瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 一昨日・昨日は風もなく朝から暑い1日であった。本日はいくらか風はあったが、それでも暑い。桜橋~水神大橋間の隅田川を一巡して帰宅した。
eabf36de.JPG 木母寺前で先日読んだ正岡容〈いるる〉の「小説・圓朝」を思い起こした。以前木母寺境内で三遊亭圓朝が寄贈したという「三遊塚」の碑を見たからである。この「三遊塚」碑は明治22年3月10日、初代三遊亭圓生を追福するするため、木母寺に建立されたものといわれ、山岡鉄舟の揮毫になるという。円朝は師匠の2代目圓生からいわれのない仕打ち――弟子である圓朝の出し物を先に演じてしまうなどの妨害をした為、かえって圓朝に創作力が付いたといわれている。圓生は晩年は病がちになり不如意な生活を送ったが、その際、圓朝は怨みを忘れて手当てを贈ったという。没後も遺言に従い、三遊派が勢いを盛り返した慶応元(1865)年3月21日(初代圓生の命日)に本葬を行なったという。また、圓生の盲目の娘は、終生圓朝が世話をしたという。
 何代目かは不明であるが、圓生は噺の中で「梅若塚」は梅若塚ではなく、和歌を埋めたので「埋和歌塚」と語ったそうであるが、これは噺を面白くするためのこじつけであろう。
 また、木母寺は隅田川物を上演する際に、役者が梅若丸の供養と興行の成功並びに役者自身の芸道の上達を祈念して「木母寺詣で」を行ったことから、江戸時代のころから「芸道上達」「学業精進」の祈願寺として大衆の信仰を集めているという。
 早朝のため、木母寺はまだ閉まっていて、境内には入れないので、写真はインターネットから拝借した。
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