瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日は三井記念病院で泌尿器科のエコー検査を受けました。胃癌切除手術のための検査で腎臓から膀胱への管に異常の疑いがあり、そのための2回目のエコー検査だったのですが、異常なしで、「何かあったら、連絡してもらうことにして、泌尿器科への通院も今日で終了にしましょう」ということでした。


 


 本日のウェブニュースより


 パリ同時攻撃で23人逮捕、首謀者としてシリア在住のベルギー人特定 ―― [パリ 16日 ロイター] - パリで13日に発生した同時多発攻撃を受け、仏警察は15日夜から16日にかけ168カ所の家宅捜査を行い、これまでに23人を逮捕したほか、一連の攻撃の首謀者としてベルギー国籍を持つシリア在住の人物を特定した。


 捜査関係者によると、パリの同時攻撃の首謀者として「アブデルハミド・アバウド」との名前のベルギー国籍を持つ人物が浮上。この人物は現在シリア国内におり、欧州で複数の無差別攻撃を計画したとの疑いが持たれている。


 RTLラジオによると、この人物はモーレンベーク出身の27歳。報道によると、ベルギー国内で警察が未然に防いだ一連の攻撃の計画にも関与していた。


 ベルギー警察はまた、仏警察が前日、容疑者の1人として指名手配したベルギー生まれのフランス人、アブデスラム・サラ容疑者の行方を引き続き追っている。


 このほか、仏検察は死亡した実行犯7人のうち5人の身元を特定。5人のうち4人は仏国籍で、1人は10月にギリシャで登録のために指紋押捺を行った外国籍の人物としている。 警察によると実行犯のうち1人は依然逃走中。この人物の行方を追うとともに、少なくとも4人の共謀者がいたとして捜査を進めている。


 フランスのカズヌーブ内相によると、23人の逮捕者のほかに104人が自宅軟禁状態に置かれている。また、一連の家宅捜査を通してロケットランチャー(発射器)や自動小銃などを押収。記者団に対し「これは始まりにすぎない。こうした活動は今後も続く」と語った。


 バルス首相はRTLラジオに対し、「フランスだけでなく他の欧州の国に対するさらなる攻撃が計画されていたとの情報を得ている」とし、「われわれはテロによる脅威に長期間にわたりさらされることになる」と述べた。


 同時多発攻撃の捜査が拡大するなか、フランス軍は15日、今回の事件で犯行声明を出した過激派組織「イスラム国」のシリア領内の拠点を空爆。今回の空爆はこれまでで最大の規模という。


 パリでは同時攻撃を受け閉鎖されていた学校や美術館などが16日は再開。ただエッフェル塔など観光客が多く訪れる場所は閉鎖されたままになっている。


 16日の欧州株式市場では事件を受けフランスの旅行関連銘柄および高級ブランド銘柄が急落。ただパリ証券取引所のCAC40種平均指数.FCHIは比較的安定して推移しており、同攻撃による長期的な経済上の影響は見られていない。  (Reuters 2015 11 17 04:33 JST


 


スカイツリーと東京タワー ―― 15日夜、三色にライトアップされた東京スカイツリー(写真下右)と東京タワー。フランスのパリで発生した同時テロの犠牲者を追悼するため、同国旗と同じトリコロール(青、白、赤)にライトアップされた。


 


時事通信1115日(日)2026

 昨日のテレビや夕刊の記事によるとフランスのパリで13日夜(日本時間14日早朝)、中心部のコンサートホールや北部のサッカー場などを標的とした同時多発テロが起きたといいます。今朝のウェブニュースより


 


「イスラム国」が犯行声明、127人死亡のパリ同時多発攻撃 ―― [カイロ/パリ 14日 ロイター] - 過激派組織「イスラム国」は14日、フランスの首都パリで発生した同時多発攻撃について犯行声明を出した。パリ中心部の各地に爆弾ベルトを身に着けたり、マシンガンを携帯したりした戦闘員を送り込んだとしている。


イスラム国は声明で、今回の攻撃について、フランスが現在の政策を続ける限り、最大の標的であり続けることを示すためだと表明した。


フランスは米国とともに、シリアやイラクで過激派組織「イスラム国」への空爆に参加している。


少なくとも127人が死亡した同事件について、オランド仏大統領は同日、イスラム国がフランス国内の支援を得て組織した「戦争行為」だと非難、「戦争に直面し、フランスは適切な行動を取らなければならない」と語った。


同大統領はまた、犠牲者を追悼するため国を挙げて3日間、喪に服すと述べた。


パリで13日夜、銃撃や爆弾などによるレストラン、コンサートホール、スタジアムなどへの複数の襲撃が市内各地でほぼ同時に発生。


当局によると、パリ中心部のバタクラン劇場では、ロックコンサートの最中に4人が観客に向かって銃を乱射、少なくとも87人が死亡した。その後治安部隊に制圧されたという。


このほか5カ所が攻撃され40人程度が死亡したという。このうちオランド大統領や独外相が観戦して独仏親善試合が行われていたサッカースタジアムの外では2人での自爆攻撃とみられる爆発があった。


 パリ検事当局によると、容疑者8人が死亡、うち7人は自爆、1人は警察に射殺されたという。逃亡中の犯人がいるかどうかは明らかにしていない。警察は「テロリストは、(コンサートホールに)押し入る前に複数のレストランのテラス席に向かって銃撃した」としている。


 オランド大統領はフランス全土に非常事態を宣言、国境を封鎖した。


 乱射が起きたホールでは米カリフォルニアのロックグループ、イーグルス・オブ・デス・メタルのコンサートが開かれていたが、目撃者によると犯人はイスラム教の唱えとフランスのシリア空爆への参加を非難するスローガンを叫んでいたという。


 オランド大統領はトルコでの20カ国・地域首脳会議(G20)への参加を取りやめた。


 パリでは今月下旬から国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)の開催を控え、テロに対する警戒を強めており、今回の攻撃による衝撃は大きい。


 オバマ米大統領は「罪のない市民を怯えさせる卑劣な行為がまた発生した」として攻撃を非難。フランスに対し必要なあらゆる支援を提供していく考えを表明した。 (Reuters 2015 11 14 23:26 JST


 

Hēraklēs(ヘーラクレース)の第12の難行は黄泉の国から番犬Kerberos(ケルベロス)を捕らえてくることでした。 ケルベロスもEchidna(エキドナ)とTȳphōn(テュポン)の子で、3つの犬の頭に竜の尾を持ち、 背中にはたくさんの蛇が生えている奇妙な怪物です。またHādēs(ハーデース)の愛犬でもありました。 王Eurystheus(エウリュステウス)はヘラクレスを殺すつもりで、最後にこんな難題を出したのです。


 


さすがにたじろぐヘーラクレースでしたが、Athēnā(アテーナー)とHermēs(ヘルメース)に励まされ黄泉に行く準備をするのでした。 しかし黄泉の国へ入る方法が解りません。唯一入り口を知っている宗教があり、そこに入会しなくてはいけなかったのです。 前述したように、第8の難事でAdmētos(アドメートス)の妻Alkēstis(アルケスティス)を黄泉の国から連れ戻しているはずなのですが、 神話においては矛盾は仕方のないことなのでしょう。ヘーラクレースが道順を忘れてしまったと思うことにしましょう。


その秘教に入会するため、Eleusis(エレウシース)の地へやってきました。そこでEumolpos(エウモルポス、ギリシャ神話に登場するエレウシース秘教の創建者。母Chionē〈キオネ〉に海に捨てられるが、Poseidōn〈ポセイドーン〉が拾い海の女神Benthesikyme〈ベンテシキュメ、〉に育てられます。Thracia〈トラーキア〉王Tegyrios〈テギュリオス〉のもとに逃れ、のちに王国を継ぎます)を訪ねますが、 この宗教は異邦人の入会を認めていませんので、とりあえずPylios(ピューリオス)という男の養子となって入会することにしました。


だが、ここでまた問題が発生します。ヘーラクレースは先のKentauros(ケンタウロス)殺人事件の罪を清めてもらっていませんでしたので、会合に参加することができませんでした。急いでエウモルポスに罪を清めてもらい、なんとか黄泉の国への入り口があるというLakonía(ラコニア、ペロポネソス半島南部に位置します)のTainaron(タイナロン)に到着します。


黄泉に足を踏み入れたヘーラクレースの姿を見た霊は驚いて逃げだしますが、Medoūsa(メドゥーサ)だけは逃げませんでした。 ヘーラクレースは彼女の姿を見て剣を抜きますが、案内人ヘルメースが無駄なことだから放っておけと彼を先へ促すのでした。 少し行くと、英雄Meleagros(メレアグロス)の霊と遭遇します。


「やあ、君は英雄ヘーラクレース。こんなところで会えるとは感激だな。」


「そういうあなたはCalydon(カリュドン)の大猪退治の大英雄メレアグロス。奇遇だな。」


「相手が君なら申し分ない。頼みがあるんだが、妹Deianeira(デイアネイラ)を嫁にもらってやってくれないか?」


「生きてるのか?」


「生きてるよ。じゃあ頼んだよ。」


「…… 勝手だなあ。ま、いっか。」

※ Jan Gossaert(ヤン・ホッサールト):ルネサンス期のフランドル人画家。フランドルに「イタリア風の」絵画を紹介し、歴史的寓意に満ちた裸婦像をフランドルへともたらしたた最初期の画家の一人です。

 黄泉の国の門の近くでヘーラクレースはまたも英雄と遭遇します。
「あいつら…… 生きているのか?」
「ああ、Persephonē(ペルセポネ)さま誘拐事件で失敗して捕らわれているThēseus(テーセウス)とPeirithoos(ペイリトオス)だよ。」
「ヘルメースよ、あいつらを助けることは出来るのか?」
「生きている者があいつらの体を触れば、蘇生することができるだろう。」
 ヘーラクレースはテーセウスの手を取って彼を生還させましたが、 ペイリトオスの手を取ろうとした時いきなり大地が揺れて彼は奈落へと落ちていってしまったのです。

 そこへやってきたのはKeuthōnymos(ケウトニュモス)の子でHādēs(ハ-デ-ス)の牛飼いMenoitēs(メノイテース)でした。 彼は無謀にもヘーラクレースにレスリングの挑戦をしましたが、あっけなく粉砕されてしまいます。 そして見かねたPersephonē(ペルセポネ、ハーデースの妻で、冥界の女王)に救ってもらったのでした。
 さて、玉座に着いたヘラクレスはハーデースにケルベロスの件を要求します。
「あ? ケルベロスを連れて行く? いいよ。素手で捕まえたらね。」
「素手で、ですか。」
 そこで例のライオンの毛皮をまとって、Acheron(アケロン、地下世界(冥府)への分岐点と信じられていました)の門にいるケルベロスめがけて大乱闘が始まりました。首を押さえつけ、ようやくおとなしくなったケルベロスでした。

※ Francisco de Zurbarán(フランシスコ・デ・スルバラン):バロック期のスペインの画家。スペイン絵画の黄金時代と言われる17世紀前半に活動した画家であり、宗教画、静物画に優れていました。

 観念したケルベロスを連れてTroizḗn(トロイゼン)を通ってArgos(アルゴス)へ戻ったヘーラクレースは、 約束通りエウリュステウスに見せて存分に怖がらせたのです。

 そしてすぐにケルベロスを黄泉の国へ返してやったのです。こうしてヘーラクレースの12の難事はすべて終了しました。


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 Hēraklēs(ヘーラクレース)の第11の難行はHesperides(ヘスペリデス)の守る黄金の林檎を取ってくることでした。ヘリペリデスは美しいニンフたちで「黄昏の娘たち」という意味です。ヘスペリデスは西のかなたに住む乙女たちで、Gaia(ガイア)がZeus(ゼウス)とHērā(ヘーラー)の結婚祝いに贈った黄金の林檎の木を守っています。 彼女たちはAegle(アイグレ、閃光)、Erytheia(エリュテイア、紅娘)、Hesperia(ヘスペリア、黄昏娘)と呼ばれており、またTȳphōn(テューポーン、ギリシア神話に登場する怪物の中では最大最強の存在といわれます)とEchidna(エキドナ、上半身は美女で下半身は蛇で背中に翼が生えた姿をしています)から生まれた巨竜も番をしています。


 


Frederic Leighton(フレデリック・レイトン):イギリスの画家・彫刻家。作品は歴史、聖書、古典的題材がほとんどです。


 


 ヘーラクレースがヘスペリデスの守る黄金の林檎を取りに行く途中、Thessalía(テッサリア)の地でKerkpes(ケルコプス)という2人組と出会います。彼らは猿のように小さく、物を盗んだり悪戯がすきな困った小僧たちでした。ヘーラクレースが旅の疲れで寝ている間にケルコプスがやってきて、彼の武器を盗もうとしたのです。 しかし気配に感づいたヘーラクレースは、とっさに起きて2人を捕まえてしまいます。 そしてちょっと懲らしめるために棒の両端に2人を逆さ吊りにして担いだのです。その時2人小僧の目に入ってきたのは、ヘーラクレースのお尻(けつ)。当時はお尻丸出しで歩いているのが普通でした。特にヘーラクレースはライオンの皮をまとっているだけのほぼ全裸状態であったのでしょう。とにかく彼のお尻を見たケルコプスは、たちまち笑い出しました。


「なにがおかしい?」


「昔、お母さんにお尻の黒い人に会ったら気をつけなさい、ひどい目にあうからネって言われたことがあるんだ。」


「あなたのお尻、毛がボーボーで真っ黒だー!」


それを聞いたヘラクレスは大爆笑して、2人を放してやったのでした。その後ケルコプスはZeus(ゼウス)にも悪戯をしようとして、本物の猿に変えられてしまったとか石にされたとかいう説もあります。 とにかくヘーラクレースとケルコプスの話は、 その土地の小人話と多毛症男の話あたりがミックスされてヘーラクレース伝説に組み込まれたのでしょう。


 


Apollodoros(アポロドーロス、古代ローマ時代のギリシャの著作家、1世紀から2世紀にかけての人物)説では、12の難行を終えてLydia(リュディア、BC7世紀~BC547年にアナトリア半島〈現在のトルコ〉のリュディア地方を中心に栄えた国家です)に奴隷として働きに行っている間にEphesos(エペソス、トルコ、Artemis〈アルテミス〉崇拝で知られたギリシア人都市でした)近傍でケルコプスと出会うことになっています。


テッサリアで2人の悪戯小僧「猿」ケルコプスと遊んだあと、Echedoros(エケドロス河)にやってきたヘーラクレースに、 Arēs(アレ-ス)とPyrenaei〈ピュレネ〉またはPelopeia(ペロペイア)の子Cycnus〈キュクノス〉は一騎打ちを挑んできました。 だが、この戦いはゼウスの落雷により引き分けとなって集結しました。


他説ではアレス自身と戦ったともいいます。 キュクノスが父アレースのためにPagasai(パガサイ)の野に社を建てようとDelphoi(デルポイ)に赴く崇拝者の首をはね捧げ物にしたため、 Apollōnアポローン)がヘーラクレースに命令してキュクノスは抹殺されてしまつたのです。 それに憤ったアレースがヘーラクレースと決闘しようとしたが、 ゼウスの落雷によって未然に防がれました。まさしく宗教戦争にヘーラクレースが巻き込まれた感じでしょう。

※ Villa Giulia(ヴィラ・ジュリア)国立博物館はローマにある、Etruria(エトルリア)美術(前8世紀頃中央イタリアの北部に現れたエトルリア人によって展開され,前2~1世紀ローマに吸収されるまで続いた美術)を収蔵展示する博物館です。

 Illyria(イリュリア、古代ギリシア・ローマ時代に現バルカン半島の西部に存在した王国)を通過しĒridanos(エリダノス)河へ到着したヘーラクレースは、 ゼウスとThemis(テミス)の間に生まれたニンフ(誰の事かはっきりしない)に出会い、 Nereus(ネレウス、「海の老人」とあだ名されるギリシア神話の海神)の事を教えてもらいます。

「じいさん、あんたは何でも知っているんだってな。ヘスペリデスの守る黄金のりんごはどこにあるんだ?」
「わしゃあ、知らんよ。」
「うそつけー。教えてくれるまで放さんぞ。」
「ああ、暑苦しい。ええい、放さんかい。」
 ネレウスは海の老神であり、変身が大得意。いろいろな生き物に化けてヘーラクレースから逃れようとしますが、 馬鹿力を発揮する彼の手から逃れそうにもありませんでした。
「お若いの、なぜそんなものを必要とする。あれはゼウス神のもの。勝手に持ち出すと天罰が下るぞ。」
「好きで取ってくるんじゃねえんだ。上司……というか、女神Hērā(ヘーラー)の命令でなあ。ちょっと借りるだけなんだよ。」
「ヘ-ラ-か、仕方ない。教えるから放しておくれ。」
 ネレウスから道を教えてもらったヘーラクレースはLibya(リビア)に到着。そこでリビア王Antaios(アンタイオス)と出会います。彼はポセイドンの子といわれており、 旅人を見つけると無理やりレスリングをさせて殺してしまう極悪人でした。そしてヘーラクレスーもその標的となったのですが、 アンタイオスは彼の力量にかなわず、あっという間に扼殺されてしまいました。

 そしてEgypt(エジプト)に着いたヘーラクレースは王Būsīris(ブーシーリス)と出会います。 彼はEpaphos(エパポス)の娘Lyusianassa(リューシアナッサ)とPoseidōn(ポセイドーン)の息子で、 Īō(イーオー)の末裔です。この地は9年間も続いた凶作に悩んでおり、 ちょうどKypros(キュプロス)から来た予言者Phrasios(プラシオス)がこの地の信託を受けてやりました。
「うーむ、毎年ゼウスに異邦人を殺して生贄を捧げたら不作はまぬがれるだろう。」
「何、異邦人か。よし、まずはお前からだ。」
 予言者プラシオス自身が「異邦人」という条件に該当していたので、エジプト王ブーシーリスはまず最初に彼を殺してしまいます。
 そんな時にヘーラクレースがやってきたのです。しかもなぜか捕らわれて、祭壇にまで運ばれてしまいます。 しかし処刑寸前のところでヘーラクレースは手錠をちぎって大暴れ、とうとう王ブーシーリスとその息子Anphidamas(アンピダマース)を殺して脱走しました。

 ようやくついた場所はLindos(リンドス)人の住むAsia(アシア、現在のトルコ西部)のThermydrai(テルミュドライ)港でした。あまりの空腹に耐えかねたヘーラクレースは、 目の前に止まっていた牛車の牛を無断で殺して、自分の胃袋に納めてしまったのです。 所有者の牛飼いは非常に腹が立てたのですが、ヘーラクレースが相手ではどうすることも出来ず呪うことしかできませんでした。 それ以来、この地ではヘーラクレースに生贄を捧げるときは呪いも一緒に行うようになりました。
 その後Arabia(アラビア)に沿って進み、何があったかよくわかりませんが、Tīthōnos(ティートーノス)の子Ēmathiōn(エーマティオーン)を殺してしまいます。 Libya(リビア)を通ってようやく外海に進み、再びヘリオスから黄金の盃を借りて向かい側の大陸に到着した。 そしてちょうどPromētheus(プロメ-テウス)が磔(はりつけ)にされているCaucasus(カウカサス)山にやってきます。これはどうやらゼウスの命令でここに来たようです。 ヘーラクレースはプロメーテウスの肝臓を啄んでいるハゲタカを矢で射殺しました。 毎度のことながら、このハゲタカもテュポンとエキドナの子であるといいます。


※ Jacob Jordaens(ヤーコブ・ヨルダーンス):オランダはフランドルのバロック期の画家です。同時代の他の画家たちとは違ってイタリア絵画を学ぶため外国へ行くことはなく、画家としてのキャリアを通じてイタリア人画家たちの人間性や優雅さへの追求には無関心でした。ヨルダーンスは低地諸国への短期旅行をした以外は、人生の大半をアントウェルペンで過ごしました。
※ Christian Griepenkerl(クリスチャン・グリーケァル):ウィーン美術学校の教授で、歴史画家。画家エゴン・シーレの師としても有名ですが、同教授は68歳の時、ヒトラーの入学試験に初めて立ち会ったといいます。グリーベンケァル教授はシーレを合格させ、ヒトラーを不合格にした美術教授として歴史に名を残しました。

 ヘーラクレースにより解放されたプロメーテウスは、彼に予言と助言を与えました。
「ヘスペリデスの林檎を取るのは、, Atlās(アトラース)に頼むがいい。彼は先のオリュンポスの戦いで蒼穹を肩に担うという罰を受けている。 取ってきてもらう間、その罰をちょっと代わってやってくれ。彼は律儀に戻ってくるが、2度とこの罰を受けるのはゴメンだと代わるのを嫌がるであろう。 その時に、円座を頭の上に乗せるからその間だけ代わってくれと頼むがいい。そしてそのままりんごを持ち逃げしろ。」
 ようやくヘスペリデスの国へやってきたヘーラクレースはプロメーテウスの助言どおり、 蒼穹を引き受けてアトラスに林檎を3つ取ってこさせました。
「私がEurystheus(エウリュステウス)の元へ届けてやろう。」
「(やっぱり蒼穹を担ぐのはいやなんだなあ。重いもんな、これ。)じゃあちょっと頭の上に円座を乗せるから、その間だけ代わってくれ。」

 そしてまんまと林檎を奪取してその場から去っていったのです。別説では、ヘーラクレース自身が竜と戦い林檎を取ってきたというものもあります。とにかくヘーラクレースはそれを持ち帰り、エウリュステウスに無事渡したのです。 だがその林檎はどこにも置いてはいけないと自然の法律で決まっていたため、 処分に困ったエウリュステウスはヘーラクレースに返してしまいます。 彼はその林檎をAthēnā(アテ-ナ-)に献上して、元の場所に戻してもらったのでした。 

 Hēraklēs(ヘーラクレース)の10番目の難事にいたって、ヘーラクレースの旅はこの世の果てまで達します。 そして、この旅の途中、ヘーラクレースは目的外の仕事もすることになります。


3つの頭をもつ怪物とも、三人の男が腹の部分で繋がっている三頭三体の怪物とも言われるGēryōn(ゲーリューオン)は、 たくさんの怪物を産んだEchidna(エキドナ、上半身は美女で下半身は蛇で背中に翼が生えた姿をしています。「蝮の女」がその名の意味)と兄弟にあたります。 ゲーリューオンはSpain(スペイン、正式名称はEspaña〈イスパーニャ〉)の西の沖合いにあると考えられた太陽の沈む夕焼けの島” Erytheia(エリュテイア)島で、 牛を放牧していました。 この赤い牛たちを生け捕りにして、Argos(アルゴス、Pelopónnisos〈ペロポネソス地方東北部にあり、古代ギリシアの都市国家〉まで連れ帰るのが今回の仕事です。


 ヘーラクレースは西へ西へと進むうちに、太陽があまりにも近く暑いので、 何と、太陽神Hēlios〈ヘ-リオス〉に向かって弓を向けました。 ヘーリオスは怒るどころか、自分に弓を向けるとは良い度胸だとヘーラクレースを気に入り、 太陽が沈んだ後に東へ帰るために使う黄金の大杯(船として使う)を貸してやろうと言うのです。 おかげで、ヘーラクレースはエリュテイア島に到着できるのですが、 その途中、Gibraltar(ジブラルタル)海峡に「ヘーラクレースの柱」と呼ばれる、 ヨーロッパとアフリカの山に向かい合って立つ二本の柱を建てたそうです。 この「ヘーラクレースの柱」は、長く世界の果てと考えられていました。 柱には“Nec Plus Ultra(ネク・プルス・ウルトラ=「この先には何もない」と書かれていたとも言われます。


 


 Erythiea(エリュテイア)島に着いたヘーラクレースは、牛を守っている番犬Orthros(オルトロス、エキドナの長男で、 のちに2番目の夫になる)と牛飼いのEurytion(エウリュティオン)を棍棒で打ち殺し、 牛たちを黄金の大杯に乗せて、海へ出ます。 騒ぎを見ていた別の家畜番がゲーリューオンに知らせますが、ヘーラクレースは 追ってきたゲーリューオンを毒矢で射り、ゲーリュオーンも死んでしまいました。


 


 いつもなら、ここですんなり帰れるのですが、 この時はあまりにも長い旅だったためか、まだまだ冒険が続きます。 まず、Tartessus(タルテッソス、現在のスペイン南部Andalucía〈アンダルシア〉地方のGuadalquivir〈グアダルキビール〉川河口近くに存在したとされる古代王国)という地に着いたヘ-ラクレースは、そこでヘーリオス神に 黄金の大杯を返し、そこから歩いてSpain(スペイン)を通って、南フランスへ入りました。 そこで土民の大群に襲われますが、天から石の雨が降って、 大群をやっつけました。もちろんこれは、ゼウスの助けです。 ヘーラクレースも石を投げ返して仕返しをし、現在でもその巨石がProvence(プロヴァンス)地方(フランスの南東部を占める地方で、東側はイタリア国境、西は標高の低いローヌ川左岸まで)に転がっているそうです。


 古代ギリシアの歴史家Hēródotos(ヘロドトス、BC480年頃~420年頃)は著書『歴史』において、黒海地方在住のギリシア人による伝説について述べています。


 ヘーラクレースはゲリューオーンの牛を追いながら、当時は無人であったSkythai(スキュティア、BC8世紀~BC3世紀にかけて、ウクライナを中心に活動していたイラン系遊牧騎馬民族および遊牧国家)の地にやって来ます。ところが、折からの冬季で酷寒に見舞わされ、ヘーラクレースはライオンの皮を引被って眠ってしまいのした。するとその間に草を食べていた馬がいなくなってしまったため、ヘーラクレースは目を覚ますなり馬を探しまわった末、Furia(ヒュライア、ウクライナDniepr〈ドニエプル〉川左岸地方)という土地にやってきました。ヘーラクレースはこの地の洞窟で上半身は娘の姿で、下半身が蛇の姿である怪物と遭遇し、初めは驚いたものの、その蛇女に「迷った馬を見なかったか」とたずねてみました。すると蛇女は「馬は私の許にあるが、そなたが私と交わってくれぬかぎり馬を返さん」と言うので、ヘーラクレースは渋々了承し、しばらく同棲したあと馬を返してもらいます。しかし蛇女の腹には3人の子供が身ごもられており、蛇女はヘーラクレースにこの子供をどうするか訊ねるのでした。するとヘーラクレースは弓の一張りを引いて見せ、また帯の締め方を示した後弓と結び目の端に金の盃のついた帯とを与えて、「弓と帯を使って自分の示した仕草をした者をこの地に住まわせ、できなかった者を追放せよ」と言って去っていきます。一方、妻である蛇女(エキドナ?)は自分の産んだ子供たちが成人した時、蛇女はヘーラクレースに言われた通り、例の儀式を行いました。長男のAgathyrsos〈アガテュルソス〉、次男のGelonus〈ゲロノス〉はヘーラクレースが示した仕草をできずに国を放逐されましたが、三男のSkythes〈スキュテス〉は見事ヘーラクレースが示した仕草ができたので、国に留まり、王になることができまとた。以後、スキュテスの子孫が代々王となり、Scythia(スキティア)人は帯に盃をつけるようになったといいます。


 この不思議な女は、実はEchidna(エキドナ、上半身は美女で下半身は蛇で背中に翼が生えた姿をしているといいます。「蝮の女」がその名の意味。だったという説もあり、 ヘーラクレースがたくさんのエキドナの子供(怪物)たちを退治していることを考えると、 何とも不思議な話です。


 


 ようやくエキドナ(?)から解放されたヘーラクレースは、イタリアを南下します。 が、途中でEuandros(エウアンドロス)王(ローマ神話に登場するアルカディア出身の神格化された文化英雄)の牛を盗んだ怪物Cacus〈カークス〉を退治して喜ばれたり、 海岸線に長い道路を建設したり、逃げた一頭の牛を追ってSicilia〈シシリア〉島へ渡ったりと、なかなか旅は進みません。 ようやく牛を連れ帰れば、今度はヘーラーが虻を使って牛たちをバラバラに追い払い、 牛たちを集めるのにまた一苦労です。しかし、何とか牛たちを連れてくることに成功しました。


 


Sebald Beham〈ゼーバルト ベーハム):ドイツの版画家。最高の多作版画家として知られています。木版画の本のイラストなど約252の彫刻、18エッチングと1500木版画を、作り出しました。


 


 Mykēnai〈ミュケナイ〉の王様Eurystheus(エウリュステウス)は、ヘーラクレースがあまりにも長い間帰ってこないので、 ヘーラクレースはもう死んでいるのだろうと思っていたのですが、 牛たちを連れて戻ってきたヘーラクレースを見て驚きました。 牛はその後ヘーラーに捧げられたそうです。


 

 Hēraklēs(ヘーラクレース)の第9の難事はAmazōn(アマゾーン)女王Hippolyte(ヒッポリュテ)の帯を持ってくることでした。 アマゾーンとはThermodon(テルモードーン)川流域に居住する民族で、Arēs(アレース)の子孫として女性のみの集落である。 彼女たちは武に長けており、戦争と狩猟に使用する弓の邪魔にならぬよう右の乳房を切り取り、左胸は子供を育てるために残している。 種族保存のために近隣種族の男性をさらって子供を作る。生まれた子供が男児の場合は、殺すか去勢して能力を失わせました。 実際はそのような種族はおらず、フィクションであろうといわれています。アマゾーンは黒海沿岸の他、Anatolia(アナトリア、アジア大陸最西部で西アジアの一部をなす地域で、現在はトルコ共和国のアジア部分をなします)や北アフリカに住んでいた、実在した母系部族をギリシア人が誇張した姿と考えられています。


 


ヒッポリュテはアマゾンの支配者のしるしとしてアレースの帯を持っていました。 Eurystheus(エウリュステウス)の娘Adomētē(アドメーテー)がこれを欲しがったといいます。この帯の性能はよくわかりませんが、持っていると何かいいことでもあったのでしょうか。宝石をちりばめたアマゾン女王の徴(しるし)であったようです。


ヘーラクレースはまた同行者を連れて船で東航しましたた。途中でParos(パロス)島(エーゲ海の中央に浮かぶギリシャの島。キクラデス諸島の1つです)に到着します。 そこにはMīnōs(ミーノース)の息子Eurymedon(エウリュメドーン)、Chrȳsēs(クリューセース)、Nephalion(ネパリオン)、 Philolaos(ピロラオス)――いずれもミーノースとNymphē(ニュムペー)のPareia(パレイア)との子――が住んでいました。しかし下船したときに、仲間の2人がこの息子達に殺されるという事件が起こります。 ヘーラクレースは憤り、息子たちの家来を殺してしまうのです。恐怖におののいた息子たちは、殺された2人の代わりに自分たちから2人を人質に差し出すという提案を出しました。 ヘーラクレースは彼らを選ばず、Androgeōs(アンドロゲオス)の息子(ミーノースの孫)Alcaeus(アルカイオス)とSthenelos(ステネロス)を選びます。彼らの名前は2人ともPerseus(ペルセウス)とAndromedā(アンドロメダ-)の息子たちの名前と同名なのですが、単なる偶然でしょうか。


Mysia(ミュシア、トルコのアナトリア半島北西部の地方)に到着した一行は、Daskylos(ダスキュロス)の子Lykos(リュコス)王の世話になりました。 リュコスはBebrykes(ベブリューケス)族と戦っていた最中で、ヘーラクレースたちも戦争に参加しました。 多くの戦死者が出ましたが、その中にAmykos(アミュコス)の兄弟Mygdon(ミュグドン)王もいたようです。 制覇したリュコスは、ヘーラクレースに感謝の意を込めてその地をHērakleia(ヘラクレイア)と呼ぶことにしました。


次に入港した場所はThemiskyra(テミスキュラ、黒海沿岸の Pontos〈ポントス〉 地方のアマゾーン族の国の地)でした。するとアマゾン女王ヒッポリュテがわざわざ訪ねて来たのです。 そして帯が欲しい旨を伝えるヘーラクレースに、簡単に承諾してくれのです。それほど価値のあるものだとは思えません。しかしあまりにも上手く事が運ぶことを妬んだHērā(ヘーラー)は、自らアマゾーンの1人に変身します。


「あのヘーラクレースって男、実は女王ヒッポリュテ様を攫うつもりなのヨ!」


その言葉を信じたアマゾーンたちは、血相かえて武装し彼らに襲撃したのです。 その状況を見てヘーラクレースもまた詐欺にかかったと思い、ヒッポリュテを殺して帯を奪って逃走しました。 他説ではヒッポリュテの妹Melanippē(メラニッペ)が捕まり、ヒッポリュテが帯と交換したといいます。

※ Nikolaus Knüpfer(ニコラウス クニュプファー):オランダの黄金時代の画家。聖書の文学、神話をテーマに小規模な絵を描きました。
※ Euphronios(エウプロニオス、紀元前535年頃~紀元前470年以降): 古代ギリシアの陶工兼絵付師で、紀元前6世紀末から紀元前5世紀初めのアテナイで活動しました。

 どちらにせよ彼女が殺されてしまうと、後にThēseus(テーセウス)との子供も生まれず、 またAthēnai(アテーナイ)へのアマゾーン襲撃の事件もなくなってしまうので少々話が矛盾してしまいます。
 その後ヘーラクレースは黒海を渡りHellēspontos(ヘレスポントス)海峡(Dardanelles〈ダーダネルス〉海峡のこと)を通過、Troia(トローイア)に寄港しました。この頃トローイアではApollōn(アポローン)とPoseidōn(ポセイドン)の怒りに触れて困りはてていました。 実は首都Īlios(イリオス)にあるPergamon(ベルガモン)の城壁を築くとき、この両神が人間の姿に化けて手助けをしてやったのです。 しかし完成したにも拘わらず、立派に功績を残した2人に対して王Lāomedōn(ラオメードーン)はすこしもの報酬も与えなかったのです。 その態度に憤った神たちは、この町に疫病と洪水を引き起こしたのであります。

※ Girolamo Troppa(ジローラモ トロッパ):イタリアの画家。教会壁画などを描きました。
 そこで急いで信託を受けることになりました。神託は「王女Hēsionē(ヘーシオネー)をポセイド-ンが送った怪物Ketos(ケートス、ギリシア神話などに登場する、海の怪物。ポセイドンの眷属。その姿は一定していないが、下半身はヒレのある長い蛇のような姿をしている。上半身は下半身と違って一定しておらず、ワニ、イルカ、蛇〈歯や耳があり、目が正面近くについているといいます〉のような水生動物)に生贄として差し出せば、神々の怒りはおさまるであろう。」とありました。
 そしてヘーシオネは海辺の岩に縛り付けられ、生贄までの時間を待つだけでしたた。そんな時にヘーラクレースが上陸したのです。 状況はまさにAndromedā(アンドロメダー)とPerseus(ペルセウス)と同じです。 だがヘ-ラクレ-スにとってヘ-シオネ-はそんなに魅力的な女性ではなかったのでしょうか。 彼の要求したものは王女ではなかったのです。
「王女を助けてやるから、なんかくれ。」
「本当に助けてくれるんなら、馬をやろう。」
「馬ぁ?」
「ただの馬ではない。私の祖父Trōs(トロース)が、 私の叔父Ganymēdēs(ガニュメーデース)の代償としてゼウス様より戴いた牝馬の血をひいた子供だぞ。」
「代償? どういうことだ?」
「ゼウス様は、少年の頃Idê(イ-デ-山)で羊と戯れていた叔父ガニュメーデースをいたく気に入られて天に連れ去ったのだ。 その代わりに、それは素晴らしい馬をプレゼントしてくれたのだよ。」
「その子供の馬だというのだな。よし、その条件を飲もう。」
 ガニュメーデースはトロースの子ではなく、ラオメードーン自身の子供だという説もあります。そしてヘーラクレースに与えると約束した馬は、子供ではなくゼウスからもらった馬そのものであったというものです。

 とにかくヘーラクレースは海の大岩にくくられている王女ヘーシオネーを助け、海獣ケートスを倒しました。

 しかし王ラオメードーンは、またも約束を破ります。
「おおヘーシオネー、無事だったか。こっちへ来い。馬? そんな約束をした覚えはないぞ。」「なにぃ? こっちも急ぐ身だ。今お前の相手をしている暇はない。いいか、そのうち絶対にトローイアを攻めてやるからな。首を洗って待っておれ。」
 後にヘーラクレースは軍を率いてトローイアに攻めこみます。ラーオメドーンは船を攻撃し、留守を守っていたOiklēs(オイクレース)を殺しますが、ヘーラクレースの軍がトロイア軍を追い払い、トローイアを包囲します。そしてTelamōn(テラモーン)に城壁を破られ、攻め落とされました。ラーオメドーンはヘーシオネーとPodarkēs(ポダルケース、姉ヘーシオネーによって、ヘーラクレースから購われます。このことに因んで、Priamos〈プリアモス〉と呼ばれるようになったといいます)を除く子供たちとともに射殺されました。

 テラモーンはヘーラクレースに従ってトローイア攻略に参加しました。テラモーンはこの戦争で城壁を越えて一番乗りを果たす活躍をしますが、Apollodoros(アポロドーロス、1世紀~2世紀、『Biblioteke〈ビブリオテーケー〉』(『ギリシア神話』)の編纂者として知られます)によるとヘーラクレースは一番乗りを奪われたことに腹を立て、テラモーンを殺そうと考えたといいます。殺意を感じたテラモーンがとっさにその場に転がっていた石を集めだしたので、ヘーラクレースがテラモーンに何をしているのかと尋ねると、偉大なるヘーラクレースのための祭壇を作っているのだと答えました。ヘーラクレースはこの返答に満足して殺すのをやめたといいます。戦争がヘーラクレースの勝利で終結すると、テラモーンは報酬として王女ヘーシオネーを与えられ、この女性との間にTeukros(テウクロス、トローイア戦争のさいにはサラミース島の武将の1人として大Aiās〈アイアース、テウクロスとは異母気を異母兄弟〉に従って参加し、一説にはSalamis〈サラミース〉島の軍勢12隻を率いたといわれます。木馬作戦にも参加しました)を儲けました。
 トローイアを出航したあとも、真っ直ぐにミュケナイには帰らずAinos(アイノス)に寄港します。その地でPhorkys(ポルテュース)という男に客人として迎えられました。 この男はポセイドーンの息子でSarpēdōn(サルペードーン)という兄弟がいたようです。 原因は解りませんが、サルペードーンはアイニア海岸でヘーラクレースによって射殺されてしまうのです。
 次にThasos(タソス)島(エーゲ海最北部にある島)に来て、そこに住んでいたThracia(トラキア)人を征服し、その地をアンドロゲオスの息子たちに与えました。
 今度はTorone(トローネー、Khalkidhik〈カルキジキ〉半島にあった古代都市)に進みます。 そこでPrōteus(プローテウス)の子Polygonos(ポリュゴノス)とTelegonos(テレゴノス)という兄弟が、 ヘーラクレースにレスリングを挑み殺されてしまいます。こうしてやっとミュケナイに戻ったヘーラクレースは帯をエウリュステウスに渡したのです。 

 Hēraklēs(ヘーラクレース)の第8の難事はTrakya(トラキア、バルカン半島南東部の歴史的地域名)王Diomēdēs(ディオメーデース)の牝馬をMykēnai(ミュケナイ)に持ち帰ることでした。 ディオメーデースはArēs(アレース)とKȳrēnē(キューレーネー、女狩人であり、Apollōn〈アポローン〉の恋人)の子で、好戦的なトラキアのBiston(ビストーン)族の王です。 また飼っている4頭の牝の人食い馬は、それぞれPodargos(ポタルゴス)、Lampon(ラムボーン)、Xanthos(クサントス)、Deinos(デイノス)と言う名前で、狂暴な上に、主食はその名の通り人肉でした。


ヘーラクレースはAbderos(アブデーロス)を同行しました。 彼はHermēs(ヘルメース)の子でOpous(オプース、古代ギリシア・ロクリス地方の主要都市。現在の中央ギリシャ)のLocris(ロクリス)人であり、またヘーラクレースの愛人の少年でした。 ヘーラクレースはbisexual(バイセクシャル、両性愛者)だったのです。


途中でThessalía(テッサリア)国Pherai(ペライ)領主Admētos(アドメートス)のところへ寄ったヘ-ラクレ-スは、 ちょうど彼の妻Alkēstis(アルケスティス)の喪中であることを知ります。 そしてヘーラクレースは彼のために、黄泉の国まで行ってアルケスティスを連れ戻してきてしまったのです(1025日のブログ『アルケスティス』を参照)。


 


Eugène Delacroix(ウジェーヌ・ドラクロワ):フランスの19世紀ロマン主義を代表する画家で、しばしば劇的な画面構成と華麗な色彩表現は、ルノワールやゴッホなど多くの画家たちに影響を与えたといいます。


 


とんだ道草ですが、この話には少々つじつまの合わない点があります。 まずヘーラクレースとアドメートスはArgo(アルゴー)遠征で知り合った仲といわれています。 しかしこのときはまだアルゴー遠征に行っていないはずです。また後にヘーラクレースは黄泉の国へ向かうのですが、 入り口がわからなくて苦労するくだりがあります。 どうして簡単にアルケスティスを連れ戻しに行けたのでしょうか。 まあしかしヘーラクレースの話は、各地方の集合体であるといいますから多少の時間軸のずれや矛盾は仕方ないのでしょう。


とにかくトラキアへ着いたヘーラクレースは、狂暴な牝馬の奪取に成功します。しかし王の家来に気づかれてしまいます。 ヘラクレスは牝馬をアブデーロスに預けて、戦闘に向かいます。
  


彼らを片付けてアブデロースの元に戻ってきたヘーラクレスーは、衝撃な場面に遭遇します。 アブデロースはその牝馬に引きずられて死んでいたのです。 ヘーラクレースは少年の墓をたて、その近くにÁbdēra(アブデーラ、Thracia〈トラキア〉地方にある古代ギリシアの都市)市を創建しました。 そして王ディオメースは殺されて、牝馬の食糧と変わり果てたのでした。
  


Gustave Moreau(ギュスターヴ・モロー):フランスの象徴主義の画家です。パリに生まれパリで亡くなりました。聖書や神話に題材をとった幻想的な作風で知られます。 印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは、聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、もっぱら想像と幻想の世界を描いたといいます。


 


牝馬はEurystheus(エウリュステウス)の元へ連れてこられますが、この無責任な王は処置のしようがなく野に放ってしまいます。 牝馬はそのままÓlimpos(オリュンポス)山に逃げ、野獣に食い殺されてしまったようです。


 

 今日は新聞の休刊日です。ウェブニュースより


ミャンマー総選挙、投票終了 開票作業が進む ―― ミャンマーで8日、2011年春の民政移管後初の総選挙が実施され、即日、開票された。地元メディアの出口調査ではアウン・サン・スー・チー党首率いる最大野党、NLD(国民民主連盟)が優勢で、大統領の指名が可能になる国会議席の過半数を得られるかが焦点となる。NLDのティン・ウー名誉議長は投票終了後、最大都市ヤンゴンで演説し「勝利を確信している」と述べた。


 


 総選挙の投票は午前6時(日本時間同8時半)から午後4時まで全国で実施された。ヤンゴンではスー・チー氏も自邸のあるバハン地区の投票所を訪れ、1票を投じた。早朝から市民が長蛇の列をつくった投票所では、押し寄せたNLD支持者が「私たちは勝利する」と歓声を上げた。


 同日夕、ヤンゴンのNLD本部前で演説したティン・ウー名誉議長は「すべての支持者に感謝したい。全国から集まる情報から判断すれば、大勝は間違いない」と述べた。ティン・ウー氏は1988年のNLD設立当初からスー・チー氏とともに同党を率いてきたナンバー2。ティン・ウー氏の演説終了後も多くの支持者が路上に残り、勝利を目指す党のテーマソングを合唱。周囲の交通は一時まひした。


 総選挙では上下両院の全664議席の内、国軍司令官が指名する軍人議員の議席などを除く491議席が改選される。NLDの勝敗ラインは単独で大統領を指名できる国会議席の過半数の獲得。そのためには改選議席の3分の2超を得る必要がある。


 投票前の各種世論調査や在外投票での出口調査では、NLDが旧軍事政権の流れをくむ政権与党の連邦団結発展党(USDP)をリード。地元大手紙のイレブンメディアグループなどが8日、全国の投票所で1638人を対象に実施した出口調査では、NLDに投票した人は全体の81%を占め、USDP(6%)や、アラカン民族党(4%)などの主要少数民族政党を上回った。


 ミャンマーの現行憲法は外国籍の親族のいる人物に大統領資格を認めないため、2人の息子が英国籍のスー・チー氏は大統領になれない。スー・チー氏は5日の記者会見で「選挙に勝利すれば、大統領以上の存在になる」と自身の政権主導に強い意欲を示している。


 ミャンマー選管は9日、選挙結果の速報値を公表する予定だが、国軍の権限縮小など“真の民主主義”の実現を掲げるNLDが大勝すれば、政治関与を続ける国軍との緊張が高まる可能性もある。国軍トップのミン・アウン・フライン総司令官は、無条件で選挙結果を受けいれる方針を表明しているものの、選挙後の混乱を懸念する声も出ている。  (日本経済新聞 2015/11/8 23:53


Hēraklēs(ヘーラクレース)の第7の難事はKrētē(クレ-テー)島の牡牛を連れてくることでした。 この牡牛はクレーテー島王Mīnōs(ミーノース)にPoseidōn(ポセイドーン)が贈ったとか、 彼の妻Pāsiphaë(パーシパエー)が恋した牡牛とも言われています。



またAcusilaus(アク-シラ-オス、紀元前6世紀後半に活躍した古代ギリシアの神話学者)説ではEurōpē(エウロ-ペ-)を乗せて海を渡った牡牛だと主張している。 つまりZeus(ゼウス)自らが牡牛に化けたのではなく、エウローペーの前に本物の牡牛を遣わしたことになります。とにかく、この牡牛はとても狂暴な性格であったいいます。



 



ヘーラクレースはMīnōs(ミーノース)に協力を要請しましたが、彼は自分でやれとなげやりな態度で取り合いません。 結局ヘーラクレース単身でその牡牛を捕まえて、Eurystheus(エウリュステウス)の元に連れ帰ったといいます。



 



Sikhelia(シケリア、現在のSicilia〈シケリア〉島)のDiodooros(ディオドロス、BC1世紀、シケリア島で生まれた古代ギリシアの歴史家)によれば、ミーノースは毎年生まれた牛の中で最も良いものをポセイドーンに捧げていましたが、ある年に生まれた牡牛は特に優れていましたので、惜しくなったミーノースは別の劣った牡牛を捧げてしまいました。このためポセイドーンは怒って、パーシパエーを牡牛に恋させたのだといいます。その後、ヘーラクレースはミーノースと協力してこの牡牛を捕らえ、牡牛の背に乗って海を渡り、エウリュステウスのところに連れて行ったと述べています。



Hyginus(ヒュギーヌス、BC64AD17年、ラテン語の著述家)はパーシパエーが恋し、ヘーラクレースに退治された牡牛はAphrodītē(アプロディーテー)の牡牛だったとしています。アプロディーテーはパーシパエーが自分を崇めないので、牡牛への恋を起こさせたというのです。



パーシパエーは思いを遂げるため工匠Daidalos(ダイダロス)に相談しました。するとダイダロスは木で牝牛の像を作り、内側を空洞にし、牝牛の皮を張り付けました。そして像を牧場に運び、パーシパエーを中に入れて牡牛と交わらせたといいます。この結果、パーシパエーは身ごもり、牛の頭を持った怪物Mīnōtauros(ミーノータウロス)を生みます。ミーノースは怒ってダイダロスを牢に入れますが、パーシパエーはダイダロスを救い出してやったともいわれています。



 



Giulio Romano(ジュリオ・ロマーノ):ルネサンス中期の建築家・画家。幻想的、官能的なマニエリスム(極度に技巧的・作為的な傾向をもち,時に不自然なまでの誇張や非現実性に至る美術様式)芸術を展開しました。



 



一方、Acusilaus(アクーシラーオス、BC6世紀後半に活躍した古代ギリシアの神話学者)はエウローペーをさらってクレータ島に連れ去った牡牛だったとしています。



その後、この牡牛はPelopónnēsos(ペロポンネソス)半島に放たれ、Spártā(スパルタ)とArcadia(アルカディア)全土を通ったあとKorinthos(コリントス)海峡を渡ってAttika(アッティカ)のMarathon(マラトン)に棲みつきました。 マラトンの住人は、この牡牛に悩まされることになるのです。実はこの牡牛、ミーノースの息子Androgeōs(アンドロゲオース)を殺してThēseus(テーセウス)に退治された牛なのであるともいいます。


Hēraklēs(ヘーラクレース)の第6の難行はStymphalides(ステュンパーリデス)の森にいる鳥を追い払うことでした。ステュムパーリデスの鳥は、Pelopónnisos(ペロポネーソス)半島のStymphālos(ステュムパーロス)湖畔の鬱蒼たる森に棲んでいたとされます。嘴・爪や翼の先が青銅で出来ており、集団で生活していました。人間を襲ったり、田畑に毒性の排泄物を撒き散らしたりしていました。この鳥達はかつては軍神Arēs(アレース)のペットであったといいます。


Hēraklēs(ヘーラクレース)はこの恐るべき怪鳥どもを驚かせて飛び立たせるため、Athēnā(アテーナー)に頼んで、Hēphaistos(ヘーパイストス)からとてつもなく大きな音を立てるガラガラ(彼の工房のKýklōps〈キュクロープス、卓越した鍛冶技術を持つ単眼の巨人であり、下級神である1族〉達の目覚まし用の青銅製の鳴子)を借り受け、音に驚いた鳥が飛び立ったところをHydrā(ヒュドラー)の毒矢で射落としたとも、矢が効かないので彼に襲い掛かってくるところを1羽ずつ捕らえて絞め殺したともいいます。


 


 一説によれば、ヘーラクレースが退治したステュムパーロス湖の怪鳥はStymphālos(ステュムパーロス、アルカディアの同名の町ステュムパーロスを建設し、王となって支配した)がOrnith(オルニス)との間にもうけた娘たちで、彼女たちはヘーラクレースを拒んでMolione(モリオネ、ギリシア神話の人物で、エーリス地方の英雄)を歓迎したため、ヘーラクレースに殺されたといいます。


 


Albrecht Dürer(アルブレヒト・デューラー、14711528):ドイツのルネサンス期の画家、版画家、数学者。


 

 Hēraklēs〈ヘーラクレース〉の第5の難行はAugeiās(アウゲイアース)の家畜小屋を1人で、尚且つ1日で掃除をすることでした。 アウゲイアースはĒlis(エリース、Pelopónnisos〈ペロポネソス〉半島にあり、北をAchaia〈アカイア〉、東をArcadia〈アルカディア〉、南をMessenia〈メッセニア〉、西をIónia〈イオニア〉海とそれぞれ接しています)王でHēlios(ヘーリオス、ギリシア神話の太陽神)の子、またはPoseidōn(ポセイド-ン)の子、 あるいはPhorbas(ポルバース)の子とも言われています。


 今までの苦行に比べるとかなり生活じみた難事でありましたが、アウゲイアースの所有する家畜小屋の広さは半端ではありません。 おまけにその小屋は1度も掃除をしたことがないという汚さです。そんな衛生状態でよく家畜が病気にならないものでした。



※ Honore Daumier(オノレ・ドーミエ):マルセーユ出身。パリでルイ・フィリップ王政を批判する石版画を発表し、投獄されます。その後も、風刺の精神を貫きました。現実から目をそむけず、痛烈な観察眼を持って政治漫画などを描いていましたが、晩年になってから、画家として重要視されるようになります。多様な文学的主題を取り扱った点でも、ロマン派の画家であった。



アウゲイアースを訪れたHēraklēs(ヘーラクレース)は、Eurystheus(エウリュステウス)には内緒でちょっと汚い交渉をしました。


「もし俺が1日でこの小屋を掃除できたら、家畜の10分の1を分けてくれるか?」


「まさか、この広さを1日で掃除なんて。できっこないだろう。もし本当に出来たら約束は果たそう。」


「よし、じゃあ証人を立てよう。」


「私の息子Phȳleus(ピューレウス)でよいかな。」


「いいだろう。王子ピューレウスよ、今の話聞いたな。」


「はい。神に誓って。」


交渉成立。まず家畜小屋の土台の両端に大きな穴をあけて、Alpheus(アルペイオス)川とPeneios(ペネイオス)川から水を引いてきました。 そして小屋の中に大量の水を流し込み、あっという間に家畜の糞は川に流れていったのでした。価値小屋はピカピカ。牛も馬もご機嫌。 不機嫌なのはアウゲイアースです。 



アウゲイアースは吃驚仰天開いた口がふさがりませんでしたが、報酬を与えることを拒み始めたのです。


「報酬だと? そんな約束をした覚えはない。大体この仕事はMykēnai(ミュケーナイ)王エウリュステウスの命令だというではないか。 そんな、私が報酬などと…… 寝ぼけるのもいい加減にしたまへ。」


「なに? それとこれとは関係ない。俺は証人として貴様の息子ピューレウスまで立てたのを覚えてないと言うのか。訴えてやる!」


 そして裁判が始まりました。父アウゲイアスは、息子は自分の味方をすると思っていたのでしょうか。 残念ながらピュレウスは信義を重んじる性格だったようで、正直に父の証言を否認したのです。 逆切れしたアウゲイアスは投票が行われる前に、ピュレウスとヘーラクレースをエリースから追放してしまいます。 居場所を失ったピューレウスはDulichion(ドゥ-リキオン)島に腰をすえることにしました。



このことを恨んだヘーラクレースは、Īlios(イリオス)攻略ののち、Arcadia(アルカディア)人の軍勢を集めてエーリスを攻撃した。アウゲイアースはこれに対してMolione(モリオネ、Eurytos〈エウリュトス〉とCteatus〈クテアトス〉で、アクトールとモリオーネーの息子。腰から下はひとつの身体という双子の兄弟)を将に任じます。この兄弟はPoseidōn(ポセイドーン)の子ともいわれ、怪力の持ち主で、エーリス地方の英雄と言われます。ヘーラクレースは遠征中に病を得て休戦したが、休戦の理由を知ったエウリュトスとクテアトスがこれを襲い、ヘーラクレースは退却を余儀なくされました。その際多くの兵が倒され、ヘーラクレースの異父兄弟Īphiklēs(イーピクレース)もこのときの傷がもとで死んだといいます。


 しばらくしてIsthmia(イストミア)大祭が開かれ、これにエウリュトスとクテアトスが参加することを知ったヘーラクレースは、二人を待ち伏せして殺し、エーリスを陥落させました。アウゲイアースは息子たちとともに殺されました。一説には、命だけは助けられたともいいます。ヘーラクレースは追放されていたピューレウスを呼び寄せてエーリスの王としました。


Pausanias(パウサニアス、115年頃~180年頃、2世紀ギリシアの旅行家で地理学者で、『ギリシア案内記』の著者として知られています)はこの話に加えてその後日譚について触れています。ヘーラクレースが報復のためにエーリスを攻撃して占領したさい、ヘーラクレースはピューレウスをドゥーリキオンから呼び寄せ、エーリスの王としました。しかしピューレウスはエーリスの国制を制定した後に、再びドゥーリキオンに戻り、エーリスは兄弟のAgasthenēs(アガステネース)が後を継いだといいます。


一方ヘーラクレースはAchaia(アカイア)西端にあるOlenos(オレノス)領主Dexamenos(デクサメノス)の館に赴きました。 ちょうどCheirōn(ケイローン)が亡くなった後Pholoe(ポロエ)山に戻ったはずのKentauros(ケンタウロス)のEurytiōn(エウリュティオン)が、 王女Mnesimache(ムネシマケ)にあれやこれやとちょっかいを出していて王はかなり困り果てていたのです。館ではちょうど、王女ムネシマケを花嫁として送り出すところだったのです。先にヘラクレスと戦って散り散りに逃げた、乱暴なケンタウロス族の一人、Eurytiōn(エウリュティオン)が、こんなところにやって来て、ムネシマケに激しく恋慕、是非妻にくれと脅迫していたのです。生贄同然の花嫁を前に、単純なヘーラクレースは断固、義侠心を発揮。早速、エウリュティオン待ち伏せて、花嫁を受け取りに来たところを、とっとと殺してしまいました。



 ヘーラクレースはこんなふうに、難業の往路、帰路の先々で、人々を困らせる人間やら半人半獣やら猛獣やらを一掃しながら進んでいるのです。



 


プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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