瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が旧暦の4月8日に生まれたという伝承に基づいて、今日は潅仏会――花まつり――とされる。お釈迦様の誕生日である。
45cbc98f.jpeg 玄奘(げんじょう)の旅行記 大唐西域記 巻六の 劫比羅伐窣堵国(カピラヴァストウこく)の記に、仏陀生誕の聖跡について記してある。曰く、




 「灵神冥衛多蒙痊愈箭泉东北行八九十里至臘伐尼林。有释種浴池。澄清皎镜雜华彌漫。其北二十四五步有无憂华樹。今已枯悴。菩薩诞灵之处。菩薩以吠舍佉月后半八日。当此三月八日。上座部则曰。以吠舍佉月后半十五日。当此三月十五日。次东窣堵波。无憂王所建。二龙浴太子处也。菩薩生已不扶而行于四方各七步。而自言曰。天上天下唯我独尊。今茲而往生分已尽。隨足所蹈出大蓮花。二龙踊出住虛空中而各吐水。一冷一煖以浴太子。浴太子窣堵波东有二清泉。傍建二窣堵波。是二龙從地踊出之处。菩薩生已支属宗亲莫不奔驰求水盥浴。夫人之前二泉涌出。一冷一煖遂以浴洗。其南窣堵波。是天帝释捧接菩薩处。菩薩初出胎也。天帝释以妙天衣跪接菩薩。次有四窣堵波。是四天王抱持菩薩处也。菩薩從右脅生已。四大天王以金色毡衣捧菩薩置金机上。至母前曰。夫人诞斯福子诚可欢庆。諸天尚喜况世人乎。
〔訳〕箭泉〔せんせん、釈迦競技の旧跡〕より北東へ行くこと八、九十里で臘伐尼(ルンビニー)林に至る。釈種が水浴する池がある。水は清く鏡のようにとりどりの花は咲き乱れている。その北二十四、五歩の所に無憂華樹(むゆうげじゅ)があるが、いまはもう涸れてしまっている。菩薩が降誕された処である。菩薩は吠舎佉(ヴァイシャーカ)月〔二月〕の後半の八日に生まれられた。この〔中国の〕三月八日に当たる。上座部では吠舎佉月の後半の十五日であるという。これは〔中国の〕三月十五日に当たる。東隣の窣堵波〔stūpa〕は無憂王〔アショカ王、在位:BC268?~232?年頃〕が建てたものである。二匹の竜が太子ら水浴ざせた処である。菩薩は生まれられるや、手助けなくして四方に行かれること各七歩されて、自ら、「天上天下、唯我のみ独り尊し。今より以後、私の持ち前の生はもはや尽くした〔これが最後身であり、今後は輪廻転生(りんねてんしょう)することはない〕。」と言われた。足の踏むにつれ大きな蓮の花でて、二匹の竜が踊り出てきて虚空に止まり、それぞれ水を吐いた。一はつめたく、一は暖かく、その水で太子を浴(ゆあみ)したてまつったのである。浴太子窣堵波の東に二つの清い泉があり、傍に二つの窣堵波が建ててある。二匹の竜が地中より踊り出た処である。菩薩が生まれられるや親族縁者はみな走り回り水を求めて浴させようとした。〔すると〕夫人の前に二つの泉が湧き出てきた。一は冷たく、一は暖かかった。それで身を洗われたのである。その南の窣堵波は、帝釈天が菩薩を捧げ受けた処である。菩薩が始めて胎内をでられるや、帝釈天は微妙な天衣で菩薩を跪き受けた。その隣に四つの窣堵波がある。四天王が菩薩を抱きまいらせた処である。菩薩が〔麻耶夫人の〕右脇から生まれるや、四天王は金色の氎衣(ちょうい)で菩薩を捧げ、金机の上に安置し、母の前に進み出て、「夫人がこの福徳備われるお子様をお生みになりましたことは、誠に慶賀すべきことであります。諸天人も喜んでいます。ましてこの世の人の喜びはいうまでもありません」と言った。
 
466a40e8.jpeg ※臘伐尼林:ルンビニー(梵語のLumbiniの音写)園のこと。釈迦誕生の地。父浄飯王の迦毘羅(かびら)城と母摩耶夫人の郷里天臂(てんぴ)城との間にあった林苑。現在のネパール南西部、インドとの国境近くのタライ地方にあるルンミンディ村。
 ※無憂花樹:『因果経』に「夫人は彼の園内に一大樹あるを見る。名付けて無憂と言う。花色香鮮、枝葉分布し、極めて茂盛となす。即ち右手を挙げてこれを牽摘せんと欲するに、菩薩は漸漸に右脇より出づ」とある。
 ※釈尊の生年月日については異説が多い。南方伝により最近の南アジア仏教諸国はBC544年仏滅とするが、学問的には承認されない。従来は北方伝中の一説によりBC565年降誕、BC486年仏滅とされてきた。学問的にはBC463年降誕、BC383年仏滅という一つの推測がされている。生誕の日も『西域記』所伝のものの他に、二月八日説、四月七日説、四月八日説などがある。
507aa659.jpeg ※釈迦降誕時の状を『因果経』に「菩薩漸漸右脇より出づ。時に樹下にも亦七宝七茎の蓮花生ず。大なること車輪の如し。菩薩即便(すなわ)地蓮花上に堕ち、扶持する者なくして自ら行くこと七歩、その右手を挙げて師子吼(ししく)す。『我は一切の天人の中において最尊最勝なり。無量の生死、今において尽きんとす。此の生は一切の人天を利益せん』と。この言を説き已(おわ)るや、時に四天王は即ち天繒(てんそう)を以って太子の身を接(う)け宝机上に置く。釈提桓因は手に宝蓋を執り、大梵天王は又、白払を持ち、左右に侍立す。難陀竜王・優波難陀竜王は虚空中より清浄水を吐くに、一は温、一は涼にして太子の身を灌ぐ」とある。
 
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