瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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d5f8c56c.jpeg  午前4時起床。桜橋を渡り川沿いに南下。いつもは駒形橋を渡るのだが、今日は厩橋まで足を伸ばして見た。厩橋~駒形橋のテラスを通るのは初めてのことである。どうやら駒形橋~吾妻橋間のテラス工事も完成し、近々開通するようであるから、厩橋~吾妻橋のテラスも朝の徘徊のコースに出来る。我が家から桜橋、厩橋を通っての今朝のコースで、携帯の記録によれば、「10438歩・7.3km」とあった。
 一時期は1000歩(6~700m)歩いても脹脛が痛んで、座り込んでいたのだが、よくぞここまで回復したものだ。
 
 昨日のブログで扱った問題と同じように12本のマッチ棒を用いた時、3~9以外の整数の面積も作れるだろうか? 勿論、マッチ棒を折ったり、ずるいトリックを用いることは罷りならない。ごく自然の方法でマッチ棒を置いていくことだけが許されるものとするのである。
 
 面積が2の図や1の図はどのようにして作ればよいのだろう。
e3dc087d.jpeg 面積が2の場合について、左の解答Ⅲの上の図(a)のように、面積が2の点線の長方形を作り、長い方の辺の上に勝手にマッチ棒を置く。このマッチ棒の両端を利用して、(b)のように作れば、解を作ることができる。
 この方法に気付けば、面積が1の図もすぐに作れる。
 解答Ⅲの上の図(a)を基準として、下図(a)のように、面積が1の図を作る。そして一番左側の辺AEの中央辺りの点をBとし、ここにマッチ棒の一端を置いて、向かい側の辺に接するように点Cを定めれば平行四辺形ABCDが出来るので、BとCを利用すれば、上の図の(b)と同じ方法が利用できる。具体的に言うならば、AとB、BとE、DとC、CとFを一端として、下図の(b)のようにすればよいのである。マッチ棒が接近しているため、少し見にくくなっているのは仕方なかろう。
 マッチ棒を使ったパズルを解くには水平思考が求められる。マッチ棒は1本の直線の代用品としてのみ考えられ、爪楊枝や(未使用の)鉛筆など固い材質でできた均等な長さの棒状であるという点でマッチと共通するもの、さらにはマッチ棒をかたどった模型や絵をマッチ棒の代用として使っても大半の問題は成立する。時にマッチ棒の特性を利用した問題もまれに見られるが、必要となるのはマッチ棒(あるいはその代用品)のみであるため、パズルとしては手軽かつ古典的なものである。
 
 マッチ棒パズルの中には安直にマッチ棒を並べたり、正方形を作ったりするものがあるが、果たして何本ものマッチ棒を1直線に並べたり、2本のマッチ棒を直角に置いたりすることが出来るのであろうか?
0014ad1b.jpeg 3本のマッチ棒で正三角形を作ることができるので、左図のように正三角形を次々に作っていけば、マッチ棒を一直線に並べることが出来る。しかも、n本のマッチ棒を直線に並べるには(n+2)本のマッチ棒で充分なのである。
021f66e0.jpeg では、2本のマッチ棒を直角に置くにはどうすればよいか? これも可能で、わずか4本のマッチ棒で出来るのである。左図はその手順を示したもので、まず、2本のマッチ棒を勝手な角度に広げ(この角度は60度と90度の間になるように調整する)、2本のマッチ棒の間に開いた先端からそれぞれ他のマッチ棒にちょうど接するように別の2本を置き(b)のように出来る。2本の点線は明らかに直角に交わっているから、この2本の点線の上にマッチ棒が来るように(c)、(d)の手順に従えばよいのである。
 
b2e76245.jpeg マッチ棒を一直線に置いたり、直角に置くことが出来るなら、左図のように12本のマッチ棒で面積が9の正方形を囲んだ図を作ることができる。さて、ここからがパズルであるが、この図から、マッチ棒を2本ずつ動かして、面積が8、7、6の図形を作れというのが問題である。


56d81d09.jpeg まあ、答えはいわば小学生向きで簡単に得ることが出来る。(左図解答Ⅰ参照)
 
9062d07f.jpeg 2本ずつの移動で減らせる面積はここまでであるが、移動の本数を4本にすると、形は少し複雑になるが、面積を4と3にすることが出来る。これは、前の解答(c)の図の面積5から、左図解答Ⅱの(a)のように作っておいて、あとは(b)、(c)のように正三角形のふくらみとへこみを対にして作ればよいのである。
a89e463c.jpeg なお、移動の本数を問題にせず、見易い図を念頭に置くならば、解答Ⅱ´の(a)、(b)の作り方もできる。
 
  この連休は、パソコンとプリンタの接続に振り回されてしまった。「八十路の水門2」の校正をIN氏にお願いして、すぐに校正ゲラが返されてきたのだが、パソコンに打ち込んだ原稿を訂正、さてプリント使用としたが、今まで使っていたcanonのプリンタの調子が悪い、印刷位置がずれるし、途中に余計なわけのわからない影がでるので、ヘッドクリーニングし、ノズルチェックもしたが、初めは調子よく印刷されても2・3枚目には印刷位置がずれてくる。
 今は何でも使い捨ての時代。修理に出しても輸送費や手間などを考えると新品を買う方が手っ取り早く、安上がりに出来ている。思い切って、現在使用中のプリンタを諦めて、インクカートリッジは纏め買いしたばかりだし、使い慣れない機種では何かと面倒なので、同じ機種の新品を探すことにした。インターネットで調べたが、現在は出荷されていないという。同じカートリッジを使用する機種を捜したが、その様な機種は見当たらない。EKIMISEのノジマ電気に行き、相談にのってもらったが、canonの製品にも今までと同じカートリッジを使用する機種は出していないという。
 まあ、インクカートリッジは今までのものは無駄になることを覚悟して、現在使用中のパソコン・ウィンドウズ XPに簡単に接続できるというので、epsonのEP―805ARを購入した。
 1日置いて、プリンターが届いたのは4月28日(日)の夕刻購入した製品が宅急便で届いた。早速梱包を解き、パソコンにソフトウェアディスクをセットして指示にしたがってインストールを始めた。はてさて、はじめは順調に進んだが、パソコンとプリンタを「ケーブルで繋いで、電源をいれてください」という指示のころで、反応しなくなった。初めから何度試してみても同じでその日はパソコンとプリンタを繋ぐことはできなかった。
 翌29日、隅田川の徘徊から帰宅して、もう一度試してみたが、どうしようもないので、休日で悪いと思ったが、MN氏に携帯でメールを入れておいた。
 4月29日 07:37 発信 宛:MN題:お助けください  お変わりありませんか?/今までのプリンタが故障、epson ep805Aを買ったのですが、パソコンとの接続がうまくいきません。/私宅へ訪ねて頂たのですが、ご都合お聞かせください。/勝手な時の勝手なお願いで、まことに申し訳ありませんが宜しくお願いします。 日高節夫
 お昼前にMI氏から電話があり、来宅してくれて、色々と診てもらったが、接続できない原因は不明であった。午後に再び来宅して、診てくれてパソコンのメーカーにも電話して色々調べてくれたが、修復できない。家にあるウィンドウズXPのノートパソコンを持参して繋いでみて繋がったら、当分それを貸してくれるということで、当分そのままにしておくことにした。
 何としても口惜しいので、翌日ノジマ電気に、行って修復方法を尋ねたが、「パソコンの読み取りレンズがくもっているのではなか?」とか、「ソフトウェアディスクが壊れているのではないか?」とかで要領得ないので、帰宅して再度挑戦してみることにした。
 『パソコンと接続してつかうには』のガイドの中に「ソフトウェアディスクを使ってインストールしない場合は、エプソンのホームページから入手して下さい。」とあるので、インターネトでエプソンのホームページから「製品マニアルダウンロード」を使って、インストールを試してみた。いやはや、何がどうなっているのか判らない内に『サポートとヘルプ』という項目があって、windows up-date という項目があって、「高速 推奨」とあったのでここをクリックすると先に進むことが出来るようになった。
 パソコン再起動の後ワードのプリント試みると、どうやら印刷が出来るようになった。早速「八十路の水門2」を印刷したが、ほとんど終わりのほうになって、何となく印刷濃度が薄いことが気になった。
 翌日スキャンを試みたが、どうもうまく行かない。一応MN氏に携帯でメールしておいた。
5月5日 08:55 発信 宛:MN 題:印刷はOKですが… 印刷はちゃんと出来るようになり、今朝ほど200枚ばかり印刷しました。/ところが、スキャンがパソコンに繋がらず困っています。/したがって、ノートパソコンの借用の件はしなくでも済みそうです。/いつでも結構ですから、時間の取れるときにスキャンの方を診てください。/何時も、勝手なお願いばかりで申し訳ありません。 日高
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1ac3c915.jpeg  5月5日(日)の午後には、福岡から甥が、篠山からは姪が兄妹そろって我が家を訪ねてくれた。夕刻淺草の居酒屋「魚采」で、爺婆と兄妹の4人で会食。甥は宿泊地の稲荷町へ帰っていった。姪は一緒に我が家へ帰宅し1晩泊まることになった。
 
 甥がSMS(Short Message Service)でメールを送る方法を教えてくれたので、翌朝携帯のメールアドレスを持っていない横浜のIM氏にSMSでメールを入れてみた。すぐに受信したとの返信が来た。翌朝パソコンのメールを開くとメールが入っていた。
 5月6日(月)9:01発信 メールのテスト送信結果 :日高節夫様/連休も今日までですが、元気にお過ごしですか。もっとも、私にとっては連休も平日も無関係です。/ところで、今朝、君からの携帯メールが、メール契約をしていない私の携帯に入った。NTTが、あの地震いらい、緊急メールを入れるために受信だけをゆるめたのだろうか。/なにはともあれ、テスト送信は到着しました。/この連休は、大津にお住まいの親父の中隊長・原田毅中尉の実弟(ここは男6人、女1人の子だくさん家族」3男の昭氏から、新しい冊子「捨石」を頂いたのでそれをせっせと読んでいます。/君も元気そうで何よりです。取りあえずご返事、依って件の如し。 横浜 IN
 5月6日(月)9:34 発信 前便の続き :日高 節夫 様/前便の補足: 原田 昭氏の執筆編集になる「捨石」は、この一族の長兄で、ただ一人の戦死者である毅氏の追悼集です。/君に作ってもらった「父の死に場所」と、これまた君が編集してくれた「部隊壊滅の日」を刷り増ししてお送りしたことがあったが、それを参考資料として、今回、甥や姪たちのために書き下ろされたものだ。/君の編集が上手いお陰で、私の資料を「野崎教科書」と位置づけて、上手に使われている。/私のは親父の死に場所を求めての足跡だから、勇ましい戦記ではない。/原田昭さんの冊子は、戦闘全般をとらえているので、一等兵の死などは出てこないが、それでも門司の和布刈神社に親父の中隊が参拝して、航海の安全を祈ったという事実は、体験者でなければ書けないだろう。つくづく、母の当時の日記帳を捨ててしまったのが悔やまれる。/私からは、他界された生還者の「聞き書き」をお送りしようと準備中です。/君のお陰で、資料が日の眼を見たというご報告と御礼まで。
 
 姪のchisato は朝7時に淺草の我が家を出て、篠山に帰って行った。何としてもプリンタのインストールが完全に終ってないのが気になる。印刷できる様になったのはインストールの途中からパソコンをup-date したのだから、もう一度やり直しすれば、スキャンも出来るようになるかもしれないと、再びソフトウェアディスクをセットして再インストールしてみた。どうやら成功、この旨MN氏にも電話で連絡しておいた。
 
 百五減
 3~5世紀頃成立したといわれている中国の算術書『孫子算経』には、以下のような問題とその解答が書かれている。
 今有物、不知其数。三・三数之、剰二。五・五数之、剰三。七・七数之、剰二。問物幾何?
答曰:二十三。
術曰:『三・三数之、剰二』、置一百四十。『五・五数之、剰三』、置六十三。『七・七数之、剰二』、置三十。并之、得二百三十三。以二百一十減之、即得。凡、三・三数之、剰一、則置七十。五・五数之、剰一、則置二十一。七・七数之、剰一、則置十五。一百六以上、以一百五減之、即得。

〈訳〉今物が有るが、その数はわからない。三つずつにして物を数えると、二余る。五で割ると、三余る。七で割ると、二余る。物はいくつあるか?
答:二十三。
解法:三で割ると、二余る数として、百四十と置く。五で割ると、三余る数として、六十三と置く。七で割ると、二余る数として、三十と置く。これらを足し合わせて、二百三十三を得る。これから二百十を引いて、答えを得る。一般に、三つずつにして物を数え、一余ると、その度に七十と置く。五で割った余りに二十一をかける。七で割った余りに十五をかける。百六以上ならば、百五を引くことで、答えを得る。
 
 この問題がいつ頃から知られていたかについては定かではない。この問題は、『孫子算経』とともに日本にも伝わり、後和算の隆盛した江戸時代には、「百五減算」として知られた。
 吉田光由(よしだみつよし、1598~1672年)が著したといわれる「塵劫記(1627年刊)」にも次のように記載されている。
 
c1fdb0eb.jpeg問題 第十三 百五げんといふ事
 ▲半(は)ばかりをきゝてかづを云事なり。先(まづ)七づゝ引(ひく)時、二つ残ると云。又五つひく時、一つ残ると云。又三づゝ引時、二つ残ると云時に、此半(は)ばかりを聞(きき)て惣数を知る。
回答 惣数八十六あるといふなり。
 先(まづ)七づゝ引時の半一つを、十五づゝのさん用に入(いれ)、三十とおき、又五づゝ引時の半一つを、二十一と入て置(おく)。又三づゝの時の半(は)を、一つを七十づゝのさん用にして百四十と入て、三口合(あはせて)百九十一有時、百にあまる時には百五はらい、のこり八十六あるといふなり。

 
 石の山を見てその石の総数を当てる問題で、7個ずつとりさっていけば2つ残り、5つずつ取り去れば1つ残り、3つずつ取っていけば2余るという時に、その石の総数86を当てるのである。
 余りの数だけで3と5と7の最小公倍数105について、mod 105 で答えを出さねばならない。
 3で割り余りが1になる5と7の公倍数の最小値は 70
 5で割り余りが1になる3と7の公倍数の最小値は 21
 7で割り余りが1になる3と5の公倍数の最小値は 15 を用意すれば、総数Nについて、mod 3とする時の余りをa、mod 5とする時の余りをb、mod 7とする時の余りをcであるとすれば、
 N≡a(mod 3)、N≡b(mod 5)、N≡c(mod 7)
 ∴ N≡70a+21b+15c(mod 105)
 この塵劫記では a=2. b=1、 c=2 であるから、
 N≡70×2+21×1+15×2=191 となり、191から105を出来るだけ引いて86を答えることができる。
 
 初めの孫子算経の場合だと、a=2、 b=3、 c=2 であるから、
 N≡70×2+21×3+15×2=233 となり、233から105をできるだけ引いて、23を求めることが出来る。
 
3072a1ed.jpeg ある人の年齢は3で割ると1余り、5で割ると2余り、7で割ると5余る。はてさて、この人の年齢を当ててもらいたい。
 
ae575cbc.jpeg 4月28日「日」にEriちゃんが淺草を訪ねてくれた。5月11日に離日し、ワシントンでアフリカ関係の仕事で任務につくという。来年5月には旦那のkazu君と一緒に帰国するという。スカイツリーが一望できるイタリア料理店で昼食をとり、ekimise で、旦那のkazu 君へのお土産を求め、帰宅した。我が家で午後3時半ごろまで話し込んで、渡米の準備があるとのことで浦安へ帰って行った。
 
 同じ日の夕刻、プリンタが届いたので、早速梱包を開き、プリンターを使えるようにセットして、パソコンにソフトウェアディスクをセットして、画面の指示にしたがって、USB接続しようとするも、うまくパソコンに接続できない。
 
 4月29日(月)、休日で相手に悪いと思ったが、塾友のMN氏に携帯でメールした。
 2013年4月29日 07:37  題:お助けください 本文:おかわりありませんか?/今までのプリンターが故障、epxon ep 805A を購入したのですが、パソコンとの接続がうまくいきません。/私宅へ訪ねていただきたいのですが、ご都合をお聞かせください。/勝手な時の勝手なお願いでまことに申し訳ありませんが宜しくお願いします。 日高節夫
 
 朝食後、早速MN氏が訪ねてくれた。お昼まで半日かけて診てもらったが、やはり接続できない。途中私用があるということで、夕刻再度訪問してくれて、前に使用していたcanon のソフトを除去して、再度、接続を試みたが、接続できない。
 結局、現在使用中のパソコンemachines j3056 では接続できないのかどうかをよく調べてみるからそれまで少々時間をくれということで、その結果を待つことにした。いやはや、MN氏には本当に迷惑をかけてしまった。まあ、パソコンに欠陥ある場合はパソコンの本体交換も考えねばなるまい。それとも、もう爺もいい加減な歳だし、パソコンなどは諦めて、もっと気楽に生きてみようか?
 
 4月30日(火)、パソコンとプリンターの接続について、何か分かることがあるかもしれないと、購入先のekimaeのノジマ電気に行ってみた。購入時の担当者は定休の日で他の男の店員が応対してくれたが、技術的なことは不明である。仕方ないので、MN氏からの何らかの連絡があるまで待つことにしよう。
 
 5月1日(水)、パソコンに向かっても何となく、ムシャクシャして、思うようにキーを打つことも出来ない。なんだかもうどうにでもなれという気分である。
 
  「八十路の水門2」の編集を終え、ゲラの校正を今回も横浜のIN氏に頼んだ。早速校正されたゲラが返送されてきた。その添書に曰く、
 クロネコメール便速達サービス お届け予定日4月25日
 2013.4.23 IN 前略 「八十路の水門」2のゲラ楽しく校正させて頂きました。/編集まことにご苦労さまでした。/じつはT区戦没遺族会の総会当日だったのでその会場で役員説明を聞きながら、ゲラに朱をいれた。/帰宅後もう一回読み直してポスト・イットを貼っていった。この付箋をみると死んだオッカン(MO君)を思い出す。/兄は輸送船の船員で米機の機銃掃射に倒れたと聞いた。/心から冥福を祈る。/当地区の世話人を引き受けて2年経った。任期満了でやれやれと思っていたところ、引き継ぐべき人が総会で欠席して島て候補者が居ない。とんだ貧乏くじだが、もう2年勤めねばならぬ。/若い人がはいって来ないのだから、候補者は限りなくゼロに近い。/「途中で私が死んでも、女房は引き継げません」といっておいた。/戦没者遺族会で熱心な会員ほど、その人が死んだ後とは次の世代がそっぽを向く。/そんなもんだね。追悼なんて行事はね。/生き残って復員してきた男たちは戦死した戦友たちに心から「申し訳ない。オレだけ生きて帰って……」と一生詫びて死んだのだろうか?/2003年から毎年参列した父の戦没地に隣接する戦場で戦っていた他の連隊の追悼会(蒲郡市)からも脱退させてもらおうとおもっています。/こむら返りをおこしながら会場設営をしても父の追悼にならないような気がして空しくなったのです。/草々
 
 早速校正をおえて、はてさて印刷を始めたところ、10枚ぐらいプリントした所で、液晶モニターに「プリンタートラブルが発生しました。電源を入れなおしてください。…」が出るので、電源を入れ直しするも、印刷された位置が上にずれたり、下にずれたりするので、今度はメンテナンスでヘッド位置調整をやったりしたが、そのうちにまた、液晶モニターに「プリントトラブルが発生しました云々」の表示が出る始末。キャノンのお客様問い合わせセンターにも何度電話してみたりと、25日は1日中プリンタの不具合で過してしまった。この日は1日中プリンタに振り回されて、夕飯も進まず8時過ぎには就寝してしまった。
 
MP640.JPG 先日トナーを買い求めたばかりだし、現在使用中のプリンタcanonのPIXUS MP640 をインターネットで捜したが、現在は出荷販売されていないらしい。新機種を買い求めて使い方に慣れるまで色々覚えなければならないことは面倒だし、使用法が今までと大差ないものが求めたくて色々と調べてみたが、よく判らないまま26日が過ぎてしまった。
 
EP805A.JPG 昨日27日、EKIMAE ノジマ電気でエプソンのEP805A を買うことに決めた。製品は今夕4~6時に届くという。
 今まで使用のトナー、キャノンの321、320を無駄にすることもあるまいと、このトナーを使っている知り合いはいないかと数件訊ねてみたが、見付からなかった。
 夕刻婆様の妹夫婦が船橋から我が家を訪ねてくれた。プリンタについて訪ねると、どうやら同じトナーを使用しているとのこと、ワンセット(321の黒・青・赤・黄と320の黒)を使ってもらうことにして、持ち帰ってもらった。
 
 今日はこれからEriちゃんが訪ねてくるので待ち合わせの東京メトロ銀座線の浅草駅改札に出かける。
 ここのところ、 「八十路の水門2」の編集もあって、ブログを休んでしまった。
 
285449e9.jpeg 編集したゲラの校正を今回もIN氏にお願いした。彼の仕事は素早く、メールが入っていた。
 4月23日17:40 発信 IN氏より 「八十路の水門2」:日高 節夫 様/掲題ゲラ、今日、都筑区戦没者遺族会総会に出かける前、12:57に集合ポストにはいっていました。編集ご苦労さまでした。/ゲラは帰宅後拝見して、すべて直しました。/明日、朝一番のクロネコ速達メールに乗せますが、その日には着かず、2日かかります。あさっての正午くらいに届くでしょう。
 
 福岡在住の甥の娘Eriちゃんから携帯電話にメールが入った。
 4月24日9:07 発信 Eriちゃんより おじさん、お変わりないでしょうか? 来月にアメリカに引っ越すことになりました。ワシントンDCにある世界銀行で働く予定です。もしおじさんたちのお時間が許せば、今週末のどこかで渡米前のご挨拶にお伺いしたいと思っているのですが、ご予定いかがでしょうか? お返事、お待ちしております(^ ^) EN
c6f166fa.jpeg※ 世界銀行(せかいぎんこう、英語: World Bank、略称:WB)は、各国の中央政府または同政府から債務保証を受けた機関に対し融資を行う国際機関。当初は国際復興開発銀行を指したが、1960年に設立された国際開発協会とあわせて世界銀行と呼ぶ。国際通貨基金と共に、第二次世界大戦後の金融秩序制度の中心を担う。本部はアメリカ合衆国ワシントンD.C.。加盟国は184ヶ国。
 
 早速電話したが、電車の中ということで、携帯でメールした。曰く、「メールありがとう。/私の方は何時でも結構です。/ところで、この連休にお父さんが上京することご存知ですか?/5月5日にchisato叔母さんも含め4人で会食の予定です。/詳しいことは夜分にでも電話します。 日高節夫
 
 夕食後、電話すると5月11日に渡米するので、5月2日~8日は用事で潰れ、5月5日の会食には合流できないとのことであった。4月28日(日)の昼前に淺草で待ち合わせ、会食でもしようということになった。
 
  一つのラテン方陣を横にしたり、逆さまにしたり、裏返したりして、元のラテン方陣と重ねるとき、それがちょうどオイラー方陣になっているものはないだろうか? 
3a817192.jpeg 左の図は次のようにして作った7次ラテン方陣である。
 先ず最上段に1~7までの数字を左から右に並べる。そして、それぞれの数を下の順序図に従って、下に数字を書き下ろして行くのである。簡単な作り方ではあるが、これから色々なオイラー方陣が作られるのである。
 

43b2d25b.jpeg まず、先に作った7次ラテン方陣を左図のa~gのように横にしたり、逆さにしたり、裏返したりして、色々な向きのラテン方陣を作ってみると、数字の相互位置を崩さずに作られるラテン方陣はa~gの7種類で全てである。
 この7種のラテン方陣のそれぞれに元の7次ラテン方陣を重ねてみる。

376d533d.jpeg 左図は、a~fに元の7次ラテン方陣を重ねたものであるが、なんと! 全てオイラー方陣になっているではないか。オイラー方陣がこんな簡単な手順でたくさん得られるのは珍しい事といわねばならない。勝手なラテン方陣を同じ方法で重ねてみても、このようにオイラー方陣を作ること出来ないはずである。
 

41b14cb1.jpeg この作り方で、まことに残念なことは、最後のgの180度の回転に拠るラテン方陣との重ねあわせだけが、左図のようになり、ラテン方陣にはなっていないことである。




  東山・西川・南野・北原の4家族からそれぞれ、父親・母親・息子・娘の4人が集まって計16人で麻雀大会を開くことになった。テーブルを4卓準備して同時にゲームを進めたいのであるが、組み合わせに次の条件を付けることにした。
条件:どの卓にも東山・西川・南野・北原の家族の誰かが居り、しかも、父親・母親・息子・娘が1人ずつ参加していること。
68ca2e78.jpeg この条件を満たす組み合わせは左の1図の通りで、同じテーブルに着くのは、縦の列の4人でも横の行の4人でも良いわけである。すなわち、4次オイラー方陣になっている。オイラー方陣のいわれは、18世紀の数学者Eulerが「士官36人の問題」を出したことに拠ることは、先日説明した通りである。
 1図の組み合わせで、各家庭だけに目を向ければ、2図が得られ、どの行、どの列にも東山(1)、西川(2)、南野(3)、北原(4)が含まれている。同じように父、母、息子、娘だけに注目空けば、3図が得られ、やはり各行、各列に父(1)、母(2)、息子(3)、娘(4)が含まれている。
 どの行、どの列にも異なるものが1つずつ含まれている組み合わせを「ラテン方陣」という。ラテン方陣の名はEulerによるもので、記号としてラテン文字(ローマ字)を用いたことによるといわれている。
 
b7edb1c5.jpeg 左図のように、2図、3図のラテン方陣を数字で表わすことにすると、2’図、3’図のように見易くなる。そして、オイラー方陣の表わし方も4図のようになり、1~4の数を使った2桁の組み合わせ16個が洩れなく1個ずつ勢ぞろいするのである。
 この表わし方を用いると、n次のオイラー方陣とは「1~nまでの1桁の数字で表わした2つのラテン方陣を重ねたとき、2桁の数字がどれも1回ずつ現われているもの」と定義できるのである。
  昨日の3次オイラー方陣に続いて、4次・5次の場合のオイラー方陣も考えられる。
b08c83a1.jpeg 4次の場合は、トランプの16枚、♥(ハート)、♦(ダイヤ)、♣(クラブ)、♠(スペード)のA(エース)、K(キング)、Q(クィーン)、J(ジャック)を使った1例をあげておく(左図)。



dea10c93.jpeg 同様に n=5 の場合には、元禄・宝永の頃に行われた「うんすんカルタ」では、紋標がハートに対応するコップ(聖杯)、ダイヤに対応するオル(貨幣)、クラブに対応するパウ(棍棒)、スペードに対応するイス(剣)の他になおクル(巴紋)の5種類のカードが15枚ずつの計75枚。種類ごとに1~9の数札とスン(唐人)やウン(七福神)など6枚の絵札がある。この5種類のカードのそれぞれから1~5の数札を取り出して、左図のような5次オイラー方陣を作ることができる。
 
 1900年頃6次オイラー方陣の不可能なことが、場合列挙の方法で確かめられたという。この意味でEulerの「士官36人の問題」は否定的に解決されたとされている。しかし、列挙する以外にもっと説得力を持つ証明は知られていない。しかし、一般の(4m+2)次の場合は1959年になって、R.C.Bose(ボース、1901~1987年)、S.S.Shrikhande(シュリカンデ、1917年~、現96歳)、E.T.Parker(パーカー)の3人の数学者によって見事に覆させられた。結果はEulerの立てた予想とは正反対で、2次、6次だけが例外で、他の10,14,18、…次はすべてオイラー方陣が作られることであった。177年にわたる難問の解法は、世界をあっと言わせたもので、New York Times のトップ記事として報道されたという。純粋に数学的な結果に関する取り扱いとしては、まったく空前で、あるいは絶後であるかもしれないという。
 
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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