瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  姉の形見の携帯を持つことになったが、何せマニュアルを見ることの嫌いな瘋癲爺はその使い方に慣れることに追われている。それに、4月1日は甥の娘の結婚式とついつい、昨日4月2日は母の命日であったことを忘れていたが、家の婆様が、1日に新婦の母から頂いた博多名物「通りもん」を箱から取り出し、母と姉の遺影の前に供えているのを見て思い出した。
 昭和49(1974)年、爺は42歳の厄年であった。今年と同じように冬の長い年で、3月末に東京は銀世界に覆われた。母はオトンボの爺の家に前の年の暮から遊びに来ていたのだが、脳梗塞で倒れ、淺草は聖愛病院で、5人の息子・娘とその家族に見守られながら息を引き取った。今年は38回忌に当たる。浅草寺の五重塔に父と一緒に位牌を納めた。
 昨年暮れに亡くなった姉は、母と下界を見下ろしながら、「お母さん、あれが私の孫、お母さんの曾孫になるのよ」と喜んでいてくれることだろう。
ac808e8d.jpeg 姉の追悼文集を作ることにして、ごく身近の人に追悼の文(ふみ)を書いてもらい、すでにゲラが出来上がった。最後の1頁が空白になっているので、姉の孫に当たる新婦の結婚式の写真を入れるべく、新婦にメールしてみた。曰く、「おばあちゃんは恵理ちゃんの結婚式をとても楽しみにしておりました。/二人の写真をおばあちゃんの追悼文集の1ページ(A5版)に入れたいと思います。/私の撮った二人の写真を貼付しておきます。他によいものがありましたら、送信してください。/この写真に天国のおばあちゃんに恵理ちゃん(またはお二人)の短いコメントを添えたいと思いますので、それもよろしくお願いします。/追悼文集の発行はおばあちゃんの誕生日の4月15日としたいので、できるだけ早くお願いします。/忙しい中無理なお願いで誠に申し訳ありません。/日高 節夫」
218a9638.jpeg 早速、携帯のメールに恵理ちゃんからの返事がきた。曰く、「「ブログ、夫婦で読みました! 素敵にまとめていただきありがとうございます。パソコンのメールもありがとうございます。せっかくなので、おじさんに参加してただいた鏡開きの写真を使おうと思いますので、誰かにもらいますね。(プロのカメラマンの写真は一ヶ月後にしかもらえないんです)。締め切りも了解です。―END―」
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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