瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
東京都の石原知事の辞職で、11月29日告示、12月16日(日)投票・開票がほぼ確実となった。
休日明けの今朝のウェブニュースより
都民の選択 次はどんな人 過去の都知事選から占う ―― 東京都の石原慎太郎知事(80)の国政への転身宣言で、急きょ行われることになった知事選。公選制になった戦後の一九四七年以降、十七回の選挙で六人の「首都の顔」が誕生した。都知事が入れ替わった過去の選挙から、「石原後」を決める十二月決戦を展望する。 (都政取材班)
◆人気投票:「都知事選はときに三百万を超える票を集める、日本最大の“人気投票”。政党が推していない候補者が当選する時代が二十年も続いている」。元副知事の青山佾(やすし)・明治大公共政策大学院教授はこう指摘する。/無党派の新人が初めて当選したのは九五年。元参院議員でタレントの青島幸男氏だ。二年前の都議選で既成政党への批判票を集めた日本新党の躍進が背景にあり、ポスターや街頭演説などの選挙活動をしない型破りなスタイルも注目を浴びた。/九九年に当選した石原氏も、政党の支持を受けずに出馬。告示のわずか二週間前の出馬表明だったが、「かえって新鮮なイメージが高まった」と青山教授。元労相の鳩山邦夫、元国連事務次長の明石康、国際政治学者の舛添要一の各氏ら多彩な他候補を制した。
◆別タイプ:前任者の実績を否定し、全く違うタイプが当選する傾向もある。東龍太郎氏が勇退した六七年の選挙。社会、共産両党が支援した経済学者の美濃部亮吉氏は、六四年の東京五輪に合わせて進められた都市開発を批判し、福祉重視や公害防止を訴えた。その結果、国政の構図とは異なる初の革新都政が誕生し、「都知事が国と対峙(たいじ)するスタイルは、美濃部都政で鮮明になった」と青山教授。全国でも革新市長の当選が相次いだ。/しかし七九年は「ばらまき福祉」と美濃部氏を批判した元副知事の鈴木俊一氏が、自民、公明両党の支援を受けて当選。次の青島氏は、鈴木氏が推進した「世界都市博覧会」の中止を訴えた。堅実な鈴木氏から、親しみやすさの青島氏、そして力強いイメージの石原氏へ。都知事像も選挙ごとに変化してきた。
◆短期決戦:次に求められる都知事像とは何か。青山教授は「これまでは知名度の高さに加え、大学教授や作家といった、インテリジェンス(知性)があり、毛並みの良い人が選ばれてきた」と振り返る。/昨年の東日本大震災を経て、都民の意識は大きく変わった。今度の選挙では、防災やエネルギー問題への対応が、投票の際の大きな判断材料となる。/石原氏は、猪瀬直樹副知事を後継指名した。仮に出馬すれば有利にも見えるが、青山教授は「前任者が都政を投げ出した印象は残る。後継指名自体が古い感覚もある」と指摘する。/現職の任期途中の辞職による都知事選は今回が初めて。突然の事態に、マニフェスト作成など態勢づくりに時間がかかるため、出馬できる人材は限られる。約一カ月後の告示に向けた候補者選びは混沌(こんとん)としている。 (東京新聞 2012年10月29日 朝刊)
都知事選 舛添要一色気タップリ ―― 老害石原の後継を決める都知事選は、11月29日告示、12月16日投開票が有力となっている。/猪瀬副知事(65)や東国原前宮崎県知事(55)、自民党の小池百合子元防衛相(60)らの出馬が取り沙汰されているが、新党改革代表の舛添要一参院議員(63)も意欲を見せているようだ。
「26日朝に、舛添さんを含む超党派8議員の勉強会が都内で開かれました。会の後半、7人から『都知事選は本命不在』『一度経験があるし、ぜひ頑張るべきだ』と出馬を促されると、終始、ニコニコ顔で『ありがとう』とうなずいていましたよ。自民党の東京選出の国会議員とも電話で話し、都政の問題点などを指摘していましたね。7人は『舛添さんは本気』と思ったようです」(野党関係者)/自民党を威勢よく飛び出し、2010年4月に「新党改革」を立ち上げた。だが、3カ月後の参院選では1議席しか獲得できず、その後は鳴かず飛ばず。/最近になって、大阪の橋下市長から「維新の会への合流」のラブコールを受け、やや注目を集めるようになったが、すっかり忘れられた人になっていた。/政治評論家の浅川博忠氏が言う。「維新の会の支持率急落で、気持ちはかなり都政に傾いているでしょう。首都東京のトップは、総理に次ぐ事実上のナンバー2。いったん都知事でハクをつけてから、衆院議員として戻る計算までしているのではないか。また舛添さんは2年前、『知名度だけで政治が出来るわけではない。タレント議員は控えてもらいたい』と発言するなど、とにかくタレント議員が大嫌い。東国原さんが出馬すれば、さらに闘志を燃やすでしょう」/今のままなら「無所属」での立候補となる。問題は「カネ」だ。都全域が“戦場”となるため、億単位の費用がかかるといわれている。ビンボーで有名な舛添が集められるのか。/「東大の同級生で親友の鳩山邦夫議員が、『面倒を見てもいい』と親しい人に話しているようです。この2人は、石原さんが初当選した1999年の都知事選に出馬し、鳩山2位、舛添3位と敗れている。舛添の当選は鳩山さんにとってもうれしいし、その後に“利用”できるメリットもある。支援はいとわないでしょう」(政界関係者)/めぼしい候補がいない民主党が、前回の都知事選と同じく、舛添に接近してくる可能性もあるようだが、過去の人が通用するのか。 (日刊ゲンダイ 2012年10月27日 掲載)
都知事選、白洲次郎氏の孫、出馬の方向 ―― 石原慎太郎東京都知事の辞職に伴う都知事選に、吉田茂元首相の側近として知られる白洲次郎氏の孫で文筆家の白洲信哉氏(46)が出馬の方向であることが28日、関係者の話で分かった。/白洲氏は25日、「健全なる保守主義」を基盤とした政界再編の後押しを目的とした政策勉強会「日本の選択」を設立し、代表に就任していた。/同勉強会は脳科学者の茂木健一郎氏が共同代表を務め、弁護士や若手経営者ら約20人が名を連ねている。徳川宗家19代目で政治・経済評論家の徳川家広氏、三菱財閥を創始した岩崎弥太郎の玄孫の木内孝胤衆院議員らもメンバーで、白洲氏が都知事選に出馬した場合、支援に回るとみられる。/白洲氏は昭和40年、東京都生まれ。母方の祖父は、文芸評論家の小林秀雄氏。細川護煕元首相の公設秘書を務めた経験がある。 (産経ニュース 2012.10.29 00:34) [東京都政]
休日明けの今朝のウェブニュースより
都民の選択 次はどんな人 過去の都知事選から占う ―― 東京都の石原慎太郎知事(80)の国政への転身宣言で、急きょ行われることになった知事選。公選制になった戦後の一九四七年以降、十七回の選挙で六人の「首都の顔」が誕生した。都知事が入れ替わった過去の選挙から、「石原後」を決める十二月決戦を展望する。 (都政取材班)
◆人気投票:「都知事選はときに三百万を超える票を集める、日本最大の“人気投票”。政党が推していない候補者が当選する時代が二十年も続いている」。元副知事の青山佾(やすし)・明治大公共政策大学院教授はこう指摘する。/無党派の新人が初めて当選したのは九五年。元参院議員でタレントの青島幸男氏だ。二年前の都議選で既成政党への批判票を集めた日本新党の躍進が背景にあり、ポスターや街頭演説などの選挙活動をしない型破りなスタイルも注目を浴びた。/九九年に当選した石原氏も、政党の支持を受けずに出馬。告示のわずか二週間前の出馬表明だったが、「かえって新鮮なイメージが高まった」と青山教授。元労相の鳩山邦夫、元国連事務次長の明石康、国際政治学者の舛添要一の各氏ら多彩な他候補を制した。
◆別タイプ:前任者の実績を否定し、全く違うタイプが当選する傾向もある。東龍太郎氏が勇退した六七年の選挙。社会、共産両党が支援した経済学者の美濃部亮吉氏は、六四年の東京五輪に合わせて進められた都市開発を批判し、福祉重視や公害防止を訴えた。その結果、国政の構図とは異なる初の革新都政が誕生し、「都知事が国と対峙(たいじ)するスタイルは、美濃部都政で鮮明になった」と青山教授。全国でも革新市長の当選が相次いだ。/しかし七九年は「ばらまき福祉」と美濃部氏を批判した元副知事の鈴木俊一氏が、自民、公明両党の支援を受けて当選。次の青島氏は、鈴木氏が推進した「世界都市博覧会」の中止を訴えた。堅実な鈴木氏から、親しみやすさの青島氏、そして力強いイメージの石原氏へ。都知事像も選挙ごとに変化してきた。
◆短期決戦:次に求められる都知事像とは何か。青山教授は「これまでは知名度の高さに加え、大学教授や作家といった、インテリジェンス(知性)があり、毛並みの良い人が選ばれてきた」と振り返る。/昨年の東日本大震災を経て、都民の意識は大きく変わった。今度の選挙では、防災やエネルギー問題への対応が、投票の際の大きな判断材料となる。/石原氏は、猪瀬直樹副知事を後継指名した。仮に出馬すれば有利にも見えるが、青山教授は「前任者が都政を投げ出した印象は残る。後継指名自体が古い感覚もある」と指摘する。/現職の任期途中の辞職による都知事選は今回が初めて。突然の事態に、マニフェスト作成など態勢づくりに時間がかかるため、出馬できる人材は限られる。約一カ月後の告示に向けた候補者選びは混沌(こんとん)としている。 (東京新聞 2012年10月29日 朝刊)
都知事選 舛添要一色気タップリ ―― 老害石原の後継を決める都知事選は、11月29日告示、12月16日投開票が有力となっている。/猪瀬副知事(65)や東国原前宮崎県知事(55)、自民党の小池百合子元防衛相(60)らの出馬が取り沙汰されているが、新党改革代表の舛添要一参院議員(63)も意欲を見せているようだ。
「26日朝に、舛添さんを含む超党派8議員の勉強会が都内で開かれました。会の後半、7人から『都知事選は本命不在』『一度経験があるし、ぜひ頑張るべきだ』と出馬を促されると、終始、ニコニコ顔で『ありがとう』とうなずいていましたよ。自民党の東京選出の国会議員とも電話で話し、都政の問題点などを指摘していましたね。7人は『舛添さんは本気』と思ったようです」(野党関係者)/自民党を威勢よく飛び出し、2010年4月に「新党改革」を立ち上げた。だが、3カ月後の参院選では1議席しか獲得できず、その後は鳴かず飛ばず。/最近になって、大阪の橋下市長から「維新の会への合流」のラブコールを受け、やや注目を集めるようになったが、すっかり忘れられた人になっていた。/政治評論家の浅川博忠氏が言う。「維新の会の支持率急落で、気持ちはかなり都政に傾いているでしょう。首都東京のトップは、総理に次ぐ事実上のナンバー2。いったん都知事でハクをつけてから、衆院議員として戻る計算までしているのではないか。また舛添さんは2年前、『知名度だけで政治が出来るわけではない。タレント議員は控えてもらいたい』と発言するなど、とにかくタレント議員が大嫌い。東国原さんが出馬すれば、さらに闘志を燃やすでしょう」/今のままなら「無所属」での立候補となる。問題は「カネ」だ。都全域が“戦場”となるため、億単位の費用がかかるといわれている。ビンボーで有名な舛添が集められるのか。/「東大の同級生で親友の鳩山邦夫議員が、『面倒を見てもいい』と親しい人に話しているようです。この2人は、石原さんが初当選した1999年の都知事選に出馬し、鳩山2位、舛添3位と敗れている。舛添の当選は鳩山さんにとってもうれしいし、その後に“利用”できるメリットもある。支援はいとわないでしょう」(政界関係者)/めぼしい候補がいない民主党が、前回の都知事選と同じく、舛添に接近してくる可能性もあるようだが、過去の人が通用するのか。 (日刊ゲンダイ 2012年10月27日 掲載)
都知事選、白洲次郎氏の孫、出馬の方向 ―― 石原慎太郎東京都知事の辞職に伴う都知事選に、吉田茂元首相の側近として知られる白洲次郎氏の孫で文筆家の白洲信哉氏(46)が出馬の方向であることが28日、関係者の話で分かった。/白洲氏は25日、「健全なる保守主義」を基盤とした政界再編の後押しを目的とした政策勉強会「日本の選択」を設立し、代表に就任していた。/同勉強会は脳科学者の茂木健一郎氏が共同代表を務め、弁護士や若手経営者ら約20人が名を連ねている。徳川宗家19代目で政治・経済評論家の徳川家広氏、三菱財閥を創始した岩崎弥太郎の玄孫の木内孝胤衆院議員らもメンバーで、白洲氏が都知事選に出馬した場合、支援に回るとみられる。/白洲氏は昭和40年、東京都生まれ。母方の祖父は、文芸評論家の小林秀雄氏。細川護煕元首相の公設秘書を務めた経験がある。 (産経ニュース 2012.10.29 00:34) [東京都政]
ギリシア植民地Elea(エレア)のZenon〔ツェノン、BC490?~430年?、「ゼノン」ともいう〕は、古代ギリシアの自然哲学者で、南イタリアの小都市エレアの人。Zenon(ツェノン)のparadox(パラドックス)を唱えたことで有名。ストア派の創始者であるZēnōn(ツェノン、BC335~263年、キプロス島キティオン出身の哲学者)とは別人である。
彼は、Teleutagoras〔テレウタゴラス、生没年不明〕の子として生まれたが、養子縁組によって哲学者Parmenidēs〔パルメニデス、BC500年か475年~没年不明〕の子となった。それより生涯、Parmenidēs(パルメニデス)の弟子であり、同時に愛人でもあったという。Elea(エレア)を愛していたため、学問の中心であるアテナイには移住せず、生涯を祖国で過ごした。
政治活動家として命を落としたという。そのころエレアを支配していた僭主ネアルコス(一説によればディオメドン)を打倒しようとしてかえって捕まえられ、刑死させられたという。一説によれば、同志や武器の輸送について尋問されたときに、僭主に猜疑心を起こそうと謀って、同志として僭主の友人の名を挙げた。その後、さらに打ち明け話があるふりをして僭主に近づき、その耳(あるいは鼻)に噛みついて、刺し殺されるまで離さなかった。また別の一説によれば、他に共犯者がいるかとの僭主の問いに対して「国家に仇をなすあなたこそ、反乱の首謀者である」と言い放ち、自分の舌を噛み切って相手に吐きかけた。そこで市民たちは奮い立って、僭主に石を投げつけて殺してしまった。またある別の一説によれば、ゼノンは石臼の中に投げ込まれて打ち殺されたともいう。
プラトンの対話篇『パルメニデス』に、師Parmenidēs(パルメニデス)やソクラテスと一緒に登場させられた。ソクラテスやペリクレスもゼノンの講義を聴いたことがあるとされている。そのほか、プラトンは、ギリシア神話の知将パラメーデースになぞえらえて、彼を「エレアのパラメーデース」として言及した。また、アリストテレスによってdialektike〔ダイアレクティク、弁証法・問答法 〕の創始者と呼ばれた。
彼の論法は、もし存在が多であるならば、それは有限であると共に無限であるというような矛盾した結論を、相手方の主張を前提とすることから導き出して、これを反駁するところに特色がある。これらの論証は、パルメニデスの唯一不動の存在の考えを弁護する立場からなされている。この一と多の関係についての議論のなかから、有名なZenon(ツェノン)のパラドックスが提示された。運動不可能を論じた〈アキレウスと亀〉〈飛ぶ矢は動かず〉等の論証は有名だが、特に前者はパルメニデスのものであるとも言われる。「実在するものが世界のすべてであり、変化も運動も存在しない」。これこそZenon(ツェノン)がParmenidēs(パルメニデス)から継承した命題であり、Leukippos〔レウキッポス、生没年不詳〕に影響を与えたという。
Zenon(ツェノン)の世界観とは、以下のとおりであったという。いくつかの世界が存在しており、空虚(虚空間)は存在しない。万物の本質は温・冷・乾・湿の諸要素からできており、そしてこれらは相互に変化するものである。人間は大地から生まれたものであり、魂は先ほどの4つの要素が混合したものであるが、その際、それらの要素のどれ一つも優位を占めない状態にある。
いずれにせよ、Zenon(ツェノン)は運動についての4つのparadox〔パラドックス、逆説〕を述べた。それはアリストテレスの『自然学』に再説され、広く世に知られるところとなった。このパラドックスの帰結は、運動はあり得ないということである。このパラドックスは単純明快な内容とその解決の異常な困難さのために、今まで論じられた多くのパラドックスの代表的なものとされている。
Hegel〔ヘーゲル、1770~1831年、ドイツの哲学者でフィヒテ、シェリングと並んで、ドイツ観念論を代表する思想家である〕は運動を否定するZenon(ツェノン)の正反対の立場をとって、運動こそ世界の真相とするのであるが、その理論的骨格を成す弁証法の祖をかえってZenon(ツェノン)に求めているところが面白い。
Zenon(ツェノン)のパラドックスは論理的思惟そのものの限界を杜打ているようにも見えて、哲学者たちだけを悩ませたのではなく、炯眼な文学者の注目も引いたのである。知性派の詩人Paul Valéry〔ポールヴァレリー、1871~1945年、フランスの作家、詩人、小説家、評論家〕は、『海辺の墓場』の中で歌っている。
Zenonよ、苛酷な弁証のZenonよ、エレア派のZenonよ、
汝は 羽根のあるこの矢で 俺を射た、
唸りを挙げ、飛んで、飛ばない矢で射たのだ。
矢の音は俺を生み、矢は俺を殺すのだ。
ああ、太陽は…… 魂にとっては 何といふ
亀の影か、大股で走って不動のアキレスは。 (鈴木信太郎 訳)
彼は、Teleutagoras〔テレウタゴラス、生没年不明〕の子として生まれたが、養子縁組によって哲学者Parmenidēs〔パルメニデス、BC500年か475年~没年不明〕の子となった。それより生涯、Parmenidēs(パルメニデス)の弟子であり、同時に愛人でもあったという。Elea(エレア)を愛していたため、学問の中心であるアテナイには移住せず、生涯を祖国で過ごした。
政治活動家として命を落としたという。そのころエレアを支配していた僭主ネアルコス(一説によればディオメドン)を打倒しようとしてかえって捕まえられ、刑死させられたという。一説によれば、同志や武器の輸送について尋問されたときに、僭主に猜疑心を起こそうと謀って、同志として僭主の友人の名を挙げた。その後、さらに打ち明け話があるふりをして僭主に近づき、その耳(あるいは鼻)に噛みついて、刺し殺されるまで離さなかった。また別の一説によれば、他に共犯者がいるかとの僭主の問いに対して「国家に仇をなすあなたこそ、反乱の首謀者である」と言い放ち、自分の舌を噛み切って相手に吐きかけた。そこで市民たちは奮い立って、僭主に石を投げつけて殺してしまった。またある別の一説によれば、ゼノンは石臼の中に投げ込まれて打ち殺されたともいう。
プラトンの対話篇『パルメニデス』に、師Parmenidēs(パルメニデス)やソクラテスと一緒に登場させられた。ソクラテスやペリクレスもゼノンの講義を聴いたことがあるとされている。そのほか、プラトンは、ギリシア神話の知将パラメーデースになぞえらえて、彼を「エレアのパラメーデース」として言及した。また、アリストテレスによってdialektike〔ダイアレクティク、弁証法・問答法 〕の創始者と呼ばれた。
彼の論法は、もし存在が多であるならば、それは有限であると共に無限であるというような矛盾した結論を、相手方の主張を前提とすることから導き出して、これを反駁するところに特色がある。これらの論証は、パルメニデスの唯一不動の存在の考えを弁護する立場からなされている。この一と多の関係についての議論のなかから、有名なZenon(ツェノン)のパラドックスが提示された。運動不可能を論じた〈アキレウスと亀〉〈飛ぶ矢は動かず〉等の論証は有名だが、特に前者はパルメニデスのものであるとも言われる。「実在するものが世界のすべてであり、変化も運動も存在しない」。これこそZenon(ツェノン)がParmenidēs(パルメニデス)から継承した命題であり、Leukippos〔レウキッポス、生没年不詳〕に影響を与えたという。
Zenon(ツェノン)の世界観とは、以下のとおりであったという。いくつかの世界が存在しており、空虚(虚空間)は存在しない。万物の本質は温・冷・乾・湿の諸要素からできており、そしてこれらは相互に変化するものである。人間は大地から生まれたものであり、魂は先ほどの4つの要素が混合したものであるが、その際、それらの要素のどれ一つも優位を占めない状態にある。
いずれにせよ、Zenon(ツェノン)は運動についての4つのparadox〔パラドックス、逆説〕を述べた。それはアリストテレスの『自然学』に再説され、広く世に知られるところとなった。このパラドックスの帰結は、運動はあり得ないということである。このパラドックスは単純明快な内容とその解決の異常な困難さのために、今まで論じられた多くのパラドックスの代表的なものとされている。
Hegel〔ヘーゲル、1770~1831年、ドイツの哲学者でフィヒテ、シェリングと並んで、ドイツ観念論を代表する思想家である〕は運動を否定するZenon(ツェノン)の正反対の立場をとって、運動こそ世界の真相とするのであるが、その理論的骨格を成す弁証法の祖をかえってZenon(ツェノン)に求めているところが面白い。
Zenon(ツェノン)のパラドックスは論理的思惟そのものの限界を杜打ているようにも見えて、哲学者たちだけを悩ませたのではなく、炯眼な文学者の注目も引いたのである。知性派の詩人Paul Valéry〔ポールヴァレリー、1871~1945年、フランスの作家、詩人、小説家、評論家〕は、『海辺の墓場』の中で歌っている。
Zenonよ、苛酷な弁証のZenonよ、エレア派のZenonよ、
汝は 羽根のあるこの矢で 俺を射た、
唸りを挙げ、飛んで、飛ばない矢で射たのだ。
矢の音は俺を生み、矢は俺を殺すのだ。
ああ、太陽は…… 魂にとっては 何といふ
亀の影か、大股で走って不動のアキレスは。 (鈴木信太郎 訳)
Thalēs(タレス)は商用でエジプトに渡ったとき、そこで「測量術」に魅せられ、神官から学び、研究生活を始めた。ある日、エジプトのアマシス王が家来を連れてピラミッドの見学に行ったとき、王が家来達にピラミッドの高さを測るように命じた。そこで、ただ一人タレスが進みでて王を驚かせた。その、タレスの測り方には二つの説がある。
つぎの定理はいずれもタレスが発見し、それに対して証明を与えたものだといわれている。
1.対頂角は相等しい。
2.二等辺三角形の両底角は相等しい。
3.2つの三角形で、その1組の内角と、それらを夾む2辺とがそれぞれ等しければ、2つの三角形は合同である。
4.2つの三角形で、その1組の辺と、その両端における2つの内角とが等しければ、2つの左三角形は合同である。
5.円において、その上の1点を一つの直径の両端に結ぶ2つの弦は互いに直交する。
Thalēs(タレス)は上の定理3を用いて、間に山または池があって直接謀ることのできない2地点A、B間の距離を測った。AとBを見通すことの出来るような点Oをとり、AとOを結んで、それをAOの方向へ延長し、その上に AO=OC であるような点Cをとる。つぎにBとOを結んで、それをBOの方向へ延長し、その上に BO=CO となるような点Dをとる。(図Ⅰ参照)
このとき、⊿AOBと⊿CODとにおいて、∠AOBと∠CODは対頂角であるから、上の定理1によって相等しい。すなわち、 ∠AOB=∠COD また、作図によって、 AO=OC, BO=OD
したがって、⊿AOBと⊿CODは、その1組の内角と、それらを夾む2辺とかそれぞれ等しい。したがって、定理3によって、⊿AOB≡⊿COD である。 ∴ AB=CD
したがって、CDを実測すれば、ABの長さが得られるのである。
また、彼は上の定理4を用いて、岸の一点から沖の船までの距離を測った。
岸の上に直線で結ぶことの出来る2点A、Bを定め、AとBで沖の船Cを観測して、∠BACと∠ABCを測る。
岸の方へ ∠BAC=∠BAD ∠ABC=∠ABD であるような点Dを定める。(図Ⅱ参照)
この時、⊿CABと⊿DABにおいて、辺ABは共通であるから、1組の辺は等しく、その両端における内角はそれぞれ等しくなっている。したがって、上の定理4によって ⊿CAB≡⊿DAB である。
∴ 岸上でADの距離を実測すれば、岸の1点Aから船Cまでの距離を見出すことが出来る。
また、上の定理5を用いれば、直線ℓ上の1点Aで、これに垂線を引くことができる。
この点Aを通る任意の円を描いて、この円が直線ℓと再び交わる点をBとし、Bを通るこの円の直径の端をCとすれば、ACはℓに垂直である。(図Ⅲ参照)
しかし、この定理5は、タレスの発見であるとも、ピタゴラスの発見であるとも言われている。
つぎの定理はいずれもタレスが発見し、それに対して証明を与えたものだといわれている。
1.対頂角は相等しい。
2.二等辺三角形の両底角は相等しい。
3.2つの三角形で、その1組の内角と、それらを夾む2辺とがそれぞれ等しければ、2つの三角形は合同である。
4.2つの三角形で、その1組の辺と、その両端における2つの内角とが等しければ、2つの左三角形は合同である。
5.円において、その上の1点を一つの直径の両端に結ぶ2つの弦は互いに直交する。
Thalēs(タレス)は上の定理3を用いて、間に山または池があって直接謀ることのできない2地点A、B間の距離を測った。AとBを見通すことの出来るような点Oをとり、AとOを結んで、それをAOの方向へ延長し、その上に AO=OC であるような点Cをとる。つぎにBとOを結んで、それをBOの方向へ延長し、その上に BO=CO となるような点Dをとる。(図Ⅰ参照)
このとき、⊿AOBと⊿CODとにおいて、∠AOBと∠CODは対頂角であるから、上の定理1によって相等しい。すなわち、 ∠AOB=∠COD また、作図によって、 AO=OC, BO=OD
したがって、⊿AOBと⊿CODは、その1組の内角と、それらを夾む2辺とかそれぞれ等しい。したがって、定理3によって、⊿AOB≡⊿COD である。 ∴ AB=CD
したがって、CDを実測すれば、ABの長さが得られるのである。
また、彼は上の定理4を用いて、岸の一点から沖の船までの距離を測った。
岸の上に直線で結ぶことの出来る2点A、Bを定め、AとBで沖の船Cを観測して、∠BACと∠ABCを測る。
岸の方へ ∠BAC=∠BAD ∠ABC=∠ABD であるような点Dを定める。(図Ⅱ参照)
この時、⊿CABと⊿DABにおいて、辺ABは共通であるから、1組の辺は等しく、その両端における内角はそれぞれ等しくなっている。したがって、上の定理4によって ⊿CAB≡⊿DAB である。
∴ 岸上でADの距離を実測すれば、岸の1点Aから船Cまでの距離を見出すことが出来る。
また、上の定理5を用いれば、直線ℓ上の1点Aで、これに垂線を引くことができる。
この点Aを通る任意の円を描いて、この円が直線ℓと再び交わる点をBとし、Bを通るこの円の直径の端をCとすれば、ACはℓに垂直である。(図Ⅲ参照)
しかし、この定理5は、タレスの発見であるとも、ピタゴラスの発見であるとも言われている。
権勢欲に餓えた奴が権勢を得ると、増々、権勢欲を募らせるだけで、決して権勢を減らそうとはしない。まあ、それは80歳を超えようかという爺々になってまでも、続くらしい。
今朝のウェブニュースより
石原新党、広がり未知数=「第三極」結集も競合 ―― 東京都の石原慎太郎知事が新党結成の意向を表明した。次期衆院選で民主、自民両党に対抗する「第三極」をつくり、国政での影響力発揮を狙う。たちあがれ日本を母体に、保守勢力を結集し、日本維新の会を率いる橋下徹大阪市長との連携も目指す。ただ、第三極結集では、みんなの党が維新との連携を模索。保守勢力では、自民党だけでなく、小沢一郎代表率いる「国民の生活が第一」とも競合する。「石原新党」の前途は多難で、どこまで勢力を拡大できるかは未知数だ。
◇石原氏「自民は評価できず」:「行政ではほとんど国の妨害にあって非常に苦しい思いをしてきた。これからもう1回、国会に復帰しようと思っている」。石原氏は25日の緊急記者会見で、知事を辞職し、国政に再挑戦する決意を表明した。橋下氏との連携に意欲をのぞかせる一方、「今の自民党は評価できない」と、距離を置く姿勢を示した。/これに対し、自民党の安倍晋三総裁は鹿児島県南九州市で「石原知事は今までの実績もカリスマもあり、政界への影響はあると思う」としながらも、連携の可能性については「それはこれからだ。1人でも多くのわが党の候補者が当選できるように全力を尽くす」と明言を避けた。/一方、民主党の細野豪志政調会長は「今後の動きについては注視しないといけない。民主党の立ち位置とは若干違うところがある」と、警戒感を示した。/石原氏の前途は必ずしも有望とは言えない。新党には、たちあがれ日本所属の衆参両院議員5人が合流する予定。石原氏は新党参加者について「予想外の人も随分いるみたいだ」と思わせぶりに語ったが、政権復帰への期待が高まる自民党内では「党から出て行く人はいない」(中堅)との見方が多い。民主党で「石原新党」を待ち望んでいた議員は既に離党済みで、新たな離党者は「思いつかない」(若手)という。
◇「民自公の補完勢力」か:橋下氏との連携も政策的には難航必至だ。橋下氏の唱える消費税の地方税化に石原氏は否定的。原発を容認する石原氏の立場も、維新の会とは異なる。石原氏は会見で「これから議論したらいい」と述べたものの、橋下氏は「都知事には『政策の一致がないと有権者にそっぽを向かれる。政策、理念の一致が日本維新の会のアイデンティティーそのもの。この部分は譲れない』と繰り返し伝えた」と強調した。/みんなの党の渡辺喜美代表は「石原新党が原発や消費増税を容認するという立場であれば、民自公の幕藩体制の補完勢力だから、維新ではない。せいぜい良くて新選組だ」と皮肉り、橋下氏のパートナーは自分だと自信を示した。/一方、石原氏は小沢氏とは「犬猿の仲」だけに、会見でも「小沢と組むことはない」と明言した。これに対し、小沢氏は25日夜、都内で開いた党結成記念パーティーであいさつしたが、石原氏に関しては一切触れなかった。(jijicom 2012/10/25-20:54)
今朝のウェブニュースより
石原新党、広がり未知数=「第三極」結集も競合 ―― 東京都の石原慎太郎知事が新党結成の意向を表明した。次期衆院選で民主、自民両党に対抗する「第三極」をつくり、国政での影響力発揮を狙う。たちあがれ日本を母体に、保守勢力を結集し、日本維新の会を率いる橋下徹大阪市長との連携も目指す。ただ、第三極結集では、みんなの党が維新との連携を模索。保守勢力では、自民党だけでなく、小沢一郎代表率いる「国民の生活が第一」とも競合する。「石原新党」の前途は多難で、どこまで勢力を拡大できるかは未知数だ。
◇石原氏「自民は評価できず」:「行政ではほとんど国の妨害にあって非常に苦しい思いをしてきた。これからもう1回、国会に復帰しようと思っている」。石原氏は25日の緊急記者会見で、知事を辞職し、国政に再挑戦する決意を表明した。橋下氏との連携に意欲をのぞかせる一方、「今の自民党は評価できない」と、距離を置く姿勢を示した。/これに対し、自民党の安倍晋三総裁は鹿児島県南九州市で「石原知事は今までの実績もカリスマもあり、政界への影響はあると思う」としながらも、連携の可能性については「それはこれからだ。1人でも多くのわが党の候補者が当選できるように全力を尽くす」と明言を避けた。/一方、民主党の細野豪志政調会長は「今後の動きについては注視しないといけない。民主党の立ち位置とは若干違うところがある」と、警戒感を示した。/石原氏の前途は必ずしも有望とは言えない。新党には、たちあがれ日本所属の衆参両院議員5人が合流する予定。石原氏は新党参加者について「予想外の人も随分いるみたいだ」と思わせぶりに語ったが、政権復帰への期待が高まる自民党内では「党から出て行く人はいない」(中堅)との見方が多い。民主党で「石原新党」を待ち望んでいた議員は既に離党済みで、新たな離党者は「思いつかない」(若手)という。
◇「民自公の補完勢力」か:橋下氏との連携も政策的には難航必至だ。橋下氏の唱える消費税の地方税化に石原氏は否定的。原発を容認する石原氏の立場も、維新の会とは異なる。石原氏は会見で「これから議論したらいい」と述べたものの、橋下氏は「都知事には『政策の一致がないと有権者にそっぽを向かれる。政策、理念の一致が日本維新の会のアイデンティティーそのもの。この部分は譲れない』と繰り返し伝えた」と強調した。/みんなの党の渡辺喜美代表は「石原新党が原発や消費増税を容認するという立場であれば、民自公の幕藩体制の補完勢力だから、維新ではない。せいぜい良くて新選組だ」と皮肉り、橋下氏のパートナーは自分だと自信を示した。/一方、石原氏は小沢氏とは「犬猿の仲」だけに、会見でも「小沢と組むことはない」と明言した。これに対し、小沢氏は25日夜、都内で開いた党結成記念パーティーであいさつしたが、石原氏に関しては一切触れなかった。(jijicom 2012/10/25-20:54)
西宮市在住のYK氏より封書郵便が届いた。水門会出席の報告で、全員写真と出席者名簿が同封されていた。添え書に曰く、
「2012年10月22日(月) 日高節夫様 YU
10/19(金)開催の水門会に行って来ました。/出席者は29名と30名を切りました。/皆さん どこが悪い、ここが悪いとぼやいていました。/遠方よりの参加は関西の私と関東からのFYの2人だけでした。/寒さに向かいます。どうぞご自愛下さい。/まずはとり急ぎ資料ご送付まで 草々
同封されていた写真を早速スキャンして、パソコン・携帯のアドレスが判る水門会会員に、貼付送信した。
パソコンメールに曰く、「皆さんお元気でお過しのことと存じます。/西宮市在住のYK氏より、水門会総会の写真が送られてきました。/早速スキャンしましたので、皆様のお手許に貼付送信いたします。/まずは、写真送付まで 日高節夫」
携帯メールに曰く、「K君が総会の全員写真を送ってくれましたので、早速スキャンしました。/うまく送れればよいのですが /如何でしょうか? セッチンより」
貼付送信した写真の着信報告が、昨日の内に返事のあったのは、
宝塚市のS氏、携帯メールに曰く、「みんな歳をとりましたね。/自らも鏡に向かって、同じ言葉を呟いています。/この写真はもともと少しピンボケしているように思えます。目が悪いためか、後ろの方々の判別が、想像でしか解りかねます。これも私の老化現象の深さかもしれませんね。/ご連絡感謝致します。」
藤沢市のY氏、パソコンメールに曰く、「日高 様/「水門会総会」の写真受信しました。ありがとうございます。/年々出席者が減ってきて聊か淋しくなってきましたが、これも仕方ないことでしょう。/先ずは受信報告まで。 MY」
横浜市のN氏、パソコンメールに曰く、「日高節夫様/水門会総会の記念写真、ご送付くださってありがとう。/みんな風格は出たけれど、まぎれもなく爺さんになったね。わたしももし出席していたら、爺がひとり増えたことだろう。 IN」
「2012年10月22日(月) 日高節夫様 YU
10/19(金)開催の水門会に行って来ました。/出席者は29名と30名を切りました。/皆さん どこが悪い、ここが悪いとぼやいていました。/遠方よりの参加は関西の私と関東からのFYの2人だけでした。/寒さに向かいます。どうぞご自愛下さい。/まずはとり急ぎ資料ご送付まで 草々
同封されていた写真を早速スキャンして、パソコン・携帯のアドレスが判る水門会会員に、貼付送信した。
パソコンメールに曰く、「皆さんお元気でお過しのことと存じます。/西宮市在住のYK氏より、水門会総会の写真が送られてきました。/早速スキャンしましたので、皆様のお手許に貼付送信いたします。/まずは、写真送付まで 日高節夫」
携帯メールに曰く、「K君が総会の全員写真を送ってくれましたので、早速スキャンしました。/うまく送れればよいのですが /如何でしょうか? セッチンより」
貼付送信した写真の着信報告が、昨日の内に返事のあったのは、
宝塚市のS氏、携帯メールに曰く、「みんな歳をとりましたね。/自らも鏡に向かって、同じ言葉を呟いています。/この写真はもともと少しピンボケしているように思えます。目が悪いためか、後ろの方々の判別が、想像でしか解りかねます。これも私の老化現象の深さかもしれませんね。/ご連絡感謝致します。」
藤沢市のY氏、パソコンメールに曰く、「日高 様/「水門会総会」の写真受信しました。ありがとうございます。/年々出席者が減ってきて聊か淋しくなってきましたが、これも仕方ないことでしょう。/先ずは受信報告まで。 MY」
横浜市のN氏、パソコンメールに曰く、「日高節夫様/水門会総会の記念写真、ご送付くださってありがとう。/みんな風格は出たけれど、まぎれもなく爺さんになったね。わたしももし出席していたら、爺がひとり増えたことだろう。 IN」
Pythagoras(ピタゴラス)の先生に当たるThalēs〔タレス、BC624~546年頃)は、古代ギリシアの哲学者。ソクラテス以前の哲学者の全てがそうであるように、タレス自身が直接書いた著作・記録は残っておらず、古代の著作・記録でタレスに言及したものから、その思想を推察することしかできない。古代ギリシアに現れた記録に残る最古の(自然)哲学者であり、イオニアに発したミレトス学派の始祖である。また、ギリシャ七賢人の一人とされる。
ミレトスに生まれた彼はその少年時代、青年時代を商人として過した。彼がまだ商店の小僧をしているときの或る日、彼がロバの背に塩を積んで市場に売りに行く途中、川を渡る時にロバがつまずいて転び、塩は川に溶けて流れてしまった。翌日も同様に塩を積んで市場へ向かったが、川を渡る時にロバはまたつまずいた。ロバは川でつまずくと荷が軽くなる事を覚え、わざとつまずいたのだった。一計を案じたThalēs(タレス)はその翌日、ロバの背に海綿を積んで市場へ向かった。今度もロバはつまずいたが、海綿は水を吸って重くなった。それ以後、ロバがつまずく事はなくなったという。
また、彼は青年時代に貧乏のゆえに哲学は何の役にも立たぬものであると非難されたThalēs(タレス)は、次のオリーブの収穫が豊作であろうことを天文学から知り、まだ冬の間にミレトス(小アジアの西)、キオス(ミレトス沖の島)の全てのオリーブの圧搾機械を借り占めておいた。すると、収穫の時期が来たときに多くの人が彼に機械を貸し出すことを要求したので、莫大な利益を得ることになった。こうしてThalēs(タレス)は、彼が欲するなら金持ちになることは可能であるが、そのようなことは彼の関心にないことを示したという。
彼はある時、商用でエジプトに渡り、そこにしばらく滞在したが、そこでエジプトの神官からエジプトで得られた数学と天文学に関する多くの知識を学び、まもなく神官を追い越し、その知識を用いて、ピラミッドの影の長さからピラミッドそのものの高さを見出し、時のアマシス王を驚かせたという話がある。
エジプト滞在中に数学と天文学に対して非常な興味をおぼえたThalēs(タレス)は、ギリシアへ帰ってからもその研究を続け、ついに世界で最初の大数学者といわれる人になった。
Thalēs(タレス)は一生を独身で過したらしい。母親が彼にむりやり妻を娶らせようとしたとき、「まだその時ではない」と彼は答えていた。その後、盛りを過ぎてから母親が彼に迫ると「もうその時ではない」と答えたという。
彼はまた、BC585年5月28日の日蝕を予言して、天文学者としての名声を博したという。Lydia(リディア)は現在のトルコ(アナトリア半島)にあった国、Media(メディア)は現在のイランあたりにあった国であるが、リディアとメディアが戦闘中だったBC585年5月28日、日食が起きたため、両軍とも「これはいつまでも戦争を続けていることが神の怒りにふれたにちがいない」と恐れをなして、Halys〔ハリュス〕川〔現在のトルコ最大の川Kızılırmak(クズルルマク)川〕を国境として休戦したという。
Platon〔プラトン、BC427~347年、古代ギリシアの哲学者で、ソクラテスの弟子でアリストテレスの師〕が伝える有名な逸話に、夜空を見上げ天文の観察に夢中になるあまり、溝(あるいは穴)に落ちてしまったは、傍にいた女性(若い女性とも老婆とも言われる)に、「学者というものは遠い星の事は判っても自分の足元の事は判らないのか」と笑われたというのがある。
彼の活動したイオニアは小アジア、エーゲ海沿岸に位置し、Hómêros〔ホメロス、BC8世紀末の吟遊詩人であったとされる〕の活動した土地でもある。イオニアは地理的に東方と西方文化の十字路に位置しており、エジプトやバビロンの数学や自然科学も流入していたと考えられ、そうした文化的素地がThalēs(タレス)、Anaximandros〔アナクシマンドロス、BC610?~546年)古代ギリシアの哲学者〕、Anaximenes〔アナクシメネス、BC585~525年)は、古代ギリシアの自然哲学者〕らのミレトス学派が発生する母胎となったと考えられている。
彼が「最初の哲学者」とよばれる由縁は、それまでは神話的説明がなされていたこの世界の起源について、合理的説明をはじめて試みた人だという点にある。すなわち彼はarkhē(アルケー、万物の根源)を水と考え、存在する全てのものがそれから生成し、それへと消滅していくものだと考えた。そして大地は水の上に浮かんでいるとした。世界は水からなり、そして水に帰るという説を唱えたのだった。
体育競技を観戦していて、炎熱と渇き、また老齢による衰弱によって死亡したとされる。
最後にThalēs(タレス)の名言を記しておく。
・最も困難なことは自分自身を知ることであり、最も容易なことは他人に忠告することである。
・万物は、神々に満ちている。
・言葉が多いのは、才気の徴にはならない。
・最悪の猛獣は、圧制者であり、最悪の家畜とは、阿諛者である。
・希望は、貧しい人間のパンである。
※ギリシャ七賢人とは、紀元前620年から紀元前550年に賢いと呼ばれた古代ギリシアの人物たちである。Plutarchus〔プルタルコスAD46乃至48?~127年頃、帝政ローマのギリシア人著述家。著作に『対比列伝』(英雄伝)などがある。英語名のPlutarch(プルターク)でも知られる〕は本来は五人だったが、二人の僭主が徳も持っていないにもかかわらず権力によってその名を奪い取ったと主張している。また、最初に誰がなぜ賢いと呼んだのかは不明である。プラトンが挙げたのは
・アテナイの立法者ソロン ・ミレトスの哲学者タレス ・スパルタの民選長官キロン ・プリエネの僭主ビアス ・リンドスの僭主クレオブロス ・ミュティレネの僭主ピッタコス ・ケナイの農夫ミュソン
しかし、ミュソンを挙げているのはプラトンだけで大抵はその代わりにコリントスのペリアンドロスが挙げられている。この七人目は古代の書物においてまちまちであり、必ずしも統一されていない。
七賢人の有名な逸話としては彼らの間で生じた知恵比べがある。海中に沈んでいて、偶然発見された鍛冶の神ヘファイストスの作った黄金の鼎をめぐってKos(コス)とMiletus(ミレトス)との間で戦争が起こった。多くの死者が出たため、彼らはDelphoi(デルフォイ)で受けた「過去、現在、未来を知ろしめす者」に鼎がたどり着くまでは両国の戦争は終わらないという神託に基づいて賢者として有名だったタレスに鼎を贈ったが、彼は自分にはふさわしくないと他の賢者に譲った。結局鼎は七賢人の間でたらいまわしにされてタレスのもとへ帰ってきた。そこで彼はアポロンに奉納し、神託を伝えるPythia〔ピュティア、巫女〕がこの鼎に腰を下ろして神託を語ることになったという。
ミレトスに生まれた彼はその少年時代、青年時代を商人として過した。彼がまだ商店の小僧をしているときの或る日、彼がロバの背に塩を積んで市場に売りに行く途中、川を渡る時にロバがつまずいて転び、塩は川に溶けて流れてしまった。翌日も同様に塩を積んで市場へ向かったが、川を渡る時にロバはまたつまずいた。ロバは川でつまずくと荷が軽くなる事を覚え、わざとつまずいたのだった。一計を案じたThalēs(タレス)はその翌日、ロバの背に海綿を積んで市場へ向かった。今度もロバはつまずいたが、海綿は水を吸って重くなった。それ以後、ロバがつまずく事はなくなったという。
また、彼は青年時代に貧乏のゆえに哲学は何の役にも立たぬものであると非難されたThalēs(タレス)は、次のオリーブの収穫が豊作であろうことを天文学から知り、まだ冬の間にミレトス(小アジアの西)、キオス(ミレトス沖の島)の全てのオリーブの圧搾機械を借り占めておいた。すると、収穫の時期が来たときに多くの人が彼に機械を貸し出すことを要求したので、莫大な利益を得ることになった。こうしてThalēs(タレス)は、彼が欲するなら金持ちになることは可能であるが、そのようなことは彼の関心にないことを示したという。
彼はある時、商用でエジプトに渡り、そこにしばらく滞在したが、そこでエジプトの神官からエジプトで得られた数学と天文学に関する多くの知識を学び、まもなく神官を追い越し、その知識を用いて、ピラミッドの影の長さからピラミッドそのものの高さを見出し、時のアマシス王を驚かせたという話がある。
エジプト滞在中に数学と天文学に対して非常な興味をおぼえたThalēs(タレス)は、ギリシアへ帰ってからもその研究を続け、ついに世界で最初の大数学者といわれる人になった。
Thalēs(タレス)は一生を独身で過したらしい。母親が彼にむりやり妻を娶らせようとしたとき、「まだその時ではない」と彼は答えていた。その後、盛りを過ぎてから母親が彼に迫ると「もうその時ではない」と答えたという。
彼はまた、BC585年5月28日の日蝕を予言して、天文学者としての名声を博したという。Lydia(リディア)は現在のトルコ(アナトリア半島)にあった国、Media(メディア)は現在のイランあたりにあった国であるが、リディアとメディアが戦闘中だったBC585年5月28日、日食が起きたため、両軍とも「これはいつまでも戦争を続けていることが神の怒りにふれたにちがいない」と恐れをなして、Halys〔ハリュス〕川〔現在のトルコ最大の川Kızılırmak(クズルルマク)川〕を国境として休戦したという。
Platon〔プラトン、BC427~347年、古代ギリシアの哲学者で、ソクラテスの弟子でアリストテレスの師〕が伝える有名な逸話に、夜空を見上げ天文の観察に夢中になるあまり、溝(あるいは穴)に落ちてしまったは、傍にいた女性(若い女性とも老婆とも言われる)に、「学者というものは遠い星の事は判っても自分の足元の事は判らないのか」と笑われたというのがある。
彼の活動したイオニアは小アジア、エーゲ海沿岸に位置し、Hómêros〔ホメロス、BC8世紀末の吟遊詩人であったとされる〕の活動した土地でもある。イオニアは地理的に東方と西方文化の十字路に位置しており、エジプトやバビロンの数学や自然科学も流入していたと考えられ、そうした文化的素地がThalēs(タレス)、Anaximandros〔アナクシマンドロス、BC610?~546年)古代ギリシアの哲学者〕、Anaximenes〔アナクシメネス、BC585~525年)は、古代ギリシアの自然哲学者〕らのミレトス学派が発生する母胎となったと考えられている。
彼が「最初の哲学者」とよばれる由縁は、それまでは神話的説明がなされていたこの世界の起源について、合理的説明をはじめて試みた人だという点にある。すなわち彼はarkhē(アルケー、万物の根源)を水と考え、存在する全てのものがそれから生成し、それへと消滅していくものだと考えた。そして大地は水の上に浮かんでいるとした。世界は水からなり、そして水に帰るという説を唱えたのだった。
体育競技を観戦していて、炎熱と渇き、また老齢による衰弱によって死亡したとされる。
最後にThalēs(タレス)の名言を記しておく。
・最も困難なことは自分自身を知ることであり、最も容易なことは他人に忠告することである。
・万物は、神々に満ちている。
・言葉が多いのは、才気の徴にはならない。
・最悪の猛獣は、圧制者であり、最悪の家畜とは、阿諛者である。
・希望は、貧しい人間のパンである。
※ギリシャ七賢人とは、紀元前620年から紀元前550年に賢いと呼ばれた古代ギリシアの人物たちである。Plutarchus〔プルタルコスAD46乃至48?~127年頃、帝政ローマのギリシア人著述家。著作に『対比列伝』(英雄伝)などがある。英語名のPlutarch(プルターク)でも知られる〕は本来は五人だったが、二人の僭主が徳も持っていないにもかかわらず権力によってその名を奪い取ったと主張している。また、最初に誰がなぜ賢いと呼んだのかは不明である。プラトンが挙げたのは
・アテナイの立法者ソロン ・ミレトスの哲学者タレス ・スパルタの民選長官キロン ・プリエネの僭主ビアス ・リンドスの僭主クレオブロス ・ミュティレネの僭主ピッタコス ・ケナイの農夫ミュソン
しかし、ミュソンを挙げているのはプラトンだけで大抵はその代わりにコリントスのペリアンドロスが挙げられている。この七人目は古代の書物においてまちまちであり、必ずしも統一されていない。
七賢人の有名な逸話としては彼らの間で生じた知恵比べがある。海中に沈んでいて、偶然発見された鍛冶の神ヘファイストスの作った黄金の鼎をめぐってKos(コス)とMiletus(ミレトス)との間で戦争が起こった。多くの死者が出たため、彼らはDelphoi(デルフォイ)で受けた「過去、現在、未来を知ろしめす者」に鼎がたどり着くまでは両国の戦争は終わらないという神託に基づいて賢者として有名だったタレスに鼎を贈ったが、彼は自分にはふさわしくないと他の賢者に譲った。結局鼎は七賢人の間でたらいまわしにされてタレスのもとへ帰ってきた。そこで彼はアポロンに奉納し、神託を伝えるPythia〔ピュティア、巫女〕がこの鼎に腰を下ろして神託を語ることになったという。
14.ピタゴラス音階を考え出した。
左の図の弦の長さにより決まる音階を、ピタゴラス音階という。音楽の歴史では、最も古い音階だといわれる。ピタゴラス学派の人々は、美しい協和音に秘められた「神のわざ」を探し求めようとしたという。
彼らは、弦の長さの比に注目して、2対1、3対2 のとき、2つの音が最も美しい協和音になることを発見した。現在、前者は完全8度、後者は完全5度の協和音といわれている。また、4対3 のときは、完全4度の協和音という。
このような性質を持つ数の組として、{12、8、6}と、{12、9、6} が知られている。
このとき、12・9・8・6 に対応して、ド・ファ・ソ・ド がまず決定される。他の音は、この4音を基本として、次のようにして定められる。
「レ」の音 …… ソの音と完全4度の音 すなわち、X:8= 4:3 より、X=32/3 として、弦の長さが定まる。
「ラ」の音 …… レの音と完全5度の音 すなわち、32/3:X = 3:2 より、X=64/9 として、弦の長さが定まる。
「ミ」の音 …… ラの音と完全4度の音 すなわち、X:64/9 = 4:3 より、X=256/27 として、弦の長さが定まる。
「シ」の音 …… ミの音と完全5度の音 すなわち、
256/27:X = 3:2 より、X=512/81 として、弦の長さが定まる。
以上で定まる弦の長さをもとに、実際に楽器を作ってみたら、どんな風に聞こえるのだろうか。
さらに、6、8、9、12 の4つの数に、6の完全8度の数としての 3 を付け加えてみると、
3・6・8 ・9 ・12 の5つの数の間に、数学的に美しい関係が成り立つ。
① 6 は、3 と 12 の相乗平均である。 ② 8 は、6 と 12 の調和平均である。
③ 9 は、6 と 12 の相加平均である。
数学的に美しいということは、音として聞いても美しいということで、ピタゴラス 学派の人々がひたすら求めた「宇宙の本質」というものの雰囲気が伝わってくるように思える。
※平均とはいくつかの数や量の中間的な値を求めること。また、その数値。それらの和をその個数で割る相加平均〔算術平均ともいう〕をいうことが多いが、ほかに相乗平均〔幾何平均とも言う〕・調和平均などがある。
左の図の弦の長さにより決まる音階を、ピタゴラス音階という。音楽の歴史では、最も古い音階だといわれる。ピタゴラス学派の人々は、美しい協和音に秘められた「神のわざ」を探し求めようとしたという。
彼らは、弦の長さの比に注目して、2対1、3対2 のとき、2つの音が最も美しい協和音になることを発見した。現在、前者は完全8度、後者は完全5度の協和音といわれている。また、4対3 のときは、完全4度の協和音という。
このような性質を持つ数の組として、{12、8、6}と、{12、9、6} が知られている。
このとき、12・9・8・6 に対応して、ド・ファ・ソ・ド がまず決定される。他の音は、この4音を基本として、次のようにして定められる。
「レ」の音 …… ソの音と完全4度の音 すなわち、X:8= 4:3 より、X=32/3 として、弦の長さが定まる。
「ラ」の音 …… レの音と完全5度の音 すなわち、32/3:X = 3:2 より、X=64/9 として、弦の長さが定まる。
「ミ」の音 …… ラの音と完全4度の音 すなわち、X:64/9 = 4:3 より、X=256/27 として、弦の長さが定まる。
「シ」の音 …… ミの音と完全5度の音 すなわち、
256/27:X = 3:2 より、X=512/81 として、弦の長さが定まる。
以上で定まる弦の長さをもとに、実際に楽器を作ってみたら、どんな風に聞こえるのだろうか。
さらに、6、8、9、12 の4つの数に、6の完全8度の数としての 3 を付け加えてみると、
3・6・8 ・9 ・12 の5つの数の間に、数学的に美しい関係が成り立つ。
① 6 は、3 と 12 の相乗平均である。 ② 8 は、6 と 12 の調和平均である。
③ 9 は、6 と 12 の相加平均である。
数学的に美しいということは、音として聞いても美しいということで、ピタゴラス 学派の人々がひたすら求めた「宇宙の本質」というものの雰囲気が伝わってくるように思える。
※平均とはいくつかの数や量の中間的な値を求めること。また、その数値。それらの和をその個数で割る相加平均〔算術平均ともいう〕をいうことが多いが、ほかに相乗平均〔幾何平均とも言う〕・調和平均などがある。
今朝のウェブニュースより
浅草から銀幕消える 映画館発祥の地、3舘が閉館 耐震化困難で ―― 日本の映画館発祥の地とされる東京・浅草で最後に残った「浅草名画座」「浅草新劇場」「浅草中映劇場」の3館が21日、閉館し、銀幕が消えた。浅草に初めて映画館ができて109年。最盛期は30館以上あったというが、テレビやレンタルビデオの普及で客離れが拡大。東日本大震災を受けて耐震化が急務となったが、資金が捻出できないことも追い打ちをかけた。
■1作品使い回しも:「一帯に映画館はたくさんあったが、いつも立ち見ばかり。ディズニーランドもテーマパークもなかった時代、ここが日本のワンダーランドだった」。生まれも育ちも浅草というグラフィックアーティストの吉岡篤さん(70)はこの日、懐かしそうに往時を振り返り、歴史に幕を下ろす3舘を写真に収めた。/浅草に最初の映画館「電気館」が建設されたのは明治36年。以降、次々と映画館が建てられ、浅草は娯楽地として活況を呈した。/「目抜き通りには上映作品の題名が書かれたのぼりが並び、着物姿の人がたくさん歩いていた」。この日閉館した3館の運営会社「中映」(東京都台東区)社員として長年勤めていた山本栄一さん(79)は戦前の様子を振り返る。/にぎわいがピークを迎えた昭和20~30年代には東京都内外から多くの老若男女が訪れた。複数の映画館で、1セットしかない新作映画のフィルムを同じ日に使い回す“荒業”も日常茶飯事だった。/山本さんは「持っていくフィルムの順番を間違え、すでに死んだ役の人が生き返っちゃって、お客さんに怒られたこともあった」と懐かしむ。/浅草新劇場の村上宏之支配人(39)によると、ピーク時には連日立ち見だったというが、入館者数は年々減り続け、現在は3館とも「席の半分が埋まる程度」だった。
■「人情伝承を」: 各地に映画館が増え、テレビが普及すると、若者を中心に浅草から客足は遠のいた。50年代には閉鎖する映画館も現れ始め、その後はレンタルビデオ・DVDの普及、インターネットなど趣味の多様化もあって、衰退の流れは加速した。女性シート導入やカップル向け映画の上映など、若い客層を取り込もうとしたが効果は上がらなかった。/中映の野口知信社長(53)は「老朽化が閉館の理由。東日本大震災で客の安全を保証できなくなった」と説明。近年は修理費だけで年間1千万円に上り、売り上げと釣り合わずに経営を圧迫していた。/21日、浅草名画座では下町の人情を描いた「男はつらいよ」シリーズの最終作「寅次郎紅の花」が上映された。浅草新劇場で午後7時から上映の松田優作さん主演「あばよダチ公」(49年)が3館最後の上映作品になった。山本さんは「これで浅草から映像娯楽はなくなるが、大衆演劇やストリップ、演芸などは頑張っている。お客さんに声をかけたり、下町の人情を伝承できれば芸能の火は消えないだろう」と話した。 〔msn 産経ニュース 2012.10.22 08:40 〕
浅草から銀幕消える 映画館発祥の地、3舘が閉館 耐震化困難で ―― 日本の映画館発祥の地とされる東京・浅草で最後に残った「浅草名画座」「浅草新劇場」「浅草中映劇場」の3館が21日、閉館し、銀幕が消えた。浅草に初めて映画館ができて109年。最盛期は30館以上あったというが、テレビやレンタルビデオの普及で客離れが拡大。東日本大震災を受けて耐震化が急務となったが、資金が捻出できないことも追い打ちをかけた。
■1作品使い回しも:「一帯に映画館はたくさんあったが、いつも立ち見ばかり。ディズニーランドもテーマパークもなかった時代、ここが日本のワンダーランドだった」。生まれも育ちも浅草というグラフィックアーティストの吉岡篤さん(70)はこの日、懐かしそうに往時を振り返り、歴史に幕を下ろす3舘を写真に収めた。/浅草に最初の映画館「電気館」が建設されたのは明治36年。以降、次々と映画館が建てられ、浅草は娯楽地として活況を呈した。/「目抜き通りには上映作品の題名が書かれたのぼりが並び、着物姿の人がたくさん歩いていた」。この日閉館した3館の運営会社「中映」(東京都台東区)社員として長年勤めていた山本栄一さん(79)は戦前の様子を振り返る。/にぎわいがピークを迎えた昭和20~30年代には東京都内外から多くの老若男女が訪れた。複数の映画館で、1セットしかない新作映画のフィルムを同じ日に使い回す“荒業”も日常茶飯事だった。/山本さんは「持っていくフィルムの順番を間違え、すでに死んだ役の人が生き返っちゃって、お客さんに怒られたこともあった」と懐かしむ。/浅草新劇場の村上宏之支配人(39)によると、ピーク時には連日立ち見だったというが、入館者数は年々減り続け、現在は3館とも「席の半分が埋まる程度」だった。
■「人情伝承を」: 各地に映画館が増え、テレビが普及すると、若者を中心に浅草から客足は遠のいた。50年代には閉鎖する映画館も現れ始め、その後はレンタルビデオ・DVDの普及、インターネットなど趣味の多様化もあって、衰退の流れは加速した。女性シート導入やカップル向け映画の上映など、若い客層を取り込もうとしたが効果は上がらなかった。/中映の野口知信社長(53)は「老朽化が閉館の理由。東日本大震災で客の安全を保証できなくなった」と説明。近年は修理費だけで年間1千万円に上り、売り上げと釣り合わずに経営を圧迫していた。/21日、浅草名画座では下町の人情を描いた「男はつらいよ」シリーズの最終作「寅次郎紅の花」が上映された。浅草新劇場で午後7時から上映の松田優作さん主演「あばよダチ公」(49年)が3館最後の上映作品になった。山本さんは「これで浅草から映像娯楽はなくなるが、大衆演劇やストリップ、演芸などは頑張っている。お客さんに声をかけたり、下町の人情を伝承できれば芸能の火は消えないだろう」と話した。 〔msn 産経ニュース 2012.10.22 08:40 〕
12.平面を合同な多角形で埋め尽くすことを考えた。
ピタゴラス学派の人々は多角形の内角・外角について考え、これを用いて、平面は合同な三角形、正四角形(正方形)、正六角形を用いた時にのみ多い尽くすことが出来ることを証明した。
※平面充填(へいめんじゅうてん)とは、平面内を有限種類の平面図形(タイル)で隙間なく敷き詰める操作である。敷き詰めたタイルからなる平面全体を平面充填形という。平面敷き詰め、タイル貼り、タイリング (tiling) 、テセレーション (tessellation) ともいう。
全ての平行四辺形は、1種類で平面充填可能である。また全ての三角形は、合同なものを2つ組み合わせることで平行四辺形となる。従って、全ての三角形は平面充填可能である。また、全ての合同な平行六辺形(3組の対辺が平行で等しい六角形)は平面敷き詰め可能である。また、平行四辺形以外の全ての四角形は、合同なものを二つ組み合わせることで平行六辺形となる。従って、全ての四角形は平面敷き詰め可能なのである。
13.正多面体は5種類しかないことを証明した。
regular polyhedron〔レギュラー ポリヘドラン、正多面体〕またはPlatonic solid(プラトン ソリッド、プラトンの立体)とは、すべての面が同一の正多角形で構成され、かつすべての頂点において接する面の数が等しい凸多面体のことである。ピタゴラス学派の人たちは、正多面体は正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体の五種類しかないことを証明した。
三次元空間の中に一つの頂点を取り、その周りに取ることが可能な正多角形に関する制限から、正多面体が先に示したより五種類のみであることが証明できる。
※正多面体は、適切に頂点を選ぶことで別の正多面体を作ることができる。代表的なものは各面の中心を結ぶという操作で、正二十面体 ↔ 正十二面体 正六面体 ↔ 正八面体 正四面体 ↔ 正四面体
の様に作ることが出来る。これらの関係を双対という。このうち正四面体は正四面体自身になる(自己双対)。
ほかには、正六面体の1つおきの頂点 → 正四面体 正十二面体の適当な頂点 → 正四面体、正六面体
正四面体の各辺の中点 → 正八面体 正八面体の各辺を黄金分割して結ぶ → 正二十面体 などがある。 ピタゴラス学派の人々は多角形の内角・外角について考え、これを用いて、平面は合同な三角形、正四角形(正方形)、正六角形を用いた時にのみ覆い尽くすことが出来ることを証明した。
ピタゴラス学派の人々は多角形の内角・外角について考え、これを用いて、平面は合同な三角形、正四角形(正方形)、正六角形を用いた時にのみ多い尽くすことが出来ることを証明した。
※平面充填(へいめんじゅうてん)とは、平面内を有限種類の平面図形(タイル)で隙間なく敷き詰める操作である。敷き詰めたタイルからなる平面全体を平面充填形という。平面敷き詰め、タイル貼り、タイリング (tiling) 、テセレーション (tessellation) ともいう。
全ての平行四辺形は、1種類で平面充填可能である。また全ての三角形は、合同なものを2つ組み合わせることで平行四辺形となる。従って、全ての三角形は平面充填可能である。また、全ての合同な平行六辺形(3組の対辺が平行で等しい六角形)は平面敷き詰め可能である。また、平行四辺形以外の全ての四角形は、合同なものを二つ組み合わせることで平行六辺形となる。従って、全ての四角形は平面敷き詰め可能なのである。
13.正多面体は5種類しかないことを証明した。
regular polyhedron〔レギュラー ポリヘドラン、正多面体〕またはPlatonic solid(プラトン ソリッド、プラトンの立体)とは、すべての面が同一の正多角形で構成され、かつすべての頂点において接する面の数が等しい凸多面体のことである。ピタゴラス学派の人たちは、正多面体は正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体の五種類しかないことを証明した。
三次元空間の中に一つの頂点を取り、その周りに取ることが可能な正多角形に関する制限から、正多面体が先に示したより五種類のみであることが証明できる。
※正多面体は、適切に頂点を選ぶことで別の正多面体を作ることができる。代表的なものは各面の中心を結ぶという操作で、正二十面体 ↔ 正十二面体 正六面体 ↔ 正八面体 正四面体 ↔ 正四面体
の様に作ることが出来る。これらの関係を双対という。このうち正四面体は正四面体自身になる(自己双対)。
ほかには、正六面体の1つおきの頂点 → 正四面体 正十二面体の適当な頂点 → 正四面体、正六面体
正四面体の各辺の中点 → 正八面体 正八面体の各辺を黄金分割して結ぶ → 正二十面体 などがある。 ピタゴラス学派の人々は多角形の内角・外角について考え、これを用いて、平面は合同な三角形、正四角形(正方形)、正六角形を用いた時にのみ覆い尽くすことが出来ることを証明した。
今朝のウェブニュースより
3党首会談決裂=野田首相、解散時期明示せず―自公反発、審議拒否も ―― 野田佳彦首相(民主党代表)は19日午後、自民党の安倍晋三総裁、公明党の山口那津男代表と国会内で約40分間会談した。首相は、赤字国債発行に必要な特例公債法案などの成立に協力を求める一方、谷垣禎一自民党前総裁と合意した「近いうち」の衆院解散について「言葉の重み、責任は十分自覚している」と述べるにとどめ、具体的な時期は明示しなかった。安倍、山口両氏は納得せず、会談は決裂した。/政府・与党は臨時国会を29日に召集する方針だが、自公両党は年内解散の方向性が示されない限り、審議の全面拒否も辞さない構えだ。/会談で首相は、特例公債法案の早期成立に加えて、最高裁が違憲状態とした衆院小選挙区の「1票の格差」是正、社会保障制度改革国民会議の早期設置を要請。具体的には、予算案と特例公債法案を一体処理するルール作りを提起したほか、自民党が主張する衆院小選挙区の「0増5減」の先行実施について「多くの党が言うなら、そういうことを含め幹事長級で議論する」と柔軟姿勢を示した。/しかし、年内の衆院解散を求める安倍、山口両氏は「解散時期を明示してほしい。そうでなければ先の話はできない」と反発。首相は「だらだらと政権の延命を図るつもりはない。条件が整えばきちっと自分の判断をしたい」と理解を求めたが、会談は物別れに終わった。 [時事通信社 2012年 10月 19日 19:56 JST]
社説:党首会談決裂 これでは政治が動かぬ ―― 野田佳彦首相と自民党の安倍晋三総裁、公明党の山口那津男代表による党首会談が行われた。首相は自身が「近いうちに」と約束している衆院解散について自公両党が求める年内解散の確約など時期の明示を拒み、会談は決裂した。/臨時国会は29日に召集される予定だが、このままでは冒頭から与野党激突は不可避な状況だ。首相は早期に民意を問う覚悟をより明確に示すべきだ。衆院「1票の格差」の是正や特例公債法案など、喫緊の課題の決着を主導しなければならない。/安倍総裁が誕生し初の正式な党首会談で政治の歯車は回らなかった。首相は「だらだら延命を図るつもりはない」と述べたものの、解散時期はほとんど踏み込まなかった。これでは輿石東民主党幹事長の「具体的な提案」とのふれこみが偽りだったと言われても仕方あるまい。/首相が8月に「近いうち」の解散を表明してすでに2カ月以上たつ。野田内閣の支持率は低空飛行を続け党内にはなお、年明け以降に衆院解散を先送りすべきだとする声が根強い。実態は首相も身動きが取れないのかもしれない。/だが、このまま国会に突入して果たして成算があるのだろうか。民主党は議員の離党に歯止めがかからず、今や衆院の単独過半数維持も危ぶまれている。/ 臨時国会で直面するのは放置できないテーマばかりである。最高裁が衆院「1票の格差」に違憲状態の判断を下してから1年半以上も国会は事態を放置してきた。今度は参院も違憲状態のレッドカードを突きつけられている。/赤字国債を発行するため必要な特例公債法案の成立も待ったなしだ。首相は予備費を活用した経済対策の策定を指示したが、付け焼き刃的な対策にどれほど効果があるかは疑問だ。予算執行に支障を来さないよう、公債法案を処理する方がよほど先決のはずだ。/民自公3党合意に盛られた社会保障制度改革国民会議の発足も現状ではままならない。いたずらな引き延ばしは政治の停滞を加速させることを悟るべきだろう。/ 一方で安倍総裁も年内解散に固執するあまり、最初から審議拒否で臨むような対応を取るべきでない。/むしろ懸案処理に協力することで首相を解散に追い込むのが早道ではないか。首相が提案した予算案と関連法案の一体処理ルールの確立などは検討に値しよう。 〔毎日新聞 2012年10月20日 02時31分〕
姪のM〔亡くなった三兄の娘〕から、メールが入った。曰く、「今日は保育園の遠足で、すみだ水族館に行きました〓/スカイツリーは混んでるので、下から眺めるだけでしたが浅草ビューホテルでランチと展望をしました。ソラマチタウンも散策しました。どこも混んでますね。/子供連れだし、時間も限られてたのであまり見れませんでした。全部、見てまわるには時間と体力がいりますね〓もう少し賑わいがおさまれば、スカイツリーにのぼってみたいものです。おじさんたちはもうてっぺんまでいきましたか。」
甥のHからも、メールが入った。曰く、「明伯父が亡くなられれて、早いもので22年にもなるのですね。最近なにごとにつけてもよくおもいだすことが多くなりました。昭和を力いっぱい生き抜いてきた方たでした。時間がとれれば私も三次の墓参りをしたいと思っています。話は変わりますがいま浅田次郎の「赤猫異聞」を読んでます。浅草周辺の節夫叔父が歩き回るところが頻回にでてきます。この辺りの土地勘がある人は、さらに面白いことでしょう。是非お読みください。」
3党首会談決裂=野田首相、解散時期明示せず―自公反発、審議拒否も ―― 野田佳彦首相(民主党代表)は19日午後、自民党の安倍晋三総裁、公明党の山口那津男代表と国会内で約40分間会談した。首相は、赤字国債発行に必要な特例公債法案などの成立に協力を求める一方、谷垣禎一自民党前総裁と合意した「近いうち」の衆院解散について「言葉の重み、責任は十分自覚している」と述べるにとどめ、具体的な時期は明示しなかった。安倍、山口両氏は納得せず、会談は決裂した。/政府・与党は臨時国会を29日に召集する方針だが、自公両党は年内解散の方向性が示されない限り、審議の全面拒否も辞さない構えだ。/会談で首相は、特例公債法案の早期成立に加えて、最高裁が違憲状態とした衆院小選挙区の「1票の格差」是正、社会保障制度改革国民会議の早期設置を要請。具体的には、予算案と特例公債法案を一体処理するルール作りを提起したほか、自民党が主張する衆院小選挙区の「0増5減」の先行実施について「多くの党が言うなら、そういうことを含め幹事長級で議論する」と柔軟姿勢を示した。/しかし、年内の衆院解散を求める安倍、山口両氏は「解散時期を明示してほしい。そうでなければ先の話はできない」と反発。首相は「だらだらと政権の延命を図るつもりはない。条件が整えばきちっと自分の判断をしたい」と理解を求めたが、会談は物別れに終わった。 [時事通信社 2012年 10月 19日 19:56 JST]
社説:党首会談決裂 これでは政治が動かぬ ―― 野田佳彦首相と自民党の安倍晋三総裁、公明党の山口那津男代表による党首会談が行われた。首相は自身が「近いうちに」と約束している衆院解散について自公両党が求める年内解散の確約など時期の明示を拒み、会談は決裂した。/臨時国会は29日に召集される予定だが、このままでは冒頭から与野党激突は不可避な状況だ。首相は早期に民意を問う覚悟をより明確に示すべきだ。衆院「1票の格差」の是正や特例公債法案など、喫緊の課題の決着を主導しなければならない。/安倍総裁が誕生し初の正式な党首会談で政治の歯車は回らなかった。首相は「だらだら延命を図るつもりはない」と述べたものの、解散時期はほとんど踏み込まなかった。これでは輿石東民主党幹事長の「具体的な提案」とのふれこみが偽りだったと言われても仕方あるまい。/首相が8月に「近いうち」の解散を表明してすでに2カ月以上たつ。野田内閣の支持率は低空飛行を続け党内にはなお、年明け以降に衆院解散を先送りすべきだとする声が根強い。実態は首相も身動きが取れないのかもしれない。/だが、このまま国会に突入して果たして成算があるのだろうか。民主党は議員の離党に歯止めがかからず、今や衆院の単独過半数維持も危ぶまれている。/ 臨時国会で直面するのは放置できないテーマばかりである。最高裁が衆院「1票の格差」に違憲状態の判断を下してから1年半以上も国会は事態を放置してきた。今度は参院も違憲状態のレッドカードを突きつけられている。/赤字国債を発行するため必要な特例公債法案の成立も待ったなしだ。首相は予備費を活用した経済対策の策定を指示したが、付け焼き刃的な対策にどれほど効果があるかは疑問だ。予算執行に支障を来さないよう、公債法案を処理する方がよほど先決のはずだ。/民自公3党合意に盛られた社会保障制度改革国民会議の発足も現状ではままならない。いたずらな引き延ばしは政治の停滞を加速させることを悟るべきだろう。/ 一方で安倍総裁も年内解散に固執するあまり、最初から審議拒否で臨むような対応を取るべきでない。/むしろ懸案処理に協力することで首相を解散に追い込むのが早道ではないか。首相が提案した予算案と関連法案の一体処理ルールの確立などは検討に値しよう。 〔毎日新聞 2012年10月20日 02時31分〕
姪のM〔亡くなった三兄の娘〕から、メールが入った。曰く、「今日は保育園の遠足で、すみだ水族館に行きました〓/スカイツリーは混んでるので、下から眺めるだけでしたが浅草ビューホテルでランチと展望をしました。ソラマチタウンも散策しました。どこも混んでますね。/子供連れだし、時間も限られてたのであまり見れませんでした。全部、見てまわるには時間と体力がいりますね〓もう少し賑わいがおさまれば、スカイツリーにのぼってみたいものです。おじさんたちはもうてっぺんまでいきましたか。」
甥のHからも、メールが入った。曰く、「明伯父が亡くなられれて、早いもので22年にもなるのですね。最近なにごとにつけてもよくおもいだすことが多くなりました。昭和を力いっぱい生き抜いてきた方たでした。時間がとれれば私も三次の墓参りをしたいと思っています。話は変わりますがいま浅田次郎の「赤猫異聞」を読んでます。浅草周辺の節夫叔父が歩き回るところが頻回にでてきます。この辺りの土地勘がある人は、さらに面白いことでしょう。是非お読みください。」
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
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