瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昨夜、横浜のN氏から、この爺が64卦の一覧表を作成したものについて問い合わせがあったが、そんなこともあったという程度で何時どんなものに載せたかというさだかな記憶が残っていなかった。今朝は少々寝坊して、眼が覚めたのは5時であった。起き抜けにインターネットで64卦一覧表を探し出してコピーして、メールに貼りつけてN氏に送信しておいた。
朝食後、花川戸の「クロネコ」で文書メールを発送する用事があったので、用事を済ませると、駒形橋をわたり、枕橋から水戸庭園をぬけて、墨堤通りを北上。白鬚橋を渡って帰宅した。久し振りの日中の外歩きであったが、陽ざしを浴びながらの徘徊は疲れた。やはり、徘徊は早朝に限る。
帰宅して、メールを開くとN氏より64卦一覧表のコピー受信のメールが入っていた。曰く「日高 節夫 様/ご教示ありがとう。実は、「草原の風」(地の声)章では、易の言葉が登場する。/例の陰麗華ちゃんを、帝王の妃になり、その夫たる臥龍は南陽郡にいると見立てた天下第一の人相見・許氏が、その臥龍ご本人を目の前にしながら、上から目線で面接したものだから、みすみす見逃すというストーリーになるのですが、そこに登場するのが離下坤上(リカコンジョウ)という卦なのです。/常安でいまは不遇をかこっている厳将軍が、これからどうすればいいかを占い師の第一人者・許氏に聞くという、その使いに劉秀が出資している運送業が関わってくるのです。/この時代に、古代のクロネコヤマトの宅急便があったとも思えませんが、でも今の読者には分かりやすい引用です。/その許先生は、この「離下坤上の明夷である、日(じつ)が地下にある」と卦の結果を劉秀の記憶力を試して、手紙ではなく、言葉だけで厳将軍に伝えるのです。/たまたま劉秀は易経を勉強していたので、それが出来たという展開になるのですが、将軍にメッセージを伝える時に、それを届けて来た青年の知識を観るために「明夷の初九を言ってみよ」と試すのです。劉秀は「明夷干(ゆ)き、飛んでその翼に垂る…とか」とその試しをクリアーするという展開になったきました。易は勉強しておかなければならないという気分にさせますね。/いまから、月曜、恒例のプールに行って、ひと泳ぎしてから帰宅後、君のご厚意のメールをとっくりと拝見します。/早速のご教示ありがとうございました。」
離下坤上の卦とは「 地火明夷(ちかめいい) 日が沈む/破れる。暗い。心配。夜。内向。すぐに太陽が地面の下に隠れてしまう。明智なるものが暗愚に支配される。暗くて道が見えないと不安になりやすく、ささいな事でも心配の種となる。才能を包み隠して艱難に耐えること。苦難の中で実力を磨くのだ。争いごとが生じて関係が悪化する気配。望み事かなわず和合しにくい。」という卦で、その初九には「明夷(やぶ)る、于(ゆ)き飛びてその翼を垂(た)る。君子于き行きて、三日食らわず、往くところあれば、主人言あり。象に曰く、君子于き行くとは、義として食(は)まざるなり。《初九は陽剛居初、明夷の初めに際会した君子であるから、たとえて言えば鳥が危険のきざしを見ればすみやかに飛び去ってその翼を垂れ影をひそめるようにすべきである。ただ如何に有徳の君子であるにせよ、旧主旧禄を捨てて他処に行こうというのであるから、困窮することは免れず、三日も食事にありつけぬような目に遭うこともあろうし、また他処に行こうとすれば、その退避の真意を悟らぬ暗愚の主人は、かえって怪しんで疑言を発することでもあろう。象伝→ 君子于き行くというのは、義として仕えてその録を食(は)むべきではないからである。》」(岩波文庫「易経」下より)
朝食後、花川戸の「クロネコ」で文書メールを発送する用事があったので、用事を済ませると、駒形橋をわたり、枕橋から水戸庭園をぬけて、墨堤通りを北上。白鬚橋を渡って帰宅した。久し振りの日中の外歩きであったが、陽ざしを浴びながらの徘徊は疲れた。やはり、徘徊は早朝に限る。
帰宅して、メールを開くとN氏より64卦一覧表のコピー受信のメールが入っていた。曰く「日高 節夫 様/ご教示ありがとう。実は、「草原の風」(地の声)章では、易の言葉が登場する。/例の陰麗華ちゃんを、帝王の妃になり、その夫たる臥龍は南陽郡にいると見立てた天下第一の人相見・許氏が、その臥龍ご本人を目の前にしながら、上から目線で面接したものだから、みすみす見逃すというストーリーになるのですが、そこに登場するのが離下坤上(リカコンジョウ)という卦なのです。/常安でいまは不遇をかこっている厳将軍が、これからどうすればいいかを占い師の第一人者・許氏に聞くという、その使いに劉秀が出資している運送業が関わってくるのです。/この時代に、古代のクロネコヤマトの宅急便があったとも思えませんが、でも今の読者には分かりやすい引用です。/その許先生は、この「離下坤上の明夷である、日(じつ)が地下にある」と卦の結果を劉秀の記憶力を試して、手紙ではなく、言葉だけで厳将軍に伝えるのです。/たまたま劉秀は易経を勉強していたので、それが出来たという展開になるのですが、将軍にメッセージを伝える時に、それを届けて来た青年の知識を観るために「明夷の初九を言ってみよ」と試すのです。劉秀は「明夷干(ゆ)き、飛んでその翼に垂る…とか」とその試しをクリアーするという展開になったきました。易は勉強しておかなければならないという気分にさせますね。/いまから、月曜、恒例のプールに行って、ひと泳ぎしてから帰宅後、君のご厚意のメールをとっくりと拝見します。/早速のご教示ありがとうございました。」
離下坤上の卦とは「 地火明夷(ちかめいい) 日が沈む/破れる。暗い。心配。夜。内向。すぐに太陽が地面の下に隠れてしまう。明智なるものが暗愚に支配される。暗くて道が見えないと不安になりやすく、ささいな事でも心配の種となる。才能を包み隠して艱難に耐えること。苦難の中で実力を磨くのだ。争いごとが生じて関係が悪化する気配。望み事かなわず和合しにくい。」という卦で、その初九には「明夷(やぶ)る、于(ゆ)き飛びてその翼を垂(た)る。君子于き行きて、三日食らわず、往くところあれば、主人言あり。象に曰く、君子于き行くとは、義として食(は)まざるなり。《初九は陽剛居初、明夷の初めに際会した君子であるから、たとえて言えば鳥が危険のきざしを見ればすみやかに飛び去ってその翼を垂れ影をひそめるようにすべきである。ただ如何に有徳の君子であるにせよ、旧主旧禄を捨てて他処に行こうというのであるから、困窮することは免れず、三日も食事にありつけぬような目に遭うこともあろうし、また他処に行こうとすれば、その退避の真意を悟らぬ暗愚の主人は、かえって怪しんで疑言を発することでもあろう。象伝→ 君子于き行くというのは、義として仕えてその録を食(は)むべきではないからである。》」(岩波文庫「易経」下より)
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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