瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 東坡志林 巻一より 記承天夜遊
 元豐六年十月十二日、夜、解衣欲睡;月色入戶、欣然起行。念無與為樂者、遂至承天寺、尋張懷民。懷民亦未寢、  相與步於中庭。庭下如積水空明、水中藻荇交橫、蓋竹柏影也。何夜無月? 何處無竹柏? 但少閑人如吾兩人耳!
 
〔読み下し文〕 元豊六年十月十二日、夜、衣を解きて睡(ねむ)らんと欲す。月色、戸に入る。欣然として起ちて行く。念(おも)うに、与(とも)に楽しむ者なし。遂に承天寺に至り、張懐民を尋ぬ。懐民も亦(ま)た未(いま)だ寝(い)ねず、相(あ)い与に中庭を歩く。庭下、積水の空明あり、水中の藻荇、交(こも)ごも横たわるが如きは、蓋(けだ)し竹柏の影ならん。何れの夜か月無からん。何れの処か竹柏無からん。但(た)だ閑人の吾が両人の如きもの少なきのみ
 
〔訳〕 《承天寺の夜遊び》元豊六年十月十二日の夜、服を脱いで寝ようとしたが、月影が戸に差し込んできたので、嬉しくなって外を出歩くことにした。しかしとても楽しみを共にする者もあるまいと思い、そのまま承天寺に張懐民をたずねて行った。懐民もまだ寝ていなかったので、一緒に連れ立って庭の中を歩いた。庭の中はまるで透明な水をたたえ、その水の中に藻草がゆらいでいるかと思われたが、実はそれは竹柏(なぎ)の影なのであった。いつの夜だとて月のないことはないし、どこだとて竹柏のないところはない。ただわれら二人のような閑人(ひまじん)がいないだけのことである。

c69a73a9.jpeg※竹柏は梛(なぎ)の中国名。イチヰ科の暖地性の常緑樹。古来竹柏は、神聖な樹木、めでたい樹木として、日本人にも愛好されてきた。緑つややかな葉は守り袋や鏡の裏に入れて災難除けにされたという。 


※元豊六(1083)年、蘇軾は48歳。黄州(湖北省黄岡県)にいた。かれは元豊二年、御史台の獄を出て、同三年、黄州に流され、ここに五年間住んだ。蘇軾には「中秋月〕という名詩がある。
 
  中秋月   蘇軾
暮雲収盡溢清寒  暮雲 収め尽くして清寒溢れ
銀漢無聲轉玉盤  銀漢 声無く 玉盤を転ず
此生此夜不長好  此の生 此の夜 長くは好からず
明月明年何處看  明月 明年 何れ(いずれ)の処にて看ん
 
e55ebe72.jpeg〔訳〕日暮れ時、雲はすっかり無くなり、
                       心地よい涼風が吹いている。
   銀河には音も無く玉の盆のような
                      月があらわれた。
   こんな楽しい人生、楽しい夜、 しかし永遠に続くものでは無い。
   来月は、来年は、 どこでこの中秋の月を見ているだろう。
 
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