、国民世論は政治とカネの問題を抱える小沢氏の復権に慎重。これを無視すれば、民主党自体が大きなダメージを負う。加えて、出馬すれば、再選を狙う菅直人首相(党代表)との党を二分する戦いになり、どちらが勝っても党内は大揺れとなる。/小沢氏は十九日、長野県軽井沢町で開かれた鳩山由紀夫前首相を支持するグループの懇親会に姿を見せ、約一時間滞在。帰り際にマイクを握り「久しぶりに大勢の仲間と顔を合わせ、楽しく過ごせた。互いに力を合わせ、国民の期待に応えられるようにやろう)と挨拶した。/懇親会には、鳩山グループや小沢氏を支持するグループ、新人を中心に党所属議員の三分の一を超える約百六十人が参加。小沢氏出馬を画策する山岡賢次副代表によると、小沢氏は代表選には触れなかったが、鳩山氏に「一緒に原点に返り、みんなで頑張ろう」と発言。衆院選マニフェストの修正を模索する首相へのけん制とみられ、山岡氏は記者団に「ある意味、(出馬に向けた)宣言ではないか」と期待感を示した。/会場からは「非常事態だから小沢氏に立ってほしい」(若手)との声や、首相支持を表明している鳩山氏に撤回を求める声も出た。
■勝てる候補
f2f2f7ed.JPG ここにきての小沢氏出馬論の背景は代表選が近づく中、首相と互角に戦える候補がいまだに見当たらないことにある。鳩山グループに所属し、小沢氏との関係も良好とされる海江田万里衆院議員の出馬が取りざたされるが、小沢グループに支持は広がっていない。/小沢氏の側近議員は「海江田氏は駄目ではないが、本命は小沢氏だ」と指摘。小沢氏は複数の側近議員から出馬を促され、最近になって「環境が整えば」との意向を示したという。/ただ、小沢氏は政治資金規正法違反事件で、自らの強制起訴につながりかねない検察審査会の議決を控え、党内には代表選出馬は困難との見方も依然として消えていない。/また、小沢氏出馬の最大のネックとなるのは国民世論の動向だ。最近の世論調査では菅首相の続投を求める声は五割を超えており、たびたび首相が交代することを望んでいない。しかも、菅首相にとって代わるのが、政治とカネの問題が指摘され、独裁イメージもある小沢氏では国民の理解は得られにくい。/民主党代表は誰がよいかに関する共同通信の世論調査(九日発表)では菅首相37%に対し小沢氏はわずか5%。
■代表選後
 政治とカネの問題で幹事長を辞任した小沢氏に対する国民の目は依然として厳しい。小沢氏が出馬し、小沢、鳩山、旧民社党系の各グループなどが支持に回れば、数の上では、菅首相に圧勝できそうだが、その後の民主党はどうなるか。/国民の民主党離れにつながることは間違いないし、小沢氏が自分を支持しなかったグループを徹底的に干し上げる可能性も否定できず、党内の大混乱も予想される。/「出馬すれば、小沢氏が傷つく」(中堅)。小沢グループにさえこんな声があるのは、勝っても負けても、小沢氏が苦しい立場に置かれることが分かっているためだ。小沢氏はどう判断するか。
◇研修会主な参加者(順不同)
 【鳩山氏に近い議員ら】小沢鋭仁環境相▽平野博文前官房長官▽松野頼久前官房副長官▽松井孝治前官房副長官▽中山義活前首相補佐官▽大畠章宏衆院国家基本政策委員長▽大谷信盛環境政務官▽海江田万里衆院財務金融委員長▽羽田雄一郎参院国対委員長▽大島敦内閣府副大臣▽鈴木寛文部科学副大臣▽城島光力政調会長代理
 【小沢氏に近い議員ら】輿石東参院議員会長▽中井洽国家公安委員長▽山岡賢次副代表▽三井弁雄国対委員長代理▽松本剛明衆院議院運営委員長▽松木謙公国対副委員長▽樋高剛衆院議員▽太田和美衆院議員▽岡島一正衆院議員▽佐藤公治参院議員▽谷亮子参院議員
 【その他】荒井聡国家戦略担当相▽樽床伸二国対委員長▽石井一副代表▽桜井充政調会長代理
(東京新聞、2010年8月20日 紙面から)

 今年は日韓併合から100年。35年間大韓民国は亡国の憂目にあった。そして1945年、大韓民国が再建されて65年、この間日本は謝罪の限りを尽くしてきた。いま又、菅総理はいきなり謝罪の諂い談話を発表し、これを閣議決定したというので、議論をかもし出している。
 林不忘(1900~1935年、「丹下左膳」の作者)の「安重根(韓国名: アン・ジュングン、1879~1910年、伊藤博文の暗殺者)」という作品を見つけたので読んでみることにする。
 

 昨日の予報では、今朝は雨の予報であった。毎夜の熱帯夜でうんざりしていたが、今朝は窓から吹き込む風に秋を感じさせられた。予報ははずれて雨は降っていなかった。
b76c09fe.jpg
341e710c.jpg 真正面にスカイツリーを見上げながら言問橋をわたり、東武・業平橋駅から東武橋に出る。北十間川沿いに東進、京成橋に出る。スカイツリーの現在の高さは418mと標示されていた。
 昨日のブログで木母寺の三遊塚のことに触れたが、京成橋の先にある法性寺に「昔ばなし柳塚」があるのを思い出し、柳島まで足を伸ばした。ここ法性寺は「柳島の妙見さま」として葛飾北斎も帰依した寺で、北斎について調べ頃何度も訪ねた所である。寺の入口に「昔ばなし柳塚」の案内板を一読して境内にはいる。
 法性寺をでると北十間側に架かる十間橋を渡り、川沿いの北道を通り、押上商店街に出る。ここから、桜橋通りを西進して桜橋を渡って帰宅した。
0bc5b39c.JPG
fa261d21.JPG 柳派(やなぎは)は、江戸(東京)落語の一派のこと。柳派の祖は初代麗々亭柳橋で、江戸時代後半から明治初期にかけて、初代談洲楼燕枝(前名柳亭燕枝)が柳派の中心となり、三遊亭圓朝を中心とする三遊派と対抗していく様になっていったという。
 1888年には完全に三遊派とは独自に興行を実施するようになっていった。5日ごとに行われていた寄席興行のうち、半分を柳派が、もう半分を三遊派が担当するという興行方式がこの頃に確立し、1923年に柳派と三遊派が合併する頃まで続けられた。柳派に属していた落語家の多くは滑稽噺を得意としており、人情噺を得意としていた三遊派とは対をなしていた。
 昨日のブログにとりあげたように、明治時代、木母寺に三遊派が三遊塚を建てており、おそらく三遊派と覇を競っていた柳派がその存在を誇示するためにここ柳島の法性寺にこの「昔ばなし柳塚」を建てたものだと思われる。

48ece1ac.jpg 桜橋~水神大橋の隅田川を徘徊。「アカイアカイ、アサヒガアカイ」(国民学校1年生) 対岸にご来光を見ながら、桜橋からテラス沿いに白鬚橋まで北上。白鬚橋から水神大橋までの荒川区の遊歩道・テラスを北上。

ab2eafbe.jpg 水神大橋を渡ると、人通りの少ない墨田区側のテラスに降りて、白鬚橋まで南下。対岸の白鬚橋近くにひときわ目立つガスタンクが3基ある。
 ガスタンクの正式名称は球形ガスホルダーというのだそうで、工場から送られてきたガスを一時的に貯める施設だという。日中はガスの使用量が生産量を上回ることがあるため、使用量の少ない夜中にガスタンクにガスを貯めておくということらしい。
0fd9a8a8.JPG
d0ae3bf7.JPG かつてここにはガス製造工場があり、形こそ違うが巨大なガスタンクがあったらしい。その様子は小泉癸巳男(1893~1945年、大正~昭和時代前期の版画家)の版画や長谷川利行((1891~1940年、京都府出身の洋画家、歌人)の絵画などに描かれている。
インターネットで検索して取り出してみたが、なるほど時代を感じさせるものではある。
聞くところによると、第一次世界大戦(1914~1918年)の頃には建設されていたというから、いずれにしても100年の歴史をもつことになる。本日の徘徊記録は、9879歩、6.42km。

 一昨日・昨日は風もなく朝から暑い1日であった。本日はいくらか風はあったが、それでも暑い。桜橋~水神大橋間の隅田川を一巡して帰宅した。
eabf36de.JPG 木母寺前で先日読んだ正岡容〈いるる〉の「小説・圓朝」を思い起こした。以前木母寺境内で三遊亭圓朝が寄贈したという「三遊塚」の碑を見たからである。この「三遊塚」碑は明治22年3月10日、初代三遊亭圓生を追福するするため、木母寺に建立されたものといわれ、山岡鉄舟の揮毫になるという。円朝は師匠の2代目圓生からいわれのない仕打ち――弟子である圓朝の出し物を先に演じてしまうなどの妨害をした為、かえって圓朝に創作力が付いたといわれている。圓生は晩年は病がちになり不如意な生活を送ったが、その際、圓朝は怨みを忘れて手当てを贈ったという。没後も遺言に従い、三遊派が勢いを盛り返した慶応元(1865)年3月21日(初代圓生の命日)に本葬を行なったという。また、圓生の盲目の娘は、終生圓朝が世話をしたという。
 何代目かは不明であるが、圓生は噺の中で「梅若塚」は梅若塚ではなく、和歌を埋めたので「埋和歌塚」と語ったそうであるが、これは噺を面白くするためのこじつけであろう。
 また、木母寺は隅田川物を上演する際に、役者が梅若丸の供養と興行の成功並びに役者自身の芸道の上達を祈念して「木母寺詣で」を行ったことから、江戸時代のころから「芸道上達」「学業精進」の祈願寺として大衆の信仰を集めているという。
 早朝のため、木母寺はまだ閉まっていて、境内には入れないので、写真はインターネットから拝借した。
 昨日は民主党政権が初めて迎えた終戦記念日。菅直人首相と全閣僚は靖国神社参拝を見送った。過去30年間で初めての閣僚参拝ゼロ。中国、韓国などアジア諸国が反発する光景も見られず、靖国問題が政治、外交の表舞台から遠のく穏やかなる夏となった。しかし、民主党が野党時代に掲げた「新たな国立追悼施設」構想の進展はなく、追悼のあり方の議論はストップ状態。
4e8ddf89.jpg
cfa4e572.jpg
a216bf57.jpg






 吾妻橋~白鬚橋を一巡。風もなく蒸し暑い。隅田公園のテラスのベンチはお寝みの方々で何処も塞がっている。日の出の位置が南によった所為かご来光のスカイツリーを撮ることが出来た。墨田区役所裏の広場ではくっきりとスカイツリーを写したアサヒビールのジョッキタワーの下でも、家無き方(ひと)が気持ちよさそうにお寝んね。白鬚橋の上でワンさんと出会う。帰宅後の万歩計の記録を見ると8535歩、5.54kmとある。
 今朝のウェブニュースより、
対抗馬の動き加速へ=小沢氏「原点回帰を」-民主代表選 ―― 民主党代表選〈9月14日投開票〉は、1日の告示まで半月となった。立候補の意向を示しているのは再選を目指す菅直人首相だけ。各グループは盆休み明けに順次会合を開く予定で、対抗馬擁立に向けた動きも加速する。首相批判を強める小沢一郎前幹事長の動向が最大の焦点だ。/小沢氏は参院選後、公の場で発言していないが、12日付のメールマガジンで「民主党は原点に戻り、『国民の生活が第一』の政策を一つ一つ実行」する決意を表明。衆院選マニフェスト(政権公約)への回帰を唱え、党内で相次ぎ結成された「反菅」派勉強会の動きに歩調を合わせた。/最大勢力の小沢氏支持グループには「小沢さんでないと戦えない」(若手)と、同氏自身の代表選出馬に期待する声が根強い。こうした中で党内の関心を集めているのは、鳩山由紀夫前首相のグループが19日に長野県軽井沢町で開く夏季研修会だ。鳩山氏は小沢グループを招待しており、小沢氏も「都合が付けば行きたい」としている。/鳩山氏は首相の再選支持を打ち出したものの、挙党態勢の構築など条件も付け、「小鳩」連携に含みを持たせている。研修会には小沢グループから多数の議員が参加する見通しで、小沢氏本人も出席した場合、反菅派が勢いづくことになりそうだ。小沢氏に近い山岡賢次副代表らでつくる勉強会も、17日に活動を再開する。/ただ、小沢氏は資金管理団体の政治資金規正法違反事件で、東京第5検察審査会の2度目の議決を控えている。再び「起訴相当」となれば強制起訴されるため、動きにくい状況であるのも事実。党内には、代表選後の幹事長など役員人事で自らの要求を首相にのませるのが小沢氏の狙いとの見方もある。/ 首相への対抗馬としては、鳩山グループに所属し、小沢氏にも近い海江田万里衆院議員が意欲を示すが、実際に出馬できるかは「親方(小沢氏)の意向次第」(小沢グループ若手)となりそうだ。
 ◇再始動した首相:一方、首相は15日、軽井沢での5泊6日の静養を終えて東京に戻り、全国戦没者追悼式に出席するなど公務を再開した。菅グループは、対抗馬擁立の動きを見極めた上で、支持拡大に向けた取り組みを本格化させる。/これまでに前原誠司国土交通相を中心とするグループが首相再選支持を決定。野田佳彦財務相のグループも再選支持の方向で、17日から2日間、神奈川県小田原市で開く研修会で結束を確認する。 〈jijicom.2010/08/15-14:47)
45a016e2.JPG 国会前で警察官が日本刀男に切られる 20代の男を逮捕 -- 15日午後2時20分ごろ、東京都千代田区永田町の永田町交番前の路上で、首相官邸の警備に当たっていた警視庁機動隊の男性警察官が日本刀のような刃物を持った男に切りつけられた。男は周囲を警備していた警察官に殺人未遂などで現行犯逮捕された。警察官は左手の指を切り、病院に搬送されたが意識はあり、命に別条はないという。/逮捕されたのは自称宮城県在住の20代の男で、政治団体などに所属していないという。逮捕された際に口にけがをしたとみられ、病院に搬送された。捜査関係者によると、男は「けがをさせたことは間違いない」と供述しているという。/目撃者などによると、男は髪を染めており、口にピアスをしていた。うつろな表情のまま両手で刃物を持ち、路上を歩いていたという。  (産経ニュース、2010.8.15 16:16)

4d0c5011.jpg
7531ab33.jpg 曇、殆んど風なし。白鬚橋の上でワンさんと遇う。橋の上で暫し立ち話。
 今週は、歩く量を減らして、1時間前後で桜橋~白鬚橋を一巡。それでも、大体6000歩前後、距離にして、凡そ4km。


 ここ2、3日前から、野生猿が出没し北区、文京区、荒川区で目撃され、そして淺草に逃げ込んだというテレビのニュースを見せられている。
 今朝のウェブニュースに曰く、
5001fe1c.JPG サルとうとう捕獲、都内横断の“冒険”終わる ―― 東京都台東区の住宅街で13日午後、サルが発見され、捕獲された。/体重約15キロの雄のニホンザルで、池袋など都内各地に出没していたサルと同一とみられる。保護した東京・上野動物園では「奥多摩などのサルが食べ物を求めて人里に下りてきたのではないか」と話している。/警視庁浅草署幹部によると、サルは同日午後2時頃、台東区今戸の住宅兼倉庫に玄関から入り、3階の倉庫部分に逃げ込んだ。/通報を受けた署員が駆け付け、上野動物園に連絡。午後5時10分頃、動物園の獣医師が麻酔銃で眠らせ、捕獲した。命に別条はないという。/現場は、JR南千住駅から南東に約1.5キロの住宅街。近くに住む男性〈73〉は「お年寄りが襲われないか心配だった」とホッとした様子。祖母と一緒に様子を見に来た小学1年の女児(7)は「大きいサルでビックリした」と話した。   (2010年8月13日21時07分 読売新聞)
 

 台風一過というけれど、今朝はどんよりと曇り、風も生暖かく足も重い。桜橋~白鬚橋一巡とここのところ、徘徊距離も減らしている。
e24ed66b.jpg 桜橋から少し離れたテラスにはベンチが並び、家無き人々の格好のお寝みどころとなっている。今日も場所取りに勝った人人がカメラを向けられたのにも気付かず高鼾。台風が去ったというのに、白鬚橋の上では結構風か強い。



46284037.jpg 家の近くのゴミの収集所に数羽のカラスがゴミ袋を引き千切っていた。カメラを向けると何羽かは飛び去ったが、執拗にゴミ袋を漁っているのもいる。このようにゴミをひっ散らかすカラスは皆からのきらわれものであるが、カラスは幼いときに親から口移しに餌を貰って育った恩を忘れず、生長してからも親に反哺するという。自分の親が行方不明になっても探そうともしない、いやはやその親の年金でぬくぬくと暮らしているような人間様にくらべれば、立派であるといわねばならぬ。帰宅後、中唐の詩人・白楽天の「慈烏夜啼」を繙(ひもと)く。

602dffb1.JPG「慈烏(じう) 其の母を失い/唖唖(ああ) 哀音を吐く/昼夜 飛び去らず/経年(けいねん) 故林を守る/夜夜 夜半に啼(な)き/   聞く者 為に襟を霑(うるお)す/声中 告訴(こくそ)するが如し/未だ反哺(はんぽ)の心を尽さずと/百鳥 豈(あ)に母無からんや/   爾(なんじ)独り 哀怨(あいえん)深し/応に是れ 母の慈(いつく)しみ重くして/爾をして悲しみ任(た)えざらしむるべし/昔呉起(ごき)という者有り/母没すれど 喪(も)に臨まず/嗟哉(ああ) 斯の徒輩/其の心 禽(とり)にも如かず/慈烏(じう) 復(ま)た慈烏/鳥中の曽参(そしん)たり」
 鳥は、母が産まれた子を六十日間養育すると、子は生長した後、母烏に六十日間餌を運んで恩返しをすると言い伝えられている。「反哺心」は、子が母に口移しに餌を与えて養うことから、孝行の心のことをいう。「呉起」は、戦国時代の衛の国の人。兵法軍事の大家として有名。まだ世に出る前に、「卿相にならなかったら、故国へは帰らない」との母への約束を守り、母の死に際しても帰国しなかったという。「曽参」は、孔子の弟子で、親孝行で有名。呉起の師であるが、母の死に帰国しない呉起を見て絶交したと言われる。
 大略は、「慈烏がその母烏を失い、カアカアと悲しげに啼いている/昼も夜も古巣の林を離れず、いつまでも、母烏を慕っている/毎夜 夜中過ぎに鳴き、聞く者はその哀しげな声につい涙で襟を濡らしてしまう/その声はまるで訴えているようだ、まだ自分は孝行を尽くしていないのだと/多くの鳥達にどうして母のいないことがあろうか、だが、お前だけが悲しみが深い/きっと母の愛情が深かったから、お前をこんなに悲しませているのだろう/昔、呉起というひとがいたが、母親が亡くなっても葬式に行かなかったと言う/ああ、こんな輩は、その心と言ったら禽にも劣ることだ/慈烏よ、ああ、慈烏よ、お前は鳥の中でも曽参というべきものだよ。」ざっとこんなもの。

1fdb40ce.jpg
d14bdf91.jpg 気象庁の発表によると、台風4号は午前6時には石川県輪島市の西170kmの海上を速度をやや速めて1時間に40kmの速さで東北東へ進んでいるという。本日は旧暦2日、東京湾の満潮は午前5時56分だという。
桜橋~白鬚橋を1巡する。台風のためか帽子が吹き飛ばされそうになるほど風が強いが、朝の陽射しは強く眩しいほどである。桜橋から東京スカイツリーはすっかり秋になったような空に聳え立つ。台風の影響と満潮のためか、橋場、今戸のテラスには水が打ち上げられ、桜橋の袂では水生植物の説明板が水の中に沈んで見える。台風は、今夜には北日本へ上陸の危惧あり。
 今朝のウェブニュースから。
8c45641f.JPG NHK・影山解説委員が自殺図り重体 ―― 11日午後5時25分ごろ、東京都渋谷区神南のNHK放送センター内西館8階のトイレ内で、NHKの影山日出夫解説委員(56)が首を吊っているのが見つかった。影山委員は病院に搬送されたが重体という。警視庁は自殺を図ったとみている。/関係者によると、職場の机の上に遺書らしきものがあり職員が放送センター内を捜索。トイレの個室のフックにネクタイをかけて首を吊っている影山委員を発見した。影山委員は政治全般を担当していた。(産経ニュース、2010.8.11 23:40)

 本日は初代三遊亭圓朝の110回忌である。
 初代三遊亭 圓朝(さんゆうてい えんちょう、天保10〈1839〉年~明治33〈1900〉年)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代に活躍した落語家。本名は出淵 次郎吉(いずぶち じろきち)。落語家であり、歴代の名人の中でも筆頭(もしくは別格)に巧いとされる。また、多くの落語演目を創作した。滑稽噺(「お笑い」の分野)より、人情噺や怪談噺など、(笑いのない)真面目な、(いわば)講談に近い分野で独自の世界を築く。圓朝の噺が三遊派のスタイル(人情噺)を決定づけた。よく、「三遊派は人情噺ができないと真打にしない」ということが昔は言われたものだが、その人情噺とは圓朝自作の二作(芝浜と文七元結)のことである。
 あまりの巧さに嫉妬され、師匠2代目圓生から妨害を受けた。具体的には、圓朝が演ずるであろう演目を師匠圓生らが先回りして演じ、圓朝の演ずる演目をなくしてしまうのである。たまりかねた圓朝は自作の演目(これなら他人が演ずることはできない)を口演するようになり、多数の新作落語を新たに作った。
 圓朝による新作落語はほぼすべてが極めつきの名作といってよく、現代まで継承されている。圓朝が生きたのは江戸時代でなく明治であるが、彼の新作落語は例外的に「古典落語」に分類され、また古典落語の代表とされる。人情噺では前述のとおり、『芝浜』と『文七元結』、怪談では、『牡丹燈籠』『四谷怪談』『真景累ヶ淵』『怪談乳房榎』などを創作した。また海外文学作品の翻案は『死神』。近代日本語の特徴の一つである言文一致体を一代で完成させたことから近代の日本語の祖とされる。当時、速記法が日本に導入された。圓朝は自作の落語演目を速記にて記録し公開することを許した。記録された文章は新聞で連載され人気を博した。これが作家二葉亭四迷(元治元〈1864〉年~明治42(1909〉年)に影響を与え、1887年「浮雲」を口語体(言文一致体)で書き、明治以降の日本語の文体を決定づけたという。のみならず現代中国語の文体も決定づけた。魯迅(ルーシュン、1881年~1936年)は日本留学中に言文一致体に触れ、自らの小説も(中国語の)言文一致体で綴った。すなわち白話運動であり、ここで中国語は漢文と切り離されて口語で記されるという大改革がなされたのである。
 本日午前9時30分、圓朝の墓のある全生庵を訪ねた。花川戸のクロネコに立ちより、西宮のK氏にメール便を発送。松屋前から東西めぐりんで全松庵に赴いた。谷中小学校前で下車、三崎坂をしばし登り全生庵の山門をくぐる。ここで、先ずは三遊亭圓朝翁碑をカメラに収めた。
5a3f019d.jpg 当庵は山岡鉄舟居士が 徳川幕末 明治維新の際 国事に殉じた人々の菩提を弔うために 明治十六年に建立したという。鉄舟居士は慶応四年三月、江戸城総攻撃のため官軍東征するや徳川十五代将軍慶喜の命を受け、単身で静岡まで進軍して来た官軍の大本営に赴き、総参謀西郷南州に面接し江戸城無血開城の道をひらき、江戸市民を戦火の災厄から救い 徳川家の存続をも全からしめた 明治五年から十年間、明治天皇の侍従となり天皇を精神的に教導申し上げ英邁な明治大帝を育成したという。 また剣、禅、書の奥義を極め剣の無刀流を開いたという。全生庵の寺名は 明治七年居士が鎌倉建長寺開山蘭渓道隆禅師自筆の全生庵という額を人から貰い、これを書斎に掛けて愛蔵していたので、 明治十三年居士が一寺建立を発願し、寺域を道友国泰寺越叟和尚のすすめにより谷中の現在地に選定したところが計らずも、此の土地が七百年前道隆禅師が江戸に漂着し九死に一生を得て全生庵という庵室を作って閑居していた旧跡であるいことが判った。居士も奇縁に感じ明治十六年、全生庵を寺号とし、居士邸から曾て江戸城の守本尊であった葵正観世音の霊像を遷して本尊としたという。
7551e47b.jpg 三遊亭圓長は人格面においても、全生庵開基・山岡鉄舟の導きにより禅をよく修し、その淵源を極め、京都天竜寺の滴水禅師より「無舌居士」の号を付与され「芸禅一如」の境涯に達した人物であるという。全生庵に所蔵している円朝遺愛の幽霊画コレクションは、円朝歿後その名跡を守られてきた藤浦家より寄贈された。伝円山応挙というものから、柴田是真、菊池容斎、松本楓湖、伊藤 晴雨、河鍋暁斎など、幕末から明治の著名な画家達の筆による大変ユニークな幽霊画である。全生庵では、毎年、円朝忌の行われる八月の一ヶ月間、幽霊画全幅を公開しており、十一日の円朝忌には、落語家により盛大な供養の会も行われているという。
 円朝辞世の句 「耳しいて 聞きさだめけり 露の音」 全生庵七世住職 平井正修
723911cc.jpg
d8e3feca.jpg
cb03cabd.jpg






dd50f35a.jpg
a25501cc.jpg
cd8e2d0b.jpg






c529c593.JPG まずは、圓朝と鉄舟のお墓に参ろうと、墓地に行く。入口にキンキラキンの巨大な観音菩薩の立像が立つ。「これが葵正観世音の霊像か?」「まあ、こんなに派手なキンキラキンなら、余り大したご利益は望めまいに」と、勝手な想像を廻らして、圓朝と鉄舟の墓に詣でて、本堂横の「幽霊画」の展示場へ行く。
 再び、東西めぐりんで浅草に出ると、観音横丁の中華料理店で冷やし中華の昼食を済ませ、帰宅した。
 夜は午後6時、Y家の尾通屋に参列。

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
最新コメント
[enken 02/23]
[中村東樹 02/04]
[m、m 02/04]
[爺の姪 01/13]
[レンマ学(メタ数学) 01/02]
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/