瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[643] [642] [641] [640] [639] [638] [637] [636] [635] [634] [633]
 台風一過というけれど、今朝はどんよりと曇り、風も生暖かく足も重い。桜橋~白鬚橋一巡とここのところ、徘徊距離も減らしている。
e24ed66b.jpg 桜橋から少し離れたテラスにはベンチが並び、家無き人々の格好のお寝みどころとなっている。今日も場所取りに勝った人人がカメラを向けられたのにも気付かず高鼾。台風が去ったというのに、白鬚橋の上では結構風か強い。



46284037.jpg 家の近くのゴミの収集所に数羽のカラスがゴミ袋を引き千切っていた。カメラを向けると何羽かは飛び去ったが、執拗にゴミ袋を漁っているのもいる。このようにゴミをひっ散らかすカラスは皆からのきらわれものであるが、カラスは幼いときに親から口移しに餌を貰って育った恩を忘れず、生長してからも親に反哺するという。自分の親が行方不明になっても探そうともしない、いやはやその親の年金でぬくぬくと暮らしているような人間様にくらべれば、立派であるといわねばならぬ。帰宅後、中唐の詩人・白楽天の「慈烏夜啼」を繙(ひもと)く。

602dffb1.JPG「慈烏(じう) 其の母を失い/唖唖(ああ) 哀音を吐く/昼夜 飛び去らず/経年(けいねん) 故林を守る/夜夜 夜半に啼(な)き/   聞く者 為に襟を霑(うるお)す/声中 告訴(こくそ)するが如し/未だ反哺(はんぽ)の心を尽さずと/百鳥 豈(あ)に母無からんや/   爾(なんじ)独り 哀怨(あいえん)深し/応に是れ 母の慈(いつく)しみ重くして/爾をして悲しみ任(た)えざらしむるべし/昔呉起(ごき)という者有り/母没すれど 喪(も)に臨まず/嗟哉(ああ) 斯の徒輩/其の心 禽(とり)にも如かず/慈烏(じう) 復(ま)た慈烏/鳥中の曽参(そしん)たり」
 鳥は、母が産まれた子を六十日間養育すると、子は生長した後、母烏に六十日間餌を運んで恩返しをすると言い伝えられている。「反哺心」は、子が母に口移しに餌を与えて養うことから、孝行の心のことをいう。「呉起」は、戦国時代の衛の国の人。兵法軍事の大家として有名。まだ世に出る前に、「卿相にならなかったら、故国へは帰らない」との母への約束を守り、母の死に際しても帰国しなかったという。「曽参」は、孔子の弟子で、親孝行で有名。呉起の師であるが、母の死に帰国しない呉起を見て絶交したと言われる。
 大略は、「慈烏がその母烏を失い、カアカアと悲しげに啼いている/昼も夜も古巣の林を離れず、いつまでも、母烏を慕っている/毎夜 夜中過ぎに鳴き、聞く者はその哀しげな声につい涙で襟を濡らしてしまう/その声はまるで訴えているようだ、まだ自分は孝行を尽くしていないのだと/多くの鳥達にどうして母のいないことがあろうか、だが、お前だけが悲しみが深い/きっと母の愛情が深かったから、お前をこんなに悲しませているのだろう/昔、呉起というひとがいたが、母親が亡くなっても葬式に行かなかったと言う/ああ、こんな輩は、その心と言ったら禽にも劣ることだ/慈烏よ、ああ、慈烏よ、お前は鳥の中でも曽参というべきものだよ。」ざっとこんなもの。

この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 3 4 5 6
7 8 10 11 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 26 27
28 29 30
最新コメント
[m1WIN2024Saulp 04/22]
[DavidApazy 02/05]
[シン@蒲田 02/05]
[нужен разнорабочий на день москва 01/09]
[JamesZoolo 12/28]
[松村育将 11/10]
[爺の姪 11/10]
[爺の姪 11/10]
[松村育将 11/09]
[松村育将 11/09]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/