ここ4・5日、早朝から雨の日が続き、徘徊を休んでいました。
今日は、七夕。曇り空ではありましたが、今戸・橋場のテラスを往復して帰宅しました。
七夕 李賀
別浦今朝暗
羅帷午夜愁
鵲辞穿線月
蛍入曝衣楼
天上分金鏡
人間望玉鉤
銭塘蘇小小
更値一年秋
(読み) 七夕(しちせき)
別浦(べっぽ) 今朝(こんちょう)暗く
羅帷(らい) 午夜(ごや)に愁う
鵲(かささぎ)は辞す 線(いと)を穿(うが)つ月
蛍(ほたる)は入る 衣(い)を曝(さらす)す楼(ろう)
天上(てんじょう) 金鏡(きんきょう)を分かち
人間(じんかん) 玉鉤(ぎょくこう)を望む
銭塘(せんとう)の蘇小小
更に一年の秋に値(あ)う
訳) 別れの浦も 今朝はほの暗く
夜中には 羅の帳の奥で愁いに沈む
鵲も去り 人は針に糸を通して月に祈り
蛍は舞って 虫干しの楼に入ってくる
天上の月は 鏡を割ったような半月で
見上げれば 玉の鉤のようでもある
銭塘の美妓 蘇小小よ
年は巡って 再び秋がやってきた
詩題の「七夕 (しちせき) 」は七月七日のこと。主として牽牛織女の別れを詠ってる。「別浦」は二星が別れた天の川の入江で、「羅帷」は天上の部屋のとばりであろう。「鵲は辞す」というのは、鵲(かささぎ)が天の川を埋めて橋となり、織女を渡すという伝説を踏まえるもので、その鵲も去ったというのである。
「線を穿つ月」は、当時、乞巧(きつこう)という七夕の行事があって、女子は針の穴に糸を通し、瓜を供えて針仕事の上達を願ったという。また「衣を曝す楼」は、七月七日に蔵書や衣類を陽に曝して虫干しをする習慣があったもので、楼は虫干しの場所であろう。
「分金鏡」は片割れ月のことです。旧暦七月七日の月は銅鏡を割ったように見え、地上から見上げると「玉鉤」のようにも見えると詠う。この二句には、人生の別れについての思いが込められているのだろうか。結びは蘇小小にも会うことができず、また一年が過ぎてしまったと嘆いているが、蘇小小に会えなかったという言葉には現実の背景があるのだろうか。
※ 蘇小小:南朝の斉の頃(大体五世紀終わり)銭塘(杭州)の遊郭にいたとされる名妓。
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