今日のウェブニュースより、
日本の原発、「海依存」が弱点 冷却に構造的課題 編集委員 滝順一 ―― 福島第1原子力発電所での放水作業を指揮した東京消防庁の緊急消防援助隊の警防部長は「海からの取水場所を探すのに苦労した」と記者会見で明らかにした。原発施設の浜側は津波が押し上げた泥などで一面が覆われ、作業が困難だったらしい。/福島第1原発はいま、眼前にある海から切り離されてしまっている。海に依存するという日本独特の原発のありようが、今回の大事故の根っこにある構造的要因だ。/欧米の多くの原発で、外観を見てだれの目にも印象的なのは、白い蒸気を上げる巨大な冷却塔だ。1979年に炉心溶融事故を起こした米スリーマイル島原発も例外ではない。こうした原発では川からくみ上げた水で原子炉などを冷やす。温かくなった河川水をそのまま川に戻すわけにはいかないから、冷却塔で空気で冷やしてから戻す。そこには空冷の仕組みがある。/日本の原発に冷却塔はない。原発で発生した余分な熱は海水で取り除き、巨大な自然の放熱器である海に流し込む。完全な水冷方式である。だから、すべての原発は海岸に立地する。誤解のないように言い添えれば、通常は海水で直接原子炉を冷やすのではない。真水の冷却水で原子炉を冷やし、熱くなった冷却水の熱を海水で取り除く仕組みだ。/こうした構造であるから、海水を取り込めなくなると、原子炉を冷やせなくなる。福島第1で起きた電源の全喪失という事態は、冷却水を冷やす海水ポンプも動かなくなったということだ。詳しい情報が表に出ていないようだが、仮に海水の取水施設に大きな損傷があれば、所内電源が回復し冷却装置が動き出しても、冷却水を冷ます海水の確保に苦労する事態も考えられる。/御巣鷹山に墜落した日本航空ジャンボ機は、飛行に不可欠な補助翼を動かす複数系統の油圧装置を備えていた。安全のために冗長性を持たせていたのだ。しかし、すべての油圧配管が尾部では同じ場所を通っていた。このため、後部圧力隔壁の破壊によってすべての油圧系が破損し、操縦不能に陥った。/福島第1も、複数の緊急冷却装置や多数の非常用電源を備え、原子炉を多重的に守っていた。しかし、海にすべて依存する冷却システムという基本構造が損なわれると、たちまち機能不全に陥った。
同原発の建設にかかわった専門家が「冷却塔があれば」と漏らしたという話を人づてに聞いた。仮定の話が許されるなら、福島第1の原子炉のいくつかを空冷にしていたら、事態は違ったかもしれない。もっとも、それは選択の外だったろう。原子炉を効率的・経済的に冷やせる海を前に立地しながら、わざわざ巨大な冷却塔を建てる必要を、事業者も規制官庁も考えなかったに違いない。/冷却が日本の全原発に共通する構造的な弱点であることが、今回の事故でわかった。重要なのは、これをどう生かしていくかだ。/今回の原発事故では「想定外」という言葉が繰り返し使われている。しかし、想定できなかったということは、防災や原子力安全にかかわる行政や事業者、科学者や技術者の能力不足を意味する。原発が津波に弱いのではないかとの指摘も、これまでなかったわけではない。誠実に耳を傾け、想定してみる意欲・能力に欠けていただけだ。/宮城県沖では、繰り返し地震が起きることが知られており、政府の地震調査研究推進本部も30年以内に99%の確率で発生を予測していた。ただし、それはマグニチュード(M)7級であり、東日本大震災を引き起こしたM9の巨大地震ではなかった。/M9巨大地震が、予測の範囲にあったM7級地震を包含するものなのか、別物なのか、地震の本体についての解明はこれから進むだろう。とりあえず現時点で言えば、政府予測はまったくはずれたと断じざるを得ない。むしろ、この海域で起きうる地震の大きさを過小評価し、必要十分な防災対策を講じる妨げになった恐れがある。/日本の地震学は阪神大震災に有効な警告を出せず、今回も世間の目をミスリードした。「想定外」は責任の免罪符にはならない。 (日本経済新聞 2011/3/21 16:15)
今朝のウェブニュースより、
未明の放水作業で放射線量が低下 ―― 原子力安全・保安院は19日朝、東日本大震災で被災した東京電力福島第1原子力発電所で、同日未明に行われた放水作業後の計測を行ったところ、放射線量が低下したと発表した。事務本館北側の計測結果によると、18日午後8時の3611マイクロシーベルトから、19日午前1時50分には3181マイクロシーベルトまで低下した。/放水作業は3号機の使用済み核燃料貯蔵プールの水位を上げるため、東京消防庁のハイパーレスキュー隊が19日午前0時半から1時10分にかけて実施した。 (産経ニュース 2011.3.19 08:24)
政府・民主、「大島理森震災担当相」打診、自民は拒否へ 亀井、仙谷両氏の入閣検討 ―― 政府・民主18日、東日本大震災と福島第1原発の事故への内閣の対応能力を強化するため、閣僚数の上限を17人と定める内閣法を改正し、当面閣僚を3人増員する方針を固め、野党側に協力を求めた。政府・民主党は自民党に対し、大島理森同党副総裁の震災対策担当相への起用を打診した。ただ自民党は、菅直人首相の失策の責任がうやむやにされる可能性があるとして拒否する構えだ。/政府・民主党は震災対策担当相や原発事故担当の特命相の新設を想定している。大島氏に加えて国民新党の亀井静香代表の副総理格での起用や仙谷由人官房副長官の入閣を検討している。/民主党の岡田克也幹事長は18日、東日本大震災に関する政府と与野党の合同会議で閣僚増員を提案し、野党から反対意見はなかったが、各党が持ち帰って検討することになった。/岡田氏は閣僚増員と合わせて内閣府副大臣・政務官、首相補佐官を増員することも提案した。政府・民主党は3月中に内閣法を改正し、ただちに増員したい考えだ。/大島氏は衆院青森3区選出で、被災地の青森県八戸市出身。幹事長や国会対策委員長を務め、与野党や省庁に幅広い人脈を持つことも打診の理由とみられる。自民党は震災対応で政権への協力姿勢を鮮明にしているが、子ども手当など民主党の重要政策を批判しており、入閣で大連立政権を組むことには慎重だ。 (産経ニュース 2011.3.19 01:30)
祖 沖之(そ ちゅうし、429年 - 500年)は、中国、南北朝時代、南朝の天文学者、数学者、発明家。祖 冲之とも。字は文遠、范陽遒(現河北省淶水)の人。祖父は戦乱を避けるために河北から江南へ移っており、祖沖之は建康(現在の南京市)で生まれ、若いころから数学の天才として知られた。宋の孝武帝(在位454~462年)に仕え、宅宇車服をいただいている。南徐州の従事使であったが、のち公府参軍となる。暦学を研究し、従来使われていた何承天(かしょうてん、370~447年、南北朝期の思想家、数学者、天文学者)の撰した『元嘉暦』が実際の季節と合わなくなったことを孝武帝に上申したが、その年に帝が亡くなったため、取り入れられず、50年ほど経ってから、子の祖暅之(そけんし、生没年不詳、550年頃)の努力により、梁の天覧年間に冲之の改訂した『大明暦』が使用されるようになった。冲之には『綴術』という数学の著作があったことが知られているが今は散逸してしまったという。『隋書』の「律暦志」に記録されており、『綴術』はあまりにも難しかったので理解されず、いつの間にか使われなくなったという。この『隋書』によると祖冲之が求めた円周率は
3.1415926<π<3.1415927 近似値として、蜜率 355/113 約率 22/7 としている。
祖冲之の数学は、数学というより暦の計算であったらしい。祖冲之より前の時代の円周率は『九章算術』では3であり、漢代には劉徽(220?~280?年、三国時代の魏の数学者)がもっと詳しい値を求めている。円に内接する正六角形の周が直径の3倍であることに注目し内接正多角形の変数を順次倍増し、計算によって円周率の近似値として3.14を得ている。祖冲之の円周率計算はこの劉徽の方法の精密化であったという。中国古代のこれらの数学書は日本に舶載され、上世の大学寮の教科書として使用された。江戸時代の数学者たちの円周率計算は、『隋書』の祖冲之の記事が一つの目標となったという。
劉徽と祖冲之は古代において最も尊敬されるべき数学者であるが、冲之のこの祖暅之もまた立派な業績を残している。父子共に指南車を改良し、千里船・水碓磨などの機械を設計した技術者でもある。祖暅之の業績の中で球の体積を求める方法は優れている。すなわち、球の体積を求めるのに外接する立方体を考えて、この立方体に内接する2つの円柱の相貫体(合蓋形)の体積との比較から求める方法であった。平行平面できった面積比が一定であることを利用するカバリエの原理から(4/3)πr ³を求めた。
外部電源復旧急ぐ 福島第一 午後地上放水へ ―― 東日本大震災で被災した福島第一原発の事故で、3号機への放水から一夜明けた十八日、東京電力は、東北電力から送電線を引き込んで1、2号機に外部電源を復旧させる作業を続けた。政府対策本部は地上から1、3号機の使用済み核燃料プールに放水するため、自衛隊や東京消防庁の特殊な消防車など計四十台以上を派遣。ヘリコプターによる水の投下は行わず、電源復旧作業後の同日午後に地上から放水する予定だ。/3号機には政府対策本部が十七日夜、自衛隊の消防車などで放水。東電は十八日未明の記者会見で、3号機への放水効果について「水蒸気が上がったので熱が下がった。一定の効果はあった」とした。枝野幸男官房長官は同日、1号機にも放水することについて「切迫していないが冷却に万全を期す」と述べた。/一方、経済産業省原子力安全・保安院は、敷地内(西門付近)の放射線量が放水前の十七日夕で毎時三〇九・七マイクロシーベルト、放水後の十七日夜で二九二・二マイクロシーベルト、十八日早朝で二七九・四マイクロシーベルトと公表。もともと少しずつ値が下がる傾向にあり、放水後に大きく下がったわけではないという。/送電線を引く作業は十八日朝までに、ブルドーザーでがれきを除去。東北電力の送電線は敷地内で切れているため、新たに1、2号機近くまで一・五キロのケーブルを引く。同日朝までに作業員約二十人が1号機近くに分電盤を設置した。周辺は十六日時点で毎時二〇ミリシーベルトの比較的高い放射線量がある。/外部電源が復旧できれば、原子炉に水を注ぐ系統などを回復させ、安定的に冷やせる可能性がある。だが、外部電源を原発施設内につなぐには時間がかかり、十八日の回復は微妙。保安院は二十日までに1~5号機の電源を復旧させたいとしている。東電はまず2号機を復旧させる方針。/小林圭二・元京都大原子炉実験所講師(原子核工学)は電源復旧が切り札としつつ、各号機とも大きな損傷を受けており「電源が戻っても注水する機能が正常に残っているかどうか。予断を許さない状況」と指摘する。/内藤正則・エネルギー総合工学研究所部長(原子力工学)は使用済み核燃料プールへの放水効果について「計算によるとプールは一日当たり約五十トンの水が蒸発で失われ、水位は約五十センチずつ下がる」と説明。「水位を上げるには毎日六十~七十トンの水が必要で、放水効果はまだ不十分」と話す。 (東京新聞 2011年3月18日 夕刊)
どうやら一段と寒かった冬も去り、春がやってきたようだ。夜明けも随分と早くなった。
唐の詩人孟浩然は「春眠暁を覚えず 処処(しょしょ)啼鳥(ていちょう)を聞く 夜来(やらい)風雨の声 花落つることを知る多少(いくばく)」と詠った。
滝廉太郎作曲になる唱歌「花」の詞章で武島羽衣(1872~1967)は「 げに一刻も千金の 眺めをなにに たとうべき」と著している。蘇東坡は春宵一刻値千金と詠った。
「意解」
春の夜の一刻は千金の値打ちがあるほど素晴らしい。花には清らかな香りが漂い、月はおぼろにかすんで見える。先ほどまで歌声や笛の音がにぎやかだった高殿も、今はすっかり静かになり、ぶらんこのある中庭に、夜は静かにふけていく。
石川五右衛門は南禅寺山門で、さらにでかく「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両」という。今年の桜は4月上旬、入学式の頃か。
Now listen! In the country, close by the high road, stood a farmhouse; perhaps you have passed by and seen it yourself.(さあ! お話を聞いてください. 田舎の道ばたに一軒の別荘がありました。 あなたもきっとそういう家を前に見たことがあるでしょう。)
中学か高校のときに習ったアンデルセンのThe Daisyが思い出される。不思議にこのはなを見ると少しドス黒い顔にやや出っ歯気味の白い歯、太い黒縁の眼鏡をかけたkomimamoという教師の顔が浮かんでくる。風の噂に拠るとすでに亡くなられたとか。
今朝方、shinさんにからメールが入っていた。曰く、
日本語訳:田は有るが、耕さざれば倉庫が虚空になる;書物は有るが読まざれば子孫が愚かになる;宝剣の鋒は磨礪より出で,梅花の香りは苦寒より来る;少壮の衆は勉学の苦を経ざれば、老人になったら読書が遅れることを悔む;書物は使用するときこそ、その少なさを恨(悔)み、物事は経過してこそ、その難さを知る;冷たい椅子は十年坐るべき(逆境に負けずに頑張りぬく意味)、中身のない文章は一句も書くべからず;智恵は勤勉さに由来し、偉大さは平凡さより来る(偉さは地味な努力から生まれる意味);書物の山を登るには勤勉さをその道に為すべきで、学問の海ははてしないが、苦(学)を舟と為すべし;若年の時努力せざれば、老年の際徒らに悲しむ;富貴が生じることを欲するならば必死に工夫すべし。 まずはお返事まで。」
今朝のウェブニュースより
王安石の後ろ盾だった神宗が崩御すると、新法党、旧法党の争いは激化し、煕寧9(1076)年には息子が死んだことを契機に辞任を願い許されて江寧(南京)に戻り、郊外の鍾山に隠棲した。「鐘山即事(鍾山即時)」はその隠居生活の中で出来た作品であろあう。
谷川の水は 竹林をめぐって音もなく流れ
竹林の西では 草花が春のひざしと戯れる
茅葺の家の軒下で 山に向かって一日坐すと
鳥の鳴く声ひとつせず 山はいっそう静まりかえる
元度に示す 王安石
今年 鍾山の南に 分相応の畑を作った。
池を掘って庵に堀をめぐらしたが 水は冷たく澄んで口をすすぐによい
堀の西には屈強の男を雇って 土を運ばせ築山を設けた
こんもりした木々が三百本 中でも楝(おうち)を植えたのが ことに高く茂っている
鳳凰の食べる実が欲しくはない ただ実の成りやすいことから選んだのだ
中間には空き地が一丈四方 木を伐って小屋を建てさせた
五本の楸(ひさぎ)は都から運んできたもの 枝を伐り 雨落ちをめぐって挿木にした
年をとるにつれて世俗の話が厭わしく 奥の一間に寝たきり 戸口もふさいている
魚を買ってきては水に遊ぶ楽しみを共にし 鳥に餌をやれば旧知に再会したよう
ここには君だけを迎えて 天地万物をきわめる話をしたい
いずれ春の日長ともなれば 鶯がさえずるだろう 静かな昼下がり
東日本大震災:福島第1原発事故 EU、原発政策見直しへ 域内総点検、独は7基停止 ―― 【ブリュッセル福島良典】福島第1原発の事故を受け、欧州連合(EU、加盟27カ国)は15日、ブリュッセルで特別会合を開き、原発の危機管理と安全対策の見直しに着手した。欧州では地球温暖化対策として原発が活用されているが、「世界を一変させた」(エッティンガー欧州委員)日本の原発危機により政策転換を迫られている。/EU域内の原発は14カ国に計143カ所。環境保護団体「グリーンピース」によると、地中海沿岸諸国やバルカン地域の原発は地震に遭う可能性があるほか、仏独を含め数カ国には「福島原発と類似した技術が使われている原発がある」という。/EU特別会合では原発の危機管理や耐震強度、冷却機能などの総点検を決める。エッティンガー欧州委員はドイツのラジオで「日本から届く映像を見れば最悪の事態も想定外ではない」と指摘、安全点検の結果次第で原子炉の閉鎖もあり得るとの考えを示唆した。/ドイツのメルケル首相は15日、国内17基の原発のうち80年以前に稼働を始めた7基を3カ月間、停止し安全性を点検すると発表した。スイスは14日、老朽化した原発を更新する手続きを凍結すると発表。英国も関係当局に原発安全基準の点検を命じている。/地震の多いイタリアは「原発なき先進国」と呼ばれてきたが、ベルルスコーニ政権が原発再開にかじを切り、今年6月までに国民投票が実施される。政府は「計画変更はない」(プレスティジャコモ環境相)とするが、日本の事故が民意に影響を及ぼす可能性が取りざたされている。/一方、フランスは国内電力の8割を原発でまかない、世界最大の原子力企業アレバが新興国などで原発建設を進める「原子力大国」。ジュペ外相は15日、仏での原発の安全性について「議論は必要だが、今、仏国民に原発をやめると言うのはウソになる」と話した。 (毎日新聞 2011年3月16日 東京朝刊)
石原都知事“天罰”発言を撤回、謝罪 ―― 東京都の石原知事は、東日本巨大地震について「天罰だと思う」と述べたことについて、15日の会見でこの発言を撤回し、謝罪しました。/石原都知事:「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波を利用して、我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」/石原知事は「被災された方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかもしれないが」と言葉を添えたうえで、14日の会見でこのように述べました。この発言を受けて、都庁には多数の意見が寄せられたということです。石原知事は15日の会見で、この発言を撤回して謝罪しました。/石原都知事:「行政の長である私が使った天罰という言葉が、添える言葉が足らずに、被災者の皆様、国民、都民の皆様を深く傷つけたことから、発言を撤回し、深くお詫びします」 (tv asahi 03/15 18:50)
はてさて、色々調べてみたが、よく分からない。中国に古くから伝わる諺みたいなもので、別に出典は無いのかもしれない。シンさんにメールで訊ねて、判ったら知らせることにしよう。お願い次郎さん今しばらくお待ち下さい。
早速、shinさんから、返事が来た。曰く、
『警世賢文』の「勤奮篇」に由来しています。著者が不明ですが、中国民間で流行っている、だれしもがよく口ずさむ警世の名句です。全文は以下です。/「有田不耕倉禀虚,有書不読子孫愚;宝剣鋒従磨礪出,梅花香自苦寒来;少壮不経勤学苦,老来方悔読書遅;書到用時方恨少,事到経過才知難;板橙要坐十年冷,文章不写一句空;智慧源于勤奮,偉大出自平凡;書山有路勤為径,学海无涯苦做舟;少時不努力,老大徒傷悲;欲求生富貴,须下死功夫」 シン 2011/03/16(水)
蘇洵の「詩論」は現代でいう詩論ではない。『詩経』の効用についての議論である。蘇洵は儒家の基本的経典である『六経』のそれぞれについて独特の議論を展開した(易論・礼論・楽論・詩論・書論・春秋論)。これはそのなかの一篇である。かれの六経論は本文にも見られるように「礼」を軸として展開され、伝統的でオーソドックスな経典解釈に無い独特なものを含んでいる。そして作者の意図の如何に拘わらず、支配者側の立場が生々しく語られている。
人が欲するものの中には、命よりもさらに好ましいと思うものがある。そして腹立ち・無念さ・恨み・怒りなどため、己の死を顧みない者がいる。かくて「礼」という手段もゆきづまる。
礼の法則によれば、「好色は行ってはならない。人の臣下として、人の子として、人の弟としては、その主君・父・兄にうらみを持ってはならない」という。
天下の人々が、みな色を好まず、その主君・父・兄をうらまぬようになれば、それこそ「善」というものではないか。人々の感情が、すべてあっさりとして邪念を持たず、穏やかで物柔らかになり、そのことにつとめるようであれば、天下もよく治まるはずである。しかし、人の感情はみながそうなれるものでもない。色を好む心が、人を内側からつき動かし、批判と不満の気持ちが、人を外部から攻め立てて、燃え上がるように次々と起こって、損得を顧みず、死ぬまでやめようとしない。
ああ、「礼」という手段の有効範囲は、死生の問題にまでは及ばない。世間の事で、生命をかけるほどでないものならば、人はあえて死を冒してまで「礼」の法則にそむこうとはしない。ところが、人の好色と批判・不満の心とは、勃然と内側から起こり、これは生命をかけてもよいと思うのである。そして己を詩の境地においているのだから、死か生かという転機は、もとよりすでになくなっている。生か死かの天気がなくなっておれば、「礼」の手段としての意味もないといえよう。しかるにこせこせと意味の無い「礼」をかかげて、人に無理強いをすれば、混乱はいよいよひどくなり、「礼」はいよいよ後退しよう。
いま私が人にこういったとする、「あくまでも色を好んではいけない。あくまでも主君・父・兄をうらんではならない」と。
その人は結局私の言葉に従って、その心中にもつ感情を忘れようとするだろうか。それはできないであろう。その人が「礼」の法則をそのまま使い得ないからには、結局は全て打ち棄てて顧みないようになるだろう。わが「礼」の法則が全て打ち棄てて顧みられぬようになれば、人の好色とその主君・父・兄をうらむ心とは、あふれあふれて極限が無くなってしまうだろう。そして妻をとりかえ人妻を盗む異常事や、その主君・父・兄を殺す禍根事は、逆に必ず天下に横行することになろう。
聖人はこれを心配して、こういわれた。「人の好色を禁じて、淫乱に至らしめ、人の主君・父・兄へのうらみを禁じて、反逆に至らしめる、その禍は人をあまりにひどく責めることからおこるのだ。好色を絶ち切らず、うらみを禁じないならば、その人はかえって世を乱すまでには至らないだろう」
だから聖人の方法は、「礼」に厳格で、「詩」に融通性をもたせたのである。
「礼」にいう、「あくまでも好色であってはならぬ。あくまでも汝の主君・父・兄をうらんではならぬ」と。
「詩」にはいう、「色を好んでも、淫乱に迄派なるな。汝の主君・父・兄をうらんでも、反逆するまでにはなるな」と。
厳格さで天下のすぐれた人たちに期待し、融通性で天下の凡人たちを守ったのだ。
私の見るところでは、「詩経」の国風の詩は、みずみずしくたおやかだが、結局はすじを通しており、色を好んでも淫乱にまではならぬものである。小雅の詩は悲痛で非難をこめてはいるが、君臣の情は結局棄てる忍びず、うらんでも反逆にまでは至らぬものである。
だから天下の人々は、それを見てこういっている。「聖人は当然のこととして、われわれが色を好むのを許し、われわれが自分の主君・父・兄をうらむのを、お咎めにならぬ。われわれに色を好むのを許されれば、淫乱にならなくてもすむ。われわれが自分の主君・父・兄をうらむのを咎められなければ、彼らがわれわれを虐待しても、われわれははっきりと非難し、はっきりとうらみ、天下の人々にはっきり知らせれば、わがうらみもはっきりはけ口が得られる。はんぎゃくしなくてもすむのだ」
そもそも聖人の掟に背いて、自分から淫乱・反逆に身を投げるのは、決断が無ければできぬことである。決断のはじめは、耐え切れぬことからおこる。人は自分で怒りに耐え切れぬようになって、初めて無理にその身を棄ててしまうものだ。だから「詩」の教えは、人の感情を耐え切れぬまでにさせぬ所にある。
そもそも橋が舟より安全であるとするのは、橋が存在しているときこそそういうのだ。ひどい洪水がやってくれば、橋はかならず壊れるが、舟は必ずしもつぶれるとはかぎらない。だから舟は、橋のたらぬ所を助けるためのものだ。
ああ、「礼」という手段が、その判りやすさのゆえに行き詰まったときには、「易」がある。後世の人が信じなくなって行き詰まったときには「楽」がある。人に無理強いして行き詰まったときには「詩」がある。ああ、聖人の物事への配慮は、何と行き届いたものであろうか。
民主党の小沢一郎氏は曾鞏(そうきょう)の『虞美人草』を愛唱していたということである。彼は高校時代初めてこの詩を読んで項羽と虞美人の悲劇的な最期に心打たれると共に、花と散った虞美人の血が草原にしたたり落ちて『ひなげし』となったという哀しくも美しい話に感動し、「滔滔たる逝水今古に流る/漢楚の興亡 両ながら丘土」の2句に、悠久なる大自然と人の世の栄枯盛衰の儚さを痛感したというのである。彼の辣腕ぶりに何となく覇王項羽のイメージを思わせる。
(詩の大意)
項羽の参謀范増は、鴻門の会で沛公から贈られた玉斗を雪のようにこなごなに砕いてしまい、また項羽は、秦の降伏兵十万人を夜襲して皆殺しにし、更に、秦の都咸陽の宮殿は、項羽によって火を放たれ、三ヶ月間も真っ赤に燃え続けた。秦の始皇帝の覇業は阿房宮の煙と共に滅びてしまった。
ただ強いだけの者は滅び、仁義にあつい者は慕われて王者となる。
項羽が陰陵で道に迷い、農夫に騙され、結局身を亡ぼすに至ったのは、決して天が亡ぼそうとしたのではない、自ら招いたことなのだ。
項羽が、もともと万人を敵とする兵法を学んだのであれば、虞美人との別れを、くよくよと悲しむこともないだろう。項羽の軍は、すでに散りじりとなり、軍旗も地に倒れてしまい、玉帳の中の美人も、見る見るうちに老けてしまった。
自刃した虞妃の魂は、夜剣光を追うように飛び去り、碧血は化して野原の草となった。
その魂は寂しげに寒々しい枝に寄り付き、垓下で項羽に和して歌った別離の曲が聞こえてくると、さながら眉をひそめて人が悲しむかのようである。
悲しみ憂えるように風に揺れそよぐのみで音も立てない様子は、虞妃が垓下で始めて誌面に楚歌を聞いた時のようである。
滔滔と流れる川の水は、今も昔に変わりはないが、興った漢も、滅びた楚も両方とも、今は丘の土と化してしまった。当時の事件は、遠い昔の事となってしまった。
今、酒宴の席の前で、虞美人草が昔のことをいたみ嘆くかのように風にそよいでいるが、一体、誰の為に舞っているのであろうか。
友美さん達も怪我なく無事でしょうか?/私は地震のニュースをオーストラリアのニュースで知り、地震発生後1時間くらいで両親とも連絡が取れて、安否を確認しました。/その後、両親とも定期的に連絡を取っています。/こちらではインターナショナルニュースとCNNが日本の地震のことを連続的に報道しています。また、インターネットで日本の番組が見れるので、随時確認しています。/マットも1日中、TVを見て離れません。/友達ともメールで安否を確認して、少し安心しました。しかし、友達の話からも、とても怖い経験をされたなと思います。/TVで東北地方の状況を見続けていますが、とてもショックを受けるとともに、悲しみの気持ちでいっぱいです。/浅草の五重塔の天辺が崩落したとニュースを見ました。/オーストラリアからも自衛隊と犬を今日の夜に派遣するので、明日の朝には着くと思います。/行方不明の人を集中して助けるようです。オーストラリアは犬を使って、人の捜索活動をするのがエキスパートなので、早く到着して、少しでも多くの人を探してほしいと思います。/節夫おじさん、道子おばさんも、とても怖い経験をされ、まだ余震も続いていますので、気を許せない状態だと思いますが、気を落とさずに頑張ってください。Miho」
浅草の五重塔崩落のニュースに驚き、ウェブニュースを調べたが、そんな記事はなかった。それに替わって東京タワーに関するニュースがあった。
今朝のウェブニュースから
<枝野官房長官の会見>「原子炉そのものとは確認されていないが、なんらかの爆発的な事象が確認された。総理や専門家をまじえて、情報の把握と分析など対応にあたっているところである。放射能について測定はおこなわれているところであるが、18時過ぎに新しい数字がでてきます。落ち着いて行動を。不要な電力は使わずに節電に協力して欲しい。チェーンメールで事実と異なった形で多数出回っているのを把握している。このようなことはいたずらに不安を煽る。こうしたことはさけて欲しい。」
今朝のウェブニュースより
「日本刀」の呼称は、北宋の詩人である欧陽修(おうようしゅう)の「日本刀歌」に見られる。この詩の中で、越(華南)の商人が当時既に宝刀と呼ばれていた日本刀を日本まで買い付けに行くことやその外装や容貌などの美術的観点が歌われている。「日本刀歌」の本題は日本刀ではなく、中国では既に散逸してしまった書物が日本には存在しているということを嘆いた詩ではあるが、日本刀の美しさが、平安時代後期 - 鎌倉時代初期に既に海外の好事家などにも認められており、輸出品の1つとされていたことを示している。
日本刀の歌 欧陽 脩
昆吾(こんご)の国への道は遠く 今は人も通わず
玉をも切る名刀の誉は伝わるものの 求めようが無い
しかし近頃 宝刀が日本国より来た
越の商人が大海の東で手に入れたものだ
香木の鞘に貼り付けられた魚の皮
黄と白が入り混じっているのは真鍮と銅
百金で好事(こうず)家の手に入ったが
これを佩(お)びれば妖気を払うこともできよう
伝え聞く かの国は大きな島の上にあって
土地は肥え 人々の気風もよい
その昔 徐福(じょふつ)が秦の民を欺き
仙薬を採らせると滞留させ 童男童女は老いた
さまざまの職工や農民も共に住むゆえ
今になっても作る道具はみな精巧
前朝(唐)では貢物を捧げると しばしば渡来して
士人の中には往々に 文学の上手があるとか
徐福が出発したときは まだ書物が焚(や)かれておらず
散逸した書物が百巻 今も日本にあるという
禁令が厳しく 中国へ書物を送ることを許さぬため
こちらでは一人として 古文の読める者がいない
先王の定め給うた古典が夷狄の地にしまわれたきり
海原は広々と たずねに行く道もないとは
心たかぶり 思わず涙をおとさずにはいられるではないか
短い錆刀(さびかたな)の一本 伝えられても何ほどのことがあろうか
sechin@nethome.ne.jp です。
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