瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 またまた、ブログ記入をさぼってしまった。
一昨日は砂尾山不動院、保元寺、長昌寺と、その昔「浅茅が原」と呼ばれた湿地帯であったという所を歩いたが、引き続き玉姫稲荷に立ち寄ってみた。
玉姫稲荷の鳥居
fb344071.jpg玉姫稲荷本殿
be7ae399.jpg江戸時代の浅茅が原
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 社伝によると、天平4年(760)、京都伏見稲荷の御分霊を勧請し創建したとある。『江戸砂子増補』(文政10 (1827)刊) 年にも著されている。曰く、「此社は山城国稲荷山のいなり(伏見稲荷大社)をうつししなり。王子村岸稲荷(現王子稲荷神社)と神縁ありと云伝ふ。御玉姫いなりといふも故ある事なり。正慶2年(1333)、新田義貞朝臣、鎌倉の(北条)高時を追討のみきり、弘法大師直筆の像を襟掛にし玉ひしを、瑠璃の玉塔にこめて当所におさめまつり玉ふ故に、御玉ひめ稲荷と称するよし」明治5年11月17日二村社に列せられた。
江戸時代のこの景勝について『遊歴雑記』に記述がある。曰く、「武州豊島郡三谷町の東裏、玉姫稲荷の宮は浅ぢが原の西、耕地の中弐町にあり。社内尤(もっとも)広く、東南北の三方の耕地を見はらし、元より江戸の片ほとりの田舎なれば、社内の廻り、垣根等の構えなく、松・杉こころままに繁茂し、木の間に古樹のさくらも四五株あれど、誰手折るいたづらなければ天然に咲乱れ、道敷の外は芝生じて苅込ざるに、そのうつくしさ人のあそぶ事邂逅(たまさか)なれば、諸鳥此神地に求食、市中に遠からずして、而も閑寂の勝地たり。扨又(さてまた)、風色の天然、眺望の面しろき、田の畦には摘草する徒あり。又、田螺拾ふ人あり。或は畦路を人の行通ふ。花あり、芽出しの樹々あり。扨遥に北西をかえり見れば、千住・小塚原より縄手路を三谷へ往来の、引もちぎらざる、田に畑に菜のはなの見事なる、その景望一々兎角の論なし。」
菊池寛賞受賞の面々
a295b8d6.jpg 昨日は、午後5時からホテルオークラ東京で、菊池寛賞贈呈式に、招待されていて、雨と風の中、顔を出しては見たが、まあこの爺には全くそぐわぬ会であり、人・人・人を見るだけの会であり、立食パーティーも料理1つ取るにも人を掻き分け掻き分け行かねばならぬ。早々に引き揚げて帰宅した。



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