ウェブニュースより
本庶さんは「常にトップ走る男」 同級生ら受賞決定喜ぶ ――ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった本庶佑さん(76)が高校まで過ごした山口県宇部市では、同級生らが偉業を喜んだ。
「同期の誇り。常に我々のトップを走る男だった」。県立宇部高校で同級生だった元市収入役の今井信之さん(77)は話した。本庶さんの成績は常に校内でトップ3。温厚で物静かな人柄が印象に残っている。「これからも病気で苦しむ人のために頑張ってほしい」とエールを送った。
宇部高の同期会会長を務める医師の礒部輝雄さん(77)は「同期のみんなとお祝いしたい」。高校時代はまじめな印象。2013年の文化勲章受章後には「今の私のバックボーンは宇部高時代に培われた」と書かれた手紙を受け取った。「多くの人の命を救える」と医師を目指した本庶さん。オプジーボの開発につながる業績での受賞に「夢がかなったのではないか」と話した。
2年後輩で中学、高校が一緒だった元宇部興産副社長の千葉泰久さん(74)は「独特のオーラがあった。地方の田舎にあって、常に外へ目を向けていた」と振り返る。話しぶりが堂々としていて、「先生みたいな生徒」と言われていた。文化勲章受章後に宇部市を訪れた際には、握手を求める人々に気軽に応じていたという。「待ちに待ったノーベル賞。地元の誇りです」
(朝日新聞DIGITAL 2018年10月1日20時33分)
ノーベル医学生理学賞の受賞!「オプジーボ」の開発に貢献。オプジーボとは? ――
■がんと免疫の関係とは?
我々の周りには、細菌やウイルスなどの病原体が無数に存在しており、常に体内に侵入してくる。
こうした病原体などから体を守っているのが免疫である。
免疫は、常に体内を監視しており、異物を見つけると、その異物を攻撃して体内から排除しようとする。
また、がん細胞も異物とみなして攻撃する。
■免疫機能を持つT細胞とは?
血液内には赤血球や白血球などが存在しており、白血球はいくつかの種類がある。
白血球の一種に「リンパ球」という血球が存在している。このリンパ球は、NK細胞、B細胞、T細胞に分けられる。
その中で、T細胞は主に異物(感染した細胞など)を見つけて排除するという、免疫機能において重要な役割を担っている。
■免疫チェックポイント機構とは?
我々の体内では毎日多数の異常な細胞も発生している。しかし、通常は免疫の力によって異常な細胞は排除されているのだ。
もともと免疫細胞には、正常な細胞を攻撃しないために、過剰な免疫が働かないようブレーキとなる「制御システム」が備わっている。これを「免疫チェックポイント機構」と呼ぶ。
■PD-L1とPD-1とは?
がん細胞は、正常な細胞からがん細胞へ変化していく中で、様々な性質を得ていく。
その性質の一つに「免疫から逃れる力」が存在する。つまり、がん細胞が、免疫チェックポイントを利用して免疫反応にブレーキをかけるのだ。その方法は、がん細胞がPD-L1というタンパク質をつくり出す。
このPD-L1が、T細胞に発現している物質(PD-1)と結合して、T細胞が働かないように「ストップ」させる信号を送る。
この信号を送ることでT細胞は攻撃をストップする。こうしてがん細胞はT細胞の攻撃から逃れていることがわかってきた。
つまり、PD-1とPD-L1が結合すると、免疫の働きにブレーキがかかり、がん細胞への攻撃ができなくなるのだ。
■オプジーボとは?
オプジーボは、T細胞のPD-1と結合して免疫の働きにブレーキがかからないようにする免疫チェックポイント阻害剤と呼ばれる薬剤である。
オプジーボが血液に入ると、T細胞のPD-1と結合する。これによりがん細胞とT細胞の結合が阻害されるのだ。
その結果、ブレーキが解除される仕組みとなる。
この作用によって、T細胞はがん細胞からの妨害を受けることなく、がん細胞を攻撃できるようになるのだ。
■国内での承認
日本ではすでに悪性黒色腫(メラノーマ)、非小細胞肺がん、腎細胞がん、頭頸部がん、ホジキンリンパ腫、悪性中皮腫、胃がんなどのがん種が承認されている。
■免疫チェックポイント阻害剤と遺伝子検査
PD-1、またはPD-L1標的の免疫チェックポイント阻害薬によるがん治療の奏効率は、がん細胞に起きている遺伝子変異の数や頻度などに関係していると報告されている。
今後は、一人でも多くのがん患者が恩恵を受けられるようオプジーボの適応拡大に期待したい。
俳句の近代は、正岡子規によって開かれました。
とはいえ、子規は、俳人として生きていくという積りは、もっていなかったようです。明治の青年らしく立身を望んでいたし――実際、帝大を中退しなければ、官吏か財界人になっていたかもしれません――、文学を志した後も、幸田露伴のような小説家になりたいと願い――露伴に倣った『月の都』という長編小説を書きましたが、評判は呼びませんでした――、健康上、経済上の問題もあって、じりじりと俳句を生涯の仕事と認めるにいたったのです。
よく知られているように子規は「写生」を文芸の根本に置いていました。使いつくされた、月並みのマンネリズムを脱して、眼前にある、事物を凝視する、日本的リアリズムとしての「写生」を重んじたのです。
俳句のみならず、和歌から小説に至るまでが、今日まで、子規が開いた地平において書き続けられてきた事は否定できません。その点で、子規は近代日本文学の出発点をも画しているのです。
余命いくばくかある夜短し
犬が来て水のむ音の夜寒哉
一群の鮎眼を過ぎぬ水の色
鶏頭の黒きにそそぐ時雨かな
和歌に痩せ俳句に痩せぬ夏男
芭蕉忌や我俳諧の奈良茶飯
絶筆三句
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をととひのへちまの水も取らざりき
秋の彼岸を迎える時期の9月19日。この日は明治期に俳壇・歌壇に大きな改革と足跡を残した正岡子規の命日に当たります。享年34歳。明治35 (1902)年、結核による夭折でした。「獺祭忌」という変わった名前は、子規の数多い俳号の一つ「獺祭書屋 主人」から、また子規初の単行本「獺祭書屋俳話」から来てい ます。獺祭魚とは、獺(かわうそ)が獲物の魚を土手などに並べる習性が、獺が神に獲物を捧げ祭っているととらえた「礼記」にも記載のある中国の故事で、宣明暦七十二候の雨水初候にもなっています。後に転じて、知識人が書籍を部屋中に広げて思索にふけるさまを獺祭と呼び習わすようになり、子規も自らをそれになぞらえたわけです。
子規は松尾芭蕉を俳聖と神格化してあがめる当時の俳壇の改革をもくろみ、「写生主義」の観点から芭蕉俳句への批判を展開しました。
慶応3(1867)年、四国松山藩の藩士の家系に生を受けた正岡子規は、当初哲学を志し帝国大学文科大学哲学科に入学しますが国文科に転科し、文学の道を本格的に歩み始めます。
当時の俳壇の句会は「月並俳壇」と称されました。そこでは江戸期の諧謔的で俗なものとされた俳諧(連句)を芸術性のきわめて高いジャンルに確立した俳聖・松尾芭蕉が崇拝され、次元の低い芭蕉風のエピゴーネン、子規が言うところの「芭蕉俳諧宗信者」によって占められている状況でした。芭蕉は「俳諧あながち口にばかり唱ふるものにあらず、心より道に達し、今日の人情に通達して是非変化自在ならば一句の作あらずとも我が高弟」(「俳諧一葉集」)と記したように、句作そのものよりもそれに向かう「心」が何より大切だ、という姿勢の俳人でした。
これはいわば、句に真摯に向き合わず、精進せずとも心さえ叶っていれば自称一流俳人、といううぬぼれや偽者、名人気取りを生みやすく、そうした誤った芭蕉精神の横行が俳句・俳諧の世界を腐らせ停滞させている、と子規は感じたのでした。
そして、こうした「月並俳壇」に出入りする俳人たちを「月並み俳諧人」と軽蔑し(この子規の発言から、当時は「月例」「恒例」と言った程度の意味だった「月並」が、今では平凡でありきたりで長所がない作品の意味で使われるようになりました)、彼等の神であり「神秘にして説くべからず」と、その作品についての批評検証すら禁じられていた芭蕉について、
「芭蕉の俳句は過半悪句駄句を以て埋められ、上乗と称すべき者はその何十分の一たる少数に過ぎず、否僅かに可なる者を求むるも寥々星辰の如し」
と、正面切ってこきおろしはじめたのでした。
(芭蕉は)只々自己を離れたる純客観の事物は全くこれを放擲し、只々自己を本とし之に関連する事物の実際を詠ずるにとどまれり、今日より見ればその見識の卑しきこと笑ふに堪へたり。(「俳人蕪村」)
芭蕉は客観的にわかりすい描写を心がけず、ただ主観にたよって耽溺しているにすぎず、世界性のない卑小な作風である、としています。
「道のへの木槿(むくげ)は馬に喰はれたり」
については、何と添削を行っています。そんな子規が尊敬した俳人が、当時はほとんど知る者のなかった与謝蕪村でした。
若くして哲学を志した子規は、曖昧模糊として感性や人格重視の旧来の日本の芸術観に満足できず、「心の持ちようとか人柄とか関係ない。芸術は芸術のみの純粋価値を問われねばならない」ということを主張しました。誰が見ても明瞭にその意図が汲み取れる平明で客観的、精緻で無駄のない表現こそが最高の芸術である、として、事物をそのまま写し取る「写生主義」を唱えたのです。それは、西洋文明を取り入れて合理的な精神を吸収しはじめた当時の日本のありようと合致したテーゼでした。
絵画は厳冬の候に当りて盛夏の事物を見せ得べく、一室の中にありて山野の光景をも見せ得べし。曾て見たる者を何時にても見せしむるも絵画の力なり。未だ見ざる所を実に見る如く明瞭に見せしむるも、絵画の力なり。写生の一点より論ずるも絵画にして幾多の変化せる天然の美を容易に現出するの功あらば猶一美術して存すべきにあらずや。(「明治二十九年の俳句界」)
こうして子規は、与謝蕪村に邂逅します。著書「俳人蕪村」においては「咳唾珠をなし句句吟唱するに堪へる」「只々驚くべきは蕪村の作が千句尽(ことごと)く佳句なることなり」
と、絶賛しています。子規の芸術論において肝要とされた客観的美、複雑美、精緻美、理想美、人事的美の条項すべてを満たす最高の俳人が与謝蕪村で、その描き出す句は絵画的に明瞭に映像を結び、かつ複雑で変化極まりない斬新な句題を扱い、「僅僅十七文字の中に包含せしめた」と偉大さを強調しています。
現代では、芭蕉や一茶に並びメジャーな存在の蕪村ですが、蕪村を有名にしたのは子規の推しメンアピールによるものでした。
こうして子規は自身の「写生主義」にのっとり、数多くの俳句を作出していきました。
木の末を たわめて藤の 下りけり
立ちよれば 木の下涼し 道祖神
赤とんぼ 筑波に雲も なかりけり
風呂敷をほどけば柿のころげけり
三日月の 重みをしなふ すゝきかな
これらの句は、写生主義の典型的成果といえるでしょう。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
これは、子規の代表作であるにとどまらず、歴代の全俳句の中でも五指に入る有名な句でしょう。それと並んで子規のもっとも有名な句がこちら。
鶏頭の十四五本もありぬべし
子規の生涯で最後から三番目、長い闘病の続いていた1900年9月の句会で詠まれた句で、後に戦後まで続く論争の種となりました。写生を旨とする子規の句風の中で、異様な主観的感慨に満ちた句で、当時凡作として注目はされませんでした。しかし、歌人で小説「土」の作者の長塚節が、「これほどの作品を書く者は今の短歌界には皆無」と絶賛、斉藤茂吉が「芭蕉も蕪村も到達しえなかった大傑作」だと評したことから有名となりました。
これに対し、子規の一の弟子である高濱虚子はこの句を名句と認めず選集からもはずし、多くの俳人たちも「単なる報告だし言い換えも簡単だ」とくだらない句だという評価を下します。山口誓子は、この句は病床にある子規が「生の深い部分に触れた」句であるとしました。
つまり、ここで鶏頭の句を評価する者は、子規の人生や命がこもった魂を感じるものとして評価し、批判者は「ただのつまらない主観だ」と切り捨てているのです。批判者の批判は、若き子規の芭蕉への批判そのものであり、評価するものは、まさに子規が否定してきたものがゆえに句を評価しているのです。
「脳花」ともいわれる鶏頭の異様な姿の群生が、「ありぬべし」という強い言い切りにより、燃えるような、それでいて静謐な絶唱として読むものにせまってきます。これは、芭蕉が目指した、物事事物の背景にある、命・存在の本質にふれようとする作風とぴたりと一致します。人生の終わり、子規は戦い続けた芭蕉と、ついに出会い、その領域に踏み込めたのかもしれません。
をとゝひのへちまの水も取らざりき
絶筆三句と呼ばれるうちのこの一句にも、かつてなら「ただ自己を本とし之に関連する事物の実際を詠ずるにとどまれり」と子規自身が評するような内容ですが、へちまや鶏頭といった事物の「かたち」の奥にある命の本源に、主観を通して触れている名句です。
子規の熱い情熱と鋭く峻烈な文学は、弟子である高濱虚子、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)らにより受け継がれ、現代俳句興隆の礎となりました。北区田端の大龍寺は、子規が埋葬されたお寺で別名子規寺と呼ばれています。
ウェブニュースより
沖縄県知事選 玉城デニー氏 初当選 ―― 沖縄県知事選挙は30日に投票が行われ、野党が支援し、アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設阻止を訴えた前衆議院議員の玉城デニー氏が、初めての当選を果たしました。
沖縄県知事選挙の結果です。
▽玉城デニー(無所属・新)当選、39万6632票
▽佐喜真淳(無所属・新)31万6458票
▽兼島俊(無所属・新)3638票
▽渡口初美(無所属・新)3482票
野党が支援した前衆議院議員の玉城氏が、自民・公明両党などが推薦した前宜野湾市長の佐喜真氏らを破り、初めての当選を果たしました。
玉城氏は沖縄県出身の58歳。タレントとして活動したあと、平成21年の衆議院選挙で初当選し、自由党の幹事長を務めています。
玉城氏は、8月に死去した翁長知事の遺志を受け継ぐとして、政府が進めるアメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設阻止を訴え、知事を支持してきた共産党や社民党などの支持層を固めたほか、いわゆる無党派層の支持も集め、初めての当選を果たしました。
玉城氏は「翁長知事の礎を継承し、発展させていく。埋め立て承認の撤回を支持し、名護市辺野古への移設反対をぶれずにやっていく」と述べました。
対する佐喜真氏は、地域経済の振興などを訴え、自民・公明両党の全面的な支援を受けましたが、及びませんでした。
一方、宜野湾市の市長選挙も30日に投票が行われ、自民・公明両党などが推薦した前副市長の松川正則氏(65)が初めての当選を果たしました。
玉城氏「翁長知事の礎を継承・発展を約束したい」
玉城氏は「本当に身の引き締まる思いでいっぱいです。翁長知事の礎を継承し、発展させていくことを約束したい。埋め立て承認の撤回を支持し、名護市辺野古への移設反対をぶれずにやっていく。対立や分断を持ち込んでいるわけではなく、経済については国としっかり協議をしたいが、県民が認められないものはしっかり政府に突きつけていく」と話していました。
佐喜真氏「申し訳なく思う」
佐喜真淳氏は「結果は私の不徳の致すところで申し訳なく思う。まだ、つぶさに結果を見ていないので、すぐに話はできないが、4つの党や各種団体の推薦を受けて戦ってきたが、『県民の暮らしが最優先』という訴えが県民に浸透できなかった」と述べました。
玉城候補を支援した各党は
立憲民主党の福山幹事長は「翁長前知事の遺志を継承する県政を県民が選択し、辺野古新基地建設撤回を支持する県民の意志が改めて明確となった。政府・与党は、県民の選択に真摯(しんし)に向き合い、県民の意志に反する安全保障政策に有効性はないことや、政府・与党の都合を押しつける手法はもはや通用しないことをしっかりと肝に銘ずるべきだ。辺野古新基地建設の埋め立て工事の再開などは、到底あってはならない」という談話を発表しました。
国民民主党の玉木代表は「争点となった辺野古の新基地建設問題については、今回示された沖縄の民意を尊重し、政府が強引に手続きを進めることがないよう、沖縄県と丁寧な話し合いを行うことを求める。あわせて、日米地位協定の改定に向けた具体的な作業を開始することを求める」という談話を発表しました。
共産党の志位委員長は「辺野古に新基地はつくらせない、普天間基地は即時閉鎖・撤去をという県民の確固たる意思を示したもので、翁長知事の遺志を引き継ぎ、県民が勝ち取った歴史的勝利だ。安倍政権は、沖縄に対する強権政治をきっぱりやめ、県民の意思を重く受け止め、名護市辺野古の新基地建設を直ちに中止すべきだ」という談話を発表しました。
自由党の小沢代表は「翁長前知事の心をしっかりと受け継ぎ、沖縄のあるべき姿や未来について、具体的に情熱的に訴えかけてきた姿勢が理解された。辺野古移設問題は、はっきりとした民意が示された。国は重く受け止めて反省し、沖縄に重荷を押しつけることのないよう、解決に力を尽くすべきだ」という談話を発表しました。
社民党の吉川幹事長は「玉城氏とともに、沖縄県の過剰な基地負担を全国で受け止め、辺野古新基地建設阻止や普天間基地の即時、運用停止と閉鎖・撤去などを強く求めていく。安倍政権は、辺野古移設を断念し、県民が平和に生きる権利の具体化に努めるべきだ」という談話を発表しました。
佐喜真候補を推薦した各党は
自民党の塩谷選挙対策委員長から選挙結果の報告を電話で受けた安倍総理大臣は「残念だけどしょうがない」と述べたということです。
自民党の二階幹事長は「あと一歩及ばず、残念な結果となった。沖縄県民の審判を厳粛に受け止め、敗因をよく分析し、党組織の拡充強化に努めつつ、県民の期待に応えられるよう、さらに研さん努力していきたい」とするコメントを出しました。
公明党の斉藤幹事長は「敗因は、知名度不足と、佐喜真候補の人柄、能力、実績を沖縄県全域に浸透させる時間がなかったことだ。新知事には、県民生活の向上や普天間基地の危険除去という佐喜真候補が訴えた政策も考慮に入れた県政を望みたい」とする談話を発表しました。
日本維新の会の馬場幹事長は「沖縄県民の民意として厳粛に受け止めたい。沖縄の問題は基地問題だけではない。新しい知事には、経済政策や暮らし、子育て支援など、県民の目線に立った県政運営を望みたい」というコメントを発表しました。
希望の党の松沢代表は「辺野古移転は普天間基地の危険除去のための唯一の解決策ということについては、県民に一定の理解を頂いたと思っている。今後、玉城氏が、普天間基地の危険性除去についての具体的な代替案を提示することをせつに望んでいる」というコメントを発表しました。
米国務省「沖縄の貢献を評価」
玉城氏の当選を受けて、アメリカ国務省は「玉城氏の当選に祝意を伝えるとともに、今後、一緒に仕事をしていくことを楽しみにしている」というコメントを発表しました。
この中で、国務省は「アメリカ政府は、日米同盟と2国間の安全保障に対する沖縄の貢献を非常に重んじている」と沖縄の重要性を強調しています。
一方で、玉城氏が反対する立場を鮮明にした普天間基地の移設問題については言及しておらず、日米両政府で合意した名護市の辺野古沖に移設する計画を維持していく方針です。 (NHK NEWS WEB 2018年10月1日 5時00分)
福岡でクリニックをやっている甥が主宰する「新ネット俳句」という冊子の制作にお手伝いさせてもらっていることから、俳句というものを少しずつ理解するようになりましたが、まだ俳句を作る境地にはなっていません。
まあ、無趣味な野郎としては致し方ないのかもしれません。当分俳句について考えてみたいと思います。
正岡子規は明治時代を代表する俳人で、俳句の革新を成し遂げたことで有名な人です。松尾芭蕉と並んで、俳聖の称号で呼ばれることもあります。
彼の大きな功績は、以下の三つです。
1・俳諧から発句を独立させて、俳句という呼び名を与えたこと。
2・江戸時代以来の陳腐な俳句を、月並み俳句と呼んで否定し、写生による現実密着型の俳句を確立させたこと。
3・松尾芭蕉の神格化の否定と、与謝蕪村の再評価。
正岡子規にとって俳句は、自由で多様性に溢れた物であったのですが、明治時代の俳壇では、松尾芭蕉が神格化されていた悪影響から、陳腐でツマラナイ月並み俳句ばかりが作られていました。
このことに危機感を抱いた子規は、与謝蕪村を芭蕉の対抗馬としてあてがい、蕪村は人にはあまり知れていないが、芭蕉に優る価値があると評価しました。
彼は新聞『日本』の記者であり、この中で俳句に関する記事を連載したために、非常に大きな影響を人々に与えることができました。
子規は、明治維新の前年に下級武士の子供として生まれました。
父親が早くに死んでしまったため、母方の祖父から漢書の素読を習いました。
学校に入学してからは、漢詩を作ったり、絵を習ったり、軍談を聞いたりもしました。また自由民権運動にも興味を示して、政談にも熱中しました。
16歳の時に中学校を中退して上京し、受験勉強を一年した末に東大予備門に入学しました。このころから、子規は俳句を作るようになります。
ここで子規は、夏目漱石と知り合い、友人となります。
漱石は子規のことを、「ぼくはきみを、ぼくの友人のなかでもすぐれた考えをもち、自分の力で人生をきりひらいていく人だと信じている」と高く評価しています。
その後、23歳にして彼は結核にかかってしまい、吐血します。また、この頃から、俳句や漢詩を作る会を結成して、その中心的な人物となっていき、俳号・子規を名乗るようになりました。
文学に興味を持ち始めた子規は、最初は哲学を志して帝国大学哲学科に進学したものの、その翌年には国文科に移ります。
国文科に入った子規は、小説にも興味を示して『月の都』という小説を執筆して、尊敬する作家の幸田露伴(こうだろはん)に見てもらいますが、良い評価が得られず、小説家の道には挫折します。
子規は25歳で大学を中退し、日本新聞社に入社して、新聞記者となりました。その翌年から、「獺祭書屋俳話(だっさいしょおくはいわ)」を連載し、俳句の革新運動を始めました。
28歳の時に、根岸(東京都台東区)に移り、故郷、松山より母と妹を呼び寄せました。この新居は子規庵と呼ばれ、多くの友人、門弟が集まり、句会歌会の場として賑わいました。
この地名から、子規一門を「根岸派と呼ぶようになりました。
しかし、日清戦争を取材してから、子規の結核は悪化し、歩くこともできない身体になってしまいました。
その後は、詩の世界に専念することとなり、1897年(明治30年)に俳句雑誌『ホトトギス』(ほとゝぎす)を創刊します。
ホトトギスでは、夏目漱石の『坊っちゃん』『吾輩は猫である』が発表されるなどして話題を呼び、大正、昭和初期において、俳壇の中心的な雑誌として、隆盛を誇ります。
夏目漱石と子規とは生涯の親友で、イギリスに留学した漱石は、闘病生活を続ける子規を慰めるために、ロンドンでの暮らしについて語った手紙を送っています。子規はこれを非常に喜んで『倫敦消息』という題名を付けて、ホトトギスに掲載しました。
子規は、病床の身でありながら、根岸短歌会を主催して短歌の革新にも努めました。しかし、その身体は日に日に弱っていき、死の1年前の1901年、ロンドンで英文学の勉強を続ける夏目漱石に
「ぼくはもうだめになってしまった。毎日わけもなく号泣しているような次第だ。……ぼくはとても君に再会することはできないと思う。……じつはぼくは生きているのが苦しいのだ」
という自らの悲痛な心境を綴った手紙を送っています。
そして、34歳の若さで、漱石に再会することなく、この世を去りました。
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貴乃花親方退職へ=告発状めぐり、協会に反論-優勝22回「平成の大横綱」 ―― 大相撲の元横綱貴乃花親方(46)=本名花田光司、東京都出身=が25日、日本相撲協会に退職届を提出した。
貴乃花親方は同日、東京都内で記者会見し、退職を決めた理由に、弟子の貴ノ岩が元横綱日馬富士に暴行された事件への協会の対応をめぐって内閣府へ提出した告発状の内容が事実無根であることを認めるよう求められたことを挙げ、「真実を曲げて認めることはできない」と語った。3月に提出した告発状は、その後取り下げている。
協会は7月の理事会で全ての親方が五つある一門のいずれかに所属することを決定。阿武松グループや無所属だった10人の親方は出羽海、二所ノ関一門に加わることになった。貴乃花親方によると、いずれかの一門に所属するためには、告発状が事実無根と認めなければならなかったという。
貴乃花親方は現役時代、歴代6位の優勝22度を誇り、「平成の大横綱」と称された。引退後は一代年寄「貴乃花」となり、2010年には37歳で協会理事選に立候補して初当選。この時に支えた親方衆と編成した「貴乃花グループ」は、14年に貴乃花一門になった。
元日馬富士の暴行事件をきっかけに協会と対立したが、3月の春場所で弟子が付け人に暴力を振るったことを受け、姿勢を軟化させた。4月には一連の騒動への責任を取って一門の名称変更を申し入れ、その後無所属になった。
◇貴乃花親方の略歴
貴乃花 光司(たかのはな・こうじ) 元横綱貴乃花、本名花田光司、東京都出身。46歳。元大関初代貴ノ花(故人)の次男として生まれ、88年春場所に貴花田のしこ名で、兄の若花田と初土俵。17歳2カ月で新十両、17歳8カ月で新入幕、20歳5カ月での大関昇進は最年少記録。94年九州場所後に横綱に昇進。優勝22回は歴代6位。03年初場所を最後に引退し、一代年寄「貴乃花」に。10年には37歳で日本相撲協会理事選に立候補して当選し、審判部長、総合企画部長、巡業部長などを歴任。1月に理事を解任され、2月の協会理事候補選で落選した。 (JIJI.COM 2018/09/25-21:27)
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藤井聡太七段、最後の若手棋戦で決勝進出!青嶋未来五段下す/将棋・新人王戦準決勝 ―― 将棋の最年少棋士・藤井聡太七段(16)が、自身最後の出場となる若手棋戦・新人王戦の準決勝で、青嶋未来五段(23)を114手で下し、決勝三番勝負へと進出した。決勝では出口若武三段と対戦する。
昨年は佐々木大地四段に準決勝で敗れていた藤井七段だが、若手実力者の1人である青嶋五段に対して快勝。一般棋戦では、今年2月に優勝した朝日杯将棋オープン戦以来となる決勝進出を果たした。対局後は「中盤の仕掛けの成否は微妙かなと思ったんですが、押さえ込まれる展開にならず、少し指せるようになったかなと思いました。決勝まで進むことができて、公式戦での番勝負は初めてですけど、しっかりと全力を尽くしたいと思います。新人王戦は最後になりますけど、あまり意識しすぎてもよくないので、自然体でいたいと思います」と語った。
https://www.youtube.com/watch?v=aey28jwdw18
史上最多の29連勝のほか、数々の最年少記録を持つ藤井七段だが、実質プロ2年目で、若手棋戦での優勝はまだない。昨年までは3つある若手棋戦(新人王戦、加古川青流戦、YAMADAチャレンジ杯)に出場していたが、この1年で五段、六段、七段と記録的なスピードで昇段。加古川青流戦、YAMADAチャレンジ杯の参加条件からはずれてしまい、ぎりぎりで参加できた新人王戦も今期が最後になっている。 (Abema Times 2018.09.25 17:22)
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大相撲秋場所 白鵬が14回目の全勝優勝 ―― 大相撲秋場所は東京・両国の国技館で千秋楽の取組が行われ、22日に41回目の優勝を決めた白鵬が鶴竜との横綱どうしの一番を制し、14回目の全勝優勝を果たしました。ケガからの復活を目指す横綱 稀勢の里は10勝5敗で今場所を終え、来場所に期待がかかります。
中入り後の勝敗
十両の安美錦に千代丸は安美錦の不戦勝。千代丸は足の甲の骨を折り千秋楽を休場しました。
隠岐の海に貴ノ岩は貴ノ岩が上手出し投げ。
碧山に琴勇輝は碧山がはたき込み。
竜電に大翔丸は竜電が寄り切り。
北勝富士に嘉風は嘉風が寄り切りで11勝目。
錦木に琴奨菊は錦木が寄り切りで10勝目。敗れた琴奨菊は負け越しです。
宝富士に佐田の海は宝富士が突き出し。
千代翔馬に栃煌山は栃煌山が下手ひねりで8勝目、勝ち越しを決めました。
松鳳山に隆の勝の初顔合わせの一番は松鳳山が突き出し。
石浦に阿武咲は阿武咲が押し倒し。
輝に大栄翔は大栄翔が押し出しで8勝目、勝ち越しを決めました。敗れた輝は負け越しです。
豊山に千代の国は豊山がはたき込み。
正代に魁聖は魁聖が寄り切りで勝って勝ち越しを決めました。
勢に千代大龍は千代大龍が押し出し。
朝乃山に貴景勝は貴景勝が押し出し。敗れた朝乃山は負け越しです。
玉鷲に遠藤は玉鷲が押し出し。
妙義龍に逸ノ城は逸ノ城が突き落としで勝って、勝ち越しを決めました。
関脇 御嶽海に阿炎は御嶽海がはたき込み。
22日に角番を脱出した大関 栃ノ心に大関 高安は栃ノ心が送り出し。
途中休場を含めて8場所連続休場からの復活を目指す横綱 稀勢の里に大関 豪栄道は豪栄道が突き落とし。稀勢の里は10勝5敗で今場所を終えました。
横綱 鶴竜と22日に5場所ぶり41回目の優勝を決めた横綱 白鵬は白鵬が送り出しで勝ちました。白鵬は歴代1位のみずからの記録を更新する14回目の全勝優勝を果たしました。
白鵬「相撲の神様がほほえんだ」
大相撲秋場所で14回目の全勝優勝を果たした横綱 白鵬は「久しぶりに相撲の神様が私にほほえんでくれ最高です。ことしは、けがに泣き、4月に父が天国に旅立って寂しい思いをしたが、無事にいい報告ができる。今後は、けがとどううまく付き合っていくかが土俵人生と関わってくる。3人の横綱が久しぶりに土俵を全うし、精いっぱい、自分の相撲を考えて戦った。19歳から積み上げた白星が1000勝に、こんなに早く届くとは信じられない。最高です」と時折、ほほえみを交えて話していました。
八角理事長「優勝のしかたわかっている」
日本相撲協会の八角理事長は、白鵬の全勝優勝で幕を閉じた秋場所について、「上位が安定していた。白鵬は優勝のしかたがわかっていて、ここを締めないともつれるというところをしっかり勝っていった。優勝もさることながら、優勝を決めたあとも力を出し切るのはたいしたものだ」と全勝優勝の白鵬をたたえました。
また、復活を目指した場所で10勝5敗の横綱 稀勢の里について「ずっと休場していて普通の場所よりも相当、精神的に疲れたと思うが、それを乗り切れたのは自信になると思う。次の場所に向けて、1週間休んでリラックスして、また巡業で稽古をして鍛えることだ。立ち合いで当たってからの圧力を戻してもらいたい」と話していました。
稀勢の里の兄弟子「優勝して本当の復活」
横綱 稀勢の里について、兄弟子にあたる元関脇 若の里の西岩親方は「これだけ長期の休場から復帰した場所で、10勝できたのはよかったのではないか。ただ、優勝をして本当の復活だと思う。今場所はスタートの場所で、次、またその次もあるので、横綱として優勝をしてほしい。今のように精進を重ねていけば、いつかはそういう日が来ると信じている」と述べ、今後の活躍に期待していました。
審判部長「若手が跳ね返された場所」
日本相撲協会審判部で審判部長を務める阿武松親方は秋場所について、「上位陣がいいと引き締まるなと感じた。ただ、三賞の受賞者がおらず、若手が跳ね返された場所だったので、また頑張ってもらいたい」と話しました。
復活をかけて臨み10勝を挙げた横綱 稀勢の里については「序盤は本当によく頑張って切り抜けたと思うし、来場所につながる場所になったと思う」と評価したうえで、千秋楽で豪栄道に敗れた一番については、「あの負け方は得意の左を封じられた時に、どう相撲を取るかという課題が見えた」と指摘しました。
一方、今場所、大関昇進を目指したものの9勝6敗で昇進が見送りとなった関脇 御嶽海については、「やり直しではあるが、また鍛え直してチャレンジしてもらいたい。来場所も勝ち続けていれば、また昇進の話が出てくるだろう」と述べ、来場所の成績しだでは、大関昇進の可能性が残っているという見解を示しました。
鶴竜「優勝なくなっても気持ち切らさないことが課題」
10連勝のあと5連敗の横綱・鶴竜は「10日目までは100点、それ以降は0点だった。優勝の可能性がなくなっても気持ちを切らさないことが課題だ」と反省したうえで、「みんなそろって最後までできたのはよかった」と横綱・大関が15日間土俵を務められたことを喜んでいました。
御嶽海「2桁勝利は遠い」
9勝6敗で今場所後の大関昇進は見送りとなった関脇・御嶽海は「いいプレッシャーを感じた。なかなか経験できるものじゃないしいい15日間だった。2桁勝利は遠いね。来場所は10勝できる体力と地力をつけたい」と時折、寂しげな表情を見せて話していました。 (NHK NEWS WEB 2018年9月23日 18時36分)
ウェブニュースより
大相撲秋場所 14日目の結果 ―― 大相撲秋場所は東京 両国の国技館で14日目の取組が行われ、優勝争いのトップに立つ白鵬が大関 豪栄道と対戦し、上手投げで勝ちました。白鵬は幕内での通算勝利数1000勝を成し遂げ、23日の千秋楽を待たずに5場所ぶり41回目の優勝を果たしました。
中入り後の勝敗です。
十両の荒鷲に琴勇輝は、琴勇輝が突き出しで勝ちました。
千代翔馬に隠岐の海は、隠岐の海が上手投げで勝ち越しを決めました。
竜電に佐田の海は、佐田の海が寄り切りで勝ち越し。
大栄翔に隆の勝の初顔合わせの一番は、隆の勝が押し倒し。隆の勝が新入幕の場所で勝ち越しを決めました。
貴ノ岩に北勝富士は、北勝富士が押し出し。
大翔丸に石浦は、石浦が寄り切り。
碧山に宝富士は、碧山がはたき込み。敗れた宝富士は負け越しです。
錦木に松鳳山は、錦木が小手投げ。敗れた松鳳山は負け越しです。
栃煌山に千代丸は、栃煌山が突き落としで7勝目。敗れた千代丸は負け越しです。
琴奨菊に輝の初顔合わせの一番は、琴奨菊が押し出しで7勝目をあげました。
朝乃山に嘉風の初顔合わせの一番は、嘉風が突き落としで10勝目をあげました。
遠藤に豊山は、遠藤が突き出し。
阿武咲に勢は、勢がはたき込み。
魁聖に千代大龍は、魁聖が寄り切りで7勝目。
千代の国に玉鷲は、千代の国が突き出し。
貴景勝に妙義龍は、貴景勝が引き落としで勝ち越し。
逸ノ城に正代は、逸ノ城がはたき込み。敗れた正代は負け越しです。
大関 栃ノ心に阿炎は、栃ノ心が下手投げで角番を脱出しました。敗れた阿炎は負け越しです。
大関 高安に関脇 御嶽海は、御嶽海が突き落としで勝ち越し。
途中休場を含めて8場所連続休場からの復活を目指す横綱 稀勢の里に横綱 鶴竜は、稀勢の里が寄り切りで10勝目。
横綱 白鵬に大関 豪栄道は、白鵬が上手投げ。
白鵬は幕内の通算勝利数1000勝を成し遂げ、千秋楽を待たずに5場所ぶり41回目の優勝を果たしました。
各力士の談話
▽新入幕の場所で勝ち越した隆の勝
「うれしいです。気持ちが楽になりました。勝ち越しは大きいですね。新入幕で戦えるかどうか不安でしたが勝てて自信になりました。次の九州場所では二桁勝ちたいです」。
▽連敗を止めて9勝目をあげた北勝富士
「相手に右を差させないように、まわしを取らせないようにした。連敗していたのでストレス発散でカラオケに行きました。気持ちを切り替えられました」。
▽嘉風は二桁勝利
「若くて勢いと実力のある相手にしっかり相撲を取れたことは自分を評価したい。36歳になったが、いまだに自分の相撲というものがわかっていないが、日々成長、経験させてもらっている。いい緊張感と集中力で土俵に上がれている。あすの千秋楽も自分の相撲で締めくくれたらと思う」。
▽5連勝で勝ち越しを決めた貴景勝
「勝ててよかった。気持ちで負けないように押し相撲をするしかないと思って、まわしに手を回されないよう意識して臨んだ。あすは後悔なく場所を終わりたい」と気を引き締めていました。
▽大関 栃ノ心は14日目で角番脱出
「やっと勝ち越しました。いつもと違う8勝ですね。プレッシャーは毎日ありましたが何とか勝ちました。これからは、立ち合いのまわしの取り方などを稽古して自分に自信をつけたい。あと一番あるのでいい相撲を取りたい」とほっとした様子でした。
▽関脇 御嶽海は14日目で勝ち越し
「最低目標でした。白星を重ねている大関に勝ててよかったです。あすの千秋楽はしっかり白星で終わりたい」と淡々。
▽稀勢の里は、鶴竜との横綱どうしの一番を制し二桁勝ち星「まだあしたありますから」。
▽敗れた鶴竜
「落ち着いて取ればよかった。また一つ勉強になった」と冷静。
▽横綱 白鵬
「場所前の状態はあまりよくなかった。以前は肉体よりも精神が必要だったが、今は心に体がついて来なかった。通算の1000勝は千代の富士関と魁皇関が達成していますが、今回の幕内1000勝は誰も達成していないものですから、未来の子どもたちに大きな目標を作ったと思う。目指せ1001勝」。 (NHK NEWS WEB 2018年9月22日 18時58分)
ウェブニュースより
宇良 復帰場所で6勝1敗「ケガなく終われて安心」 ―― 右膝の大けがから復帰した東三段目91枚目の宇良(26=木瀬部屋)が太一山に勝って、6勝1敗で今場所の相撲を終えた。
「ケガなく終われて安心しました。相撲をとれる喜び。最後まで相撲がとれた」
大きく番付が上がる来場所に向けては「自分もレベルアップできるようにしたい」と意気込んだ。
宇良は、幕内上位だった昨年秋場所で右膝前十時じん帯を断裂し途中休場。翌九州場所から5場所連続で全休。三段目下位まで番付を落として秋場所で復帰した。 (09/21 13:42 スポニチアネックス)
大相撲秋場所13日目 白鵬が稀勢の里に勝って全勝守る ―― 大相撲秋場所は、東京・両国の国技館で13日目の取組が行われ、白鵬と稀勢の里が横綱どうしで初めて対戦し、白鵬が寄り切りで勝って全勝を守りました。22日、結びの一番で白鵬が勝てば、白鵬の41回目の優勝が決まります。
中入り後の勝敗
十両の矢後に千代丸は、千代丸がすくい投げで勝ちました。
佐田の海に石浦は、佐田の海が寄り切り。
碧山に隆の勝の初顔合わせの一番は、碧山がはたき込み。
嘉風に大翔丸は、嘉風が押し出し。一方、大翔丸は負け越しです。
北勝富士に錦木は、錦木が軍配差し違えで寄り切りで勝ちました。錦木は勝ち越しです。
竜電に琴奨菊は、竜電が寄り切り。
宝富士に千代翔馬は、千代翔馬が突き落としで勝ち越しを決めました。
琴勇輝に栃煌山は、栃煌山がはたき込み。敗れた琴勇輝は負け越しです。
松鳳山に隠岐の海は、隠岐の海が押し出し。
輝に貴ノ岩は、輝が押し出し。
大栄翔に朝乃山は、大栄翔が寄り倒し。
阿武咲に遠藤の初顔合わせの一番は、軍配差し違え、遠藤がはたき込みで勝ちました。
千代の国に魁聖は、魁聖が寄り切り。
勢に豊山は、豊山が突き落とし。
玉鷲に貴景勝は、貴景勝が突き出し。
千代大龍に逸ノ城は、逸ノ城が押し出し。
関脇・御嶽海に妙義龍は、御嶽海が押し出し。
正代に角番の大関・栃ノ心は、正代がすくい投げ。
阿炎に大関・高安は高安が突き出しで勝って2敗を守りました。
途中休場を含めて8場所連続休場からの復活を目指す横綱・稀勢の里に横綱・白鵬は、21日が60回目の対戦。横綱どうしでは初めてで、白鵬が寄り切りで勝って全勝を守りました。白鵬は、これで幕内1000勝まであと1勝としました。
横綱・鶴竜に大関・豪栄道は、豪栄道が押し出しで2敗を守りました。敗れた鶴竜は3敗目を喫しました。
秋場所は、13日目を終えて全勝が白鵬ただ1人、2敗で大関の高安と豪栄道が追う展開です。
22日、14日目の結びの一番で白鵬が豪栄道に勝てば、白鵬の41回目の優勝が決まります。
各力士の談話
十両で初めての勝ち越しを決めた炎鵬は「押し切れないと感じたので、相手が出るところを待ってタイミングよくいなした。気分は、なかなかいい。終盤に勝っているのも自信になる。1日1日、ベストコンディションでできている。精神的にもひとまわり大きくなったのではないか」と充実している様子でした。
軍配差し違えのきわどい相撲で勝ち越しを決めた錦木は、取組で腕を痛めた様子で「最初は、動かなくなりしびれて痛かった。体が動いている。場所前に出稽古に行ったことがいい経験になった」と腕を気にしていました。
一方、敗れた北勝富士は7連勝のあと1勝5敗の結果に「弱いだけです。話しになりません」と悔しそうでした。
9勝目を挙げた嘉風は「全部、よかったと思います。あと1勝でふたけた勝利ですが、勝ち負けよりもいい相撲を取ると決めています」と気を引き締めていました。
竜電も9勝目を挙げて「立ち合いでしっかり当たれたのがよかった。土俵際も必死だった。ここからしっかりやって力を出し切っていきたい」と話していました。
勝ち越しを決めた千代翔馬は「自分の形に持ち込むことができた。今場所、いちばんいい自分の相撲。こんなにうれしい勝ち星は、新入幕以来だ。チャンスがあるならば、ふたけた勝利を目指して一番、一番取りたい」と笑顔でした。
関脇・御嶽海は7勝目を挙げて「あすの大関戦で勝って勝ち越しを決めたいですね」と気合いが入っている様子でした。
横綱・稀勢の里と初めて対戦し全勝を守った横綱・白鵬は、「相撲に厳しさがあったかな。左を差した形で1年前に負けているから同じ形にもう1回チャレンジした感じだ。いい緊張感で臨みました。場所を引っ張る気持ちがあったからお客さんもそれを感じたのかな」と冷静に話していました。
一方、敗れた稀勢の里は、支度部屋では無言でした。
横綱・鶴竜を破って2敗を守った大関・豪栄道は「完璧だったね。自分の相撲を取れた。一番、一番自分の相撲を集中してやるだけだ。あすの横綱戦についてはあす考える」と気を引き締めていました。
一方、鶴竜は3敗目を喫し優勝の可能性がなくなり「集中力がないですね。きょうのような立ち合いをするつもりはなかった。残り2日、横綱としてのつとめを大事に取りたい。稀勢の里との一番は、楽しみたい。しっかり盛り上げるいい相撲を取りたい」と答えていました。 (NHK NEWS WEB 2018年9月21日 18時35分)
ウェブニュースより
大相撲秋場所12日目 白鵬は全勝 稀勢の里は9勝目 ―― 大相撲秋場所は、東京・両国の国技館で12日目の取組が行われ、横綱・白鵬は大関・栃ノ心にすくい投げで勝ってただ1人全勝です。復活を目指す横綱・稀勢の里は、関脇・御嶽海に寄り切りで勝って9勝目を挙げました。
中入り後の勝敗です。
十両の明生に千代翔馬は、明生が押し出しで勝ちました。十両の明生は勝ち越しです。
錦木に琴勇輝は、錦木が押し出し。
石浦に碧山は、碧山が押し出し。
大栄翔に竜電は、大栄翔が突き落とし。
大翔丸に千代丸は、千代丸が寄り切り。
琴奨菊に嘉風は、嘉風が寄り切りで勝ち越しを決めました。
貴ノ岩に松鳳山は、松鳳山が押し出し。
新入幕・隆の勝に輝の初顔合わせの一番は、隆の勝が寄り切りで7勝目。
阿武咲に隠岐の海は、隠岐の海が押し出し。
北勝富士に妙義龍は、妙義龍が取り直しの一番を引き落としで制して勝ち越しを決めました。
朝乃山に佐田の海は、佐田の海が土俵際の逆転の下手投げで勝ちました。
宝富士に千代の国は、宝富士が突き落とし。
栃煌山に豊山は、栃煌山が押し出し。
遠藤に勢は、勢が押し出し。
千代大龍に玉鷲は、千代大龍が引き落としで勝ちました。
貴景勝に正代は、貴景勝が突き出し。
逸ノ城に魁聖は、逸ノ城が上手投げ。
阿炎に大関・豪栄道は、豪栄道が引き落としで2敗を守りました。
横綱・白鵬に角番の大関・栃ノ心は、白鵬がすくい投げで勝ちました。
大関・高安に横綱・鶴竜は、高安が上手投げで2敗を守りました。一方、鶴竜は2敗目を喫しました。
関脇・御嶽海に途中休場を含めて8場所連続休場からの復活を目指す横綱・稀勢の里は、稀勢の里が寄り切りで勝って9勝目を挙げました。
秋場所は、12日目を終えて、全勝が白鵬ただ1人、1敗がいなくなり、2敗の鶴竜、豪栄道、高安が追う展開です。
21日の13日目は、稀勢の里が横綱に昇進してから初めて白鵬と対戦します。
全勝の白鵬「あすの稀勢の里戦楽しみです」
勝ち越しを決めた嘉風は、「先場所13連敗していたので、勝ち越しはうれしいですね。今場所は、特に何も意識せずに臨んだ。自分の相撲を取れてうれしいです。あと3日、自分らしい相撲を取って来場所につなげたい」と笑顔でした。
新入幕・隆の勝は7勝目を挙げ「脇を締めて、立ち合いの圧力がよかった。中に入って低くいくことをイメージした。3連勝の勢いを止めないでいきたい。後半戦に入っても体がもつようになって、体力がついた感じだ」とニコニコとうれしそうでした。
取り直しの一番を制して勝ち越しを決めた妙義龍は、「土俵に上がる前からきょうは、我慢しようと思っていた。気持ちは、いっぱい、いっぱいですが、最後まで無事にやるだけです」と話していました。
2敗を守った大関・豪栄道は、「立ち合いは、よかったかな。なかなか難しい相手だった。1日一番。その気持ちだけ。集中していきたい」と落ち着いた様子で話していました。
ただ1人、全勝の横綱・白鵬は、「栃ノ心は手足が長いね。結果的に上手が深かった分、対応できた。相撲の流れがよかったし反応もよかった。一番、一番ですよ」と話しました。21日の13日目に横綱・稀勢の里と初めて対戦することについて、「楽しみです。あしたは特別だね」と心境を話したうえで、「この日を待っていたか?」という質問に対し「そんなところだね」と21日の一番に思いをはせている様子でした。
横綱・鶴竜を破って2敗を守った大関・高安は、「立ち合いで中途半端にならないようにすることだけを意識して、ベストを尽くすことを心がけた。しっかり胸を合わせられたので焦る気持ちはなかった。あす以降は、しっかり自分のスタイルで土俵の上で悔いの残らないようにやるだけ」と淡々と話していました。
一方、敗れた横綱・鶴竜は、「思ったような立ち合いではなかった。相手がタイミングよく投げをうってきた。きょうは、相手の相撲を取らせてしまった。あすしっかり切り替えたい」と悔しそうでした。
9勝目を挙げた横綱・稀勢の里は、報道陣の「じっくりと落ち着いていたか?」という質問に対し「ああ、そうですね」と話し、「疲れてはいないか?」という問いに対しては、「まあ、そうですね」といつもどおり淡々と答えていました。
一方、敗れた関脇・御嶽海は、「何も勝機がなかった。まあ、まだ場所は終わっていませんから」といらだちを隠しませんでした。 (NHK NEWS WEB 2018年9月20日 19時23分)
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