こんな爺でも、ブログを休むと心配くださり、電話やメールを入れてくれるご仁もいらっしゃるが、10月30日(木)~11月3日(月)は、一纏めにすることで、ご勘弁を。
10月30日(木):午前5時、家を出る桜橋と白鬚橋の工事は続けられているらしい。リバーサイドスポーツセンターの前を今日も曳船が川下を目指して進んでゆく。
言問橋に向けて曳船はゆく
10月31日(金):徘徊の時間を30分ずらして5時半に家を出る。今日も曳船に出会うが、墨田区役所裏の勝海舟銅像の前で、吾妻橋にかかるところであった。白鬚橋の手前で、久し振りにワンさんと出会う。今日は独りで、カミさんはお休みらしい。
11月1日(土):今日も5時半に家を出発。今日は曳船に会わなかった。思うに、本日は土曜日につき工事はお休みか。
11月2日(日):本日は日曜日につき、「うろつきどんたく」の日なのであるが、「雁信随想」の整理で、ゆきそびれてしまった。どうやら1冊の冊子に纏まりそう。「みなと外誌」の別冊として、例によってN兄に校正をお願いするか。
花川戸公園にて
菊花展
夜明け前の駒形橋
台東区側からの工事現場
今朝、4時にメールを開くとY兄から、11日の会合に出席するとの回答が入っていた。5時に家を出ると、山谷掘水門の前から、桜橋を渡ると、足は右方向(下流)に向う。何時もの徘徊コースの逆方向になる。11月11日(火)の水門会の会合の下見も兼ねて、駒形橋を渡り、江戸通の裏道を通って、吾妻橋西詰から浅草駅に入る。いつもはここから、新仲見世通を通るのだが、この北側の伝法院通から仲見世を通って浅草寺境内に入る。境内は今は奥山風景や平成中村座の小屋が立ち、昼間は大変に込み合っているようだ。奥山風景から奥山まいりの門の間に「大絵馬寺宝展と庭園拝観」の入り口がある。
朝まだきの伝法院通
言問通の朝焼け
とにかく奥山通をぬけて、ロックからひさご通をぬけ、千束通に入るところで言問通の朝焼けをカメラに収め、千束通を馬道まで抜けて、地方橋に出ると、ここから山谷掘公園を通って、待乳山聖天下の待乳山公園にはいる。公園南出口で狭い道一つ隔てていつの間にやらチャペルができている。まあ、なんと聖天様に喧嘩を売っているようである。まあ、とても相手にはならぬだろうが…。聞くところによるとこの夏あたりにできたそうで、この十字架は夜になると赤の縁取り電飾に輝くということである。
対岸の墨田区側の空は、未だ姿を表さない太陽を写して、朝焼け雲が輝いている。桜橋を抜けたところの石段をのぼって何時もの遊歩道にでる。山谷掘の水門の前の広場まで出ると、水門上を今まさにお日様が姿を表わそとする寸前であった。
今日は日曜日、隅田公園前を午前9時56分発の東神田行きの都バスで、浅草橋へ出る。靖国通りを東進、両国橋を渡って、一つ目通りで左折、JR両国駅へ。再度、東京江戸博物館へやって来た。
先週10月19日(日)に見損ねた、BOSTON美術館浮世絵名品展を見学するためである。
アメリカのボストン美術館には5万点といわれる浮世絵版画と、多くの版本・肉筆画が収蔵されているが、その質の高さと数量は世界一の規模だという。
東京江戸博物館へ
安田庭園で
鴨と一緒に
太鼓橋の上で
擬宝珠にもたれて
外人の観光ツァー
今回公開されるのはその殆どが日本初公開という豪華なラインナップで、初期から幕末までの浮世絵の歴史を概観できるというものである。
日曜日ではあるが、午前中ということもあって、のろのろのカタツムリの速さではあったが、まあまあ、約1時間半をかけて、出展作品全部を見ることが出来た。勿論、館内は撮影禁止となっているので、写真に納めることはできなかったのが残念である。
外に出て飯屋を探すのも面倒なので、館内の東京モダン亭で食事して、外に出ると安田庭園の前で、婆様が未だは行ったことがないというので、庭内を一巡して、両国の水上バスステーションへ。国技館の前で外人の観光ツアーの団体が記念写真を撮っていた。この団体さんぞろぞろとバスステーションの待合室に入ってきて、周りは殆ど外人ばかり、桟橋でも、船の中でもこれらの外人さんに囲まれて、何だかこちらが外国旅行に出かけている気分にされてしまった。
松屋の地下の食品売場に付き合わされて、帰宅したのは2時を過ぎていた。
桜橋水上バスステーション
言問橋を抜けて上る荷役船
吾妻橋の上は小雨に降られたのであろうか、車道・歩道とも一面に濡れている。この様子だと、まもなく降ってくるだろうなと思ったが、あにはからんや、隅田公園に入り、遊歩道を歩いていると、対岸の高速6号線の上にご来光が見える。今日もどうやら、お天気は持ちそうだ。
帰宅すると、昨日仕上げた、会報「水門」のプリントを荷造り、朝食後、行きつけの佐川急便を扱っている煎餅屋に行くが、今日は休みらしい。仕方ないので、近くのコンビニでゆうぱっく便で発送することにした。送り状を書き直したが、郵便番号が判らないので、店の人に訊ねるが、判らないという。書かなくても大丈夫着くというので、郵便番号は空欄で発送した。
ポンポン蒸気の荷役船
今朝は昨日のコースを逆回りした。白鬚橋を渡る頃にやっと、白け始める。青御殿通りを桜橋に向けて歩いていると、ポンポンと小気味よい音を立てて、荷役船が大川を昇ってゆく。何処かのだるま船を引きに急いでいるようである。桜橋を正に抜けようとする荷役船があったが、こちらの方はポンポンて音を立ててないところをみると、ディゼルエンジンの曳船かもしれない。昨日の下弦の月はやや痩せ細り、西の空から中天に差し掛かろうとしていた。
駒形橋を渡り、川沿いに北上して、隅田公園を抜けて、帰宅した。
午後7時、やっと1200面のプリントをおえて、このブログを仕上げた。
今朝は4時に起床。昨日仕上げた会報「水門」をA兄に添付送信する。水門会での写真をいれたCDは届いたのだろうか。CD発送をメールで知らせたのだが、この音沙汰もない。
5時徘徊に出かける。時計を忘れたが、駒形橋を渡るときはまだ暗い。墨田区側の遊歩道を北上。枕橋付近で白み始める。桜橋を潜り抜けた曳船が対岸のリバーサイドスポーツセンターの前を下ってくる。桜並木の中で顎をう~んと突き出して、中天を見上げると桜の枝葉の間に下弦の月が輝いている。
桜橋を抜けた曳船
白鬚橋を渡り、例の落書き横丁を通って帰宅した。
枕橋茶屋
九州旅行から帰って、水門会の会報作りや写真整理に追われて、ブログを書く時間が割(さ)かれてしまう。18日(土)は旅行で世話になった人々へのお礼の品物選びで上野松坂屋へ。10時に出かけ、松坂屋の彼方此方を回る。すべて宅配郵送してもらう。
7階のレストラン街で食事。東京メトロ銀座線で浅草へ。吾妻橋を渡って、墨田区役所前を通り、枕橋茶屋でコーヒーを飲む。店頭に墨田区内案内の貼紙もあったので、ここの若旦那に先日の水戸庭園の「勝安房篆額」の碑について訊ねてみるがよく解らないと言う。牛すじまんを買って帰宅。
両国橋上で
動く歩道の前で
浅草今昔展
水上バスで
昨19日(日)は午後から東京江戸博物館へ「浅草今昔展」を観に行った。早昼を食って、墨田公園前から都バスで浅草橋へ。神田川を北側沿いに歩き、柳橋を渡って、両国橋上に立つ。橋の直ぐ下で、上りの水上バス「ひみこ」が下り水上バスとすれ違うところであった。一つ目どおりをとおって両国駅へ。東京江戸博物館で動く歩道を通って3階切符売り場で爺婆半額券を求め、エレベーターで6階までのぼり、5階の展示室に入る。まあ、今までよく観てきた風物ではあるが、このように纏めてみると浅草の地誌がよく理解できる。午後4時40分、両国発の水上バスで帰宅した。
久方ぶりの旅行で、帰京後も疲れてしまって徘徊も1週間ほどお休みになった。
西空に十六夜月が
白鬚橋を抜けた曳船
広島で生まれ、門司で育った爺には広島にはもはや知り合いはだれもいないし、門司には一緒に学んだ友人はいても血肉を分けた親戚は一人もいない。この大川の畔で骨を晒すほかはなさそうだ。
sechin@nethome.ne.jp です。
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