現代の世界七不思議⑥ペルーのインカ帝国遺跡マチュ・ピチュ
マチュ・ピチュ(スペイン語:Machu Picchu)は、15世紀のインカ帝国の遺跡で、アンデス山麓に属するペルーの尖った絶壁の山々がそびえるウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2,430m)にあります。
当時、インカ帝国の首都はクスコで、標高3,400mに位置します。標高2,430mのマチュ・ピチュから、さらに約千メートル高い場所にその首都がありました。現在のクスコはペルー有数の都市でその市街地は世界遺産(文化遺産)です(1983年に登録されました)。
なお、インカ帝国は1533年にスペイン人による征服により滅亡しましたが、アンデス文明は文字を持たないため、マチュ・ピチュの遺跡が何のために作られたのか、首都クスコとの関係・役割分担など、その理由はまだ明確に分かっていません。
マチュピチュとは老いた峰を意味します。山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれるこの遺跡は、スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を練るために、インカの人々が作った秘密都市だったともいわれています。
「太陽の神殿(the Temple of the Sun)」は、マチュピチュ遺跡観光の人気スポットです。高さ5mのカーブした石壁に囲まれ、東の窓からは冬至の朝、南の窓からは夏至の朝、日が差し込む太陽信仰に基づいた造りをしています。
インカ帝国の太陽信仰では、王は太陽の子孫だとされていたのです。
「3つの窓の神殿(Temple of the Three Windows)」に開けられた台形の窓も、夏至の日の出の方向を示し、インティワタナ(Intihuatana)の石柱は、正確に東西南北を示しています。
マチュピチュの総面積は5平方km、その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められています。16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに奥地へと消えてしまいます。
その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていたといいます。マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていません。
―③イタリア・ローマの古代競技場コロッセオ― も中世版と重なりますので、―④ヨルダンの古代都市遺跡群ペトラ―について調べました。
現代の世界七不思議④ヨルダンの古代都市遺跡群ペトラ
ヨルダン中南部に位置し、死海とアカバ湾の間にある渓谷に築かれた古代都市ペトラ。
砂漠地帯にこつ然と現れるこの巨大な遺跡は、ペルシャ語で「崖」を意味する名前の通り、高さ約60~100mにも及ぶ断崖絶壁と、「シーク」と呼ばれる岩の裂け目によってできた幅3mほどの細い道で構成されています。
この天然の要害ともいえる地形を利用して、紀元前2世紀頃、遊牧民族ナバテア人によって築かれました。
ナバテア人は、もともとペトラ周辺を拠点に活動していた遊牧民でしたが、砂漠を移動するキャラバン隊との貿易によって莫大な富を築くと、すでにペトラに住んでいた先住民エドム人を追いやって、この地で定住生活を営むようになったといいます。
ナバテア人は切り立つ断崖を削ることにより、ほかに類を見ない巨大な建築物を次々と生み出していきました。
同時にペトラはアラビア交易の中継地として栄え、最盛期には数万人ともいわれる人口を抱える大都市に発展。アラビアの北西一帯を支配するまでに至りました。
この砂漠の都市がここまで繁栄した理由のひとつに挙げられるのが、ナバテア人の治水技術の高さ。
ペトラ周辺は完全な岩礁地帯であるため、農業に不向きなうえ、雨が降ると、雨水が地面に吸収されることなく鉄砲水となって渓谷内を通過していくという過酷な土地でした。
そこでナバテア人はダムを作ることで鉄砲水を防ぎ、さらに街中に水道管を張り巡らせて砂漠地帯でも水が常に得られる給水システムを作り上げたのです。
遺跡には今も当時の水道管の跡などが残されていて、当時の技術の高さをうかがい知ることができます。
遺跡に残る主な建築物は、古代ギリシャ建築の影響を受けていますが、紀元前64年頃から古代ローマ帝国の将軍、ポンペイウスによってその支配下に置かれると、街にはローマ風の建築物が造られるようになっていきました。
しかしその後、たび重なる大地震などの影響で衰退の一途をたどったペトラは、ついに749年に滅亡。
1812年に発見されるまで、およそ1000年にわたって誰にも見つかることなく眠りについていたのです。
このため、「忘れられた都」とも呼ばれています。
ぺトラ観光のクライマックスは、いちばん初めにやって来ます。
それは、ペトラを象徴する建物「エル・カズネ」。
ペトラへと続く「シーク」は、人ひとりが通るのがやっとという狭さ。そして両脇には高さ約60~100mという圧倒されるほどの断崖がそびえ立ちます。
この細く暗い道を30分ほど進むと、突然視界が開けたところに「エル・カズネ」が現れるのです。
映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」の舞台としても知られるこの建物は、幅約30m、高さ約43mに及び、1世紀初め頃に造られたとされます。
「エル・カズネ」とは「宝物殿」という意味ですが、葬祭殿、霊廟、寺院など諸説あり、その使用目的は今もって謎とされています。
ペトラには数十もの遺跡があって、見所もたくさんあります。
たとえば、3000人もの収容人数を誇るローマ式の円形劇場、「王家の墓」と呼ばれる岩窟墳墓群、そして800段の石段を上り詰めた先にあるペトラ最大の遺跡「エド・ディル」(修道院)は、映画「トランスフォーマー / リベンジ」の舞台になったことでも知られています。
また、岩山の頂上にある「犠牲祭壇」は、ペトラ屈指のビューポイントとなっていて、眼下に広がる遺跡群と荒涼とした赤茶色の大地は一見の価値があります。
ちなみにペトラでは現在も発掘調査が行われていて、観光用に公開されている部分は、驚くべきことに遺跡全体の1%にすぎないとのことです。
残りの99%にいったいどんな謎が埋もれているのか、考えるとワクワクしてしまいますね!
無数のキャンドルが照らされた幻想的なペトラが見られるイベント、「ペトラ・バイ・ナイト」。
ふだんは昼間しか見られないペトラですが、このイベントでは真っ暗ななか、キャンドルの灯りを頼りに「シーク」を歩いて「エル・カズネ」まで行くことができ、さらなるアドベンチャー感を体験できます!
―①中国の万里の長城― は中世版と重なりますので、―②インドの廟堂タージ・マハル― から調べます。
現代の世界七不思議②インドの廟堂タージ・マハル
タージ・マハル(英語: Taj Mahal)は、インド北部アーグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟です。インド・イスラーム文化の代表的建築とされます。
1632年着工、1653年竣工とされます。
謀反を起こした臣下ハーン・ジャハーン・ローディー討伐に付き従っていたムムターズ・マハルは、遠征先のブルハーンプルで産褥病のため、1631年6月7日に死亡しました。彼女の遺言のひとつに、後世に残る墓を所望していました。彼女はブルハーンプルのザイナーバードの庭園に葬られ、毎週金曜日にはシャー・ジャハーンが訪れていました。
霊廟の計画はブルハーンプル滞在時には着手され始めたと考えられます。1632年の初めにムムターズ・マハルの遺体は都アーグラに送られ、ダールル・ヒラーファト・アクバラーバードの庭園に安置されましたが、シャー・ジャハーンはデカン討伐を続けます。同年6月、シャー・ジャハーンが遠征を終えるとアーグラに戻り、ムムターズ・マハルの一回忌追悼式典が催され、霊廟建設が開始されました。基礎工事を経て1636年には白い霊廟がほぼ完成します。さらにこれを挟んでモスクと集会場・尖塔・大楼門が建設されました。大楼門北側には「神のご加護により、1057年竣工」という文字が刻まれています。イスラーム暦1057年は西暦1648年であり建設開始から17年を経ていますが、その後に付帯設備が5年間をかけて整備され、すべての工事は1653年に完了しました。なお、シャー・ジャハーンは、タージ・マハルと対をなす形でヤムナー川を挟んだ対岸に黒大理石で出来た自身の廟を作ろうとしたとされますが、これは実現しませんでした。
名前の由来は不確定ながら、王妃ムムターズ・マハルのムムが消え、ターズがインド風発音のタージになったといいます。ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号であるといいます。また、彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーグムとされます。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になります。
また、地元では親しみを込めてビービー・カー・ラウザと呼ばれていました。ビービーは親しみを込めた貴婦人への呼びかけ。カー・ラウザは「(その貴婦人)の廟園」を意味します。
1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、2007年に新・世界七不思議に選出されました。
ウェブニュースより
日本各地で「国連ブルー」にライトアップ 世界難民の日 ―― 国連が定めた「世界難民の日」の20日、東京スカイツリー(東京都墨田区)など全国各地のランドマークが「国連ブルー」に染められた。
国連難民高等弁務官事務所によると、2018年に世界で避難を強いられた人は7千万人を超えた。南米のベネズエラ危機による避難民は一部しか反映されていないため、実数はさらに多い。約2600万人の難民や外国で保護を求める約350万人、4千万人を超える国内避難民に大別されるという。
難民への関心を高めようとライトアップされたのは、明石海峡大橋(兵庫県)や別府タワー(大分県)、ツインアーチ138(愛知県)など15カ所。
フィリッポ・グランディ高等弁務官は「紛争や迫害から安全を求める人は増加している。私たちは故郷を追われた罪なき人々と連帯しなければいけない」と呼びかけている。
(朝日新聞DIGITAL 2019年6月20日23時37分)
5月以来、お留守になっている「世界の七不思議」について、書き続けることにしました。
古代の世界七不思議、中世の世界七不思議については述べましたので、現代の世界七不思議について調べてみました。
現代においても、さまざまな「七不思議」が選定されています。スイスの「新世界七不思議財団」は、2007年7月7日に新・世界七不思議を決定しようと世界中からの投票を呼びかけていました。最終候補として挙げられた21の候補地から次の7つが選ばれ、ポルトガルの首都リスボンで開かれた式典で発表されました。また現代版の七不思議は、新・世界七不思議と同じです。中世版とは万里の長城、コロッセウムが重なっています。
①中国の万里の長城
②インドの廟堂タージ・マハル
③イタリア・ローマの古代競技場コロッセオ
④ヨルダンの古代都市遺跡群ペトラ
⑤ブラジル・リオ・デ・ジャネイロのコルコバードのキリスト像
⑥ペルーのインカ帝国遺跡マチュ・ピチュ
⑦メキシコのマヤ遺跡チチェン・イッツァ
ウェブニュースより
新潟で震度6強 26人負傷、土砂災害に警戒 ―― 18日午後10時22分ごろ、新潟県村上市で震度6強を観測する地震があった。気象庁によると、震源は山形県沖で震源の深さは14キロ。地震の規模はマグニチュード(M)6.7と推定される。総務省消防庁によると、新潟、山形など4県で計26人が負傷した。揺れの大きかった新潟県下越地方などでは19日朝から雨が降り、村上市では大雨警報が出された。気象庁は余震とともに、土砂災害への警戒を呼びかけている。
気象庁は震源付近の沿岸に津波注意報を発令した。19日午前1時2分、すべて解除した。新潟市で10センチの津波を観測するなどしたが、19日正午時点で、津波による目立った被害は確認されていない。同庁は同日未明に記者会見し、今後1週間は最大震度6強の地震に注意するよう求めた。
総務省消防庁によると、地震発生後に新潟、山形の両県などで最大約1500人が避難所などに一時的に身を寄せた。山形県内では17人、新潟・宮城県でそれぞれ4人が負傷した。他に石川県でも1人がけがを負った。
新潟、山形県などでは斜面崩落や屋根瓦の落下、ブロック塀の倒壊などの被害が出ている。村上市では斜面が崩れ、山肌がむき出しになっているのが確認された。
山形県や新潟県は19日、気圧の谷や湿った空気の影響で雨や雷雨になる地域があるとみられ、地震による地盤の緩みから土砂災害の恐れがある。
気象庁は警戒を強め、村上市や震度6弱を観測した山形県鶴岡市で当面の間、大雨警報・注意報、土砂災害警戒情報の発表基準を暫定的に引き下げて運用する。19日午前には村上市に大雨警報を出した。警報を受け、同市は216世帯521人に対し避難準備情報を発令した。
JR東日本によると、東北、上越、北陸の各新幹線は19日始発から通常通り運行している。在来線は羽越線の村上―酒田間、陸羽西線の古口―余目間で運転を見合わせており、19日正午時点で運行再開の見通しは立っていない。
東北電力によると、新潟県と山形県で延べ約9200戸が停電したが、19日午前7時までに全てが復旧した。各地の原子力発電所に影響はなかった。
企業では北越コーポレーションが新潟工場(新潟市)の設備を一時停止し、従業員約300人が全員避難した。長岡工場(新潟県長岡市)には影響がないという。
NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの携帯3社とNTT東日本は、家族や知人の安否をウェブ画面で確認できる「災害用伝言板」の運用を始めた。
各地の主な震度は次の通り。震度6強=新潟県村上市▽震度6弱=山形県鶴岡市▽震度5弱=新潟県長岡市、柏崎市、山形県酒田市、秋田県由利本荘市など
(日本経済新聞 2019/6/19 6:02 (2019/6/19 12:50更新)
藤井七段、白星発進 名人戦・C級順位戦で、村田六段と ――将棋の高校生棋士、藤井聡太(そうた)七段(16)が18日、第78期名人戦・C級1組順位戦(朝日新聞社、毎日新聞社主催)の1回戦で、村田顕弘(あきひろ)六段(32)に118手で勝った。一つ上のB級2組への昇級に向け、幸先の良いスタートを切った。
https://www.youtube.com/watch?v=kmkaRnSdfAw
対局は午前10時から、大阪市福島区の関西将棋会館で始まり、午後10時44分に終局した。藤井七段の順位戦の次の対局は7月2日。堀口一史座(かずしざ)七段(44)と対局する。
終局後、藤井七段は「序盤から選択肢の多い将棋だったんですが、本譜は(52手目)△7七角成(と、角で桂を取って)から比較的激しい順を選んだんですけど、こちらの玉の安全度を過大評価してしまったというか、思ったより、こちらの玉が薄い形になったので、自信の無い展開になってしまったかな、と思っていたんですけど。最後は際どい形でしたけど、なんとか、しのぐことが出来たかな、という気がします」と振り返った。52手目△7七角成と、角で桂を取り、取った桂を敵陣に打ち込んで攻めかかった手順については「ゆっくり指していると、どこかで▲1六歩と(香取りに)突かれる手が常にあるので、どう、まとめるのか分からなくて……。本譜だと、端の交換(=折衝)で、1一の香車を(あらかじめ)逃がしているという意味があるので、それでやりたくなってしまったんですけど、こちらの玉型が思ったより良くなかったので、良い指し方ではなかったかな、という気がします」と反省した。勝ちと思ったのは「(90手目)△4七成桂と寄って、おそらく勝ち筋に入っているかな、と思いました」。今期順位戦での白星スタートについては「昇級を目指して戦っていきたいというふうに思うんですが、まずは一局一局を大事にして指していけたらな、と思います」「前期は昇級を果たすことは出来なかったんですが、今期は気負いすぎても良くないかな、と思うので、自分自身の対局に集中して、昇級目指して戦っていけたらな、と思っています」と話した。
ログイン前の続き一方、敗れた村田六段は「ヒネリ飛車は用意の作戦。やってみたい将棋だったんですが、チャンスがありそうな局面もあったかと思うんですけど、分からなかったんで、気のせいだったかもしれません」と話した。藤井七段の印象は「今更というコメントしか思い浮かばないんですけど、毎局、(対戦するのを)楽しみにしています。機会があれば、また挑戦したいと思います」と話した。
日本将棋連盟によると、藤井七段の2019年度の成績は11対局して9勝2敗となった(未放映のテレビ対局を除く)。
前期C級1組では9勝1敗という好成績を収めながら、前期の成績などに基づいて決まる順位の差で昇級を逃した藤井七段だが、今期は36人中3位で、条件も良い。前期、藤井七段はC級2組から昇級したばかりだったため、39人中31位だった。
順位戦は、名人戦の予選にあたる。フリークラスを除いた棋士が、上からA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組という5組に分かれ、リーグ戦を戦う。昇級を重ね、最上位のA級で優勝した棋士が名人に挑戦する。
今期の場合、A級=10人、B級1組=13人、B級2組=25人、C級1組=36人、C級2組=52人が参加している。
C級1組は、成績上位2人がB級2組に昇級し、成績下位の7人に降級点がつく仕組み。C級1組では降級点が二つになると、C級2組に降級となる。
藤井七段は順位戦には17年度の第76期から参加。最初の第76期はC級2組で50人中45位でスタートし、10勝0敗の好成績でC級1組に昇級した。2期目となる第77期はC級1組で39人中31位でスタートし、9勝1敗だったが、自分より順位が上の9勝1敗した人が3人いて、定員2の昇級枠に入れなかった。
藤井七段は順位戦3期目となる第78期は、C級1組で36人中3位でスタートする。前期の9勝1敗という好成績が生きて、クラス内の順位がグンと上がった。 (朝日新聞DIGITAL 2019年6月18日23時41分)
ウェブニュースより
交番襲撃、33歳男を箕面市内で逮捕 強盗殺人未遂容疑 ―― 大阪府警吹田署の千里山交番前の路上で16日早朝、男性巡査(26)が包丁で刺され、巡査が所持していた拳銃が奪われた事件で、府警捜査本部は17日、逃走していた男(33)を同府箕面市内で確保し、強盗殺人未遂容疑で逮捕した。
男は飯森裕次郎容疑者。捜査関係者によると、6月17日午前6時半ごろ、捜査員が箕面市の山中で発見し確保した。所持していた拳銃も押収した。奪われた当初5発入っていた実弾は、4発だったという。
捜査本部によると、事件は16日午前5時40分ごろ、吹田市千里山霧が丘の吹田署千里山交番で発生。同署地域課の古瀬鈴之佑巡査が30代ぐらいの男に包丁で複数回刺され、実弾5発入りの回転式拳銃1丁を奪われていた。男は逃走し、府警が現場周辺の防犯カメラ映像を精査するなどして行方を追っていた。
事件直前の16日午前5時半ごろには、交番から南に約800メートルの阪急千里線関大前駅の公衆電話から、男の声で空き巣被害を申告する110番通報があった。巡査の上司2人がバイクで現場に急行。その後、古瀬巡査が交番を出て現場に向かうところで刺され、拳銃を奪われた。捜査本部は男が虚偽の110番通報をした後、巡査を刺した可能性もあるとみて調べている。 (朝日新聞DIGITAL 2019年6月17日07時49分)
香港、再び大規模デモ200万人参加 「撤回せず」に反発 ―― 香港の民主派団体は16日、「逃亡犯条例」改正案の完全撤回や林鄭月娥行政長官の辞任を求める大規模デモを実施した。主催者は200万人近くが参加したと発表した。前回9日の103万人を大幅に上回り、1997年の中国への返還以降で最大のデモとなった。林鄭氏は15日に改正を延期すると表明したものの撤回には応じず、市民の反発が強まった。林鄭氏は市民に陳謝したが、事態が収束するかは見通せない。
改正案は香港で拘束した容疑者を中国本土に引き渡せるようにする内容。中国に批判的な人物が移送対象になるとの懸念が強い。デモ参加者は「中断ではなくすぐに撤回を」などと書かれたプラカードを掲げ香港島のビクトリア公園から立法会(議会)まで行進した。
条例改正に反対するデモは4回目。中心部の道路が数時間にわたって大勢の人で埋め尽くされた。前回9日は主催者発表で103万人(警察発表は24万人)が参加し、政府は条例の改正延期に追い込まれた。今回、市民は完全撤回を求めて反発を強め、前週を上回る規模のデモとなった。計算上、香港市民の4人に1人以上が参加したことになる。警察発表では33万8000人だった。
主催者団体は16日夜の声明で、改めて条例改正の撤回や行政長官の辞任を求めた。要求が聞き入れられない場合、17日に大規模なストライキに踏み切ると宣言した。
林鄭氏は15日の記者会見で改正案の審議を期限を定めずに延期し、年内の審議入りも難しいとの認識を示した。一方で、現在の立法会議員の任期中に審議を再開するかどうかは明言を避けた。立法会は親中国派が多数を握り、民主派は「いずれ改正に踏み切るのではないか」と疑っている。
政府が12日に起きた学生らの道路占拠を「暴動」と呼び、催涙弾を使った強制排除で多数のけが人が出たことにも批判が集まっている。16日のデモに参加したケリーさん(24)は「行政長官は警察の行為が行き過ぎだと認めず、とても失望した」と話した。会社員の鄧さん(23)は「政府が聞く耳を持たない時こそ、意見を表明するのが重要だ」と力を込めた。
デモでは15日に大型モールの足場で政府に抗議中に転落死した男性を悼む声も広がった。多くの人が弔意を示す白いリボンを付け、転落現場に花を供えた。
林鄭氏が改正延期を発表した後、経済界や欧米は決断を支持した。地元経済団体の香港総商会は「政府の決定を歓迎する。落ち着いて理性的な議論に戻れるようになる」との声明を出した。
条例改正に一貫して反対してきた在香港米国商工会議所は「香港が一国二制度のもとで特別な地位を真剣に守ろうとしているというシグナルを国際社会に送った」と評価した。英国のハント外相もツイッターで「人権擁護のために立ち上がった勇敢な人々の懸念に留意した」と歓迎した。
その一方で市民の反発は強まっている。香港の政治リスクコンサルタントのスティーブ・ビッカーズ氏は「一般人と警察の間の信頼関係が損なわれており、修復には時間がかかる」と指摘する。 (日本経済新聞 2019/6/16 18:32)
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イラン、タンカー攻撃関与を否定 「米の根拠なき主張」 ―― 中東・ホルムズ海峡付近で日本企業が運航するタンカーなどが攻撃を受けた事件で、米国から関与を指摘されたイランの国連代表部は13日、「米国の根拠なき主張を断固として認めない」として、犯行を否定する声明を発表した。
国連安全保障理事会はこの日、米国の要請で緊急の非公開会合を開催。イランによる犯行だと各理事国に伝達した米国のコーエン大使代行は会合後、「イランは(攻撃を)実行できる武器や専門知識、諜報(ちょうほう)機関による情報を有している」と指摘。一方、イランに対して交渉のテーブルにつくように求めていた。
イラン代表部の声明は、このことについて「イラン嫌いのキャンペーンの一つだ。最大限の言葉で非難する」と言及。「核合意から不当に離脱したのに、交渉に戻ってくるように要請するとは皮肉なことだ」とも述べ、交渉に応じる用意がないことを示唆した。
また、「米国の(仕掛ける)経済戦争、イラン国民に対するテロ行為、地域における大きな軍事的存在感が、ペルシャ湾地域の不安定の主な理由だ」などと米国の態度に憤りをにじませた上で、「イランは米国の強制や脅迫、不正行為に対して警告するとともに、今回の事件について懸念を表明する」とした。 (朝日新聞DIGITAL 2019年6月14日09時15分)
ローマ法王、11月に来日 広島・長崎を訪問へ ―― ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王(82)が11月下旬に訪日し、天皇陛下と会見するほか、被爆地の広島や長崎を訪ねる方向で最終調整していることが日本政府などへの取材でわかった。日本滞在は4日間を想定し、東京ドームでのミサを予定している。訪日が実現すれば、1981年の故ヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶりとなる。
フランシスコ法王は約12億人の信者を抱えるカトリック教会のトップで、2013年に就任した。87年にも訪日したことがある。「核のない世界」とともに「死刑廃止」を提唱。昨年には死刑に関するカトリック教会の教義の表現を、「排除されない」から「許容できない」に変更した。訪日中に、こうした考えを発信する可能性がある。
日本政府関係者によると、法王は11月23日から3泊4日を軸に訪日を調整しており、天皇陛下や安倍晋三首相と会見する見通しだ。法王は修道会「イエズス会」に所属し、かつては宣教師として日本に渡ることを希望していた。長崎には同会の会員らが16世紀末にキリシタン弾圧で殉教した歴史があり、強い関心を抱いているという。
また、ローマ法王庁(バチカン)や日本の教会関係者によると、福島第一原発事故の避難者や死刑廃止を訴える団体関係者との面会も検討しているという。 (朝日新聞DIGITAL 2019年6月15日01時30分)
ウェブニュースより
「年金だけでは不安」消えず 老後2000万円報告書、実質撤回 ―― 麻生太郎副総理兼金融担当相は十一日の閣議後記者会見で、公的年金以外に夫婦で老後に二千万円の蓄えが必要と試算した金融庁の金融審議会の報告書を受け取らない意向を示した。報告書は金融審の総会を経て麻生氏に手渡されることになっており、事実上の撤回。自民党は早い幕引きで夏の参院選への悪影響を回避する狙いがある。金融庁は報告書の修正などを検討する。
麻生氏は会見で、報告書について「著しい不安と誤解を与えている。政府の政策スタンスとも違うので、正式な報告書としては受け取らない」と述べた。
金融審議会は首相、金融担当相らの諮問機関。報告書は今月三日に金融審議会の「市場ワーキング・グループ」が公表したもので、平均的な無職の高齢夫婦世帯で月五万円の赤字が見込まれ、二十年間で約千三百万円、三十年間で約二千万円が不足するとした。
麻生氏は報告書の位置付けについて「まだ金融審議会の総会を通っていない」として、公式な文書ではないと強調。「(老後の)生活費として不足、赤字だという表現を使ったのは、極めて不適切だ」と強調した。
記者から「もう一度報告書を出すことになるのか」と問われると、麻生氏は「いつまでにと日にちをもって考えているわけではない」と述べるにとどめ、再提出を行うかなどの明言は避けた。
これに先立ち、自民党の林幹雄幹事長代理は金融庁の三井秀範企画市場局長を党本部に呼び、報告書の撤回を求めていた。
自公政権は二〇〇四年の年金制度改革で「百年安心」との看板を掲げていた。野党は、金融審議会の報告書が多額の自己資金が必要なことを示したことから「百年安心はうそだった」などと激しく反発。安倍晋三首相は十日の参院決算委員会で「不正確であり、誤解を与えるものだった」と釈明していた。
◆不都合な現実 説明避ける政府
金融審議会の報告書が問題化したのは、公的年金だけでは老後の生活費が不足しかねない「不都合な現実」を示したためだ。多くの人が漠然と感じていた不安を裏付けた形で、政府が正面からの説明を避けてきたツケが噴き出した。撤回して議論そのものにフタをしても、老後の資金が年金だけでは心もとない事実は変わらない。将来はなお見えず、不安が募る悪循環が続く。
「みんな公的年金だけでは無理だと感じているから、生活防衛に走っている」。家計相談を数多く受けている生活マネー相談室(東京)の八ツ井慶子さんは相談者の状況を明かす。
高齢になっても働き、消費を控え、リスクがある運用をしない。人々の生活は公的年金への不安に根ざすと感じる。八ツ井さんは「蓄えが目減りすることに本能的な恐怖を感じている」と解説した。
金融庁が報告書で示した「二千万円足りない」などの試算も、民間のシンクタンクでは複数出ているもの。審議に参加したみずほ総研の高田創氏は「こういう統計があることを前提に、これからどうすれば良いか議論しただけなのに」と、反発の大きさに当惑を隠せない。
公的年金の議論に携わってきた学識経験者は「自助も含めなければやっていけないという長年の議論を政府が説明せず、逃げ続けてきたツケ」と嘆く。日本総研の西沢和彦氏も「報告書の撤回などせず、厳しい現実を政府が正面から語ればいいだけ。野党にも同じことが言える」と政局に利用すること自体を批判した。
七日に都内であった「高齢化と金融」がテーマのシンポジウムで象徴的な場面があった。ドイツの金融監督庁長官が「私の国で一番大きな課題は公的年金の維持だ」と正面から語った。これに対し、麻生太郎金融担当相は十一日の会見で「(報告書の内容が)政府のスタンスと違う」とあいまいに言葉を濁し続けるだけだった。
(東京新聞 2019年6月12日 朝刊)
ウェブニュースより
藤井七段、棋聖戦一次予選で連勝 二次予選まであと1勝 ―― 将棋の高校生棋士、藤井聡太(そうた)七段(16)が11日、大阪市福島区の関西将棋会館で第91期ヒューリック杯棋聖戦(産経新聞社主催)の一次予選(持ち時間は各1時間)に臨み、東(あずま)和男八段(63)と伊奈祐介六段(43)に連勝。
二次予選進出まで、あと1勝と迫った。次回の一次予選決勝で、平藤(ひらふじ)眞吾(しんご)七段(55)対竹内雄悟五段(31)の勝者と対戦する。
午前10時に始まった東八段との対局は午後0時18分に終局。後手番の藤井七段が108手で勝った。
https://www.youtube.com/watch?v=Jn6eWfJVTRU
午後2時からの伊奈六段との対局は午後4時20分に終局し、先手番の藤井七段が95手で勝った。
https://www.youtube.com/watch?v=3Sru6DChi0k
ログイン前の続き二局を指し終えた後、取材に応じた藤井七段は、対伊奈六段戦について「序盤から力戦(りきせん)模様の将棋だったんですけど、うまく組むことが出来ずに、こちらの玉型(ぎょくけい)が安定しないまま戦いになってしまったので、少し自信の無い展開かなと思っていたんですけど。その後、戦いながら自玉を安定させることが出来て、少し指しやすくなったかな、という気がしました」と振り返った。
一方、伊奈六段は「仕掛けて、受ける展開になるんですけど、向こうの王様は居玉(いぎょく)で、こちらは寄っていて、やりがいがある展開と思ったんですけど。その後に▲6九玉と緩急をつけられて、(自分が)見えてない手を指されて、ついていけない感じでしたね」と話した。
また、今期棋聖戦の抱負を問われ、藤井七段は「前期は(二次予選の決勝で敗れて)本戦(=決勝トーナメント)まで進むことができなかったので、今期はそこを目指して戦っていきたいな、というふうに思っています」と話した。
日本将棋連盟によると、藤井七段の今年度の成績は10対局して8勝2敗となった(未放映のテレビ対局を除く)。
棋聖戦は、将棋界に八つあるタイトル戦の一つ。
棋聖戦は、全棋士と女流棋士2人が参加し、一次予選と二次予選をトーナメントで行う。勝ち上がった棋士とシード棋士の計16人で決勝トーナメントを争う。その優勝者と棋聖が例年6~8月に五番勝負を行う。
現在は第90期五番勝負が進行中で、豊島(とよしま)将之(まさゆき)棋聖(29)=名人、王位と合わせて三冠=に渡辺明二冠(35)=棋王、王将=が挑戦し、豊島棋聖が1勝0敗とリードしている。
この日の対局は、豊島棋聖と渡辺挑戦者による五番勝負を制した棋士に対し、2020年に挑戦する権利を目指す戦いの一環だ。
藤井七段は棋聖戦には第89期から参加し、今回は3期目。最初の第89期は一次予選で3連勝したが、一次予選の決勝で大橋貴洸(たかひろ)四段(26)に敗れ、二次予選進出を逃した。
2回目の第90期は一次予選で3連勝して二次予選に進出。二次予選では1勝し、二次予選の決勝に進出したが、久保利明九段(43)に敗れ、決勝トーナメント進出は成らなかった。
(朝日新聞DIGITAL 2019年6月12日00時48分)
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