瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 「ばら」の名は和語で、「いばら」の転訛したものです。漢語「薔薇」の字をあてるのが通常ですが、この語はまた音読みで「そうび」「しょうび」とも読みます。漢語には「玫瑰」(まいかい)や「月季」(げっき)の異称もあります。「玫瑰」は中国語においてはハマナスを指すそうです。


 欧州ではラテン語の rosa に由来する名で呼ぶ言語が多く、また同じ語が別義として「ピンク色」の意味をもつことが多いそうです。6月の誕生花で、季語は夏です。(「冬薔薇」「ふゆそうび」となると冬の季語になります)。
 
日本はバラの自生地として世界的に知られており、品種改良に使用された原種のうち3種類(ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナシ)は日本原産です。



 
古くバラは「うまら」「うばら」と呼ばれ、『万葉集』にも「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌があります。『常陸国風土記』の茨城郡条には、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とあります。常陸国にはこの故事にちなむ茨城(うばらき)という地名があり、茨城県の県名の由来ともなっています。



 江戸時代初期に、仙台藩の慶長遣欧使節副使・支倉常長が西洋からバラを持ち帰ったそうです。そのバラは、伊達光宗の菩提寺の円通院にある光宗の霊廟「三慧殿」の厨子に描かれたため、同寺は「薔薇寺」の通称で呼ばれるようになったそうです。



  江戸時代には職分を問わず園芸が流行りましたが、バラも「コウシンバラ」「モッコウバラ」などが栽培されており、江戸時代に日本を訪れたドイツ人ケンペルも「日本でバラが栽培されている」ことを記録しています。



 また、与謝蕪村が「愁いつつ岡にのぼれば花いばら」の句を残しています。



 このようにバラ日本人にゆかりのある植物ですが、バラがいまのように「花の女王」として愛好されるようになるのは明治以降なのです。
 
明治維新を迎えると、明治政府は「ラ・フランス(和名:天地開)」を農業試験用の植物として取り寄せ、青山官制農園(いまの東京大学農学部)で栽培させた。馥郁とした香りを嗅ごうと見物客がしばしば訪れたので、株には金網の柵がかけられたといいます。



 しかしまだ、バラは西洋の「高嶺の花」でしたが、その後、バラが接ぎ木で増やせることから、優秀な接ぎ木職人のいる東京郊外の川口市の安行や京阪神地域の郊外・宝塚市山本で栽培が行われるようになりました。バラは皇族、華族、高級官僚といったパトロンを得て、日本でも徐々に愛好され始め、生産量も増え始めます。大正から昭和のころには一般家庭にも普及し、宮沢賢治が「グリュース・アン・テプリッツ(和名:日光)」を愛し、北原白秋の詩にもバラが登場しています。



 第二次世界大戦で日本でもバラの栽培より野菜の栽培が優先され、生産が停滞します。しかし、戦後すぐの1948年には銀座でバラの展示会が開かれた。さらに1949年には横浜でバラの展示会が開かれ、そのときにはアメリカから花を空輸して展示用の花がそろえられたそうです。
 
鳩山一郎や吉田茂などのバラの愛好は、戦後日本でのバラの普及に大いに貢献しました。このように戦後の高度成長の波に乗り、バラは嗜好品として庶民にも普及していき、日本でも品種改良が行われるようになります。また、鉄道会社が沿線開発の一環として、バラ園の造営を行うようになり、各地にバラ園が開園されました。


 


ウェブニュースより
 
近畿、東海、関東甲信 梅雨入り ―― 6日、気象庁は近畿、東海、関東甲信地方の梅雨入りを発表しました。各地で長雨の季節の到来です。
 
6日、近畿、東海、関東甲信地方が梅雨入りしたとみられます。近畿は平年より1日早い、東海と関東甲信は平年より2日早い梅雨入りです。
 
今年は、5月7日ごろに奄美地方、翌8日に沖縄地方が梅雨入り。5月26日は九州南部、28日は九州北部と四国、6月5日は中国地方も梅雨入りしており、続々と長雨の季節を迎えています。
 
    梅雨は季節現象であり、梅雨入り明けには、平均的に5日間程度の「移り変わり」の期間があります。   (tenki.j 2018060611:0



 関東地方もいよいよ梅雨入りしたようです。
 
梅雨の雨は、梅にとって恵みの雨です。この季節に雨が降ることで、梅の実は大きく膨らんでいきます。ところで、「梅雨」はなぜ「梅の雨」と書くのでしょう?
 
「梅雨」とは、6月~7月中旬、中国の長江下流域から朝鮮半島、日本列島(北海道を除く)に見られる雨期のことで、それほど雨足の強くない雨が、長期に亘って続くのが特徴です。現在、中国では「梅雨(メイユー)」、韓国では「長霖(チャンマ)」と呼ぶそうです。「梅雨」は東アジア特有の雨期であり「梅」も東アジアにしか生息しない植物です。
 
しかし中国でも梅雨という言葉が使われるようになった経緯がはっきりしていないため、現代でもあいまいなままとなり様々な説があるそうです。そのひとつとして黴(かび)の生えやすい時期の雨という意味で「黴雨(ばいう)」と呼ばれていて、それでは語感が良くないため季節に合った同じ音の「梅(ばい)」の字を使って梅雨と呼ぶようになったという説があります。
 
中国盛唐の詩人杜甫が「梅雨」という詩を残しています。そこには“4月になると梅の実が黄色く熟するという一文と、梅雨の細やかな雨が降り続き空は暗いという一文があるのです。つまり、梅の実が熟すころに雨が降り続いていたことになり、この詩の題名から杜甫が生まれた712年以降には梅雨と呼ばれていたと捉えることができます。



 日本独自の歳時記としては『日本歳時記』が始まりとされ、そこには“此の月淫雨ふるこれを梅雨と名づく”という一文があるのです。梅の熟す時期の雨という意味となり、杜甫の詩と同じ雨のことを指していることがわかります。日本歳時記は貝原益軒(かいばら えきけん)によって1688年に刊行されたことから、日本では江戸時代から梅雨と呼ばれるようになったと言えるでしょう。



 「梅雨」という言葉は、江戸時代に日本へ伝わり、その頃から、日本でも「梅雨(つゆ)」と呼ばれるようになったといいます。それにも、いくつかの説があります。
 
・「露(つゆ)」から連想した。
 
・梅の実が熟す時期だから「つはる」から連想した。
 
・梅の実が熟し潰れる時期だから「潰ゆ(つゆ)」と関連つけた。
 
・カビのせいで物がそこなわれる「費ゆ(つひゆ)」から連想した。
 
「梅雨」という言葉が伝わる以前は「五月雨(さみだれ)」といったようです。「さ」は陰暦の5月(現在の6月)、「みだれ」は「水垂れ」を意味するといいます。


 


ウェブニュースより
 
藤井七段、2期連続で竜王戦挑戦者決定Tに進出 ――史上最年少プロ棋士、藤井聡太七段(15)が5日、大阪市の関西将棋会館で指された第31期竜王戦5組ランキング戦決勝で石田直裕五段(29)を破って優勝し、羽生善治竜王(47)への挑戦者を決める挑戦者決定トーナメント(T)に進出した。優勝賞金155万円を手に入れた。4月に高校進学後、負けなしの7連勝。公式戦通算成績は7812敗。



 終盤の攻め合いを制した藤井は「感触のよくない手もあった」としながらも厳しい手を指し続け、投了に追い込んだ。
 
初対局となった石田は「終盤の読みの精度はすごいと感じた。自分には見えていない手を指されて対応することができなかった」と完敗を認めた。
https://www.youtube.com/watch?v=c1hoomlhLaE
 
藤井は昨年、6組で優勝して決定Tに出場しており、これで2期連続の進出となった。挑戦者決定Tは各組上位者11人によるトーナメント。藤井は羽生竜王への挑戦権を得るまで最短で7連勝が必要となる。
 
昨年の竜王戦決定Tの初戦は増田康宏四段(現六段)に勝ち、歴代最多の29連勝を達成した。「昨年は2回戦で負けてしまったので、今期は経験を生かして上を目指したい」。決定T初戦は6組1位の都成竜馬五段(28)と対局する。
 
挑戦権を獲得し、1012月にかけて行われる7番勝負で、羽生竜王からタイトル奪取すれば、昇段規定「竜王位1期獲得」をクリアすることになり「16歳八段」が誕生する。   [日刊スポーツ 2018652247]


 


シドニーの美帆ちゃんからメールが入りました。曰く、
 
節夫おじさん、道子おばさんへ
 
早速、おじさんのブログを教えていただきありがとうございます!
 
おじさんのブログに私達の写真が載っていました! ありがとうございます。 
 
いつもためになる記事が沢山あって読むと面白いです。また時間のある時におじさんのブログをチェックします。
 
良い週末を!    美帆
 


ヒナゲシ
 
ヒナゲシ(雛罌粟)の「雛」は小さい、可愛いの意味しており、ケシ(罌粟)の中では小型で可愛い花であることからつきました。漢名の雛罌粟(ヒナゲシ)の罌は液体を入れる口のつぼんだ甕の事で実の形を表わし、種子がアワ(粟)に似ているのでケシ(罌粟)と漢字で書かれます。
 
又、ケシ(芥子)とも書かれ「芥子粒のように小さい」と表現されるように、カラシナ(芥子菜)の種子もケシ(罌粟)の種子もきわめて小さい事から意識的にか、間違ってか、芥子の字が当てられたようです。
 
ケシ(罌粟)の名の由来はケシ(芥子)の種とケシ(罌粟)の種が混同されてケシ(芥子)から音読みのカイシとなり、最終的にケシ(罌粟)となったと言う説があります。

 
けし科ケシ属の1年草で、学名は「Papaver rhoca(パパウェル・ロエアス)」です。属名の「Papaver」は、ラテン語の古名の「papa(幼児に与えるお粥)が語源になっており、ケシ属の乳汁に催眠作用があるため、乳汁を粥に混ぜて子供を寝かしたことや、 また、花弁が薄いので、紙のパピルスに似ていることが由来ともいわれている。 種名の「rhoca」は、ギリシャ名で花がザクロ(石榴)と同色のためを意味しているそうです。



 その中でもヒナゲシ類は丈夫で繁殖力が強く、ヨーロッパでは小麦畑に生える野草、ないしは雑草としてコーンポピーの名があります。

 
ヒナゲシ(雛罌粟)はフランスではコクリコと呼ばれ、麦畑などに一斉に咲く様と睡眠作用のある薬草でもある事から、与謝野晶子はフランスを旅して次のように詠んでいます。
   
「ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟 我も雛罌粟」。



 別名を虞美人草とも呼ばれ、中国の楚王であった項羽の愛妾であり、中国三大美人の一人である虞妃(虞美人)が、項羽と劉邦の最期の戦い(垓下の戦い)のときに、項羽は愛する虞妃とともに劉邦の大軍に周りを包囲されました。項羽は別れの宴を開いてから最後の出撃をし虞妃も自刃して殉じたが、彼女のお墓にヒナゲシ(雛罌粟)の美しい花が咲きました。 そのため人々はこの花を「虞美人草」と呼んだという伝説があります。



 ヒナゲシ(雛罌粟)を含むケシ(罌粟)のルーツは中近東周辺と考えられ、東と西に広がり、日本には中国を経て、桃山時代から江戸時代にかけて渡来したと考えられ、宗達が描いた有名なケシ(罌粟)の屏風絵が残っています。

 
ヨ-ロッパでは5000年近く前のミノア文明の頃に既に登場し、ギリシャ神話では眠りと忘却のシンボルとして描かれ、その頃から薬草としての沈静、睡眠作用があった事が知られていたようです。



 草丈は50㎝~1mくらいになる。葉は根元から出る葉の根生葉で、羽状の切れ込みがあり無毛である。開花時期は、4月上旬ごろ~6月中旬ごろであり、 初夏に花茎を出し、上の方でよく枝分かれし、茎の先に直径5~10cmの赤や白、ピンク、黄色などの4弁花を開きます。花びらはケシ(罌粟)やオニゲシ(鬼罌粟)に比べると、非常に薄く華奢で、皺があり薄い紙で作った造花のようにも見えます。蕾は最初は下向きで表面に毛が生えており、咲くときに顔を上げ、2つに割れて花が出てきます。その風情がなんとも不思議です。早咲き遅咲きがあります。現在種子として売られているものには、八重咲きの品種が多いようです。



 ヒナゲシ(雛罌粟)は、モルヒネを含まず、アヘンが採れないので栽培は自由にできます。薬草として古くから栽培され、沈静・催眠・痛み止めなどに用いられている。中国では、開花直後の花を乾燥させたものを「麗春花」とよび、煎じて咳止めに用いますが、作用が強いので使用には十分な注意が必要です。
 
夏目漱石の作品に「虞美人草」があります。夏目漱石は小説を書き上げ、その題名をどうしようか考えていた時に花屋の前を通りかかった。漱石は気に入った花を見つけたが、名前が分からないので花屋に尋ねた。花屋が「虞美人草」と答えたので、小説の名前を「虞美人草」に決めたそうです。



 モネは、絵画「ひなげし」の中で、ヒナゲシ(雛罌粟)の咲く野原を散歩する、妻のカミーユと息子ジャンを描いています。



最後にアグネスチャンの「ひなげしの歌」を聞きながらこの項を終りとします。


https://www.youtube.com/watch?v=LKJEiC5-Iys


 


Mihoちゃんから、メールがはいりました。曰く、


シドニーに戻りました。


節夫おじさん、道子おばさんへ


お元気ですか?


私達は無事61日の朝、シドニーに着きました。


日本に来た時は、おじさんとおばさんに会え、お話ができてとても素敵な時間が過ごせました。


相変わらず、お元気そうでよかったです。


はるなに沢山おこずかいをいただきましてすみません。ありがたく使わせていただきます。


浅草のほうもオリンピックに向けどんどん綺麗になって整備されてきているのにびっくりしました。これから浅草も観光客でさらに忙しくなりそうですね。


東京はもうすぐ梅雨ですね。こちらは冬になりました。シドニーに着いたら、とても寒かったです。


また、日本に来るときはおじさんとおばさんにお会いできることを楽しみにしています。


それまでお身体にきをつけて、素敵な日々をお過ごしください。


マット、美帆、はるな より


P.S おじさんのブログのアドレスをもう一度教えてもらっていいですか?


 


ウェブニュースより


藤井聡太七段が昇段後の初戦飾って6連勝! 2期連続の棋王戦挑戦者トーナメントへ ――将棋の第44期棋王戦予選8組決勝が1日、大阪市福島区の関西将棋会館で指され、先手の藤井聡太七段(15)が中村亮介六段(32)を95手で下し、2期連続で挑戦者決定トーナメントに進出した。



 藤井七段は先月18日に七段に昇段してからの初戦。「いつも同じ気持ちで目の前の一局に全力を尽くしたいという思い」と平常心で臨み、危なげなく今期6連勝とした。
 
茶髪をピンクのゴムで後ろで束ね、口ひげをたくわえた、ワイルドなルックスの個性派・中村六段とは初手合い。藤井七段は穴熊で自玉を堅くガードし、中村六段を早めに一分将棋に追い込み、寄せ付けなかった。「最後は堅さを生かして攻め込むことができました」と藤井七段は振り返った。
https://www.youtube.com/watch?v=VLRflejDZi0
 
トーナメントで藤井七段は、渡辺明棋王(34)への挑戦権をかけ、2回戦(1回戦はシード)で菅井竜也王位(26)と対戦する。昨年8月の王将戦1次予選決勝では、王位に就く前の菅井七段に敗れており「完敗だったので、成長した部分を見せられればなと思います。大変な強敵ですが、前期(初戦敗退)より上を目指して頑張りたい」と話した。 
 
藤井七段の次回公式戦は、5日の竜王戦5組ランキング決勝(対石田直裕五段)。   (201861 1928分 スポーツ報知)


 


昨日5月29日は語呂合わせから、「蒟蒻の日」とされているそうです。
 
蒟蒻はサトイモ科の夏緑多年草植物で、英名はelephant foot(象の足)あるいはdevil's tongue(悪魔の舌)とも言います。地下茎はコンニャクイモ(蒟蒻芋)と呼ばれます。原産地はインドまたはインドシナ半島(ベトナム付近)とされ、東南アジア大陸部に広く分布しています。扁平な円形の地下茎があって地上には葉だけを出します。茎(実は葉柄)は高さ1mほどに伸び、先端は平らに開いて鳥足状に小葉をつけます。小葉は柔らかくてつやがあり、楕円形です。株は次第に大きくなりますが、ある程度大きくならないと花はつきません。栽培下では5~6年で開花するそうです。開花するときには葉は出ず、また開花後に株は枯れます。花は全体の高さが2mほどにもなるといいます。



 こんにゃくは、奈良時代に薬用として中国から伝来した植物で、漢語「蒟蒻」も一緒に伝わったようです。蒟蒻の読みは、『本草和名』に「古爾也久(こにやく)」、『和名抄』に「古迩夜久(こにやく)」とあるように、古くは「コニャク」と読まれていたようです。「コニャク」が中世に音変化し、「コンニャク」になったとされます。また、「蒟蒻」を呉音で「クニャク」と言ったものが、日本で「コニャク」となり、「コンニャク」になったとする説もあります。
 
コンニャクの歴史は古く我が国には中国から仏教の伝来とともに精進料理として伝わったと言われる説や、飛鳥時代の欽明天皇「きんめいてんのう」(539571年)聖徳太子が生まれる少し前の頃に朝鮮から伝わった説、又同じく飛鳥時代に遣唐使(630894年)が持ち帰ったという説があります。初めの頃は医薬用として珍重され貴族や王族しか食べられなかったのですが、やがて一般の人の食べ物になっていったようです。
 
コンニャクの名が載っている日本で一番古い書物は平安時代の歌人、源順(みなもとのしたごろう)が書いた「倭名類聚抄」(わみょうるいじゅしょう)(931937年)という辞書でこの中に次のように述べられています。
 
「蒟蒻、其の根は白く、灰汁をもって煮れば、すなわち凝成す。苦酒(酢)をもってひたし、これを食す。」
 
(コンニャクの根っこは白く、灰から作ったアク汁で煮ると固まり、酢をつけて食べる。)



 この記述から、当時すでにコンニャク芋を灰汁で処理することで食用となることが知られていたようです。その後平安時代の「拾遺和歌集」(しゅういわかしゅう)(10051007年)の中にもコンニャクが歌われています。
    
野を見れば、春めきにけり青葛(あおかつら) 
            こにやくままし わかな摘むべく
 
コンニャクが一般に知られ常食化したのは鎌倉時代以降と思われます。たとえば「庭訓往来」(ていきんおうらい)(1330年)と言われる当時の教科書には、コンニャクをたれ味噌で煮て、唐伝来の間食をしたと記されています。



 室町時代には点心(菓子や間食、軽食)として利用され、戦国時代には豆腐や納豆とともに食用として食べられていました。
 
しかし庶民の食品として広く普及したのは江戸時代からで、松尾芭蕉も好んで食べたと言われ、俳句にもうたわれています。
    
こんにゃくの刺身も少し  梅の花)  芭蕉50歳(1693年)



 その後1776年の水戸藩領(現 茨城県大宮市)の中島藤右衛門がコンニャクの芋を薄切りにして乾燥させ粉末にする技術を発明しコンニャクが広まってきました。この時代には「蒟蒻珀珍」(1846年)という料理書も発行されています。



 もともとは海外から伝わったとされていますが、1000年以上にわたって代々受け継がれてきた日本ならではの食材それが コンニャク なのです。


 


ウェブニュースより
 
大相撲夏場所 千秋楽 中入り後の勝敗 ―― 大相撲夏場所は、千秋楽の27日横綱どうしの結びの一番で鶴竜が白鵬に勝って、14勝1敗とし、自身初めてとなる二場所連続5回目の優勝を果たしました。
中入り後の勝敗です。
 
十両の隆の勝に安美錦は、隆の勝が押し出しで勝ちました。
 
石浦に十両の旭秀鵬は、石浦が小股すくい。
 
錦木に朝乃山は、錦木が寄り切りで勝って10勝5敗としました。
 
荒鷲に碧山は荒鷲が小手ひねり。
 
佐田の海に貴景勝は、貴景勝がはたき込みで10勝目。
 
隠岐の海に豪風は、豪風が肩すかし。
 
大翔丸に栃煌山は、大翔丸が引き落とし。
 
千代の国に輝は、千代の国が突き落としで勝ちました。千代の国は12勝目を挙げ初の敢闘賞受賞です。
 
旭大星に千代丸は、旭大星が送り出しで勝ちました。旭大星は、新入幕の場所10勝目を挙げ敢闘賞受賞です。
 
竜電に大奄美は竜電が寄り倒し。
 
琴奨菊に妙義龍は、妙義龍が寄り切り。
 
大栄翔に豊山は、大栄翔が押し出し。
 
嘉風に阿炎は、嘉風が押し出しで勝って勝ち越しました。阿炎は負け越しです。


松鳳山に宝富士は、松鳳山が寄り倒しで勝ち越しを決めました。宝富士は負け越しです。
 
千代大龍に魁聖は、魁聖がすくい投げ。
 
玉鷲に正代は玉鷲が押し出しで勝って勝ち越しです。
 
千代翔馬に遠藤は、千代翔馬が上手投げ。
 
これより三役で御嶽海に逸ノ城は、御嶽海が押し出しで勝って9勝目。
 
栃ノ心に勢は、栃ノ心が寄り切りで勝って13勝2敗で場所を終えました。栃ノ心は、場所後の大関昇進が事実上決まりました。

 
横綱・鶴竜に横綱・白鵬の千秋楽結びの一番は、鶴竜が寄り切りで白鵬に勝ちました。鶴竜は、14勝1敗で自身初めてとなる二場所連続5回目の優勝を果たしました。
NHK NEWS WEB 5月27 1954分)


 


https://www.youtube.com/watch?v=yNwooXx_Tx0


 


ウェブニュースより
 
大鵬の孫・納谷、序二段6勝1敗で夏場所終える ―― 大相撲の夏場所14日めが26日、東京・両国国技館で行われ、昭和の大横綱・大鵬(故人)の孫、東序二段11枚目・納谷(18)=大嶽=が40歳の大ベテラン、西4枚目・天一(山響)を押し出し。6勝1敗で夏場所を終えた。



 6番相撲で負けた反省を生かした。「(最後は)しっかり前に出れたので良かった。脇が甘くなることもなかった。形的にも良かったと思います」と振り返った。勉強の場所でもあった。中盤に体調を崩して調子は最悪だった。「調子が上がらないと相撲が雑になってしまった。自分の形でしっかりと取るのが大事だと思います」。 
 初黒星後の3日間は部屋でいつも以上のぶつかり稽古で汗を流した。「少しでも調子が上がるようにしました」という。師匠の大嶽親方(元十両・大竜)からは「やってきていることはやってきている。(初黒星については「少しは考えろ、でも考え込むな」とアドバイスされて気持ちも楽になった。
 序二段では高校時代のライバル、豊昇龍が7戦全勝で優勝した。「別におめでとうという感じです。来場所は幕下に上がれる位置になったら、(幕下に)上がれるようにがんばります」と静かな闘志を燃やしていた。   (2018年5月26日13時19分  スポーツ報知)

 優勝争い鶴竜がトップに 大相撲夏場所 ―― 大相撲夏場所は東京・両国の国技館で14日目の取組が行われ、1敗で優勝争いのトップに並んでいた横綱・鶴竜と栃ノ心が対戦し、鶴竜が勝って単独トップに立ちました。横綱・白鵬は敗れて3敗に後退し優勝争いは鶴竜と栃ノ心の2人に絞られました。
中入り後の勝敗です。
 
旭大星に石浦は、石浦が寄り切りで勝ちました。

 碧山に大奄美は、碧山がはたき込みで勝って勝ち越しました。
 千代の国に栃煌山は千代の国が引き落としで11勝目です。
 貴景勝に妙義龍は、貴景勝が押し倒し。
 荒鷲に大翔丸は荒鷲がはたき込み。
 錦木に嘉風は、嘉風が寄り切り。
 輝に朝乃山は、輝が押し出し。
 安美錦に竜電は、安美錦が渡し込みで勝ちました。



 千代丸に佐田の海は、佐田の海が突き落としで勝ち越しました。
 
豪風に千代翔馬は、千代翔馬が押し倒し。
 
宝富士に隠岐の海は、宝富士が寄り切りで勝ちました。
 
大栄翔に松鳳山は、松鳳山が渡し込み。
 
阿炎に豊山は、阿炎が寄り切り。
 
勢に玉鷲は、玉鷲が押し出しで勝ちました。
 
魁聖に琴奨菊は、琴奨菊が寄り切りで勝ち越し。
 
正代に御嶽海は、正代がすくい投げ。



 遠藤に千代大龍は、千代大龍が押し出し。
 
1敗で優勝争いのトップに並んでいた栃ノ心と横綱 鶴竜の一番は、鶴竜がすくい投げで勝ちました。栃ノ心は2敗に後退しました。



 横綱 白鵬に逸ノ城は、逸ノ城が上手投げで勝ちました。白鵬は3敗に後退し優勝の可能性はなくなりました。



https://www.youtube.com/watch?v=FmvQbfR1HOQ
 夏場所の優勝争いは鶴竜と栃ノ心の2人に絞られ、27日の千秋楽、栃ノ心が敗れるか、鶴竜が勝てば、鶴竜のふた場所連続の優勝が決まり、栃ノ心が勝って鶴竜が敗れれば、2人の優勝決定戦になります。
鶴竜「いつもより気合いを入れて集中した」
 
関脇 栃ノ心を破って1敗を守り、優勝争いの単独トップに立った横綱 鶴竜は「中に入ったほうが勝機があった。いつもより気合を入れて一番に集中した」と、26日の一番を冷静に振り返っていました。
 
敗れた栃ノ心は「あまり覚えていない。あしたで最後なので気合入れてやる」と厳しい表情で話していました。
 
逸ノ城に敗れ3敗となり、優勝の可能性が消えた横綱 白鵬は、相手の投げが強かったかという質問に対して「まあそうですね」と話した一方、トップと星の差が2つついたことについて聞かれると目を閉じたまま無言でした。   (NHK NEWS WEB 5月27 005分)


 


ウェブニュースより
 
大相撲夏場所13日目 栃ノ心に土 連勝止まる ―― 大相撲夏場所は東京・両国の国技館で13日目の取組が行われ、大関昇進をほぼ確実にしている関脇 栃ノ心は平幕の正代に引き落としで敗れ、初日からの連勝は12で止まりました。
中入り後の勝敗
 
豪風に朝乃山は、豪風がはたき込みで勝ちました。
 
佐田の海に千代の国は、千代の国が寄り切りで10勝目。



 大奄美に錦木は、錦木が寄り切り。
 
碧山に貴景勝は、貴景勝が押し出しで勝ちました。貴景勝は勝ち越しです。
 
隠岐の海に安美錦は、安美錦が上手投げ。



 大翔丸に石浦は、石浦が寄り切り。
 
妙義龍に輝は、輝が小手投げで勝ちました。輝は勝ち越しです。
 
嘉風に旭大星は、旭大星が引き落とし。
 
栃煌山に千代丸は、栃煌山が押し出しで勝って勝ち越しました。千代丸は負け越しです。
 
竜電に荒鷲は、荒鷲が寄り切り。
 
大栄翔に千代翔馬は、千代翔馬が寄り切り。
 
宝富士に阿炎は、阿炎がはたき込みで勝ちました。
 
豊山に魁聖は、魁聖が押し出し。
 
玉鷲に千代大龍は、玉鷲が押し出し。千代大龍は負け越しです。
 
松鳳山に遠藤は、松鳳山が押し出しで勝ちました。
 
御嶽海に琴奨菊は、御嶽海が寄り切りで勝って勝ち越し。



 
栃ノ心に正代は、正代が引き落としで勝って勝ち越しました。栃ノ心の初日からの連勝は12でストップしました。

 
勢に横綱 白鵬は、白鵬が上手出し投げで勝ちました。白鵬は11勝2敗です。

 
横綱 鶴竜に逸ノ城は、鶴竜が寄り切りで勝って12勝1敗としました。



https://www.youtube.com/watch?v=pIFVuUFpwnE
 
夏場所の優勝争いは横綱 鶴竜と関脇の栃ノ心が1敗でトップに並び、2敗で横綱 白鵬が追う展開で、26日に鶴竜と栃ノ心の直接対決が組まれています。

栃ノ心「やられたね」
 
連勝が12で止まった関脇 栃ノ心は「やられたね。最後頭下げちゃった。きょう負けた相撲は忘れたい」と悔しそうに話していました。
 
栃ノ心の連勝を止めて勝ち越した正代は「やるときはやるでしょう。最後は反射的に引き技が出ました。勝ち越してすごくうれしいし、自信にもつながる」とうれしそうに話していました。
 
1敗で栃ノ心に並んだ横綱 鶴竜は「気持ちを崩さないように、いつもどおり自分の相撲に集中したい」と話し、26日に栃ノ心と対戦することについては「そういうことはあまり考えない」と話して国技館をあとにしました。
 
2敗で追う横綱 白鵬は「立ち合いいいところを取れましたし、相手は土俵際の一発を持っているので慎重すぎるくらいにいきました」と話し、優勝争いについては「自分の力ではどうしようもないので、残り2日頑張ります」と話していました。   (NHK NEWS WEV 5月25 2310分)


 


ウェブニュースより
 
栃ノ心
白鵬を破り12連勝 大関ほぼ確実に ―― 大相撲夏場所は、東京・両国の国技館で12日目の取組が行われ、大関昇進を目指す関脇の栃ノ心は、横綱・白鵬に初めて勝って初日から12連勝とし、場所後の大関昇進をほぼ確実にしました。
中入り後の勝敗
 
安美錦に石浦は、石浦が押し出しで勝ちました。
 
朝乃山に荒鷲は、朝乃山が寄り切り。荒鷲は負け越しです。
 
千代の国に旭大星は、千代の国が寄り切りで9勝目。
 
栃煌山に隠岐の海は、栃煌山が寄り切り。
 
錦木に大翔丸は、大翔丸が押し出しで勝って、勝ち越しを決めました。
 
大奄美に嘉風は、嘉風が送り投げで勝ちました。大奄美は負け越しです。
 
輝に豪風は、輝が押し出し。豪風は負け越しです。
 
佐田の海に竜電は、佐田の海が寄り倒し。
 
千代丸に碧山は、碧山が押し出しで勝ちました。
 
貴景勝に千代翔馬は、貴景勝がはたき込み。
 
 宝富士に妙義龍は、妙義龍が送り倒し。
 
正代に松鳳山は、正代が押し出し。

 
阿炎に大栄翔は、大栄翔が押し出しで勝ちました。
 
豊山に玉鷲は、玉鷲が押し出し。
 
千代大龍に御嶽海は、千代大龍が突き出し。

 
遠藤に魁聖は、魁聖が突き落としで勝ちました。
 
逸ノ城に琴奨菊は、琴奨菊が寄り切り。

 勢に横綱 鶴竜は鶴竜が押し出しで勝って11勝1敗としました。
 
横綱 白鵬に栃ノ心は栃ノ心が寄り切りで勝って12連勝として、場所後の大関昇進をほぼ確実にしました。

 
夏場所の優勝争いは全勝の関脇 栃ノ心を、1敗で横綱 鶴竜、2敗で横綱 白鵬が追う展開です。
https://www.youtube.com/watch?v=hGf1mezcJIg
 

栃ノ心「最高です」
 
場所後の大関昇進をほぼ確実にした関脇 栃ノ心は「最高です。気持ちよかった。横綱は上手を切ってくるからしっかりつかんでいた。最後はもう出るしかなかった。横綱に勝ってうれしい、いい1勝です。あと3日、1日1番を目標に頑張ります」と笑顔を見せながら話していました。 一方、栃ノ心に敗れて2敗に後退した白鵬は「多少細かいミスはあったが、負けは負けですね」と悔しさを押し殺すように話していました。 また、平幕の勢に勝って1敗を守った鶴竜は「体がよく動いた。相手にまわしを取られないように自分で攻めていこうと考えた。きょうは終わったのでまたあした」と話して国技館をあとにしました。
八角理事長 相撲内容を高く評価
 
横綱 白鵬を破って12連勝とした栃ノ心について、日本相撲協会の八角理事長は「白鵬が何もできなかった。こんなのは初めてみた。上手を切らせず、ずっと引きつけていた。力をずっと出し続けるのは稽古のたまものだ。白鵬相手にがっぷり四つになっても勝てるという、自信になっただろう」と、相撲内容を高く評価しました。
春日野親方「残り3日も気合を」
 
栃ノ心の師匠の春日野親方は「きょうはいい相撲だった。横綱がうまさを出す前に勝負を決めた。まわしのいいところを取ったのが勝因だ。ふだんから部屋の強い関取衆と稽古をしてきて、自分でつかんだのではなく、部屋のみんなの力でここまで来たと思う」と感慨深そうに話していました。そのうえで、「3連敗してはいけないので、残り3日間も気合いを入れていかないといけない」と話していました。   (NHK NEWS WEB 5月24 1958分)


 


プロフィール
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目高 拙痴无
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92
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1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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